台湾の歴史 [無断転載禁止]©2ch.net

1世界@名無史さん2017/08/11(金) 07:32:23.740
もっと語られるべきテーマ

105世界@名無史さん2017/09/18(月) 12:41:02.330
>>104
それは公称信者数

あくまで表向きの話

106世界@名無史さん2017/09/18(月) 13:21:25.300
儒教徒より仏教徒のほうが遥かに多いのは確かだろう
儒教徒数なんて宗教統計にも載ってない
つまり統計取れないほど微々たる数ということだ

107世界@名無史さん2017/09/18(月) 14:59:42.700
>>106
「私は儒教の信者です」と申告する人がいないだけの話

韓国は、儒教社会そのもの

108世界@名無史さん2017/09/18(月) 15:48:03.300
日本の葬式は仏教だけど、韓国の葬式は儒教

109世界@名無史さん2017/09/18(月) 17:43:36.240
>>107
なら儒者は何万人居るのかね?
もちろん仏僧より多いんだろうな

110世界@名無史さん2017/09/18(月) 18:11:41.320
>>109
なぜ、数字にこだわる?

「私は儒者です」とか、「私は儒教の信者です」と申告する人は少ないし、
そもそも、自分が儒教の徒であることを自覚すらしていない人が多い。

でも、人々の思考や生活に深く根を張り、縛っている。
それが、儒教という宗教の特徴。

111世界@名無史さん2017/09/18(月) 18:21:01.200
台湾にも孔子廟があり、儒教の影響はもちろんある。

でも、その影響の度合いは、韓国と比べれば大幅に低い。

112世界@名無史さん2017/09/18(月) 19:02:50.940
>>108
仏教に葬式はないが、ついでに言うと先祖供養も霊魂という概念もない
つまり日本人が崇拝している仏教は仏教の姿を借りた儒教と言うこと

113世界@名無史さん2017/09/18(月) 19:06:10.730
仏壇も位牌もどう見てもインド風のデザインでは無くなく中華風のデザインだしな

114世界@名無史さん2017/09/18(月) 20:13:16.490
日本の仏教は先祖供養ばっかりだな

先祖供養が儒教だということすら忘れ去られている

115世界@名無史さん2017/09/18(月) 20:17:15.430
中国・台湾では、儒・仏・道の三教がフクザツに混ざりあっており、
宗教の分類に詳しくない世間の一般人は、どれがどれだか
マトモに区別がついていない。

日本の場合は、これに神道が加わる。

116世界@名無史さん2017/09/18(月) 23:28:04.670
「日蓮大聖人の本を配ってます」という人が家に来た。

「日蓮大聖人こそ、久遠元初のご本仏である」と書いてあった。

釈迦にはまったく興味が無さそうな人たちだった。

117世界@名無史さん2017/09/18(月) 23:29:27.000
「釈迦より日蓮のほうが偉い」というのは、「モーセやイエスよりマホメットのほうが偉い」というのと同じようなものだ。

もはや、仏教ではなく、別の宗教と呼ぶべきであろう。

118世界@名無史さん2017/09/19(火) 00:20:47.880
日蓮よりI田D作の方がエライと言う人は?

119世界@名無史さん2017/09/19(火) 02:47:40.350
>>118
釈迦より上の存在の日蓮をも、さらに上回るお方

120世界@名無史さん2017/09/19(火) 20:56:51.220
そうかそうか

121世界@名無史さん2017/09/20(水) 06:43:17.160
台湾の宗教人口(内政統計年報2009年)
宗教名 信徒数 宗教施設数 聖職者数
道教 792,664 9,249 -
基督教(プロテスタント) 384,576 2,539 4,362
天主教(カトリック) 177,641 746 1,785
仏教 168,331 2,308 -
一貫道 17,634 201 -
イスラム教 5,952 5 21
バハーイー教 2,265 2 12
天理教 1,659 22 80
サイエントロジー 1,000 1 30
儒教 790 14 -
軒轅教 314 8 -
弥勒大道 267 2 -
天徳教 242 5 -
理教 212 6 -
真光教 100 1 1
黄中 39 1 -
天帝教 33 1 -
その他 957 ≧ 6 ≧ 15

122世界@名無史さん2017/09/20(水) 06:44:54.500
道教は漢民族の伝統宗教であり、西晋末から明代にかけて中国大陸全土に広まり南方の正一教(天師教)と北方の全真教の二大流派が形成された。

台湾の道教は南方系の正一教であり、護符や呪文の宗教儀式を重視した内容となっている。

123世界@名無史さん2017/09/20(水) 06:47:03.710
媽祖(まそ)は、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/G%C3%B6ttin_Mazu.jpg

124世界@名無史さん2017/09/20(水) 07:00:51.030
なんだかんだで高砂族も、領有直後から昭和初期まで武装反乱繰り返してて反日だけどな。

125世界@名無史さん2017/09/20(水) 22:23:22.540
だが、それがいい

126世界@名無史さん2017/09/20(水) 22:33:42.180
むりやり天皇家中心で同化させようとするから反発したんじゃないの?
蝦夷にやったように、蝦夷系の神を別に神社に祀ったように穏やかに自主的に進めていけば良かったんだよ。
出雲大社みたいな扱いは無理にしても…

127世界@名無史さん2017/09/22(金) 09:27:25.460
>>124
というより、朝鮮・台湾・南洋諸島の中で、マトモに武装反乱したのは台湾の原住民だけだった。

朝鮮人なんか、後から「義兵闘争」とかいうウソの歴史をデッチ上げただけで、実際には従順もいいとこ。

128世界@名無史さん2017/09/22(金) 09:31:10.710
台湾のオランダ統治時代は、オランダの東インド会社が台湾島南部を制圧した1624年から、
鄭成功の攻撃によってオランダ東インド会社が台湾から完全撤退した1662年までの37年間を指す。

日本が鎖国するちょっと前から、ちょっと後まで、短い間だけど、台湾も西洋列強の傘下に入った。

朝鮮人がよくいう「日帝36年」と、なぜか年数が似ている。

129世界@名無史さん2017/09/22(金) 09:33:31.450
1622年、オランダ東インド会社(The Dutch East India Company)はまず明の支配下にあった澎湖を占拠し、東アジアに於ける貿易拠点を築いた。

その後1624年には明軍と8ヶ月に渡る戦火を交えた。
両国の間で和議が成立し、明は澎湖の要塞と砲台を破棄し、オランダ人が台湾に移ることを認めた。

このようにして台湾を占拠することとなったオランダ人は、一鯤鯓'(現在の台南市安平区)に熱蘭遮城(Zeelandia)を築城し、台湾統治の中心とした。

130世界@名無史さん2017/09/22(金) 09:36:29.900
スペインが統治に乗り出すまでは歴史らしい歴史がほとんどなかったフィリピンと同様、
台湾の歴史も、オランダが統治し始めたことが事実上のスタートラインとなった。

それまでにも日本人や中国人が移民していたが、これといった歴史がとくにない。

131世界@名無史さん2017/09/22(金) 09:42:17.220
安平古堡(あんぴん こほう)は旧称を奧倫治城(Fort Orange、オラニエ城)、熱蘭遮城(Fort Zeelandia、ゼーランディア城)、安平城、台湾城ともいう、1624年に建設された台湾で最も古い城堡。

建城以来、オランダ統治時代にはオランダ東インド会社による台湾統治の中心地として、また鄭氏政権時代には3代にわたる王城として使用されていた。

現在は台湾城残蹟の名称で国家一級古蹟に指定され、一般にも開放されている。
なお現存する赤レンガは当時インドネシアから運ばれてきたものである。

住所は、台南市安平区国勝路82号

132世界@名無史さん2017/09/22(金) 09:45:38.130
台南の安平古堡

オランダ東インド会社が築き、鄭成功も城塞として使い続けた

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/02/Anping_Fort_IMG_3004.JPG/1280px-Anping_Fort_IMG_3004.JPG

133世界@名無史さん2017/09/22(金) 09:47:28.770
つまり、台湾で歴史の長い古都といえば、台南

134世界@名無史さん2017/09/22(金) 09:51:14.040
台南といえば、担仔麺が有名だ

ちっちゃくて、わんこそばに似ている

135世界@名無史さん2017/09/22(金) 10:33:23.450
鄭成功やその子孫は王とか名乗ってたわけ?

136世界@名無史さん2017/09/22(金) 13:18:43.740
明の亡命政権という立場だからね

137世界@名無史さん2017/09/22(金) 18:23:44.140
長い台湾の歴史から見たら、日帝統治もオランダ統治と変わらない。
日帝時代は、いわば瞬間風速みたいなもの。

138世界@名無史さん2017/09/22(金) 18:49:04.260
もはや漢族の土地
所詮、日本には縁のなかった土地

139世界@名無史さん2017/09/22(金) 18:59:55.680
でも清の統治も日本の支配と変わらんと
思うけどな。

清は女真族の国だし
台湾の中の人も異民族の支配から
異民族の支配に変わっただけと
認識していた人も少なからず居たんじゃ
ないの?

大体、台湾を領有した国って
清と日本だけなんだよな。

140世界@名無史さん2017/09/22(金) 21:12:46.360
台湾が清に制服されるまで鄭氏は明の皇族を担いでいたわけ?

141世界@名無史さん2017/09/23(土) 09:55:41.980
鄭成功は、日本の平戸で父鄭芝龍と日本人の母田川マツの間に生まれた。

鄭成功の父、鄭芝龍は福建省泉州府の人で、平戸老一官と称し、平戸藩主松浦隆信の寵をうけて川内浦(現在の長崎県平戸市川内町字川内浦)に住んで田川マツを娶り鄭成功が産まれた。

たまたま、マツが千里ヶ浜に貝拾いにいき、俄に産気づき家に帰る暇もなく、浜の木陰の岩にもたれて鄭成功を出産したという逸話があり、この千里ヶ浜の南の端にはこの逸話にちなむ誕生石がある。

幼名を福松(ふくまつ)と言い、幼い頃は平戸で過ごすが、7歳のときに父の故郷福建に移る。

142世界@名無史さん2017/09/23(土) 09:58:43.260
1644年、李自成が北京を陥落させて崇禎帝が自縊すると、明は滅んで順が立った。

すると都を逃れた旧明の皇族たちは各地で亡命政権を作った。
鄭芝龍らは唐王朱聿鍵を擁立したが、この時元号を隆武と定めたので、朱聿鍵は隆武帝と呼ばれる。

李自成の軍は、精悍な清の軍勢の入関によってあっけなく滅ぼされた。

隆武帝の軍勢は北伐を敢行したが大失敗に終わり、隆武帝は殺され、父鄭芝龍は抵抗運動に将来無しと見て清に降った。
父が投降するのを鄭成功は泣いて止めたが、鄭芝龍は翻意することなく、父子は今生の別れを告げる。

143世界@名無史さん2017/09/23(土) 10:00:49.140
その後、鄭成功は広西にいた万暦帝の孫である朱由榔が永暦帝を名乗り、各地を転々としながら清と戦っていたのでこれを明の正統と奉じて、抵抗運動を続ける。

そのためにまず厦門島を奇襲し、従兄弟達を殺す事で鄭一族の武力を完全に掌握した。

1658年(明永暦十二年、清順治十五年)、鄭成功は北伐軍を興す。

北伐軍は南京を目指し、途中の城を簡単に落としながら進むが、南京では大敗してしまった。

144世界@名無史さん2017/09/23(土) 10:03:23.020
鄭成功は勢力を立て直すために台湾を占領し拠点にしようと試みた。

当時の台湾はオランダ東インド会社が統治していたが、鄭成功は1661年に澎湖諸島を占領し、
翌1662年2月21日に台南のゼーランディア城を落としてオランダ人を一掃し鄭氏政権を樹立した。

しかし、その年の6月、熱病にかかり同6月23日に死去した。その後の抵抗運動は息子の鄭経に引き継がれた。

145世界@名無史さん2017/09/23(土) 10:09:21.710
明から清への王朝交代という東アジアの激動の中、オランダに統治されていた台湾は、独特のポジションにいた。

オランダの統治は大昔から続いていたわけではなく、「たまたま、そうなっていた」という程度の偶然に近い状況。

ここに目をつけた鄭成功は、オランダ人を追い出して、ここに反清復明の抵抗拠点を築いた。

146世界@名無史さん2017/09/23(土) 10:11:52.800
オランダ東インド会社と鄭成功のおかげで、東アジアの歴史に「台湾」が登場した。

147世界@名無史さん2017/09/23(土) 21:20:52.600
明代から福建人が殖民してたから文明と全く無縁だったわけではないが
当時は全く歴史に登場しないね

148世界@名無史さん2017/09/23(土) 22:31:32.050
で、清による征服までずっと明の皇族はいたのかそれとも鄭氏に禅譲したのか

149世界@名無史さん2017/09/23(土) 22:33:31.160
明も一応、澎湖諸島については領土という意識があったし、ここを取りに来たオランダ東インド会社と交戦したりもしてるんだが。

そのわりに、台湾の存在感は皆無。

150世界@名無史さん2017/09/23(土) 22:37:32.490

151世界@名無史さん2017/09/23(土) 22:37:53.430
鄭氏政権(ていしせいけん、1662年 - 1683年)は、17世紀の台湾に存在した政権。清朝への抵抗拠点を確保するために、鄭成功が台湾を制圧することで成立した。

台湾で初めて漢民族政権による統治が行われたが、清朝の攻撃によって政権は20年強の短命に終わった。

152世界@名無史さん2017/09/23(土) 22:39:33.300
オランダ統治が37年間で終わったのと同様、その後の鄭氏政権も、たったの20年間で終わった。

名高いわりに、たいした長さでない。

153世界@名無史さん2017/09/23(土) 22:40:32.310
鄭氏政権は、地方に割拠した一政権であるが、名目的には明朝暦法を奉じ、「回帰大陸」を究極の目的とし、政策立案や教育に関してもこの原則に従って実施されており、事実上の亡命政権であった。

それまで琉求、夷州等さまざまな名称で史料に登場し名前が定まっていなかった台湾地区が、「台湾」と認識されるようになった。

154世界@名無史さん2017/09/23(土) 22:47:10.310
>>148
明の皇族は、「南明」と呼ばれる残党勢力になり、華南を転々として、それこそ難民みたいになっていた。

最後は、ミャンマーにまで逃げ込んだが、そこにも清の手が回っていた。
南明の皇帝は、ミャンマー王に裏切られて、清に引き渡されてしまった。

台湾には行ってない。

155世界@名無史さん2017/09/23(土) 23:12:11.740
>>154
そうたったのか

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