【植民】ギリシア語圏・ギリシア文化圏【移民】

1世界@名無史さん2012/04/21(土) 00:48:08.150
ギリシア文明、ギリシア語圏、ギリシア文化圏、ギリシア人の歴史、影響等を語るスレです。

対象は、
ミノア文明やミケーネ文明、古代ギリシアおよびその植民地(トルコ西岸、イタリア南部、
シチリア、キプロス、黒海沿岸など)、マケドニア王国とその征服地、各地のアレクサンドリアや、
ペトラなど、ギリシア文化の影響が強く見られる都市、東ローマ帝国、ギリシア移民が多い都市、
世界各地のギリシア人街です。

453世界@名無史さん2016/11/28(月) 15:26:13.080
>>451
本当に戦争は弱いね
途中からギリシャ傭兵を多数使っていたと聞いてワロタ
アナバシスなんか痛快だよ

454世界@名無史さん2016/11/28(月) 23:53:14.810
>>452 被差別カーストかアディバシー(先住民)の人だったのかな

455世界@名無史さん2016/11/30(水) 15:49:25.320
不死隊って割と名前負けしている印象

456世界@名無史さん2016/12/25(日) 18:44:07.420
人口が多い国は数に頼り
少ない国は精鋭主義でやるしかない
それぞれに合った戦い方をしているだけ

457世界@名無史さん2016/12/25(日) 18:57:34.210
>>456
強い味方を付けるという戦略もあるよ

458世界@名無史さん2016/12/29(木) 12:32:15.980
岩波文庫のヘーシオドスの「仕事と日」松平千秋訳を読んだんだが、
「わし〜〜なのじゃ」とか爺口調で訳されてるんだが、
古代ギリシャ語には若者口調と爺口調の違いとかあったの?
ただ松平千秋氏の匙加減?

459世界@名無史さん2016/12/30(金) 04:44:26.440
方言っぽさを出そうとしたのかもしれないな

460世界@名無史さん2017/01/02(月) 08:27:01.820
天理大学創立90周年記念特別展 ギリシア考古学の父 シュリーマン 
―初公開!ティリンス遺跡原画の全貌―
http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/special/past/tenji161217.html

461世界@名無史さん2017/01/02(月) 19:52:50.420
フランク族がフランキスカという斧をよく使ってたためにその族名が付いた事
てっきり逆かと思ってた。
ちなみに斧のフランキスカはどういう背景でその名が付いたんだろ?

462世界@名無史さん2017/01/03(火) 04:35:19.040
>>461
日本語版ウィキペディアはなんか専門的でない本を丸ごと信じてそう書いてるけど
英語版を見るとフランク族が使うからそう呼ぶ、と古い語源辞典を引いて言ってるよ
というか語形を見ても逆はありえない

-sc-というのはラテン語で「〜(風)の」という形容詞を作る語尾で、同源の接辞は印欧語に広く見られ
英語の-ish、ドイツ語の-isch、ロシア語の-ск-のようにゲルマン語やスラヴ語でもおなじみのものだ

francisca, francescaどちらも「フランク(族)風の/式の」という形容詞の女性形がそのまま名詞化したものだ
なぜ女性形かというとこういう斧を指す名詞securis(投げ斧、まさかり)もbipennis(二枚羽付き斧)も女性名詞で、
それらと同じものを指しているからだろう

463世界@名無史さん2017/01/03(火) 11:42:38.330
スパルタとかアテネとかテーバイの時は強兵だったのに
ローマに支配されてから弱兵になるよねギリシャ

464世界@名無史さん2017/01/03(火) 11:49:19.070
スパルタは過剰評価だな
イメージ戦略が功を奏したか

465世界@名無史さん2017/01/03(火) 14:21:28.850
よく暗黒の中世と言われるけど
あれはあくまで西ヨーロッパにおいてであって
ビザンツ帝国ではギリシャ・ローマ時代のクオリティで
学問・建築・美術が維持されていたのだろうか

466世界@名無史さん2017/01/04(水) 21:25:43.230
ビザンツ美術には停滞しか感じないわ〜。

467世界@名無史さん2017/01/04(水) 21:30:01.780
むしろ退化してるな美術
イコノクラスム以前以後でイコンの質も下がりすぎ

468世界@名無史さん2017/01/05(木) 03:24:51.300
ユダヤ教とイスラム教が全面的に偶像禁止で、ギリシャや小アジアは近いからな
イコノクラスムもイスラムからの嘲笑を理由に挙げる説もあるようだが、
それをきっかけとする一種の原点回帰運動というか原理主義運動だろう
美術こそキリスト教がギリシャから奪ったものと言っても良いのではないか

469世界@名無史さん2017/01/07(土) 20:30:22.960
東ローマは自他共に認める「ギリシアローマの後継者」だが、
ギリシア人とローマ人の儀式や文学表現を猿真似するだけで、
ギリシアとローマの優れたところを何も受け継いで無いのが辛い
東ヨーロッパの母体ともいえるが、
東ヨーロッパ自体がパッとしないので
結局目立たない

470世界@名無史さん2017/01/08(日) 01:51:47.920
現代の我々の目で見て「ぱっとしない」というのはたぶん
産業化されていない文化だということ

商品化に適さず、相互に競争することで何らかの「質」を向上させようとしない、
普遍性を欠いて不純物のような不合理なものをたくさん含んだ文化ということだろう

その中には無視できない記号が含まれていて新たなコンテンツのスパイスになりそうだけどな

471世界@名無史さん2017/02/07(火) 11:54:05.870
アナバシスを読んだが、
傭兵団が移動しつつ各地で食料や物資を集める描写で、
ペルシャ圏ではどう集めたのかぼかしてるのに、ギリシャ人植民都市に入ると途端に「略奪した」ってはっきり出てくるんだが、
普通逆じゃね?

472世界@名無史さん2017/02/07(火) 12:14:27.790
アナバシス、ペルシャ圏内の住民にとっては、ペルシャの徴税と
アナバシス軍の徴発と違いがないように思ってたんじゃないか、
というふうに見える。アケメネス朝という国家の存在が凄く希薄に感じられた

473世界@名無史さん2017/02/07(火) 12:54:08.290
ギリシア人はアイデンティティが明確だけど
ペルシャ帝国の臣民は皇帝クソ食らえも多いと思うよ

474世界@名無史さん2017/02/07(火) 12:54:43.030
ペルシャは多民族国家だからね

475世界@名無史さん2017/02/07(火) 13:16:27.390
実際に略奪はしなかった可能性。

476世界@名無史さん2017/02/07(火) 15:19:34.220
>ペルシャ圏ではどう集めたのかぼかしてるのに
実際は虐殺してたのをぼかして書かなかったという可能性は?
都合の悪いことは書かない、てだけでは?

477世界@名無史さん2017/02/07(火) 15:42:47.150
敵国で無双したなんて都合悪いことじゃないだろ

478世界@名無史さん2017/02/07(火) 16:48:02.240
ウィキペのアナバシスでは
>メスピラにおいて住民の大半を虐殺
と書いてあるけど、文庫版では「町は遂に陥落した」としか書いてないね
メスビラの虐殺の出典は何なのだろうか

479世界@名無史さん2017/02/07(火) 19:45:07.260
ギリシャは日本固有の領土

480世界@名無史さん2017/02/16(木) 19:13:44.940
ギリシャ文明の広義の仏教への影響に関し、ごく簡単に仮説的私見を述べておきたい。


ギリシャ人たるアレクサンドロスは、中央アジアから北西インド亜大陸にまで攻め込んだわけだが、
「インダス川流域は・・・アレクサンドロスが紀元前323年に死去すると彼の任命した総督(サトラップ)
達の支配するところとなっていた<ところ、>・・・ガンジス川流域の支配を確立したチャンドラグプタは
インダス川方面の制圧に乗り出した。・・・<アレクサンドロス死後のその帝国の跡目争いである>
ディアドコイ戦争中の紀元前305年、アレクサンドロスの東方領土制圧を目指したセレウコス1世が
インダス川流域にまで勢力を伸ばした。チャンドラグプタはその兵力を持ってセレウコス1世を圧倒
して彼の侵入を排し、・・・インダス川流域からバクトリア南部にいたる地域に勢力を拡大した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E6%9C%9D
という史実から見えてくるのは、

「プルタルコスは、チャンドラグプタが・・・青年時代に、インド北西部へ侵入したアレクサンドロス
大王のもとに出向き、インド東部への道案内を申し出たという逸話を伝えている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%97%E3%82%BF_(%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E6%9C%9D)
ところ、その真否はともかく、

チャンドラグプタが、「インド最初の本格的な統一王朝<たる>マウリヤ朝」の創始者となった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%A4
契機は、アレクサンドロスによる東征、大帝国の形成の衝撃であった、という事実だ。
私は、このマウリヤ朝は、ペルシャより東の世界における最初の帝国であった、という認識を持っている。

帝国とは、多民族からなる大領域国家のことであり、(「夏」の実在性はまだ確立していないところ、)
「殷」にしても「周(西周)」にしても、漢人のみからなる都市国家に毛が生えた存在に過ぎず、
支那における帝国の成立は、マウリヤ朝の成立よりも半世紀後の紀元前247年における、
秦による、漢人プラスアルファからなる大領域国家の成立を待たなければならない。

481世界@名無史さん2017/02/16(木) 19:18:39.350
帝国を形成、維持するためには、現に、或いは、企図された征服対象として将来的に、
その統治下に抱える諸民族を超越したイデオロギーが必要となる。
秦の場合は、本音ではそれは諸子百家中の墨家の思想で、建前上では、それを帝国成立前から
採択していた法家の思想に求めたわけだが、それは極めて実務的な選択であったと言えよう。

マウリヤ朝の場合は、簡略化して述べれば、(いわゆるヒンドゥー教の前身たる)バラモン教の
信者が多いガンジス河地域を本拠としつつ、旧アレクサンドロスの帝国ないしセレウコス朝の
上澄み部分に、古典ギリシャ哲学/ギリシャの神々/プラトン・アリストテレス流の哲人君主制を
信奉する者達を抱える、インダス河地域も取り込んだ形
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%97%E3%82%BF_(%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E6%9C%9D)
で成立した帝国である(そもそもチャンドラグプタは、後継ぎの息子ピンドゥサーラの后の一人として、
セレウコス1世の娘を貰い受けている。)ことから、インド亜大陸で生まれてからそれほど年月を
経ていない新興宗教ないし新興思想に、帝国イデオロギー候補として目を付けた、と見たいところだ。

「チャンドラグプタはジャイナ教を熱心に信仰したが、<二代目の>ビンドゥサーラはアージーヴィカ教
の信者であったと伝えられ、<三代目のあの有名な>アショーカ<は>仏教を熱心に信仰した」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%A9
のは、どれが国家イデオロギーとして一番適切であるか、試行錯誤を続けたということだ、
と見たらどうか、というわけだ。

ここで注意が必要なのは、一般にアショーカは「仏教」を「信仰」したとされてきたけれど、
彼が信奉していたのは、釈迦の唱えた「ダルマ」であって、当時、まだ本格的には成立していなかった、
「仏教」では必ずしもなかったことだ。

アショーカ自身、
「彼はダルマが全ての宗教の教義と矛盾せず、1つの宗教の教義でもないことを勅令として表明して」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E7%8E%8B
いることから、このことは明らかだろう。

482世界@名無史さん2017/02/16(木) 19:21:42.060
しかし、その意図せざる結果として何が起こったかと言えば、釈迦の唱えた「ダルマ」の、
マウリヤ帝国内、及び、セイロンへの普及であり、そのことを奇貨とした、釈迦を祖師とする
仏教なる新宗教の勢力大伸長であり、「ダルマ」の普及・保護のための過度な財政支出や
国家財の供出、及び、平和志向によるマウリヤ帝国の財政的・軍事的破綻であり崩壊だった。

尚、アショーカの事績中、最も重要なのは、釈迦の思想の中核であるダルマ
・・人間主義回復方法論、と言い換えてよかろう・・
が、彼によってセイロンに伝えられたおかげで、それが、上座部仏教の一環として、
(インド亜大陸における仏教の事実上の消滅にもかかわらず、)忘失を免れることになり、
やがて、チベットにおいて、それが大乗仏教の中に組み込まれることによって、現代にまで、
念的瞑想として生命を保ち続けることができたことです。

その後、インド亜大陸北西部において、セレウコス朝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AC%E3%82%A6%E3%82%B3%E3%82%B9%E6%9C%9D
から分離したグレコ・バクトリア王国から更に分離した、インド・グリーク朝が成立した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E7%8E%8B%E5%9B%BD

そこで、アショーカの下で興隆し始めた初期段階の仏教に起こったことを、
論理的に想像した下掲は説得力がある。


「紀元前2世紀に現在のインド西北部を支配したギリシア人のミリンダ<(メナンドロス)>王は、
仏僧のナーガセーナとの問答を通じて仏教に帰依し、出家したと『ミリンダ王の問い』は伝える。・・・
<しかし、>ナーガセーナの教義は、もしもミリンダ王にギリシア哲学の素養があるのなら、
論破できる類のもの<なので、疑問>だ。

もちろん、ミリンダ王ならびに彼の後継者となるギリシア人の王たちが仏教を保護したことは
事実と認めてよい。だが、彼らは、出家しなかったことからもわかるように、仏教に心底帰依した
というよりも、むしろ政治的に利用しただけではないのだろうか。

483世界@名無史さん2017/02/16(木) 19:23:03.520
<(そもそも、釈迦の思想の中核たるダルマを通じて悟りを開いた、つまりは人間主義者に
なったと思われるアショーカが、それが故にこそマウリア朝を没落させてしまったという教訓も、
地理的等からマウリヤ朝の後継王朝とも言える、インド・グリーク朝のミリンダ王等は承知して
いた可能性が高い。)>

インドには伝統的なカースト制度が根強く残っており、ギリシア人をはじめ外国人はアウト・カース
ト(不可触賤民)として蔑視された。そんな中、カースト制度を否定する仏教は、外国人支配者に
とっては都合がよく、そのため、ギリシア人のみならず、その後インドに侵入した外国の支配者
たちはたいてい仏教を保護したものなのである。仏教を保護することには、支配者が外国人で
なくても、メリットがあった。カースト制度では、王といえども、バラモン(聖職者)の下に位置付け
られていたのである。バラモンの下のクシャトリヤ(王侯貴族)や、そのさらに下のヴァイシャ(商人
など)にとっては、自分たちの権力や富にふさわしい地位を求めて仏教を保護したという事情がある。

また、支配者、つまり権力や富を持つ者にとって、被支配者、つまり権力や富を持たない者に
反乱を起こさせないようにすることは、自分の地位を維持する上で極めて重要である。
反乱を起こそうとするのは、権力や富への執着が強いことが原因であるから、仏教を広めて
下層民に権力や富への執着を捨てさせ、無欲にすることは、不満分子の反乱を予防するのに
効果的である。表向きの理由はともかくとして、インドの王侯貴族や富豪が仏教を保護した裏の
理由は、そこにあると考えることができる。

王侯貴族や富豪の保護のおかげで、仏教は世俗的な繁栄を享受することとなった。
しかし、権力や富への執着を否定する宗教が、権力と富を持った支配者と癒着するという
パラドキシカルな関係が続く中で、民衆の心は、支配のためのイデオロギーと化した偽善的
宗教から離れていった。仏教に代わって民衆の心を捉えたのは土着の宗教であるヒンドゥー教
であった。そして仏教は、イスラム国家とイスラム商人が台頭する中、パトロンを失って、インド、
パキスタン、アフガニスタンの地から跡形もなく消えてしまったのである。」
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2012/milindapanha/

484世界@名無史さん2017/02/16(木) 19:24:09.490
つまり、インド・グリーク朝は、初期段階の仏教(原始仏教)を大興隆させることになったけれど、
そのインド亜大陸における没落の根本原因をも同時に作った、ということになる。
さて、ミリンダ王等、インド・グリーク朝の君主達は興隆しつつあった原始仏教に帰依しなかった
としても、支配層たるギリシャ人の中には、帰依した者は少なからずいたと考えられる。
その結果起こったことが下掲だ。

「原始仏教では身体は不浄で、人生は苦と考える。だが、ギリシャ文化では「身体は美しく、
苦しい人生でも生きるに値する」と考える。この肯定的人生観と仏教の否定的人生観は互いに刺激
し合って、仏教はインド西北部のギリシャ人に受け入れられる。原始仏教の高い論理性と合理性が
受け入れ理由だった。紀元前後につくられ始めるガンダーラの仏像はギリシャ人の容貌を持っている。
ギリシャ人に受け入れられた仏教はギリシャ人の影響を受け、人生肯定の思想を持つようになる。
否定的人生観からこの肯定的人生観への変化が大乗経典の特徴になっている。」
http://huukyou.hatenablog.com/entry/2016/09/20/091358

そして、その更に結果として生まれたのが、写実的な仏像と物語性豊かな仏典とを伝道の両輪
とした大乗仏教である、というわけだ。この大乗仏教は、伝道僧達によって、中央アジア経由で
北伝し、支那、更には日本へと伝播していくことになる。

大乗仏教には、ダルマ(悟りの方法論)が欠落していることは、既にご承知のことと思う。
しかし、仏典が説く人間主義は、仏像を中核として発展したところの、仏教美術・建築・庭園・
生活様式、等、と相まって、(孤立したチベットを別にすれば、)日本だけで失われることなく
維持されてきていた人間主義(縄文性)に滋養強壮的な刺激を与えることで、その引き続きの
維持に不可欠な役割を果たすことになるのだ。

また、大乗仏教の人生肯定性は、日本における弥生性が維持されることに貢献し、人間主義文明
たる日本文明の存続を、安全保障面から、引き続き、強固に担保し続けることにつながった。

485世界@名無史さん2017/02/16(木) 19:25:22.550
■暫定的結論

以上から、暫定的結論だが、インド文明と古典ギリシャ文明の、思想面を含む衝突と一時的
共棲の中から、原始仏教が成立し、それが上座部仏教の形をとって南伝を果たすとともに、
やがて、大乗仏教の成立を促しそれが北伝し、前者が、非人間主義者の人間主義回帰のための
方法論の忘失を免れさせ、後者が、自律的な人間主義文明である日本文明の希釈化ないし
滅亡を免れさせた、と言えそうだ。

すなわち、思想面を含むところの古典ギリシャ文明は、その生み出した合理論科学が直接的に
西方に巨大な影響を与え、また、その生んだ哲人王による帝国形成が間接的に東方に人間主義
の存続という形の巨大な影響をもたらした、ということになりそうだ、ということ。

もとより、以上記したことは、極めて粗削りな仮設の域を超えていない。
機会を見て、もう少し本格的な仮説を展開することを期したい。

486世界@名無史さん2017/04/09(日) 03:31:11.130
顔面工事糞歌手コナンで売名中
https://youtu.be/1e0G26koX5M

487世界@名無史さん2017/04/16(日) 15:19:48.430
イタリア半島南部では、海神ポセイドンを奉じるスパルタ人の移民団が、海神の息子
タラスの名をもつ都市(現ターラント)を建設した。
また、メタポント(古名メタポンティオン)、シバリ(古名シュバリス)、クロトン
(現クロトーネ)等はアカイア人により、ロクリ(古名ロクロイ)はロクリスからの、
レギオン(現レッジョ・ディ・カラブリア)はカルキス系の、シリス(現シーリ)は
イオニア系の移民によって建設された。

488世界@名無史さん2017/04/21(金) 10:53:14.300
南イタリアに入植したギリシア人は、メッサピア(現サレント半島)にいた
メッサピ族やヤピギ族、プーリアのダウニア人やペウケティ族、
内陸部のルカーニア人、カラブリアのブレッティア人、コーニ族とエノトリ族らの
先住民族と衝突し、それらを制圧して駆逐したり、あるいは奴隷化した。

489世界@名無史さん2017/05/12(金) 19:43:23.46O
ポリス(スパルタ、アテネ)
王はいたんですか?

490世界@名無史さん2017/05/13(土) 01:54:33.250
いつの時代という限定は抜きにして、
ギリシアのポリス本国は民主政なのに
植民都市に派遣された総督のほうは治安のために独裁化しやすくて
やがて植民都市だけ王政になっていた、なんていうケースはよくあったんじゃないの

491世界@名無史さん2017/05/15(月) 09:46:09.710
シュラクサイは僭主制だったよな

492世界@名無史さん2017/05/21(日) 18:38:19.490
ギリシア人が西地中海へ組織的な入植活動を始めたのは前8世紀半ばのことであった。
本土が人口増大にともない経済的に飽和状態になったため、計画的に募集をかけて
移民団を送り出したのである。
行き先はデルフォイの神託次第。

シチリア入りした最初の移民団はエウボイア島のカルキス人で、まずザンクレ(現メッシーナ)に、
続いて前734年頃ナクソスに定住した。同年コリントス人がシラクーサを建設し、さらにメガラ人が
メガラ・ヒュブレアを、クレタ人とロドス人がゲラ(現ジェラ)をつくった。それぞれのポリスが増殖すると、
新たな都市が生まれていった。例えば、セリヌス(現セリヌンテ)はメガラ・ヒュブレアの、
アクラガス(現アグリジェント)はゲラの副次都市である。

493世界@名無史さん2017/05/27(土) 14:08:40.82O
オックスフォードのClassical Dictionary 買ったけど
neodamodeisの項がなくて、helotsの項で説明されてた…

494世界@名無史さん2017/06/02(金) 22:14:38.670
教会「ケルト神話?北欧神話?スラブ神話?邪教は禁止です」

教会「ギリシャ・ローマ神話?まあ、いいんじゃないの」

なぜ容認されてるんだろうね

1月 January ローマ神話で"物事の始まりと終わり"をつかさどる神ヤヌス(Janus)
2月 February 古代イタリアの清めの神Februus
3月 March ローマ神話の軍神マルス(Mars)
4月 April  ギリシア神話の女神アフロディテ(Aphrodite)
5月 May  ローマ神話の豊穣の女神マイアス(Maius)
6月 June  古代ローマの結婚や出産の女神ジュノー(Juno)
7月 July  カエサル(Julius Caesar)
8月 August 初代ローマ皇帝アウグストゥス(Augustus)
9月 September ラテン語でseptem「7番目の月」の意味(3月を初月として)
10月 October  ラテン語でocto「8番目の月」の意味(3月を初月として)
11月 November   ラテン語でnovem「9番目の月」の意味(3月を初月として)
12月 December  ラテン語でdecem「10番目の月」の意味(3月を初月として)

495世界@名無史さん2017/06/03(土) 10:19:41.010
そりゃキリスト教はローマ帝国を乗っ取った宗教だからな
それだけではなくローマ帝国のグレコローマン文化によって
ユダヤ教原理主義メシア運動の一つでしかなかったイエスのカルトは
哲学や科学と融合した地中海の大宗教にまで成長したのだ
豚肉食って割礼しないで今さらユダヤ暦でもないだろう
ローマの多神教が政治的な儀式だけのものだったのはキリスト教徒も知っていた
公認され国教になってからもローマの政治体制そして文明主義を引き継いだ

ローマにとって「野蛮」だったケルトやゲルマンやスラブの文化は
キリスト教にとって単に「異端」なのではなく
「非文明的」という意味でも不要な存在だったのだ

496世界@名無史さん2017/06/30(金) 21:46:05.570
遺伝子的に、エーゲ海のギリシャ人達は(かつてギリシャの植民地だった)
南イタリアの人々に近く、本土のギリシャ人達は、(コソボを含む)アルバニア人
達に近いことが分かった。
http://www.haaretz.com/archaeology/1.798089

ギリシャ人はトルコ領になる前にスラブ化してたのね。

497世界@名無史さん2017/06/30(金) 23:34:57.050
アルバニア人はイリュリア系でスラブじゃねーよ
その記事に参照リンクがあるnature.comの論文でも、セルビア&モンテネグロとの境界で遺伝子タイプの色が変わってるじゃねえか

498世界@名無史さん2017/07/01(土) 06:04:29.400
何を言ってるのかと思ったらそういう勘違いか
これだから遺伝子厨は

499世界@名無史さん2017/07/26(水) 19:32:28.560
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

500世界@名無史さん2017/08/06(日) 01:02:53.490
イリアス・オデッセイア 面白いね

イリアス:トロイア戦史
オデッセイア:先ギリシャ時代の文化や風俗譚って感じ

オデッセイアの方が俺はハマったw

テレマーコス愛され過ぎやろjk

501世界@名無史さん2017/08/27(日) 20:24:00.650
"三角法の父”はギリシャ人ではなかった・・・
ヒッパルコスの研究より1000年以上前に・・・バビロニア<で>・・・三角法が使用されていた・・・
http://news.livedoor.com/article/detail/13525520/

502世界@名無史さん2017/09/06(水) 11:47:23.190
トロイア人とはそも何者?

503世界@名無史さん2017/09/11(月) 05:12:55.250
>>502
トロイア遺跡に居た住民のことではなく、地中海全域で戦争、海賊していたフェニキア人のことを
比ゆ的にトロイアといったのだろう

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