古代の倭国による朝鮮半島支配

1世界@名無史さん2018/04/14(土) 03:44:25.260
日本が朝鮮を支配していた時期は、歴史上に2度ある。

古代と近代だ。

2世界@名無史さん2018/04/14(土) 03:57:31.640
古代は一部を属国化してた話やぞ

でなんやねん

3世界@名無史さん2018/04/14(土) 08:10:32.510
新羅と百済は、倭に朝貢していた

4世界@名無史さん2018/04/14(土) 17:38:54.630
朝鮮を倭が支配してたんじゃなくて
朝鮮の一部が倭の国土だったんだぞ

5世界@名無史さん2018/04/14(土) 17:52:52.700
狗邪韓国は名前からして韓人の国の筈だが三韓ではなく倭に属していた

6世界@名無史さん2018/04/15(日) 19:14:44.450
渡来系氏族の高向玄理、旻らの百済の評制をモデルにした改革が行われるまで
酋長の寄り合い世帯どまりで大陸的な「国」はまだなかった
当然「国土」という概念もなく緩やかな人的関係でつながっていたというのが通説

7世界@名無史さん2018/04/15(日) 22:59:48.500
「4世紀、日本は朝鮮半島に進出し、これを勢力下にした」と、アメリカの歴史教科書にも書いてある

8世界@名無史さん2018/04/16(月) 02:18:01.210
渡来人は渡ってこなかった

9世界@名無史さん2018/04/16(月) 18:26:11.420
朝貢していたから勢力下に置いていた理論だと
琉球どころか日本本土も中国の歴史的領土になってしまう
これは非常にまずい
そこで出たのが臣従の礼は形式的なもので本質は貿易であったという朝貢貿易論である

10世界@名無史さん2018/04/16(月) 18:53:06.370
>>9
べつに、非常にまずくはないだろ

11世界@名無史さん2018/04/16(月) 18:54:36.580
まづいでしょ
日本は中国に併合されるべきと考えてるのなら知らないが
日本を「未回収の中国」にされてしまうのはやばい

12世界@名無史さん2018/04/16(月) 18:57:20.070
だったら、中国を「未回収の日本」と主張し返してやればいいじゃないか。

どうせ無理筋だが、言ったもん勝ちだ(笑)

13世界@名無史さん2018/04/16(月) 19:02:03.450
現在のシナ人は、後から移民してきた連中だ。

古代の黄河文明の民の子孫は、日本にいる。

14世界@名無史さん2018/04/16(月) 19:03:08.930
日本を「未回収の中国」には歴史的根拠がある
倭王武の上表文「我が国は陛下の藩屏です」

が逆に日本が中国に朝貢させたことは一度もない

李氏朝鮮にも宗氏、大内氏、松浦氏など諸大名が貿易目当てに官職を授けられて冊封されている
まずいまずいまずい

15世界@名無史さん2018/04/16(月) 19:03:09.050
古代日本の皇太子が中国の人質だったことはない
百済と新羅の王子は古代日本の人質だった

16世界@名無史さん2018/04/16(月) 19:04:16.350
桓武天皇の出自は百済系ですけど

17世界@名無史さん2018/04/16(月) 19:09:50.260
支那を「未回収の日本」には歴史的根拠がある
皇軍は紫禁城を制圧したことがあるが
支那王朝の官軍が日本の皇居を制圧したことは一度もない

18世界@名無史さん2018/04/16(月) 19:17:00.280
みなぶちのしょうあん 南淵請安 ?−? 飛鳥(あすか)時代の僧。
朝鮮渡来系の漢人(あやひと)の一族で,大和(奈良県)高市郡南淵にすむ。推古天皇16年(608)小野妹子にしたがって
隋(ずい)(中国)に留学し,32年後帰国。
「日本書紀」に中大兄皇子と中臣鎌足が南淵先生(せんじょう)に儒教をまなび,その通学の途中に大化の改新の策を
ねったとあるのは,請安のこととされる。

講談社デジタル版 日本人名大辞典

たかむくのくろまろ【高向玄理】?‐654(白雉5)
大化改新期の国博士。漢人(あやひと)を称する百済帰化人の子孫。〈たかむこ〉ともよみ,姓(かばね)は史,
黒麻呂とも書く。
608年(推古16)遣隋使小野妹子に従って,学生として渡海。640年(舒明12),新羅を経て南淵請安らと帰国するまでの
長期間にわたって滞在し,隋唐王朝の興亡を目のあたりに見聞した。
645年(大化1)蘇我本宗家が滅亡し,新政権が成立すると,僧旻(みん)(新漢人(いまきのあやひと)旻)とともに
国博士に登用され,改新政策の立案にあたった。

株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

いまきのあやひとみん 新漢人旻?‐653(白雉4)
百済系の学僧で大化改新期の国博士。608年(推古16)隋使裴世清の帰国のさい派遣された小野妹子に同行し,高向玄理
(たかむくのくろまろ)・南淵請安(みなぶちのしようあん)らとともに渡隋。
《日本書紀》で新漢人日文(にちもん)とあるが,帰国した632年(舒明4)以降はすべて僧旻と記す。仏教,天文に通じ,
中臣鎌子,蘇我入鹿など貴族の子弟を集めて周易を講じたことが《大織冠伝》にみえる。蘇我氏滅亡後の改新政治の
実施にあたって高向玄理とともに国博士として参画し,中央官制の改革をはじめとする基本政策の立案につくした。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

19世界@名無史さん2018/04/16(月) 19:20:19.960
>>17
宣戦布告なしに相手側の領土を切り取るのは戦争犯罪なので領有権は認められません(大日本帝国憲法第13条)

20世界@名無史さん2018/04/16(月) 19:22:32.920
>>19
支那王朝が宣戦布告した

21世界@名無史さん2018/04/16(月) 19:39:08.350
国中公麻呂 くになかの-きみまろ

?−774 奈良時代の官吏,仏師。
百済(くだら)(朝鮮)から亡命した国骨富(こく-こつふ)の孫。はじめ国(くにの)君麻呂といい,居住地の大和国中村(奈良県大和高田市)にちなんで改姓。
金光明(こんこうみょう)寺(のちの東大寺)造仏所の造仏長官となり,盧舎那(るしゃな)大仏の鋳造に成功して昇進,造東大寺司次官をつとめた。
宝亀(ほうき)5年10月3日死去。名は公万呂ともかく。

講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plus


ぎょうき〔ギヤウキ〕【行基】[668〜749]
奈良時代の僧。百済(くだら)系の渡来人、高志(こし)氏の出身。和泉(いずみ)の人。

小学館デジタル大辞泉


かんろく〔クワンロク〕【観勒】
7世紀の百済(くだら)の僧。602年に来日し、暦法・天文地理・方術の書を伝えた。日本最初の僧正に任ぜられたという。生没年未詳。

小学館デジタル大辞泉


高取町出身である最初の「征夷大将軍」坂上田村麻呂の活躍
http://www4.kcn.ne.jp/~yukiharu/sakanouenotamuramaro.htm
 4世紀後半に百済から渡来した阿知使主(あちのおみ)を祖とする渡来系の氏族「東漢氏」の一族で檜隅から高取町域に定着し、
その後多くの氏に分裂し、それらの氏は住みついた所の地名を氏として、それぞれ発展していきました。
  坂上氏は、高取町大字観覚寺(かがくじ)小字坂ノ上(坂ノ山ともいわれています)一帯に居住し、坂上氏と称して飛鳥時代から
平安時代にかけて武門の氏族として発展していきました。姓は始め直(あたい)、682年に連(むらじ)、685年に忌寸(いみき)、
764年に大忌寸、785年に大宿禰(おおすくね)と改姓しています。大字観覚寺には、小字坂ノ上に坂上田村麻呂の邸宅があったとの
伝承が今日にも伝わっています。]

22世界@名無史さん2018/04/16(月) 20:05:15.830
べ 部
大化改新以前,朝廷や豪族が所有した人民の集団。「とも」,部民 (べみん,べのたみ) ともいう。4〜5世紀頃朝鮮に進出した大和朝廷が,百済の部制にならって組織したもの。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

すえつくりべ 陶作部
大化前代の職業部で須恵(陶)器の製作に従事。須恵器の源流は朝鮮半島南部に求められている。また陶部ともつくる。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版

ふびとべ【史部】
応神天皇の時、百済から渡来したといわれる王仁と阿知使主の一族で、文書・記録をつかさどった部民。
大辞林 第三版

かぬちべ【鍛冶部】
大化前代、豪族に隷属し鉄製武具などの製作にあたった部民。先進技術をもった渡来人系の韓鍛冶部と在来技術による倭鍛冶部とがあった。
出典 三省堂大辞林 第三版

きぬぬいべ 衣縫部
古代宮廷の裁縫に従事した部。漢衣縫部(あやのきぬぬいべ),飛鳥衣縫部,伊勢衣縫部などがあり,その多くは,5世紀前後に百済や呉から渡来した渡来人。日本古来の衣縫部も存在した。
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典

くらつくりべ【鞍作部】
古代、鞍を作るのを職業とした部。多くは百済くだらからの渡来人。
小学館 日本大百科全書

23世界@名無史さん2018/04/16(月) 20:27:03.320
大東亜共栄圏を実現させて日本と中国(と朝鮮と越南)の統合を実現させれば万事解決!

24世界@名無史さん2018/04/16(月) 20:39:05.260
 
これはいいスレw ってハングル板あたりでもう通りすぎた話題なんだろうけど

朝鮮半島の歴史を、高句麗・百済・新羅の三国時代から、巷では語っているけど、
本当はそれ以前の歴史があった、檀君w朝鮮、箕氏朝鮮、衛氏朝鮮だ
檀君は神話だから置くとしても、歴史地図を見るに
箕氏朝鮮、漢四郡のころからすでに半島南部は朝鮮領ではなかった
統一されていたのではなくても、倭人=日本人がすでに住み着いていたということだろう
つまり、日本も朝鮮もその歴史を紀元前1000年あたりにまで
さかのぼることができるということだろう
ただ、いまの新羅末裔の朝鮮人がそのときにいたかどうかは怪しいと思う
やはり、新羅が日本系から新羅系に奪われたころあたりを
いまの朝鮮人の起源とするのが歴史的事実に近いんだと思う

25世界@名無史さん2018/04/16(月) 21:10:21.860
>>9
朝貢でなく朝鮮が日本の属国だぞ
王子を人質にしている。
たんなる朝貢ではないので倭王武の例とは違う

26世界@名無史さん2018/04/16(月) 22:35:50.350
半島南部に倭人がいた可能性は限りなく低い
何故かというと環濠集落や高床倉庫、水稲、青銅器の普及は半島南部のほうがずっと早いから
厳密に言うと日本には青銅器時代はないけどな
半島から青銅器と鉄器がほぼ同時に伝わったため

27世界@名無史さん2018/04/17(火) 00:39:34.010
その様な事は証拠にはならんだろ

28世界@名無史さん2018/04/17(火) 01:47:40.160
半島の方が一時期農業が盛んだった話に倭人の有無なんて関係ないだろう
半島支配は弥生でなく古墳じだいとかなんで時代が違う

29世界@名無史さん2018/04/17(火) 05:41:34.490
隋書  

「新羅百濟皆以倭為大國 多珍物並敬仰之 恒通使往來」

「新羅や百済は皆、倭を大国で珍物が多いとして、これを敬仰して常に通使が往来している」

30世界@名無史さん2018/04/17(火) 10:30:43.750
>>29
この珍品が気になる
あわびとかは豊富だけど韓国にもあるが

31世界@名無史さん2018/04/17(火) 12:04:43.090
チョン半島は太平洋に面してないから、カツオとか獲れなかったんじゃね?

32世界@名無史さん2018/04/17(火) 12:16:52.480
やはり、翡翠か

33世界@名無史さん2018/04/17(火) 12:29:25.060
 
旧石器時代なら、黒曜石とか翡翠とかだったんだろうけど
おカイコさんから作る<絹>とか?ああ、琥珀もあるみたいだな
扇子が隋唐の頃かな

34世界@名無史さん2018/04/17(火) 13:02:02.050
>>32
硬玉がそれと認識されたのはもっと後だから当時珍品だったのかねぇ
>>33
黒曜石かどうかは別にして火山性の石や、その組成物は珍品かな

35世界@名無史さん2018/04/17(火) 13:51:41.450
随書

「有如意寶珠其色大如?卵 夜則有光云魚眼精」

「如意宝珠というものがある。その色は青で、大きさはニワトリの卵くらい。夜になると光る。魚のひとみだと言っている。新羅と百済は、どちらも、倭は大国で珍しい物が多いと考え、敬い見上げている。常に使者を通わせて往来している。」


この青い宝石が珍品か
光る青い石で日本産を探せばベニトアイトというのが見つかったw

36世界@名無史さん2018/04/17(火) 17:52:33.890
>>28
朝貢したぐらいで統治していたとなるなら倭国は中国に統治されていたことになるが
人質を出したとかそんなレベルではなくあちらの将軍に任官までされている
まぁこれは朝鮮三国にしてもそうなんだが

37世界@名無史さん2018/04/17(火) 18:35:27.100
4世紀末の朝鮮半島南部では、百済、新羅、と小国の連合から成る任那伽耶が勃興していた。
このうち百済が最も精強を誇り、371年には高句麗の平壌を落し、故国原王を敗死させている。
しかし、高句麗最大の名君とされる広開土王による攻勢が始まってからは漢江以北の地を奪われるなど勢力に陰りが見え始め、
新羅と共に臣下の礼を取るまでになった。(百済が高句麗と同源という説は、この時に出来たものかもしれない。)

そこで時の百済王は、太子・腆支を以前から通好のあった倭に人質に出すことを、引き換えに援軍を得るも
404年に帯方地方で倭軍は、全滅してしまい(広開土王碑文)、漢江以北奪還の試みは破綻する。
また高句麗は従順であり続けた新羅に対しても、国内に高句麗兵に常駐させ、国王の尼師今(新羅王)の任命や
兵の徴発、また監視用の拠点として国原城を築くなど、圧迫を加えた。(中原高句麗碑)

一方、新羅ほどの被害を免れた百済は北朝、南朝、倭と通行可能な大国すべてに臣下の礼を取る土下座外交で、高句麗に徹底抗戦する
姿勢を見せつつ、とくに倭に対しては任那伽耶と共にテクラノート集団「才伎」の派遣を約束し、倭の文明化を支援するなど、親密な関係を維持した。

38世界@名無史さん2018/04/17(火) 20:35:59.970
>>11
中国は「未回収のモンゴル」にされてしまうね

39世界@名無史さん2018/04/18(水) 18:27:51.250
まあこれは日本の史学界だけじゃなくて欧米でも普通に認められてる事実だからな。
これはあるソウル大名誉教授による百済がヤマトを建国したというファンタジー論文からの引用だが
当の筆者も日本と欧米の歴史家の間で常識だというこの認識に怒り心頭だし。

>Jonathan W. Best may be regarded as representing the great majority of Japanese and Western historians when he states,
as recently as 2006 CE (through the publication by the Harvard University Asia Center), that “it is clear that neither Paekche
nor Silla ceased to function as independent states,” but “it is evident that the Yamato exercised significant influence in southern
Korea from late in the fourth century to the end of the fifth” [26].
(ハーバード大アジアセンターの出版物を通じてなされた)2006年のジョナサン・ベスト教授の言は大多数の日本・欧米の歴史家の認識の
代表といえるかもしれない。曰く、「百済と新羅が独立国としての機能を失ったわけではないのは明らか」だが「ヤマトが4世紀後半から
5世紀末まで朝鮮半島南部に相当の影響力を行使したのは明白である。」

40世界@名無史さん2018/04/18(水) 18:30:09.830
あと欧米の著名な言語学者の多くが、プロト朝鮮語族が満州から南下してくる前の朝鮮半島にはプロト日本語族の話者がいたという認識のようだから
南岸の倭系部族or国はその残党と考えると、ヤマトの半島「進出」も合点がいくってわけだろう。向こうの史学界はより学際的傾向があるし。

"When Was Korean First Spoken in Southeastern Korea?" by James Marshall Unger (2005):
"A form of [Japanese] was no doubt spoken on the peninsula. For the time being, I prefer to think of Koguryoan, Paekchean, and
Sillan as three early varieties of Korean that displaced residual Chinese and para-Japonic speech in a north-to-south advance ...
Thinking of Korean as a successful intruder rather than as a survivor in situ from neolithic times should make it easier to
investigate that question and to understand how Japanese got to its present range."

"Northeast Asian Linguistic Ecology and the Advent of Rice Agriculture in Korea and Japan" John Whitman (2011):
"From the standpoint of this paper, the important takeaway lesson from the Koguryo toponymic data is that a language cognate to
Japonic was spoekn on the Korean peninsula. This is a point of consensus for all major scholars who have worked on this material."

41世界@名無史さん2018/04/18(水) 18:31:01.490
"Why Manchu and Jurchen Look So Non-Tungusic?" Alexander Vovin (2006):
"The existence of a Japonic language spoken in the past on the Korean peninsula is an undeniable fact, [though] in all probability
the existence of this language predates the state of Koguryo."

"Koguryo As A Missing Link" Martine Robbeets (2007)
"During the Three Kingdoms period at least two different language families were simultaneously present on the Korean peninsula:
Koreanic and Japanic. Koreanic consists at least of Shilla, whether or not the immediate ancestor of MK, and Han-Paekche. ...
Japanic consists at least of Japanese-Ryukyu and of Koguryo, that is more closely connected to Japanese than to any other language."

"How many independent rice vocabularies in Asia?" Laurent Sagart (2011):
"There is growing agreement among Japanologists that the settlement of Japan by Japonic speakers was effected in the second half
of the first millennium BCE by a people ('Yayoi') from the Koreanpeninsula ..."

42世界@名無史さん2018/04/18(水) 18:31:50.830
>「百済と新羅が独立国としての機能を失ったわけではないのは明らか」

ってのはネトウヨにとってかなり「不都合な真実」じゃあねえの

43世界@名無史さん2018/04/18(水) 18:34:54.750
>>42
いや、いくらネトウヨでも神功皇后の三韓征伐を字義通りに信じてる奴は稀だろ。

44世界@名無史さん2018/04/18(水) 18:39:56.990
少なくともこのスレの>>1はそうは考えてないみたいだぞ

45世界@名無史さん2018/04/18(水) 18:45:24.920
Martine Robbeets (2007) の韓国語は新羅語と百済語で構成されているというのも
都合が悪いんじゃないかね
ネトウヨの歴史観だと新羅人と百済人は日本人ってことになってるようだし

46世界@名無史さん2018/04/18(水) 19:02:22.410
>>45
百済はともかく新羅は朝鮮人認定されて嫌われてなかったっけ?
俺的には百済より新羅のほうが意外と日本と似た感じの部分があって面白いんだが。
開発が遅れてた部分とかも。
まあいいや。
俺はネトウヨじゃないけど、半島南部に倭人・ヤマトの勢力圏というかエンクレーブが
あったのは間違いないと思うよ。
それで朝鮮語族の部族達がそれを駆逐したというか完全に同化した統一新羅後に今の朝鮮民族というものが定まった。

47世界@名無史さん2018/04/18(水) 20:22:08.630
新羅が倭人によって作られたことは三国史記を作った高麗人たち自らが認めていたことである

>>40
朝鮮語族がもともと満州にいたとは思えんな
むしろ韓人の祖先が7000年位前に日本列島から追い出されたんだろ?
Y染色体ハプログループO2b2も縄文系の濃い南琉球で最大の比率となっていることから考えると、実際は琉球諸島で発生し九州を経て朝鮮半島を北上したのだろう

48世界@名無史さん2018/04/18(水) 20:42:53.310
>>46
>>45みたいに「三国史記」の金閼智の家来の瓢公が倭人だったとか
王族の昔氏が倭国の多婆那(丹波とされる)の王が女人国(伝説上の国)の王女に産ませた卵から出てきたという伝説を拡大解釈して
新羅が日本人の国だと言ってるネトウヨをよく見かける

逆に古事記では神功皇后が新羅の王子、アメノヒボコの子孫ということになっている
かつて、それほど両国の関係が悪くなかった時代に造作された伝承であろう

49世界@名無史さん2018/04/18(水) 23:57:21.960
日本と唐が同盟国を使って朝鮮の覇権を握ろうとした結果
日本が負けて朝鮮から手を引き唐の文化や制度を受容したのは
どこか20世紀の日米関係を想起させる

50世界@名無史さん2018/04/19(木) 00:14:59.120
>>48
最近韓国で左翼を罵倒するトンでもウヨを捕まえたら左翼の自演だった話があるが
そういうネトウヨは想像上のものだったり、誰かの自演だったりしないかね

51世界@名無史さん2018/04/19(木) 00:17:18.640
>>49
アメの文化は昔から受け入れてたようなw
第二次は中国市場の争いから生まれたが古代の日本にとって朝鮮はナンだったのかね
貴重な鉄などの資源調達先かな

52世界@名無史さん2018/04/19(木) 01:00:59.460
鉄もあったし何よりも唐に隣に来られて欲しくなかった
そもそもあまり倭は半島の覇権争いに加わろうなんて気はまるで皆無で
512年に任那の四県を百済が併呑したときも532年に金官伽耶が新羅に滅ぼされたときも
ほとんど何ら行動を移していない

53世界@名無史さん2018/04/19(木) 01:26:43.190
朝鮮三国の中でも最も特異なのが新羅
その時代の遺跡からは遠く離れたローマのガラス製品やガリア地方で作られたケルト剣の柄、ギリシャの装身具など
百済、高句麗ではほとんど見られない品物が見つかっている
これらの品々は恐らく中央アジアとの交易で入って来たものと見られ7世紀末8世紀初頭のサマルカンドのアフラシアブ遺跡の壁画には新羅人の姿が描かれている
中国を重視した高句麗、倭、百済とは違い、西域諸国との交流を持っていたようだ

軍事面でも550年に竹嶺に進出(丹陽赤城碑文)その18年後には咸鏡南道利原郡にまで進出して高句麗の首都平壌を脅かすまでになる(磨雲嶺碑)
不思議なことにこれらの事績は三国史記では触れられておらず謎が多い

54世界@名無史さん2018/04/19(木) 01:39:10.030
法興王は如何にして新羅の大躍進せしめたのか?
もしかすれば倭人側に新羅を積極的に支援する勢力がいた可能性はないだろうか

55世界@名無史さん2018/04/19(木) 07:09:23.660
まあ、「倭からやってきた瓢公が、金閼智を発見して、新羅の王位につけた」という三国史記の記述を見れば、
新羅王朝の発足に当たって、倭がなんらかの大きな役割を果たしたという暗示をそこに見いだすのが不自然な解釈とは思えないが。

56世界@名無史さん2018/04/19(木) 07:25:04.270
従属部族の神の集合体であろう、どこにでも現れるスサノオさんが新羅にも行ってるので
普通に新羅系の有力者が大和政権にいたであろう。
そいつが新羅王家と関係あるかは不明だが、状況的に新羅王家の人質の子とかでもおかしくない

57世界@名無史さん2018/04/19(木) 16:40:15.730
>>56
いちいち脳内変換するのも大変だな

58世界@名無史さん2018/04/19(木) 18:50:01.240
「姓氏録」では新羅系氏族として橘守、三宅連、豊原連、海原造、真城史、糸井造、 三宅連、伏丸、日根造が挙げられている
ほか秦氏もおそらくは新羅系だと考えられる

59世界@名無史さん2018/04/19(木) 19:17:28.830
秦氏は中国系だろ

60世界@名無史さん2018/04/19(木) 19:45:05.390
秦氏の氏寺が新羅式の瓦を使っていること秦氏の居住地の古墳(大覚寺古墳群)からは新羅式土器が見つかっている事
から考えて恐らく新羅系
秦氏が始皇帝の末裔を名乗っているのは新羅の前身の辰韓がかつて秦人の末裔だと称していたころの名残

61世界@名無史さん2018/04/19(木) 23:28:34.050
まあ新羅も多民族国家だから新羅系且つ中華系の可能性はゼロではないがな

62世界@名無史さん2018/04/19(木) 23:33:49.590
ソフトバンクの孫正義は在日朝鮮人系の人間だが、元々中国から朝鮮へ
そっから日本と自称してるな。
現実は不明だが、そういうアイデンティをもつ人間が現代にさえいるってことは古代にもいてもおかしくない

63世界@名無史さん2018/04/19(木) 23:58:35.100
新羅は子だ御日本からの流民だろ

64世界@名無史さん2018/04/20(金) 19:27:03.660
>>62
たしかに、孫正義には、韓国への思い入れがまるで感じられないな。

中国には情熱を燃やしている。

65世界@名無史さん2018/04/25(水) 19:34:12.910
古代の朝鮮半島南部は、日本文明圏

66世界@名無史さん2018/04/25(水) 19:55:53.060
韓人は元々倭人の奴隷や慰安婦として働いていた奉仕民族である

67世界@名無史さん2018/04/30(月) 14:07:20.400
よく百済との関係を云々する人がいるが、新羅との関係の方が遥かに興味深い。
中国の史書では百済に関し、その元来の住民については倭人が頗る多いと記されているが、王族はツングース系の扶余であったという。
しかし新羅の場合、なんと日本列島から渡来した倭人が王になって王統をも伝え、のべ八代の王を輩出したとされる。

初代 赫居世居西干(朴氏)
*2代 南解次次雄(朴氏)
*3代 儒理尼叱今(朴氏)
*4代 脱解尼叱今(昔氏) ←倭人。丹波の国出身説が有力。
*5代 娑婆尼叱今(朴氏)
*6代 祗摩尼叱今(朴氏)
*7代 逸聖尼叱今(朴氏)
*8代 阿達羅尼叱今(朴氏)
*9代 伐休尼叱今(昔氏) 13代 味鄒尼叱今(金氏)
10代 奈解尼叱今(昔氏) 14代 儒礼尼叱今(昔氏)
11代 助賁尼叱今(昔氏) 15代 基臨尼叱今(昔氏)
12代 沾解尼叱今(昔氏) 16代 訖解尼叱今(昔氏)
..                17代 奈勿尼叱今(金氏)

そしてさらに、それ以上に興味深いのが新羅建国時に宰相となって影の王のように振る舞い活躍した、
瓢箪を腰につけて船で渡来したことから「瓢公」と称された倭人で、実はこの人物が、現代の朝鮮人のアイデンティティの根幹を揺るがしかねない問題を孕んでいる。
現代の朝鮮人の姓名は"中華"への服属意識を如実に表す、漢字/漢字音を用いた姓=一字、名=二字という漢族式で、
実際の姓自体も漢族が使用するものの借用が殆どという有様だが、新羅初代王の朴赫居世に始まる「朴」という姓だけは、
辰韓の語の「バク」という単語を借字で音写した独自の姓とされ、特殊な姓といえる。
ではこの「バク」という辰韓の語が何を意味するかというと、「瓢」。宰相として影の王のように振る舞った倭人の"瓢"公となんと同じ。
このことから、瓢公と朴赫居世は共に倭国から渡来した同族、あるいは同一人物であるともいわれている。
ちなみに金氏の祖は、件の、倭人である昔氏初代にして第四代新羅王脱解の治世時に、これまた件の倭人宰相瓢公が拾って来たとされている。
瓢公(あるいは朴氏も)や昔氏一族といった倭人たちが新羅建国に深く関わり、王、宰相として支えたわけです。非常に興味深いですね。
(参考文献:「三国史記」、「三国遺事」、金素雲「三韓昔がたり」)

68世界@名無史さん2018/04/30(月) 14:09:42.820
■考古学的見地からの古代国家の考察

いわゆる「前方後円墳体制論」が主流。おもな提唱者は阪大名誉教授・都出比呂志など。

三角縁神獣鏡の分有関係をもとに、三世紀、近畿に発した「前方後円墳国家」が、
四世紀前半までに西日本の政治支配を確立したとする小林行雄説を継承し、
さらに「前方後円墳国家」が、四世紀の後半代、「鉄の流通機構を掌握する」ために朝鮮半島に軍事進出し、
五世紀代には全国的国家統合をはたしたとする説。

参考資料 :
「日本古代の国家形成過程」1990年度日本史研究会大会全体会シンポジュウム。
「古代国家の胎動」(NHK出版)

〜〜〜

>この13基の前方後円墳は栄山江流域に移住した倭人かその後裔、あるいは倭人と親密な交流をした在地の首長層の墓であろう。

>雄略大王は官人制と軍事制の力を基礎にして有力首長連合体制を解体し、日本列島の南北端と朝鮮半島に対する覇権を更に拡大した。

>権力を高めるには継体大王は地方権力を組織して朝鮮半島に打って出なければならなかった。

>朝鮮半島への進出と交流が、倭の地位を高め、朝鮮半島の13基の前方後円墳を築かせるほどの影響を与えたと見てよい。

都出比呂志「古墳と東アジア」
http://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu6/09tsude.pdf

69世界@名無史さん2018/04/30(月) 14:16:33.610
歴代百済王概説

■近肖古 在位345〜375
姓は余。名は句。日本書紀では速古。日本と手を結び新羅に対抗。謝礼に日本へ七支刀を献上。
■近仇首 在位375〜384
姓は余。名は須。日本書紀には貴首と表記される。近肖古の息子。
■枕流 在位384〜385
姓は余。近仇首の息子。東晋から来た僧侶が仏教を伝えた。
■辰斯 在位385〜392
姓は余。名は暉。しんしおう。近仇首の息子。日本書紀には、「(辰斯が)仁徳天皇に対し無礼な振る舞いがあったので、
紀角宿禰らを遣わし譴責した。百済国は、辰斯を殺して謝罪した。紀角宿禰らは阿花(阿華)を王位につけて帰国した」とある。
■阿華 在位392〜405
姓は余。名は阿芳。枕流王の息子。国情安定のため日本へ助力を求め息子(のちの腆支)を人質として献上。
■腆支 在位405〜420
姓は余。名は腆。阿華の息子。直支とも。人質として日本で生活。日本の援軍を得て高句麗との戦争中阿華が死去。帰国して即位。
■久爾辛 在位420〜427
腆支の息子。日本書紀によると幼少だったため権臣・木満致が権力をふるったという。
■斐有 在位427〜455
姓は余。名は斐。久爾辛の息子。眉目秀麗。弁が立つ王であったと言われる。
■蓋鹵 在位455〜475
姓は余。名は慶。斐有の息子。近蓋鹵ともいう。人質として弟・昆支を日本へ献上。高句麗により百済は一時滅亡。
■文周 在位475〜477
姓は余。名は牟都。あるいは都。蓋鹵の息子。百済滅亡時、新羅へ援軍要請に出たが到着時には王は捕縛殺害されていた。
やむなく木満致らと共に逃亡して半島南部に新たな地盤を堅め、百済を再興した。重臣・昆支の死後、解仇により殺害された。
■三斤 在位477〜479
姓は余。名は壬乞。文周の息子。父を殺した解仇の傀儡として即位した。反乱をおこした解仇を倒す。

70世界@名無史さん2018/04/30(月) 14:17:50.110
■東城 在位479〜501
姓は余。名は牟大。昆支の息子。日本生まれとされる。日本書紀では末多と記述。幼少時より優秀で雄略天皇に寵愛される。
三斤急死により、日本から帰国し即位。中国・南斉や新羅との同盟政策で安定をはかった。臣下の恨みを買い、暗殺された。
■武寧 在位501〜523
姓は余。名は隆。東城の息子。日本生まれのため斯麻(しま)王と大和言葉の号で呼ばれる。日本書紀では蓋鹵の息子。
また「嶋王」と表記。東城を殺した臣下を斬る。中国南朝・梁の武帝や日本・継体天皇との関係を維持。高句麗と戦う。
■聖 在位523〜554
姓は余。名は明。聖明ともいう。武寧の息子。日本の支援を得て高句麗からの攻撃を撃退。
一時は百済の旧領地・漢江流域を回復。日本に仏教教典を献上。
■威徳 在位554〜598
姓は余。名は昌。聖の息子。戦死した聖のあとをうけ即位。王子(恵)を日本に人質として献上。
■恵 在位598〜599
姓は余。名は季。聖の息子。554年、聖が戦死。555年、人質として日本へ渡る。556年、帰国(562年日本は高句麗へ出兵)。
■法 在位599〜600
姓は余。名は宣。孝順ともいう。恵の息子。
■武 在位600〜641
姓は余。名は璋。法の息子。隋・唐に対し高句麗征討の要請を続けた。
■義慈 在位641〜660
武王の息子。唐の侵攻に備え非主流派の貴族や王族を追放。追放された貴族や王族は日本に亡命した。
この時代、新羅に金春秋や金捨信が現れ、新羅と盛んに戦う。最終的に唐と新羅に両面攻撃を受け滅亡。王族のほとんどが唐に連れ去られた。
■豊璋 在位***〜***
姓は余。名は豊璋。義慈の子。唐の圧迫が強まる情勢の中、631年、人質として日本へ。以後30年間日本で生活。
660年、唐の攻撃により百済降伏。義慈は捕虜となる。亡国の王子となった豊璋は亡命政府の主となるが、
白村江の戦いで敗北。豊璋は高句麗に逃亡。百済は完全に消滅した。

71世界@名無史さん2018/04/30(月) 14:20:55.600
※ 善光
義慈の息子。豊璋の弟。百済滅亡後日本にて大和朝廷に臣従。
持統天皇より従五位下の下級貴族として「百済王(クダラノコニキシ)」の姓を賜る。

72世界@名無史さん2018/05/02(水) 20:09:20.250
>■聖 在位523〜554
>姓は余。名は明。聖明ともいう。武寧の息子。日本の支援を得て高句麗からの攻撃を撃退。
>一時は百済の旧領地・漢江流域を回復。日本に仏教教典を献上。

これ全然違うぞ
最初は倭の欽明と組んで新羅を攻撃するつもりだったが一向に援軍が来ないので倭に見切りをつけて
仇敵である新羅と同盟を結び現ソウルあたりまでともに進出するも領土の取り分を巡って対立
新羅との戦いで自身が戦死するのみならず佐平4人と3万人も共に失うなど百済衰退の原因を作った人やな

73世界@名無史さん2018/05/02(水) 20:47:29.080
>一向に援軍が来ないので倭に見切りをつけて
援軍が来なかったのってなんでだろうなあ
やっぱり倭が新羅の方に肩入れして百済を見捨てる風潮が当時あったんかねえ

74世界@名無史さん2018/05/02(水) 21:23:32.050
当時の新羅は高句麗を圧倒するほどの絶頂期でなるべく敵に回したくなかったから
結局562年には今度は安羅や加羅の倭人たちも攻め滅ぼされて伽耶諸国も併呑されちゃうんだけどね

75世界@名無史さん2018/05/03(木) 11:24:55.110
【三国史記新羅本記】より
紀元前50年 倭人達が兵を率いて辺境を侵そうとしたが、始祖に神徳があるということ聞いて、すぐに帰ってしまった。
*14年 倭人が兵船百余隻で海辺に侵入。
*73年 倭人が木出島を侵して来たので、王は角千羽鳥を派遣して、これを防がせたが、勝てずして羽鳥が戦死した。
121年 夏四月に倭人が東の辺境を侵した。
123年 春三年に倭国と講和した。
232年 夏四月に倭人が金城を攻める。
233年 五月 倭兵が東辺を侵した。
249年 夏四月に倭人が舒弗邯、于老を殺した。
287年 夏四月に倭人が一礼部を襲う。
292年 夏六月に倭兵が沙道城を攻め落とす。
294年 夏 倭兵が長峯城を攻めて来た。
295年 春 王が臣下に向かって「倭人が、しばしばわが城邑を侵して来るので、百姓が安じて生活することができない。
     私は百済と共に謀って、一時海を渡って行って、その国(倭)を討ちたいが、皆の意見はいかがか?」と聞いた。
     これに対して、舒弗邯、弘権が「われわれは海戦に不慣れでございます。冒険的な遠征をすれば、
     不測の危険があることを恐れます。いわんや百済は偽りが多く、
     常にわが国を呑み込もうと野心をもっておりますから、
     かれらと共に謀ることは困難だと思います」と答えた。王はこれを聞いて「それもそうだ」といった。
345年 二月に倭王が、書を送って国交を断ってきた。
346年 倭兵が風島に来て、進んで金城を包囲して攻めて来た。
364年 倭人は多数をたのんで、そのまま直進して来る所を伏兵が起ってその不意を討つと、倭人は大いに敗れて逃走した。
393年 倭人が来て金城を包囲する。

76世界@名無史さん2018/05/03(木) 11:25:37.150
【三国史記新羅本記】より
402年 三月に倭国と通好して、奈勿王の子、未斯欣を人質とした。
405年 倭兵が明活城を攻める。
407年 春三月 倭人が東辺を侵し、夏六月にまた南辺を侵す。
418年 王弟の未斯欣が倭国から逃げ帰った。
431年 倭兵が、東の辺境に攻めて来て、明活城を包囲したが、功なくして退いた。
440年 倭人が、南の辺境に侵入。夏六月にまた東の辺境を侵した。
444年 夏四月に、倭兵が金城を十日包囲して、食料が尽きて帰った。
459年 夏四月に、倭人が兵船百余隻を以って東辺を襲い、月城を囲んで進撃したが、追撃してこれを破る。
462年 夏五月に、倭人が活開城を襲い破り、一千名を捕らえて連れ去った。
463年 倭人が歃良城(梁山)を侵して勝てずして去った。
476年 倭人が東辺を侵す。
477年 倭人が兵をあげて五道に侵入したが、ついに何の功もなく帰った。
482年 五月に倭人が辺境を侵した。
486年 夏四月に倭人が辺境を侵した。
500年 春三月 倭人が長峯鎮を攻め陥した。
663年 倭国の水軍が来て、百済を助ける。
731年 日本国の兵船三百隻が海を越えて、東辺を襲う。
753年 秋八月に日本国使が来た。高慢無礼なので、王は接見を許さず、すぐ追い返した。
802年 冬十二月、均貞に大阿ン食の官を授けて、仮の王子にして、日本国への人質にしようとしたが、均貞がこれを断った。

77世界@名無史さん2018/05/03(木) 18:11:44.070
>>11
金印は対等の印
銀印、銅印は目下の意

ちなみに朝鮮は銅印しか授けられてない

78世界@名無史さん2018/05/03(木) 18:48:17.120
>>75
>始祖に神徳がある
どう見ても瓢公とはスサノオのことです
ありがとうございました

79世界@名無史さん2018/05/03(木) 19:48:38.860
>>77
倭王武が安東大将軍に冊封されたとき百済王は一つ格上の鎮東大将軍
高句麗はそれよりさらに上の征東大将軍に任命されるとともに開府儀同三司を加えられてるけどね
当然格式はみな金印紫綬

そもそも中国には「対等」という概念はありません

80世界@名無史さん2018/05/03(木) 21:00:33.710
>>79
倭王武は、朝鮮半島南部の支配者であることを中国南朝の皇帝から認められた

81世界@名無史さん2018/05/03(木) 22:11:59.390
百済を除外されたあげくそれより低い将軍号を与えられるという屈辱を受けて
朝貢やめちゃったけどね

82世界@名無史さん2018/05/04(金) 00:32:13.020
>>81
百済の国王は、若い頃は人質として倭国で成長し、大人になったら半島に赴任して国王に即位するという関係だった。

当然、日本語ネイティブで、極めて日本寄りな人物。

83世界@名無史さん2018/05/04(金) 00:33:14.420
倭と百済の関係は、江戸時代の幕府と藩のような関係だった。

84世界@名無史さん2018/05/04(金) 00:49:10.900
大日本帝国と満州国のような関係だゾ

85世界@名無史さん2018/05/04(金) 00:51:31.030
>>79
漢王朝って匈奴に惨敗したくせに、単于に「印綬を下賜」してたからな
敗残者が面目を保つための様式となってるね

86世界@名無史さん2018/05/04(金) 02:29:21.160
金印を誇りたいのか貶したいのかどっちかにしたら?

87世界@名無史さん2018/05/04(金) 09:20:24.600
冊封と朝貢はまったく違うもの
冊封は形式的なものと実質的なものがある

と理解しておけばよい

その上で日本とユーラシア大陸東部国家の関係を考えるなら
唐と戦い明を滅ぼした、と

88世界@名無史さん2018/05/04(金) 09:21:12.420
隋に対等宣言、唐と戦い明を滅ぼした、と

89世界@名無史さん2018/05/04(金) 09:59:10.650
■日本と関係の深いユーラシア大陸東部における統一的王朝の支配民族

隋 = 鮮卑族(遣隋使)
唐 = 鮮卑族(遣唐使・白村江の戦い)
元 = 蒙古族(元寇)
明 = 漢族(明征服・朝鮮征伐)
清 = 満州族(日清戦争)

90世界@名無史さん2018/05/04(金) 10:25:29.590
漢族って漢人南人鮮卑の総称じゃない?

91世界@名無史さん2018/05/04(金) 10:45:43.780
それだと鮮卑が存在しないことになるだろw

92世界@名無史さん2018/05/04(金) 10:46:54.470
「漢人」とは漢文化を受容した民族の総称だからな
元代の「輟耕錄」では契丹人、女真人、渤海といった本来は狩猟牧畜民だった連中も
蒙古種ではなく漢人種に分類されてる

93世界@名無史さん2018/05/04(金) 10:50:19.940
それは蒙古の自己アピール

94世界@名無史さん2018/05/04(金) 11:07:57.760
元氏(元拓跋氏)、宇文氏、段氏、慕容氏は今でも漢民族としてそこそこ生き残っている
でも鮮卑族として漢族から分離独立は難しいだろうな
チワン族は固有の言語と民族衣装が残ってたから復興できたけどレアケース

95世界@名無史さん2018/05/04(金) 13:10:12.560
>>79
格上とかなんだそりゃ
何の根拠無いぞ

96世界@名無史さん2018/05/04(金) 13:42:50.500
【アミシャーブ計画】 日本人にとって骨の髄まで凍り付くような恐ろしい話! 【スタクスネット攻撃】
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1525405421/l50


神道、皇室、ダブル解体の危機!

97世界@名無史さん2018/05/04(金) 13:44:45.090
というか秩序については双方の認識が一致しないと機能しない
だから実際のパワーバランスだけを見ればいいんだよ

人口や農工業生産力、地勢等全く物理的な理由で
ヤマト>>>>>>>新羅百済
ってこと

98世界@名無史さん2018/05/04(金) 14:03:16.300
今の韓国ですら日本よりずっと小さな国だってのに、新羅や百済なんて、その半分だぞ。

しかも、寒くて水不足な貧しい土地だ。

99世界@名無史さん2018/05/04(金) 18:05:50.320
>>97
高句麗はどうだったんだろ
白村江で大和、百済軍を撃退したほどだから
めっちゃヤバい奴らのイメージ

100世界@名無史さん2018/05/04(金) 19:11:40.040
>>95
http://www.vec.gr.jp/mag/338/mag_338.pdf
>序列の高いほうから列記すると次のようになる。 (高)四征将軍、四鎮将軍、中軍将軍、鎮軍将軍、撫軍将軍、四安将軍

>倭王讃が安東将軍号を受けた時期の前 後に、高句麗王は征東大将軍に、百済王は鎮東大将軍に叙せられていること から、宋王朝はこれら諸国よりも倭国を一・二段下に見ていたことになる。

>>99
歴史の授業の時寝てたのか?それともパラレルワールドから来たのか?
白村江で倭と百済が戦って負けたのは唐と新羅だろ

101世界@名無史さん2018/05/04(金) 19:28:26.350
>>100
やっぱ中華に近い方が偉いっていう小中華主義でしょ

102世界@名無史さん2018/05/04(金) 19:48:46.700
白村江の戦いで倭では唐と新羅に対抗できないと知った扶余豊璋は高句麗に亡命
しかし高句麗もその数年後に唐新羅軍によって滅ぼされる

唐は同盟の報償として大同江以南の土地を新羅に与えるという約束をしていたのだが
それを反故にして唐は百済を熊津都督府として直轄統治
更には新羅も鶏林都督府として版図に組み込もうとする
これを知った新羅は激怒して熊津都督府に攻め込み長官として赴任していた豊璋の兄弟である隆と唐兵を追っ払う
この勢いに乗って高句麗領もすべて手中にしようと目論むも唐軍は手ごわく負け戦が相次ぎ持久戦に転換
唐側も李謹行と薛仁貴を送り込むもが伎伐浦の戦いで20万の将兵を失って撤退
結局当初の約束通り大同江以南は新羅そっから北は唐ってことで手打ち
ちなみに伎伐浦と白村江は同じ場所だったりする

103世界@名無史さん2018/05/04(金) 19:53:04.570
支那豚如きの体力では半島全土支配は無理だな
やはりここは海洋民族日本人でなければ

104世界@名無史さん2018/05/04(金) 19:57:42.070
ここで唐と倭が組んだら新羅は絶体絶命だったのだけど
意外にもこれをスルー
まぁ倭も壬申の乱とか色々ともめてたし仕方ないね

105世界@名無史さん2018/05/04(金) 20:33:30.240
>>10
中華本土が安定しているのなら、実力的には可能だろう。
ただ、中華が近隣地の朝鮮を直轄地にしなかった理由はなんだろね?
古代の白村江から、近代の朝鮮戦争にいたるまで朝鮮半島を掌握できる実力は示してるのに。
そういや、元も高麗を完全屈服させたが、直接支配はなぜかしなかったな。

106世界@名無史さん2018/05/04(金) 20:44:59.270
白村江の戦いで倭が新羅の首都には兵を進めなかったのは不自然だな
あくまでも唐と倭の間での朝鮮半島の宗主権争いの体で新羅そのものを滅ぼそうとはしていない

107世界@名無史さん2018/05/04(金) 20:55:54.940
この戦いはあくまで唐新羅と高句麗との戦い
百済が先ず狙われたのは高句麗の同盟国で新羅側が南部から北上する際に後ろを突かれないため
そもそも倭は「兵有りと雖も征戦なし」(隋書)というぐらい平穏な国で
熾烈な争いを四六時中している大陸や半島勢力の争いに介入できるほどの実戦経験がない

108世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:04:21.270
>>107
>>75>>76読めよ
当時既に半島に軍事的なプレゼンスを確立してるんだよ

109世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:05:52.610
百殘新羅舊是屬民由来朝貢而倭以耒卯年来渡海破百殘■■新羅以爲臣民
<訳> そもそも新羅・百残は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯の年(391年)に海を渡り、
    百残・■■新羅を破り、臣民となしてしまった。

110世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:09:47.820
おめえこそちゃんと読んだらどうだ?
それのどこをどう見たら「軍事的なプレゼンスを確立してる」なんて言葉が出てくるんだ?

111世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:13:28.340
>>110
書いてあるのは海を越えて繰り返し派兵された事実だが

軍事的プレゼンスと政治的プレゼンスが別物だとでもいうのかこのバカは

112世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:21:09.900
どちらにしろ白村江でより近い何度も占領し馴れた筈の新羅王都を凹ってないのは変だなあ
絶対これは裏に隠し事あるぞ

113世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:22:54.640
受動的な戦いなんだからおかしくないだろ
敵が攻めてくるのを受けるんだよ

114世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:35:55.040
>>109
都合の良い所だけ抜粋してる様だが
碑文では最後に倭が蹴散らされて終わりだよな
しかも時代が全然違うし

王巡下平穰而新羅遣使白王云倭人満其國境潰破城池以奴客爲民歸王請命太王恩後稱其忠□
時違使還告以□訴時違使還告以□訴十年庚子ヘ遣歩騎五萬住救新羅從男居城至新羅城倭満其中官兵方至倭賊退

王が平壌まで巡行した時、新羅の使節が来てこういった「倭人が新羅の国内に満ちて、城を壊し高句麗の下僕である
新羅を自らの民としております。そこで新羅王は太王に帰服して命令を受けようと思います。」
王は新羅の忠誠を評して使節を帰らせて、計画を新羅王に告げさせた。

時違使還告以□訴十年庚子ヘ遣歩騎五萬住救新羅從男居城至新羅城倭満其中官兵方至倭賊退

永楽十(400)年庚子に王は歩兵騎兵五万を派遣し、新羅を救わせた。
男居城より新羅城まで倭が満ちていたが高句麗の官軍が至ると倭は退いた。

十四年甲辰而倭不軌侵入帯方界□□□□至石城□連船□□□王自率□□従平穰
□□□鋒相遇王要截盪刺倭寇潰敗斬殺無數

永楽十四(404)年甲辰、倭は道を違えて帯方郡に侵入してきた。・・・石城に至るまで・・船を連ね・・
王自ら・・を率いて、平壌から・・・(敵の先)鋒と遭遇した。王の親衛隊は、要撃切断し、
縦横無尽に斬りつくした。倭軍は一人残らず切り殺された。

>>111
時系列を把握できてないのか?最後の500年の派兵から白村江までどれぐらい年代が隔たってるのかと思ってるのかよ

115世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:40:46.290
>>112
百済復興軍の拠点である周留城が包囲されているわけで
戦略上の目的は百済の復興なんだからまずはそいつらから救うのが順当だろ

116世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:45:08.880
>>113
朝鮮半島へ派兵した倭軍は亡命を希望する百済の遺臣を回収するための迎えでしかなかったと考えればそれで問題なくなるな

117世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:47:05.190
>>114
支離滅裂だな
おまえが根拠としているのは隋書の簡素な記述だけだぞ
時間的射程についてどんだけの妄想を膨らましているんだよ

118世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:49:38.320
半島への恒常的軍事進出を今更否定するとか
頭おかしいんじゃないか

119世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:52:50.670
支離滅裂なのはお前じゃね?
軍事的プレゼンスとやらを倭が保持していたのなら
何で百済の聖王が何度も援軍要請したときにろくに取り合わなかったんだ?
562年に加羅、安羅が新羅に奪われたときも何で取り返せなかったなんだ?

そもそも倭の権益がそこまで強かったのなら新羅の勢力があそこまで増長することはなかっただろ

120世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:54:38.280
軍事的プレゼンスがなかったらなんで前方後円墳がいくつも出来るんだよw

121世界@名無史さん2018/05/04(金) 22:56:16.860
なぜ新羅と百済は王族をヤマトへ人質として供出したのか
なぜその逆がなかったのか

122世界@名無史さん2018/05/04(金) 23:07:19.830
>>120
だから・・時系列を考えろと何度も・・・
韓国の前方後円墳は6世紀中ごろの海南龍頭里古墳を最後に作られなくなってる
唐が半島に進出してきた「当時」には倭の「軍事的プレゼンス」や「恒常的軍事進出」が行われた時代があってないだろ

>>121
元々百済は小国で真っ向から高句麗と戦うだけの体力はない(まぁ近肖古王は高句麗王を討ち取ったりしたこともあるけどな)
物理的な援助を期待できるのは倭国だけだから下手にでるしかなかった

新羅は人質を出したのは2回あるのだがいづれも高句麗の勢力がすぐそばまで迫っていてにっちもさっちもいかなくなった時期だ

123世界@名無史さん2018/05/04(金) 23:11:53.370
>>122
だか時系列を考えるのはお前なんだよ
隋書の記述はいつからいつまでのことを記しているんだよw

124世界@名無史さん2018/05/04(金) 23:21:33.940
じゃあ逆に聞くが白村江以前で倭が半島に出兵して交戦したのは直近でいつになると思う?

書紀の怪しい記述を字面通り信じても最後の戦闘は600年の任那復興戦が最後だ
しかも結局目的を果たせず帰っている
半世紀近く実戦経験がない軍隊が唐が脅威とみなすとでも本気で思っているのか?

125世界@名無史さん2018/05/04(金) 23:32:07.150
>>124
まずは質問に答えろよ
答えられないなら答えられないといえ

古代であって現代ではないのだから派兵スキームも軍事技術も一朝一夕で変わるわけがないだろ
練度を仔細に評価できるほどの情報があるわけもなく
そもそも練度が脅威か否かの決定的要素である理由がない

126世界@名無史さん2018/05/04(金) 23:54:12.640
つまり答えられないと

唐の戦略目的はあきらかに長年攻め落とせなかった高句麗
そこに麗済同盟で圧迫されていた新羅の思惑が合致した結果だろ
山川の教科書の筋書きではそうなったるし大和政権は新羅との勢力争いにも敗退して退いたということになってるが
「新羅も百済との抗争のなか、562年には伽耶諸国を併合するに至り、ヤマト王権が半島南部に保持していた拠点も、ここに完全に失われた。」(詳説日本史研究45ページ)

半島になおヤマト政権が軍事的な影響力を保持していたと一体どの学者が何を根拠に主張しているんだ?
エビデンスを示してみろ出来ないならお前の負けな

127世界@名無史さん2018/05/05(土) 00:06:36.230
>>126
???
俺は答えて
おまえは答えていない

わかるか?

そして。

「拠点」と「影響力」の混同
これは意図的なものではなく
これを指摘されるだろうというところまで頭が回っていなかったんだろう
なお俺が用いた言葉は「プレゼンス」であり
さらに、政治的プレゼンスと軍事的プレゼンスには
古代といういわば野蛮時代においては有意な差異がない、ということだ
政治的プレゼンスの根拠としては
当時における近過去の戦績情報や首長墓といったレガシー群
人質の一方的供出にみられる非対称的なパワーバランス
などがあげらる

128世界@名無史さん2018/05/05(土) 00:08:55.510
>>126
それは変だな

百済と新羅の抗争で百済に与するなら新羅の都城ソラボルに兵を送っていつもの様に包囲して制裁するのがスジってもんだ
新羅の本領までならいくら多勢に無勢の唐の水軍でも補給がままならず継戦能力も削がれる筈
本気で戦うつもりなら航海の難所で地形の入り組んだ鳴梁海峡に軍船を潜ませてゲリラを仕掛けるという手もあった筈だ

しかし倭国がやったのはわざわざ遠い側の百済に船を寄越し亡命者を受け入れて退却しただけ
徹底抗戦とは程遠い

倭国はそもそも新羅と「勢力争い」をする間柄ではなかったのではないか?
その後羅唐戦争が起きた背景としても絶対何かあるぞ

129世界@名無史さん2018/05/05(土) 00:32:58.280
>>128
あんたは話が分かりそうだな
後に返還された捕虜から陸奥の連中まで動員されたことがわかってるのに
蘇我、大伴、物部といった当時の有力豪族層がほとんど動いていないということも気にかかるがな

130世界@名無史さん2018/05/05(土) 06:35:10.650
百済が日本支部で新羅王が倭人なら
白村江は同族の戦いだったのか?

131世界@名無史さん2018/05/05(土) 06:44:35.400
>>100

倭王武は、使持節都督・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事・安東大将軍・倭国王に叙正されている。

132世界@名無史さん2018/05/05(土) 06:57:00.860
>>105
漢の武帝は、内地と同様の郡県制を敷いた。
このまま行けば、朝鮮は中国の省のひとつになるところだったが、そうはならなかった。

ベトナムにも同じようなことが言える。
明の永楽帝は、ベトナムで内地と同様の郡県制を敷いたが、20年しか続かなかった。
ここで、「広東省までは中国、ベトナムからは非中国」という境界が画定した。

133世界@名無史さん2018/05/05(土) 07:04:57.040
朝鮮の北は中国ではなく、満州であり、清代までの満州は北方異民族の地。
現代の世界地図を見慣れた目には錯覚しやすいところだけど、
中国というより、満州や蒙古こそ、朝鮮半島にとっての軍事的脅威だ。

中国にとっては、朝鮮との間に満州がある。
朝鮮より前に、満州の狩猟民族があまりにも強敵である上に、寒すぎて支配困難。

134世界@名無史さん2018/05/05(土) 22:03:43.440
新羅や百済は、事実上、倭に従属していた。

倭王武は、それを中国皇帝から追認された。

135世界@名無史さん2018/05/05(土) 22:30:36.430
大和朝廷は時代が下るに連れて半島への介入に消極的になっていってる印象がある

136世界@名無史さん2018/05/05(土) 22:46:13.250
鉄が国内で取れるならあそこに軍を送るコストが。。

古代船で人力で対馬海峡をわたる実験やってたがとんでもない労力
切り上げができない古代の帆船で行くしかないけどこれでは緊急に軍なんて送れないし

正直大変すぎる

137世界@名無史さん2018/05/05(土) 23:25:07.650
新羅と倭国のナゾ

600〜603年と623年に何度も任那復興を目的として新羅征討が計画されるも理由をつけて辞退もしくは
新羅軍は戦わずして退いたとして交戦せずに戻ってくる
境部摩理勢だけは真っ向から新羅と対決したがその後ハッキリとしない理由で誅殺される
8世紀にも藤原仲麻呂がやはり渤海と組んで新羅征討を企てるがこれもよくわからない理由で中止されたうえに仲麻呂も数年後に誅殺されている

「新撰姓氏録」には在京の新羅系氏族として新良貴氏が挙げられているが皇別という破格の待遇を受けている
もともと山城地方の大覚寺古墳などからは新羅土器が出土しており新羅系豪族のテリトリーだった
新良貴氏も平安京以前から山城盆地に割拠していた氏族であろうが不思議なことに一度も史書には出てこない

138世界@名無史さん2018/05/06(日) 00:34:37.580
>>137
奈良時代は、日本史の中でも、権力闘争が熾烈だった時代。

藤原仲麻呂は、誅殺されたというより、内戦に敗れたというべき。

139世界@名無史さん2018/05/06(日) 00:59:14.860
「続日本紀」を読むと分るがかなり唐突に仲麻呂は粛清される
しかも新羅征討軍の教練がおわりよいよ計画が実行に移される矢先だ
何かあるのではないかと勘繰ってしまう

140世界@名無史さん2018/05/06(日) 07:44:47.540
>>139
背後で親新羅派が暗躍していても不思議はないが、直接の原因と見るのは極端

141世界@名無史さん2018/05/06(日) 14:01:27.770
>>147
天皇家に再吸収されたんじゃない?

142世界@名無史さん2018/05/09(水) 22:31:10.200
白村江の戦いで倭と新羅の軍勢は戦わなかったのかも知れんなあ
唐vs倭の半島の宗主権争いと新羅vs百済の半島統一戦争は別々のものと考えるとどうだろう

143世界@名無史さん2018/05/10(木) 00:33:16.630
そもそも倭は半島の勢力争いにはまるで関心がない
一方高句麗は新羅を抑えつつ中原に進出したい
百済は聖王の仇をとり故地である漢江の地を奪還したい
新羅は麗済同盟の侵攻を防ぎたい
唐は目の上のたん瘤である高句麗を滅ぼしたい

これら様々な勢力の思惑が入り混じった結果起こったのが7世紀末の動乱だが倭国は基本的に外野
唐とも新羅ともそもそも敵対する理由がない
白村江の戦いも百済の亡民の受け入れ中に送った事故みたいなものだと思う
羅唐戦争という

144世界@名無史さん2018/05/10(木) 00:34:31.140
新羅を滅ぼす絶好のチャンスのときも何ら行動を起こさず傍観していたことも
その辺の事情が如実に表れてるよね

145世界@名無史さん2018/05/10(木) 07:03:59.700
まあ、倭の立場は、欧州におけるイギリスみたいなものだろうな

勢力均衡が望ましい

146世界@名無史さん2018/05/10(木) 14:49:30.260
古代日本が朝鮮半島を支配しているのに傍観はおかしい。

147世界@名無史さん2018/05/10(木) 21:14:31.540
実はあんなしょうもない半島もう手放したかったとか?(日本列島内で鉄の材料を調達する手段を手に入れたから)

148世界@名無史さん2018/05/10(木) 21:39:55.960
唐が大陸を統一する以前と以後で、東アジアは別の世界

日本は専守防衛に徹することにした

149世界@名無史さん2018/05/10(木) 22:52:08.540
やっぱ半島は分断してたほうがいいな

150世界@名無史さん2018/05/12(土) 11:59:17.080
半島が小国乱立の頃は対馬海峡を隔てて派兵するのも小規模で済んだが
統一が進んでくると大規模な派兵をしないと維持できなくなったのでは
そうするとコストが見合わなくなってきて半島支配に興味をなくしていったのかもね

151世界@名無史さん2018/05/12(土) 17:21:35.800
支配するよりも治安維持の目的が大きかったのだろう
中国との航路上に補給基地が必要だった

152世界@名無史さん2018/05/12(土) 19:00:35.520
唐の大陸統一をキッカケとして、新羅の半島統一も一気に進んだ。
日本も中央集権化して体制を整えた。

いままでの混沌とした東アジア古代世界とは、違うステージに入った。
古代の倭国による朝鮮半島支配が終了したのは当然。

153世界@名無史さん2018/05/14(月) 08:17:23.560
中華帝国が滅びると結構な頻度で
中華秩序崩壊の巻き添え食らって一緒に周辺国が滅びてるしな

154世界@名無史さん2018/05/19(土) 18:23:11.500
>>139
余計な一言を言って殺されるってあるからね
おまけにその内容は書くだけで不快だから残らないとか

155世界@名無史さん2018/05/20(日) 06:45:21.370
>>153
新羅は唐とともに興り、唐とともに滅びた

高麗は宋とともに興り、元とともに滅びた

朝鮮は明とともに興り、清とともに滅びた

156世界@名無史さん2018/05/20(日) 06:46:49.110
朝鮮の場合はそうだが、ベトナムは違う

ベトナムは、中国から侵略され、それを撃退した抵抗運動の指導者が次の王朝の創始者となるパターン

157世界@名無史さん2018/05/20(日) 08:21:19.140
現代中華帝国の勃興により統一朝鮮が実現するなら
日本も分裂するかもネ

158世界@名無史さん2018/05/20(日) 12:24:52.820
<丶`∀´>現代中華帝国の勃興により統一朝鮮が実現するなら日本も分裂するニダ

159世界@名無史さん2018/05/20(日) 13:39:46.990
>>157
アメリカ派と中国派での凄惨な内戦になるだろう

160世界@名無史さん2018/05/20(日) 15:24:16.320
中国を見下してい軍事的にも強大である日本人が中国の属国となるとかありえんだろ

161世界@名無史さん2018/05/20(日) 18:42:03.940
>>157
それは逆だ

中国・朝鮮が統一されると、日本も求心力が高まって中央集権化が進む

162世界@名無史さん2018/05/20(日) 18:43:00.460
>>159
親中派は高齢化と衰退の一途をたどっている

163世界@名無史さん2018/05/21(月) 00:14:28.350
古代の倭=現代のアメリカ
古代の百済=現代の日本
古代の唐=現代の中国
古代の新羅=現代の朝鮮

さて次の白村江はいつか。。。

164世界@名無史さん2018/05/21(月) 07:33:47.370
古代の倭=現代の日本
古代の百済=現代の全羅道
古代の唐=現代の中国
古代の新羅=現代の慶尚道
古代の高句麗=現代の北朝鮮

165世界@名無史さん2018/05/21(月) 10:55:56.960
日本による半島浄化は素晴らしい
半島でしかないし朝鮮はつかない

166世界@名無史さん2018/05/21(月) 15:41:09.520
チョンファン縁の半島なのでチョン半島と呼ぼう

167世界@名無史さん2018/05/21(月) 19:53:00.270
チョンファンとかいう造語 あ ほ く さ

168世界@名無史さん2018/05/21(月) 20:59:30.560
高齢ネトウヨの親父ギャグヒエッヒエやね

169世界@名無史さん2018/05/24(木) 08:32:12.840

170世界@名無史さん2018/05/27(日) 15:14:15.810
言葉からして日本も朝鮮も親戚なのにね

171世界@名無史さん2018/05/27(日) 15:18:00.640
>>170
チョン国は日本国に支配されてたからな

172世界@名無史さん2018/05/27(日) 16:54:36.530
さすがチョンファンの故郷

173世界@名無史さん2018/05/27(日) 17:13:58.640
>>79
まあその格付けを気にする時点で中華の価値観に囚われてるってことだしな

174世界@名無史さん2018/05/27(日) 18:34:15.470
>>170
距離が近いから影響が強いだけで
同系統ではないから親戚と例えるのは不自然

175世界@名無史さん2018/05/27(日) 20:02:03.730
>>170
それを言ったら、満州もモンゴルもそうだろ

176世界@名無史さん2018/05/27(日) 20:03:47.300
>>174
以前から系統的に似てはいたが、これほど文法や語彙が同じようになったのは、20世紀の日韓併合以後の話

177世界@名無史さん2018/05/27(日) 20:48:33.570
朝鮮猿を教化しただけ

178世界@名無史さん2018/05/27(日) 23:46:12.750
>>176
はい嘘松

179世界@名無史さん2018/05/28(月) 10:08:25.860
日本語と朝鮮語は親戚でもなんでもない
どちらも独立した起源をもった別言語だ
語族別に見た話者数でも非常に上位であり、これ以上上の分類などできない

180世界@名無史さん2018/05/28(月) 11:23:06.600
つまり日本の朝鮮半島支配は嘘

181世界@名無史さん2018/05/28(月) 20:33:30.660
>>180
なんでそうなる?

182世界@名無史さん2018/05/28(月) 20:34:56.670
倭が朝鮮半島を支配していたのは、大昔の話だ

その後、もっと北から大量の移民が流入したから、当時とは人種が異なる

183世界@名無史さん2018/05/29(火) 01:16:14.170
今の朝鮮人は新羅人、百済人、高句麗人と渤海時代の流民、平安道や咸鏡道を侵略する過程で
同化させた満州族との混血だろ

184世界@名無史さん2018/05/29(火) 01:38:32.330
当時は満州族なんて民族名はないからそこは認識を改めてくれ
三国時代までは靺鞨、高麗時代は女真(ジュルチン)が満州族の祖先の正しい名称

185世界@名無史さん2018/05/29(火) 12:38:18.800
チョンカスを教化してやったのだから有り難く思え

186世界@名無史さん2018/06/04(月) 22:08:45.980
新羅王が自ら日本国王を兼ねた。

187世界@名無史さん2018/06/04(月) 22:15:24.110
いや百済王だろう

188世界@名無史さん2018/07/06(金) 22:01:18.080
ネトウヨ史観よ永遠なれ!どぴゅー!

189世界@名無史さん2018/07/12(木) 09:39:16.700
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190世界@名無史さん2018/08/04(土) 02:28:04.540
>>176
どうして、こんな適当な事言うの?

191世界@名無史さん2018/08/04(土) 08:55:00.180
>>190
朝鮮近代化政策の一環として、日本語をモデルにした言語の標準化が進められた

それ以前の朝鮮語は、今よりずっと中国語に似ていた

192世界@名無史さん2018/08/04(土) 08:56:12.470
朝鮮は日本文明圏に組み込まれた

193世界@名無史さん2018/08/04(土) 11:43:38.250
中国語と似てねえよ
文化的に影響力を受けたから語彙が似てるだけ
朝鮮語と日本語は遡れば遡るほど似てる
元々同じ民族なんだから当たり前

194世界@名無史さん2018/08/04(土) 11:58:02.080
結局中華文化圏にすぎない

195世界@名無史さん2018/08/04(土) 12:02:03.040
文化圏なんて発想が古いしおかしい

196世界@名無史さん2018/08/04(土) 12:13:25.910
>>195
第二次大戦後に分離独立したとはいえ、広い意味では日本の一部

197世界@名無史さん2018/08/04(土) 13:27:19.920
広い意味で中華文明の一部

198世界@名無史さん2018/08/04(土) 13:50:25.540
というか日本自体が中国文化の一部だしな
少々ローカル化した面もあるがそれは朝鮮にしても同じこと

199世界@名無史さん2018/08/04(土) 14:00:01.450
というかシナ自体が騎馬民族文化の一部だしな
少々ローカル化した面もあるがそれは朝鮮にしても同じこと

200世界@名無史さん2018/08/04(土) 14:10:53.130
というか人類自体がアフリカ人の(以下略)

201世界@名無史さん2018/08/04(土) 14:42:46.670
>>193
こいつ近代以前の朝鮮語も知らないのにネトウヨまとめサイトで言われてるデマだけ信じてる馬鹿だから

202世界@名無史さん2018/08/04(土) 16:00:59.690
だまちょんだまちょん

203世界@名無史さん2018/08/04(土) 20:00:11.620
>>198
近現代に中国が日本から受けた影響が、それ以上に大きい

204世界@名無史さん2018/08/04(土) 20:00:57.740
現在の中国に、日本の劣化コピーでないものを探すほうが難しい

205世界@名無史さん2018/08/04(土) 23:33:15.830
近代日本自体が西洋の劣化コピー

206世界@名無史さん2018/08/04(土) 23:48:20.200
現在の西洋自体が日本の劣化コピー

207世界@名無史さん2018/08/05(日) 04:51:48.240
>>206
さすがにそれはない

208世界@名無史さん2018/08/05(日) 06:22:50.810
>>207
平均寿命トップの日本を西洋が後追い

209世界@名無史さん2018/08/05(日) 07:18:04.490
>>207
マイナーなサブカルとごく一部の分野

メイドカフェ
スシバー
トヨタ看板方式
八木アンテナ

210世界@名無史さん2018/08/05(日) 07:34:09.930
>>205
天皇せい

211世界@名無史さん2018/08/05(日) 07:35:02.710
天皇制は、西洋の立憲君主制と、東洋の儒教をブレンドした独特の制度

212世界@名無史さん2018/08/05(日) 07:45:40.400
日本が20世紀初頭に実現した民主政を、中国は百年たっても実現できないという絶望的な差

213世界@名無史さん2018/08/05(日) 10:57:09.450
>>207
官僚型社会主義
農協
ヘンタイ
缶コーヒー
アイスコーヒー
CPU
電気釜
テレビゲームのコントローラ
ウォシュレット
パチンコ
ポイントカード
柔道
空手

214世界@名無史さん2018/08/05(日) 11:21:07.080
ぶっかけ
エロゲー

215世界@名無史さん2018/08/05(日) 11:54:10.920
ケイレツ

欧米は水平統合が多いが日本は垂直統合が多い

216世界@名無史さん2018/08/05(日) 13:37:08.710
劣化コピーの結果産まれたもの列挙してどうしたの?
おばか?

217世界@名無史さん2018/08/05(日) 14:47:45.700
ちょんは半島に帰れ

218世界@名無史さん2018/08/05(日) 15:39:57.820
何もない韓国よりまし

219世界@名無史さん2018/08/05(日) 18:40:12.710
そうだ

「日本の劣化コピー」というのは中国の話

韓国など問題外もいいとこ

220世界@名無史さん2018/08/05(日) 22:17:00.570
で、古代の話題となんの関係があんの?

221世界@名無史さん2018/09/26(水) 11:39:34.380
33世界@名無史さん2018/09/23(日) 20:22:54.290
ネアンデルタール人の遺伝子では中国南部と北部では違いがあり
以外なことに日本はやや中国北部に近い。
なお朝鮮本島はもっとも日本人と遠い
http://johnhawks.net/weblog/reviews/neandertals/neandertal_dna/1000-genomes-introgression-among-populations-2012.html

222世界@名無史さん2018/09/26(水) 17:25:15.430
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

223世界@名無史さん2018/09/28(金) 04:54:17.870
>>60
秦氏は中国系
新羅の前身である辰韓の頃には秦氏が移り住んでいたので辰韓は別名で秦韓とも呼ばれていた。

224世界@名無史さん2018/12/01(土) 07:42:58.310
倭国は、古代から豊かな魚米の郷

朝鮮は貧しかった

225世界@名無史さん2018/12/01(土) 09:03:39.650
倭国が朝鮮半島南部の支配に乗り出したのは、鉄鉱資源の確保と、大陸への通商ルート確保という2つの大きな目的があった

226世界@名無史さん2018/12/01(土) 11:16:10.670
『新羅が日本の属国であった』ことを示す南梁の「職貢図」発見

新羅の題記(原文)

斯羅國本東夷辰韓之小國也魏時曰新羅宋時日斯羅
其實一也或属韓或属倭國王不能自通使聘?通二年
其王姓募名秦始使随百濟奉表獻方物其國有城號曰
健年其俗與麗相類無文字刻木為範言語待百濟而
後通焉

新羅の題記(概訳)

斯羅國(新羅國)はもともと(漢の時代は)東夷の辰韓の小国であり、
(三国時代の)魏の時代は新羅といわれ、(南北朝時代の)宋の時代は斯羅といわれ、
その実は同一の国である.
或は韓に属し、或は倭に属し、そのため国王は自ら(魏や宋に)使者を派遣することが能わず、
(梁時代の)普通二年(521年)に、
その時の斯羅王「姓は募・名は秦」(法興王)が百済に随伴して始めて使者を遣わし貢物を捧げるようになった.
その国には健年という城があり、その習俗は高麗(高句麗)と類似し、文字はなく木を刻んで範としていた.
言葉は百済の通訳により(梁と)通じていた.


朝鮮半島における日本の支配・勢力の象徴でもある任那日本府(369年−562年)の存在を否定し、
広開土王碑(414年建立)の碑文解釈でも
「倭、辛卯年(391年)以来海を渡って百済口口新羅を破り、臣民とした」とする一般解釈(日本側の解釈)を否定して
「倭が辛卯年(391年)に来たので、(高句麗が)海を渡り百残を破り、新羅を救い、臣民とした」とする韓国側の解釈を主張してきた韓国の歴史家にとっては、
今回の梁職貢図(520年代頃)の題記にある「斯羅(新羅)は倭(日本)の属国であったりもした」ことを
どのように受け入れるかが大きな課題であり、歴史学会で論議が広がるであろうと、
新羅題記の発見者であるユン博士は指摘している.

227世界@名無史さん2018/12/02(日) 10:34:33.980
「倭」と「魏」は、同じような漢字だ

鬼だと魏になり、人だと倭になる

228世界@名無史さん2018/12/02(日) 12:13:27.280
東の倭、西の魏

東西の2大国

229世界@名無史さん2018/12/03(月) 09:02:48.580
学術的実績を見ればこちらが正しいと思われる
別の機関が調査したIQデータ
http://livedoor.blogimg.jp/all_nations/imgs/6/1/61bd9b9b.png

ノーベル賞(自然科学分野)   日本人23人   韓国人 0 人
ノーベル賞(人文学分野)    日本人3人    韓国人 0 人
フランクリン・メダル(科学等) 日本人7人    韓国人 0 人
ボルツマン・メダル(物理学)  日本人2人 韓国人 0 人
J・J・サクライ賞(物理学) 日本人6人 韓国人 0 人
バルザン賞(自然・人文科学) 日本人3人 韓国人 0 人
クラフォード賞(天文学等) 日本人2人 韓国人 0 人
IEEEマイルストーン(電子技術) 日本人10件 韓国人 0 件
ウィリアム・ボウイ・メダル(地質学) 日本人2人 韓国人 0 人
ホロウィッツ賞(生物学) 日本人1人 韓国人 0 人
コッホ賞(医学) 日本人4人 韓国人 0 人
ラスカー賞(医学) 日本人8人 韓国人 0 人
ガードナー国際賞(医学) 日本人11人 韓国人 0 人
ウルフ賞(科学、芸術) 日本人9人 韓国人 0 人
プリツカー賞(建築) 日本人5人 韓国人 0 人
フィールズ賞(数学) 日本人3人 韓国人 0 人

大和民族と朝鮮民族は完全な別種と理解するべき。
ドイツ人のルーツはアラブ人という人はいないだろう。
これは差別ではない区別である

230世界@名無史さん2019/03/18(月) 11:35:23.030
嫌韓感情というのはイスラムフォビアと同じ文明の対立と思ったほうがよい。
条約・協定・合意など一切守らない国。国家でも個人でも同じだ。約束を守らない相手を信用するだろうか。
韓国人には契約の概念が存在しない。韓国には近代の価値観を持っていないのだ。
ハンチントンは朝鮮半島を中華文明圏に入れている。梅棹教授の生態史観でも半島は第二文明圏だ。
ヨーロッパにとってのイスラムは日本では中華文明圏が該当するのだ。同じ人間ではないのだ。
特殊な生態を持った生物であり話は通じない。イスラム教徒同様に完全に異質な存在なのだ。

『ベルカーブ:アメリカ生活における知能と階級構造』(1994)ハーンスタイン&マレイ
による研究の結果わかったのは知能や性格は遺伝性であり不変なのだ。 孤児院で育った
子供達を見ればよい。同じ食事と環境でも性格に違いが生まれ学力にも差が出ている。
大陸の彼等は激しい生存競争の中で正直者は生き残れなかったのだろう。彼等は生まれつき遺伝的に
不誠実で矯正できないのだ。詐欺は韓国では日本の7.2倍も起きる、 人口比で見た場合は18倍近い。

231スレタイはある意味正しい2019/03/30(土) 07:40:07.200
倭が日本列島を指してるなんて記述は古代文献に一つもない件

232世界@名無史さん2019/03/30(土) 10:57:54.880
古代の東アジアにおいて、倭は、魏に次ぐ大国だった

233世界@名無史さん2019/03/30(土) 11:04:20.970
大陸の漁民も倭人

234世界@名無史さん2019/04/19(金) 21:57:39.630
>>231
魏志倭人伝には倭国の地名としておもいっきし対馬が出てくるんですけど

235世界@名無史さん2019/04/21(日) 17:29:05.230
>>234
版が違うと対海国だが?
距離も違うが?
島の周囲長も違うが?

もっとおかしいのが狗邪韓国が倭に属していて北岸となってるところだが?
対岸を北岸とは呼ばないだろうが?

236世界@名無史さん2019/04/21(日) 18:54:37.030
>>235
はいガイジwwwwwww

三国志魏史およびそのパクリ元の魏略に限り一里の長さは通常の一里の1/10である
狗邪韓国は名前に「韓」が入っている時点で韓人の国だが倭人に従属しているということが分かる
その場所は三国史記でいう新羅の巨老県、のちの鵝州県、すなわち現在の巨済島である(中期朝鮮語で鵞鳥をコユという、即ち狗邪はこれの音訳である)

魏史韓伝には三韓を構成する小国が七十八挙げられており、倭の一部であった地域は韓人の地域の1/79にすぎなかったことがここから推測できる

237世界@名無史さん2019/04/21(日) 20:46:58.860
三國史記の實聖尼師今七年春二月条にも対馬に倭の軍営が置かれている
という記述があるよね

238世界@名無史さん2019/04/21(日) 20:57:35.090
>>236
そしたらもっと周囲長が合わなくなるだろ

頭大丈夫か?

239スレタイはある意味正しい2019/04/21(日) 21:03:00.410
方四百理=四面二百理(約60〜80km)

これの十分の一?対馬の周長 6〜8km 草

240世界@名無史さん2019/04/21(日) 21:22:21.480
あれは使節に行った連中のホラ話を大真面目に書き記しただけでしょ
邪馬台国の戸数とか下手すりゃ当時の洛陽やギョウより上だし

241世界@名無史さん2019/04/21(日) 21:28:33.820
>>240
日本の一部地域の人口密度の高さは、今に始まったことではない
邪馬台国の戸数が洛陽や業より多くても、別に不思議はないと思うんだが

江戸時代だって、大坂を見た朝鮮人の使節は「北京を遥かに越える大都会」と記録に残した

ついでに、江戸を見て、「大坂をさらに上回る大都会」と記録に残した

242世界@名無史さん2019/04/21(日) 22:23:29.350
全盛期の江戸大阪と邪馬台国の集落が同規模だと思ってるガイジを発見w

243世界@名無史さん2019/04/22(月) 02:38:27.120
>>238
何言ってんだ
合うだろガイジ

244世界@名無史さん2019/04/22(月) 03:48:18.810
>>242
いやいや、邪馬台国の人口が多くても、別におかしくはない

日本の米作地帯の生産力は、中国の華北とは違う

245世界@名無史さん2019/04/22(月) 08:38:11.140
そんな証拠は発見されてません

246世界@名無史さん2019/04/22(月) 11:52:08.010
そもそも中華文明と日本文明は全く異なる文明。
梅棹教授の生態史観から見ても野蛮圏と文明圏といってもいい
嘘、ハッタリ、捏造、汚濁、怠惰、頑迷からなってる中華文明
正直、謙虚、誠実、清潔、勤勉、柔軟の日本文明とは違いすぎる
トッドやハンチントンも日本文明は別と扱っている。

■駐日フランス大使とドイツ大使が…中国と韓国は文明国ではない■
実は昨年、神奈川大学でエリゼ条約(独仏協力条約)50周年記念講演会を開催し、
ドイツとフランスの駐日大使にそろって来ていただきました。
エリゼ条約というのは1963年に結ばれた条約で、
独仏はこれから仲よくしていこうというものです。
その講演会で、ある学生が質問をしました。独仏は建国以来戦争ばかりしてきたけれど、
仲よくなった。同じように、日本と中国・韓国は仲よくなるでしょうかと。
それに対して、2人の大使が何と答えたか。これは非常に重要な発言ですが、仏大使は、
日本の事例は独仏の事例とは「まったく違う」と言ったんです。
どういうことかというと、ドイツとフランスはともに自由主義の文明国であるが、
中国と韓国はそうではないと。中国は共産党一党独裁国家であり自由主義国ではない。
韓国は自由主義だといっても、文明国ではないと。それが独仏大使の認識です。
ttp://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39830?page=3

247世界@名無史さん2019/04/22(月) 11:53:30.460
日韓の対立とは本質的に文明の対立なのだ。イスラム同様に全く異質な人間なのだ。
条約・協定・合意など一切守らない国。約束もできない国ではないか。近代の精神がないのだ。
契約の概念そのものが存在していないのだ。韓国は価値観を共有していないのだ。
日本に一切責任はない。国家でも個人でも同じだ。約束を守らない相手を信用するだろうか。
約束を守ることは人間関係の基礎であり約束を破ることを何とも思わない人間と関係は築けない
韓国は中華文明圏であり日本とは全く無関係な文明である。冷静になって韓国を見るべきだ。
ハンチントンは朝鮮半島を中華文明圏に入れている。梅棹教授の生態史観でも半島は第二文明圏だ。
関係を完全に断つべきである。国交断交。在日(帰化人含めて)追放するべきだ。
彼等は同じ人間ではない。完全に違う生物なのだ。分離・隔離するべきなのだ。

248世界@名無史さん2019/04/22(月) 12:18:01.730
金印やそれが使われた証拠の封泥なんてものも今後絶対に出てこないだろう(笑)

249世界@名無史さん2019/04/26(金) 12:14:45.500
純粋な中国人だと思われていた北九州や山口の弥生人の遺伝子がみな現代人より全員縄文人寄りだった。
さらには、鳥取の弥生人にいたっては、女がすべて渡来系、男はほとんど縄文系という衝撃の結果である。
これを説明しようとしたら、日本に住んでた縄文の男が中国の呉や越を作った。
春秋戦国時代に戦乱をさけ日本に帰ってきたのが弥生人という以外に説明のしようがない。

250世界@名無史さん2019/04/26(金) 15:37:01.970
朝鮮人を慰安婦にして列島に連れ帰ってきたと何度言えば理解するんや
三国史記新羅本記には倭人が新羅の王の娘を求めたという記述があり、記紀には新羅や呉より連れて来られた女たちや韓腹と呼ばれる倭韓混血児も言及されとる

251世界@名無史さん2019/04/26(金) 15:57:38.360
>>250
それだけだと中国の倭人O1B2が滅亡した理由がわからない。男はさらってないし女も美人しかさらわないだろうから

252世界@名無史さん2019/04/26(金) 16:05:05.430
それと中国人自身が呉や越は倭人だという意味もわからなくなる。

253世界@名無史さん2019/04/26(金) 16:09:16.910
>>251
そんなものはおらへんのやで
あガガイのガイw

254世界@名無史さん2019/04/26(金) 16:12:35.500
>>253
古代の呉や越から出た骨やDNAが弥生人と一致してるのになぜいないと言える?

255世界@名無史さん2019/04/26(金) 16:40:45.320
>>254
DNAハプログループが全然違うだろアホ

256世界@名無史さん2019/04/26(金) 17:52:18.330
弥生人のゲノム解析はまだ始まったばかりで、縄文人のゲノム解析に比べても
まだまだ蓄積が非常に浅い。
それでも、「弥生人」と呼ばれる集団の系譜が非常に入り組んでいることが判明している。

・九州の形質人類学的にも渡来系弥生人としか考えられない人骨でも遺伝子を調べてみると縄文系との混血が進んでいる。
・山陰の弥生時代後期の集団虐殺遺体で大陸由来のミトコンドリアゲノムばかりが見つかっていて、新来の渡来系弥生人は
 弥生時代の草創期にだけでなく前時代を通じて渡来してきていたらしい。
・渡来系弥生人の大陸での出身地が東アジア大陸のかなり広い範囲にわたっている。

257世界@名無史さん2019/04/26(金) 18:02:21.710
それと、渡来系弥生人が日本列島に来始めたのが紀元前10世紀。
中国大陸だと、ちょうど西周の全盛期だな。

この時代から古墳時代の6世紀ぐらいまでの間に、長期にわたりかなり複雑な混血が
繰り返されてきた、と見るのが正しいんだろう。

258世界@名無史さん2019/04/26(金) 18:18:41.640
>>255
現代中国人とは一致してないけど古代の江南人とは一致してるだろ

259世界@名無史さん2019/04/26(金) 18:21:48.970
中国のWIKIみても呉や越は倭人の国だったと書いてあるんだよ。
向こうが認めてんだよ

260世界@名無史さん2019/04/26(金) 18:23:34.450
>>258
してない

>>259
そんな事は書いてないし
そもそも中国のWIKIって百度百科だろいい加減にしろ!

261世界@名無史さん2019/04/26(金) 18:27:16.330
中国語のWIKIだよ。あれはなんだ中国人がかいたんじゃないのか?

262世界@名無史さん2019/04/26(金) 18:55:12.750
WIKIってなんだ?
アンサイクロペディア?@wiki?唐澤貴洋wiki?それともWikiLeaks?
百度百科も「中国語のWIKI」だが?

263世界@名無史さん2019/04/26(金) 19:12:02.870
Wikipediaだよ

264世界@名無史さん2019/04/26(金) 19:29:36.620
そんなこと書いてないから二度と書き込むな

265世界@名無史さん2019/04/26(金) 19:34:44.140
遺伝子が春秋時代の江南人と弥生人が一致してんだよ。
それはどうすんだよ。現代の中国人とは一致しないけど
https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-08041152/

266世界@名無史さん2019/04/26(金) 19:36:37.290
>>264
ウィキペディアで倭人を検索してみろよ

267世界@名無史さん2019/04/26(金) 19:48:26.370
骨の形態から風俗風習、遺伝子ぜんぶ弥生人と古代の江南人が一致してんだよ。
今の中国人とは一致しないけど
それは日本人が江南にもいたけど全員日本に引き揚げてきたとしか思えないだろ。

268世界@名無史さん2019/04/26(金) 20:05:40.630
>>265
ミトコンドリアなら今の中国人と朝鮮人と日本人とモンゴル人とツングース人でも東アジアではだいたい同じだぞガイジ

269世界@名無史さん2019/04/26(金) 20:18:57.610
>>268
ミトコンドリアでも結構分かれてるんじゃないのか?系統が

270世界@名無史さん2019/04/26(金) 20:20:46.890
ミッキーが日本人じゃない事が分かったのはミトコンドリアDNAの系統からじゃないの?
という事は分かれてるってことなんじゃないか?

271世界@名無史さん2019/04/26(金) 20:21:00.760
ミキティの間違い

272世界@名無史さん2019/04/26(金) 20:27:20.400
ミトコンドリアハプロは比率が多少違っても東アジア各民族でだいたい同じものを持つ
Y染色体はそうではなく地域ごとの固有性が強い
これは民族間で女をやり取りして嫁入りさせ続けたからである

273世界@名無史さん2019/04/26(金) 20:36:56.020
でも相当細かく分かれてることは確かで、それが一致したんだからほぼ古代の江南人と弥生人の一部は同一民族だろ
文献にも呉の太伯の子孫だとかいてあり、稲のDNAも一致し、下戸まで一致してんだから
それ覆すの大変だと思うよ。

274世界@名無史さん2019/04/26(金) 21:30:18.010
>>254
とりあえず証拠だして

275世界@名無史さん2019/04/26(金) 21:33:40.570
>>268
ほんとこれ
数万年前に分岐しのが散らばってるだけという

276世界@名無史さん2019/04/26(金) 21:35:17.900
>>273
妄想も大概にしとけ
稲が一致ってなんだ?
中国にあるものがすべて日本に揃ってるってことか?

277世界@名無史さん2019/04/26(金) 21:55:34.050
>>274
>>265 見ろよ

278世界@名無史さん2019/04/26(金) 22:22:09.880
>>265
まだ、「次世代シーケンサー」が実用化する前の1990年代末の研究だね。
だから、まだミトコンドリアDNAしか分析できていない。

これから全ゲノムの比較が研究の中心になってくるであろう事と、
本当に最初の「渡来系弥生人」がやってき始めた「西周期」に
春秋期の「江南人」がどこにいたかを明らかにする必要がある、
ってことを指摘しておこう。

279世界@名無史さん2019/04/26(金) 22:51:16.030
東シナ海沿岸地域はどこもミトコンドリアはハプロD系が半数を占める
朝鮮人も日本人もYハプロ上に違いはあるけどミトコンドリアの構成のみで見るとほぼ同一集団と言っていいぐらい酷似してる

280世界@名無史さん2019/04/26(金) 23:06:49.150
>>265
だいたい、弥生時代の開始期が紀元前10世紀の西周期であることが定説化する前の研究なんだよね。
だから、弥生時代の開始期の古い仮説に沿って春秋末期の人骨のDNAと抜歯習慣を調べている。

ところが、この弥生人と似た春秋末期の「江南人」は新石器時代からの土着集団じゃなかったことも
この研究で明らかにされている。じゃぁ、この集団はどこから、どの時代に江南にやってきて定着したんだ、
という話になってくる。特に、弥生時代の始まった紀元前10世紀の西周期にこの集団がいた場所が
明らかにできないと、「渡来系弥生人江南起源説」は成り立たない。むしろ、「春秋末期江南人」の
紀元前10世紀の「ルーツの地」こそが渡来系弥生人の出自の主体になった地域である蓋然性が
高くなるんじゃないのかな。

281世界@名無史さん2019/04/27(土) 00:42:57.140
>弥生時代の開始期が紀元前10世紀の西周期であることが定説化

いつ定説化したんだ?w
歴博が半ば強引にマスコミ発表しただけだろ
しかも放射性炭素年代測定はいいとしても、歴博の使ってるその校正プログラムには難がありすぎる

282世界@名無史さん2019/04/27(土) 00:52:11.710
>>280
渡来系弥生人のDNAが縄文人だったんだから、日本から来たと考えるのが普通なんじゃないの?

283世界@名無史さん2019/04/27(土) 01:10:56.860
>>281
稲作が渡来後数十年で西日本一帯に広がったとする旧説の紀元前4世紀開始説の方が無理がありすぎるだろ。

旧説は大陸の考古学の成果との整合性でも疑念がもたれていたし。

284世界@名無史さん2019/04/27(土) 01:35:09.870
>>281
あと、年輪年代法による炭素年代のキャリブレーションも、年輪幅の変化を追いかけていた時代と大幅に様変わりしている。

今は年輪1年ごとの酸素同位体比の変化を追いかけているんだよ。

海洋リザーバー効果の問題も炭素と窒素の安定同位体比で検証されているし。

285世界@名無史さん2019/04/27(土) 05:28:13.460
6000年前の岡山のプラントオパールも陸稲だと思われてたが、下手すると水田なのかもしれないなあ
こうなると

286世界@名無史さん2019/04/27(土) 22:59:16.390
>>285
いちおう、弥生時代の開始を紀元前4世紀に取るにせよ紀元前10世紀に取るにせよ、
縄文晩期にアワとキビの畑作が一気に東日本にまで入った直後に
水田稲作が追いかけるように入ってくるらしい。

287世界@名無史さん2019/04/28(日) 02:31:45.860
>>284
歴博が発表したころはされてないだろ
日本樹木の較正曲線は地域差を無視してる

288世界@名無史さん2019/04/28(日) 03:23:05.720
日本語でおkwwwwwww

289世界@名無史さん2019/04/28(日) 10:50:07.060
>>287
そもそも歴博の新しい年代観は、旧来のシンチレーションのカウントをやめて
放射性同位体も安定同位体もひっくるめて全同位体の原子数を直接カウントする
技法に切り替えることで出てきた数値なんだが。

290世界@名無史さん2019/04/28(日) 16:23:09.550
>>289
ん?14C 濃度の地域差があるのを知らない?

291世界@名無史さん2019/04/28(日) 16:56:12.300
>>290
それでも、紀元前4世紀説を成り立たせる炭素14値と紀元前10世紀説を成り立たせる炭素14値では
炭素14濃度の地域さを考慮したとしても数値の桁数が違いすぎるだろ。
炭素14濃度の地域差だけでは紀元前4世紀と紀元前10世紀の両義的に解釈できる測定値はあり得ない。

年代を紀元前10世紀まで遡らせるのに無理があるとして旧説に近づけるにしても、
甲元眞之の紀元前8世紀説がせいぜい。

それに、以前から日本にもたらされた青銅器の編年と同形式の大陸での編年に
ギャップがありすぎていたんじゃないかという指摘が出てたじゃないか。

292世界@名無史さん2019/04/28(日) 18:39:41.100
>>291
紀元前4世紀説って誰が言ったんだい?
おれが言いたいのは歴博の方法では古く編年されてしまうことが問題だと言ってるだけ

293世界@名無史さん2019/04/28(日) 18:41:38.510
はい、いつもの贅沢セット

歴博の炭素時代測定法の諸問題(代表的な研究者の弥生時代早期の開始年代観のまとめ)

歴博(土器炭化物) BC950 年頃
宮本和夫氏(東アジア青銅器論) BC770 年頃
甲元眞之氏(環境考古学) BC770 年頃
庄田慎矢氏(遼寧式銅剣) BC8 世紀末〜6 世紀後半
武末純一氏(九州考古学) BC600 年頃
田中良之氏(人骨・鹿骨年代) BC700 年以降
橋口達也氏(従前の年代観) BC430 年頃
宮地聡一郎氏(土器判定問題) 歴博の炭素14年代は100〜200 年古い
新井宏(炭素 14 年代検討) BC700 年以降

http://arai-hist.jp/lecture/13.12.17.pdf

http://inoues.net/study/rekihaku61.jpg
http://inoues.net/study/rekihaku62.jpg
http://inoues.net/study/rekihaku63.jpg
http://inoues.net/study/rekihaku64.jpg
http://inoues.net/study/rekihaku65.jpg
http://inoues.net/study/rekihaku66.jpg
http://inoues.net/study/rekihaku67.jpg
http://inoues.net/study/rekihaku68.jpg

294世界@名無史さん2019/04/28(日) 23:21:12.060
>>292
紀元前4世紀弥生時代開始説は、上野の東京国立博物館が特別展やその図録で公式に発表している編年観。
これはいくらなんでも時代遅れの編年観だろうと思っている。

私自身の認識は、歴博の紀元前10世紀説を最右翼として、それより200年くらい後ろに見積もっている甲元眞之説を
下限とする範囲のどこに最終的に落ち着くのかな、という観点で興味深く様子見を決め込んでいる、
というのが本音。

つまり、最初の議論に戻ると、1990年代末の江南青銅器時代人のミトコンドリア遺伝子調査は春秋期末を
ターゲットにしていることを踏まえると、明らかに紀元前4世紀の大陸人の日本列島渡来を想定している。
しかし、歴博説をとるにせよ、甲元説をとるにせよ、より新しい仮説ではほぼ西周時代の域内に収まる。

だから、やはり原初の「渡来系弥生人」のルーツを探るとすると、西周期の大陸人骨のDNAや抜歯パターンと
比較を行わなければならないんじゃないか、というのが私の議論。

295世界@名無史さん2019/04/30(火) 16:25:25.330
日韓の対立は明らかに「文明の衝突」彼等を文明国の一員として認めるわけにはいかない
我々が要求しているのは合意の履行と条約の順守という基本的なことだ。
「契約の概念」そのものが存在していないのだ。また親日罪なども遡及法である。
完全に近代の精神がないのだ。韓国は文明国と価値観を共有していないのだ。
約束を守ることは人間関係の基礎であり約束を破ることを何とも思わない人間と関係は築けない
国家でも個人でも同じだ。約束を守らない相手を信用するだろうか、どう関係を築けというのか
半島は「上に政策あれば下に対策あり」の中華文明の一員であり所詮アジア人だったのだ

296世界@名無史さん2019/05/14(火) 11:30:54.300
万年支那の属国朝鮮w

297世界@名無史さん2019/06/28(金) 22:17:03.940
ヨーロッパ諸国と日本の地域別失業率(地図等)
https://honkawa2.sak ura.ne.jp/9000.html
>北イタリアから南ドイツを経てベネルックス3国、
>イギリスにわたるヨーロッパ中央部で低い失業率、その周辺地域では高い失業率

ヨーロッパの超長期人口推移
https://honkawa2.sak ura.ne.jp/9010.html
>紀元前後3,300万人だったヨーロッパ人口は、ローマ帝国の崩壊、森林の開墾、
>ペスト大流行などで増減を繰り返し、17世紀に1億人を突破、
>その後産業革命以降人口急増、現在7億人台

ヨーロッパ地域別人口分布の超長期推移
https://honkawa2.sak ura.ne.jp/9012.html
>紀元前後半分のシェアを占めていた南欧は17%まで落ち込み、
>西欧とソ連がこれに代わって相次いで最大人口地域に

298世界@名無史さん2019/07/25(木) 20:09:00.120
新羅は倭人、百済は大陸からの移民が創った国

299世界@名無史さん2019/07/26(金) 06:50:29.250
倭人が朝鮮半島に進出して新羅をつくり、その新羅が半島全土を征服した

300世界@名無史さん2019/07/26(金) 10:52:01.570
韓とは倭人を意味する。韓人=倭人

301世界@名無史さん2019/07/26(金) 11:24:01.390
>>299
倭人が朝鮮半島に進出して新羅をつくり、その後中華系に乗っ取られ、その新羅が半島全土を征服した

肝心な所を抜かしてはいけない

302世界@名無史さん2019/07/26(金) 15:36:54.220
新羅は 濊人に乗っ取られ
しかも唐が滅ぼした百済や高句麗を
横取りしたんだよ

303世界@名無史さん2019/07/26(金) 16:56:52.690
駐留してた唐の兵隊にウンコ投げつけて追い出したんだよ

304世界@名無史さん2019/07/26(金) 16:59:57.990
高句麗の滅亡後に渤海が南下して高句麗の
領土を一部手に入れた。
唐は渤海対策で 濊人新羅に
百済や高句麗の領土をくれてやった。

305世界@名無史さん2019/07/27(土) 10:55:00.970
濊族のウンコ投げに屈して、倭人は日本へ逃げた。

306世界@名無史さん2019/07/30(火) 19:53:58.080
大陸から渡ってきて百済を支配していた王族・貴族は、百済の滅亡とともに倭国に亡命した

土着の野蛮人が半島に残った

307世界@名無史さん2019/08/02(金) 11:16:25.810
そもそも倭国は半島南端国家で日本じゃない
卑弥呼の墓は半島南端にあるからね

308世界@名無史さん2019/08/02(金) 18:53:42.150
と言う糖質ガイジだった

309世界@名無史さん2019/08/02(金) 19:12:23.430
邪馬台国は済州島にあった

310世界@名無史さん2019/08/02(金) 21:30:31.100
卑弥呼の墓で検索
半島南端にあることがわかる。

311世界@名無史さん2019/08/02(金) 22:59:14.850
倭国は対馬を挟んで両岸だろ

312世界@名無史さん2019/08/03(土) 01:38:48.530
あガガイのガガイのガガイのガイw

313世界@名無史さん2019/08/03(土) 19:45:13.840
 
中国の学者楊守啓氏がいうには、「朝鮮側の史料『東鑑( 東国通鑑) 』では詳らかではないが、
日本の史書から判断すると、高句麗広開土王即位の年は西暦3 9 1 年であり、日本では仁徳天皇の治世時に当たる。
しかし、この間、両国には抗争の事実はみられず、又、中間の履中・允恭両天皇の時代にも、高句麗・新羅と闘争の事実はない。

又、三宅米吉氏も『高麗碑考』の中で同様のことを語っている。即ち、「倭・倭人と高麗との抗争記述も、
『日本書紀』など日本側の記述に対応すべきものがなければ、強いて附会する必要はなかろう。
碑文中に現れる倭が、大和朝廷で在ることを明証した論考は現れていないのである」との見解を述べている。

倭や邪馬台が何処であろうと、我が国の古代史に繋がることではないので、
目角を立て附会曲解をする必要ないこと、論ずるまでもない。
「倭」そのものゝ総体的な輪郭が把握できず、「邪馬台」が「大和朝廷」の前身などという固定観念で、
これら倭人に関する伝記などを捏ねくり返してみたところで、
先人の糟粕を舐め啜るのが落ちであろう。

314世界@名無史さん2019/08/03(土) 21:37:02.420
>>307
倭から分離独立してできたのが新羅

倭と新羅は、地球連邦とジオン公国のような関係

315世界@名無史さん2019/08/03(土) 21:38:08.500
半島南部は日本文明圏

316世界@名無史さん2019/08/04(日) 01:25:45.530
あガイジガイジガイジガイジヨイショヨイショヨイショ

317世界@名無史さん2019/08/12(月) 15:39:55.740
漢字は日本起源

318世界@名無史さん2019/08/12(月) 16:45:51.240
>314
八世紀になるとジオンから連邦へ帰還者続出で
すな

319世界@名無史さん2019/08/20(火) 11:32:25.240
>>69


>■近肖古 在位345〜375
>姓は余。名は句。日本書紀では速古。日本と手を結び新羅に対抗。謝礼に日本へ七支刀を献上。

まじでなんでこういうバカしかいねーの?

このころに日本なんて国ねーぞwww

それと倭を日本列島と記した古代文献も一つもない
倭の総体すら把握してないのに勝手な妄想書き込むなよ馬鹿w

320世界@名無史さん2019/08/24(土) 10:53:55.290
もしも、北九州の王朝が日本全土を征服して、博多を首都とする全国王朝を建てたとしたら、「これは半島系の王朝だ」と言われたことだろう

実際のところ、新羅の半島統一はこれに近い

321世界@名無史さん2019/08/24(土) 10:56:18.790
朝鮮半島の歴史は、日本に最も近い東南端の新羅から始まった

その新羅を建国したのは、朝鮮最古の史書によると「海を越えてやってきた倭人」

322世界@名無史さん2019/08/25(日) 06:58:24.170
>>321
瓠公と赫居世居西干の同一人物説は立証されてないが、
『三国史記』によると、瓠公は元倭人で赫居世居西干も異国人とされており、
日本の『新撰姓氏録』では神武天皇の兄である稻飯命が新羅の祖とされている。

323世界@名無史さん2019/08/25(日) 07:08:18.580
>>319
後に倭から日本に改名するのだから問題ないと思うが?

324世界@名無史さん2019/08/25(日) 09:55:38.800
問題大あり
韓国人みたいな歴史認識になるぞ
自分の国を遡らせて存在していたように見せかけるのは嘘歴史の第一歩だよ

325世界@名無史さん2019/08/25(日) 10:04:02.300
問題なし
「日本書紀」でも「倭」の歴史について書かれているから嘘歴史にはならない

326世界@名無史さん2019/08/25(日) 12:36:17.980
>>324
王朝が変わったわけでなく、
国号を「日本」に改めただけだぞ。

327世界@名無史さん2019/08/25(日) 14:39:06.650
檀君朝鮮みたいな話だな

328世界@名無史さん2019/08/25(日) 14:51:50.000
飛鳥王朝が糞百済に乗っ取られたときに
王族が入れ替わったよ。

329世界@名無史さん2019/08/25(日) 18:29:04.520
>>327
檀君神話は近年の創作
>>328
歴史ミステリー小説の読みすぎw

330世界@名無史さん2019/08/25(日) 18:56:28.520
歴史に対する姿勢の話だよ

331世界@名無史さん2019/08/25(日) 19:31:14.870
>>319
いや「魏志東夷伝」に倭国の一つとして対馬が出てくるでしょ
他の国もそこから南にあるのだから普通に日本
また「三国史記 新羅本紀」実聖尼師今7年春2月の条にも倭人は対馬に軍営を置いていて
そこから海を越えてやってくるとあるから「三国史記」に出てくる倭国も日本列島を指している

332世界@名無史さん2019/08/27(火) 17:38:16.740
>>331
議論の分かれるところ
版によっては「対海国」になってる

あと東夷伝の描写と実際の対馬と壱岐とは大きさがまるで合ってない

333世界@名無史さん2019/08/27(火) 21:08:16.230
>>332
短里とかいう理屈なら合ってるだろいい加減にしろ!

334世界@名無史さん2019/08/27(火) 22:42:54.780
対馬の東西の比率の事を言ってるんじゃない?

335世界@名無史さん2019/08/28(水) 20:04:07.980
対海国と表記しているのは紹熙本のみ
また紹熙本より成立の古い「太平御覧」「翰苑」の引用文だとすべて対馬になってることから
紹熙本の誤写とみてよい

そもそも魏志倭人伝の里数や戸数とか実測したわけでもないし
どうせ目測の適当な数値載せてるだけだから最初から合理性の埒外

336世界@名無史さん2019/08/28(水) 23:50:14.090
>>333
このやりとりかよまたw

短里(笑)にしたら余計島の大きさが合わなくなるだろ馬鹿

337世界@名無史さん2019/08/29(木) 00:11:45.960
>>336
合ってるやろチョンガイジ

338世界@名無史さん2019/08/29(木) 02:58:37.250
倭国の列島部分が日本になっただけだろ

339世界@名無史さん2019/08/29(木) 07:25:47.990
屁理屈しかこけない呪われしエラの者たち

340世界@名無史さん2019/08/29(木) 08:07:04.480
朝鮮半島における倭国の記述(中国による)が殆どないことから恐らく伽耶諸国のうちのひとつが倭国になったのだろう

341世界@名無史さん2019/08/29(木) 12:52:37.010
倭国の起源は半島

342世界@名無史さん2019/08/29(木) 14:51:37.020
>>340
ないんじゃなくて読んでないだけのガイジの妄想で草

343世界@名無史さん2019/08/30(金) 02:46:12.240
>>340
金官国だろ
書紀の記述で怪しいところがでてくる

344世界@名無史さん2019/08/30(金) 12:00:03.130
>>343
じゃあ、倭はスロ(首露)王の子孫だってことですか?
自分は大伽耶じゃないかと思うのですが
というのは、大伽耶の伊珍阿鼓(イジンアシ)王は名前からして日本神話に出てくるイザナギじゃないかと思うのですが

345世界@名無史さん2019/08/30(金) 19:29:15.130
伊阿珍鼓

346世界@名無史さん2019/08/30(金) 19:38:18.460
>伊珍阿鼓(イジンアシ)王
当時はそんな読み方しない
なんで現代のガイジチョンコ語読みするか

347世界@名無史さん2019/08/30(金) 19:53:01.640
 
507-531(528?) 継体天皇在位 527-528 (531?)磐井の乱

532 金官国滅亡

536 筑紫国那津に官家を造り、諸国の屯倉の穀を集積する。

https://i.imgur.com/pf9iuue.jpg
https://i.imgur.com/2gEA50X.jpg
https://i.imgur.com/jIBiWRm.jpg 

 

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