邪馬台国四国説 part2

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1日本@名無史さん2019/01/16(水) 14:03:30.12

2日本@名無史さん2019/01/16(水) 14:09:25.95
関連スレ
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/archeology/1459774021/
邪馬台国阿波説についてのスレッド

3日本@名無史さん2019/01/17(木) 18:15:27.00
3年ぶりの新スレか。
新スレ、開けましておめでとうございます。

4日本@名無史さん2019/01/17(木) 18:20:51.79
邪馬台国は,
畿内大和説があこがれたような、女王を戴くユートピア国家ではなかった。
事実は、鉄器で完全武装した渡来人侵入者で、(奈良にあらざる)奈良ず者国家だったのだ。
そして@阿波の先祖も、鉄の片棒を担いでいたのだよ。

5日本@名無史さん2019/01/17(木) 20:03:37.58
蓮華谷古墳群(U)二号墳
「蓮華谷古墳群」
当物件は、平成2年に四国縦貫自動車道建設に伴い発掘調査された板野郡板野町犬伏所在の蓮華谷古墳群(U)二号墳の出土品である。
調査により古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)の粘土槨を持つ円墳であることが判明し、本県の粘土槨の始原を考える上で重要な古墳である。
副葬品には銅鏡1、鉄製武器工具(鉄刀1、鉄剣1、鉄斧1、鉄鉇1)、装身具(翡翠勾玉1、碧玉管玉11)、土師器壺1があり、徳島県立埋蔵文化財総合センターで展示されている。
前期古墳の出土資料は全国的にみても数少なく、特に銅鏡は仿製鏡の古墳への副葬開始時期を考える上で重要な資料である。
蓮華谷古墳群(U)二号墳出土品
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/renge.html

6日本@名無史さん2019/01/17(木) 20:46:45.26
「蓮華谷古墳群」
県道12号線の上で、標高は高そうだから、津波安全地帯を選んでいるようだ。
鉄斧その他は、熊本の方保田東原につうずるから、やはり邪馬台国同友の奈良ず者だったのだろうな。

7日本@名無史さん2019/01/17(木) 21:49:03.44
「阿波 鍛冶工房から砂鉄が出土した弥生の大集落「矢野遺跡」を訪ねる 」

http://www.infokkkna.com/ironroad/2010htm/iron6/1003awa00.htm

8日本@名無史さん2019/01/18(金) 14:42:34.16
砂鉄をなんに使ってたんだろうね?
砂鉄は製鉄で使うもので
鍛冶には使わない(使えない)

今のところ、日本国内での製鉄遺構は
5世紀以降で、
それ以前は鍛冶遺構だからね。

9日本@名無史さん2019/01/18(金) 18:30:33.32
>>8
製鉄を試みたかもね。  @阿波

10日本@名無史さん2019/01/19(土) 08:35:50.14
倭国大乱は、西日本を巻き込んだ動乱で、
徳島へも押し寄せたようなことが書いてあるな。
四国山脈沿いの、いわゆる中央構造線ハイウエーを伝って、
九州から、鉄のクニのならず者たちがなだれ込んできたのだろう。

11日本@名無史さん2019/01/19(土) 10:08:53.16
矢野遺跡の発掘結果には、なにか不自然みたいなところを感じるけどな。
なぜ、銅鐸があんな横倒しの姿形で出てきたのかな?
なぜ、貴重な砂鉄入り壺とかが放棄されたのかな?
ホントは遺跡全体が、津波とか、洪水で洗われた跡なんだけど、解説してないんじゃないのかな?

12日本@名無史さん2019/01/19(土) 11:12:54.97
>>11
>なぜ、銅鐸があんな横倒しの姿形で出てきたのかな?

小屋建てして、丁寧に埋納されているんだけど?  @阿波

13日本@名無史さん2019/01/19(土) 11:17:39.39
>>11
>ホントは遺跡全体が、津波とか、洪水で洗われた跡なんだけど、解説してないんじゃないのかな?

もちろん、津波や洪水被害は有っただろうが、すぐに再興したんだろうね。 邪馬台国の国力をもって。  @阿波

14日本@名無史さん2019/01/19(土) 11:41:13.27
銅鐸小屋の説明はそうだが、
出雲の銅鐸は、邪馬台国からの侵入者ヤマタノオロチに慌てて隠した様子だ。
だから、阿波のはなんか腑におちない。
トイレでも装って隠したのかな。それともその前に、小屋ごと洪水で流されたか…

15日本@名無史さん2019/01/19(土) 11:47:45.79
>>14
>だから、阿波のはなんか腑におちない。

「忌部はん」 の本拠地(邪馬台国)なんだから、特別なんだよ。  同じ「忌部はん」 でも、出雲忌部とはわけが違うわね、そりゃ。  @阿波

16日本@名無史さん2019/01/19(土) 11:55:42.74
なんだ、ヤマタノオロチとは忌部のことだったのか。
そーいや、出雲にも忌部という地名があるようだ。どのみち同類の大蛇オロチか。
まてよ、高千穂の後ろの祖母山には大蛇が住んでいたという平家物語の一節もあった。もしかして邪馬台国のヤマタの大蛇のことかもしれぬ。

17日本@名無史さん2019/01/19(土) 12:14:37.06
出雲でヤマタノオロチを退治したのは、新羅系のスサノオノミコト(大国主命も新羅系)
なるほど、ヤマタノオロチとは邪馬台国のオロチ(大蛇)のことか・・・、
だから、退治したら、オロチの腹から草薙の剣が出てきたのだな

18日本@名無史さん2019/01/19(土) 13:07:17.80
>>16
>そーいや、出雲にも忌部という地名があるようだ。

出雲の勾玉も、倭国(阿波)を発った出雲の「忌部はん」作製だからね。  @阿波

19日本@名無史さん2019/01/19(土) 13:15:31.57
アワ忌部は、山陰だけでなく、あちこち荒らしまわったのか、
だから、頭が八つもある大蛇だと、各地で忌み嫌われたのだろうな。

20日本@名無史さん2019/01/19(土) 13:36:46.35
>>19
>アワ忌部は、山陰だけでなく、あちこち荒らしまわったのか、

その通り。 関東はおろか、朝鮮半島まで荒らしまわってるよ、「忌部はん」 は。  @阿波

21日本@名無史さん2019/01/19(土) 14:28:18.07
九州スレも、荒らしまわってるしな、、、

22日本@名無史さん2019/01/19(土) 17:33:51.30
>>21
>九州スレも、荒らしまわってるしな、、、

畿内スレもね、、、  @阿波

23日本@名無史さん2019/01/19(土) 22:57:13.36
福津に上陸した@阿波は間もなく帰ってくるだろうな
なんせ、邪馬台国と女王の都は、阿波の忌部の邑にあるんだからな、、、
それにそのすぐ先には、女王の裸国もある、パラダイスが待ってるぞ〜〜

24日本@名無史さん2019/01/19(土) 23:49:06.00
フフフの福津に上陸したはずの阿波はどこかで迷子になったようだな、、、
どうせ、阿波には帰り着けないだろうな。かわいそうに・・・

25日本@名無史さん2019/01/20(日) 01:27:22.47
邪馬台のオロチなのか

26日本@名無史さん2019/01/20(日) 07:33:54.40
>>24

なに言ってんの?  倭国(阿波)へは東南陸行五百里行くように書いてあるだろ。  
倭人伝通りに行けば倭国(阿波)に着くように書いてあるなるんだから、迷子になる訳ないわね。  @阿波

27日本@名無史さん2019/01/20(日) 08:23:53.76
それにしては、まだあちこちで悪さをし、道草を食っておるようだ・・・
阿波国にとっては、頼りになりそうもない男だな。

28日本@名無史さん2019/01/20(日) 08:33:22.59
>>27
>それにしては、まだあちこちで悪さをし、道草を食っておるようだ・・・

いや、とっくに卑弥呼より前から倭国(阿波)に到着しているよ。 ご心配なく。


>阿波国にとっては、頼りになりそうもない男だな。

倭国(阿波)にとって、もともと私など無用だよ。  遺跡や遺物、神社などが真実を物語ってくれているから。  @阿波 

29日本@名無史さん2019/01/20(日) 09:12:30.96
おう、苦労しつつも無事帰ってきたか、、、
なかなかのご苦労であった。これで女王卑弥呼も、阿波国も、阿波の人々も、末永く安泰であろう。

30日本@名無史さん2019/01/20(日) 10:13:01.88
消去法で四国説支持だが
出雲、日向が阿波にあった説は苦しいな

31日本@名無史さん2019/01/20(日) 11:08:45.81
>>30
>出雲、日向が阿波にあった説は苦しいな

えっ、出雲や日向が記紀において、地名だと思ってるの?
宮崎の「日向」も、福岡の「筑紫」も、島根の「出雲」も、和銅6年(713)5月の「好字令」によって勝手気ままにつけた地名だよ。 
何か勘違いしてないかい?  @阿波

32日本@名無史さん2019/01/20(日) 12:08:43.76
で、阿波博士に聞きたいのだが、
阿波は、いつ名づけられたのか?、

33日本@名無史さん2019/01/20(日) 12:52:54.34
>>32

和銅6年(713)5月の「好字令」によって勝手気ままにつけた地名だよ。  @阿波

34日本@名無史さん2019/01/20(日) 14:22:23.06
さすが阿波博士は、畿内説のなりすまし

35日本@名無史さん2019/01/20(日) 15:03:53.60
>>34
>さすが阿波博士は、畿内説のなりすまし

???  なに考えてんの?

@ 最初は、北の邪馬台国(粟国) と 南の狗奴国(長国)
A その後、「粟国」に統一
B 和銅6年(713)5月の「好字令」によって「阿波国」となる。  @阿波

36日本@名無史さん2019/01/20(日) 15:14:44.14
さすが阿波博士は、畿内説の覆面パトカー

37日本@名無史さん2019/01/20(日) 16:55:16.18
残念だが和銅より前に筑紫や出雲はあったんだよ
九州や山陰を飛び越して、アワが栄えることもない
どうやったら、そうなるのか説明してみ
 

38日本@名無史さん2019/01/20(日) 17:28:27.18
>>37
>残念だが和銅より前に筑紫や出雲はあったんだよ

残念だが、妄想。


>九州や山陰を飛び越して、アワが栄えることもない

まぁまぁ、  
九州や山陰がどうあれ、たびたび大陸・半島と倭国(阿波)は往来し、鉄素材や中国鏡や中国朱などを交易してるんだから、そんなこと、どうでもよろしいがな。  @阿波 

39日本@名無史さん2019/01/20(日) 17:34:49.98
>>37
>どうやったら、そうなるのか説明してみ

弥生人にとって、「阿波」はまさに理想の土地。
温暖な気候・多数の大河の恵み・大河流域の土地の恵み・黒潮流れる大海の恵み・山深い森林の恵み・多種類の希少鉱物の恵み
県北部(邪馬台国)には、銅、泥質片岩、緑色片岩、翡翠、蛇紋岩、紅蓮石
県南部(狗奴国)には、辰砂が採れる。
阿波に人が集まり、独自文化が発祥・全国展開したのは、当然といえば当然。   @阿波

40日本@名無史さん2019/01/20(日) 17:36:24.77
>>37
>どうやったら、そうなるのか説明してみ

「倭国(阿波)の最先端文化・技術」  九州や畿内などとの圧倒的な差ですね。  @阿波
@勾玉
A軽量薄型土器
B前方後円墳
C水銀朱
D緑色片岩製柱状片刃石斧
E泥質片岩製石棒
FT類鉄鍛冶炉
G航海術
その他いっぱい

41日本@名無史さん2019/01/20(日) 17:55:02.11
大事な金製品と絹は?

42日本@名無史さん2019/01/20(日) 18:00:48.17
>>41
>大事な金製品と絹は?

なにそれ? それがなにか?  @阿波

43日本@名無史さん2019/01/20(日) 18:03:43.33
さすが阿波博士は、(畿内〜)阿波にかけては、なかなかの博識ではないか、、、

44日本@名無史さん2019/01/20(日) 18:10:27.27
>>43
>さすが阿波博士は、(畿内〜)阿波にかけては、なかなかの博識ではないか、、、

有るものを挙げただけだよ。
これといったものが無いところは、出来ない話だけどね。  @阿波

45日本@名無史さん2019/01/20(日) 21:30:35.68
宮崎や島根は和同より前は何と呼んでいたの?

46日本@名無史さん2019/01/21(月) 07:04:51.43
>>45
>宮崎や島根は和同より前は何と呼んでいたの?

分かっているのは、やはり倭国(阿波)だけじゃないの?  @阿波

47日本@名無史さん2019/01/21(月) 22:39:14.18
郡里廃寺の再建はよ

48日本@名無史さん2019/01/22(火) 22:32:49.71
峯薬師像
救世観音像
法谷寺に返却はよ

49日本@名無史さん2019/01/22(火) 22:51:29.87

50日本@名無史さん2019/01/24(木) 13:27:23.57
四天王寺も阿波なのか?

51日本@名無史さん2019/01/24(木) 21:40:48.19
日本最古のお寺は阿波にあるのか?

52日本@名無史さん2019/01/25(金) 06:30:06.14
日本最古のお寺が阿波に在った可能性が、非常に高いってこと。

「郡里廃寺跡 (白鳳寺院)」
吉野川の北岸、扇状地上に営まれた白鳳時代創立の寺院跡である。
早くから立光寺跡として知られていたものであり、調査の結果「法起寺」式伽藍配置をとるものであることが判明した。
塔跡基壇は各辺12メートルをはかり、塔軸部初重の1辺は中の間が2.3メートル、両脇間はそれぞれ2.08メートルと復原することができる。
塔心礎は旧地表下に据えたものであり、中央に径13センチ、深さ6.5センチの舎利孔が穿たれている。
心礎上に据えた心柱は、南北径1.06メートル、東西径1.08メートルをはかる不整八角形を呈し、心柱四周を根巻板で囲むことが知られた。
金堂跡は東西18メートル、南北15メートル前後と復原される。塔、金堂間の心を東西に47メートルへだてた位置に石敷列が走り、
その下方に土塁を発見しており、また塔、金堂心より南北に60メートルをへだてた位置で同様な遺構を発見し、寺域をほぼ知ることができる。  @阿波

53日本@名無史さん2019/01/25(金) 06:31:53.27
「石井廃寺跡」
石井廃寺は、南に緩く傾斜する段丘面上にある古代寺院である。
古くから瓦の出土などにより寺院の存在が推定されていた。
1957年(昭和32年)〜1959年(昭和34年)発掘調査が行われ、東に塔、西に金堂が並ぶ
法起寺式の伽藍配置であることが分かった。
また、明瞭な遺構は確認されないものの、二つの伽藍の北に講堂、南に中門が存在した
と推定されている。
出土遺物には瓦・土師器・須恵器の他に瓦塔などがある。
瓦の文様などから奈良時代前半に建立されたと考えられる。  @阿波

54日本@名無史さん2019/01/25(金) 06:32:44.41
「入田瓦窯跡」 
http://goutara.blogspot.jp/2011/06/blog-post_25.html
内御田窯跡群の中のひとつであり、気延山南の東斜面にある。奈良時代に屋根瓦を焼いた
窯跡で、外に須恵器も焼かれている。
18段の小さい段状の燃焼部と煙出し部分が確認されているが、燃料を燃やす焚き口部分は
残っていない。全長10m、幅1.3m、勾配45度の瓦窯様式である。
軒丸瓦と軒平瓦が出土しており、阿波国分寺跡・阿波国分尼寺跡・石井廃寺跡などで見つ
かっていることから、瓦を供給されるために作られたことが分かる。
奈良時代から平安時代初頭と案内の看板には記されているが、石井廃寺跡出土瓦
と同形式であるならば白鳳文化と呼ばれる頃と推測される。  @阿波

55日本@名無史さん2019/01/25(金) 09:37:11.27
阿波路に古代鉄の遺跡があるだろう

56日本@名無史さん2019/01/25(金) 09:47:23.75
阿波は阿波路でもつ、阿波路は阿波でもつ

57日本@名無史さん2019/01/25(金) 09:58:13.22
淡路島は倭国(阿波)の数ある諸島の一つだから。   @阿波

58日本@名無史さん2019/01/25(金) 10:17:36.85
我が家のご先祖は、伊弉諾尊を奉る阿波路の豪族だった。
@阿波氏はその一の重臣だったのだろうな。

59日本@名無史さん2019/01/25(金) 10:35:35.54
四万十国→邪馬台国

60日本@名無史さん2019/01/25(金) 17:11:35.01
>>49
おもしろい
Wコージの都市伝説で取り上げて欲しいな

61日本@名無史さん2019/01/26(土) 08:21:15.15
法隆寺、四天王寺、飛鳥寺は阿波人が創立?

62日本@名無史さん2019/01/26(土) 09:32:35.03
>>61
>法隆寺、四天王寺、飛鳥寺は阿波人が創立?

倭国(阿波)に在った寺院を解体して奈良で再建したんだろうね。 遷都で急を要し、手っ取り早く。  @阿波  

63日本@名無史さん2019/01/26(土) 10:09:15.83
アワアワアワアワうるさいスレだなw

64日本@名無史さん2019/01/26(土) 10:51:57.31
>>63
どうしても、アワアワアワアワが気になって、気になって、仕方がないようだね。 そりゃ、アワって興味湧くもんね。  @阿波   

65日本@名無史さん2019/01/26(土) 11:03:37.00
そうだねえ
四国スレのアワアワアワは超秀才、超有名人だからねえ
(ま、他スレはあれだが、、、)

66日本@名無史さん2019/01/26(土) 11:34:23.02
淡路島のナントカ鉄遺跡は、やはり五畿内へのアワヒトの拠点だったのだろうねえ。
折角の足掛かり手がかりなのに、
@アワヒトは、そこいらのツッコミが足りねえな

67日本@名無史さん2019/01/26(土) 21:44:16.68
>>62
法谷寺→法隆寺
●●寺→四天王寺
●●寺→飛鳥寺

●●に郡里廃寺が入る?

68日本@名無史さん2019/01/26(土) 21:59:14.85
郡里廃寺(法興寺)→飛鳥寺かもね。  @阿波

69日本@名無史さん2019/01/27(日) 18:25:25.47
「郡里廃寺跡 (白鳳寺院)」
吉野川の北岸、扇状地上に営まれた白鳳時代創立の寺院跡である。
早くから立光寺跡として知られていたものであり、調査の結果「法起寺」式伽藍配置をとるものであることが判明した。
塔跡基壇は各辺12メートルをはかり、塔軸部初重の1辺は中の間が2.3メートル、両脇間はそれぞれ2.08メートルと復原することができる。
塔心礎は旧地表下に据えたものであり、中央に径13センチ、深さ6.5センチの舎利孔が穿たれている。
心礎上に据えた心柱は、南北径1.06メートル、東西径1.08メートルをはかる不整八角形を呈し、心柱四周を根巻板で囲むことが知られた。
金堂跡は東西18メートル、南北15メートル前後と復原される。塔、金堂間の心を東西に47メートルへだてた位置に石敷列が走り、
その下方に土塁を発見しており、また塔、金堂心より南北に60メートルをへだてた位置で同様な遺構を発見し、寺域をほぼ知ることができる。

瓦は同じ美馬市内にある坊僧窯跡群で焼かれたものと考えられている。この坊僧窯跡群の存続は白鳳時代から平安時代にかけてである。

http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C8%FE%C7%CF%BB%D4%2F%B7%B4%CE%A4%C7%D1%BB%FB%C0%D7
https://sueyasumas.exblog.jp/13240604/
https://sueyasumas.exblog.jp/13230836/

70日本@名無史さん2019/01/28(月) 11:18:34.02
千葉県成田市台方の式内社「麻賀多神社」は麻が社紋。

千葉県印旛(いんば)郡栄町の 大鷲神社 天乃日鷲尊を祀り、社殿天井に「金の鷲」が取り付けられている。

社伝によると「天乃日鷲尊はその子孫代々麻植の神として神功があり,麻に係りのある当地においても祭神となっております」という。

『安房志』によると「天日鷲尊の神霊が,天下に異変がある時は,金色の鷲となって現れるので,

その霊験を畏敬して小鷹の神と称した」とあり、印旛沼の由来は「忌部沼」が訛ったもの。   @阿波

71日本@名無史さん2019/01/28(月) 11:27:52.19
逆出島四国

72日本@名無史さん2019/01/28(月) 17:53:06.15
千葉県勝浦市浜勝浦の 遠見岬神社 の宮司歴代の墓碑には「勝占忌部」と書かれている。阿波忌部の後裔である。 @阿波

73日本@名無史さん2019/01/28(月) 19:06:06.71
千葉県館山市大神宮の式内大社 安房神社 は天富命が祖父・天太玉命を祀った神社。

宮司の安房忌部系図には,天富命の娘の飯長媛(イイナガヒメ)と天日鷲命の孫である由布津主命(ユフツヌシノミコト)とが結婚して,堅田主命(訶多多主命)を生んで安房忌部の祖としている。

神社境内には「忌部塚」と呼ばれる弥生以前の洞窟遺跡もあり,阿波忌部の先遣隊の塚であろう。  @阿波

74日本@名無史さん2019/01/28(月) 19:52:35.12
千葉県館山市相浜にある 楫取(かんどり)神社 の祭神は 宇豆彦命(ウズヒコノミコト)で天富命に従ってこの地に渡り,漁業を主として指導したといわれる。

この楫取という名は今も徳島県の吉野川で使用されている川舟である楫取舟と関係すると思われる。  @阿波

75日本@名無史さん2019/01/30(水) 17:52:34.20
阿波忌部が上陸した地・千葉県館山市布良の 布良崎神社 (祭神:天富命)周辺に「神余」(かなまる)という地名があり,これは安房神社に奉仕する忌部神戸が増えてあふれた人達が新しく開拓したことに由来する。

「安房神戸(あわかんべ)」という地名もある。  @阿波

76日本@名無史さん2019/01/30(水) 18:22:11.56
茨城県新治(にいはり)郡新治村の 鷲神社 は社殿が平成7年に焼失したが氏子の寄付により平成11年に社殿を復興。

ご神体に徳島の忌部神社から分祀を依頼。鷲神社再建竣工記念碑には「本宮四国徳島市忌部神社」とある。  @阿波

77日本@名無史さん2019/01/30(水) 21:34:57.27
茨城県結城(ゆうき)市小森の 大桑神社 の社伝には「古代,東国に養蚕・織物を伝えたとされる阿波斎部が,稚産霊尊(ワカムスビノミコト)を祭神として,

北方の大水河原に創建。 この辺り一帯を大桑郷と名付けた」とある。  @阿波

78日本@名無史さん2019/01/30(水) 21:41:11.97
また保存転写
420の>>291
光谷の年輪年代が、「庄内0 AD177+18 纏向石塚 」の根拠であったんでは、
大和説の上司のどんな「結論先にありき」のインチキ命令が入っているのか?も判らん代物だし、
森井の河内の編年も、庄内0を2世紀末にしていて、大和の石塚の庄内0の3世紀末との乖離が大き過ぎるから、
×のようだな。

79日本@名無史さん2019/01/30(水) 21:42:27.62
◇栃木県小山市栗宮の式内社 安房神社 の祭神は天太玉命。

◇栃木県小山市萓橋の 日鷲神社 の祭神は天日鷲命。

◇栃木県下都賀郡石橋町橋本の 鷲宮神社 は天日鷲命。

◇栃木県佐野市「鷲神社」

◇東京都浅草「鷲神社」  @阿波

80日本@名無史さん2019/01/31(木) 18:51:09.19
稲持遺跡(徳島県三好郡東みよし町稲持)は、弥生時代後期の玉作遺跡として代表的である。

斉一性の強い小型勾玉の一群が阿波地域を中心に 讃岐地域・吉備地域と西縁・伊予地域・豊前、筑前、肥前地域 に点在しており、

石材・色調・形状から特定の場所で作られたと考えられる。

蛇紋岩の製作遺跡 東みよし町稲持遺跡・徳島市矢野遺跡・上板町七条経塚遺跡

原石産出地 徳島県吉野川加茂谷川水系蛇紋岩

徳島県で勾玉が出土された遺跡:稲持遺跡、矢野遺跡、黒谷川郡頭遺跡、井出上遺跡など。

井手上遺跡(徳島県三好市井川町西井川)(弥生時代後期終末〜古墳時代前期初頭の集落)出土の翡翠製勾玉は、

新潟県糸魚川で産出する翡翠を使用し北陸周辺で加工されたものであることがわかっている。

出土した遺物は、吉野川下流域、讃岐、吉備等の搬入土器が含まれており、

当時の交易の範囲を知る上で貴重な発見となっている。  @阿波

81日本@名無史さん2019/01/31(木) 21:12:41.79
また転写保存

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連投ですよ
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名前: 日本@名無史さん
E-mail:
内容:
420の>>545
「南→東」などの嘘つき騙しのように、
仮定から断定が出る大和説マジック
誰にでもバレる

82日本@名無史さん2019/02/01(金) 02:24:01.45
四国地方の銅鐸は生け贄文化
生け贄だから憐れ
憐れみが阿波になったんすか
他で書いてあったけど

83日本@名無史さん2019/02/01(金) 12:29:28.56
徳島県の銅鐸出土地
『日本古代遺跡37徳島』14ページより  後ろの数値は銅鐸の高さ(cm)
                       
1. 檜銅鐸           鳴門市大麻町檜字乾谷    90
2.神宅銅鐸         板野郡上板町神宅      41
3. 川島銅鐸          麻植郡川島町神後     45.6
4. 森藤銅鐸         麻植郡鴨島町森藤      21
5. 牛島銅鐸         麻植郡鴨島町上浦      34.7
6. 伝久勝銅鐸        阿波郡阿波町久勝   
7. 久千田銅鐸        阿波郡阿波町久勝      30
8. 伝榎瀬銅鐸        徳島市川内町榎瀬      44.5
9. 星河内美田1号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
10. 星河内美田2号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
11. 星河内美田3号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
12. 星河内美田4号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
13. 星河内美田5号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
14. 星河内美田6号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
15. 星河内美田7号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
16. 源田1号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
17. 源田2号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
18. 源田3号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   52.0
19. 安都真1号銅鐸     徳島市入田町安都真     29.5
20. 安都真2号銅鐸     徳島市入田町安都真     21.7
21. 安都真3号銅鐸     徳島市入田町安都真     24.6
22. 安都真4号銅鐸     徳島市入田町安都真     21
23. 名東銅鐸        徳島市名東1丁目       40
24. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     90.9
25. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     45.4

84日本@名無史さん2019/02/01(金) 12:32:24.50
26. 伝福万谷銅鐸      徳島市八万町福万谷     
27. 勢合銅鐸        小松島市立江町赤石     36
28. 畑田銅鐸        阿南市下大野町畑田     54.02
29. 八貫渡銅鐸       阿南市下大野町八貫渡    
30. 才見銅鐸        阿南市才見町
31. 長者原1号銅鐸     阿南市山口町長者原     64.25
32. 長者原2号銅鐸     阿南市山口町長者原     41
33. 田村谷銅鐸       阿南市山口町田村谷     62 
34. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          42.4
35. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          31
36. 伝長生銅鐸       那賀郡長生町
37. 榎名銅鐸        三好郡西祖谷山村榎名     推定55
38. 伝吉野川沿岸銅鐸   美馬郡脇町拝原        6.2
39. 伝脇町銅鐸
40. 伝阿波銅鐸
41. 江原小銅鐸

遺跡発掘後進県なのに、なぜ徳島で、このように非常に多くの場所から出土するのだろうか? 推して知るべし。  @阿波

85日本@名無史さん2019/02/03(日) 08:11:54.41
徳島県出土の同范銅鐸

川島銅鐸(吉野川市) − 加茂岩倉遺跡銅鐸(島根県雲南市)

伝脇町銅鐸(美馬市) − 荒神谷遺跡銅鐸(島根県出雲市)

安都真1号銅鐸(徳島市) − 種松山銅鐸(岡山県倉敷市)

伝榎瀬銅鐸(徳島市) − 山町銅鐸(奈良県奈良市)

倭国(阿波)から各地へ拡がっていった銅鐸たち。  @阿波

86日本@名無史さん2019/02/03(日) 12:06:00.96
てか、忌部ってなに?w

87日本@名無史さん2019/02/03(日) 12:33:42.16
忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。  @阿波

88日本@名無史さん2019/02/03(日) 15:35:26.60
阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、その一部が奈良大倭に渡り、

やがて諸国の忌部を統括することになる。これが中央忌部である。阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である

麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。母国からの調進である。

忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、

天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。

「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、

高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一神祇官扱いになるなど、

超絶した扱いとなっているのは、記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、また大神自らも織られたとする

「神御衣」と見立てているからであり、それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、

新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しし、大神から、日嗣の認承を賜る「物実」(正当な皇位継承者であることを大神の御前で証明するための品)

と観念されたからである。   @阿波

89日本@名無史さん2019/02/03(日) 16:28:17.92
天皇陛下即位式である大嘗祭に、麁服を調進する大役を太古から担う御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家は、

木屋平村の三木山山頂に居を構える。

貢(みつぎ)、あるいは三ッ木とも呼ばれる地名は、深く調進に関わる為でもあろう。 南北朝時代にあっては、山岳武士の頭目として南朝に関わった。

さて、この三木山こそは、太古の高天原であると同時に、天皇家の故郷でもある。このお山から御霊を大嘗宮へ運ぶ為には何か媒体が必要である。

つまり、依り代に付いて初めて示現されるのが神霊であるなら、「麻」こそ媒体であると云える。

古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。

後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。  @阿波   @阿波

90日本@名無史さん2019/02/03(日) 17:47:28.59
大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻などに用いられてきた。

また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。

大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。

麻といえば、阿波忌部。 

『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』  『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』

卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。  @阿波

91日本@名無史さん2019/02/04(月) 08:21:21.56
山の民と海の民との交流―水運 御衣御殿人(みぞみあらかんど) 三木 信夫

 道が整備されていない古代迄の交通路は,水運が徐々に発達し,すでに縄文時代には鳴門市からこの阿南市・海陽町にかけて海運交通のあったことが遺跡からみられます。

 阿南市の若杉山遺跡は,弥生時代に赤い顔料の水銀朱をつくるため,全国唯一の辰砂(しんしゃ)の原産地遺跡でした。

 辰砂=水銀と硫黄化合物の鉱石,辰砂を粉砕して水銀朱を取り出す。

 弥生時代から古墳時代を中心に,遺骸や棺に朱色を塗る風習が盛んに行われて,水銀朱は朱・丹等と呼ばれ使用流通したのです。

 この遺跡をみますと,板野郡板野町の黒谷川郡頭(こうず)遺跡や名東遺跡などから朱の精製用具等が発見されており,

弥生時代終末期(西暦200年頃)の若杉山辰砂が,海や河川を利用して運ばれております。

 若杉山遺跡にある土器類も,吉野川流域土器や鮎喰川上流の結晶片岩の混在した土器,また畿内的土器など各地の土器が混在しており,

河川や海を通じて運び込まれています。すでに若杉山遺跡には,辰砂を運び出す人や食料等を運び入れる人等の組織化された海上交通に関わる集団がいたとも考えられています。

 古代に下りますと,都を起点に諸方に陸上交通である宿駅が整備され,駅路すなわち国道がつくられていきます。

 阿波でも鳴門の撫養から讃岐・伊予・土佐に抜ける南海道と呼ばれる国道があり,それ以外に阿波国から土佐国へ通じる駅路の国道が,

おおよそ現在の国道55号線沿いに阿南市から海陽町までの海岸沿いを,奈良時代初期の養老2年(718)設置され,

平安時代初期の延暦15年(796)廃止されるまで,水上交通路と並行して多くの港や津を経て延びていたのです。

 「津」とは陸上交通路と水上交通路が交わる人の集まる交通の要衝に,物資の集積拠点として形成されたものです。

92日本@名無史さん2019/02/04(月) 08:25:48.44
山の民と海の民との交流―水運                                                  御衣御殿人(みぞみあらかんど) 三木 信夫

 道が整備されていない古代迄の交通路は,水運が徐々に発達し,すでに縄文時代には鳴門市からこの阿南市・海陽町にかけて海運交通のあったことが遺跡からみられます。

 阿南市の若杉山遺跡は,弥生時代に赤い顔料の水銀朱をつくるため,全国唯一の辰砂(しんしゃ)の原産地遺跡でした。

 辰砂=水銀と硫黄化合物の鉱石,辰砂を粉砕して水銀朱を取り出す。

 弥生時代から古墳時代を中心に,遺骸や棺に朱色を塗る風習が盛んに行われて,水銀朱は朱・丹等と呼ばれ使用流通したのです。

 この遺跡をみますと,板野郡板野町の黒谷川郡頭(こうず)遺跡や名東遺跡などから朱の精製用具等が発見されており,

 弥生時代終末期(西暦200年頃)の若杉山辰砂が,海や河川を利用して運ばれております。

 若杉山遺跡にある土器類も,吉野川流域土器や鮎喰川上流の結晶片岩の混在した土器,また畿内的土器など各地の土器が混在しており,

 河川や海を通じて運び込まれています。すでに若杉山遺跡には,辰砂を運び出す人や食料等を運び入れる人等の組織化された海上交通に関わる集団がいたとも考えられてい    ます。

 古代に下りますと,都を起点に諸方に陸上交通である宿駅が整備され,駅路すなわち国道がつくられていきます。

 阿波でも鳴門の撫養から讃岐・伊予・土佐に抜ける南海道と呼ばれる国道があり,それ以外に阿波国から土佐国へ通じる駅路の国道が,

 おおよそ現在の国道55号線沿いに阿南市から海陽町までの海岸沿いを,奈良時代初期の養老2年(718)設置され,

 平安時代初期の延暦15年(796)廃止されるまで,水上交通路と並行して多くの港や津を経て延びていたのです。

 「津」とは陸上交通路と水上交通路が交わる人の集まる交通の要衝に,物資の集積拠点として形成されたものです。

93日本@名無史さん2019/02/04(月) 11:00:22.75
畿内地域の古墳の石材調査が進むにつれて、倭国(阿波)の結晶片岩を石室や葺石に用いた前期古墳の事例が増加してきた。

大阪府の「闘鶏山古墳」、「将軍山古墳」、「鍋塚古墳」、「牧野車塚古墳」、神戸市の「西求女塚古墳」などが典型例だ。

そして、そうした結晶片岩を使う事例が、畿内北部の淀川流域から瀬戸内北岸にかけての一帯に多い傾向もより明瞭になってきた。  @阿波

http://www.let.osaka-u.ac.jp/kouko/061018awaitano.htm

94日本@名無史さん2019/02/07(木) 22:46:44.01
>さっきから、どこどこは低身長とかいうのがたくさんあるけど、侏儒は人長三,四尺だから
>10センチ低いとかではないんだよ
>魏晋尺は23センチだから、三、四尺なら69センチとか92センチとか、1メートル以下になる
>もっとも身長が低い短身種族のネグリロでも身長137〜159cm

・侏儒國は表意文字。(北部九州の説明は倭語に対応した表音文字)
・朱が其の山に有る、ではなく、侏儒國では朱を産出していた
・考古学的に朱を産出していたのは阿波のみ

侏儒國に阿波が含まれているのは考古学的に確定。
若杉山遺跡で見つかった朱を採取した坑道跡の大きさは、
奥行き約14メートル、高さは約70〜90センチ。

『高さは約70〜90センチ』

95日本@名無史さん2019/02/07(木) 22:47:11.26
表意文字だから、名前の中にも情報を内包しているわけだ。
水銀朱を採掘すると言っても、露天掘りと坑道堀りがあるからね。

黒歯國=黒い歯をした人々の国(関西の文化)
裸国=裸で過ごせるほど暖かいが、一方で未開な南方僻地の国
というように、名前そのものが情報源となっている。

儒という漢字には、小さいという意味があるから、
陳寿ら中国の知識人にとっては、
『侏儒國』という名前を聞いただけで、

あ、露天掘りじゃなくて、
坑道にかがんで身を低くして採掘に入ってるんだな、
というイメージが湧くわけだな。

さらにそれを補足する情報が、人長三四尺であり、
倭人の水銀朱採掘レベルは、原始的な露天掘りではなく、
坑道を掘って採掘するレベルに達している
そしてその坑道の高さは、70-90センチを維持できるだけの技術力なのだな。
と、当時の知識人には伝わったわけだ。

96日本@名無史さん2019/02/09(土) 17:14:56.14
徳島の宅宮神社の平安時代から続く神踊り

伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ

なぜ壱与をこんな片田舎で歌う?

97日本@名無史さん2019/02/09(土) 19:08:15.86
「天照大神(卑弥呼)の次に治世したといわれる壱与(いよ)を祀っている宅宮神社」

http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/08/112914

98日本@名無史さん2019/02/10(日) 13:13:28.69
延喜式内社で「伊邪那美命」が単独で祀られているのは「伊邪那美神社」一社だけで、その鎮座地は高越山山頂であったと一部では伝えられております。

伊邪那美命は埴山比賣(はにやまひめ)と弥都波能売(みつはのめ)の神を産んだあとに薨ったと日本書紀には記され、高越山が含まれる美馬郡には、この三神が式内社で祀られているという背景もあり…

その他に伊邪那岐命(いざなぎ)との争いの仲介役をした菊理比賣命、伊邪那岐命が投げた桃が神となった意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)が阿波町に祀られ条件が一致しているんです。

http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/07/005405

99日本@名無史さん2019/02/10(日) 15:27:52.73
その「菊理比賣命」を祀る神社

阿波市 阿波町勝命北に鎮座する「勝命神社」

御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)

「阿波誌」に「菊理祠勝命村に在り、旧事記に云ふ伊奘諾伊弉冉二尊、泉津平坂に相争ふ。菊理媛神白す事あり伊奘諾尊聞きて之を善とす」とあります。

菊理媛神(くくりひめのかみ)は、日本の神。加賀の白山や全国の白山神社に祀られる白山比盗_(しらやまひめのかみ)と同一神とされる。 wikipedia

http://goutara.blogspot.com/2012/11/blog-post_29.html 

100日本@名無史さん2019/02/10(日) 17:55:01.08
徳島県吉野川市山川町忌部山字白山

「白山(しらやま)比売神社」

石碑には「忌部社摂社 志良夜末比賣神社」とあります!!

「忌部神社」の七摂社の一つで、祭神は「伊佐奈美尊」です(*^_^*)♪

ここはイザナミ命の「遥拝所」・・・。

この「白山比売神社」の南西には「高越山」があり、山頂に「イザナミ」が祀られていると言われています♪

イザナミ命・イザナギ命の神号は海の霊物「イナサ(雄魚)」より名付けられたという説があり、イザナミ命の生前の名は「白山比売」であったという伝承があるそうです!!

https://sueyasumas.exblog.jp/17016171/

101日本@名無史さん2019/02/11(月) 18:02:57.42
忌部の郷 徳島県吉野川市山川町忌部山字黒岩 

「忌部神社旧社地 真立石(上古神社鳥居)」  @阿波

http://i.imgur.com/aaVKHYN.jpg

  

102日本@名無史さん2019/02/17(日) 09:40:38.03
もっと決定的な証拠が欲しい
どこを掘ればいいの?

103日本@名無史さん2019/02/18(月) 18:12:54.35
国の金を使えないの?

104日本@名無史さん2019/02/18(月) 19:07:08.77
>>102
「天石門別八倉比売神社」裏手の奥の院(円墳)  金印が埋納されている伝承。

>>103
ご神体だから、国の金でも無理なんだよ。  @阿波

105日本@名無史さん2019/02/19(火) 07:17:47.01
縄文の「朱」生産拠点
阿南・加茂宮ノ前遺跡
国内最大、最古級
祭祀と居住一体出土
阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、古代の祭祀などに使われた赤色顔料「水銀朱」を生産したとみられる縄文時代後期(約4千〜3千年前)の石臼や石きね300点以上や、
水銀朱の原料の辰砂原石が大量に出土した。
水銀朱に関連した遺物の出土量としては国内最多。生産拠点として国内最大、最古級だったことが明らかになった。
県教委と県埋蔵文化財センターが18日、発表した。
石臼の大きいものは直径30センチ。石きねは同約10センチ。生産した水銀朱を貯める土器、表面に水銀朱を塗った土器の破片や耳飾りが多く見つかり、
関連した遺物の出土数は1000点以上に上った。
水銀朱生産の一大拠点とされる三重県度会町の森添遺跡などでも縄文後期の石臼や石きねが見つかっているが、数十点にとどまる。
調査面積は約1万平方メートル。祭祀に使っていたとみられる石を円形に並べた遺構14基や住居跡2基も見つかった。
縄文後期の居住域と祭祀の遺構がまとまって確認できたのは西日本で初めて。
センターによると、辰砂原石は約5キロ離れた若杉山周辺から採取された可能性が高いとみられる。土器の模様には九州の土器に類似した特徴があり、
「当時から地域交流をしていたことがうかがえる」としている。
県教委などは2016年度から加茂宮ノ前遺跡を調査しており、弥生時代中期末〜後期初頭(約2千年前)の層から、鉄器や水銀朱の生産拠点とみられる集落跡を確認。
今回の発見で水銀朱の生産、利用時期は約1500年以上さかのぼることが明らかになった。
県教委教育文化課は「調査研究を進めて広く展示公開し、徳島の歴史や文化財に興味を持ってもらえるような取り組みを進めたい」としている。
2019年(平成31年)2月19日 徳島新聞朝刊

106日本@名無史さん2019/02/19(火) 07:18:22.70
極めて重要な発見
同志社大学文学部・水ノ江和堂(かずとも)教授(考古学)の話
縄文時代の遺跡が東日本や九州に比べてかなり少ない中四国の状況を示す極めて重要な発見。当時の水銀朱の生産、利用状況や集落構造を総合的に確認できる遺跡は他に例がなく、今後の研究につながる。遺構を切り取って復元などしてもらいたい。

107日本@名無史さん2019/02/19(火) 16:37:14.98
こう言っちゃあなんだが、
200年時点で所詮は九州の小国でしかなかった邪馬台国以前に
大和朝廷の発祥が、九州じゃなくて四国なんじゃないか?
これ、BC1000でも良いんだろ?
記紀書き直すぞwww

108日本@名無史さん2019/02/19(火) 17:13:35.12
阿波で二千年、京で千年 ですな

109日本@名無史さん2019/02/19(火) 18:49:39.26
>>107
淡路からって記紀にも書いてあるからな

110日本@名無史さん2019/02/19(火) 18:57:49.25
>>109
淤能碁呂島は淡路じゃないけどね。  吉野川中洲の粟島(善入寺島)。   @阿波

111日本@名無史さん2019/02/19(火) 19:01:47.39
>>110
この粟島(善入寺島)も忌部の郷のひとつ。  @阿波

112日本@名無史さん2019/02/19(火) 20:56:51.67
阿波文明は記紀より古いって話なんだけどwww

神話じゃなくって縄文人社会に国家形成に至る
文明が発生したって事実の話なんです。

朱とか青銅、鉄とか宝飾品とかは、
穀物より古い流通商品じゃないと思うんだけどね。

まあ、黒曜石とか翡翠は流通してるけど・・・
阿波なんだぞ。

113日本@名無史さん2019/02/19(火) 21:06:37.19
>>112
>朱とか青銅、鉄とか宝飾品とかは、
>穀物より古い流通商品じゃないと思うんだけどね。

まぁ実際、穀物は流通商品になるほど豊富じゃないよ。 自分が食べる分さえ、厳しかっただろう。
だから、新天地を求めて全国へ進出していったんだろうね、先進文化を携えて。  @阿波

114日本@名無史さん2019/02/19(火) 21:39:35.65
>>113
記事見てアースで確認しただけだけど、
吉野川じゃなくて、阿南の勝浦とか那賀川ってのは、稲作、荘園の好適地だね。
奈良遷都に繋がる古代文明発祥当然の背景有は有る。

弥生文化発祥もしくは縄文融合の起源は九州じゃなくて阿南だよ。
なんで、3世紀辺りで本州逝ったか? って言うと
伊勢や濃尾、関東方面への進出だろうね。

それ以前の吉備、瀬戸内海諸国との関係も気になるね。
朝廷だって、どっちみち、邪馬台国終了以降の
牛馬移入までは、統一国家とは言えんよ。

115日本@名無史さん2019/02/19(火) 21:46:51.03
>>114
>弥生文化発祥もしくは縄文融合の起源は九州じゃなくて阿南だよ。

だから、阿南は狗奴国(長国)。 強大国だよ。

>なんで、3世紀辺りで本州逝ったか? って言うと

3世紀じゃないよ。 7世紀末〜8世紀に奈良大和へ遷都。

>伊勢や濃尾、関東方面への進出だろうね。

それも「忌部はん」 だと、何度言えばw  @阿波

116日本@名無史さん2019/02/19(火) 21:56:41.98
>>115
なんでそんな九州東遷説みたいな、トンチキな時系列になる?

倭の五王は富国強兵の牛馬の移入と鉄の国内生産が成立した後の歴史だよ。
400年には、甲斐武蔵上州にも、勅営の御牧が進出し始めているんだけど。

邪馬台国の九州と朝廷の立役者四国は、
この中央集権の激変にちょっと取り残されてるみたいだね。

117日本@名無史さん2019/02/19(火) 22:03:20.36
>>116
その倭の五王も倭国(阿波)の王 だと、何度言えばw  

>邪馬台国の九州と朝廷の立役者四国は、

なんでそんな九州王朝説みたいな、トンチキな話になる?  @阿波  

118日本@名無史さん2019/02/19(火) 22:06:01.57
>>116
もういい加減、目を覚ましなさい。 時代は進んでいるんだよ。  @阿波

119日本@名無史さん2019/02/19(火) 22:15:34.14
阿波の古代地図とかありますか
阿波は筑紫からの移民ではないでしょうか

120日本@名無史さん2019/02/19(火) 22:20:36.85
だから、240年の九州の邪馬台国と
朝廷の倭の五王とは別の王朝でなければならない。
邪馬台国時代の 四国と朝廷と倭の五王は同じで良い。

日本の四国は邪馬台国以前の朝廷の構成要素であって
中国に残った歴史の 邪馬台国 だけが要らない。

九州の邪馬台国が本州四国勢力と合流したのは240年以降
これを証明しているのが、魏志倭人伝なんだよ。

121日本@名無史さん2019/02/19(火) 22:46:05.54
>>120
>だから、240年の九州の邪馬台国

それを言うのなら、それらしき遺跡を発掘してから言いなさい。 みっともない。

>朝廷の倭の五王とは別の王朝でなければならない。

もういい加減、目を覚ましなさい。 時代は着実に前に進んでいるんだよ。  @阿波

122日本@名無史さん2019/02/19(火) 22:53:55.33
で、BC200以前から
銅鐸文化の中心だった、阿波はどっから原料持ってきた?

九州ー壱岐―対馬ー巨済島以西の邪馬台国ルート では無く
宗像(土井ヶ浜でも)沖ノ島ー対馬ー釜山ルートではないのかな?

参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里
の邪馬台国は 宗像、仲間、直方、飯塚、行橋、中津、宇佐は 含まないな。

阿波阿南で銅鐸と鉄? 淡路島もだが、
そもそも、九州〜瀬戸内海ルートなんだろうか?

123日本@名無史さん2019/02/19(火) 23:01:52.56
倭人伝にこだわりすぎだと思う
四国は倭人伝に出てくる中国語の通じないその他の国では?
古墳にある石積みは福岡相島や戸畑にあった石積みと
同じルーツかも知れない
福岡にあったとされる企救国と同じルーツかも知れない
大量に水銀朱も使っている
企の文字を型取って5角形の石積みをしたかも知れない

でも四国はいったことないから・・・
すべて妄想ですからね

124日本@名無史さん2019/02/19(火) 23:14:40.70
>>123
それそれ、素晴らしい。GJ

四国の縄文水銀朱が240年までに どの程度九州で使われてたか?
それ以前でも、九州じゃなくても、銅鐸圏には普及するはずなんだ。
奈良に無い鉄器が、半島から四国経由で九州に来ることは無いよね。

間違いなく、阿波は凄い。

125日本@名無史さん2019/02/19(火) 23:20:41.67
>>122
>銅鐸文化の中心だった、阿波はどっから原料持ってきた?

まだ古代の銅採掘遺跡としては認められていないが、忌部の高越山にある高越銅山の可能性が高いと思っている。 


>そもそも、九州〜瀬戸内海ルートなんだろうか?

豊後水道・太平洋ルート。 卑弥呼時代は瀬戸内海ルートは使えない。  @阿波

126日本@名無史さん2019/02/19(火) 23:35:33.15
>>125
これは、卑弥呼の魏時の朝貢、魏使の2回の来日とは全く別の話なんだが

太平洋ルートだと阿南でナイスです。
徐福船団も相当数は、紀伊半島以遠まで来てると思う。
四国には案外付かなくないか?

だがしかし、九州で陸路? 乗り換え? 
これは無い。 フェリー無いからねwww

127日本@名無史さん2019/02/20(水) 00:02:30.01
>>125
阿波先生、すまない。
>魏使の2回の来日とは全く別の話なんだが

倭人伝の魏使の来日の話は、これ二回だけ、この二回だけなんだ。

阿波には、もしかすると、この倭人伝の4〜500年前で
数百年にわたって、恒常的に青銅や鉄が補給されていなければならない。
取りに行ってたわけで、倭人伝とは、別の次元の話だろ?

卑弥呼は238年〜247年、だけ、魏と交流を持ったという記録がある。
九州筑紫の21国の王に共立された、女王国の王である。

阿波は日本の祖の大和朝廷の一角ではないのかな?

128日本@名無史さん2019/02/20(水) 01:27:12.04
それ、前にも俺が同じ事を言って説得しようとしたんだけど
聞いてもらえなかったよ

邪馬台国さえ諦めてくれれば粟爺の知識は役に立つんだけどねえ

129日本@名無史さん2019/02/20(水) 06:17:28.38
>>126
>四国には案外付かなくないか?

四国に着かなくてどこに着く?

>だがしかし、九州で陸路? 乗り換え? 

四国へ行くんだから、当然そういうルートになる。 当時、瀬戸内海ルートは使えない。

>これは無い。 フェリー無いからねwww

倭国(阿波)の和船はなにも一艘だけじゃないんだよ? 
常に頻繁に半島と行き来してるんだから。
海人族を侮ってはいけない。 航海術もさることながら、同時に造船技術も持ち合わせてる。  @阿波

130日本@名無史さん2019/02/20(水) 06:26:27.91
>>127
>阿波には、もしかすると、この倭人伝の4〜500年前で
>数百年にわたって、恒常的に青銅や鉄が補給されていなければならない。

もちろん、半島とは恒常的に通交していただろう。 


>卑弥呼は238年〜247年、だけ、魏と交流を持ったという記録がある。

常に半島へ出入りしていたから、中国と誼を通じたんだろう。

>九州筑紫の21国の王に共立された、女王国の王である。

九州はまったく関係のない話。 卑弥呼は粟国(県北地域)内で共立?された女王。   @阿波

131日本@名無史さん2019/02/20(水) 10:15:08.51
>>104
2番目はどこ掘ればいいの?

132日本@名無史さん2019/02/20(水) 18:52:27.36
阿波海人族の力量を示す事実
 1)日露戦争時、ロシアバルチック艦隊の来航を東シナ海・太平洋両方面で
   見張っていたのは阿波の漁民の方々が主体である
 2)朝廷が東京へ遷都した後、神奈川三浦半島の三浦漁港が開かれたが、この
   漁港の創設者は阿波徳島の方
   近海マグロ業が盛んであった阿波南部の漁民の方々が、関東への新鮮なマグロ
   提供の為開港したもので、現在でもマグロ水揚げ漁港として有名である

133日本@名無史さん2019/02/22(金) 20:46:25.31
今日8時から日テレで徳島でてたわ
三好、大歩危小歩危、ヒララ、ヒララヤキ
阿波氏は判るかな

134日本@名無史さん2019/02/22(金) 23:05:43.35
以前、なんかで見た記憶がある。 名前は失念していた。  @阿波

大歩危の河原で幅1メートルの石を熱して味噌で土手作り、合わせ味噌を土手の中にいれ岩豆腐、アマゴなどを入れ酒で味を整える。
焦げ目がついたらひらら焼きの完成。

135日本@名無史さん2019/02/24(日) 08:13:59.70
古代の祭祀などに使われた赤色顔料「水銀朱」を生産したとみられる縄文時代後期(約4千〜3千年前)の石臼や、水銀朱の原料の辰砂原石などが大量に出土した阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡。

辰砂原石などの発見で、水銀朱の生産、利用時期が1500年以上さかのぼることが明らかになった。

また、水銀朱の生産拠点だったとされる竪穴住居跡や、祭祀に使っていたとみられている円形配石遺構など、縄文社会の解明に大きな役割を果たす。  @阿波

136日本@名無史さん2019/02/25(月) 18:16:57.49
応神町って名前あるのは徳島だけかな?

137日本@名無史さん2019/02/25(月) 18:19:01.62
千代ヶ丸山に反正天皇の御陵があるみたいだが
碑すらない
なんとかならんの

138日本@名無史さん2019/02/25(月) 18:48:16.12
【徳島市大原町千代ヶ丸山 観音山古墳は、反正天皇の御陵跡であった】
元禄年間に徳川幕府から「阿波淡路右両国之内、古代之天子葬之場所有之由ニ候云々」として阿波で古代天皇の埋葬が行われた痕跡を徳島藩に調査させている。

元禄十四年四月二十四日(同日)、勝浦郡大原村千代ヶ丸の観音山古墳を徳島藩普請奉行 猪子理五郎等が掘り出した時の記録も残っている。

『(元禄)同十年十一月十九日、土屋相模守殿、御留守居呼出左之書付御渡、 覺  阿波淡路右兩國之内、古代之、
天子葬之場所有之由に候、淡路國三原郡有之旨に候、場所吟味有之候䔡其所に矢奈等被申付、雑人不入込候様可被申付候(中略… )
同十四年四月廿四日、勝浦郡大原村千代ヶ丸觀音山へ、普請奉行猪子理五郎、森脇彌五兵衛罷越、石之櫃堀出し申處に、内に右左品々有之、
一、石櫃長九尺八寸、深貮尺九寸、幅三尺餘、切ふさ貮枚、むぎ合に仕、内樋有之、
一、しやれかうべ貮つ、長サあぎとまで壹尺四寸、丸サ三尺七寸廻り、兩眼の間三寸、
一、上下の齒長さ八分、左奥齒より右之奥齒まで壹尺四寸、兩方の耳幅長さ壹尺五分、
一、今一つかうべの儀は不分明
一、刀一腰長さ六尺八寸、幅貮寸五分、
一、釼二振有之内一振は長五尺五分、幅三寸五分、今一振は長壹尺五寸、幅三寸五分、
一、鉾一、長さ貮尺は丶七寸、石突八寸、
一、矢根廿五本有之、長壹尺貮寸、幅三寸、
一、からうとの内かうや貮つに書付添、
右之通 以上』

「古代天子葬之場所有之由の候… 」 この記述から、徳川幕府は阿波国に古代天皇陵が存在することを知っていたことになる。

反正天皇は「古事記」に「御身の長(たけ)九尺ニ寸半、御歯の長さ一寸、広さニ分、上下等し斉(ととの)ひ、既に珠を貫けるが如くなりき。」
と記録されているが、こちらの記録と千代ヶ丸 観音山古墳の埋葬者の身体サイズときちんと一致している。

徳島市は大原町千代ヶ丸。この千代ヶ丸山 観音山古墳は、実は反正天皇の御陵跡であったのである。

139日本@名無史さん2019/02/25(月) 23:24:35.62
今も昔も徳島にはおかしな奴が多かったってことだな

140日本@名無史さん2019/02/26(火) 07:29:20.39
>>138
> 「古代天子葬之場所有之由の候… 」 この記述から、徳川幕府は阿波国に古代天皇陵が存在することを知っていたことになる。

今も昔も徳島にはおかしな「場所・謂れ」が多かったってことだな。  @阿波

141日本@名無史さん2019/02/26(火) 18:58:16.23
阿波に継体天皇の痕跡はない

142日本@名無史さん2019/02/26(火) 20:17:44.96
で、どこに、どんなすごい痕跡があるの?  @阿波  

143日本@名無史さん2019/03/01(金) 10:41:25.98
邪馬台国四国説は平然とデータの改竄を行うことを前提としたトンデモ説であり、学説ですらありません。

大前提として、魏志倭人伝には「南、邪馬壹国に至る」とあるのを無視して「東、邪馬台国に至る」と
方向も国名も改竄するところからスタートしているのですから。
これと同じことを理系の研究論文で行ったら、即レッドカード(退場)です。
それ以前に、論文掲載を拒否されるでしょう。

この一点だけでも、邪馬台国四国説は研究不正の所産であり、学説(学問的仮説・学問的態度)に値しないことは明白です。

144日本@名無史さん2019/03/01(金) 18:19:47.29
俗称邪馬台国九州説、畿内説こそ馬鹿げた妄想説だよ
いい加減に覚醒したほうが良いよ
距離・方向を勝手気ままに自説に都合よいよう改竄しているのは明らかでしょう
そもそも「邪馬台国」など存在しない国名を使うんじゃないよ
中国原典は「ヤマト」と読まざるをえない表記がほぼ全てでしょう
下らん解説書ではなく原典を自分で解読しなさい、能力があればね

145日本@名無史さん2019/03/01(金) 18:24:43.91
>>144
「南、邪馬壹国に至る」
これは覆らないのだから四国は非現実的だろマヌケ

146日本@名無史さん2019/03/01(金) 19:32:57.12
開花天皇の義母は高屋阿波良姫

阿波の名前はここから取ったのでは?

147日本@名無史さん2019/03/01(金) 21:43:50.97
>>146
>阿波の名前はここから取ったのでは?

阿波国の前は粟国だったからね、読みは「粟」からだろう。  @阿波

148日本@名無史さん2019/03/02(土) 12:02:32.94
倭人伝の記述が概ね正しい→阿波説
倭人伝の記述に多少の誤差がある→畿内説・宇佐説・肥後説
倭人伝は国名くらいしかあてにならない→筑紫説・筑後説

149日本@名無史さん2019/03/02(土) 12:28:18.31
>>148
「南、邪馬壹国に至る」
これは覆らないのだから四国は非現実的だろマヌケ

150日本@名無史さん2019/03/02(土) 12:36:09.02
南水行10日で四国南西岸上陸、陸行1月でちょうど阿波
使者は文官だろうし荷物や雨の日があったりと考えたら移動速度はアベレージで一日10kmくらいじゃないの?

151日本@名無史さん2019/03/02(土) 12:45:31.44
「南、邪馬壹国に至る」
これは覆らないのだから四国は非現実的だろマヌケ

誰もこれを反証しないんだな

152日本@名無史さん2019/03/02(土) 12:48:11.56
徳島に最古の鉱山遺跡か 卑弥呼も入手?「朱色」の原料

朱色の原料である辰砂(しんしゃ)と呼ばれる鉱物の採掘跡とされる
徳島県阿南市の若杉山遺跡で、弥生時代後期(1〜3世紀)とみられる
土器片がみつかった。阿南市と県教委が1日発表した。
この時期にすでに採掘が始まっていたとみられ、
国内最古の鉱山遺跡となる可能性が高まったとしている。

 市文化振興課などによると、辰砂は水銀と硫黄の化合物。
古代には辰砂を含んだ岩石を砕き、死者の顔や棺(ひつぎ)、
古墳の石室などに塗った。朱は権力の象徴とされ、
3世紀の中国の三国時代の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」によると、
倭(日本列島)の山では丹(辰砂)が採れ、
女王卑弥呼が中国王朝に丹を献上したとされる。

 若杉山遺跡は全国唯一の辰砂の採掘遺跡。坑道跡とみられる
横穴や露天採掘場所などが確認されていた。今年度の調査で、
若杉山の山腹(標高245メートル)の坑道跡
(高さ0・7〜1・2メートル、中心部の幅約3メートル、奥行き12・7メートル)で複数の土器片が出土。
このうちの5点に弥生時代後期の土器の特徴がみられた。
国内の鉱石採掘跡は山口県美祢市の長登(ながのぼり)銅山跡(8世紀ごろ)が
最古とされてきたが、500年以上さかのぼることになる。

153日本@名無史さん2019/03/02(土) 13:13:01.09
「南、邪馬壹国に至る」
これは覆らないのだから四国は非現実的だろマヌケ

誰もこれを反証できないんだな

154日本@名無史さん2019/03/02(土) 16:08:18.22
話についてこれないのが居るな。
魏志倭人伝の記述をきっちりなぞるってのが難しすぎるの?

155日本@名無史さん2019/03/02(土) 16:44:10.23
「南、邪馬壹国に至る」
これは覆らないのだから四国は非現実的だろマヌケ

魏志倭人伝の記述をきっちりなぞれないからこんな事を言われてるんだろ

156日本@名無史さん2019/03/02(土) 17:25:43.14
>>149
>「南、邪馬壹国に至る」
>これは覆らないのだから四国は非現実的だろマヌケ

「南にいくと邪馬台国に至る」
宿毛辺りを南へ出航したんだね。  ワハハハハ  @阿波  

157日本@名無史さん2019/03/02(土) 17:36:40.87
>>156
さすがにそれはダメだろw
やり直せ

158日本@名無史さん2019/03/02(土) 17:45:02.86
>>157
>さすがにそれはダメだろw

ダメもなにも、「其山有丹」で倭国(阿波)に決定済みなんだから、無茶言っちゃいけね〜よ。  @阿波

159日本@名無史さん2019/03/02(土) 17:50:41.76
>>158
魏志倭人伝を無視して水銀だけで主張するほうが無茶を通り越して無謀だろマヌケwww

160日本@名無史さん2019/03/02(土) 18:02:43.22
>>159
>魏志倭人伝を無視して水銀だけで主張するほうが無茶を通り越して無謀だろマヌケwww

魏志倭人伝に「其山有丹」ってあるんだから、無視なんかしていないわね。   無茶言っちゃいけね〜よ。  @阿波

161日本@名無史さん2019/03/02(土) 18:49:55.62
倭人伝の記述を無視して、500里の唐津に行くから後が続かないってのが理解できないみたいだな。
壱岐から1000里→東南に500里→東に100里→南に船で10日、陸を一月で邪馬壹国
短里で当てはめたら阿波につく。何も小難しく考えるh津用はない。

162日本@名無史さん2019/03/02(土) 19:02:42.82
>>161
そうですね。

狗邪韓国(巨済島南端)→対馬国(対馬島北端) 千余里(70km)1里=70m
対馬(対馬島南端)→壱岐(壱岐島北端) 千余里(50km)1里=50m
壱岐→末盧国(福津市辺り万津浦)千余里(70km)1里=70m
女王国(鳴門)→東の倭種国(和歌山)千里(50km)1里=50m

帯方郡→女王国(阿波)万二千里(900km)1里=75m

∴1里=70、6mは、概ね妥当。  @阿波

163日本@名無史さん2019/03/02(土) 21:21:15.83
>>160
都合の良いとこだけしか採用しないんじゃ畿内説信者と同じく妄想でしかないやんけ

164日本@名無史さん2019/03/02(土) 21:40:10.94
>>163
>都合の良いとこだけしか採用しないんじゃ

それは、そっくり九州説。
倭国(阿波)はすべて都合よし!  ワハハハハ   @阿波

165日本@名無史さん2019/03/02(土) 21:53:27.64
倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。
皆、徒跣。屋室有り。
父母、兄弟は異所に臥息す。
朱丹を以ってその身体に塗る。
中国の紛を用いるが如し。

男子は大小無く、皆、黥面文身す。
古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。
夏后少康の子は会稽に封ぜられ、断髪文身して、以って蛟龍の害を避く。
今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み
文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。
後、稍に以って飾と為る。諸国の文身は各に異なり
或いは左し、或いは右し、或いは大に、或いは小に。尊卑差有り。
その道里を計るに、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”) の東に在るべし。

女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が
倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。

「魏書」第30巻『 魏志倭人伝 』 普平陽侯相 陳寿撰

神々からの日本最古の捏造教科書とされる古事記や日本書紀には記述されてないが
致密かつ高度な中華文明を生み出した古代中華帝国漢人官僚には正確に記述されてた
神々しい伝説の邪馬台国や女王卑弥呼、倭人達の倭国群は日本の何処にあったんだろう?

166日本@名無史さん2019/03/02(土) 22:04:46.02
>>164
けっきょく邪馬台国の比定地なんて妄想ごっこでしかないわけか・・・

167日本@名無史さん2019/03/02(土) 22:06:12.45
>>165
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     -='゙ l::::l::::;':. l:::::l               ` ゙、.,,_,,.``ヽ、   こんなところまで
     __) l!゙,l:::;'-、 ';::::!          ,.-‐‐:、    l `ヽ、  \ 朝鮮ヒトモドキがっ!!? 
      ヽ. !:l:::l/-ヽ.゙;::',    U    /:::::::::::r=‐'''"´`''‐,.-゙'‐-、ヽ.
       ) ゙!::l l"''、l ヾ゙:、   u     l:::::::::::::::`'''‐‐''''‐i'゙  ,,..、  `\
         l:::l,ヽ、_,  ヾ;\       ゙、.,,_ノ/ ̄ ̄ノ /ヽ. `   \     ____
     /    !::l:゙ヽ、. ,、 ヾ、;、         ゙'‐''"7'゙/ /゙ヽ       \ _,./´-、ヽ.`´ ̄``
   / /  l::l``;::,`´:ヽ、  `ヾ:;、.,__   ::::   / `'''゙  \   ゙、   ヾ;‐、''-、゙; ヽ\::`
    /  / l:l ";'::;'::';';! `''‐ 、.,_` ̄      / r'゙´ ̄ ̄``'''‐、 ゙、    ' l  l:::! ゙、 ヽ`
.       /  l:!  !:;'::!::::;!     ``'''‐‐---┬'゙   `'''''''''‐-、      ゙、   ./  l:::l 

168日本@名無史さん2019/03/03(日) 11:31:20.86
その説、ネットで見た。

169日本@名無史さん2019/03/03(日) 17:13:53.73
南、至邪馬壹国
この記述にて阿波説を排除しようとしているようだが
南へ行く起点はどこなの?
投馬国を意味しているんだろうが、投馬国自体特定されているのかね?
君のおむつの中では別として、一般的にこの国の所在地は確定していないよ
したっがて「南、至邪馬壹国」の文脈での論の展開は意味をなさない
ごめん、「君のおむつ」でなく「君のおつむ」だった
昨日のNHK全国ニュースでの若杉山遺跡の話は大変興味深いものである
徳島からの発信を積極化してもらいたいね、関東から応援しています

170日本@名無史さん2019/03/03(日) 19:17:24.10
なにやってんねん徳島
3/3(日) 18:53配信 共同通信
和牛の受精卵と精液が不正に中国に持ち出された事件で、
大阪府警が受精卵の流出元として徳島県内の畜産農家を家宅捜索していたことが3日、
捜査関係者への取材で分かった。

外部リンク:headlines.yahoo.co.jp
6: (大阪府) [US] 03/03(日)19:03 ID:JxkXSZGy0(1) AAS
やっぱ徳島土人ってクソだな
7: (catv?) [CL] 03/03(日)19:05 ID:TPQ1lgFt0(1) AAS
こういうのはどんどん取り締まれ
10: (長野県) [CN] 03/03(日)19:07 ID:5tsWN8tH0(1) AAS
さすが売国奴仙谷由人のお膝元だぜ!
13: (茸) [ニダ] 03/03(日)19:09 ID:xXsArTnD0(1) AAS
これ経済的ダメージで言ったら農家のおっさん1万人56したくらいの威力あるからな

極端なこといえば死刑でもおかしくない案件

171日本@名無史さん2019/03/03(日) 21:39:24.51
>>169
>徳島からの発信を積極化してもらいたいね、関東から応援しています

千葉県人さん、有難うございます。
徳島からの発信として、近く倭国(阿波)を広めるためのコミックが出るようです。 面白い企画に期待しています。  @阿波

172日本@名無史さん2019/03/03(日) 22:00:02.69
泡フリーク的には倭国と倭奴国と邪馬台国は同一視な感じ?

173日本@名無史さん2019/03/03(日) 22:14:01.45
>>172
>泡フリーク的には倭国と倭奴国と邪馬台国は同一視な感じ?

邪馬台国=女王国=粟国(阿波北部)
狗奴国=長国(阿波南部)
倭人伝時代倭国(阿波)=粟国+長国+東讃+南淡程度    @阿波

174日本@名無史さん2019/03/03(日) 22:15:29.42
>>173
倭奴国は?

175日本@名無史さん2019/03/03(日) 22:17:57.39
>>174
>倭奴国は?

倭国(阿波)のことでしょう。  @阿波

176日本@名無史さん2019/03/10(日) 17:09:30.96
チョット長い文だけど
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/11101130/?all=1 

阿波さんの見立てはどうよ?

177日本@名無史さん2019/03/10(日) 17:47:12.37
>>176 阿波さんの見立てはどうよ?

>淡路島はイザナキとイザナミが磤馭慮(おのころ)島の次に生んだ土地だ。

そもそも、これが間違い。 磤馭慮(おのころ)島は忌部の郷の粟島。


>また、伊勢内宮(三重県伊勢市)と淡路島の伊弉諾(いざなぎ)神宮(兵庫県淡路市)、そして葛城山は同緯度線上にあって、聖なるラインを形成している。

そういう、オカルトめいた話は意味ないから。


>この、光と影を、どう説明すれば良いのだろう。

もともと、淡路島に光など当たっていなかったってこと。


>淡路島に鉄の素材を流していたのは、出雲だろう。

そんな遠くから来なくとも、倭国(阿波)からだよ。 もっとも、淡路島は倭国(阿波)の島なんだけど。


>弥生時代の最先端地域は北部九州で、朝鮮半島の鉄を独占的に入手していた。

鉄を独占的に入手していたのは、倭国(阿波)だよ。 倭国(阿波)にいくつ鍛冶炉遺構が在ると思ってんの?


以下略。  @阿波

178日本@名無史さん2019/03/10(日) 18:36:00.47
やっぱり怒ると思ったよ

古代語で魚の事を(な)と発音したらしいんだけど

魚=な=奴ってことかな
奴=委なのかな
わかりますか?

179日本@名無史さん2019/03/12(火) 20:52:53.86

180日本@名無史さん2019/03/12(火) 22:58:13.97
クマ除けだろ

181日本@名無史さん2019/03/13(水) 15:28:35.85
いろいろ畿内に盗まれたんだろうね
vs東京でなくvs畿内でいけよ

182日本@名無史さん2019/03/13(水) 17:34:05.68
賛成。 vs東京で徳島をアピールするより、徳島の古代の財産をアピールに使うべき。  
絶対、これはどこにも勝つんだから。  負ける心配が無いんだから。   @阿波    

183日本@名無史さん2019/03/14(木) 18:20:34.14
阿波時代以前は九州の時代だろう
文明は西から東へ伝わって行ったからな

184日本@名無史さん2019/03/14(木) 18:49:54.67
>>183
>阿波時代以前は九州の時代だろう

「九州の時代」って、どういう意味なんだろうね。  
まず、九州ってどこの地域? 九州全体?   @阿波

185日本@名無史さん2019/03/16(土) 14:43:36.23
「深曽木の儀から考察」
深曽木の儀では、童形服を着て、右手に桧扇、左手に小松と山橘を持ち、それに先立つ着袴の儀で男子は滝の意匠をあしらった和服である落滝津の御服の上に白絹の袴を着付けます。
そして、青石(あおいし)二個を踏み、南側を向いて立ち、御用掛が髪をくしですきそろえ、はさみで毛先を少し切ると、日置盤からぴょんと飛び降りるのです。
これは高天原から天照大御神の孫、つまり天孫が葦原中国の支配者として降臨した様子を模した儀式がこの深曽木(ふかそぎ→みそぎ)の儀であると思われるのです。
この山橘は恐らく酢橘か柚で、共に阿波で産するものの象徴でもあり、青い石は、阿波で採れる青石=多くの古墳等の積石に使用されているもので、これも阿波を象徴するものです。
そして私が注目したのは、「南の方角へ飛び下りる」ということ、つまり高天原から南方へ降臨したということを意味するものではないでしょうか。
実際は高天原がどこにあったのかはわかりませんが、あくまで徳島県に高天原があったとするならば…ということで、
その場合、霊峰剣山を中心にとした1000m超級からなる剣山系の山々から南方へ下ったということになります。
https://ameblo.jp/marine816/entry-12314233650.html

天皇家は今でも「陸稲と粟」に関わってるんだね。  感動。  やはり倭国(阿波)。
弥生の大洪水により、卑弥呼時代は灌漑稲作が壊滅状態だったからね。 だから、陸稲や粟などの雑穀が主食。  
本来なら「麻」こそ、お手播きされたいんだろうけれど、今のご時世じゃあねwww   @阿波 

186日本@名無史さん2019/03/17(日) 18:13:26.64
高天原で素戔嗚が畔を壊すなど乱暴を働き追放される話があります
平地にある田圃の畔を壊しても被害は少ないですが、棚田の場合は被害は甚大です
上方の田から下方の田へ被害が連続的に拡大します
高天原比定地で棚田での稲作栽培地は徳島佐那河内の棚田に代表されますよね
佐那河内の山中には、天の岩戸神話で活躍するタジカラオの陵と伝わる古墳があります
古事記に記された「佐那の県」の地名と符合しています

187日本@名無史さん2019/03/17(日) 18:27:35.58
古事記には、天照大御神が石屋戸隠れをした時、八百萬神が集い神楽などで大神を誘い出し、この時手力男命が大神の手を取りて引き出したと記されている。

この手力男神は「佐那県に坐す」との記述とおり佐那河内村牛木屋(古代には佐那の県または狭長村と呼ばれていた)に祭られている。

https://sueyasumas.exblog.jp/23490705/

188日本@名無史さん2019/03/17(日) 18:53:23.71
スサノオとソナモリについては
どう思うの  
 

189日本@名無史さん2019/03/17(日) 18:59:03.62
もしかしてソナモリ→佐那モリかな?
ソナモリは韓国カヤって話も多いけどね

190日本@名無史さん2019/03/17(日) 20:34:37.16
ヒナモリじゃなくて?

191日本@名無史さん2019/03/18(月) 19:30:06.15
@阿波さんへ
仰せのとおり千葉県人です  なぜ判りましたか?
一つ提案です
本年は今上陛下のご譲位と新天皇陛下のご即位があります
秋には陛下にとって最重要な践祚大嘗祭が執り行われます
正に阿波忌部族の務める一大行事の年になります
お願い事ですが、徳島蜂須賀家・江戸徳川家に存在していたと噂される
阿波風土記は恐らく宮内庁書陵部に保管されているのではないかと思慮していますが
徳島県人の請願にて宮内庁に情報開示を求めて頂きたいと願います
署名運動等出来ないものでしょうかね?

192日本@名無史さん2019/03/18(月) 19:38:08.18
ユダヤとの関係がバレるので無理

193日本@名無史さん2019/03/18(月) 20:42:05.75
>>191
>署名運動等出来ないものでしょうかね?

千葉県人さん、遠くから声援ありがとうございます。
残念ながら、今現在では徳島県人に千葉県人さんのような熱意がないのが現状です。
いや、熱意がないというより、徳島県人自体が真の古代阿波の歴史を知らないのです。 
徳島の郷土史家の中でも、阿波説に耳を貸さない人も大勢います。 「まさか阿波が」という感覚です。
今の段階では、署名運動等は無理でしょう。
そのため、地道に、真の阿波古代史延いては真の日本古代史の啓蒙に努力してくれている団体が複数存在しています。
まず、徳島県人自体の歴史認識を変えるのが先決だと思っています。   @阿波


 

194日本@名無史さん2019/03/18(月) 21:50:38.64
阿波説の徳島人結構居るようですが、それぞれの交流とかあんまり無いんですか?
https://youtu.be/MzfWzToAyk8
この人たちとか

195日本@名無史さん2019/03/19(火) 06:25:50.66
>>194
今は特に交流しているようには見えませんね。 基本的には同じですが、多少、考え方の違いもあるようです。   @阿波

196日本@名無史さん2019/03/19(火) 13:15:20.13
立石が市長になったら少しは変わるよ

あと四国放送は阿波古代史をもっと取り上げて宣伝しないとな

197日本@名無史さん2019/03/19(火) 14:40:05.37
宣伝という手法は宮崎県とか島根県と同類になるから良くないと思う。
神社の古記録・江戸期以降の行政記録(村史など)・阿波国造家の子孫に伝わる文書・
民間の伝承・古代地名等少なくともコマーシャルベースで毒されていない事実に基づいた
良質の番組作成が望まれる。

198日本@名無史さん2019/03/19(火) 16:07:41.12
近く、コミックがでるようです。
コミックなら、連載しながら歴史に興味のある若者を中心にじわじわ浸透していくかも。 
少なからず阿波説の認知拡大に期待しています。  @阿波

199日本@名無史さん2019/03/20(水) 15:35:25.48
テレビの邪馬台国論争はいつも畿内vs九州
四国は蚊帳の外
悔しくないのか?

200日本@名無史さん2019/03/20(水) 17:53:26.10
テレビ番組の大部分はプロデューサーが作るもの
日本の問題はプロデューサーの質の悪さ
民放番組の程度の低さは君も知ってんだろう???
程度の酷い彼らの作る番組に君が満足しているのであれば君の程度も知れちゃうね

201日本@名無史さん2019/03/20(水) 18:41:18.74
>>200
>民放番組の程度の低さは

NHKもだね。  邪馬台国番組に出る識者って、阿波について無知なのか無視なのか、なんか無様だね。   @阿波

202日本@名無史さん2019/03/20(水) 18:49:44.27
テレビによく出る、古代史学者が阿波の遺跡にコメントしないって、かえって変だよね。   @阿波

203日本@名無史さん2019/03/20(水) 22:32:33.20
TVの内容は酷いけど悪名は無名に勝るではないが
低俗でも取り上げられないよりはマシなんだよ

204二本2019/03/21(木) 12:43:12.87
その様な無自覚の視聴者が益々テレビ番組を劣化させているんだよ
日本の将来をよく考えよう
その程度の人間をターゲットとして、メディア・政治屋が食い物にしてんだよ

205日本@名無史さん2019/03/21(木) 19:14:19.02
徳島は観光、魅力度ワーストで使えるもんは使って村おこししていかないといけない
じゃないと徳島はそのうち消滅する、もう時間はないんだよね
ってそのあたりの実情は徳島人でないとわからんだろね

206日本@名無史さん2019/03/21(木) 21:40:19.08
@阿波さん
徳島県人の支持も高くなさそうですね、残念です。
大都会近在では住民の大半の方々は昭和以降に地方より転居してきた人々及びその方たちの
子孫です。私の勤務先にも徳島出身者の社員・徳島にルーツを持つ社員が沢山います。
逆に地方都市の住民の方は古代より生活されてきた人々の血族の方々が大半でしょう。
とすると、阿波風土記は古より徳島に生をうけた人たちにとって自分の先祖の物語・
自分たちの歴史書でもあります。
自分たちの歴史書の有無を宮内庁に問い合わせる権利はあるのではないかと思うのですが
無理でしょうかね?  役に立ちそうな政治家はいませんかね。
徳島消滅を危惧されている人もいるようですが徳島県人の血を継ぐ人は関東にも沢山いますよ。
皆さん徳島に愛着を持たれています、念の為。

207日本@名無史さん2019/03/23(土) 17:14:15.76
後藤田正純は忌部の末裔

後藤田の家というのは、こうした神話の地域をルーツとする忌部(いべ)族から分かれたと
言われておりましてね、私の父で十七代目だそうです。
私は兄がいますから、(後藤田家)十八代目ではありませんが、
それでも徳島、阿波の国のルーツを構成するところの末(裔)にいさせてもらっているのです。
私にはやはり、徳島の“血”がしっかり流れているのです

208日本@名無史さん2019/03/24(日) 09:13:41.19
小松島商工会議所が動き出した!
https://www.awakoku.com/

でも見るのは歴史マニアだけ
TVでじゃんじゃん放映して啓蒙しないとね

209日本@名無史さん2019/03/24(日) 10:36:39.22
>>208

この団体(NPO法人阿波国古代研究所)から、年内にはコミックを発刊するようです。

コミック 「よみがえる皇都」 JTB出版   

着々と動き出しましたね。   @阿波 

210日本@名無史さん2019/03/24(日) 12:10:00.80
絵が心配
今風の絵でないと若者は読まない

211日本@名無史さん2019/03/24(日) 12:58:24.00
幼児には漫画は難しいから
邪馬台国時代の阿波をCGで再現できないかな?

212日本@名無史さん2019/03/24(日) 19:06:46.07
小松島商工会議所の該当箇所拝見しました。
小さな一歩ですが意義はありますね。
ただ細目記事は現地のお店に行かなければならないようで県外者にとってはハードルが
高いですよ。
より利用しやすくする方法を考慮すべきですね、さらに検索でヒットされやすい技法導入が
必要です。
これでは効果が限定的です。
又、小松島だけでなく徳島の他地域との連携が必須でしょう。
県の主導が望まれます。
何度も古のロマンを求めて徳島を訪問しましたが当該場所が非常に分かりづらいです。
案内板もなく道も当然ながら整備もされていません。
特に四国山中に車で乗りいれると最悪ですよね。
徳島県神社庁は少なくとも式内社と比定されている神社の由緒書を整備しなければ
いけないでしょう。
今年も訪問をしたいと思っていますが神社・古墳。遺跡等を網羅した地図が望まれます。

213日本@名無史さん2019/03/27(水) 12:23:49.75
観光化して、観光客を集めて、税収上げて、発掘のサイクルを作りたい

214日本@名無史さん2019/03/27(水) 21:07:40.29
宮内庁に情報開示を求めたら、不倫は不問にするよ>後藤田

215日本@名無史さん2019/04/02(火) 18:30:14.11
阿波の国の概説
http://www.infokkkna.com/ironroad/2010htm/iron6/10iron04gaisetsu01.pdf

他説を凌駕する、倭国(阿波)の圧倒的考古資料   @阿波

216日本@名無史さん2019/04/03(水) 07:08:50.26
※各地の風土記のうち、「天地初発より記された」風土記は、阿波国風土記のみである。   @阿波

「阿波国風土記」  @阿波  
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

217日本@名無史さん2019/04/03(水) 17:59:30.49
徳島市国府町府中の式内社 「大御和神社」は神社拝殿上に「文武天皇(七〇二年)の御宇、この閤宮(こうのみや)より、国璽の印と国庫の鍵を差し出した」と記されている。

(国璽の印とは国家の表章として押す宮印で、帝都が阿波にあったことを証明するもの)  @阿波

http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/02/03/231418

218日本@名無史さん2019/04/04(木) 07:15:44.60
「阿波淡路右両国之内、古代之天子葬之場所有之由云々」

http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/01/12/225133

219日本@名無史さん2019/04/04(木) 10:36:23.57
蓮華谷古墳群(U)二号墳

「蓮華谷古墳群」

当物件は、平成2年に四国縦貫自動車道建設に伴い発掘調査された板野郡板野町犬伏所在の蓮華谷古墳群(U)二号墳の出土品である。

調査により古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)の粘土槨を持つ円墳であることが判明し、本県の粘土槨の始原を考える上で重要な古墳である。

副葬品には銅鏡1、鉄製武器工具(鉄刀1、鉄剣1、鉄斧1、鉄鉇1)、装身具(翡翠勾玉1、碧玉管玉11)、土師器壺1があり、徳島県立埋蔵文化財総合センターで展示されている。

前期古墳の出土資料は全国的にみても数少なく、特に銅鏡は仿製鏡の古墳への副葬開始時期を考える上で重要な資料である。

蓮華谷古墳群(U)二号墳出土品

http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/renge.html

220日本@名無史さん2019/04/04(木) 12:10:38.08
ぱっとしない
もっとインパクトある発掘はないの

221日本@名無史さん2019/04/04(木) 13:23:03.25
>>220

じゃ、「インパクトある発掘」ってなに?   挙げてごらん。   @阿波

222日本@名無史さん2019/04/04(木) 17:58:06.23
大代古墳は全長約54mの前方後円墳

後円部南北径31m・東西径45m  前方部長23m、くびれ部幅18m、前方部前面幅21m、墳高は後円部6.7m、前方部3.3m

前方部、後円部とも2段築成 葺石はあるが、全体ではなく、裾部を列石状に区画している程度。

円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪、盾形埴輪の破片が出土(第1段テラス上や前方部墳頂に円筒埴輪列があり、後円部墳頂に形象埴輪が並んでいたと考えられている。)

後円部頂に南北方向に南北約7.4m、東西約4.5m残存深さ約80cmの墓壙の中に内法で長軸3.7m、北小口幅1.1m、南小口幅1.0mの竪穴式石室があり、その中に刳抜式石棺がある。

石棺内から、滑石製臼玉28・緑色凝灰岩製管玉1が出土した。

原位置から移動した遺物は、鏡片、装飾品(管玉・臼玉) 武器(鉄鏃・銅鏃・鉄剣片・鉄刀片・鉄鉾片)武具(短甲片) 農工具(鋤先・鉄鎌) 工具(鉄斧・刀子・ヤリガンナ・鉄鑿)など。

石棺の石材は、さぬき市津田町火山産の白色凝灰岩。4世紀末の築造と推定されている。さぬき市津田町「岩崎山4号墳」より少し新しい古墳とみられている。

223日本@名無史さん2019/04/04(木) 19:14:14.11
「加茂宮ノ前遺跡」
朱の生産国内最大・最古

Q 遺跡ではどのようなものがみつかったのですか。
A 水銀朱を生産したとみられる石臼や石きねが約300点。辰砂原石や表面に水銀朱を塗った土器の破片、耳飾りなどの関連遺物も多く、出土数の合計は約1000点になりました。
また、祭祀に使っていたとみられる石を円形に並べた遺構16基と住居跡2基も見つかりました。

Q どのぐらい珍しいのでしょうか。
A 非常に珍しいものばかりです。縄文後期の石臼や石きねは三重県度会町の森添遺跡などでも見つかっていますが数十点程度で、1000点規模の発見は他になく、
加茂宮ノ前遺跡が当時国内最大規模の生産拠点だったと考えられます。過去の発掘調査で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)に水銀朱が精製されていたことは分かっていました。
今回の発見で、生産の起源は1500年ほどさかのぼることになります。
また、円形配石遺構の発見は西日本でほとんどなく、居住域と祭祀の遺構がひとまとめに確認できたのは西日本で初めてです。

Q 阿南市内では他の遺跡でも発見がありました。どのようなものですか。
A 加茂宮ノ前遺跡から約5キロ離れた若杉山遺跡は弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての辰砂の採掘遺跡で、坑道は国内最古であることが分かりました。
遺跡の時代は異なりますが、加茂宮ノ前遺跡で見つかった辰砂原石は若杉山遺跡から産出されたと考えられています。
那賀川中流域で辰砂の採掘から水銀朱の精製まで一体的に行っていたのでしょう。

224日本@名無史さん2019/04/04(木) 20:42:20.62
「矢野遺跡」

徳島南環状道路建設に伴い1992〜98年に行われた発掘調査で、縄文時代後期初頭(約4千年前)の遺構面から見つかった。

このうち、土面は縦15.8センチ、横16.7センチ、厚さ1センチのほぼ円形で、粘土で作られている。穴を開けて目や口を作り、鼻や眉も付けている。

用途は定かではないが、祭祀で使われた可能性がある。土面としては国内最古で、最も西の地域の出土例となっている。

土器は煮炊き用の深鉢や盛り付けに使われた鉢、つぼなど。関東の土器に見られる文様だけでなく、近畿から九州北部の広範囲で確認された文様が混じっている。

祭祀で使われた赤色顔料「水銀朱」が付着しているものもあり、国内最古の水銀朱の使用例として注目されている。

石器にはやじりなどの狩猟道具や食物加工用具がある。最も多いのは石の重りの石錘で、網にくくりつけて漁労に使ったほか、編む際の重りなどに使われたとみられる。

文化審議会は「縄文時代最古級の土面や、水銀朱の使用例が含まれ、西日本における縄文時代中期末から後期の生活の様子を示す資料として貴重だ」としている。

2019年(平成31年)3月19日 徳島新聞朝刊

225日本@名無史さん2019/04/05(金) 07:27:03.79
交流を示す出土品

縄文時代を研究する県埋蔵文化財センター・湯浅利彦専務理事の話

矢野遺跡の出土品は、関東や九州から伝わった文化と県内で育まれた文化が混ざり合っており、地域交流の結節点だったことを示している。

西日本を代表する出土品で、徳島の歴史を県民に知ってもらいたい。

2019年(平成31年)3月19日 徳島新聞朝刊

226日本@名無史さん2019/04/05(金) 11:46:39.76
古代の祭祀などに使われた赤色顔料「水銀朱」を生産したとみられる縄文時代後期(約4千〜3千年前)の石臼や、水銀朱の原料の辰砂原石などが大量に出土した阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡。

辰砂原石などの発見で、水銀朱の生産、利用時期が1500年以上さかのぼることが明らかになった。

また、水銀朱の生産拠点だったとされる竪穴住居跡や、祭祀に使っていたとみられている円形配石遺構など、縄文社会の解明に大きな役割を果たす。  @阿波

227日本@名無史さん2019/04/05(金) 16:02:09.74
徳島県阿南市水井町「若杉山遺跡」・「丹波坑口」・「長生町奥ノ谷遺跡」

出土遺物
@石器(石臼・石杵)
A土器
 甕・広口壺・二重口縁壺、小型丸底鉢、鉢、高杯、器台=生活用具のほとんどがそろっている
 小型丸底坩(弥生X様式後半〜布留式まで)庄内式並行期がほとんど
 土器胎土(結晶片岩・石英・雲母)
B玉類
 蛇紋岩製勾玉
C鉄製品
 刀子・不明鉄製品(やりかんな?)
D自然遺物
 貝片・獣魚骨・人骨片

想定される生産形態
・土器以外の生活用具が少ないが、生活用具のほとんどが揃っている
・籾痕の付いた土器や鹿・猪・貝類=一定期間生活
・岩盤直上に営まれる→近くの集落の人間が農閑期に行う特産的生産レベルのものではなく、
 分業化された専門工人集団の生産
・ハマグリ・オキアサリの成長線分析→採取時期は夏期後半から秋期後半

 若杉山遺跡の採掘作業は、夏季後半から秋季後半に行われていた可能性
              (徳島県立博物館1997・岡山1998)

228日本@名無史さん2019/04/05(金) 18:06:50.30
鳴門・板野古墳群について    「徳島県の歴史散歩(山川出版社)」から抜粋

鳴門市大麻町の山地の麓には、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて、前方後円墳を核とした首長墳が集中する。総称して鳴門・板野古墳群と呼んでいる。

主な古墳は、西山谷2号墳  池谷宝幢寺古墳(県史跡)  天河別神社古墳群(6基・県史跡)  萩原1号墓(消滅)・2号墓  大代古墳(県史跡)  板野の愛宕山古墳(県史跡)

発掘調査で埋葬施設が判明した西山谷2号墳、天河別神社1・2号墳、愛宕山古墳、大代古墳は、いずれも結晶片岩板石積みの竪穴式石室を構築しており、

鮎喰川産の土器を供献するなど、気延山古墳群との親縁性を示している。

西山谷2号墳は全国最古級の竪穴式石室で、石室外周に萩原1・2号墓に類似した一種の囲み壁をつくっている。 積石木槨から竪穴式石室の成立を考える上で興味深い。

近年、東阿波型土器が大和・河内地域の遺跡から相当量出土することをふまえ、大阪府茨木市の将軍山古墳や紫金山古墳、高槻市の闘鶏山古墳を始めとする摂津

・北河内地域に点在する結晶片岩石積みの竪穴式石室について、その用材石室構築技術が、阿波地域から提供されたとみる説が定着しつつある。

鳴門板野古墳群には中国製の銅鏡の副葬がみられるのも特徴である。

「板野・鳴門古墳群」
http://ktmrj15.webcrow.jp/p36ts/tpx14042619maibun.htm

229日本@名無史さん2019/04/05(金) 19:25:43.37
「カネガ谷遺跡」

出土した弥生土器・石器から、弥生時代後期初頭の集落であることが分かった。

特に、注目される遺物として朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧が出土した。

http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%CC%C4%CC%E7%BB%D4%2F%A5%AB%A5%CD%A5%AC%C3%AB%B0%E4%C0%D7

230日本@名無史さん2019/04/05(金) 20:06:03.54
「カネガ谷遺跡」

出土した弥生土器・石器から、弥生時代後期初頭の集落であることが分かった。

特に、注目される遺物として朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧が出土した。

https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5023019/

231日本@名無史さん2019/04/05(金) 22:04:10.48
「桧はちまき山遺跡」

桧はちまき山遺跡は、軍事的防御性をもつ遺構や石鏃などの武器が少ないことなどから、日常生活が営まれた高地性集落であったと思われる。

http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%CC%C4%CC%E7%BB%D4%2F%C9%B0%A4%CF%A4%C1%A4%DE%A4%AD%BB%B3%B0%E4%C0%D7

232日本@名無史さん2019/04/05(金) 22:06:51.58
「桧はちまき山遺跡」

桧はちまき山遺跡は、軍事的防御性をもつ遺構や石鏃などの武器が少ないことなどから、日常生活が営まれた高地性集落であったと思われる。

https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5023021/

233日本@名無史さん2019/04/05(金) 22:45:08.28
稲持遺跡(徳島県三好郡東みよし町稲持)は、弥生時代後期の玉作遺跡として代表的である。

斉一性の強い小型勾玉の一群が阿波地域を中心に 讃岐地域・吉備地域と西縁・伊予地域・豊前、筑前、肥前地域 に点在しており、

石材・色調・形状から特定の場所で作られたと考えられる。

蛇紋岩の製作遺跡 東みよし町稲持遺跡・徳島市矢野遺跡・上板町七条経塚遺跡

原石産出地 徳島県吉野川加茂谷川水系蛇紋岩

徳島県で勾玉が出土された遺跡:稲持遺跡、矢野遺跡、黒谷川郡頭遺跡、井出上遺跡など。

井手上遺跡(徳島県三好市井川町西井川)(弥生時代後期終末〜古墳時代前期初頭の集落)出土の翡翠製勾玉は、

新潟県糸魚川で産出する翡翠を使用し北陸周辺で加工されたものであることがわかっている。

出土した遺物は、吉野川下流域、讃岐、吉備等の搬入土器が含まれており、

当時の交易の範囲を知る上で貴重な発見となっている。  @阿波

「稲持遺跡」 
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5023036/

234日本@名無史さん2019/04/06(土) 13:43:03.05
「レキシルとくしま」のHP 初めて知りました。
訪問時の役に大いに立ちそうです、  ありがとうございました。
新元号が発表され、原典である万葉集が見直されているようです。
解説書には、素人でも地勢的に疑問に思う説明がなされています。
奈良盆地にカモメがとんでいるとか、難波宮(大阪)から小豆島がみえるとか・・・
漫才の世界です。
今次を機会に斯様な馬鹿げた解釈の見直しがされればよいのですがね。

235日本@名無史さん2019/04/07(日) 06:38:59.96
【応神天皇(倭王讃)の難波大隈宮】   「春三月に、難波宮に幸せる時の歌」

「眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ船 泊まり知らずも」

   「上の一首、船王の作」


奈良時代の後期難波宮(大阪市)からは「阿波の山」は絶対に見えない。
また、この「阿波の山」は、徳島市の眉山ではなく、香川県さぬき市津田の前期難波宮辺りから見た、なだらかな讃岐山脈である。

倭国(阿波)から遷都する前の飛鳥時代に宮が設置された前期難波宮は香川県さぬき市津田。
この歌は香川県さぬき市津田の前期難波宮で読まれた歌六首の一つである。 @阿波

236日本@名無史さん2019/04/07(日) 10:59:03.33
土成町宮川内の奥に飛蔵山(ひそやま)という山がある。 飛蔵山は御祭神として第二十七代 安閑天皇を奉斎する吉野神社が古くから鎮座していたと伝わる。

吉野神社は神仏習合の時代に飛蔵宮(ひそみや)または蔵王権現と改称され、山伏をはじめとする修験道の一大霊場として栄えた。

近くに大別当、教連寺という字名が残されており、教連寺は蔵王権現の宮司であり大権別当は大宮司が居住していた場所であると考えられている。

237日本@名無史さん2019/04/07(日) 13:36:10.25
芝遺跡は阿波南部地域で数少ない発掘調査を行った遺跡である。

県内では珍しい円形周溝墓をはじめ、竪穴住居等の遺構や弥生時代前期後半以降の土器・石器も出土し、本地域の集落形態の一様相が確認できた遺跡である。

また、弥生時代終末頃〜古墳時代前期前半頃にかけての搬入土器がまとまって出土したことから、出土状況・共伴関係の検討を行い、各搬入土器の搬入時期のピークを探った。

土器の搬入には鮎喰川下流域集団の関与が想定され、一連の動きに若杉山遺跡(岡山1997)の朱が関わっていると考えられる。

本地域の発掘調査事例が芝遺跡に限られる現状では、搬入土器が普遍的に出土するのか、芝遺跡の特異性なのか、判断しがたいが、

大里松原神社遺跡においても搬入土器が認められることは、本地域に一定量の土器が搬入される状況があったことの傍証になるものと考えられる。

238日本@名無史さん2019/04/07(日) 13:36:56.64
芝遺跡は土佐ー阿波ー畿内を結ぶ四国東岸海岸沿い太平洋ルートを想定できる遺跡であり、海上交通に際しての人・物が集中する拠点集落であったと考えられる。

古墳時代初期(約1800年前)の遺構から、出土した土器は概ね、弥生時代終わり頃〜古墳時代初め頃に製作されたと考えられ、

徳島(東阿波型土器)、香川(下川津B型土器)、高知(ヒビノキ式土器)、岡山、関西地域(布留式土器)と、他地域で製作された土器が多く出土。

特に、「布留式土器」と呼ばれている関西地域で製作された土器となると、他地域での出土点数は限られてくる。

ところが、芝遺跡では、頻繁な交流が行われた結果として、各地の多くの土器が出土している。

おそらく港的な役割を果たしていたと考えられ、寄港地、宿場地として盛況していたと思われる。

芝遺跡では弥生時代前期後半頃には吉野川下流域や紀伊からの搬入品が認められ、

弥生時代終末頃になると吉野川下流域の他に、畿内・讃岐・土佐・吉備からの搬入品が認められるようになる。

古墳時代前期前半頃になると吉野川下流域時が主体であることに変わりはないが、一定量の畿内系土器の搬入が認められるようになる。

この在地土器と外来系土器の混在する状況が、本地域の特徴であると意義付け、「海人」の存在が想定されている。

この他、吉野川下流域地域で畿内系土器が出土しているのは黒谷川郡頭遺跡(菅原1989)や石井城ノ内遺跡(日下1999)などに限られ、出土点数も数点しかない現状では、阿波南部地域の特異性が窺える。

これは往古徳島県の海岸沿いにあった長國の範囲内とも一致する。

239日本@名無史さん2019/04/07(日) 14:48:23.71
※阿波に王都が在った根拠の新しい情報

徳島新聞 2016‎年‎9‎月‎9‎日

「美馬・中山路遺跡 青銅の鈴・椀 県内初出土 6〜8世紀 副葬品に使用」

徳島県教委と県埋蔵文化財センターは8日、美馬市美馬町の中山路遺跡から6世紀後半〜8世紀のものとみられる青銅製の鈴と椀が県内で初めて出土したと発表した。

遺跡の南東約100mには7世紀後半に建てられた国史跡の郡里廃寺跡があり、県教委などは郡里廃寺に関係する建物があった可能性が高いとみている。

出土した約7千点のうち、6世紀後半の青銅製の鈴は直径約3.7pで、古墳の副葬品や儀礼用の馬の飾りに用いられた。

7世紀後半〜8世紀の青銅製の椀(直径12〜14p)の破片は全長約6pで、仏具や副葬品に使われた。

直径が約20pあるとみられる7世紀後半〜8世紀前半の陶製の円形すずりの破片(全長約5p)や、郡里廃寺跡で出土したものと同じ型枠で作られたハスの花の模様が付いた瓦(蓮華文軒丸瓦)の装飾部分(直径約20p)も見つかった。

郡里廃寺跡は県内最古級の寺院跡で、地元の豪族が建立したとみられている。中山路遺跡で建物の遺構は確認できなかったが、通常の集落跡では出土しない品が出ているため、寺の関連施設があった可能性があるという。

県埋蔵文化財センターは「当時は権力の象徴が古墳から寺院へと移行する時期だった。古墳と寺院の両方に関係する品が1か所から見つかったことは、変遷を知る上で貴重だ。郡里廃寺跡周辺の全体像を研究する手掛かりにもなる」としている。

240日本@名無史さん2019/04/07(日) 16:17:06.07
奈良「法隆寺」の本社は、ここ「救世山峯薬師」

「法谷寺」

http://goutara.blogspot.com/2011/10/blog-post_29.html

241日本@名無史さん2019/04/07(日) 17:11:27.26
神武東征に関わる神社で、熊野の戦いの旧跡に祀られた神社。

「熊野神社」
https://sueyasumas.exblog.jp/9791934/

242日本@名無史さん2019/04/07(日) 17:35:01.29
神武東征説話は吉野川下流南岸勢力が北岸勢力を従属させた歴史の記憶で、樫原神社の東西にその舞台が連なっている。

「樫原神社」  
https://sueyasumas.exblog.jp/9839297/

243日本@名無史さん2019/04/07(日) 21:08:45.56
阿波市 阿波町勝命北に鎮座する「勝命神社」

御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)

「阿波誌」に「菊理祠勝命村に在り、旧事記に云ふ伊奘諾伊弉冉二尊、泉津平坂に相争ふ。菊理媛神白す事あり伊奘諾尊聞きて之を善とす」とあります。

菊理媛神(くくりひめのかみ)は、日本の神。加賀の白山や全国の白山神社に祀られる白山比盗_(しらやまひめのかみ)と同一神とされる。 wikipedia

http://goutara.blogspot.com/2012/11/blog-post_29.html 

244日本@名無史さん2019/04/08(月) 08:20:09.20
徳島県吉野川市山川町忌部山字峯石

「稚宮(わかみや)神社」 

祭神は、思兼尊・長白羽命です。長白羽命? と調べたら荒妙を織った神麻績部の祖神。

https://sueyasumas.exblog.jp/16991385/

245日本@名無史さん2019/04/08(月) 09:06:26.50
徳島県吉野川市山川町忌部山字白山

「白山(しらやま)比売神社」

石碑には「忌部社摂社 志良夜末比賣神社」とあります!!

「忌部神社」の七摂社の一つで、祭神は「伊佐奈美尊」です(*^_^*)♪

ここはイザナミ命の「遥拝所」・・・。

この「白山比売神社」の南西には「高越山」があり、山頂に「イザナミ」が祀られていると言われています♪

イザナミ命・イザナギ命の神号は海の霊物「イナサ(雄魚)」より名付けられたという説があり、イザナミ命の生前の名は「白山比売」であったという伝承があるそうです!!

https://sueyasumas.exblog.jp/17016171/

246日本@名無史さん2019/04/08(月) 10:25:15.54
徳島は古事記神話の神名がつく延喜式内社の数が他の県に比べると圧倒的に多いことがわかる。

例えば、徳島県の式内社50社のうち19社に古事記神話の神名がついているのに対して、

奈良県は286社のうち3社、島根県の出雲は187社のうち0社である。

式内社以外でも、徳島県の神社の祭神はほとんどが古事記神話の神である。

この事実からも、古事記神話は倭国(阿波)で起きたことを記した記録なのである。   @阿波

247日本@名無史さん2019/04/08(月) 17:46:50.73
徳島県美馬市美馬町にある「玉振神社」。

主祭神は、玉振姫命・大己貴命で、美馬市美馬町宗重部落のほぼ中央にある。

すぐ東には四国最大級の巨石墳(円墳)の「段の塚穴古墳」があり、西には白鳳時代の寺院跡「郡里廃寺跡」がある。

この社はもと正部神社の祭神、清姫霊神の侍女、玉振姫霊神を祀っていたといわれている。

延宝五年(1677)に大己貴命を宗重部落の氏神として合祀し、鎮座したものだそうだ。

この美馬町は、吉野川中流域にあり「倭地」なのである。

美万岐に入り込んで美万岐に居を定め、師木水垣宮を宮殿にしたと伝えられている。

この「所知初国之御真木天皇(はつくにしらすみまきのすめらみこと)」はもちろん「崇神天皇」のこと。

248日本@名無史さん2019/04/08(月) 17:49:24.69
この師木水垣宮の御宇に疫病がはやり、多くの人民が死ぬという大変な出来事が起こっている。

これは、大国主命に近い埴夜須比賣命(武埴安彦)の一族を討亡した祟りと考えて恐れられたとも考えられ、後世の贈名でも祟神(たたりがみ)の天皇となっている。

また、大国主命の長男「阿遅志貴高日子根神」(加茂の丹田古墳が神陵)の真系であり、美万郡美農郷に居をかまえ、大田村や種穂山一帯を支配する大人大田々根子(うしおおたたねこ)をわざわざ呼び出し、

大田々根子を神主として大御倭の大神(大国主命)を拝祀させ、伊加々志男命をして「倭大国魂、倭大国敷両神宮」を建立させた。

崇神天皇の謚号のとおり、崇神紀には天照大御神や倭大国魂神社の祭祀、天神地神、神地・神戸を定め、

供物の定義等のほか「玉振」として大田田根子や市磯長尾市が求められるなど、神祇制度の起源説話ととれる記事が集中している。

「玉振神社」は「玉振り」として求められた淳名城入姫命が祀られていたものと思われる。

249日本@名無史さん2019/04/08(月) 19:19:35.66
徳島市 「金山神社・立岩神社」
「八尺(やあた)の鏡はこの地で作られた」

ご存知のように日本の皇室に代々伝わる『三種の神器』とは、『天叢雲の剣(草薙の剣)』、『八尺の鏡』、『八尺(やさか)にの勾玉』をいうが、その神器のひとつ『八尺の鏡』の製作地はこの神社であるという伝承がある。
その背景には、銅鐸や銅鏡の出土が多く「たたら跡」と見られる史跡もあるこの地区が「日本の治金技術発祥の地」ではないかという説がある。
見渡すと周辺にも「金谷」、「多々羅(古来、精錬所のことを『たたら』という)」、「八田(八尺)」という地名が残り、まさにこの「金山神社・立岩神社」の鎮座地自体も『多家良(たから)』という埋蔵金ミステリーそのまんまの名前。
この精錬伝承の中心となっているのが、『金山神社』と『立岩神社』の両神社である。金山神社は鍛冶の神である金山毘古(かなやまびこ)神を祀り、その境内の中に高さ7m幅4mの日本一の巨大陽石(と掲示されている)をご神体とする『立岩神社』が鎮座する。
この巨石は『天津麻羅(あまつまら)』を祭神とし、素朴に男性を象徴しているが特に通俗的な信仰はない。
古事記には「八尺の鏡は天の金山の鉄をとりて天津麻羅を求ぎて伊斯許理度売命(いしきりどめのみこと)に科せて鏡をつくらしめ」という記述があり、これがこの地が八尺の鏡製造地であることを裏付けている。

なお、ここより直線で13キロ西には神山町の『立岩神社』があり、ここには高さ20m幅20mの女性器を象徴する巨石があり、古来より「天の岩戸」と称されている。  

250日本@名無史さん2019/04/09(火) 07:37:46.57
「物部氏」の祖神とされている伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命が

日本で唯一、阿波國麻殖郡 「伊加々志神社」で祀られていることから、

物部氏の本貫地は旧麻植郡周辺の可能性が高い。   @阿波

251日本@名無史さん2019/04/09(火) 08:27:56.39
「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。 「大和」と付いている。

「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。 阿波なのに「倭」である。

推して知るべし。   @阿波

252日本@名無史さん2019/04/09(火) 10:46:50.22
「猿田彦大神」と「天鈿女命」とは夫婦であることは日本神話に詳しい人はご存知でしょう。

徳島県鳴門市にある「大麻比古神社」の祭神は「猿田彦大神」とされています。

その大麻比古神社背後の大麻山には「猿田彦」を祀る祠があったという。

実はこの大麻山の隣には峰続きで「天円山(あまがつぶやま)」があります。

そして、この天円山山頂には「天鈿女命」を祀る「天ヶ津神社」が鎮座しています。

「猿田彦大神」と「天鈿女命」両神は仲良く阿波国鳴門の「大麻比古神社」裏手の「大麻山」・「天円山」に祀られています。

阿波って面白いところだと思いませんか?

253日本@名無史さん2019/04/09(火) 10:53:44.68
聞いたこともないね

ねつ造wと言われるだけ、どこの基地外なんだ

254日本@名無史さん2019/04/09(火) 11:07:13.93
>>253
>聞いたこともないね

当たり前。  倭国(阿波)以外にそんな話、あろうはずがない。   @阿波

255日本@名無史さん2019/04/09(火) 14:16:53.53
「天岩戸別神社」は徳島県名東郡佐那河内村上字牛木屋に鎮座し、「手力男神」が祀られている。

この神は「古事記」に天岩戸を開けた神として書かれ、「佐那那縣(さなながた)に座す」と書かれている。

佐那河内村は、古く「佐那県(さなのあがた)」と称されたと「村史」に書かれ「古事記」と一致する。

その上、西に山を越えると天岩戸立岩神社があり、徳島市には式内社の天石門別矢倉比賣神社と天岩戸別豊玉比賣神社が鎮座することは、

天孫降臨の地が、阿波であると言わざるを得ない。   @阿波

256日本@名無史さん2019/04/09(火) 16:14:28.89
徳島新聞 平成29年12月3日朝刊

阿南市長生町宮内の「八鉾神社」が所蔵する平安時代の書物「紙本墨書二品家政所下文附紺紙金泥法華経八巻」(国指定重要文化財)の金泥文字に真鍮が含まれていることが、修繕に伴う科学調査で判明した。

平安時代の真鍮の使用が明らかになったのは国内3例目で、同時代の使用を裏付ける貴重な資料になりそうだ。   @阿波

257日本@名無史さん2019/04/09(火) 16:39:10.03
【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】

徳島県阿南市長生町に鎮座する「八鉾神社」。祭神は大己貴命。延喜式内社である。
この「八鉾神社」には四つの重要文化財が神宝として保管されている。
また「八鉾神社」自体も重要文化財に指定されているので、合計五つの重要文化財を持ち合わせている神社となる。
一つは「大己貴命 木造彫刻立像」
二つ目は「少彦名命 木造彫刻立像」
三つ目が「二品家政所 下文 」
四つ目が「附紺紙金泥法華経」である。

この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられている。
八鉾とは八千矛神(やちほこのかみ)。
出雲の主であり、長(おさ)である大国主神のこと。
大国主神の別名、大己貴神は、長国の偉大な主を意味している。
大国主神は、スサノオ命の子孫で、稲羽の素兎の物語で有名である。
オオクニヌシは、兄さん達から大きな袋を持たされる等、色々のいじめを受けたが、それらの試練を乗り越え、出雲国を治める立派な人となった。
オオクニヌシの子供にコトシロヌシ(えべっさん)と建御名方神(たけみなかたのかみ)がいる。
コトシロヌシは、式内社の事代主神社として、勝浦町沼江と阿波市市場町伊月に祀られ、タケミナカタは、式内社の多祁御奈刀祢神社として石井町浦庄字諏訪に祀られている。
平安時代に記録される3132座の式内社の中に、これら八鉾神社や事代主神社・多祁御奈刀祢神社等の国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない。   @阿波

【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】   
https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/47852915.html?__ysp=44CM5YWr6Ym%2B56We56S%2B44CN44CR 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)

258日本@名無史さん2019/04/09(火) 17:49:09.02
空海が讃岐忌部という説があるらしいね
阿波爺的にはどうなん?

259日本@名無史さん2019/04/09(火) 18:06:09.64
その説に倣えば、最澄は近江忌部だろう。  織田信長は尾張忌部となる。   

いずれにせよ、大概の人が忌部一族の末裔だよ。    @阿波

260日本@名無史さん2019/04/09(火) 18:22:30.89
徳島で魏志倭人伝・記紀神話巡りツアーをしましょう。  @阿波

ではまず 【T伊邪那岐・伊邪那美二神による神々の生成まで】

「意富門麻比売神社」 祭神 「神世五世・大戸麻姫命」 比定 宅宮神社
「天椅立神社」 祭神 「造化神か伊邪那岐命か」 比定 天椅立神社
「伊邪那美神社」 祭神 「伊邪那美命」 比定 高越神社(神陵:高越山山頂)
「麻能等比古神社」 祭神 「水門の神か」 比定 天神社
「鹿江比売神社」 祭神 「野の神・鹿屋野比売命」 比定 殿宮神社に合祀
「波尓移麻比弥神社」 祭神 「埴土の神・波爾夜須比売命」 比定 波尓移麻比弥神社
「弥都波能売神社」 祭神 「水の神・彌都波能売神」 比定 八大龍王神社

261日本@名無史さん2019/04/09(火) 18:40:43.76
徳島で魏志倭人伝・記紀神話巡りツアーをしましょう。  @阿波

続いて 【U天照大神・須佐之男命の世代】

「天石門別矢倉比売神社【大社】」 祭神 「天照大神」 比定 天石門別矢倉比売神社(神陵)
「和名佐意富曾神社」 祭神 「須佐之男命か」 比定 和名佐意富曾神社
「忌部神社【大社】」 祭神 「天日鷲命」 比定 忌部神社
「大麻比古神社【大社】」 祭神 「猿田彦命か」 比定 大麻比古神社
「秘羽目神足濱目門比売神社二座」 祭神 「日鷲神と妻神か」 比定 論社あり
「天村雲神伊自波夜比売神社二座」 祭神 「天村雲神と妻神」 比定 論社あり

262日本@名無史さん2019/04/09(火) 19:13:41.31
徳島で魏志倭人伝・記紀神話巡りツアーをしましょう。  @阿波

さらに続いて 【V国譲りに遣わされた神達と葦原中つ国の神々の時代】

「御縣神社」 祭神 「国譲り交渉第一の使者:天菩日命」 比定 豊国神社境内社(神陵跡)
「山方比古神社」 祭神 「第二の使者:天若日子」 比定 経塚大権現(神陵)
「建布都神社」 祭神 「第三の使者:建御雷男命」 比定 建布都神社
「矢桙神社」 祭神 「大国主命」 比定 矢桙神社
「事代主神社」 祭神 「事代主命」 比定 勝浦郡生夷神社
「勝占神社」 祭神 「事代主命」 比定 勝占神社(神陵跡)
「多祁御奈刀祢神社」 祭神 「建御名方神」 比定 多祁御奈刀祢神社
「天水沼間比古神社・天水塞比売神社」 祭神 「沼江姫の父母神か」 比定 杉尾神社か
「鴨神社」 祭神 「阿遅鉏高日子根命」 比定 鴨神社(丹田古墳が神陵)

263日本@名無史さん2019/04/09(火) 20:00:51.41
徳島で魏志倭人伝・記紀神話巡りツアーをしましょう。  @阿波

さらに 【W神武天皇の出生と東征の時代】

「和多都美豊玉比売神社」 祭神 「海神の娘・豊玉比売命」 比定 西宮神社(和多都美宮跡)
「天石門別豊玉比売神社」 祭神 「天孫三代の后:豊玉比売」 比定 城山東麓(神陵跡)
「宇志比古神社」 祭神 「神武の参謀:速吸の宇豆比古」 比定 宇志比古神社(神陵遥拝地:西山谷二号墳)
「伊比良姫神社」 祭神 「神武天皇の妃 阿比良比当ス」 比定 伊比良姫神社 藍住町徳命が神陵跡
「阿佐多知比古神社」 祭神 「神武天皇か」 比定 阿佐多知比古神社 元の鎮座地は渋野か

264日本@名無史さん2019/04/09(火) 20:28:53.19
徳島で魏志倭人伝・記紀神話巡りツアーをしましょう。  @阿波

さらにさらに 【X第十代崇神天皇の時代まで】

「御間都比古神社」 祭神 「第五代御間都比古天皇」 比定 御間都比古神社
「大御和神社」 祭神 「御和の神:大国主命」 比定 大御和神社
「伊加加志神社」 祭神 「第十代崇神帝の母:伊迦賀色許売命」 比定 伊加加志神社
「倭大國玉神大國敷神社二座」 祭神 「倭の国を証明する国魂・国敷の神」 比定 倭大國玉神大國敷神社
「天都賀佐比古神社」 祭神 「笠縫邑の大人:笠彦」 比定 天都賀佐比古神社(神陵跡)
「建嶋女祖命神社」 祭神 「孝元帝の妃:埴安比売命」 比定 建嶋女祖命神社
「和耶神社」 祭神 「埴安比売の御子:建埴安王」 比定 羽浦神社に合祀 元鎮座地は能路山(古墳跡)

265日本@名無史さん2019/04/09(火) 21:45:16.60
徳島で魏志倭人伝・記紀神話巡りツアーをしましょう。  @阿波

いよいよツアーの最終章 【Y景行天皇から皇極天皇の時代まで】

「白鳥神社」 祭神 「日本武尊」 比定 白鳥神社(神陵跡)
「建比売神社」 祭神 「日本武尊の妃:建比売か」 比定 建比売神社
「賀志波比売神社」 祭神 「景行帝の妃:美波迦斯姫か」 比定 津峰神社
「事代主神社」 祭神 「事代主命」 比定 阿波市事代主神社
「岡上神社」 祭神 「推古天皇」 比定 岡上神社(神陵跡)
「速雨神社」 祭神 「皇極天皇」 比定 速雨神社(雨乞神事)

266日本@名無史さん2019/04/10(水) 07:41:23.30
阿波国の北方 鳴門に「葛城神社」が鎮座する。

「葛城神社」は鳴門市北灘町粟田に鎮座し,「一言主神(ヒトコトヌシノカミ)」をご祭神とする。

また、その「葛城神社」では境内に古墳が存在し、古代の遺物が発掘されている。

そして「天円山(あまがつぶやま)」一帯は特に重要な地域で、古代史に詳しい人は「萩原墳墓群」をご存知であろう。  

また、その鳴門では、神武東征の参謀役となった速吸の門(鳴門海峡)の大人・宇志比古尊が「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。

何の縁も所縁も無ければ、こんなところに 「宇志比古尊」をわざわざ祀るはずがないのである。    @阿波

267日本@名無史さん2019/04/10(水) 13:23:42.88
「式内社 阿波國名方郡 天佐自能和氣神社」

御祭神  神皇産霊尊・高皇産霊尊・日子刺肩別尊・意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命

徳島県徳島市。吉野川の南岸、四国三郎橋の近くの堤防側にある。

現在の祭神は、四柱だが、もとは、日子刺肩別尊一柱。ついで、その母にあたる意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命も合せ祀り、さらに、二柱を後世に加えたと考えられている。

意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命は、孝霊天皇の第三夫人であり、日子刺肩別尊は、その第二子。

高志之利波臣・豊前之国前臣・五百原君・角鹿海直の祖とされている。

ちなみに、第一子は、大物主命の妻となった夜麻登々母々曾毘売命。第三子は、四道将軍の一人・大吉備津彦命。

すごい兄弟なのである。

神紋は、『式内社調査報告』には、菊紋とあり、境内の石碑にも菊紋が付いていたが、拝殿には鷹羽紋があった。

268日本@名無史さん2019/04/10(水) 14:43:10.74
御所市高天の高鴨神は、阿波国加茂の「鴨神社」からの勧請である。 

「阿遅志貴高日子根神」は、大国主命と、須佐之男命の娘・多紀理毘売命との間に生まれた長男。 「迦毛大御神」とまで呼ばれた実力者である。

阿波国三加茂町加茂山の高い尾根上に占地する「丹田古墳」は「阿遅志貴高日子根神」の神陵。

その麓に鎮座する式内社「鴨神社」はその拝所。

269日本@名無史さん2019/04/10(水) 14:54:51.36
「延喜式式内社 阿波國美馬郡 十二座 鴨神社」

鎮座地 徳島県三好郡東みよし(旧三加茂)町加茂字山ノ上3650  

御祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)・市杵島姫命・品陀和気命・天照皇大神

「阿波志」に「鴨祠延喜式小祀と為す。加茂村に在り旧事記にいわゆる事代主の神孫、鴨王是也」と。

また、「寛保改神社社帳」には「加茂村式加茂大明神神主加茂村 白川信濃同長太夫、同助大夫、同権之進」とあり、

更に「阿府志」には、「鴨神社小社三好郡加茂村に在り祭神一座別雷神、神主白河信濃社侍宮川某堂河原某」とある。

鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。 「徳島県神社誌」

京都、上賀茂神社の創立が、天武天皇7年(678年)と伝えられているので、「鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。」を信じれば

「京都、上賀茂神社」より「阿波國 鴨神社」の創立が古いということになる。 

270日本@名無史さん2019/04/10(水) 15:24:17.95
「郷社 下加茂神社」

鎮座地 徳島県三好市三野町加茂野宮492−2

御祭神 玉依姫命

※玉依姫は、鴨神社の御祭神「 別雷神 」の母にあたる。

271日本@名無史さん2019/04/10(水) 15:36:55.23
阿波國加茂に鎮座する「鴨神社」、阿波國加茂野宮に鎮座する「下加茂神社」が京都「上賀茂神社」「下鴨神社」の元宮であろう。

「事代主の神孫、鴨王是也」 鴨族の王の祀られている所(阿波国三好郡加茂村)がいわゆる本家、本元となる。

京都上賀茂神社の祭神は賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)。

その京都上賀茂神社は「賀茂から別れた」つまり賀茂族(鴨族)の分家の意味である。

272日本@名無史さん2019/04/11(木) 07:40:40.18
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」とは、徳島県阿南市橘町周辺を指している。

その証拠に、その沖合に浮かぶ伊島には「当所神社」が鎮座しており、御祭神に奥津三神(下記)が祀られている。

・奧疎神(おきざかる)
・奧津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこ)
・奧津甲斐辨羅神(おきつかいひべら)

面白い事に、この奥津三神は、伊邪那岐が黄泉の国から帰還した際、

「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊祓をした時に、最後に産まれた神々である。

しかも、この奥津三神は、日本で唯一、伊島にのみ見られる神で、

日本の他の神社で、他に奥津三神を祀る神社は、何処にもない。

「奥津三神」 なぜ、阿波のみで祀る必要があろうか? 

何の縁も所縁も無ければ、こんなところに 「奥津三神」をわざわざ祀るはずがないのである。推して知るべし   @阿波

273日本@名無史さん2019/04/11(木) 10:53:04.02
【日本で唯一、阿波だけで祀られている阿波の神々】

阿波市「事代主神社」 御祭神 事代主命

阿波市「建布都神社」 御祭神 武甕槌神

阿波国美馬郡「倭大國玉神社・倭大國敷神社」 御祭神 大國玉命・大己貴命

阿波国美馬郡「伊射奈美神社」 御祭神 伊射奈美尊

阿波國麻殖郡「伊加々志神社」 御祭神 伊迦賀色許売・伊迦賀色許男

阿波國名方郡「多祁御奈刀弥神社 御祭神 建御名方命

阿波國麻殖郡「天村雲神伊自波夜比賣神社」 御祭神 天村雲命 ・伊自波夜比賣命

阿波國美馬郡「弥都波能売神社」 御祭神 素盞嗚命

徳島市国府町「天石門別八倉比売神社」 御祭神 大靈女命)

名西郡神山町「上一宮大粟神社」 御祭神 大宜都比売命)

徳島市一宮町「一宮神社」 御祭神 大宜都比売命

阿波國板野郡 「宇志比古神社」  御祭神  宇志比古尊・八幡神

阿南市伊島「当所神社」 御祭神 奧疎神・奧津那藝佐毘古神・奧津甲斐辨羅神

274日本@名無史さん2019/04/11(木) 11:13:41.71
「倭大国魂神社」が建立されている阿波国美馬郡は、貞観ニ年(八六〇)までは、現在の三好郡と、木屋平村を除いた美馬郡を合わせた七郷からなり、

徳島県の中西部に位置し、山地が九〇lを超える山処(やまと)の地。

旧美馬郡では、土(はに)の神を祀る式内社「波爾移麻比弥(はにやまひめ)神社」、神々の母神である伊邪那美命を祀る式内社「伊刺奈美(いざなみ)神社」、

高天原に通じる橋を神格化した式内社「天椅立(あまのはしだて)神社」など、記紀神話草創の地方を示す神々が祀られている。

このように太古の神々が鎮まる美馬の地に、「倭大国魂神社」も建立されている。

275日本@名無史さん2019/04/11(木) 11:20:25.14
「倭大国魂神社」が建立されている美馬郡美馬町重清の境内には「大国魂古墳」数基と、下段に「八幡古墳群」が現存している。

また、神社の東側(重清城台地)からはサヌカイト製の石鏃や、阿波の青石による石斧、石鎗の出土も確認されており、この地が古くから拓かれていたことがわかる。

「倭大国魂神社」を祀らせた「崇神天皇」は、「初国知(はつくにし)らしし、御真木(みまき)天皇… 」と称えられ、また、和名は「御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命」と呼ばれて、「みま(き)」との関わりを示している。

天皇の尊号に「美馬(みま)」を用いたのは、神々の母神が鎮まる美馬地方に天皇が入り込んだため、由緒あるその名を冠したものである。

276日本@名無史さん2019/04/11(木) 11:25:05.09
それで、お前の名前は?

偽造系図(家系図)〜そういう関係の家の人?

277日本@名無史さん2019/04/11(木) 11:29:40.10
阿波国美馬(ミマ)郡美馬(ミマ)町には、延喜式内社の「倭大国魂神社」が建立されている。

この事実は、阿波国が、かつて倭の国であり、歴代天皇が営んだ王都の地であったことを表す。

これは、「王都の地 倭」の決定的証跡である。

通説の「古代の王都は奈良盆地に営われた」とする確定解釈は、工作物(奈良盆地の巨大古墳)に惑わされた錯覚と言えるだろう。

延喜式内社に採択された国魂神社は、都合20社を数える。

うち「倭大国魂神社」については、その由来が日本書紀に納められている。

第10代崇神天皇(ミマキイリヒコ)は、疫病が流行し、民心が乱れた為、神祭りによって地勢の安泰を図ろうと、天神地祇のほか、倭の地主神である倭大国魂神を祀ったという。

まさに「倭大国魂神社」の建立地は、倭の地(国)の証明になる。

そして、その倭大国魂神社が、奈良大倭国ではなく、唯一阿波国にのみ存在するのである。

278日本@名無史さん2019/04/11(木) 11:42:03.58
邪馬台国と大%s比売命

邪馬台国阿波説の論拠として、日本最古の書、古事記と魏志倭人伝の記述が一致する根源に、阿波は食物(五穀)を司る穀霊(おおげつひめ)の国であり、高天原の物語は、すべて阿波(おおげつひめ)が舞台となっている

「上一宮大粟神社」  http://www.genbu.net/data/awa2/ooawa_title.htm

279日本@名無史さん2019/04/11(木) 13:14:24.27
「先代旧事本紀 巻五 天孫本紀」では饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖神と仰ぎ、六代目にあたる伊迦賀色許売(いかがしこめ)、

伊迦賀色許男(いかがしこお)姉弟は、倭の土着豪族として朝廷に仕えた蘇我氏、葛城氏、物部氏の祖にもあたる。

伊迦賀色許男(イカガシコオ)姉弟は、

日本で唯一、忌部の郷、徳島県旧麻植郡の延喜式式内社「伊加々志神社」に祀られている。

「伊加加志」(イカガシ)を社名・御祭神とする神社は、全国でここ一箇所だけなのである。

それが、忌部の郷 麻植の地に鎮座している。
徳島の神社 延喜式式内社 伊加々志神社
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/44664411.html

280日本@名無史さん2019/04/11(木) 15:16:06.96
剣山系山岳集落(高天原)から降臨したところに鎮座する邇邇芸命(ニニギノ命)神陵跡

磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)

 http://sueyasumas.exblog.jp/7300075/

281日本@名無史さん2019/04/11(木) 17:47:20.64
奈良時代に阿波から勧請されたのが矢幡八幡宮(現金富神社)、豊前国一宮宇佐神宮

769年 称徳天皇の御宇に和気清麻呂が神教を授かるために参拝し、

神告を受けた「宇狭の宮」とは神山町 宇佐八幡神社のこと。

http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/02/18/235047

282日本@名無史さん2019/04/11(木) 18:21:34.10
「倭大国敷神社」 「倭大国魂神社」 「事代主神社」 「建布都神社」 「伊射奈美神社」 「伊加々志神社」 「宇志比古神社」

「多祁御奈刀弥神社」 「天村雲神伊自波夜比賣神社」 「弥都波能売神社」 「天石門別八倉比売神社」等々

神社名からして、倭国(阿波)にだけ鎮座する「神名式内社」は、畿内や九州の神社とは別格の風格である。   @阿波

283日本@名無史さん2019/04/11(木) 19:35:56.40
式内社「事代主神社」 ・ 式内社 「建布都神社」

は、ともに同じ倭国(阿波)阿波市にあり、『ともに日本唯一 阿波にだけ在る式内社』。

式内社「事代主神社」が全国で倭国(阿波)にだけ在ることから、「事代主命」は倭国(阿波)の人物。

同じく、建布都神(武甕槌神)も全国で倭国(阿波)にだけ在ることから、「建布都神(武甕槌神)」も倭国(阿波)の人物ということ。

284日本@名無史さん2019/04/11(木) 22:20:36.72
八倉比売命を祀る式内社は阿波国のみの神社ですが、比定社が三社あります。

「天石門別八倉比売神社」 (徳島市国府町)の御祭神は「大靈女命」(おおひるめのむち)

「上一宮大粟神社」 (名西郡神山町)の御祭神は「大宜都比売命」(おおげつひめ)

「一宮神社」 (徳島市一宮町)の御祭神は「大宜都比売命」

285日本@名無史さん2019/04/12(金) 07:42:14.24
足浜目門比売神は、天日鷲命の后神です。

式内社 秘羽目神足浜目門比売神社(ひわめあわまどひめじんじゃ)で、

御祭神  秘羽目神 ・ 足浜目門比売

これも日本唯一、阿波で祀います。

http://www.genbu.net/data/awa2/nakauti_title.htm?print=on

286日本@名無史さん2019/04/12(金) 08:35:17.23
式内社 阿波國美馬郡 「天椅立神社」

ちなみに全国で、そのものずばり「天椅立」神社という名の式内社は、ここだけである。

同じく日本一社 式内社 阿波國美馬郡 天椅立神社 の御祭神は、伊邪那岐命 ・ 伊邪那美命 である。

https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/48059428.html?__ysp=5byP5YaF56S%2BIOmYv%2BazouWci%2Be%2BjummrOmDoSDlpKnmpIXnq4vnpZ7npL4%3D

287日本@名無史さん2019/04/12(金) 09:02:59.08
名西郡石井町浦庄字諏訪に、式内社・阿波國名方郡多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社があります。

御祭神は、諏訪大社と同じ「建御名方命」です。

阿波を建国の歴史から黙殺する陰謀論?から見れば、 古事記の書かれたあと(712)、信州に「諏訪国」をつくり(721)、

本来の阿波の諏訪から「諏訪社」を移し(779)、古事記の舞台をカムフラージュした、ということになりますね。

建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。

高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。

この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。

https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/46148157.html?__ysp=6auY5b%2BX5rKz5q%2BU5aOy56WeICDpmL%2Fms6I%3D

288日本@名無史さん2019/04/12(金) 10:28:24.22
饒速日命の孫を祀る「阿波国式内社 天村雲神社」(徳島県吉野川市)

延喜式神名帳には麻植郡天村雲神伊自波夜比売神社二座とある。その論社が徳島県吉野川市山川町村雲にある「天村雲神社」である。

祭神は,「天村雲命」と「伊志波夜比女命(いしはやひめ)」の二柱である。

「天村雲命」は,饒速日命の孫で,天香語山命又名を手栗彦命(たぐりひこのみこと)高倉下命(たかくらじのみこと)と穂屋姫(ほやひめ)の子である。

阿俾良依姫(あいらよりひめ)を妻として,天忍人命(あまのおしひとのみこと)天忍男命(あまのおしおのみこと)忍日女命(おしひひめのみこと)を生んだ。

「天村雲命」は,
(1)饒速日命が大倭国に天降るときに防御の人として高皇産霊神に使わされた三十二人の内の一人。「先代旧事本紀」
(2)邇邇芸命に命ぜられて高天原から水の種を持ち帰った。それが天真名井である。その功績として,邇邇芸命より天二上命,小橋命という名を賜った。

「小橋」と言えば,「邇邇芸命」の三世孫の「神武天皇」は,日向時代に,阿多小橋君の女(むすめ)の阿比良比売を妻としている。 

小橋命とよばれた「天村雲命」の孫あるいは曾孫が阿比良比売で,「邇邇芸命」の三世孫の「神武天皇」に嫁いだとしても不思議ではない。

「天村雲命」の妻の阿俾良依姫と阿比良比売の名にも共通性を感じる。
 
「天村雲命」は又の名を天五多手(あめのいたて)という。麻植郡には忌部郡と射立郡があり,「天村雲神社」が鎮座する射立郡は天五多手(あめのいたて)の名に通じる。 

「天村雲神社」や同じく式内社の「伊加々志神社」周辺には「雲宮」とか「天王原」とか何やら意味ありげな地名が見える。 

289犯罪首謀者・高添沼田の連絡先:東京都葛飾区青砥6−26−62019/04/12(金) 11:25:17.37
【超悪質!盗聴盗撮・つきまとい嫌がらせ犯罪者の実名と住所を公開】
@高添・沼田(東京都葛飾区青砥6−26−6)
※盗聴盗撮・嫌がらせつきまとい犯罪者のリーダー的存在/犯罪組織の一員で様々な犯罪行為に手を染めている
 老義父は息子の嫁の痴態をオカズに自慰行為をし毎晩狂ったように射精をしている/息子の嫁をいつもいやらしい目で見ているエロ老義父なのであった
A井口・千明(東京都葛飾区青砥6−23−16)
※犯罪首謀者高添・沼田の子分/いつも逆らえずに言いなりになっている金魚のフン/親子孫一族そろって低能
 低学歴で醜いほどの学歴コンプレックスの塊/超変態で食糞愛好家である/醜悪で不気味な顔つきが特徴的である
B宇野壽倫(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸202)
※色黒で醜く太っている醜悪黒豚宇野壽倫/低学歴で人間性が醜いだけでなく今後の人生でもう二度と女とセックスをすることができないほど容姿が醜悪である
 異臭を流し込んでくるなどの嫌がらせを何度も繰り返ししつこく行ってくる嫌がらせ犯罪者である
C色川高志(東京都葛飾区青砥6−23−21ハイツニュー青戸103)
※色川高志はyoutubeの視聴回数を勝手に短時間に何百何千時には何万回と増やしたり高評価・低評価の数字を一人でいくつも増やしたり減らしたりなどの
 youtubeの正常な運営を脅かし信頼性を損なわせるような犯罪的業務妨害行為を行っています
※色川高志は現在、生活保護を不正に受給している犯罪者です/どんどん警察や役所に通報・密告してやってください

【通報先】
◎葛飾区福祉事務所(西生活課)
〒124−8555
東京都葛飾区立石5−13−1
рO3−3695−1111

D清水(東京都葛飾区青砥6−23−19)
※低学歴脱糞老女:清水婆婆 ☆☆低学歴脱糞老女・清水婆婆は高学歴家系を一方的に憎悪している☆☆
 清水婆婆はコンプレックスの塊でとにかく底意地が悪い/醜悪な形相で嫌がらせを楽しんでいるまさに悪魔のような老婆である
E高橋(東京都葛飾区青砥6−23−23)
※高橋母は夫婦の夜の営み亀甲縛り食い込み緊縛プレイの最中に高橋親父にどさくさに紛れて首を絞められて殺されそうになったことがある
F長木義明(東京都葛飾区青砥6−23−20

290日本@名無史さん2019/04/12(金) 11:50:19.37
日本一社 延喜式式内社 阿波國美馬郡 弥都波能売神社 ミツハノメ神社(式内社)も、日本全国で阿波にしか存在しません。

鎮座地 徳島県美馬市美馬町字滝ノ宮231

御祭神 素盞嗚命

創立年代不詳

八坂神社 式内社「弥都波能賣神社」論社の一社。

比定社は他にも美馬市脇町拝原にある「八大龍王神社」、美馬市脇町猪尻の「建神社」、三好市井川町井内「武大神社」などがある。

武大神社は、当社の地名と同じ「滝宮」と称されており、御祭神も当社と同じく「素盞嗚尊」。

建神社の御祭神も「素盞嗚尊」で論社に共通点がある。

神名そのままの弥都波能賣神社という式内社も日本で唯一阿波にしかない

http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/47238888.html

291日本@名無史さん2019/04/12(金) 18:10:00.80
四国地域において長さ5cm前後の大型の蛇紋岩製勾玉は、

徳島県名東遺跡、南庄遺跡、七条経塚遺跡、石井城ノ内遺跡、

香川県旧練兵場遺跡、石田布施遺跡、原間遺跡、

愛媛県今若遺跡、

高知県下ノ坪遺跡、(曹長石)などに認められる。

これらは多様な石質・形状から弥生時代後期前半期における自己完結的な製作消費が考えられるが、

これと相前後して、斉一性の強い小型勾玉の一群が出現する。

阿波地域を中心に点在しており、石材・色調・形状から特定の場所で作られたと考えられる。

蛇紋岩の製作遺跡 東みよし町稲持遺跡。徳島市矢野遺跡、上板町七条経塚遺跡

原石産出地 徳島県吉野川加茂谷川水系蛇紋岩

矢野型の各地の分布 讃岐地域・吉備地域と西縁・伊予地域・豊前、筑前、肥前地域

2014/8/23 「阿波の勾玉最前線―蛇紋岩製弥生勾玉の拡散」 講座資料抜粋

徳島県埋蔵文化財センター 菅原康夫氏

292日本@名無史さん2019/04/12(金) 18:22:22.27
忌部の話 二十 「三種の神器」その三               尾野 益大
 
朝廷の祭祀には玉が祭料,幣帛として使われた。忌部は,大和朝廷が祭祀に必要としたその玉類の生産,調達にかかわっていたとの指摘がある。

忌部の祖神である「天太玉命」に玉の文字が含まれていることも偶然ではないはずだ。

「日本書紀」(神代下第九段)に忌部に関する記述があり「…櫛明(くしあかる)玉神を作玉者とす…」とある。「古語拾遺」にも似た記述があり,忌部氏はいろいろな神を率いて幣帛・祭具の生産に従事した。

櫛明玉神は出雲国の玉作の祖という。

さて,島根県で玉作といえば,出雲玉作遺跡がある玉湯町,松江市忌部だ。つまり旧意宇郡忌部郷を中心とする地域だった。

「延喜式祇式」臨時祭条に「…毎年十月以前令意宇郡神戸玉作氏造備…」とある。

これを「出雲風土記」と照らすと,毎年十月に玉を調達した玉作氏の住む意宇郡神戸が,「和名抄」に出てくる「忌部神戸」であることが明らかになる。つまり出雲の玉作りは忌部が行っていたわけだ。

もちろん,忌部の祖神を祀る天太玉命神社がある奈良県橿原市の近くにも玉作遺跡である曽我遺跡がある。大和朝廷の官立の玉作工房だったようだ。

徳島の玉作遺跡は,徳島市国府町矢野の「矢野遺跡」と三好市三加茂町の「稲持遺跡」がある。両遺跡とも緑灰色の蛇紋岩を使用し,勾玉の製作をしていた。矢野では気延山や眉山から石を運んできたようだ。

時代は矢野が若干古く弥生時代後期後半とみられる。矢野遺跡周辺は,いうまでもなく古代阿波が最も栄えていた土地である。

293日本@名無史さん2019/04/13(土) 06:51:38.88
奈良藤原京より先の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡に習字をしていた。

阿波国国府町の観音寺・敷地遺跡から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。

ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯、上級貴族が使用する油杯(燈明)など官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。

ではなぜ、奈良藤原京より先の時代に、阿波の地にそれらが存在したのか。

それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。

阿波国府推定地に隣接する観音寺・敷地遺跡出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)以外には存在しない。 @阿波

294日本@名無史さん2019/04/13(土) 07:32:31.61
どのスレだったかな、数年前の話


まだ記紀(神話)なんて信じているのか?
と言ってる人がいたでしょ

295日本@名無史さん2019/04/13(土) 07:35:52.28
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加賀志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社である。

『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
@ 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
A 伊加賀志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
B 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
C 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること

などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性が非常に高い。

「伊加賀志(いかがし)神社」 http://sueyasumas.exblog.jp/10039623/

296日本@名無史さん2019/04/13(土) 09:45:07.28
「倭迹迹日百襲姫命」は徳島市国府町(旧黒田村)の第七代孝霊天皇「黒田廬戸宮跡」で幼少期を過ごし、

阿波市市場町「箸供養」からほど近い「奈良坂」より阿讃山脈を越え、讃岐地方に移動した。

そして、その類い稀な能力を駆使して水を利用した農業の神として祭祀されている。

阿讃山脈を越えて留まった地域が「水主神社(香川県東かがわ市水主1418)」付近。

「水主神社」から北上すると倭迹迹日百襲姫命が海岸に舟を留めて休息したとき、

船人が舟の艪を海岸の松にたて掛けたとの伝承がある「鱸懸神社(東かがわ市馬篠440番443番)」。

「鱸懸神社」を少し北上すれば「袖掛神社(東かがわ市小磯)」。そして西へ移動して高松市内に鎮座する「船山神社(高松市仏生山町大字百相神宮寺)」。

船岡山は倭迹迹日百襲姫命が水主神社からこの周辺に移動して来て住んでいた地。

船岡山は古く百相(もまい)郷に属し船山と称し、地名の百相(ももそ)は倭迹迹日百襲姫命の名に由来すると伝わる。

当地は田村神社の別当寺であった神宮寺(百相廃寺)のあった場所である。

次は讃岐一宮の「田村神社(高松市一宮町286)」。倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命(別名 吉備津彦命)・猿田彦大神・天隠山命・天五田根命を祭神とし、

これを「田村大神」と総称する。

297日本@名無史さん2019/04/13(土) 11:03:41.77
阿波の一宮神社の社家、大宮司家を世襲した一宮長宗の流れを汲む一宮氏(分家)が「水主神社」の宮司として祭祀を行っていた時期があり、

この部分についても「大宜都比売命」と「倭迹迹日百襲姫命」に何らかの繋がりがあったと考えられる。

298日本@名無史さん2019/04/13(土) 11:27:51.21
倭迹迹日百襲姫命の父にあたる第七代孝霊天皇の陵墓と黒田廬戸宮跡は、旧黒田村であった徳島市国府町芝原の蔵殊院あたり、

百襲姫の弟君にあたる日子刺肩別命は、蔵殊院から東に5km隔てた徳島市不動町の式内社「天佐自能和気神社」で祀られている。

王族らによる阿波(倭)から讃岐(山背・難波)への進出は、孝霊天皇の御子時代から盛んになり、

第十五代応神天皇の御宇に至って、ついに香川県さぬき市津田の「前期難波宮」に皇居を営むことになる。

299日本@名無史さん2019/04/13(土) 11:41:08.81
【応神天皇(倭王讃)の難波大隈宮】
   「春三月に、難波宮に幸せる時の歌」

「眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ船 泊まり知らずも」

   「上の一首、船王の作」


奈良時代の後期難波宮(大阪市)からは「阿波の山」は絶対に見えない。
また、この「阿波の山」は、徳島市の眉山ではなく、香川県さぬき市津田の前期難波宮辺りから見た、なだらかな讃岐山脈である。

倭国(阿波)から遷都する前の飛鳥時代に宮が設置された前期難波宮は香川県さぬき市津田。
この歌は香川県さぬき市津田の前期難波宮で読まれた歌六首の一つである。

300日本@名無史さん2019/04/13(土) 12:16:33.68
「あわじ嶋 いや二並び 小豆島 いや二並び 寄ろしき嶋嶋・・・」

この歌は、応神天皇の難波大隈宮がどこに営まれたか、その地理的条件を浮かびあがらせる。

通説の難波大隈宮から見えるのは、淡路島だけで、小豆島は105km離れ、淡路島北端の岩屋と神戸市須磨浦の鉢伏山山塊に遮られ、全く望むことは出来ない。

また、丘陵や山地が存在しないため、天皇が高臺から兄媛の船を見送ったという説話も生まれようがない。

さらに、天皇が徴発した三原の海人は、淡路島南端の三原郡の海人といえるが、大阪湾とは正反対の最遠地である。

これらの説話は、古代「難波」の地であった讃岐の出来事を伝えたもので、応神天皇の難波大隈宮は、

さぬき市津田町、雨滝山東斜面の御座殿・神野あたりに推定される。

301日本@名無史さん2019/04/13(土) 18:00:12.22
仁徳天皇の大后、石之日売命は、葛城之曾都毘古の娘である。

葛城之曾都毘古の父は、第8代天皇・孝元天皇(こうげんてんのう)の御子、武内宿禰(たけうちのすくね)。

母は、山下影日賣(やましたのかげひめ) で、その兄が珍彦(うづひこ)である。

珍彦(うづひこ)とは、神武天皇を水先案内し、後に倭国造の祖となった倭宿禰命であり、その父が「天村雲命」である。

吉備の黒日売は「海部直の娘」であるが、その海部直の祖先にも当たる。

その「天村雲命」が日本で唯一の式内社「天村雲神伊自波夜比賣神社」にて、阿波で祀られている。

式内社 天村雲神伊自波夜比賣神社http://www.genbu.net/data/awa2/murakumo2_title.htm

302日本@名無史さん2019/04/13(土) 18:03:10.68
神武天皇が珍彦(うづひこ)とめぐり合った「速吸門」は、「鳴門海峡」のこと。

海人族をも支配し、各地の海を知り尽くしていた天皇家の物語で、鳴門以外の海を速吸門(はやすいなと)などと表現するわけがない。


潮流の速さ【速】と、巨大な渦潮【吸】と、【門】で表現される地形、「なと」「なると」の響き。

当然、珍彦(うづひこ)の「うづ」は、渦潮(うづしお)の「うづ」であろう。

また、山下影日賣の「山下」は、これも地名から取っており、『和名抄』に記される阿波國板野郡「山下(也萬乃之多)」郷のことで、現在の鳴門地方である。

現在の地名(住所表示)では確認できないが、その山の南北に「葛城神社」が鎮座する。

その山とは「葛城の山」を示唆している。

従って、「葛城」も、鳴門地方の地名と思われる。

303日本@名無史さん2019/04/13(土) 18:20:25.30
『古事記』には、葛城長江 曾都毘古(かづらきの、「ながえ」の、そつひこ)と記され、「葛城」地方のなかに「長江」があることが確認できる。

現在の鳴門市に、古代からの地名、「大津」が残っており、その大津町に「長江」が在る。

もちろん、『古事記』に登場する“本来”の「大津」とは、この地のことである。

葛城がそれなりに広範囲な地名であることもわかるが、『古事記』文中には度々「葛城の〇〇」、という感じで登場する。

孝元天皇の妃の一人が、伊香色謎命(いかがしこめのみこと) 延喜式式内社 伊加賀志神社 である。

妃にはまた、埴安姫命がいるが、阿波國那賀郡の式内社 「建嶋女祖命神社」の御祭神となっている。

伊加賀志神社、建嶋女祖命神社ともに、全国唯一の阿波国式内社である。

「伊加賀志神社」 https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/44664411.html
「建嶋女祖命神社」 http://www.genbu.net/data/awa2/takesima_title.htm

304日本@名無史さん2019/04/13(土) 19:20:09.65
いわ」も地名から取ったと考えられるが、讃岐の難波郷から南に進み阿波へ入ると「いわ野」の地名がある。

そこから東に進み、鳴門地方にも「いわ浜」「いわ崎」があり、「いわ国」と推定されるエリアと、上記の神々、人々の関連地が全く一致する。

石之日売は、「みつ」の崎で、御綱柏を海に投げ棄てたのち、怒りのままに難波宮を通り過ぎて、故郷の国「葛城(鳴門)」を目指す。

(一旦難波に戻ったのは、その怒る様を天皇に見せつけるためであろう。)

「宮には入り坐さずして、其の御船を引き避きて、堀江に泝(さかのぼ)り、河のまにまに、山代に上り幸でましき。

山代より迴り、那良山の口に到り坐して、歌ひ曰りたまはく・・・」

阿波國には「山代」郷も存在したが、この場合の山代は地形の形容詞だと思われる。

阿波には「河内」「日浦」「宇佐」など地形から生まれた地名が複数存在する例がある。

「やましろ」は、山背とも書き、山の背、後ろ側、すなわちこの場合は、阿波本国から見て、阿讃山脈の裏側という意味である。

讃岐の難波郷から(南へ上る川に人力で船を引き、所々で乗り継ぎながら)、古代の難波奈良街道に沿って大坂峠を越え、日開谷川を吉野川へと下る。

この途中に上に書いた「いわ野」がある。 そして吉野川に突き当たった一帯が「奈良」である。

305日本@名無史さん2019/04/13(土) 19:22:11.69
石之日売の「いわ」も地名から取ったと考えられるが、讃岐の難波郷から南に進み阿波へ入ると「いわ野」の地名がある。

そこから東に進み、鳴門地方にも「いわ浜」「いわ崎」があり、「いわ国」と推定されるエリアと、上記の神々、人々の関連地が全く一致する。

石之日売は、「みつ」の崎で、御綱柏を海に投げ棄てたのち、怒りのままに難波宮を通り過ぎて、故郷の国「葛城(鳴門)」を目指す。

(一旦難波に戻ったのは、その怒る様を天皇に見せつけるためであろう。)

「宮には入り坐さずして、其の御船を引き避きて、堀江に泝(さかのぼ)り、河のまにまに、山代に上り幸でましき。

山代より迴り、那良山の口に到り坐して、歌ひ曰りたまはく・・・」

阿波國には「山代」郷も存在したが、この場合の山代は地形の形容詞だと思われる。

阿波には「河内」「日浦」「宇佐」など地形から生まれた地名が複数存在する例がある。

「やましろ」は、山背とも書き、山の背、後ろ側、すなわちこの場合は、阿波本国から見て、阿讃山脈の裏側という意味である。

讃岐の難波郷から(南へ上る川に人力で船を引き、所々で乗り継ぎながら)、古代の難波奈良街道に沿って大坂峠を越え、日開谷川を吉野川へと下る。

この途中に上に書いた「いわ野」がある。 そして吉野川に突き当たった一帯が「奈良」である。

306日本@名無史さん2019/04/14(日) 08:14:49.04
【飛鳥の地は小松島市一帯】

小松島市嶋ノ宮神社南方の大林町は「あすか」と呼ばれていた。 そして、江戸時代まで「飛鳥神社」が鎮座していた。

香具山―小松島市日峯山・籠山(かごやま)

307日本@名無史さん2019/04/14(日) 08:31:01.69
 萬葉集註釈 巻第三 

「阿波国風土記の如くは、天(そら)より降り下りたる山の大きなるは、阿波国に降り下りたるを、アマノモト山と云ふ、

その山の砕けて大和国に降りつきたるを、天香具山と云ふ。」

308日本@名無史さん2019/04/14(日) 08:55:18.43
※各地の風土記のうち、天地初発より記された風土記は阿波国風土記のみ。

「阿波国風土記」  https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

「阿波国(あわのくに)」  https://enkieden.exblog.jp/23480944/

309日本@名無史さん2019/04/14(日) 12:47:00.09
『和名抄』 阿波国板野郡の郷名に「田上」がある。 阿波の田上郷は鳴門市大麻町坂東に比定されている。

この郷の民の一部を記した延喜2年の「田上郷戸籍断簡」が遺っている。23氏487口の名簿である。

この「田上郷戸籍断簡」の中には、帰化人系の氏である「服部(はとりべ)」、「錦部(にしきべ)」、「漢人(あやひと)」、「秦(はた)」が見える。

このうち漢人(あやひと)を除く三氏はすべて衣手(職業集団)である。

この「田上郷戸籍断簡」により、倭国(阿波)に半島帰化人が来ていた事実が分かる。

310日本@名無史さん2019/04/14(日) 14:40:03.69
中国朱が検出された萩原墳墓群・天河別神社古墳群のある地域を支配していた有力者は

当時、魏と交流していたことがうかがえる。

その、魏の水銀朱が使われた萩原古墳群から出土の画文帯神獣鏡

同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群から出土の斜縁二神二獣鏡

魏から下賜された鏡は、この画文帯神獣鏡か斜縁二神二獣鏡 このどちらかの可能性が高い。 

311日本@名無史さん2019/04/14(日) 17:04:56.80
「淡海」とは「阿波海」のこと。

そもそも通説とされる滋賀県の「大津」は平安遷都の際に「大津」の地名が誕生している。よって天智天皇の時代には滋賀県(近江)に「大津」の地名は存在しおらず、現在の通説では不都合が生じてしまう。

「山背を山城と改め新京を平安京と名付ける、また近江の古津を大津と称する」とあり、天智天皇が六六七年に、淡海の大津宮を拓いた当時、滋賀県大津はまだ存在していない。

近江=「淡海」とされているが、これは後世の解釈によって踏襲されているだけ。

本居宣長も、「あふみ(淡海•近江)は「阿波宇美(あわうみ)が切(つづ)ま」ったものと説き、 

また記紀にみえる淡洲(あわのしま)・阿波国(あわのくに)・淡島・阿波島(あわしま)の用例や、

淡路島の名の由来が阿波への道(阿波に至る途中の島)の意味から、「淡海」は「阿波海」が転記されたもの。

例えば「万葉集(巻二ー 一五三)の大后の御歌では

鯨魚(いさな)取り 近江(淡海)の海を 沖放(さ)けて 漕ぎ来る舟 辺(へ)付きて 漕ぎ来る舟 沖つ櫂(かい) いたくなはねそ 辺つ櫂

いたくなはねそ 若草の 夫(つま)の 思ふ鳥立つ

ここで歌われている「いさな」とは鯨の古称。鯨が滋賀県大津に隣接する琵琶湖に生息しているのだろうか。

ここの「近江(淡海)」とは紀伊水道の「淡海(阿波海)」なのである。

312日本@名無史さん2019/04/14(日) 19:24:48.56
「土製仮面」はこれまでに全国で約120点見つかっているが、出土地点は阿波国の矢野遺跡が最西端に位置する。

同遺跡は縄文時代から中世にかけての県内有数の複合遺跡で、調査の結果、「土製仮面」は縄文時代後期(約4千年前)のものとみられる。

この「土製仮面」作成時期も国内では最古のクラスにあたる。「貝製仮面」は5000年前の物が九州からも発見されているようだが、土製のモノはこれが最古級である。

「土製仮面」の使われた時期と地域の偏りから、今の状況では四国東部から発生し、近畿・中部・東北方面へと伝播していったことが明確である。

用途としては、土偶、石棒などが同時に出土している事を考えると、祭祀の時に使われたと考えるのが妥当である。

また、仮面表面の多数の穴の跡は、後年の魏志倭人伝にも「男子無大小,皆面黥面文身」とあるように入墨(文身)を表したものであろう。

313日本@名無史さん2019/04/14(日) 20:04:11.04
さて、神武東征の際に活躍した「大久米命(おおくめのみこと)」が黥面だったことが古事記に記載されている。 

「大久米命」は神武東征に随行した久米一族の祖神にあたる。

久米一族については、石井町の久米勝夫氏による、全国の久米氏を調査した資料「久米一族の調査研究」によれば、昭和55年現在、全国の久米姓は5461戸。

一般的に言われる久米氏の本拠地は大和国久米(奈良県橿原市)であるはずだが、奈良県に在する久米姓は、わずか43戸(当時)、徳島県は540戸となっていた。

一方、徳島県内では徳島市と石井町に集中している。

さらに言えば、矢野遺跡や観音寺遺跡などのある国府町の気延山付近を「気延の庄」、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうである。

まさに、全国の久米姓の本拠地は徳島県石井町近辺なのである。

「矢野遺跡」
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C6%C1%C5%E7%BB%D4%2F%CC%F0%CC%EE%B0%E4%C0%D7

314日本@名無史さん2019/04/14(日) 20:05:39.66
倭〜という人物などがいるでしょ、
なぜ皇族と(表記)書いてあるの?

315日本@名無史さん2019/04/14(日) 20:14:24.71
アマテラス(不明)?

ここから誕生したのが皇族(不明)という話なんだろうけど、
民族的には、どこの国の人間になるの?

316日本@名無史さん2019/04/14(日) 20:17:18.13
『倭 皇族』

これで調べてみて

317日本@名無史さん2019/04/14(日) 21:56:53.22
長野県諏訪市にある「諏訪大社」は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波國名方郡「多祁御奈刀弥神社 御祭神 建御名方命」から移遷された、と社伝にあるそうだ。

その頃、現在の長野県にある諏訪大社は「南方刀美(みなとみ)神社」と言われており、阿波からご祭神が移されてきたことが伝えられている。

つまり大国主命の息子神である建御名方神はここ徳島県石井町諏訪の「多祁御奈刀弥神社」に祀られ、ここから各地に広がっていった、ということである。

それにしても観光地として多くの参拝者が訪れる諏訪大社のご祭神が阿波から移遷された神様だと知っているひとはどれだけいるだろうか。

http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/46148157.html

318日本@名無史さん2019/04/15(月) 07:47:27.63
神武天皇に鳴門で敗れた長髄彦は、『古事記』では 「那賀」須泥毘古 また 「登美能那賀」須泥毘古 と表記されている。

『日本書紀』には、「ナカ」邑の地に、また「トビ」の地名が起こり、それが後に訛って「トミ」になったと書かれている。

「登美」の後裔氏族には「中臣(ナカトミ)氏」がいる。

徳島県板野郡板野町周辺は、「東中富」「西中富」「富の谷」「富の谷口」「富の谷川」など中臣の地名が多く残る遺跡の密集地である。

長髄彦の末裔 中臣氏の本貫地は徳島県板野郡板野町周辺の可能性が高い。

319日本@名無史さん2019/04/15(月) 12:18:42.59
「住吉大明神こと住吉神社」

板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。

祭神は神功皇后、表筒男命、中筒男命、底筒男命。

鎮座地は神功皇后ゆかりの地で当社は全国住吉神社の元社にあたる。

神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。 息長ということは生粋の海人族である。

大陸進出にあたり航海の守護神として、底筒男命、中筒男命、表筒男命を御舟に祀っていた。

320日本@名無史さん2019/04/15(月) 16:54:09.96
百済征伐の帰りに当地(板野郡藍住町住吉)に寄り、御舟に祀っていた住吉三神を降ろしたのであろう。

そのほか、夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。

また御子である応神天皇の葬場跡は南に位置する応神町宮島。

審神者(さにわ)で顕れた淡郡の嚴(いつの)事代主は吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社「事代主神社」で祀られている。

ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違う。 神功皇后も幼少の頃より古の各海人部族の神話を聞かされていたのであろう。

そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。

321日本@名無史さん2019/04/15(月) 16:56:06.26
お前の中では、そうなんだろうな、
それで、どこの池沼なんだ?

322日本@名無史さん2019/04/15(月) 16:57:20.66
ちなみの家は『松傾』?

こういう名前の家なんだけど、どういう事だと思う

323日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:01:22.45
底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)

中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)

表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)

神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳である。 

324日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:01:41.01
アタマのビョーインに行けと言っているんだよwww
どこの低脳なんだ?

『松傾』
こういう名前の家、上の名前の読み方も
「す」?だと言っているし

325日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:07:35.01
少しは理解出来ただろう、
はやく刑務所に行け、べつに自殺でも良いけど。


『松傾』
本当に、こういう名前の家、ググってみてw

326日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:34:06.13
阿波では古来より、県西部の剣山系山岳集落を指して「空・ソラ」と呼ぶ。 まさに、高天原「空・ソラ」の地である。

倭国(阿波)には、一宇村に「天磐戸神社」  神山町に「天岩戸立岩神社」 2社が鎮座している。

いずれも、いかにも高天原然とした山深い処である。  @阿波

一宇村 「天磐戸神社」 http://ohara98jp.exblog.jp/23714547/

神山町 「天岩戸立岩神社」 http://yukitukihana.jimdo.com/%E3%81%94%E8%BF%91%E6%89%80%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2/%E5%A4%A9%E5%B2%A9%E6%88%B8%E7%AB%8B%E5%B2%A9%E7%A5%9E%E7%A4%BE/

327日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:37:33.45
神山町 「天岩戸立岩神社」 https://ykoba84.exblog.jp/16566638/

328日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:39:03.45
それで、お前がアマテラスで・・・神武なの?

「さあ❔」

329日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:39:14.02
太陽神天照が卑弥呼って説あるが、実際日本神話の神々って実在の人物なのかな?

330日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:40:36.61
だとしたら、高天原は天でもなんでもなく、日本国内(あるいは国外)のどこかに実在するのでは?

331日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:41:20.50
封神演義みたいな、実話をもとにしたフィクション説。

332日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:41:31.63
その剣山系山岳集落(高天原)から降臨したところに鎮座する邇邇芸命(ニニギノ命)神陵跡

磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)  http://sueyasumas.exblog.jp/7300075/

333日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:42:11.61
三貴子でしょ?
日本の話ではないと、何度言えばわかるんだ?

334日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:49:10.00
残念ながら時代が対応していないが、中国の歴史書の「倭国大乱」と、日本の神話上の「荒ぶる神々を平定」を対応させて考えれば…

確か、三国志魏志倭人伝に、「卑弥呼を王に立て、倭は治った。」というくだりがあるでしょ?

335日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:50:52.23
記紀には崇神紀七年、「大田田根子」を大物主大神の祭主とし、翌八年には高橋邑の「活日」を大神(オオミワ)の掌酒(サカビト)にすると記されている。

その大神とは「大物主大神」を指し、祭主となった大田田根子の「祭祀場」と掌酒を分担した活日の「高橋邑」は近接していたことになる。

阿波国旧美馬郡にある「段の塚穴型石室」といわれる特異な石室構造をもつ古墳は、分布範囲がほぼ旧美馬郡に限られており、

段の塚穴の2基のみでなく、旧美馬郡の範囲の古墳に共通してみられる特徴である。

その吉野川北岸美馬郡美馬町「段の塚穴」の南対岸 貞光町に「太田」と「高橋」の地名が並んで残っている。 

尚且つ、日本唯一社「倭大国魂神社」が旧美馬郡美馬町に存在している。

336日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:50:57.00
日本神話の内容と中国の歴史書の倭の記述の内容が酷似している。

337日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:56:58.00
『神仙界』の話?

家の話なんだけどw日本ではそうなっている、
どうにもならない事なんだよ

338日本@名無史さん2019/04/15(月) 17:58:08.02
やはり史実か。日本はローマ帝国と同じで、菅原道真や徳川家康、明治天皇など、人を神として祀る(神格化の)伝統があるしな。

家康→東照大権現(日光東照宮)
卑弥呼→天照(伊勢神宮)

という感じ?

339日本@名無史さん2019/04/15(月) 18:00:13.62
『伊達の桃太郎』

この辺りの話でしょ?
蚕を飼い、機織りをしていて・・・。

牛を飼い・・・とか、
なぜ詳しいんだと思う?

340日本@名無史さん2019/04/15(月) 18:03:26.20
むかーし


橋が架かった、完成したので・・・、
来てくださいという招待状が届いたこともあったという話とか

『日本昔話 天狗の羽うちわ』?

341日本@名無史さん2019/04/15(月) 18:07:03.37
例えば、「西遊記」は妖怪変化が山ほどでてくるけど、史実として「大唐西域記」ってのがある。
フィクションの「三国志演義」には、正史「三国志」がある。
「水滸伝」も実話に基づいたフィクション。
後漢書東夷伝、三国志魏志倭人伝、宋書倭国伝などのおそらく史実であろう中国の歴史書と、古事記、日本書紀などの日本神話を比較検討して調べれば(まあそうしているだろうが)、かなり日本古代史が正確になって行くと思う。

342日本@名無史さん2019/04/15(月) 18:09:33.90
「大田田根子」は「大国主命」の五世孫とされ、崇神天皇は河内の美努村(ミノノムラ)から「大田田根子」を探し求めたとされる。

この「河内の美努村」とは「三好郡美野郷」のことで、現在の三野町にあたる。

また日本書紀では「陶邑(スエムラ)から大田田根子を得た」とあるが、これは「三好郡美野郷」三野町の吉野川対岸に位置する三加茂町、

その下流の半田町が「陶邑」と考えられる。

半田(ハンダ)は植田(ハニタ)が変化したもの。 これは陶器や埴輪、瓦をつくる邑の意味になる。

このように「太田田根子」にまつわる伝承は、阿波の地名や伝承そして「倭大国魂神社」が、現に美馬郡に鎮座していることから裏付けられるのである。

343日本@名無史さん2019/04/15(月) 18:31:32.95
阿波町新開にある賀茂神社を訪れたときです。
名称からすると鴨族に由来する神社でありますが、境内に瓊瓊杵尊と他に3名の方の
名を記した大きな石柱がありました。
内お一人は我家に伝わる始祖の方のお名前です。
不思議に思い、宮司さんのお家が近在に会ったため図々しくも訪問しお話を伺いました。
宮司さんに教えて頂いた事は、当神社(宮司家)に昔から伝わるご祭神は瓊瓊杵尊及び
3名の方(天孫降臨時の随伴者)だそうで、欠かさずこれ等の方々をお祀りしている
そうです。そして天孫降臨の舞台は神社から南方、四国山脈を指さして、「ここだから」と
真顔でお話頂きました。
ちなみに宮司家の紋は「三つ葉葵」だそうです。徳川家の紋と同じです。
江戸時代、徳川巡見使も訪れていたようで、その時は「三つ葉葵」の紋付き袴で迎えていたとの事、
当然お咎めもないとの事で、通常なら考えられない出来事です。
徳川家も鴨族の末裔とされていますし、恐らく幕府要人も阿波国の由緒を知っていたのでしょうね。
さもなければ、元禄忠臣蔵事件当時に幕府より蜂須賀藩に阿波国にある古代天皇陵の調査など
命じないでしょう。

344日本@名無史さん2019/04/15(月) 18:49:58.11
>>343
>さもなければ、元禄忠臣蔵事件当時に幕府より蜂須賀藩に阿波国にある古代天皇陵の調査など
>命じないでしょう。

【徳島市大原町千代ヶ丸山 観音山古墳は、反正天皇の御陵跡であった】

元禄年間に徳川幕府から「阿波淡路右両国之内、古代之天子葬之場所有之由ニ候云々」として阿波で古代天皇の埋葬が行われた痕跡を徳島藩に調査させている。

元禄十四年四月二十四日(同日)、勝浦郡大原村千代ヶ丸の観音山古墳を徳島藩普請奉行 猪子理五郎等が掘り出した時の記録も残っている。

345日本@名無史さん2019/04/15(月) 19:03:01.24
『(元禄)同十年十一月十九日、土屋相模守殿、御留守居呼出左之書付御渡、 覺  阿波淡路右兩國之内、古代之、

天子葬之場所有之由に候、淡路國三原郡有之旨に候、場所吟味有之候䔡其所に矢奈等被申付、雑人不入込候様可被申付候(中略… )

同十四年四月廿四日、勝浦郡大原村千代ヶ丸觀音山へ、普請奉行猪子理五郎、森脇彌五兵衛罷越、石之櫃堀出し申處に、内に右左品々有之、

一、石櫃長九尺八寸、深貮尺九寸、幅三尺餘、切ふさ貮枚、むぎ合に仕、内樋有之、
一、しやれかうべ貮つ、長サあぎとまで壹尺四寸、丸サ三尺七寸廻り、兩眼の間三寸、
一、上下の齒長さ八分、左奥齒より右之奥齒まで壹尺四寸、兩方の耳幅長さ壹尺五分、
一、今一つかうべの儀は不分明
一、刀一腰長さ六尺八寸、幅貮寸五分、
一、釼二振有之内一振は長五尺五分、幅三寸五分、今一振は長壹尺五寸、幅三寸五分、
一、鉾一、長さ貮尺は丶七寸、石突八寸、
一、矢根廿五本有之、長壹尺貮寸、幅三寸、
一、からうとの内かうや貮つに書付添、

右之通 以上』

346日本@名無史さん2019/04/15(月) 19:10:44.55
「古代天子葬之場所有之由の候… 」 この記述から、徳川幕府は阿波国に古代天皇陵が存在することを知っていたことになる。

反正天皇は「古事記」に「御身の長(たけ)九尺ニ寸半、御歯の長さ一寸、広さニ分、上下等し斉(ととの)ひ、既に珠を貫けるが如くなりき。」

と記録されているが、こちらの記録と千代ヶ丸 観音山古墳の埋葬者の身体サイズときちんと一致している。

徳島市は大原町千代ヶ丸。この千代ヶ丸山 観音山古墳は、実は反正天皇の御陵跡であったのである。

347日本@名無史さん2019/04/15(月) 20:27:18.52
「神道五部書」の『豊受皇太神御鎮座本記』の内容を「国史大系」の第七巻から見てみると

「天村雲命伊勢大神主上祖也。神皇産霊神六世之孫也。阿波國麻植郡座忌部神社、天村雲神社、二座是也」

阿波國に座す二社(忌部神社、天村雲神社)が皇祖皇統の正統なる末裔であると記している。

阿波忌部が伊勢神宮(少なくとも外宮の)の正統なる祭祀者であり、伊勢神宮は阿波忌部の上祖(天日鷲命)を祀っているのである。

348日本@名無史さん2019/04/15(月) 20:31:00.32
どこの池沼なんだ?

349日本@名無史さん2019/04/15(月) 20:39:45.47
内宮、外宮、両宮の御鎮座当初より忌部氏が祭祀を司っていたのはまぎれもない事実であり、6世紀に中臣氏に取って代わられるまでその地位は安泰だった。

その御鎮座時を記録するために度会氏が14世紀になってこの『豊受皇太神御鎮座本記』を記したのであろう。

ただ、「伊勢大神」というのは「天照大神」を指していて、

穀物神である豊受大神を祭神とする外宮「豊受大神宮」の記録『豊受皇太神御鎮座本記』に、この「伊勢大神」=「天照大神」の記述があるのは、非常に不自然である。

350日本@名無史さん2019/04/15(月) 22:08:22.53
主として近年の考古学上の成果によって、箸墓古墳に代表される奈良盆地の初期王とみられる古墳及びホケノ山古墳のルーツが阿波であることが明らかにされ、

また、卑弥呼の近畿年代(庄内式期)を含め、阿波の鮎喰川流域で製作された東阿波型土器(軽量薄型土器)が、近畿地域一円の多くの遺跡から大量に出土している。

さらに卑弥呼の没年頃から、阿波吉野川南岸の結晶片岩が船で運ばれ、同地域の首長級の古墳の石材として使用されていることも次第に明らかになってきた。

古い常識に捉われない研究者は、阿波の王権の東遷か、あるいは阿波の王権が、近畿・奈良地方に進出し、これらを従属化した痕跡と考えるのである。

351日本@名無史さん2019/04/16(火) 07:46:36.54
「阿波の神様 大宜都比売」

大宜都比売(大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)は、日本神話に登場する女神。

名前の「オオ」は「多」の意味、「ゲ」は「ケ」の食物の意味で、穀物・食物・蚕の女神である。

『古事記』においては、「大宜都比売」は国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の「阿波国の名前」として初めて表れる。

阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。

352日本@名無史さん2019/04/16(火) 08:27:31.05
阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ[「上一ノ宮大粟神社」の御祀神は「オオゲツヒメ」という神様だが、

オオゲツヒメ=御食津神=豊受大神

豊受大神というと伊勢神宮の外宮の神様だが、じつは外宮の神官「度会氏」は「忌部氏」の末裔。

元々は内宮、外宮とも、神官は忌部氏だった。

353日本@名無史さん2019/04/16(火) 17:36:30.67
大宜都比売神(オオゲツヒメ)は、『古事記』に云う粟国(阿波国)の国神となる女神であり、日本の養蚕・五穀の起源神、日本の偉大なる食物の女神、かつ日本最古の農業神である。

また、焼畑農業神、稲作・畑作農業神としての顔をもつ。『古事記』にあるオオゲツヒメの死は、死と再生という自然循環思想を表す。

穀物名を国名とするのも、農業神が国神となるのも日本で阿波国のみである。

354日本@名無史さん2019/04/16(火) 18:41:55.03
『大分宇佐神宮の勧請元は、阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)』 

大分の宇佐神宮の開基は725年。

一方、阿波国 国府町井戸 「八幡神社」   御祭神:誉田別命・仲哀天皇・三女命(いわゆる宗像三神)

「是社ノ奥深ク厳シク鎮守シ給フ当八幡宮(古称 井上八幡宮)ハ奉勧請白鳳二年 宇佐八幡宮ヨリ御分遷 誉田別命 仲哀天皇 三女命ヲ奉斎爾来惟神ノ誠を捧ゲ今ニ至 迄幾度改修・・・」 以下略

大分の宇佐神宮の創建より遡ること51年、白鳳二年(674年)にこの阿波国 国府町井戸 「八幡神社」 は阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮ヨリ御分遷」とある。

よって、大分の宇佐神宮も、『国府町井戸 八幡神社』 より51年遅れて、 神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)から勧請されたものであろう。

355日本@名無史さん2019/04/16(火) 20:20:05.54
「日下姓の起源」

古い由来の姓に「日下(くさか)」姓がある。

日下姓は、聖徳太子様の時代には存在していた名前である。 「古事記 中つ巻」の冒頭に日下の名前が登場するので、神代の時代から人代の時代に入った時には、もう既に存在していた名前である。

勿論、日本書紀にも出てくる。

阿波国(あわのくに:徳島県)の蜂須賀藩家臣成立書に、日下姓が見られる。 また、隣の香川県も日下姓が多く、高知県高岡郡日高村にも日下の地名がある。

徳島県全体としては、徳島市に集中しており、日本一「日下姓」が多い地域である。

香川県全体としては、高松市に集中しており、日本一の徳島市に続いて「日下姓」が多い地域である。

このことから、西日本に存在する日下姓の大半は、徳島県や香川県等、四国地方を起源にしていると考えられ、

よって、記紀に登場する日下姓をみても、記紀は四国地方を記したものと言える。

356日本@名無史さん2019/04/16(火) 21:42:31.75
阿波国内に二千基程度あると云われる地神塔。

これは阿波独特のもので、寛政二年(一七九〇)に徳島藩主であった蜂須賀治昭は、神職早雲伯耆の建白を受け、県下全域に地神塔(塚)を建て、春秋の社日(戌の日)に地神祭を行うようにさせたと言われている。

阿波藩独特の祭礼行事ではあるが、香川県の南部、岡山県南部の瀬戸内海に面する部落、北海道では阿波藩からの入植者のいる地域等で「地神さん」が祀られている。

その形は五角柱で、塔の五面には…

1. 天照大神
2. 大己貴命
3. 稲倉魂命
4. 少彦名命
5. 埴安媛命

が彫られている。

通説では農業五面神といわれているが、正しくは皇祖天照大御神、葦原中つ国の盟主神 大己貴命、薬学の神 少彦名命、稲米(五穀)の神 稲倉魂命、埴土(はに: 土器や祭祀にかかわる)の神埴安媛命

の五神で、記紀神話の中でも国土創生に欠かせない、いわば主役級の神々であり、阿波国内では神蹟の明らかな「土着の神」である。


http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/01/12/225133

357日本@名無史さん2019/04/16(火) 22:22:26.30
四国は四県合同で国から借金して
遺跡発掘しろよ。
それで邪馬台国=四国に確定すれば
経済効果は莫大だろ。
確定できなかった先は知らんがw

358日本@名無史さん2019/04/17(水) 07:52:51.18
少なくとも倭国(阿波)には、鉄鍛冶の工房が多数あり、畿内や九州を圧倒している。

359日本@名無史さん2019/04/17(水) 11:55:30.73
少なくとも倭国(阿波)には、辰砂(丹)の採掘遺跡があり、魏志倭人伝の「其山有丹」に唯一、合致している。

360日本@名無史さん2019/04/17(水) 12:41:46.77
少なくとも倭国(阿波)には、勾玉造りの工房や原石が存在していることから、勾玉造りの発祥地でもある。

361日本@名無史さん2019/04/17(水) 14:46:25.54
なんで奈良はバンバン発掘やってるのに徳島はさっぱり?
奈良はどうして発掘費用が出るの?
徳島は差別されてる?

362日本@名無史さん2019/04/17(水) 15:31:46.79
魏志倭人伝に曰く
「卑弥呼の死去に伴う徇葬者は百余人」。
無知な人たちは箸墓古墳が卑弥呼の墓だと申すが、今まで散々調査を行ってきても
未だq葬者達の墓(古墳)は見つかっていない。
倭人伝の記載に合致する卑弥呼の墓と見做される古墳は徳島気延山のみであろう。
八倉姫神社奥の院の古墳及びその周辺の小さな古墳群は正に魏志倭人伝を彷彿とさせるね。

363日本@名無史さん2019/04/17(水) 17:10:43.62
矢野遺跡なぜもっと掘らない?
音楽ホールやらオーケストラやらにあれだけ金使ってるんだから
金ないとは言わせない

364日本@名無史さん2019/04/17(水) 18:18:19.37
少なくとも倭国(阿波)には、各地に特異な弥生後期集落遺跡群が点在し、畿内や九州を圧倒している。

365日本@名無史さん2019/04/17(水) 19:41:53.85
少なくとも倭国(阿波)では、弥生土器X様式期の小形丸底鉢(東阿波型土器)を発明しており、庄内式土器や布留式土器も「東阿波型土器」の一つである。

366日本@名無史さん2019/04/17(水) 20:54:19.44
少なくとも倭国(阿波)には、中国朱や中国鏡が出土していることから、倭国(阿波)が中国と交流していたのは紛れもない事実である。

367日本@名無史さん2019/04/17(水) 21:17:26.37
少なくとも倭国(阿波)には、前方後円墳の原型墳が存在していることから、前方後円墳の発祥地でもある。   

368日本@名無史さん2019/04/18(木) 12:40:02.86
あるあるばっかりで
どうやって広めていくのか
戦略性が足りないよ

369日本@名無史さん2019/04/18(木) 19:34:55.99
徳島城再建運動している小松格は九州説みたいだな残念

370日本@名無史さん2019/04/18(木) 19:57:34.15
立石かずひこが良かったのに。

371日本@名無史さん2019/04/18(木) 20:26:19.97
神武東征の舞台は阿波国内であり、 九州からの東征などではない。

神武軍が吉野川北岸の阿波市(西)から鳴門市(東)へ攻め下ったのが神武東征。

東征の参謀役となった速吸の門(はやすいのなと 鳴門海峡のこと)の大人・宇豆彦が「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。

その背後の山が宇豆彦の葬場である西山谷二号墳(円墳 出土品 圭頭形鉄鏃、やりがんな、鉄剣、鉄斧、斜線上方作銘獣帯鏡、鉄槍など)。

西山谷2号墳は 標高74mの尾根上、南北径20m、東西径18m・高さ2mの円墳で、 中央に南北方向の結晶片岩石積の竪穴式石室がある。

竪穴式石室は全長4.72m、北幅1.05m、南幅0.83m、 墓壙は南北6.5m、東西4.8mで全体が晶片岩で覆われている。

石室には粘土でつくられた棺台があり、刳抜式木棺があったと考えられている。

石室の床には水銀朱が塗られていて、特に北側が多量だった。

棺内北側から鉄鏃、ヤリガンナ、鉄剣、鉄斧、鉄片、青銅鏡など多くの副葬品が出土、棺外からは鉄槍や土器が出土した。

3世紀半ばの築造と推定されている。 

372日本@名無史さん2019/04/19(金) 15:37:51.48
370
1年後に市長選挙あるよ
出てくれるかわからないけど

373日本@名無史さん2019/04/19(金) 16:25:24.88
この団体(NPO法人阿波国古代研究所)から、年内にはコミックを発刊するようです。

コミック 「よみがえる皇都」 JTB出版

NPO法人阿波国古代研究所主催の講演会や遺跡巡りバスツアー  この頃、いつも満席になるね。

徐々に阿波が見直されつつある実感がする。   @阿波  

374日本@名無史さん2019/04/19(金) 17:11:37.42
祇園山古墳の「水銀朱」や「勾玉」「葺き石」「箱式石棺」等から、まず間違いなく筑紫忌部のお墓。

375日本@名無史さん2019/04/19(金) 17:51:08.88
「纒向勝山古墳」朱塗の板の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」。

376日本@名無史さん2019/04/19(金) 18:38:30.24
「黒塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」

377日本@名無史さん2019/04/19(金) 19:40:43.80
「東大寺山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」

378日本@名無史さん2019/04/19(金) 20:30:37.25
「桜井茶臼山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」

379日本@名無史さん2019/04/20(土) 17:52:45.96
「下池山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」

380日本@名無史さん2019/04/21(日) 12:35:31.69
「那珂八幡古墳」の水銀朱は、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」

381日本@名無史さん2019/04/21(日) 16:00:06.63
「津古生掛古墳」の水銀朱は、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」

382日本@名無史さん2019/04/21(日) 17:53:46.29
「椿井大塚山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく山城忌部が持ち込んだ「若杉山産」

383日本@名無史さん2019/04/22(月) 08:13:28.49
「大和天神山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」

384日本@名無史さん2019/04/22(月) 08:41:42.27
徳島古事記研究会 落合てるき 徳島市議落選

残念!

385日本@名無史さん2019/04/22(月) 10:37:03.39
「柳本大塚古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」

386日本@名無史さん2019/04/22(月) 14:51:27.28
「ホケノ山古墳」の水銀朱は、まず間違いなく大和忌部が持ち込んだ「若杉山産」

387日本@名無史さん2019/04/22(月) 18:39:58.44
「大仙古墳」の石棺水銀朱は、まず間違いなく和泉忌部が持ち込んだ「若杉山産」

388日本@名無史さん2019/04/22(月) 20:18:44.19
「千葉県香取市の禅昌寺山古墳」から出土した水銀朱も、まず間違いなく関東忌部が持ち込んだ「若杉山産」

389日本@名無史さん2019/04/23(火) 06:59:50.56
「静岡県沼図市の高尾山古墳」から出土した水銀朱も、まず間違いなく東海忌部が持ち込んだ「若杉山産」

390日本@名無史さん2019/04/23(火) 08:33:44.21
糸島市の「一貴山銚子塚古墳」から出土した水銀朱も、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」

391日本@名無史さん2019/04/23(火) 09:53:53.77
長野県千曲市の「森将軍塚古墳」から出土した水銀朱も、まず間違いなく信州忌部が持ち込んだ「若杉山産」

392日本@名無史さん2019/04/23(火) 12:18:52.84
阿波爺はネット以外では活動してないの?

393日本@名無史さん2019/04/23(火) 12:24:45.90
「西谷3号墓」の水銀朱も、まず間違いなく出雲忌部が持ち込んだ「若杉山産」

394日本@名無史さん2019/04/23(火) 18:36:14.38
「楯築墳丘墓」の水銀朱も、まず間違いなく吉備忌部が持ち込んだ「若杉山産」

395日本@名無史さん2019/04/23(火) 20:32:33.02
「今宿五郎江遺跡 朱塗りの楯」の水銀朱も、まず間違いなく筑紫忌部が持ち込んだ「若杉山産」

396日本@名無史さん2019/04/23(火) 22:27:39.46
守山市の「服部遺跡 朱塗りの盾」の水銀朱も、まず間違いなく近江忌部が持ち込んだ「若杉山産」

397日本@名無史さん2019/04/24(水) 07:12:09.41
同じく、守山市の「下之郷遺跡 朱塗りの盾」の水銀朱も、まず間違いなく近江忌部が持ち込んだ「若杉山産」

398日本@名無史さん2019/04/24(水) 10:36:56.85
石川県小松市の「白江梯川遺跡 朱塗りの短剣の柄、容器の脚、盾や幾何学的な文様を持つ筒型容器」の水銀朱も、まず間違いなく北陸忌部が持ち込んだ「若杉山産」

399日本@名無史さん2019/04/24(水) 14:40:29.76
「闘鶏山古墳」の水銀朱も、まず間違いなく摂津忌部が持ち込んだ「若杉山産」

400日本@名無史さん2019/04/24(水) 18:05:47.39
蓮華谷古墳群(U)二号墳

「蓮華谷古墳群」

当物件は、平成2年に四国縦貫自動車道建設に伴い発掘調査された板野郡板野町犬伏所在の蓮華谷古墳群(U)二号墳の出土品である。

調査により古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)の粘土槨を持つ円墳であることが判明し、本県の粘土槨の始原を考える上で重要な古墳である。

副葬品には銅鏡1、鉄製武器工具(鉄刀1、鉄剣1、鉄斧1、鉄鉇1)、装身具(翡翠勾玉1、碧玉管玉11)、土師器壺1があり、徳島県立埋蔵文化財総合センターで展示されている。

前期古墳の出土資料は全国的にみても数少なく、特に銅鏡は仿製鏡の古墳への副葬開始時期を考える上で重要な資料である。

蓮華谷古墳群(U)二号墳出土品
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/renge.html

401日本@名無史さん2019/04/24(水) 19:29:00.71
大代古墳は全長約54mの前方後円墳

後円部南北径31m・東西径45m  前方部長23m、くびれ部幅18m、前方部前面幅21m、墳高は後円部6.7m、前方部3.3m

前方部、後円部とも2段築成 葺石はあるが、全体ではなく、裾部を列石状に区画している程度。

円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪、盾形埴輪の破片が出土(第1段テラス上や前方部墳頂に円筒埴輪列があり、後円部墳頂に形象埴輪が並んでいたと考えられている。)

後円部頂に南北方向に南北約7.4m、東西約4.5m残存深さ約80cmの墓壙の中に内法で長軸3.7m、北小口幅1.1m、南小口幅1.0mの竪穴式石室があり、その中に刳抜式石棺がある。

石棺内から、滑石製臼玉28・緑色凝灰岩製管玉1が出土した。

原位置から移動した遺物は、鏡片、装飾品(管玉・臼玉) 武器(鉄鏃・銅鏃・鉄剣片・鉄刀片・鉄鉾片)武具(短甲片) 農工具(鋤先・鉄鎌) 工具(鉄斧・刀子・ヤリガンナ・鉄鑿)など。

402日本@名無史さん2019/04/24(水) 20:57:28.44
県内2例目 筒形銅器出土 石井・山ノ神古墳/徳島
石井町教委は31日、2014年度から進めていた気延山の「山ノ神(やまのかみ)古墳」(同町石井)の発掘調査で、県内2例目の筒形銅器が出土したと発表した。
4世紀半ば以降、畿内で栄えた政権とのつながりがあった可能性を示す資料とみられる。
古墳は全長約56メートル、最大幅約30メートル、高さ6・7メートルに達し、前方後円墳としては、県内3番目の規模であることも分かった。
筒形銅器は円筒型で長さ11センチ、最大直径は2・7センチ。前方後円墳の築造後に加えられた円墳(直径14メートル)の周辺部から出土した。
やりの底の部分に飾りとして付けたり、祭事で楽器のような役割を果たしたりしたと推測される。
町文化財保護審議会の菅原康夫委員らによると、この筒形銅器は勢見山古墳(徳島市)を含めて、国内で約70個が出土しているものと同種。
4世紀中期以降、奈良南部から河内地方にかけて成立した大和政権内部の新興勢力が、同盟や交流の証しに配った可能性が高いとされることから、
気延山周辺には当時、阿波に勢力を誇った有力者がいたことを示している。
古墳の築造時期は、前方後円墳が大代古墳(鳴門市)と同じ4世紀後半ごろ、円墳は4世紀末とした。
県内で10基以上確認されている前方後円墳では、渋野丸山(徳島市)、愛宕山(板野町)の両古墳に次ぐ規模だった。
一方、畿内中心に当時流行した円筒埴輪を飾ったり、古墳に段を築いたりした形跡が見られず、県内の前方後円墳では初のケースだった。
町教委などは「石井町周辺の古墳群の多様性が見られるとともに、気延山周辺の有力者が独自性を誇示した可能性もあり、興味深い」としている。
町教委は来年度以降、円墳に竪穴式石室などの埋葬施設がないか調査する方針。石井町教委は5日午前10時から現地説明会を開き、筒形銅器も展示する。
山ノ神古墳 1978年、宅地造成工事で発見された。
本格調査は行われておらず、町や県の史跡には未指定。町教委は保存活用のため、2014年度から古墳の一部で発掘調査を行い、これまで形象埴輪の破片や鉄鎌と鉄斧(てっぷ)が出土した。

403日本@名無史さん2019/04/24(水) 21:56:10.35
鮎喰川下流域で最古の古墳と考えられるのは, 名東町節句山 1・ 2号墳であり, 1号墳は石蓋盤棺で鉄製品 (飽 ?)のみの出土の点などからして,

弥生時代の墳墓の可能性が指摘されている。 2号墳は箱式石棺に 竪穴式石室をしつらえた埋葬施設を有し,棺及び石室内部から舶載の四獣鏡や

勾玉,鉄剣,鉄刀子, 鉄斧 ,鉄鎌などが検出されており, 3世紀末ないしは4世紀前半に位置づけられるとされている。

いずれにしても,節句山 1・ 2号墳が古墳発生を考える上での重要な鍵を握っているように思われる。

404日本@名無史さん2019/04/25(木) 07:39:11.23
「阿南・加茂宮ノ前遺跡」 平成30年7月6日 徳島新聞朝刊  

「鉄器の製造拠点か」

「住居跡の半数 鍛冶炉や道具出土」

阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)の竪穴住居跡20軒が見つかり、このうち10軒では鉄器を製作した鍛冶炉や鉄器作りに用いた道具類などが出土した。

県教委と県埋蔵文化財センターが5日発表した。鉄器の製造工房としては国内最古級で、集落(ムラ)の半分が工房という特徴から、県南部に大規模な鉄器の生産拠点が形成されていたとみられる。

竪穴住居跡で最も大規模なものは直径が約7mあり、その内部に鍛冶炉が19か所あった。鍛冶炉は直径30〜40pで、鉄をやじりや小型ナイフなどの小さな鉄器に加工するためのものという。

住居跡からは鉄器に加え、鉄器の形状を整える台石、製品を仕上げる砥石などが出土した。石のやじりや糸を紡ぐ道具の紡錘車、古代の祭祀などに使われた赤色顔料・水銀朱を生産する石杵や石臼なども確認。

さらにガラス玉や管玉など、県内で数点しか出土していない稀少な装飾品も多数含まれ、出土品は計約50万点にも達する。

集落は、鉄器以外にもさまざまな物品を製作する工房として活用され、交易拠点としても繁栄していた可能性があるという。

県教委は2016年度から、加茂宮ノ前遺跡の発掘調査を実施。17年2月には出土品の分析などから、南西約5kmにある若杉山遺跡で採掘された原料を使い、水銀朱を製造した工房跡との調査結果を公表している。

同時期の鍛冶炉は九州や中国地方にもあり、県内では矢野遺跡、名東遺跡(以上徳島市)、光勝院寺内遺跡(鳴門市)の3か所で確認されているが、県南部では初めて。

県埋蔵文化財センターは「他の遺跡では鍛冶炉を備えた住居跡は1、2軒だが、半数もあるのは全国的にも特異だ」としている。

405日本@名無史さん2019/04/25(木) 17:21:33.77
阿南市内原町 「国高山古墳」:県南部唯一の前方後円墳

四国山地から派生する津乃峰山の南麓の標高約48mに位置する。県南部で確認されている唯一の前方後円墳で、全長約50mの規模を有する。1963年(昭和38年)と1982年(昭和57年)年に発掘調査が行われた。

墳丘には葺石と円筒埴輪が伴う。墳丘の中央に結晶片岩による竪穴式石槨が設置されていた。規模は長さ8m、最大幅1.2mと長大なもので、その大きさは県内でも最大である。

石槨内から銅鏡・石製刀子・土製勾玉・鉄槍・手斧・鉄鏃・大刀・短甲片などが出土している。遺物などから、4世紀後半に築造されたと考えられる。

それまで古墳の作られていなかった地域に突如として現れることや、同時期に同じ規模の前方後円墳が各地に現れることなど、当時の社会状況を考える際に重要な遺跡である。

国高山古墳の副葬品:内行花文鏡、長方板皮綴短甲、鉄鏃(鳥舌鏃)、鉄剣、鉄槍、石製鞘入刀子、滑石製勾玉、鋤先、鉄製釣針ほか。

406日本@名無史さん2019/04/25(木) 18:21:37.30
西山谷2号墳は 標高74mの尾根上、南北径20m、東西径18m・高さ2mの円墳。

中央に南北方向の結晶片岩石積の竪穴式石室がある。

竪穴式石室は全長4.72m、北幅1.05m、南幅0.83m。 

墓壙は南北6.5m、東西4.8mで全体が結晶片岩で覆われている。

石室には粘土でつくられた棺台があり、刳抜式木棺があったと考えられている。

石室の床には水銀朱が塗られていて、特に北側が多量だった。

棺内北側から鉄鏃、ヤリガンナ、鉄剣、鉄斧、鉄片、青銅鏡など多くの副葬品が出土。

棺外からは鉄槍や土器が出土した。

3世紀半ばの築造と推定されている。

407日本@名無史さん2019/04/25(木) 19:31:17.75
「天河別神社4号墳」 

以前は前方後円墳といわれていたが、径20〜25mの円墳と訂正されている。

埋葬部もほとんど消滅していたが、礫敷きの粘土槨に割竹形木棺があると考えられている。

舶載斜縁二神二獣鏡片・鉄剣・鉄槍・鉄鏃が副葬されていた。

408日本@名無史さん2019/04/25(木) 20:32:21.31
矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落

H6 鉄鏃

弥生時代になると、大陸から鉄器が持ち込まれ、弥生時代の中ごろには、日本でも作られるようになりました。

この鉄鏃は弥生時代の終わりごろのものです。大きいもので長さが約10cm、幅が約3cmあります。おそらく戦いの武器として使われたのでしょう。

409日本@名無史さん2019/04/25(木) 22:14:39.97
「樋口遺跡発掘調査概要」

樋口遺跡は弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡であり、眉山南側の数少ない集落遺跡として注目される遺跡である。

3.出土遺物

今回の調査で出土した遺物としては、土師器(広口壺・二重口縁壺・小型丸底壺・小型丸底鉢・高杯)・須恵器・瓦器・青磁・管状上錘・鉄鏃

・鉄刀等の鉄製品とともに石棒・磨製石斧等の石製品などがあげられる。

410日本@名無史さん2019/04/26(金) 09:59:04.84
「集落遺跡出土」の鉄鏃

矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落

樋口遺跡 弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡

411日本@名無史さん2019/04/26(金) 10:01:38.83
「倭国(阿波)は鉄器王国」

倭国(阿波)では遺跡発掘が少ないにも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地7か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。 

「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」

412日本@名無史さん2019/04/26(金) 16:16:13.89
稲作の伝播とともに、北部九州では弥生前期末〜中期前葉には遼東半島から朝鮮半島西北部で生産された鋳造鉄製品が流入し、

その破片を研磨加工した鉄器の使用がみられる。

中期後葉には朝鮮半島産の鉄素材を用いた鍛冶技術による鋳造鉄器の生産が始まる。

北部九州の鍛冶炉の定着と時期を置かず、徳島市矢野遺跡では規模・構造ともに北部九州に劣ることのないT類鍛冶炉による鉄器製作が確認される。

類似施設は徳島市名東遺跡・鳴門市光勝院寺内遺跡・拝原東遺跡・芝遺跡にも認められる。

先進技術のいち早い導入は吉野川下流域の特徴である。

413日本@名無史さん2019/04/26(金) 17:59:15.39
矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落

鉄鏃

弥生時代になると、大陸から鉄器が持ち込まれ、弥生時代の中ごろには、日本でも作られるようになりました。この鉄鏃は弥生時代の

終わりごろのものです。大きいもので長さが約10cm、幅が約3cmあります。おそらく戦いの武器として使われたのでしょう。

414日本@名無史さん2019/04/26(金) 18:25:50.89
「樋口遺跡発掘調査概要」

樋口遺跡は弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡であり、眉山南側の数少ない集落遺跡として注目される遺跡である。

3.出土遺物

今回の調査で出土した遺物としては、土師器(広口壺・二重口縁壺・小型丸底壺・小型丸底鉢・高杯)・須恵器・瓦器・青磁・管状上錘

・鉄鏃・鉄刀等の鉄製品とともに石棒・磨製石斧等の石製品などがあげられる。

415日本@名無史さん2019/04/26(金) 18:47:05.81
「集落遺跡出土」の鉄鏃

矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落

樋口遺跡 弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡

416日本@名無史さん2019/04/27(土) 09:37:27.86
弥生第X様式はあくまで、厚型の弥生土器。

弥生第X様式と同期の「東阿波型土器(軽量小型丸底土器)」は、企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴。

庄内式も企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴。

「東阿波型土器(軽量薄型小型丸底土器)」製法の拡散は、推して知るべし。 

417日本@名無史さん2019/04/27(土) 13:14:11.31
「東阿波型土器(軽量薄型小型丸底土器)」製法の拡散は、

倭国(阿波)を発って、全国各地へ拓殖に出た「忌部一族」によってもたらされたものに他ならない。

418日本@名無史さん2019/04/28(日) 08:57:35.03
奈良「法隆寺」の本社は、ここ「救世山峯薬師」

「法谷寺」

http://goutara.blogspot.com/2011/10/blog-post_29.html

419日本@名無史さん2019/04/28(日) 10:17:34.13
「教科書に書いてあることを信じないこと  常に疑いを持って自分の目でものを見ること」

ノーベル医学・生理学賞受賞 本庶佑(京都大学特別教授)

420日本@名無史さん2019/04/28(日) 13:54:07.49
法谷寺のお水をよく頂きます
眉山から湧き出したお水で健康維持に役立っているようです
とてもおいしいですね
無料なので重宝します

421日本@名無史さん2019/04/28(日) 19:09:29.29
なにげにここ読んでます

422日本@名無史さん2019/04/28(日) 22:47:08.85
魏志倭人伝にある「橘」。 これ一つでも、北部九州・畿内が該当しないのが分かる。

423日本@名無史さん2019/04/28(日) 22:58:38.42
ほうほう、これは聞き捨てならず
いや読み捨てならずかな
九州福岡には橘、立花関連多いよ
私的には金持ちの多い名前とも記憶している

424日本@名無史さん2019/04/29(月) 06:54:16.05
>>423

九州福岡の橘、立花関連ってなに?  「橘」の自生があるの?

425日本@名無史さん2019/04/29(月) 11:17:09.69
魏志倭人伝にある「橘」。 これ一つでも、北部九州・畿内が該当しないのが分かる。

426日本@名無史さん2019/04/29(月) 12:47:24.81
男弟とは「月読尊」

卑弥弓呼とは「素戔嗚尊」

卑弥呼とは「天照大御神=大宜都比売」

427日本@名無史さん2019/04/29(月) 14:33:55.24
「天照大御神=大宜都比売」と「月読尊」は邪馬台国(北の粟国)側

「素戔嗚尊」は狗奴国(南の長国)側   

428日本@名無史さん2019/04/29(月) 16:06:08.38
「板野命婦」(いたののみょうぶ)

生年:生没年不詳

奈良時代の女官。粟凡直国造若子とも。外従五位下。藤原房前の7男楓麻呂を出産。

阿波国板野郡貢上の采女で,光明皇后の御所に仕え、写経事業のための経典貸借などの責任者として活躍し、

造東大寺司との連絡係などを務めた。出家し、尼となった。  <参考文献>『正倉院文書』、「板野命婦」(『角田文衛著作集』5巻)

「板野命婦」も奈良遷都に伴い、天皇家に付き従い、阿波国板野郡から奈良の都へ移住したとみられる。

429日本@名無史さん2019/04/29(月) 16:16:09.31
なんでもっと発掘しないの?
発掘にどれくらい金かかるの?
徳島はもう古代史ツーリズムしかないだろう

430日本@名無史さん2019/04/29(月) 16:17:49.96
>>424橘って苗字の人が多いだけ
自生してないとダメなのかな

431日本@名無史さん2019/04/29(月) 16:35:02.73
>>430
>自生してないとダメなのかな

魏志倭人伝は、倭国(阿波)の自然を記したものだからね。  
「橘」も「楠」も倭国(阿波)に自生していたということ。
同様に、「丹」も採掘していたということ。

432日本@名無史さん2019/04/29(月) 19:03:54.94
第34代舒明天皇は、四国道後温泉と播磨有馬温泉。  

第35代斉明天皇も、四国道後温泉と紀州白浜温泉の両方に行幸している。

しかし、それ以前の天皇は、四国道後温泉だけしか行幸していない。

このことから、第34代舒明天皇の御代頃から 、倭国(阿波)から奈良大和への王都進出の関心が高まったとみられる。

433日本@名無史さん2019/04/29(月) 19:23:24.96
倭人伝は倭国を紹介しているわけで
四国、本州(畿内)、九州が倭国なら、風物、物産に関して
倭王卑弥呼がどこに居ようがそれが倭国に有るというだけで、
卑弥呼の王宮の場所とは関係が無い。

帯方郡から、女王へ印綬の行程は万二千里だった。
数値的には、南4千、東3千、渡海3千で九州上陸
残り2千で、女王に会い印綬しているという話である。

皇帝から、汝の好物を聴取されて、少量の水銀朱を贈答されている
卑弥呼が丹山を持っていたというのは疑問ではある。

434日本@名無史さん2019/04/29(月) 19:52:06.54
気延山の山頂を掘ろうぜ
あそこが卑弥呼の墓だろう

435日本@名無史さん2019/04/29(月) 19:58:24.53
>>433
>倭人伝は倭国を紹介しているわけで

風物、物産に関して、明らかに倭人伝は倭国(阿波)を紹介している。

436日本@名無史さん2019/04/29(月) 20:02:44.61
>>433
>残り2千で、女王に会い印綬しているという話である。

そういう話ではない。
「帯方郡から、女王へ印綬の行程は万二千里」は、直線距離の話。

437日本@名無史さん2019/04/29(月) 20:06:30.22
>>433
>卑弥呼が丹山を持っていたというのは疑問ではある。

最初に丹山を持っていたのは、狗奴国の卑弥弓呼こと「素戔嗚尊」。

438日本@名無史さん2019/04/29(月) 21:05:34.68
常識的に
吉備、阿波、畿内、出雲、九州
どこに倭王が有っても良いが、というかそれぞれ有る時代だろ? 

倭人伝の物産はどこであっても
倭王、倭国というくくりでは、どこに有っても倭の紹介記述として関係はない。

だがしかし、丹山が有るのに欲しいものを聞かれて、水銀朱少量をねだるというのは
卑弥呼が、丹山の有る、阿波の王ではないw ということの証明だろう、
と言っているんだけど、わかってる?

439日本@名無史さん2019/04/29(月) 21:14:06.06
卑弥呼は水銀朱が欲しかった。
阿波から買うか、大陸から買うか、

どっちでも、似たようなもん。
つまり、大和朝廷統一前の九州王で良いんじゃないかw

440日本@名無史さん2019/04/29(月) 21:20:56.68
>>438
>常識的に
>吉備、阿波、畿内、出雲、九州
>どこに倭王が有っても良いが、というかそれぞれ有る時代だろ?

常識的に、どこの倭王も倭国(阿波)を発った「忌部はん」。  

441日本@名無史さん2019/04/29(月) 21:25:11.78
>>438
>倭王、倭国というくくりでは、どこに有っても倭の紹介記述として関係はない。

倭国の範囲を過大している。 倭国は阿波国周辺のこと。

442日本@名無史さん2019/04/29(月) 21:28:39.04
>>438
>卑弥呼が、丹山の有る、阿波の王ではないw ということの証明だろう、

丹山が有るのは、卑弥呼が居た「女王国」。

443日本@名無史さん2019/04/29(月) 21:37:58.45
四国の道後温泉への天皇の行幸:第12代景行天皇から。

播磨有馬温泉への天皇の行幸:第34代舒明天皇から。

南紀白浜温泉への天皇の行幸:第35代斉明天皇から。

444日本@名無史さん2019/04/29(月) 22:00:09.27
なんで四国の道後温泉へ一番最初に景行天皇(12代)が行幸したのだろうか?

なんで畿内に在る有馬温泉や白浜温泉への天皇行幸が、四国よりずっと遅れたのだろうか?

なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?

あとは、推して知るべし。

445日本@名無史さん2019/04/30(火) 06:53:16.51
なんで四国の道後温泉へ一番最初に景行天皇(12代)が行幸したのだろうか?

なんで畿内に在る有馬温泉や白浜温泉への天皇行幸が、四国よりずっと遅れたのだろうか?

なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?

あとは、推して知るべし。

446日本@名無史さん2019/04/30(火) 10:39:47.55
阿波忌部は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。

447日本@名無史さん2019/04/30(火) 11:26:57.42
東京都伊豆諸島 神津島に阿波命が祀られている。  これも、黒潮に乗って阿波から進出した関東忌部が残した痕跡。

448日本@名無史さん2019/04/30(火) 12:19:41.67
>>444
白浜温泉は当時まだ無かっただろう?

449日本@名無史さん2019/04/30(火) 12:49:49.66
>>448
>白浜温泉は当時まだ無かっただろう?

当時っていつの事?

南紀白浜温泉は、和歌山県西牟婁郡白浜町にある温泉。 古い文献では牟婁の湯と呼ばれていた。 Wikipedia
日本書紀に、当時の歴代天皇が訪れたことが記載されている日本屈指の古湯である。
658年 - 斉明天皇
690年 - 持統天皇
701年 - 文武天皇
万葉集に牟婁の湯が登場している。

450日本@名無史さん2019/04/30(火) 12:51:29.90
四国の道後温泉への天皇の行幸:第12代景行天皇から。

播磨有馬温泉への天皇の行幸:第34代舒明天皇から。

南紀白浜温泉への天皇の行幸:第35代斉明天皇から。

451日本@名無史さん2019/04/30(火) 12:56:08.00
なんで四国の道後温泉へ一番最初に景行天皇(12代)が行幸したのだろうか?

なんで畿内に在る有馬温泉や白浜温泉への天皇行幸が、四国よりずっと遅れたのだろうか?

なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?

あとは、推して知るべし。

452日本@名無史さん2019/04/30(火) 13:43:52.80
温泉の因果はわからんし邪馬台国が四国はどうかは知らんが
地勢上、四国に何も無かったはないと思う

453日本@名無史さん2019/04/30(火) 14:56:57.30
>>452
>温泉の因果はわからんし邪馬台国が四国はどうかは知らんが


なんで四国の道後温泉へ一番最初に景行天皇(12代)が行幸したのだろうか?

なんで畿内に在る有馬温泉や白浜温泉への天皇行幸が、四国よりずっと遅れたのだろうか?

なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?

あとは、推して知るべし。

454日本@名無史さん2019/04/30(火) 15:56:04.74
阿波は忌部一族(倭人)の総本山。 今ある天皇家の故郷。  だから今も天皇家と阿波は誼を通じている。

455日本@名無史さん2019/04/30(火) 15:59:20.11
だから、往古より天皇家は倭国(阿波)に「麁布」の調進(朝廷から頼まれて作り納める意味)を求めてきている。 

456日本@名無史さん2019/04/30(火) 17:22:51.78
山の民と海の民との交流―水運
               三木 信夫
道が整備されていない古代迄の交通路は,水運が徐々に発達し,すでに縄文時代には鳴門市からこの阿南市・海陽町にかけて海運交通のあったことが遺跡からみられます。

阿南市の若杉山遺跡は,弥生時代に赤い顔料の水銀朱をつくるため,全国唯一の辰砂(しんしゃ)の原産地遺跡でした。

辰砂=水銀と硫黄化合物の鉱石,辰砂を粉砕して水銀朱を取り出す。

弥生時代から古墳時代を中心に,遺骸や棺に朱色を塗る風習が盛んに行われて,水銀朱は朱・丹等と呼ばれ使用流通したのです。

この遺跡をみますと,板野郡板野町の黒谷川郡頭(こうず)遺跡や名東遺跡などから朱の精製用具等が発見されており,弥生時代終末期(西暦200年頃)の若杉山辰砂が,海や河川を利用して運ばれております。

457日本@名無史さん2019/04/30(火) 17:26:33.86
若杉山遺跡にある土器類も,吉野川流域土器や鮎喰川上流の結晶片岩の混在した土器,また畿内的土器など各地の土器が混在しており,河川や海を通じて運び込まれています。

すでに若杉山遺跡には,辰砂を運び出す人や食料等を運び入れる人等の組織化された海上交通に関わる集団がいたとも考えられています。

古代に下りますと,都を起点に諸方に陸上交通である宿駅が整備され,駅路すなわち国道がつくられていきます。

阿波でも鳴門の撫養から讃岐・伊予・土佐に抜ける南海道と呼ばれる国道があり,それ以外に阿波国から土佐国へ通じる駅路の国道が,おおよそ現在の国道55号線沿いに阿南市から海陽町までの海岸沿いを,

奈良時代初期の養老2年(718)設置され,平安時代初期の延暦15年(796)廃止されるまで,水上交通路と並行して多くの港や津を経て延びていたのです。

「津」とは陸上交通路と水上交通路が交わる人の集まる交通の要衝に,物資の集積拠点として形成されたものです。

山の民と海の民との交流―水運        御衣御殿人(みぞみあらかんど) 三木 信夫

458日本@名無史さん2019/04/30(火) 17:38:59.18
古の倭国は日本とは別国なり。

天皇家が日本で有るなら、倭人伝の倭国邪馬台国は阿波ではない
と、言っているようだな?

まあ、畿内説も同じアホなら踊らにゃそんそん♪ なわけだがwww

459日本@名無史さん2019/04/30(火) 17:45:50.01
>>458
>古の倭国は日本とは別国なり。

当たり前。
「古の倭国」とは、倭国(阿波)。
「日本」とは、8世紀遷都後の奈良大和。
別国は、当たり前。

460日本@名無史さん2019/04/30(火) 17:47:54.46
>>458
>天皇家が日本で有るなら、倭人伝の倭国邪馬台国は阿波ではない

当然、天皇家は日本で有り、倭人伝の倭国邪馬台国も阿波である。

461日本@名無史さん2019/04/30(火) 17:50:08.22
今日の退位正殿の儀 三種の神器 勾玉は倭国(阿波)の特産品。

462日本@名無史さん2019/04/30(火) 19:03:25.74
今日の退位正殿の儀 三種の神器 鉄剣も倭国(阿波)の特産品。

463日本@名無史さん2019/04/30(火) 20:09:27.96
それレプリカだし

464日本@名無史さん2019/04/30(火) 20:40:29.31
海に沈んだ本物の鉄拳は、倭国(阿波)の特産品。

465日本@名無史さん2019/04/30(火) 22:22:44.36
林 博章(はやし ひろあき)

平安時代972年の延喜式大嘗祭式には,阿波国より麻植郡の忌部氏と那賀郡が由加物すなわちお供え物を調進する事になっていました。

この事は古代より忌部の山の世界と那賀郡の海の世界との「人・物の交流」があり,拠点が水運を利用した吉野川中流域山崎の津であったと考えられます。

大分すたれてきましたが,吉野川中流域の人達は,南西の方角,剣山(つるぎさん)を中心とした四国山地の方向を指して「ソラ」または「ソラの人」と呼んでいました。

この場合の「ソラ」とは「山」の事です。旧麻植郡山地部の大半を占める旧種野山内にある三木山の頂上近くにある三木家周辺は,古くより「空地(そらのち)」と呼ばれ,

地名も「大字三ツ木字空地」となっていましたが,近年の国の地名編成で大字が削除され「字」が「貢」に変更された為,地名から「空地」が消えたのです。

この「ソラノチ」への入り口が,吉野川中流域の旧忌部神社がある山崎の地で,山への入り口でもあり,古代より中世まではこのソラ(山)への交通路の起点となっていました。

その為古くからこの山崎は忌部神社の門前市(いち)を通じて吉野川を経由した海の民・平野の民とソラ(山)の民との物産の交易の場として津が形成され,ソラの世界の発展と共に成長してきております。

船を自由に操り水運にたけた海の民が,交易の場に情報や文化を共に運んで麻植の忌部やソラの民を支えてきたのかもわかりません。

466日本@名無史さん2019/04/30(火) 22:25:03.18
新天皇の即位後、最初に行う皇室の重要儀式「大嘗祭」では、阿波の氏族「阿波忌部」が麻で織った反物「麁布(あらたえ)」を調進してきた歴史がある。

阿波忌部の子孫として大嘗祭に関わった旧家の古文書や貴族の日記から、阿波と朝廷祭事のつながりを紹介する。

阿波忌部の子孫と伝わる旧家は、美馬市木屋平の三木家住宅(国指定重要文化財)当主の三木信夫さんだ。

大嘗祭の祭祀具である麁布との関りを示す古文書(県指定文化財)を所有している。

古文書からは、三木さんの先祖が13〜14世紀の亀山・後伏見・花園・後醍醐・光厳・光明の各天皇に、麁布を調進(朝廷から頼まれて作り納める意味)したとされる。

どの文書にも、天皇の命を受けた都の役所が、阿波忌部に麁布の制作を頼むため、阿波国司に天皇の使者、勅使を送るという内容が記されているそうだ。

「大嘗祭の儀式は、平安時代の法令集『延喜式』でわかる。しかし、麁布を調進する際の手順は古文書でしかわからない」と三木さん。

大嘗祭は、南北朝〜江戸時代の政情不安時は中断したほか、行われた時も阿波の麁布が調進されないことがあっという。

「そうした時は、朝廷の役人が阿波忌部の代行を務めたことを示すため、麻布に『忌部所作代』と表示した」

467日本@名無史さん2019/04/30(火) 22:26:48.58
また、南北朝時代の光明天皇以来、577年ぶりに阿波忌部の麁布調進を復活させたのが大正天皇の大嘗祭だった。

信夫さんの祖父宗治郎さんが携わり、昭和天皇にも調進。信夫さんも1990年11月、地域住民の協力を得て今上天皇の大嘗祭で奉仕した。

阿波忌部と麁布を巡る文献では、大和朝廷の初期から51代平城天皇まで麁布を調進したと記している平安時代の「古語拾遺」(807年)もある。

「これら2点が出た後、しばらくは資料が見つからない。そして11世紀になると、貴族の日記から分かるようになる」と言うのは、中世史研究者で県埋蔵文化財センターの福家清司理事長。

後鳥羽天皇に関する「山槐紀」(1184年)には「阿波の荒妙神服(あらたえかむみそ)の事だが、平家が四国に居て交通が途絶。期限のあることについてどうするのか」などと書かれているという。

468日本@名無史さん2019/05/01(水) 08:23:32.55
今日の剣璽継承の儀 三種の神器 勾玉は倭国(阿波)の特産品。

469日本@名無史さん2019/05/01(水) 10:33:10.39
今日の剣璽継承の儀 三種の神器 鉄剣も倭国(阿波)の特産品。

470日本@名無史さん2019/05/01(水) 11:06:22.10
厩戸皇子(聖徳太子)だけでなく、景行天皇・仲哀天皇・神功皇后・舒明天皇・斉明天皇(皇極天皇)・中大兄皇子(後の天智天皇)・大海人王子(後の天武天皇)

など多くの皇族方が病気療養のため四国の道後温泉に行幸、来湯している。

なんで四国の道後温泉へ一番最初に景行天皇(12代)が行幸したのだろうか?

なんで畿内に在る有馬温泉や白浜温泉への天皇行幸が、四国よりずっと遅れたのだろうか?

なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?

あとは、推して知るべし。

471日本@名無史さん2019/05/01(水) 12:37:44.37
景行天皇の時代は白浜に温泉なんてなかった

472日本@名無史さん2019/05/01(水) 12:50:04.56
>>471
>景行天皇の時代は白浜に温泉なんてなかった

まだ、倭種の地で、未開の地だったからね。

473日本@名無史さん2019/05/01(水) 12:55:25.69
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?

474日本@名無史さん2019/05/01(水) 13:22:57.61
記紀の内容で訴えたいのは理解したが
そんな道後、愛媛の弥生後期の遺跡って何かあるの?
煽ってるわけじゃなくマジで知りたい

475日本@名無史さん2019/05/01(水) 13:34:53.64
文京遺跡等

476日本@名無史さん2019/05/01(水) 13:54:33.26
それはさておき、
なんで九州に在る温泉への天皇行幸が、近年まで無かったのだろうか?

477日本@名無史さん2019/05/01(水) 13:59:26.14
やっぱ土器しか出てないのか。ここが四国説の弱いとこだよな
何かしらはあると思うんだけどなぁ。特に瀬戸内には

478日本@名無史さん2019/05/01(水) 14:02:10.62
>>476
天皇家との敵対勢力だったんだろ。敵の陣地にノコノコ行く奴おらんわな

479日本@名無史さん2019/05/01(水) 14:02:36.13
>>477
>やっぱ土器しか出てないのか。ここが四国説の弱いとこだよな

愛媛はともかく、倭国(阿波)には大概のものがあるよ。 ご心配なく。

480日本@名無史さん2019/05/01(水) 14:07:39.76
>>479
なるほど。で邪馬台国の候補地は阿波のどこ遺跡なんだい?予想で構わんよ

481日本@名無史さん2019/05/01(水) 14:08:15.00
>>478
>天皇家との敵対勢力だったんだろ。敵の陣地にノコノコ行く奴おらんわな

敵対とか・・・  そんな対立するような存在じゃないよ。 すでに筑紫忌部が押さえているから。  
ただ、倭国(阿波)から行幸するには遠すぎただけ。

482日本@名無史さん2019/05/01(水) 14:11:26.39
>>480

※北の邪馬台国(卑弥呼側勢力)

【旧吉野川流域北岸勢力 弥生時代集落】
東州津遺跡・大柿遺跡・土取遺跡・昼間遺跡(正力地区)・昼間遺跡(天神前地区)・昼間遺跡(西貝川地区)・足代東原遺跡・薬師遺跡・吉水遺跡・田上I遺跡・拝原東遺跡・椎ヶ丸〜芝生遺跡
・西長峰遺跡・北原〜大法寺遺跡・天神山遺跡・金泉寺遺跡・黒谷川宮ノ前遺跡・黒谷川郡頭遺跡・桧はちまき山遺跡・光勝院寺内遺跡・カネガ谷遺跡・桧銅鐸出土地

【旧吉野川流域南岸勢力 弥生時代集落】
ウエノ遺跡・マチ遺跡・須賀遺跡・相知遺跡・井出上遺跡・稲持遺跡・貞光前田遺跡・石井遺跡

【鮎喰川下流域勢力 弥生時代集落】
樋口遺跡・延命遺跡・矢野遺跡・名東遺跡・鮎喰遺跡・庄遺跡・庄蔵本遺跡

483日本@名無史さん2019/05/01(水) 14:12:59.43
あとね、景行天皇が何故道後なのかは?説明つくよ
その当時、景行天皇は北九州に引っ越してるからね
近場だったから拠ったんだ
で、他の温泉地は天皇の権力外だったから行けなかったんだよ

484日本@名無史さん2019/05/01(水) 14:14:56.05
>>482
おーわざわざ、ありあり

485日本@名無史さん2019/05/01(水) 14:19:53.43
ついでに、
※南の狗奴国(卑弥弓呼勢力)

【勝浦川流域勢力 弥生時代集落】
勢合銅鐸出土地・田浦遺跡・新居見遺跡

【那賀川流域勢力 弥生時代集落】
若杉山遺跡・加茂宮ノ前遺跡・深瀬遺跡・福寺山遺跡・宮ノ本遺跡          

【海部川流域勢力 弥生時代集落】
芝遺跡・大里遺跡

486日本@名無史さん2019/05/01(水) 14:28:34.10
>>485
またまた、あり
調べて妄想してみるよw

487日本@名無史さん2019/05/01(水) 15:32:16.13
東大の先生に四国派が居れば変わってくるんだろうけどね

488日本@名無史さん2019/05/01(水) 15:40:40.21
考古学は残酷。

「阿波」の存在に気づくまでの、時間の問題。 

489日本@名無史さん2019/05/01(水) 16:46:12.32
「加茂宮ノ前遺跡」
朱の生産国内最大・最古

Q 遺跡ではどのようなものがみつかったのですか。
A 水銀朱を生産したとみられる石臼や石きねが約300点。辰砂原石や表面に水銀朱を塗った土器の破片、耳飾りなどの関連遺物も多く、出土数の合計は約1000点になりました。
また、祭祀に使っていたとみられる石を円形に並べた遺構16基と住居跡2基も見つかりました。

Q どのぐらい珍しいのでしょうか。
A 非常に珍しいものばかりです。縄文後期の石臼や石きねは三重県度会町の森添遺跡などでも見つかっていますが数十点程度で、1000点規模の発見は他になく、
加茂宮ノ前遺跡が当時国内最大規模の生産拠点だったと考えられます。過去の発掘調査で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)に水銀朱が精製されていたことは分かっていました。
今回の発見で、生産の起源は1500年ほどさかのぼることになります。
また、円形配石遺構の発見は西日本でほとんどなく、居住域と祭祀の遺構がひとまとめに確認できたのは西日本で初めてです。

Q 阿南市内では他の遺跡でも発見がありました。どのようなものですか。
A 加茂宮ノ前遺跡から約5キロ離れた若杉山遺跡は弥生時代後期から古墳時代初頭にかけての辰砂の採掘遺跡で、坑道は国内最古であることが分かりました。
遺跡の時代は異なりますが、加茂宮ノ前遺跡で見つかった辰砂原石は若杉山遺跡から産出されたと考えられています。
那賀川中流域で辰砂の採掘から水銀朱の精製まで一体的に行っていたのでしょう。

490日本@名無史さん2019/05/01(水) 17:15:55.25
「矢野遺跡」
徳島南環状道路建設に伴い1992〜98年に行われた発掘調査で、縄文時代後期初頭(約4千年前)の遺構面から見つかった。
このうち、土面は縦15.8センチ、横16.7センチ、厚さ1センチのほぼ円形で、粘土で作られている。穴を開けて目や口を作り、鼻や眉も付けている。
用途は定かではないが、祭祀で使われた可能性がある。土面としては国内最古で、最も西の地域の出土例となっている。
土器は煮炊き用の深鉢や盛り付けに使われた鉢、つぼなど。関東の土器に見られる文様だけでなく、近畿から九州北部の広範囲で確認された文様が混じっている。
祭祀で使われた赤色顔料「水銀朱」が付着しているものもあり、国内最古の水銀朱の使用例として注目されている。
石器にはやじりなどの狩猟道具や食物加工用具がある。最も多いのは石の重りの石錘で、網にくくりつけて漁労に使ったほか、編む際の重りなどに使われたとみられる。
文化審議会は「縄文時代最古級の土面や、水銀朱の使用例が含まれ、西日本における縄文時代中期末から後期の生活の様子を示す資料として貴重だ」としている。
2019年(平成31年)3月19日 徳島新聞朝刊

491日本@名無史さん2019/05/02(木) 07:01:39.24
鳴門・板野古墳群について    「徳島県の歴史散歩(山川出版社)」から抜粋

鳴門市大麻町の山地の麓には、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて、前方後円墳を核とした首長墳が集中する。総称して鳴門・板野古墳群と呼んでいる。

主な古墳は、西山谷2号墳  池谷宝幢寺古墳(県史跡)  天河別神社古墳群(6基・県史跡)  萩原1号墓(消滅)・2号墓  大代古墳(県史跡)  板野の愛宕山古墳(県史跡)

発掘調査で埋葬施設が判明した西山谷2号墳、天河別神社1・2号墳、愛宕山古墳、大代古墳は、いずれも結晶片岩板石積みの竪穴式石室を構築しており、

鮎喰川産の土器を供献するなど、気延山古墳群との親縁性を示している。

西山谷2号墳は全国最古級の竪穴式石室で、石室外周に萩原1・2号墓に類似した一種の囲み壁をつくっている。 積石木槨から竪穴式石室の成立を考える上で興味深い。

近年、東阿波型土器が大和・河内地域の遺跡から相当量出土することをふまえ、大阪府茨木市の将軍山古墳や紫金山古墳、高槻市の闘鶏山古墳を始めとする摂津

・北河内地域に点在する結晶片岩石積みの竪穴式石室について、その用材石室構築技術が、阿波地域から提供されたとみる説が定着しつつある。

鳴門板野古墳群には中国製の銅鏡の副葬がみられるのも特徴である。

「板野・鳴門古墳群」
http://ktmrj15.webcrow.jp/p36ts/tpx14042619maibun.htm

492日本@名無史さん2019/05/02(木) 15:02:35.49
「阿波 鍛冶工房から砂鉄が出土した弥生の大集落「矢野遺跡」を訪ねる 」

http://www.infokkkna.com/ironroad/2010htm/iron6/1003awa00.htm

493日本@名無史さん2019/05/02(木) 15:26:34.38
阿波国 国名の成り立ち

@ 北の邪馬台国(粟国) と 南の狗奴国(長国)

A その後、「粟国」に統一

B 和銅6年(713)5月の「好字令」によって「阿波国」となる。 

494日本@名無史さん2019/05/02(木) 15:49:38.87
弥生人にとって、「阿波」はまさに理想の土地。

温暖な気候・多数の大河の恵み・大河流域の土地の恵み・黒潮流れる大海の恵み・山深い森林の恵み・多種類の希少鉱物の恵み

県北部(邪馬台国)には、銅、泥質片岩、緑色片岩、翡翠、蛇紋岩、紅蓮石

県南部(狗奴国)には、辰砂が採れる。

阿波に人が集まり、独自文化が発祥・全国展開したのは、当然といえば当然。

495日本@名無史さん2019/05/02(木) 16:41:48.15
「倭国(阿波)の最先端文化・技術」  九州や畿内などとの圧倒的な差。

@勾玉
A軽量薄型土器
B積石竪穴石室墓(前方後円墳等)
C水銀朱
D緑色片岩製柱状片刃石斧
E泥質片岩製石棒
FT類鉄鍛冶炉
G航海術
その他

496日本@名無史さん2019/05/02(木) 18:38:35.96
「日本最古のお寺か」

「郡里廃寺跡 (白鳳寺院)」

吉野川の北岸、扇状地上に営まれた白鳳時代創立の寺院跡である。

早くから立光寺跡として知られていたものであり、調査の結果「法起寺」式伽藍配置をとるものであることが判明した。

塔跡基壇は各辺12メートルをはかり、塔軸部初重の1辺は中の間が2.3メートル、両脇間はそれぞれ2.08メートルと復原することができる。

塔心礎は旧地表下に据えたものであり、中央に径13センチ、深さ6.5センチの舎利孔が穿たれている。

心礎上に据えた心柱は、南北径1.06メートル、東西径1.08メートルをはかる不整八角形を呈し、心柱四周を根巻板で囲むことが知られた。

金堂跡は東西18メートル、南北15メートル前後と復原される。塔、金堂間の心を東西に47メートルへだてた位置に石敷列が走り、

その下方に土塁を発見しており、また塔、金堂心より南北に60メートルをへだてた位置で同様な遺構を発見し、寺域をほぼ知ることができる。

497日本@名無史さん2019/05/02(木) 19:24:09.88
日本最古の寺院の一つ

「石井廃寺跡」

石井廃寺は、南に緩く傾斜する段丘面上にある古代寺院である。

古くから瓦の出土などにより寺院の存在が推定されていた。

1957年(昭和32年)〜1959年(昭和34年)発掘調査が行われ、東に塔、西に金堂が並ぶ法起寺式の伽藍配置であることが分かった。

また、明瞭な遺構は確認されないものの、二つの伽藍の北に講堂、南に中門が存在したと推定されている。

出土遺物には瓦・土師器・須恵器の他に瓦塔などがある。

瓦の文様などから奈良時代前半に建立されたと考えられる。  

498日本@名無史さん2019/05/02(木) 20:12:14.89
「入田瓦窯跡」 
http://goutara.blogspot.jp/2011/06/blog-post_25.html

内御田窯跡群の中のひとつであり、気延山南の東斜面にある。奈良時代に屋根瓦を焼いた窯跡で、外に須恵器も焼かれている。

18段の小さい段状の燃焼部と煙出し部分が確認されているが、燃料を燃やす焚き口部分は残っていない。全長10m、幅1.3m、勾配45度の瓦窯様式である。

軒丸瓦と軒平瓦が出土しており、阿波国分寺跡・阿波国分尼寺跡・石井廃寺跡などで見つかっていることから、瓦を供給されるために作られたことが分かる。

奈良時代から平安時代初頭と案内の看板には記されているが、石井廃寺跡出土瓦と同形式であるならば白鳳文化と呼ばれる頃と推測される。

499日本@名無史さん2019/05/02(木) 21:16:59.80
「郡里廃寺跡 (白鳳寺院)」

瓦は同じ美馬市内にある坊僧窯跡群で焼かれたものと考えられている。この坊僧窯跡群の存続は白鳳時代から平安時代にかけてである。

http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%C8%FE%C7%CF%BB%D4%2F%B7%B4%CE%A4%C7%D1%BB%FB%C0%D7
https://sueyasumas.exblog.jp/13240604/
https://sueyasumas.exblog.jp/13230836/

500日本@名無史さん2019/05/03(金) 08:06:39.70
千葉県成田市台方の式内社「麻賀多神社」は麻が社紋。

501日本@名無史さん2019/05/03(金) 09:18:52.96
千葉県印旛(いんば)郡栄町の「大鷲神社」   天乃日鷲尊を祀り、社殿天井に「金の鷲」が取り付けられている。

502日本@名無史さん2019/05/03(金) 09:44:32.70
社伝によると「天乃日鷲尊はその子孫代々麻植の神として神功があり,麻に係りのある当地においても祭神となっております」という。

503日本@名無史さん2019/05/03(金) 10:23:45.41
四国ってのは天皇家には極めて近いんだろうと思う
記紀での国産みなんかもこの地域が中心だし
でも邪馬台国はたぶん天皇家と関係ないんだろう?
呉の太伯の末で「姫」氏なんだろ?
阿蘇山がある所にいた人ららしいし

504日本@名無史さん2019/05/03(金) 10:32:46.66
阿波が天皇系か邪馬台国系か
どちらにせよ立地からいっても阿波や四国が鍵を握ってると思う

505日本@名無史さん2019/05/03(金) 13:54:12.31
>>504
>阿波が天皇系か邪馬台国系か

それ、どこがどうなって違ってくるの?  倭国(阿波)が天皇系であり、邪馬台国なんだけど・・・

506日本@名無史さん2019/05/03(金) 14:42:19.02
『安房志』によると「天日鷲尊の神霊が,天下に異変がある時は,金色の鷲となって現れるので,

その霊験を畏敬して小鷹の神と称した」とあり、印旛沼の由来は「忌部沼」が訛ったもの。

507日本@名無史さん2019/05/03(金) 17:08:06.75
千葉県勝浦市浜勝浦の遠見岬神社   宮司歴代の墓碑には「勝占忌部」と書かれている。   阿波忌部の後裔である。

508日本@名無史さん2019/05/03(金) 21:44:50.12
宮司の安房忌部系図には,天富命の娘の飯長媛(イイナガヒメ)と天日鷲命の孫である由布津主命(ユフツヌシノミコト)とが結婚して,堅田主命(訶多多主命)を生んで安房忌部の祖としている。

509日本@名無史さん2019/05/03(金) 21:51:24.96
神社境内には「忌部塚」と呼ばれる弥生以前の洞窟遺跡もあり,阿波忌部の先遣隊の塚であろう。

510日本@名無史さん2019/05/03(金) 22:54:37.92
>>505
邪馬台国が大和朝廷になったとは限らないという事
定説だとそうなってるけど、それでは説明に無理な所もある

あくまで記紀は天皇を正当化する歴史書という事を踏まえると
天皇に所縁のありそうな場所でも歴史を改変されている所もあるのではないか
特に古くからある神社等は怪しいと思う。土着信仰の神を書き換えてる可能性もある
1柱の神で複数の名を持つというのがおかしいと思う
だから阿波に邪馬台国があってその力を大和朝廷の歴史の一部にするために
記紀に記されているのかもしれないよって話

まっ、あくまで持論なんだけど、そのくらい柔軟に考えないと面白くないでしょ

511日本@名無史さん2019/05/04(土) 07:26:20.27
>>510
>邪馬台国が大和朝廷になったとは限らないという事

阿波邪馬台国が、8世紀に奈良大和へ遷都して、大和朝廷の誕生。

512日本@名無史さん2019/05/04(土) 08:47:38.22
>>510
>邪馬台国が大和朝廷になったとは限らないという事
> 定説だとそうなってるけど、

邪馬台国が大和朝廷になったなんて定説になってないよ?
そんな説もある程度。

513日本@名無史さん2019/05/04(土) 09:20:41.53
千葉県館山市相浜にある「楫取(かんどり)神社」の祭神は 宇豆彦命(ウズヒコノミコト)で、天富命に従ってこの地に渡り,漁業を主として指導したといわれる。

514日本@名無史さん2019/05/04(土) 10:41:24.43
この「楫取」という名は今も徳島県の吉野川で使用されている川舟である楫取舟と関係すると思われる。 

515日本@名無史さん2019/05/04(土) 12:15:01.49
阿波忌部が上陸した地・千葉県館山市布良の 布良崎神社 (祭神:天富命)周辺に「神余」(かなまる)という地名があり,これは安房神社に奉仕する忌部神戸が増えてあふれた人達が新しく開拓したことに由来する。

516日本@名無史さん2019/05/04(土) 12:26:29.95
卑弥呼、神武も忌部?
忌部は一体どこから来たの?

517日本@名無史さん2019/05/04(土) 12:55:23.88
>>516
>卑弥呼、神武も忌部?

もちろん、倭人(忌部一族)。


>忌部は一体どこから来たの?

倭人(忌部一族)の文化は、どこからか来たんじゃなくて、阿波周辺での自然発生。

518日本@名無史さん2019/05/04(土) 13:28:29.17
>>515

「安房神戸(あわかんべ)」という地名もある。 

519日本@名無史さん2019/05/04(土) 14:32:55.86
茨城県新治(にいはり)郡新治村の 鷲神社 は社殿が平成7年に焼失したが氏子の寄付により平成11年に社殿を復興。

ご神体に徳島の忌部神社から分祀を依頼。鷲神社再建竣工記念碑には「本宮四国徳島市忌部神社」とある。

520日本@名無史さん2019/05/04(土) 16:05:19.18
茨城県結城(ゆうき)市小森の 大桑神社 の社伝には「古代,東国に養蚕・織物を伝えたとされる阿波斎部が,稚産霊尊(ワカムスビノミコト)を祭神として,

北方の大水河原に創建。 この辺り一帯を大桑郷と名付けた」 とある。

521日本@名無史さん2019/05/04(土) 16:31:40.06
物部について知りたいなら
真鍋大覚の物部文書を読まれるといいかと
最近、高額だった古本が再販されたみたい
興味あれば調べて見て下さい 

522日本@名無史さん2019/05/04(土) 18:52:20.84
栃木県小山市栗宮の式内社 「安房神社」 の祭神は天太玉命。

523日本@名無史さん2019/05/04(土) 19:58:35.02
同じく、栃木県小山市萓橋の 日鷲神社 の祭神は天日鷲命。

524日本@名無史さん2019/05/04(土) 20:47:59.38
それから、栃木県下都賀郡石橋町橋本の 鷲宮神社 は天日鷲命。

525日本@名無史さん2019/05/04(土) 22:28:43.60
またまた、栃木県佐野市にも「鷲神社」

526日本@名無史さん2019/05/04(土) 22:38:12.67
>>516
殷部という説もある

527日本@名無史さん2019/05/05(日) 07:40:20.87
さらに、東京都浅草にも 「鷲神社」

528日本@名無史さん2019/05/05(日) 09:55:43.32
稲持遺跡(徳島県三好郡東みよし町稲持)は、弥生時代後期の玉作遺跡として代表的である。

529日本@名無史さん2019/05/05(日) 10:10:04.05
斉一性の強い小型勾玉の一群が阿波地域を中心に 讃岐地域・吉備地域と西縁・伊予地域・豊前、筑前、肥前地域 に点在しており、

石材・色調・形状から特定の場所で作られたと考えられる。

530日本@名無史さん2019/05/05(日) 11:55:28.41
蛇紋岩の製作遺跡 : 「東みよし町稲持遺跡」・「徳島市矢野遺跡」・「上板町七条経塚遺跡」

531日本@名無史さん2019/05/05(日) 12:36:05.72
原石産出地 : 徳島県吉野川加茂谷川水系 蛇紋岩

532日本@名無史さん2019/05/05(日) 13:00:17.58
徳島県で勾玉が出土された遺跡 : 「稲持遺跡」、「矢野遺跡」、「黒谷川郡頭遺跡」、「井出上遺跡」など。

533日本@名無史さん2019/05/05(日) 14:15:39.03
井手上遺跡(徳島県三好市井川町西井川)(弥生時代後期終末〜古墳時代前期初頭の集落)出土の翡翠製勾玉は、

新潟県糸魚川で産出する翡翠を使用し北陸周辺で加工されたものであることがわかっている。

534日本@名無史さん2019/05/05(日) 14:54:26.15
出土した遺物は、吉野川下流域、讃岐、吉備等の搬入土器が含まれており、

当時の交易の範囲を知る上で貴重な発見となっている。 

535日本@名無史さん2019/05/05(日) 17:35:13.40
徳島県の銅鐸出土地
『日本古代遺跡37徳島』14ページより  後ろの数値は銅鐸の高さ(cm)
                       
1. 檜銅鐸           鳴門市大麻町檜字乾谷    90
2.神宅銅鐸         板野郡上板町神宅      41
3. 川島銅鐸          麻植郡川島町神後     45.6
4. 森藤銅鐸         麻植郡鴨島町森藤      21
5. 牛島銅鐸         麻植郡鴨島町上浦      34.7
6. 伝久勝銅鐸        阿波郡阿波町久勝   
7. 久千田銅鐸        阿波郡阿波町久勝      30
8. 伝榎瀬銅鐸        徳島市川内町榎瀬      44.5
9. 星河内美田1号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
10. 星河内美田2号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
11. 星河内美田3号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
12. 星河内美田4号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
13. 星河内美田5号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
14. 星河内美田6号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
15. 星河内美田7号銅鐸  徳島市上八万町星河内美田
16. 源田1号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
17. 源田2号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   41.3
18. 源田3号銅鐸      徳島市国府町西矢野源田   52.0
19. 安都真1号銅鐸     徳島市入田町安都真     29.5
20. 安都真2号銅鐸     徳島市入田町安都真     21.7
21. 安都真3号銅鐸     徳島市入田町安都真     24.6
22. 安都真4号銅鐸     徳島市入田町安都真     21
23. 名東銅鐸        徳島市名東1丁目       40
24. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     90.9
25. 多家良銅鐸       徳島市八多町多家良     45.4

536日本@名無史さん2019/05/05(日) 18:23:12.98
26. 伝福万谷銅鐸      徳島市八万町福万谷     
27. 勢合銅鐸        小松島市立江町赤石     36
28. 畑田銅鐸        阿南市下大野町畑田     54.02
29. 八貫渡銅鐸       阿南市下大野町八貫渡    
30. 才見銅鐸        阿南市才見町
31. 長者原1号銅鐸     阿南市山口町長者原     64.25
32. 長者原2号銅鐸     阿南市山口町長者原     41
33. 田村谷銅鐸       阿南市山口町田村谷     62 
34. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          42.4
35. 曲がり1号銅鐸     阿南市椿町曲り          31
36. 伝長生銅鐸       那賀郡長生町
37. 榎名銅鐸        三好郡西祖谷山村榎名     推定55
38. 伝吉野川沿岸銅鐸   美馬郡脇町拝原        6.2
39. 伝脇町銅鐸
40. 伝阿波銅鐸
41. 江原小銅鐸

遺跡発掘後進県なのに、なぜ徳島で、このように非常に多くの場所から出土するのだろうか? 推して知るべし。 

537日本@名無史さん2019/05/06(月) 07:30:21.08
「徳島県出土の同范銅鐸」

倭国(阿波)から各地へ拡がっていった銅鐸たち。

川島銅鐸(吉野川市) − 加茂岩倉遺跡銅鐸(島根県雲南市)

伝脇町銅鐸(美馬市) − 荒神谷遺跡銅鐸(島根県出雲市)

安都真1号銅鐸(徳島市) − 種松山銅鐸(岡山県倉敷市)

伝榎瀬銅鐸(徳島市) − 山町銅鐸(奈良県奈良市)

538日本@名無史さん2019/05/06(月) 10:03:18.62
忌部一族=倭人(広義の忌部氏)は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた祭祀族、海民族、産業技術集団。

539日本@名無史さん2019/05/06(月) 10:29:42.44
阿波から奈良大倭への遷都(7世紀後半〜710年)によって、忌部の本家は阿波に留まる一方、その一部が奈良大倭に渡り、

やがて諸国の忌部を統括することになる。これが中央忌部である。阿波に残った忌部の本家は、同家の本源的職掌である

麁布・木綿及び高天原の山の幸を由加物として、践祚大嘗祭の度ごとに新都に送った。母国からの調進である。

540日本@名無史さん2019/05/06(月) 11:53:32.26
忌部の本家が阿波に残った理由は、天照大神以来、天孫(天皇)の祭祀に必要な神具は「高天原で採取調整されなければならない」という、

天岩屋戸神話に由来する神典を墨守したからである。

541日本@名無史さん2019/05/06(月) 12:06:00.98
「由加物使」一行が阿波から京に向かうに、通過する国々の道路は掃き清められ、国司らが出迎えるという『延喜式』の別格規定は、

高天原から新都に向かう「宗国からの使」という意味からである。

542日本@名無史さん2019/05/06(月) 12:19:35.26
また、「麁布」がすべての貢進物の中で、唯一神祇官扱いになるなど、超絶した扱いとなっているのは、

記紀神話で、天照大神が高天原において機織女を召して織らしめ、また大神自らも織られたとする「神御衣」と見立てているからである。

543日本@名無史さん2019/05/06(月) 12:59:50.27
それを忌部の本家(阿波忌部)が、畏れ多くも代行厳修し、麁布として織り上げたものを、

新天皇が践祚大嘗祭に奉奠して天照大神にお示しする。

544日本@名無史さん2019/05/06(月) 14:28:04.87
天皇陛下即位式である大嘗祭に、麁服を調進する大役を太古から担う御衣御殿人(みぞみあらかんど)の家柄である三木家は、

木屋平村の三木山山頂に居を構える。

545日本@名無史さん2019/05/06(月) 16:29:06.15
貢(みつぎ)、あるいは三ッ木とも呼ばれる地名は、深く調進に関わる為でもあろう。 

南北朝時代にあっては、山岳武士の頭目として南朝に関わった。

546日本@名無史さん2019/05/06(月) 16:54:04.26
さて、この三木山こそは、太古の高天原であると同時に、天皇家の故郷でもある。

このお山から御霊を大嘗宮へ運ぶ為には何か媒体が必要である。

547日本@名無史さん2019/05/06(月) 17:29:21.32
剣山に居た天皇(+ユダヤ人)が下山し(天孫降臨)
麓に居た大国主を倒し、吉野川に沿ってさらに東へ侵攻(神武東征)
徳島平野を平定し倭国を設立

こんな感じ?

548日本@名無史さん2019/05/06(月) 18:04:37.59
>剣山に居た天皇(+ユダヤ人)が下山し(天孫降臨)

それは、ない


>麓に居た大国主を倒し、

大国主が居たのは長国(阿南市周辺)


>吉野川に沿ってさらに東へ侵攻(神武東征)
>徳島平野を平定し倭国を設立

これは正解。

549日本@名無史さん2019/05/06(月) 18:26:43.95
つまり、依り代に付いて初めて示現されるのが神霊であるなら、「麻」こそ媒体であると云える。

550日本@名無史さん2019/05/06(月) 18:43:34.11
古来より伊勢神宮の神札は神宮大麻と呼ばれ、御師が領布した御祓大麻を指すからだ。

551日本@名無史さん2019/05/06(月) 19:09:18.21
後世、大麻(おおぬさ)は紙に変わってしまい、現代人は麻の持つ意味を忘れようとしている。

552日本@名無史さん2019/05/07(火) 08:47:01.47
>>548
ユダヤが関係してるから宮内庁は徳島をひた隠し
にしてるんだろう

553日本@名無史さん2019/05/07(火) 08:51:16.42
大麻(麻)の繊維は、日本では古くからしめ縄、祓い具(おはらい)としての神事の大麻などに用いられてきた。

554日本@名無史さん2019/05/07(火) 09:21:19.73
また、麻から作った大麻(マリファナ)は薬理作用があり、紀元前から古代人が嗜好品、また医薬品として用いてきた。

555日本@名無史さん2019/05/07(火) 09:40:11.87
大麻(マリファナ)は喫煙、気化、飲食により成分を摂取する。

556日本@名無史さん2019/05/07(火) 10:59:53.27
麻といえば、阿波忌部。 

『名曰卑彌呼事鬼道能惑衆』  『名を「卑弥呼」といい、「鬼道」に仕えて人心を惑わしている』

卑弥呼は大麻(マリファナ)を利用して「鬼道」を操ったのだろう。 

557日本@名無史さん2019/05/07(火) 12:08:01.32
「山の民と海の民との交流―水運」          御衣御殿人(みぞみあらかんど) 三木 信夫

道が整備されていない古代迄の交通路は,水運が徐々に発達し,すでに縄文時代には鳴門市からこの阿南市・海陽町にかけて海運交通のあったことが遺跡からみられます。

558日本@名無史さん2019/05/07(火) 13:38:05.33
 阿南市の若杉山遺跡は,弥生時代に赤い顔料の水銀朱をつくるため,全国唯一の辰砂(しんしゃ)の原産地遺跡でした。

559日本@名無史さん2019/05/07(火) 14:40:35.75
辰砂=水銀と硫黄化合物の鉱石,辰砂を粉砕して水銀朱を取り出す。

弥生時代から古墳時代を中心に,遺骸や棺に朱色を塗る風習が盛んに行われて,水銀朱は朱・丹等と呼ばれ使用流通したのです。

560日本@名無史さん2019/05/07(火) 15:00:23.14
この遺跡をみますと,板野郡板野町の黒谷川郡頭(こうず)遺跡や名東遺跡などから朱の精製用具等が発見されており,

弥生時代終末期(西暦200年頃)の若杉山辰砂が,海や河川を利用して運ばれております。

561日本@名無史さん2019/05/07(火) 15:19:16.64
若杉山遺跡にある土器類も,吉野川流域土器や鮎喰川上流の結晶片岩の混在した土器,また畿内的土器など各地の土器が混在しており,

河川や海を通じて運び込まれています。すでに若杉山遺跡には,辰砂を運び出す人や食料等を運び入れる人等の組織化された海上交通に関わる集団がいたとも考えられています。

562日本@名無史さん2019/05/07(火) 17:18:16.76
古代に下りますと,都を起点に諸方に陸上交通である宿駅が整備され,駅路すなわち国道がつくられていきます。

 阿波でも鳴門の撫養から讃岐・伊予・土佐に抜ける南海道と呼ばれる国道があり,それ以外に阿波国から土佐国へ通じる駅路の国道があります。

563日本@名無史さん2019/05/07(火) 21:31:11.53
おおよそ現在の国道55号線沿いに阿南市から海陽町までの海岸沿いを,奈良時代初期の養老2年(718)に設置され,

平安時代初期の延暦15年(796)に廃止されるまで,水上交通路と並行して多くの港や津を経て延びていたのです。

564日本@名無史さん2019/05/08(水) 10:39:25.86
畿内地域の古墳の石材調査が進むにつれて、倭国(阿波)の結晶片岩を石室や葺石に用いた前期古墳の事例が増加してきた。

565日本@名無史さん2019/05/08(水) 10:42:07.87
大阪府の「闘鶏山古墳」、「将軍山古墳」、「鍋塚古墳」、「牧野車塚古墳」、神戸市の「西求女塚古墳」などが典型例だ。

566日本@名無史さん2019/05/08(水) 10:45:16.22
そして、そうした結晶片岩を使う事例が、畿内北部の淀川流域から瀬戸内北岸にかけての一帯に多い傾向もより明瞭になってきた。  

http://www.let.osaka-u.ac.jp/kouko/061018awaitano.htm

567日本@名無史さん2019/05/08(水) 14:18:01.14
徳島の式内社「意富門麻比売神社(宅宮神社)」の平安時代から続く神踊り。

「伊豆毛の国の伯母御の宗女、御年十三ならせます、こくちは壱字とおたしなむ」

祭神は大苫邊尊(おおとまべのみこと)、大年(おおとし)大神、稚武彦(わかたけひこ)命。

式内社では「全国で」唯一、大苫邊尊を祀る神社。

なぜ壱与をこんな片田舎で歌う?  あとは推して知るべし。

https://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/8366006.html?__ysp=5a6F5a6u56We56S%2B77yJ44CM5LyK6LGG5q%2Bb44Gu5Zu944Gu5Lyv5q%2BN5b6h44Gu5a6X5aWz44CB5b6h5bm05Y2B5LiJ44Gq44KJ44Gb44G%2B44GZ44CB44GT44GP44Gh44Gv5aOx5a2X44Go44GK44Gf44GX44Gq44KA44CN

568日本@名無史さん2019/05/08(水) 15:52:54.82
「天照大神(卑弥呼)の次に治世したといわれる壱与(いよ)を祀っている宅宮神社」

http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/08/112914

569日本@名無史さん2019/05/08(水) 16:15:25.61
延喜式内社で「伊邪那美命」が単独で祀られているのは「伊邪那美神社」一社だけで、その鎮座地は高越山山頂であったと一部では伝えられております。

570日本@名無史さん2019/05/08(水) 16:26:57.43
伊邪那美命は埴山比賣(はにやまひめ)と弥都波能売(みつはのめ)の神を産んだあとに薨ったと日本書紀には記され、高越山が含まれる美馬郡には、この三神が式内社で祀られているという背景もあります。

571日本@名無史さん2019/05/08(水) 17:07:11.16
その他に伊邪那岐命(いざなぎ)との争いの仲介役をした菊理比賣命、伊邪那岐命が投げた桃が神となった意富加牟豆美命(おおかむづみのみこと)が阿波町に祀られ条件が一致しているんです。

http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2014/11/07/005405

572日本@名無史さん2019/05/08(水) 17:48:43.99
その「菊理比賣命」を祀る神社

阿波市 阿波町勝命北に鎮座する「勝命神社」

御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)

573日本@名無史さん2019/05/08(水) 18:04:14.18
「阿波誌」に「菊理祠勝命村に在り、旧事記に云ふ伊奘諾伊弉冉二尊、泉津平坂に相争ふ。菊理媛神白す事あり伊奘諾尊聞きて之を善とす」とあります。

菊理媛神(くくりひめのかみ)は、日本の神。加賀の白山や全国の白山神社に祀られる白山比盗_(しらやまひめのかみ)と同一神とされる。 wikipedia

http://goutara.blogspot.com/2012/11/blog-post_29.html

574日本@名無史さん2019/05/08(水) 18:29:09.36
続いて

徳島県吉野川市山川町忌部山字白山

「白山(しらやま)比売神社」

575日本@名無史さん2019/05/08(水) 19:05:03.79
石碑には「忌部社摂社 志良夜末比賣神社」とあります。

「忌部神社」の七摂社の一つで、祭神は「伊佐奈美尊」です。

576日本@名無史さん2019/05/08(水) 19:30:42.74
ここはイザナミ命の「遥拝所」。

この「白山比売神社」の南西には「高越山」があり、山頂に「イザナミ」が祀られていると言われています。

577日本@名無史さん2019/05/08(水) 19:55:49.46
イザナミ命・イザナギ命の神号は海の霊物「イナサ(雄魚)」より名付けられたという説があり、イザナミ命の生前の名は「白山比売」であったという伝承があるそうです。

https://sueyasumas.exblog.jp/17016171/

578日本@名無史さん2019/05/08(水) 20:41:07.42
忌部の郷 徳島県吉野川市山川町忌部山字黒岩 

鳥居の原型 「忌部神社旧社地 真立石(上古神社鳥居)」  

http://i.imgur.com/aaVKHYN.jpg

579日本@名無史さん2019/05/08(水) 22:31:01.66
>>578
二柱、二神ということは造化の三神のうち天御中主神がお隠れになられた姿ではないだろうか。

唐突だが日本(にほん)の語源とは何だろう。
ひょっとしてこの「二本」ではないのだろうか。

580日本@名無史さん2019/05/08(水) 23:51:34.47
にほんと読むようになったのはかなり後だぞ
ひのもとだからな

581日本@名無史さん2019/05/09(木) 06:25:08.50
珍しいけど三柱鳥居というのもある。
あれは造化の三神の御姿であろう、多分。

582日本@名無史さん2019/05/09(木) 06:37:05.84
縄文の「朱」生産拠点 阿南市「加茂宮ノ前遺跡」

国内最大、最古級

祭祀と居住一体出土

583日本@名無史さん2019/05/09(木) 06:59:05.45
阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、古代の祭祀などに使われた赤色顔料「水銀朱」を生産したとみられる縄文時代後期(約4千〜3千年前)の石臼や石きね300点以上や、

水銀朱の原料の辰砂原石が大量に出土した。

水銀朱に関連した遺物の出土量としては国内最多。生産拠点として国内最大、最古級だったことが明らかになった。

584日本@名無史さん2019/05/09(木) 07:30:11.24
石臼の大きいものは直径30センチ。石きねは同約10センチ。生産した水銀朱を貯める土器、表面に水銀朱を塗った土器の破片や耳飾りが多く見つかり、

関連した遺物の出土数は1、000点以上に上った。

585日本@名無史さん2019/05/09(木) 07:39:44.59
調査面積は約1万平方メートル。 祭祀に使っていたとみられる石を円形に並べた遺構14基や住居跡2基も見つかった。

縄文後期の居住域と祭祀の遺構がまとまって確認できたのは西日本で初めて。

586日本@名無史さん2019/05/09(木) 08:24:12.31
センターによると、辰砂原石は約5キロ離れた若杉山周辺から採取された可能性が高いとみられる。

土器の模様には九州の土器に類似した特徴があり、「当時から地域交流をしていたことがうかがえる」としている。

587日本@名無史さん2019/05/09(木) 08:45:05.55
県教委などは2016年度から加茂宮ノ前遺跡を調査しており、弥生時代中期末〜後期初頭(約2千年前)の層から、

鉄器や水銀朱の生産拠点とみられる集落跡を確認。

今回の発見で水銀朱の生産、利用時期は約1500年以上さかのぼることが明らかになった。

588日本@名無史さん2019/05/09(木) 09:09:44.40
「極めて重要な発見」

同志社大学文学部・水ノ江和堂(かずとも)教授(考古学)の話

縄文時代の遺跡が東日本や九州に比べてかなり少ない中四国の状況を示す極めて重要な発見。

当時の水銀朱の生産、利用状況や集落構造を総合的に確認できる遺跡は他に例がなく、今後の研究につながる。

遺構を切り取って復元などしてもらいたい。

589日本@名無史さん2019/05/09(木) 10:07:36.71
「淤能碁呂島」は淡路島ではなく、吉野川中洲の粟島(善入寺島)。  

この粟島(善入寺島)も忌部の郷のひとつ。  

590日本@名無史さん2019/05/09(木) 11:22:17.88
【徳島市大原町千代ヶ丸山 観音山古墳は、反正天皇の御陵跡であった】

元禄年間に徳川幕府から「阿波淡路右両国之内、古代之天子葬之場所有之由ニ候云々」として

阿波で古代天皇の埋葬が行われた痕跡を徳島藩に調査させている。

591日本@名無史さん2019/05/09(木) 11:45:32.36
阿波説だと神武は何年生まれ?
3世紀の終わりくらい?

592日本@名無史さん2019/05/09(木) 12:21:57.75
神武天皇は瓊瓊杵尊の4代目のようだから、天照大神から7代目か。
3世紀の終わり頃〜4世紀初め頃か。

593日本@名無史さん2019/05/09(木) 13:00:52.85
元禄十四年四月二十四日(同日)、勝浦郡大原村千代ヶ丸の観音山古墳を徳島藩普請奉行 猪子理五郎等が掘り出した時の記録が残っている。

『(元禄)同十年十一月十九日、土屋相模守殿、御留守居呼出左之書付御渡、 覺  阿波淡路右兩國之内、古代之、
天子葬之場所有之由に候、淡路國三原郡有之旨に候、場所吟味有之候䔡其所に矢奈等被申付、雑人不入込候様可被申付候(中略… )
同十四年四月廿四日、勝浦郡大原村千代ヶ丸觀音山へ、普請奉行猪子理五郎、森脇彌五兵衛罷越、石之櫃堀出し申處に、内に右左品々有之、
一、石櫃長九尺八寸、深貮尺九寸、幅三尺餘、切ふさ貮枚、むぎ合に仕、内樋有之、
一、しやれかうべ貮つ、長サあぎとまで壹尺四寸、丸サ三尺七寸廻り、兩眼の間三寸、
一、上下の齒長さ八分、左奥齒より右之奥齒まで壹尺四寸、兩方の耳幅長さ壹尺五分、
一、今一つかうべの儀は不分明
一、刀一腰長さ六尺八寸、幅貮寸五分、
一、釼二振有之内一振は長五尺五分、幅三寸五分、今一振は長壹尺五寸、幅三寸五分、
一、鉾一、長さ貮尺は丶七寸、石突八寸、
一、矢根廿五本有之、長壹尺貮寸、幅三寸、
一、からうとの内かうや貮つに書付添、
右之通 以上』

594日本@名無史さん2019/05/09(木) 15:34:54.02
「古代天子葬之場所有之由の候… 」 この記述から、徳川幕府は阿波国に古代天皇陵が存在することを知っていたことになる。

595日本@名無史さん2019/05/09(木) 16:03:00.45
反正天皇は古事記に「御身の長(たけ)九尺ニ寸半、御歯の長さ一寸、広さニ分、上下等し斉(ととの)ひ、既に珠を貫けるが如くなりき。」 と記録されているが、

こちらの記録と千代ヶ丸 観音山古墳の埋葬者の身体サイズときちんと一致している。

徳島市は大原町千代ヶ丸。  この千代ヶ丸山 観音山古墳は、実は反正天皇の御陵跡であったのである。

596日本@名無史さん2019/05/09(木) 18:33:02.66
邪馬台国=女王国=粟国(阿波北部)

狗奴国=長国(阿波南部)

倭人伝時代の倭国=粟国+長国+東讃+南淡程度

597日本@名無史さん2019/05/09(木) 18:54:16.56
「深曽木(ふかそぎ)の儀から考察」

深曽木の儀では、童形服を着て、右手に桧扇、左手に小松と山橘を持ち、それに先立つ着袴の儀で男子は滝の意匠をあしらった和服である落滝津の御服の上に白絹の袴を着付けます。

そして、青石(あおいし)二個を踏み、南側を向いて立ち、御用掛が髪をくしですきそろえ、はさみで毛先を少し切ると、日置盤からぴょんと飛び降りるのです。

598日本@名無史さん2019/05/09(木) 19:06:03.27
親魏倭王(女王)国は九州
親呉倭王(大王)国は奈良

邪馬台国=ヤマトの国=倭国&倭種=日本列島全体

599日本@名無史さん2019/05/09(木) 19:22:59.31
これは高天原から天照大御神の孫、つまり天孫が葦原中国の支配者として降臨した様子を模した儀式がこの深曽木(ふかそぎ→みそぎ)の儀であると思われるのです。

この山橘は恐らく酢橘か柚で、共に阿波で産するものの象徴でもあり、

青い石は、阿波で採れる青石=多くの古墳等の積石に使用されているもので、これも阿波を象徴するものです。

600日本@名無史さん2019/05/09(木) 19:41:46.78
そして私が注目したのは、「南の方角へ飛び下りる」ということ、つまり高天原から南方へ降臨したということを意味するものではないでしょうか。

実際は高天原がどこにあったのかはわかりませんが、あくまで徳島県に高天原があったとするならば…ということで、

その場合、霊峰剣山を中心にとした1000m超級からなる剣山系の山々から南方へ下ったということになります。

https://ameblo.jp/marine816/entry-12314233650.html

601日本@名無史さん2019/05/09(木) 20:29:59.71
古事記には、天照大御神が石屋戸隠れをした時、八百萬神が集い神楽などで大神を誘い出し、この時手力男命が大神の手を取りて引き出したと記されている。

602日本@名無史さん2019/05/09(木) 20:32:33.02
DNAの研究で2世紀の日本列島はまだ縄文系弥生人の世界で
現代日本人たる渡来系弥生人は北部九州地域にし居住していなかったことが判明した
3世紀の四国は縄文系弥生人の世界。

603日本@名無史さん2019/05/09(木) 21:08:55.07
この手力男神は「佐那県に坐す」との記述とおり佐那河内村牛木屋(古代には佐那の県または狭長村と呼ばれていた)に祭られている。

https://sueyasumas.exblog.jp/23490705/

604日本@名無史さん2019/05/10(金) 06:59:50.45
弥生・古墳時代から古代にかけて、現在徳島平野が広がる吉野川河口域は東に開ける深く広い大きな入江になっていて、大
陸・朝鮮半島から北部九州を経て畿内・大和へと続く「和鉄の道」の東四国の玄関口として大いに繁栄してゆく。
弥生時代の中期後半から後期初頭にかけて 吉野川下流域北岸の阿讃山脈の山縁や吉野川の南岸 四国山地の東端 眉山・気
延山の麓 吉野川に流れ込む鮎食川の扇状地には 鉄器や鉄器関連遺物が出土する拠点集落( 北岸: 光勝院寺内遺跡・カネ
ガ谷遺跡
南岸: 矢野遺跡・名東遺跡・高川原遺跡などj が形成され、それらの地域が流通・交易拠点として 周辺地域を巻き込み
ながら次第に大きくなると共に、この地を治める有力豪族も生まれ、次第にひとつの国 阿波国としてまとまり、初期大和王
権を支える有力国のひとつとなってゆく。

「阿波の国の概説」
http://www.infokkkna.com/ironroad/2010htm/iron6/10iron04gaisetsu01.pdf

他説を凌駕する、倭国(阿波)の圧倒的考古資料  

605日本@名無史さん2019/05/10(金) 07:04:01.23
>>604

これらの特異な遺跡は畿内にも九州にも存在しない。 在るのは倭国(阿波)だけ。  あとは推して知るべし。

606日本@名無史さん2019/05/10(金) 10:27:01.68
邪馬台国は海洋国家
四国は海洋遺伝子が多く残ってる

607日本@名無史さん2019/05/10(金) 16:27:06.39
※各地の風土記のうち、「天地初発より記された風土記」は、阿波国風土記のみである。  

なんで阿波が天地初発からなのか?      後は推して知るべし。   

「阿波国風土記」    
https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

608日本@名無史さん2019/05/10(金) 19:10:11.03
徳島市国府町府中の式内社 「大御和神社」は神社拝殿上に「文武天皇(七〇二年)の御宇、

この閤宮(こうのみや)より、国璽の印と国庫の鍵を差し出した」と記されている。

(国璽の印とは国家の表章として押す宮印で、帝都が阿波にあったことを証明するもの)  

http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/02/03/231418

609日本@名無史さん2019/05/10(金) 22:20:12.54
「阿波淡路右両国之内、古代之天子葬之場所有之由云々」

http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/01/12/225133

610日本@名無史さん2019/05/10(金) 23:04:50.06
淳仁 早良 土御門

611日本@名無史さん2019/05/11(土) 06:39:18.25
>>608その印はどこにあるの?

612日本@名無史さん2019/05/11(土) 06:51:19.49

613日本@名無史さん2019/05/11(土) 17:15:40.23
昨夜、TBSのBS放送で放映した邪馬台国番組を期待感なく視聴した。
さすがTBS。 まったく薄っぺらな内容で最近の考古学的発見事項を何ら考慮
していない。政治関連番組同様真実を追求しようとする熱意・努力・能力の
片鱗も見受けられない。このくだらない番組に2時間を費やすなど理解できないよ。
やはり電波法の改正が求めらる。
でも探求心なき人々は納得してるんだろうね。

614日本@名無史さん2019/05/11(土) 17:34:30.26
>>613
実は、私も一応録画は撮っているのですが、見ずに消去することにします。 どうやら。時間の無駄のようなので。
阿波の最新発掘結果を無視しているような番組では、見る価値はありませんから。

615日本@名無史さん2019/05/11(土) 17:53:40.12
「蓮華谷古墳群」

当遺跡は、平成2年に四国縦貫自動車道建設に伴い発掘調査された板野郡板野町犬伏所在の蓮華谷古墳群(U)二号墳の出土品である。

調査により古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)の粘土槨を持つ円墳であることが判明し、本県の粘土槨の始原を考える上で重要な古墳である。

副葬品には銅鏡1、鉄製武器工具(鉄刀1、鉄剣1、鉄斧1、鉄鉇1)、装身具(翡翠勾玉1、碧玉管玉11)、土師器壺1があり、徳島県立埋蔵文化財総合センターで展示されている。

前期古墳の出土資料は全国的にみても数少なく、特に銅鏡は仿製鏡の古墳への副葬開始時期を考える上で重要な資料である。

「蓮華谷古墳群(U)二号墳出土品」
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/renge.html

616日本@名無史さん2019/05/11(土) 18:15:55.01
「蓮華谷古墳群(U)二号墳」
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/14121

617日本@名無史さん2019/05/11(土) 19:04:10.73
大代古墳は全長約54mの前方後円墳

後円部南北径31m・東西径45m  前方部長23m、くびれ部幅18m、前方部前面幅21m、墳高は後円部6.7m、前方部3.3m

前方部、後円部とも2段築成 葺石はあるが、全体ではなく、裾部を列石状に区画している程度。

円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪、盾形埴輪の破片が出土(第1段テラス上や前方部墳頂に円筒埴輪列があり、後円部墳頂に形象埴輪が並んでいたと考えられている。)

後円部頂に南北方向に南北約7.4m、東西約4.5m残存深さ約80cmの墓壙の中に内法で長軸3.7m、北小口幅1.1m、南小口幅1.0mの竪穴式石室があり、その中に刳抜式石棺がある。

石棺内から、滑石製臼玉28・緑色凝灰岩製管玉1が出土した。

原位置から移動した遺物は、鏡片、装飾品(管玉・臼玉) 武器(鉄鏃・銅鏃・鉄剣片・鉄刀片・鉄鉾片)武具(短甲片) 農工具(鋤先・鉄鎌) 工具(鉄斧・刀子・ヤリガンナ・鉄鑿)など。

石棺の石材は、さぬき市津田町火山産の白色凝灰岩。4世紀末の築造と推定されている。さぬき市津田町「岩崎山4号墳」より少し新しい古墳とみられている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%BB%A3%E5%8F%A4%E5%A2%B3

618日本@名無史さん2019/05/11(土) 19:36:46.46
私の実家の本家筋は「黒田鑓場の戦い」で三好氏に戦を挑んだ武将の系統です。
口伝ですが「先祖は天孫降臨時の随伴神」とされています。
近在の武将達(豪族)と同盟の上での戦でしたが、私の妻はこの同盟軍の一将の直系子孫で
、残されている系図では「中臣鎌足公」が始祖となっております。
居城は昔中臣荘といわれた近在にありました。
私の口からは、これらの真偽の判断は出来かねますが・・・・。
日本国生みの場所の傍証の傍証の傍証の・・・一つかなとも思います。
徳島には古代から続く家系と思われる家が沢山あります。
これ等の家の伝聞を集約すると面白い話に繋がると思いませんか?
武将名は伏してあります。

619日本@名無史さん2019/05/11(土) 20:50:41.20
「銅鐸」は、全国で約400個出土していて、徳島県はその約1割を占める42個(29遺跡)が出土しています!!

古代史上、重要視されていない徳島県で、なぜこれほど多数出土するのでしょうか??

https://sueyasumas.exblog.jp/9415763/

620日本@名無史さん2019/05/11(土) 21:15:53.51
古代の祭祀などに使われた赤色顔料「水銀朱」を生産したとみられる縄文時代後期(約4千〜3千年前)の石臼や、水銀朱の原料の辰砂原石などが大量に出土した阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡。

辰砂原石などの発見で、水銀朱の生産、利用時期が1500年以上さかのぼることが明らかになった。

また、水銀朱の生産拠点だったとされる竪穴住居跡や、祭祀に使っていたとみられている円形配石遺構など、縄文社会の解明に大きな役割を果たす。

621日本@名無史さん2019/05/12(日) 08:34:50.32
徳島県阿南市水井町「若杉山遺跡」・「丹波坑口」・「長生町奥ノ谷遺跡」

出土遺物
@石器(石臼・石杵)
A土器
 甕・広口壺・二重口縁壺、小型丸底鉢、鉢、高杯、器台=生活用具のほとんどがそろっている
 小型丸底坩(弥生X様式後半〜布留式まで)庄内式並行期がほとんど
 土器胎土(結晶片岩・石英・雲母)
B玉類
 蛇紋岩製勾玉
C鉄製品
 刀子・不明鉄製品(やりかんな?)
D自然遺物
 貝片・獣魚骨・人骨片

想定される生産形態
・土器以外の生活用具が少ないが、生活用具のほとんどが揃っている
・籾痕の付いた土器や鹿・猪・貝類=一定期間生活
・岩盤直上に営まれる→近くの集落の人間が農閑期に行う特産的生産レベルのものではなく、
 分業化された専門工人集団の生産
・ハマグリ・オキアサリの成長線分析→採取時期は夏期後半から秋期後半

 若杉山遺跡の採掘作業は、夏季後半から秋季後半に行われていた可能性
              (徳島県立博物館1997・岡山1998)

622日本@名無史さん2019/05/12(日) 18:51:02.99
鳴門・板野古墳群について    「徳島県の歴史散歩(山川出版社)」から抜粋

鳴門市大麻町の山地の麓には、弥生時代終末期から古墳時代前期にかけて、前方後円墳を核とした首長墳が集中する。総称して鳴門・板野古墳群と呼んでいる。

623日本@名無史さん2019/05/12(日) 19:12:21.81
主な古墳は、西山谷2号墳  池谷宝幢寺古墳(県史跡)  天河別神社古墳群(6基・県史跡)  萩原1号墓(消滅)・2号墓  大代古墳(県史跡)  板野の愛宕山古墳(県史跡)

発掘調査で埋葬施設が判明した西山谷2号墳、天河別神社1・2号墳、愛宕山古墳、大代古墳は、いずれも結晶片岩板石積みの竪穴式石室を構築しており、

鮎喰川産の土器を供献するなど、気延山古墳群との親縁性を示している。

624日本@名無史さん2019/05/12(日) 21:44:29.51
阿波で発掘される銅剣や銅矛は、どこで製作されたのでしょう?
翡翠は?碧石は除外で。
また銅鐸などの銅は、どこから産出されたのでしょうか?

625日本@名無史さん2019/05/12(日) 22:41:22.50
高越山の高越銅山周辺で作られた可能性があります。
銅剣や銅鐸もあの辺りの遺跡から多く出土しています。

626日本@名無史さん2019/05/13(月) 08:05:07.66
>>613
四国の政治力の無さが一番の問題

627日本@名無史さん2019/05/13(月) 16:38:38.34
西山谷2号墳は全国最古級の竪穴式石室で、石室外周に萩原1・2号墓に類似した一種の囲み壁をつくっている。 積石木槨から竪穴式石室の成立を考える上で興味深い。

628日本@名無史さん2019/05/13(月) 16:48:00.21
近年、東阿波型土器が大和・河内地域の遺跡から相当量出土することをふまえ、大阪府茨木市の将軍山古墳や紫金山古墳、高槻市の闘鶏山古墳を始めとする摂津

・北河内地域に点在する結晶片岩石積みの竪穴式石室について、その用材石室構築技術が、阿波地域

629日本@名無史さん2019/05/13(月) 16:50:51.41
近年、東阿波型土器が大和・河内地域の遺跡から相当量出土することをふまえ、大阪府茨木市の将軍山古墳や紫金山古墳、高槻市の闘鶏山古墳を始めとする摂津

・北河内地域に点在する結晶片岩石積みの竪穴式石室について、その用材石室構築技術が、阿波地域から提供されたとみる説が定着しつつある。

630日本@名無史さん2019/05/13(月) 19:49:02.40
鳴門板野古墳群には中国製の銅鏡の副葬がみられるのも特徴である。

「板野・鳴門古墳群」
http://ktmrj15.webcrow.jp/p36ts/tpx14042619maibun.htm

631日本@名無史さん2019/05/14(火) 07:22:50.57
「カネガ谷遺跡」

出土した弥生土器・石器から、弥生時代後期初頭の集落であることが分かった。

特に、注目される遺物として朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧が出土した。

http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%CC%C4%CC%E7%BB%D4%2F%A5%AB%A5%CD%A5%AC%C3%AB%B0%E4%C0%D7

632日本@名無史さん2019/05/14(火) 07:45:19.95
「カネガ谷遺跡」

出土した弥生土器・石器から、弥生時代後期初頭の集落であることが分かった。

特に、注目される遺物として朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧が出土した。

https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5023019/

633日本@名無史さん2019/05/14(火) 08:30:35.80
「桧はちまき山遺跡」

桧はちまき山遺跡は、軍事的防御性をもつ遺構や石鏃などの武器が少ないことなどから、日常生活が営まれた高地性集落であったと思われる。

https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5023021/

634日本@名無史さん2019/05/14(火) 09:18:27.78
堺の仁徳天皇陵は誰の墓?
当時、仁徳は香川?
あれだけでかい墓を作れるのは天皇クラスだと思うが

635日本@名無史さん2019/05/14(火) 09:26:53.98
「東征毛人五十國西服衆夷六十六國 渡平海北九十五國」

これはずばり、四国(阿波)を中心とした東・西・北の展開記述

東征毛人五十五國 =近畿以東(北関東含む)

西服衆夷六十六國 =西瀬戸内・九州

渡平海北九十五國 =東瀬戸内・山陰・北陸 

これは、倭国(阿波)から進出した忌部一族の開拓地域なのである。

636日本@名無史さん2019/05/14(火) 11:06:59.31
仁徳天皇の都は讃岐の難波郷

陵墓は眉山(以の山)にある毛受ヶ原「ササギの抜け穴」=「仁徳天皇陵墓跡」

大仙古墳は仁徳天皇を偲んだ忌部一族のレプリカ墓(からばか)

637日本@名無史さん2019/05/14(火) 11:53:08.86
稲持遺跡(徳島県三好郡東みよし町稲持)は、弥生時代後期の玉作遺跡として代表的である。

638日本@名無史さん2019/05/14(火) 12:09:05.88
斉一性の強い小型勾玉の一群が阿波地域を中心に 讃岐地域・吉備地域と西縁・伊予地域・豊前、筑前、肥前地域 に点在しており、

石材・色調・形状から特定の場所で作られたと考えられる。

639日本@名無史さん2019/05/14(火) 13:15:35.52
蛇紋岩の製作遺跡 東みよし町稲持遺跡・徳島市矢野遺跡・上板町七条経塚遺跡

原石産出地 徳島県吉野川加茂谷川水系蛇紋岩

徳島県で勾玉が出土された遺跡:稲持遺跡、矢野遺跡、黒谷川郡頭遺跡、井出上遺跡など。

640日本@名無史さん2019/05/14(火) 17:12:54.67
井手上遺跡(徳島県三好市井川町西井川)(弥生時代後期終末〜古墳時代前期初頭の集落)出土の翡翠製勾玉は、

新潟県糸魚川で産出する翡翠を使用し北陸周辺で加工されたものであることがわかっている。

641日本@名無史さん2019/05/14(火) 17:42:11.60
出土した遺物は、吉野川下流域、讃岐、吉備等の搬入土器が含まれており、

当時の交易の範囲を知る上で貴重な発見となっている。  

「稲持遺跡」 
https://www.pref.tokushima.lg.jp/rekishiru/remains/5023036/

642日本@名無史さん2019/05/14(火) 20:43:01.85
【応神天皇(倭王讃)の難波大隈宮】   「春三月に、難波宮に幸せる時の歌」

「眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ船 泊まり知らずも」

   「上の一首、船王の作」


奈良時代の後期難波宮(大阪市)からは「阿波の山」は絶対に見えない。
また、この「阿波の山」は、徳島市の眉山ではなく、香川県さぬき市津田の前期難波宮辺りから見た、なだらかな讃岐山脈である。

倭国(阿波)から遷都する前の飛鳥時代に宮が設置された前期難波宮は香川県さぬき市津田。
この歌は香川県さぬき市津田の前期難波宮で読まれた歌六首の一つである。

643日本@名無史さん2019/05/14(火) 21:50:49.28
阿波市土成町宮川内の奥に飛蔵山(ひそやま)という山がある。 飛蔵山は御祭神として第二十七代 安閑天皇を奉斎する吉野神社が古くから鎮座していたと伝わる。

644日本@名無史さん2019/05/14(火) 22:03:05.08
その吉野神社は、神仏習合の時代に飛蔵宮(ひそみや)または蔵王権現と改称され、山伏をはじめとする修験道の一大霊場として栄えた。

645日本@名無史さん2019/05/14(火) 22:31:03.27
この近くに大別当、教連寺という字名が残されており、教連寺は蔵王権現の宮司であり、大権別当は大宮司が居住していた場所であると考えられている。

646日本@名無史さん2019/05/15(水) 16:21:15.89
宮内庁に阿波国風土記を出せって運動するなら署名させてもらうよ

647日本@名無史さん2019/05/15(水) 16:58:23.79
阿王塚古墳(亀山神社)
徳島県板野郡板野町川端諏訪の丘陵上

舶載画文帯神獣鏡(1)(宮内庁所蔵の優品)
面径15.5cm、内区欠、赤色顔料付着
銘文の復原(宮内庁書稜部陵墓課編「古鏡集成」より)
吾乍明竟 幽凍三岡
周亥无示 天王日月
充之序首 天下安平
四方服兮 天王日月
士官大吉 子孫番昌
□□□□ 立至三公
其市命長 天王日月

舶載画文帯神獣鏡(2)
面径14.0cm、内区欠
銘文の復原(宮内庁書稜部陵墓課編「古鏡集成」より)
吾作□□ □□□岡 如師命長兮

「舶載画文帯神獣鏡(阿王塚古墳)」
http://yama4.web.fc2.com/oasa/aou.html

648日本@名無史さん2019/05/15(水) 18:26:31.74
「萩原1号墓から出土した獣帯同向式神獣鏡」 

萩原1号墓出土の銅鏡は鋳上がりがよく、中国の鏡作り専門の工房で作られた鏡であることがわかる。    徳島県埋蔵文化財センター展示説明文書写

萩原1号墓の鏡の銘文

吾作明竟 天王日月
幽凍三商 統徳序道
配象萬京 天王日月
敬奉賢良 天王日月
曾年益壽 子孫番昌
天王日月 與天無亟
天王日月 見師命長

「萩原墳墓群」
http://www001.upp.so-net.ne.jp/wi12000/forGmap/html/hagiwara.html

649日本@名無史さん2019/05/15(水) 20:53:16.58
「庄・蔵本集落遺跡」から中国鏡「異体字銘帯鏡片」(前漢代 紀元前206年〜紀元後8年)が出土

http://tokudaimaibun.jp/s_rist.html

650日本@名無史さん2019/05/15(水) 21:26:14.42
「内行花文鏡 阿南市国高山古墳」

国高山古墳は、阿南市内原町成松字山下21に所在する徳島県南部を代表する中期古墳である。

1982年には徳島考古学研究グループの測量調査により、墳長51m、後円部径約20m、後円部高2.5m、前方部長31m、前方部幅25.5mを測る、2段築成の前方後円墳とされた。

651日本@名無史さん2019/05/15(水) 21:56:03.61
国高山古墳の副葬品:内行花文鏡、長方板皮綴短甲、鉄鏃(鳥舌鏃)、鉄剣、鉄槍、石製鞘入刀子、滑石製勾玉、鋤先、鉄製釣針ほか。

また、国高山古墳で出土した石製鞘入り刀子は、本来は鉄製であった刀子を、滑石や碧玉などの石で模造したもので、埋葬前の殯(モガリ)の場面で使用された祭祀具である。

652日本@名無史さん2019/05/15(水) 22:10:29.12
国高山古墳からは徳島県下唯一の出土例として、8点の石製刀子が出土している。

http://www.jpn-hayashi.com/cgi-bin/pjdetail.cgi?mode=&title0=%8D%91%8D%82%8ER%8C%C3%95%AD&choice0=k7100140&printer=&photoview=05&index=1801&browser=99&colum=24&font=20&screen=240&life=

653日本@名無史さん2019/05/15(水) 22:15:52.34
国高山古墳からは徳島県下唯一の出土例として、8点の石製刀子が出土している。

http://www.jpn-hayashi.com/cgi-bin/pjdetail.cgi?mode=&title0=%8D%91%8D%82%8ER%8C%C3%95%AD&choice0=k7100140&printer=&photoview=05&index=1801&browser=99&colum=24&font=20&screen=240&life=

654日本@名無史さん2019/05/15(水) 22:49:42.87
寺山3号墳を含む寺山古墳群から破片が出土した中国鏡「内行花文鏡」の流入経路についても考察。

「内行花文鏡」は萩原墳丘墓からも出土しており、「阿波枢要地域からもたらされた可能性が高い」とし、県北部の勢力とのつながりが深かったとみている。

655日本@名無史さん2019/05/16(木) 06:32:49.86
鳴門市・板野郡(旧板野郡)には,きわめて重要な遺跡群がある。 このような特異な遺跡群は畿内にも九州にも存在しない。

萩原墳丘墓・・・前方後円墳のルーツ,2号墓で中国鏡の破片・中国の朱,1号墓で画文帯神獣鏡の副葬

阿王塚古墳・・・2面の画文帯神獣鏡の副葬(宮内庁所蔵の優品)

天河別古墳群,西山谷古墳群・・・国内最古級の古墳を含む古墳群

黒谷川郡頭遺跡・・・朱の精製,弥生後期〜終末期の県内最大級の規模の住居遺跡

鳴門市大代古墳・・・甲冑の出土

これらの遺跡群の真の重要性はまだ一般には知られていない。

656日本@名無史さん2019/05/16(木) 06:47:13.12
「弥生時代後期」に、古墳からの出土ではなく、「庄・蔵本集落遺跡」から中国鏡「異体字銘帯鏡片」(前漢代 紀元前206年〜紀元後8年)が出土しているのは、全国で阿波だけである。

「古墳の副葬品」ではなく、日々人々が暮らしている「集落遺跡」から「前漢代の中国鏡」が出土するということは、この遺跡周辺(鮎喰川下流域)が古くから中国との交流があり、

また、前方後円墳発祥の地でもあることから、倭国の盟主であったことが窺われる。

庄・蔵本遺跡(日本有数の初期農耕集落遺跡)
http://tokudaimaibun.jp/s_rist.html

こういう事実を示せるのは、倭国(阿波)だけ。

657日本@名無史さん2019/05/16(木) 07:35:19.29
三角縁神獣鏡は倭国(阿波)で作られた仿製鏡で、全国へ配られている。

根拠:気延山古墳群の宮谷古墳出土三角縁神獣鏡と同笵鏡が、大分(赤塚古墳)・岡山(鶴山丸山古墳)・京都(内里古墳)・奈良(黒塚古墳)・群馬(天神山古墳)で出土している。

658日本@名無史さん2019/05/16(木) 08:19:59.93
「宮谷古墳」は徳島市国府町と名西郡石井町の境界をなす気延山の東に延びる気延山古墳群の盟主的な前方後円墳で、

3世紀末〜4世紀初頭の築造年代が考えられ、前方後円墳では徳島県内最古の一つである。

659日本@名無史さん2019/05/16(木) 09:45:20.01
主軸は畿内(南北方向が中心)と相違し、東西方向という地域性(東四国に多くみられる)を有している。

660日本@名無史さん2019/05/16(木) 10:05:12.48
副葬品では、棺内から重圏文鏡、碧玉製管玉、ガラス製小玉、鉄鏃、鉄鉾(軸身系)、板状鉄斧、やり鉋など、

棺外から鉄剣などが出土している。前方部からは「張是作」銘の三角縁銘帯六神四獣鏡、三角縁唐草文帯ニ神二獣鏡片、三角縁神獣鏡片の三面が出土している。

661日本@名無史さん2019/05/16(木) 11:10:05.94
この内、三角縁銘帯六神四獣鏡は、京都府八幡市内里古墳、32面の三角縁神獣鏡が出土した奈良県天理市黒塚古墳などと同笵あるいは同型とされるものがあり、

一方、三角縁唐草文帯ニ神二獣鏡片も大分県宇佐市赤塚古墳などに同笵あるいは同型とされるものがある。

また、三角縁神獣鏡片も島根大学の岩本崇氏により、群馬県の天神山古墳の三角縁獣文帯五神四獣鏡と同笵との指摘がなされている。

662日本@名無史さん2019/05/16(木) 14:59:29.61
芝遺跡は阿波南部地域で数少ない発掘調査を行った遺跡である。

県内では珍しい円形周溝墓をはじめ、竪穴住居等の遺構や弥生時代前期後半以降の土器・石器も出土し、阿波南部地域の集落形態の一様相が確認できた遺跡である。

663日本@名無史さん2019/05/16(木) 15:50:42.49
また、弥生時代終末頃〜古墳時代前期前半頃にかけての搬入土器がまとまって出土したことから、出土状況・共伴関係の検討を行い、各搬入土器の搬入時期のピークを探った。

664日本@名無史さん2019/05/16(木) 18:22:25.63
土器の搬入には鮎喰川下流域集団の関与が想定され、一連の動きに若杉山遺跡(岡山1997)の朱が関わっていると考えられる。

665日本@名無史さん2019/05/16(木) 18:42:42.51
本地域の発掘調査事例が芝遺跡に限られる現状では、搬入土器が普遍的に出土するのか、芝遺跡の特異性なのか、判断しがたいが、

大里松原神社遺跡においても搬入土器が認められることは、本地域に一定量の土器が搬入される状況があったことの傍証になるものと考えられる。

666日本@名無史さん2019/05/16(木) 19:12:12.06
芝遺跡は土佐ー阿波ー畿内を結ぶ四国東岸海岸沿い太平洋ルートを想定できる遺跡であり、海上交通に際しての人・物が集中する拠点集落であったと考えられる。

667日本@名無史さん2019/05/16(木) 19:16:14.69
古墳時代初期(約1800年前)の遺構から、出土した土器は概ね、弥生時代終わり頃〜古墳時代初め頃に製作されたと考えられ、

徳島(東阿波型土器)、香川(下川津B型土器)、高知(ヒビノキ式土器)、岡山、関西地域(布留式土器)と、他地域で製作された土器が多く出土。

668日本@名無史さん2019/05/16(木) 20:38:09.02
特に、「布留式土器」と呼ばれている関西地域で製作された土器となると、他地域での出土点数は限られてくる。

ところが、芝遺跡では、頻繁な交流が行われた結果として、各地の多くの土器が出土している。

669学術2019/05/16(木) 20:38:54.02
外国で売れせんになってると日本史外人だらけだったのに惜しい。

670日本@名無史さん2019/05/16(木) 20:44:42.72
???

671日本@名無史さん2019/05/16(木) 21:23:40.30
おそらく港的な役割を果たしていたと考えられ、寄港地、宿場地として盛況していたと思われる。

芝遺跡では弥生時代前期後半頃には吉野川下流域や紀伊からの搬入品が認められ、

弥生時代終末頃になると吉野川下流域の他に、畿内・讃岐・土佐・吉備からの搬入品が認められるようになる。

672日本@名無史さん2019/05/16(木) 21:50:44.58
古墳時代前期前半頃になると吉野川下流域時が主体であることに変わりはないが、一定量の畿内系土器の搬入が認められるようになる。

この在地土器と外来系土器の混在する状況が、本地域の特徴であると意義付け、「海人」の存在が想定されている。

673日本@名無史さん2019/05/16(木) 22:04:14.97
この他、吉野川下流域地域で畿内系土器が出土しているのは黒谷川郡頭遺跡(菅原1989)や石井城ノ内遺跡(日下1999)などに限られ、

出土点数も数点しかない現状では、阿波南部地域の特異性が窺える。

これは往古徳島県の海岸沿いにあった長國の範囲内とも一致する。

674日本@名無史さん2019/05/17(金) 08:30:23.25
奈良「法隆寺」の本社は、阿波国の「救世山峯薬師」別当「法谷寺」

「法谷寺」

http://goutara.blogspot.com/2011/10/blog-post_29.html

675日本@名無史さん2019/05/17(金) 16:18:56.93
神武東征に関わる神社で、熊野の戦いの旧跡に祀られた神社。

「熊野神社」
https://sueyasumas.exblog.jp/9791934/

676日本@名無史さん2019/05/17(金) 17:41:03.53
神武東征説話は吉野川下流南岸勢力が北岸勢力を従属させた歴史の記憶で、樫原神社の東西にその舞台が連なっている。

「樫原神社」  
https://sueyasumas.exblog.jp/9839297/

677日本@名無史さん2019/05/17(金) 20:08:40.78
阿波市 阿波町勝命北に鎮座する「勝命神社」

御祭神は菊理媛命(くくりひめのみこと)

「阿波誌」に「菊理祠勝命村に在り、旧事記に云ふ伊奘諾伊弉冉二尊、泉津平坂に相争ふ。菊理媛神白す事あり伊奘諾尊聞きて之を善とす」とあります。

菊理媛神(くくりひめのかみ)は、日本の神。加賀の白山や全国の白山神社に祀られる白山比盗_(しらやまひめのかみ)と同一神とされる。 wikipedia

http://goutara.blogspot.com/2012/11/blog-post_29.html 

678日本@名無史さん2019/05/17(金) 20:59:32.27
>>191
署名などしなくても宮内庁は情報公開法の対象
個人が数百円で開示請求できるはず

679日本@名無史さん2019/05/17(金) 21:35:40.36
徳島県吉野川市山川町忌部山字峯石

「稚宮(わかみや)神社」 

祭神は、思兼尊・長白羽命です。長白羽命? と調べたら荒妙を織った神麻績部の祖神。

https://sueyasumas.exblog.jp/16991385/

680日本@名無史さん2019/05/17(金) 21:39:32.49
>>678
妄想に付き合わされる宮内庁職員がかわいそう

681日本@名無史さん2019/05/17(金) 22:06:53.08
徳島県吉野川市山川町忌部山字白山

「白山(しらやま)比売神社」

石碑には「忌部社摂社 志良夜末比賣神社」とあります!!

「忌部神社」の七摂社の一つで、祭神は「伊佐奈美尊」です(*^_^*)♪

ここはイザナミ命の「遥拝所」・・・。

この「白山比売神社」の南西には「高越山」があり、山頂に「イザナミ」が祀られていると言われています♪

イザナミ命・イザナギ命の神号は海の霊物「イナサ(雄魚)」より名付けられたという説があり、イザナミ命の生前の名は「白山比売」であったという伝承があるそうです!!

https://sueyasumas.exblog.jp/17016171/

682日本@名無史さん2019/05/18(土) 09:18:05.14
徳島は、古事記神話の神名がつく延喜式内社の数が、他の県に比べると圧倒的に多いことがわかる。

683日本@名無史さん2019/05/18(土) 09:32:39.54
例えば、徳島県の式内社50社のうち19社に古事記神話の神名がついているのに対して、

奈良県は286社のうち3社、島根県の出雲は187社のうち0社である。

684日本@名無史さん2019/05/18(土) 09:44:36.05
式内社以外でも、徳島県の神社の祭神はほとんどが古事記神話の神である。

この事実からも、古事記神話は倭国(阿波)で起きたことを記した記録なのである。 

685日本@名無史さん2019/05/18(土) 11:12:57.79
徳島県美馬市美馬町にある「玉振神社」。

主祭神は、玉振姫命・大己貴命で、美馬市美馬町宗重部落のほぼ中央にある。

686日本@名無史さん2019/05/18(土) 11:20:22.37
すぐ東には四国最大級の巨石墳(円墳)の「段の塚穴古墳」があり、西には白鳳時代の寺院跡「郡里廃寺跡」がある。

この社はもと正部神社の祭神、清姫霊神の侍女、玉振姫霊神を祀っていたといわれている。

687日本@名無史さん2019/05/18(土) 16:28:57.89
四国に女王の都する邪馬台国があったことが国内では隠蔽された理由が謎。
きっと四国人であったことが恥ずかしくなったんだろうな。

688日本@名無史さん2019/05/18(土) 16:54:50.46
いや、白村江での敗戦による遷都を恥じたんだろう。

689日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:12:51.88
延宝五年(1677)に大己貴命を宗重部落の氏神として合祀し、鎮座したものだそうだ。

この美馬町は、吉野川中流域にあり「倭地」なのである。

690日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:16:21.33
美万岐(みまき)に入り込んで美万岐に居を定め、師木水垣宮を宮殿にしたと伝えられている。

この「所知初国之御真木天皇(はつくにしらすみまきのすめらみこと)」はもちろん「崇神天皇」のこと。

691日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:20:13.75
>>687
ユダヤとの関係がバレたらまずいので四国は隠蔽された

692日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:21:01.20
この師木水垣宮の御宇に疫病がはやり、多くの人民が死ぬという大変な出来事が起こっている。

これは、大国主命に近い埴夜須比賣命(武埴安彦)の一族を討亡した祟りと考えて恐れられたとも考えられ、後世の贈名でも祟神(たたりがみ)の天皇となっている。

693日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:23:52.83
>>691
なんでまずいの?  

694日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:26:46.99
また、大国主命の長男「阿遅志貴高日子根神」(加茂の丹田古墳が神陵)の真系であり、美万郡美農郷に居をかまえ、

大田村や種穂山一帯を支配する大人大田々根子(うしおおたたねこ)をわざわざ呼び出し、 大田々根子を神主として大御倭の大神(大国主命)を拝祀させ、

伊加々志男命をして「倭大国魂、倭大国敷両神宮」を建立させた。

695日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:37:30.26
崇神天皇の謚号のとおり、崇神紀には天照大御神や倭大国魂神社の祭祀、天神地神、神地・神戸を定め、

供物の定義等のほか「玉振」として大田田根子や市磯長尾市が求められるなど、神祇制度の起源説話ととれる記事が集中している。

「玉振神社」は「玉振り」として求められた淳名城入姫命が祀られていたものと思われる。

696日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:50:43.58
徳島市 「金山神社・立岩神社」

八尺(やあた)の鏡はこの地で作られた。

697日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:17:13.94
ご存知のように日本の皇室に代々伝わる『三種の神器』とは、『天叢雲の剣(草薙の剣)』、『八尺の鏡』、『八尺(やさか)にの勾玉』をいうが、

その神器のひとつ『八尺の鏡』の製作地はこの神社であるという伝承がある。

698日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:47:18.44
その背景には、銅鐸や銅鏡の出土が多く「たたら跡」と見られる史跡もあるこの地区が「日本の治金技術発祥の地」ではないかという説がある。

見渡すと周辺にも「金谷」、「多々羅(たたら)」、「八田(やた)」という地名が残り、またこの「金山神社・立岩神社」の鎮座地自体も『多家良(たから)』というまさにそのまんまの地名。

699日本@名無史さん2019/05/18(土) 19:18:51.25
この精錬伝承の中心となっているのが、『金山神社』と『立岩神社』の両神社である。

金山神社は鍛冶の神である金山毘古(かなやまびこ)神を祀り、その境内の中に高さ7m幅4mの日本一の巨大陽石をご神体とする『立岩神社』が鎮座する。

700日本@名無史さん2019/05/18(土) 20:05:10.68
この巨石は『天津麻羅(あまつまら)』を祭神とし、素朴に男性を象徴しているが特に通俗的な信仰はない。

古事記には「八尺の鏡は天の金山の鉄をとりて天津麻羅を求ぎて伊斯許理度売命(いしきりどめのみこと)に科せて鏡をつくらしめ」という記述があり、

これがこの地が八尺の鏡製造地であることを裏付けている。

なお、ここより直線で13キロ西には神山町の『立岩神社』があり、ここには高さ20m幅20mの女性器を象徴する巨石があり、古来より「天の岩戸」と称されている。  

701日本@名無史さん2019/05/18(土) 20:16:02.01
高知いいなあ
いつか四万十川にいきたい

702日本@名無史さん2019/05/18(土) 20:19:49.60
「物部氏」の祖神とされている伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命が

日本で唯一、阿波國旧麻殖郡 「伊加々志神社」で祀られている。

このことから、物部氏の本貫地は旧麻植郡周辺であろう。

703日本@名無史さん2019/05/18(土) 20:41:53.90
「延喜式神名帳」の、大和国山辺郡条には、「大和坐大国魂神社」とある。   大和国の 「大和」である。

「延喜式神名帳」の、阿波国美馬郡条には、「倭大國玉神大国敷神社二座」とある。   阿波国なのに「倭」である。

これは、阿波国が「倭」であったことの証左である。    

704日本@名無史さん2019/05/18(土) 22:23:51.70
「猿田彦大神」と「天鈿女命」とは夫婦であることは日本神話に詳しい人はご存知だろう。

徳島県鳴門市にある「大麻比古神社」の祭神は「猿田彦大神」とされている。

705日本@名無史さん2019/05/18(土) 22:32:11.80
その大麻比古神社背後の大麻山には「猿田彦」を祀る祠があったという。

実はこの大麻山の隣には峰続きで「天円山(あまがつぶやま)」がある。

706日本@名無史さん2019/05/19(日) 06:31:56.79
そして、この天円山山頂には「天鈿女命」を祀る「天ヶ津神社」が鎮座している。

「猿田彦大神」と「天鈿女命」両神は、仲良く阿波国鳴門の「大麻比古神社」裏手の「大麻山」・「天円山」に祀られている。

阿波国内には、記紀にまつわる痕跡があちこちに転がっている。

707日本@名無史さん2019/05/19(日) 07:04:14.59
今度は、「手力男神」。

「手力男神」は、徳島県名東郡佐那河内村上字牛木屋に鎮座する「天岩戸別神社」に祀られている。

708日本@名無史さん2019/05/19(日) 07:09:53.79

709日本@名無史さん2019/05/19(日) 07:35:11.94
この神は「古事記」に天岩戸を開けた神として書かれ、「佐那那縣(さなながた)に座す」と書かれている。

佐那河内村は、古く「佐那県(さなのあがた)」と称されたと「村史」に書かれ「古事記」と一致する。

710日本@名無史さん2019/05/19(日) 07:42:10.44
その上、西に山を越えると「天岩戸立岩神社」があり、徳島市には式内社の「天石門別矢倉比賣神社」と「天岩戸別豊玉比賣神社」が鎮座することは、

天孫降臨の地が、阿波であると言わざるを得ない。

711日本@名無史さん2019/05/19(日) 13:52:30.23
でも九州出身ということにしろ、阿波なんぞ恥ずかしい。
という朝廷の方針により記紀は編纂されていった。

712日本@名無史さん2019/05/19(日) 13:59:26.65
>>234
古代の大阪は寝屋川あたりまで海で、奈良のすぐ隣は海だった
5世紀に埋め立てがはじまり、舒明の時代はもう平野になってたけど

713日本@名無史さん2019/05/19(日) 14:02:04.15
>>693
天皇が外人になるじゃん

714日本@名無史さん2019/05/19(日) 16:24:45.12
>>713
それ(ユダヤ関連?)が当時において、ごく普通で当たり前の事柄であれば、隠す必要は起こらない。
天皇がユダヤ人となるのも自然の成り行き。
ただし、自分はユダヤ云々には興味がないが。

715日本@名無史さん2019/05/19(日) 16:59:25.22
徳島新聞 平成29年12月3日朝刊

阿南市長生町宮内の「八鉾神社」が所蔵する平安時代の書物「紙本墨書二品家政所下文附紺紙金泥法華経八巻」(国指定重要文化財)の金泥文字に真鍮が含まれていることが、

修繕に伴う科学調査で判明した。

平安時代の真鍮の使用が明らかになったのは国内3例目で、同時代の使用を裏付ける貴重な資料になりそうだ。 

716日本@名無史さん2019/05/19(日) 17:37:18.05
【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】

徳島県阿南市長生町に鎮座する「八鉾神社」。祭神は大己貴命。延喜式内社である。

717日本@名無史さん2019/05/19(日) 17:44:16.02
この「八鉾神社」には四つの重要文化財が神宝として保管されている。

また「八鉾神社」自体も重要文化財に指定されているので、合計五つの重要文化財を持ち合わせている神社となる。

718日本@名無史さん2019/05/19(日) 18:33:15.14
一つは「大己貴命 木造彫刻立像」

二つ目は「少彦名命 木造彫刻立像」

三つ目が「二品家政所 下文 」

四つ目が「附紺紙金泥法華経」である。

719日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:14:20.06
この八鉾神社、阿波では出雲の「杵築大社(出雲大社)」の元社であると伝えられている。

720日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:37:15.35
八鉾とは八千矛神(やちほこのかみ)。

出雲の主であり、長(おさ)である大国主神のこと。

721日本@名無史さん2019/05/19(日) 20:00:33.06
大国主神の別名、大己貴神は、長国の偉大な主を意味している。

大国主神は、スサノオ命の子孫で、稲羽の素兎の物語で有名である。

オオクニヌシは、兄さん達から大きな袋を持たされる等、色々のいじめを受けたが、それらの試練を乗り越え、出雲国を治める立派な人となった。

722日本@名無史さん2019/05/19(日) 21:10:06.15
大国主の子供に事代主(えべっさん)と建御名方神(たけみなかたのかみ)がいる。

事代主は、式内社の事代主神社として、全国唯一 勝浦町沼江と阿波市市場町伊月に祀られ、

一方、建御名方は、式内社の多祁御奈刀祢神社として、これも全国唯一 石井町浦庄字諏訪に祀られている。

723日本@名無史さん2019/05/19(日) 21:55:39.07
平安時代に記録される3132座の式内社の中に、これら八鉾神社や事代主神社・多祁御奈刀祢神社等の国譲りに遣わされた神達を祀る神社は、阿波にしかない。   

【大国主神を祀る、全国唯一の式内社「八鉾神社」】   

https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/47852915.html?__ysp=44CM5YWr6Ym%2B56We56S%2B44CN44CR 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:1341adc37120578f18dba9451e6c8c3b)

724日本@名無史さん2019/05/20(月) 07:48:47.41
阿波は、記紀神話の舞台

ではまず 【T伊邪那岐・伊邪那美二神による神々の生成まで】

「意富門麻比売神社」   祭神 「神世五世・大戸麻姫命」      比定 宅宮神社
「天椅立神社」        祭神 「造化神か伊邪那岐命か」     比定 天椅立神社
「伊邪那美神社」       祭神 「伊邪那美命」            比定 高越神社(神陵:高越山山頂)
「麻能等比古神社」     祭神 「水門の神か」             比定 天神社
「鹿江比売神社」       祭神 「野の神・鹿屋野比売命」      比定 殿宮神社に合祀
「波尓移麻比弥神社」    祭神 「埴土の神・波爾夜須比売命」   比定 波尓移麻比弥神社
「弥都波能売神社」      祭神 「水の神・彌都波能売神」     比定 八大龍王神社

725日本@名無史さん2019/05/20(月) 08:06:35.23
続いて 【U天照大神・須佐之男命の世代】

「天石門別矢倉比売神社【大社】」   祭神 「天照大神」  比定 天石門別矢倉比売神社(神陵)
「和名佐意富曾神社」   祭神 「須佐之男命か」  比定 和名佐意富曾神社
「忌部神社【大社】」  祭神 「天日鷲命」  比定 忌部神社
「大麻比古神社【大社】」  祭神 「猿田彦命か」  比定 大麻比古神社
「秘羽目神足濱目門比売神社二座」   祭神 「日鷲神と妻神か」  比定 論社あり
「天村雲神伊自波夜比売神社二座」  祭神 「天村雲神と妻神」  比定 論社あり

726日本@名無史さん2019/05/20(月) 08:13:11.28
続いて 【U天照大神・須佐之男命の世代】

「天石門別矢倉比売神社【大社】」   祭神 「天照大神」  比定 天石門別矢倉比売神社(神陵)
「和名佐意富曾神社」   祭神 「須佐之男命か」  比定 和名佐意富曾神社
「忌部神社【大社】」  祭神 「天日鷲命」  比定 忌部神社
「大麻比古神社【大社】」  祭神 「猿田彦命か」  比定 大麻比古神社
「秘羽目神足濱目門比売神社二座」   祭神 「日鷲神と妻神か」   比定 論社あり
「天村雲神伊自波夜比売神社二座」  祭神 「天村雲神と妻神」  比定 論社あり

727日本@名無史さん2019/05/20(月) 08:19:29.52
さらに続いて 【V国譲りに遣わされた神達と葦原中つ国の神々の時代】

「御縣神社」  祭神 「国譲り交渉第一の使者:天菩日命」  比定 豊国神社境内社(神陵跡)
「山方比古神社」  祭神 「第二の使者:天若日子」  比定 経塚大権現(神陵)
「建布都神社」  祭神 「第三の使者:建御雷男命」 比定 建布都神社
「矢桙神社」  祭神 「大国主命」  比定 矢桙神社
「事代主神社」  祭神 「事代主命」  比定 勝浦郡生夷神社
「勝占神社」  祭神 「事代主命」  比定 勝占神社(神陵跡)
「多祁御奈刀祢神社」  祭神 「建御名方神」   比定 多祁御奈刀祢神社
「天水沼間比古神社・天水塞比売神社」  祭神 「沼江姫の父母神か」   比定 杉尾神社か
「鴨神社」  祭神 「阿遅鉏高日子根命」   比定 鴨神社(丹田古墳が神陵)

728日本@名無史さん2019/05/20(月) 08:24:51.92
さらに 【W神武天皇の出生と東征の時代】

「和多都美豊玉比売神社」 祭神 「海神の娘・豊玉比売命」 比定 西宮神社(和多都美宮跡)
「天石門別豊玉比売神社」 祭神 「天孫三代の后:豊玉比売」 比定 城山東麓(神陵跡)
「宇志比古神社」 祭神 「神武の参謀:速吸の宇豆比古」 比定 宇志比古神社(神陵遥拝地:西山谷二号墳)
「伊比良姫神社」 祭神 「神武天皇の妃 阿比良比当ス」 比定 伊比良姫神社 藍住町徳命が神陵跡
「阿佐多知比古神社」 祭神 「神武天皇か」 比定 阿佐多知比古神社 元の鎮座地は渋野か

729日本@名無史さん2019/05/20(月) 08:27:06.27
さらにさらに 【X第十代崇神天皇の時代まで】

「御間都比古神社」 祭神 「第五代御間都比古天皇」 比定 御間都比古神社
「大御和神社」 祭神 「御和の神:大国主命」 比定 大御和神社
「伊加加志神社」 祭神 「第十代崇神帝の母:伊迦賀色許売命」 比定 伊加加志神社
「倭大國玉神大國敷神社二座」 祭神 「倭の国を証明する国魂・国敷の神」 比定 倭大國玉神大國敷神社
「天都賀佐比古神社」 祭神 「笠縫邑の大人:笠彦」 比定 天都賀佐比古神社(神陵跡)
「建嶋女祖命神社」 祭神 「孝元帝の妃:埴安比売命」 比定 建嶋女祖命神社
「和耶神社」 祭神 「埴安比売の御子:建埴安王」 比定 羽浦神社に合祀 元鎮座地は能路山(古墳跡)

730日本@名無史さん2019/05/20(月) 08:29:49.00
いよいよ最終章 【Y景行天皇から皇極天皇の時代まで】

「白鳥神社」 祭神 「日本武尊」 比定 白鳥神社(神陵跡)
「建比売神社」 祭神 「日本武尊の妃:建比売か」 比定 建比売神社
「賀志波比売神社」 祭神 「景行帝の妃:美波迦斯姫か」 比定 津峰神社
「事代主神社」 祭神 「事代主命」 比定 阿波市事代主神社
「岡上神社」 祭神 「推古天皇」 比定 岡上神社(神陵跡)
「速雨神社」 祭神 「皇極天皇」 比定 速雨神社(雨乞神事)

731日本@名無史さん2019/05/20(月) 10:39:57.32
孝徳天皇の難波長柄宮はどこに比定?
香川の津田?

732日本@名無史さん2019/05/20(月) 11:06:32.49
たぶん。

陵墓は徳島県徳島市名東町1丁目の「豊崎八幡神社」。 たぶん。

http://goutara.blogspot.com/search?q=%E5%AD%9D%E5%BE%B3%E5%A4%A9%E7%9A%87

733日本@名無史さん2019/05/20(月) 12:16:53.39
阿波国の北方 鳴門に「葛城神社」が鎮座する。

「葛城神社」は鳴門市北灘町粟田に鎮座し,「一言主神(ヒトコトヌシノカミ)」をご祭神とする。

また、その「葛城神社」では境内に古墳が存在し、古代の遺物が発掘されている。

734日本@名無史さん2019/05/20(月) 12:32:52.76
そして「天円山(あまがつぶやま)」一帯は特に重要な地域で、古代史に詳しい人は「萩原墳墓群」をご存知であろう。  

735日本@名無史さん2019/05/20(月) 13:15:23.60
また、その鳴門では、神武東征の参謀役となった速吸の門(鳴門海峡)の大人・宇志比古尊が「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。

何の縁も所縁も無ければ、こんなところに 「宇志比古尊」をわざわざ祀るはずがないのである。 

736日本@名無史さん2019/05/20(月) 17:23:18.39
「式内社 阿波國名方郡 天佐自能和氣神社」

御祭神  神皇産霊尊・高皇産霊尊・日子刺肩別尊・意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命

徳島県徳島市。吉野川の南岸、四国三郎橋の近くの堤防側にある。

737日本@名無史さん2019/05/20(月) 17:35:55.50
現在の祭神は、四柱だが、もとは、日子刺肩別尊一柱。

ついで、その母にあたる意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命も合せ祀り、さらに、二柱を後世に加えたと考えられている。

738日本@名無史さん2019/05/20(月) 17:45:55.57
意冨夜麻登玖邇阿禮比賣命は、孝霊天皇の第三夫人であり、日子刺肩別尊は、その第二子。

高志之利波臣・豊前之国前臣・五百原君・角鹿海直の祖とされている。

739日本@名無史さん2019/05/20(月) 18:15:28.69
ちなみに、第一子は、大物主命の妻となった夜麻登々母々曾毘売命。第三子は、四道将軍の一人・大吉備津彦命。

すごい兄弟なのである。

740日本@名無史さん2019/05/20(月) 19:05:01.23
御所市高天の高鴨神は、阿波国加茂の「鴨神社」からの勧請である。 

741日本@名無史さん2019/05/20(月) 19:34:21.53
「阿遅志貴高日子根神」は、大国主命と、須佐之男命の娘・多紀理毘売命との間に生まれた長男。 「迦毛大御神」とまで呼ばれた実力者である。

742日本@名無史さん2019/05/20(月) 20:13:39.47
四国は初めから大和朝廷の中の人であって、
卑弥呼の九州北部筑紫のように平定される歴史は無い。

卑弥呼の筑紫は、朝貢した? 
238年公孫氏滅亡以降の外交政策において、
246年韓王朝滅亡という日本国には受け入れられない状況に有る。

大和朝廷が、富国強兵政策で九州に一大率?大宰府みたいなモン? を置き、
軍事立国、古墳時代に移行する理由は、常識的に判るだろ?

大韓帝国作れなくて、中国や半島がロシアじゃ、米国も終わったよwww
中共って、金稼ぎまくって、何してんの?

743日本@名無史さん2019/05/20(月) 21:25:05.80
阿波国三加茂町加茂山の高い尾根上に占地する「丹田古墳」は「阿遅志貴高日子根神」の神陵。

その麓に鎮座する式内社「鴨神社」はその拝所。

744日本@名無史さん2019/05/20(月) 21:50:32.44
「延喜式式内社 阿波國美馬郡 十二座 鴨神社」

鎮座地 徳島県三好郡東みよし(旧三加茂)町加茂字山ノ上3650  

御祭神 別雷命(わけいかづちのみこと)・市杵島姫命・品陀和気命・天照皇大神

745日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:33:01.04
「阿波志」に「鴨祠延喜式小祀と為す。加茂村に在り旧事記にいわゆる事代主の神孫、鴨王是也」と。

また、「寛保改神社社帳」には「加茂村式加茂大明神神主加茂村 白川信濃同長太夫、同助大夫、同権之進」とあり、

更に「阿府志」には、「鴨神社小社三好郡加茂村に在り祭神一座別雷神、神主白河信濃社侍宮川某堂河原某」とある。

鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。 「徳島県神社誌」

746日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:39:05.61
京都、上賀茂神社の創立が、天武天皇7年(678年)と伝えられているので、「鴨神社の鎮座は白河氏らとともに六世紀ごろとみてよかろう。」を信じれば

「京都、上賀茂神社」より「阿波國 鴨神社」の創立が古いということになる。

747日本@名無史さん2019/05/21(火) 08:45:27.56
>>711
記紀を編纂したのは冊封関係になってたみっともない過去を隠す為。
中国に倭王として官職を受けていた事実と
高天原の神の委任による天皇統治は両立しない。

748日本@名無史さん2019/05/21(火) 11:45:22.75
「郷社 下加茂神社」

鎮座地 徳島県三好市三野町加茂野宮492−2

御祭神 玉依姫命

※玉依姫は、鴨神社の御祭神「 別雷神 」の母にあたる。

749日本@名無史さん2019/05/21(火) 11:51:46.88
阿波國加茂に鎮座する「鴨神社」。  

阿波國加茂野宮に鎮座する「下加茂神社」が京都「上賀茂神社」「下鴨神社」の元宮であろう。

750日本@名無史さん2019/05/21(火) 12:20:18.43
「事代主の神孫、鴨王是也」 鴨族の王の祀られている所(阿波国三好郡加茂村)がいわゆる本家、本元となる。

751日本@名無史さん2019/05/21(火) 12:50:44.48
京都上賀茂神社の祭神は賀茂氏の祖神である賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)。

その京都上賀茂神社は「賀茂から別れた」つまり賀茂族(鴨族)の分家の意味である。

752日本@名無史さん2019/05/21(火) 13:12:15.81
「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」とは、徳島県阿南市橘町周辺を指している。

753日本@名無史さん2019/05/21(火) 13:25:52.93
その証拠に、その沖合に浮かぶ伊島には「当所神社」が鎮座しており、御祭神に奥津三神(下記)が祀られている。

・奧疎神(おきざかる)
・奧津那藝佐毘古神(おきつなぎさびこ)
・奧津甲斐辨羅神(おきつかいひべら

754日本@名無史さん2019/05/21(火) 13:37:23.63
この奥津三神は、伊邪那岐が黄泉の国から帰還した際、

「竺紫の日向の橘の小門の阿波岐原」で禊祓をした時に、最後に産まれた神々である。

755日本@名無史さん2019/05/21(火) 13:47:06.61
この奥津三神は、日本で唯一、伊島にのみ見られる神で、

日本の神社で、他に奥津三神を祀る神社は、何処にもない。

756日本@名無史さん2019/05/21(火) 15:09:23.48
「奥津三神」 なぜ、阿波のみで祀る必要があろうか? 

何の縁も所縁も無ければ、こんなところに 「奥津三神」をわざわざ祀るはずがないのである。

あとは推して知るべし。

757日本@名無史さん2019/05/21(火) 17:12:34.40
【日本で唯一、阿波だけで祀られている記紀の神々】

阿波市「事代主神社」 御祭神 事代主命

阿波市「建布都神社」 御祭神 武甕槌神

阿波国美馬郡「倭大國玉神社・倭大國敷神社」 御祭神 大國玉命・大己貴命

758日本@名無史さん2019/05/21(火) 17:52:25.70
【日本で唯一、阿波だけで祀られている記紀の神々】

阿波国美馬郡「伊射奈美神社」 御祭神 伊射奈美尊

阿波國麻殖郡「伊加々志神社」 御祭神 伊迦賀色許売・伊迦賀色許男

阿波國名方郡「多祁御奈刀弥神社 御祭神 建御名方命

759日本@名無史さん2019/05/21(火) 18:05:55.32
【日本で唯一、阿波だけで祀られている記紀の神々】

阿波國麻殖郡「天村雲神伊自波夜比賣神社」 御祭神 天村雲命 ・伊自波夜比賣命

阿波國美馬郡「弥都波能売神社」 御祭神 素盞嗚命

徳島市国府町「天石門別八倉比売神社」 御祭神 大靈女命)

760日本@名無史さん2019/05/21(火) 18:45:41.69
【日本で唯一、阿波だけで祀られている記紀の神々】

名西郡神山町「上一宮大粟神社」 御祭神 大宜都比売命)

徳島市一宮町「一宮神社」 御祭神 大宜都比売命

阿波國板野郡 「宇志比古神社」  御祭神  宇志比古尊・八幡神

761日本@名無史さん2019/05/21(火) 19:47:40.95
【日本で唯一、阿波だけで祀られている記紀の神々】

阿南市伊島「当所神社」 御祭神 奧疎神・奧津那藝佐毘古神・奧津甲斐辨羅神

762日本@名無史さん2019/05/21(火) 20:45:27.71
「倭大国魂神社」が建立されている阿波国美馬郡は、貞観ニ年(八六〇)までは、現在の三好郡と、木屋平村を除いた美馬郡を合わせた七郷からなり、

徳島県の中西部に位置し、山地が九〇lを超える山処(やまと)の地。

763日本@名無史さん2019/05/21(火) 21:36:40.02
旧美馬郡では、土(はに)の神を祀る式内社「波爾移麻比弥(はにやまひめ)神社」、神々の母神である伊邪那美命を祀る式内社「伊刺奈美(いざなみ)神社」、

高天原に通じる橋を神格化した式内社「天椅立(あまのはしだて)神社」など、記紀神話草創の地方を示す神々が祀られている。

このように太古の神々が鎮まる美馬の地に、「倭大国魂神社」も建立されている。

764日本@名無史さん2019/05/21(火) 22:15:25.48
「倭大国魂神社」が建立されている美馬郡美馬町重清の境内には「大国魂古墳」数基と、下段に「八幡古墳群」が現存している。

765日本@名無史さん2019/05/21(火) 22:34:58.87
また、神社の東側(重清城台地)からはサヌカイト製の石鏃や、阿波の青石による石斧、石鎗の出土も確認されており、この地が古くから拓かれていたことがわかる。

766日本@名無史さん2019/05/22(水) 08:35:37.13
>>209
イメージを見たけど絵が昭和だね。老人向き。
だめだこりゃ

767日本@名無史さん2019/05/22(水) 09:31:34.34
徳島新聞 令和元年5月22日朝刊
邪馬台国説で地域活性化
「阿波」主張 徳島市のNPO法人
第1弾 紹介コミック 今秋発行
徳島市のNPO法人・EFE総合研究所徳島センターが、県内の古代史に焦点を当てた地域活性化プロジェクトに取り組んでいる。
「邪馬台国は阿波にあった」という説に基づく観光振興や文化発信のプログラムを計画。
第1弾として「邪馬台国阿波説」を紹介した歴史コミックを今秋に発行する。
徳島センターは、県内各地の遺跡や神社の祭神、中国の歴史書「魏志倭人伝」といった関連資料などから、邪馬台国の候補地が古代の阿波だった可能性が高いと主張。
埋もれた歴史を広く発信し、徳島を盛り上げようと動き出した。
プロジェクトの活動案では、ゆかりの地を巡る歴史ツアーを催し、観光客を誘致。
インターネットを利用した「バーチャルミュージアム」を創設するほか、公開講座やシンポジウムなども開く。
将来的には、歴史継承や観光交流の拠点施設の建設を目指す。
現在、邪馬台国阿波説を紹介する歴史コミックを作製中。
500ページを超す大作で、11月ごろの発行、販売を予定している。
徳島センター長の島勝信一さん(71)=吉野川市鴨島町喜来=は「活動を通して地域のにぎわい創出を図りたい」と話している。
EFE総合研究所は歴史研究家や農業関係者らが所属し、環境や食、教育をテーマに活動している。

768日本@名無史さん2019/05/22(水) 11:42:23.32
「倭大国魂神社」を祀らせた「崇神天皇」は、「初国知(はつくにし)らしし、御真木(みまき)天皇… 」と称えられ、

また、和名は「御間城入彦五十瓊殖(みまきいりひこいにえ)命」と呼ばれて、「みま(き)」との関わりを示している。

天皇の尊号に「美馬(みま)」を用いたのは、神々の母神が鎮まる美馬地方に天皇が入り込んだため、由緒あるその名を冠したものである。

769日本@名無史さん2019/05/22(水) 12:21:47.05
阿波国美馬(ミマ)郡美馬(ミマ)町には、延喜式内社の「倭大国魂神社」が建立されている。

770日本@名無史さん2019/05/22(水) 12:43:53.19
この事実は、阿波国が、かつて倭の国であり、歴代天皇が営んだ王都の地であったことを表す。

これは、「王都の地 倭」の決定的証跡である。

771日本@名無史さん2019/05/22(水) 13:00:24.84
延喜式内社に採択された国魂神社は、都合20社を数える。

うち「倭大国魂神社」については、その由来が日本書紀に納められている。

772日本@名無史さん2019/05/22(水) 13:06:10.04
第10代崇神天皇(ミマキイリヒコ)は、疫病が流行し、民心が乱れた為、神祭りによって地勢の安泰を図ろうと、天神地祇のほか、倭の地主神である倭大国魂神を祀ったという。

まさに「倭大国魂神社」の建立地は、倭の地(国)の証明になる。

773日本@名無史さん2019/05/22(水) 13:31:36.52
「邪馬台国と大%s比売命」

774日本@名無史さん2019/05/22(水) 13:47:00.59
邪馬台国阿波説の論拠として、日本最古の書、古事記と魏志倭人伝の記述が一致する根源に、阿波は食物(五穀)を司る穀霊(おおげつひめ)の国であり、

高天原の物語は、すべて阿波(おおげつひめ)が舞台となっている

「上一宮大粟神社」  http://www.genbu.net/data/awa2/ooawa_title.htm

775日本@名無史さん2019/05/22(水) 15:53:58.81
「先代旧事本紀 巻五 天孫本紀」では饒速日命(にぎはやひのみこと)を祖神と仰ぎ、六代目にあたる伊迦賀色許売(いかがしこめ)、

伊迦賀色許男(いかがしこお)姉弟は、倭の土着豪族として朝廷に仕えた蘇我氏、葛城氏、物部氏の祖にもあたる。

776日本@名無史さん2019/05/22(水) 17:46:08.75
伊迦賀色許売(イカガシコメ)、 伊迦賀色許男(イカガシコオ)姉弟は、

日本で唯一、忌部の郷、徳島県旧麻植郡の延喜式式内社「伊加々志神社」に祀られている。

777日本@名無史さん2019/05/22(水) 18:02:10.13
「伊加加志」(イカガシ)を社名・御祭神とする神社は、全国でここ一箇所だけである。

それが、忌部の郷 麻植の地に鎮座している。

「 徳島の神社 延喜式式内社 伊加々志神社「」
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/44664411.html

778日本@名無史さん2019/05/22(水) 20:37:33.88
剣山系山岳集落(高天原)から降臨したところに鎮座する邇邇芸命(ニニギノ命)神陵跡

磐境神明神社(いわさかしんめいじんじゃ)

 http://sueyasumas.exblog.jp/7300075/

779日本@名無史さん2019/05/23(木) 06:44:43.27
奈良時代に阿波から勧請されたのが、福岡県築上郡築上町の矢幡八幡宮(現金富神社)、 豊前国一宮宇佐神宮

780日本@名無史さん2019/05/23(木) 07:02:11.31
福岡県築上郡築上町は不弥国に比定される。

781日本@名無史さん2019/05/23(木) 07:06:04.80
769年 称徳天皇の御宇に和気清麻呂が神教を授かるために参拝し、

神告を受けた「宇狭の宮」とは神山町 宇佐八幡神社のこと。

http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/02/18/235047

782日本@名無史さん2019/05/23(木) 07:50:54.86
「倭大国敷神社」 「倭大国魂神社」 「事代主神社」 「建布都神社」 「伊射奈美神社」 「伊加々志神社」 「宇志比古神社」

「多祁御奈刀弥神社」 「天村雲神伊自波夜比賣神社」 「弥都波能売神社」 「天石門別八倉比売神社」「天佐自能和氣神社」等々

神社名からして、倭国(阿波)にだけ鎮座する「神名式内社」は、畿内や九州の神社とは別格の風格である。 

783日本@名無史さん2019/05/23(木) 15:46:03.93
式内社「事代主神社」 ・ 式内社 「建布都神社」 は、

ともに倭国(阿波)の阿波市にあり、ともに『日本で唯一 阿波にだけ在る式内社』である。

784日本@名無史さん2019/05/24(金) 10:41:10.41
式内社「事代主神社」が全国で倭国(阿波)にだけ在ることから、「事代主命」は倭国(阿波)の人物。

同じく、建布都神(武甕槌神)も全国で倭国(阿波)にだけ在ることから、「建布都神(武甕槌神)」も倭国(阿波)の人物ということ。

こういう状況証拠を挙げることは他説では不可能。   

785日本@名無史さん2019/05/24(金) 14:48:23.16
「八倉比売命」を祀る式内社は全国で阿波国のみですが、比定社が三社あります。

「天石門別八倉比売神社」 (徳島市国府町)の御祭神は「大靈女命」(おおひるめのむち)

「上一宮大粟神社」 (名西郡神山町)の御祭神は「大宜都比売命」(おおげつひめ)

「一宮神社」 (徳島市一宮町)の御祭神も「大宜都比売命」

786日本@名無史さん2019/05/26(日) 07:34:30.15
ニュース速報に阿波説スレたってんぞ

787日本@名無史さん2019/05/26(日) 13:58:31.55
>>786
あっ、そうなの。

788日本@名無史さん2019/05/26(日) 21:09:00.67
5世紀の宋書(そうしょ)には、倭王武が宋の天子に送った条章文が引用されている。倭王武は、第21代 雄略天皇(大泊瀬幼武尊)であるが、
東の55国、西の66国、北は、海を渡りて海北九十五國を平定し国内統一を進めたことが述べられている。
魏志倭人伝と併せもつと、東も西も北も海を隔てて国があることが分かる。皆、倭種だと述べられている。唯一四国しか、在り得ないだろう。
この一文から、四国(阿波)から見た、東は近畿、西は九州、北は中国地方を指す。つまり、雄略天皇が阿波に居た証拠でもある。
徳島の古代の研究者のみなさんは、第39代弘文天皇まで阿波で骨を埋めているのは、常識の範囲である。
さらに、7世紀、唐の張楚金(ちょうそきん)が著した翰苑(かんえん)には、宋書(そうしょ)や随書(ずいしょ)の記事が引用されているが、
その中に、日本を統一した倭国の王の姓(かばね)は、阿毎(あめ)であり、すでに国号を阿輩(あわ)と為(な)し、妃が天皇になり、阿輩雉弥(あわきみ)と呼ばれている、
と記されている。阿輩雉弥(あわきみ)は、第33代 推古天皇に当たる。

789日本@名無史さん2019/05/26(日) 21:29:19.30
ずばり、四国(阿波)を中心とした東・西・北への「忌部はん」進出展開記述

東征毛人五十五國 =近畿以東(北関東含む)

西服衆夷六十六國 =西瀬戸内・九州

渡平海北九十五國 =東瀬戸内・山陰・北陸 

これ全部、倭国(阿波)から進出した忌部一族の開拓地域である。

790日本@名無史さん2019/05/29(水) 06:15:04.28
足浜目門比売神は、阿波の始祖 天日鷲命の后神です。

式内社 秘羽目神足浜目門比売神社(ひわめあわまどひめじんじゃ)

御祭神  秘羽目神 ・ 足浜目門比売

これも日本唯一、阿波で祀います。

http://www.genbu.net/data/awa2/nakauti_title.htm?print=on

791日本@名無史さん2019/05/29(水) 06:50:39.71
式内社 阿波國美馬郡 「天椅立神社」

ちなみに全国で、そのものずばり「天椅立」神社という名の式内社は、ここだけである。

同じく日本一社 式内社 阿波國美馬郡 天椅立神社 の御祭神は、伊邪那岐命 ・ 伊邪那美命。

https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/48059428.html?__ysp=5byP5YaF56S%2BIOmYv%2BazouWci%2Be%2BjummrOmDoSDlpKnmpIXnq4vnpZ7npL4%3D

792日本@名無史さん2019/05/29(水) 10:28:46.62
名西郡石井町浦庄字諏訪に、式内社・阿波國名方郡多祁御奈刀弥(たけみなとみ)神社があります。

御祭神は、諏訪大社と同じ「建御名方命」です。

793日本@名無史さん2019/05/29(水) 10:32:52.39
四国から魏へ渡ったら休憩なしで行けるかな
九州の何処かや対馬に寄港してるでしょ?

794日本@名無史さん2019/05/29(水) 11:15:04.49
大陸往来の宿場町として栄えた地域はあっただろう。 

大陸からの往路は筑前(宗像)・豊前    大陸への復路は豊前・筑前・肥前(松浦)

大陸からの玄関口(福津市周辺 万津浦)

大陸への出航地(平戸市周辺)

795日本@名無史さん2019/05/29(水) 11:27:30.79
出稼ぎ難民の街

796日本@名無史さん2019/05/29(水) 13:03:32.60
長野県諏訪市にある「諏訪大御祭神は、諏社」は光仁帝の宝亀10年(779年)に阿波國名方郡「多祁御奈刀弥神社 御祭神 建御名方命」から移遷された、と社伝にあるそうだ。

797日本@名無史さん2019/05/29(水) 13:29:18.08
阿波を建国の歴史から黙殺する陰謀論?から見れば、 古事記の書かれた(712)あと、信州に「諏訪国」をつくり(721)、

本来の阿波の諏訪から「諏訪社」を移し(779)、古事記の舞台をカムフラージュした、ということになりますね。

798日本@名無史さん2019/05/29(水) 14:02:57.13
出稼ぎ難民ww

799日本@名無史さん2019/05/29(水) 14:09:09.86
建御名方神は、大国主神と高志河比売神の御子神で、八坂刀売神は妃神です。

高志河比売神とは、別名・高志沼河姫で、高志(地名)の沼河姫のことです。

この「高志」とは、徳島県板野郡の地名です。

https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/46148157.html?__ysp=6auY5b%2BX5rKz5q%2BU5aOy56WeICDpmL%2Fms6I%3D

800日本@名無史さん2019/05/29(水) 15:22:49.81
出稼ぎ難民の件ww

801日本@名無史さん2019/05/29(水) 17:01:11.46
饒速日命の孫「天村雲神」を祀る「阿波国式内社 天村雲神社」(徳島県吉野川市)

802日本@名無史さん2019/05/29(水) 17:06:16.53
延喜式神名帳には「麻植郡天村雲神伊自波夜比売神社二座」とある。  その論社が徳島県吉野川市山川町村雲にある「天村雲神社」。

祭神は,「天村雲命」と「伊志波夜比女命(いしはやひめ)」の二柱である。

803日本@名無史さん2019/05/29(水) 18:43:47.75
「天村雲命」は,饒速日命の孫で,天香語山命 又名を手栗彦命(たぐりひこのみこと) 高倉下命(たかくらじのみこと) と穂屋姫(ほやひめ)の子である。

阿俾良依姫(あいらよりひめ)を妻として,天忍人命(あまのおしひとのみこと) 天忍男命(あまのおしおのみこと) 忍日女命(おしひひめのみこと)を生んだ。

804日本@名無史さん2019/05/29(水) 19:12:22.51
「天村雲命」は,

(1)饒速日命が大倭国に天降るときに防御の人として高皇産霊神に使わされた三十二人の内の一人。「先代旧事本紀」

(2)邇邇芸命に命ぜられて高天原から水の種を持ち帰った。 それが天真名井である。 その功績として,邇邇芸命より天二上命,小橋命という名を賜った。

805日本@名無史さん2019/05/29(水) 19:28:25.65
「小橋」と言えば,「邇邇芸命」の三世孫の「神武天皇」は,日向時代に,阿多小橋君の女(むすめ)の阿比良比売を妻としている。 

806日本@名無史さん2019/05/29(水) 19:53:39.78
小橋命とよばれた「天村雲命」の孫 あるいは曾孫が阿比良比売で,「邇邇芸命」の三世孫の「神武天皇」に嫁いだとしても不思議ではない。

807日本@名無史さん2019/05/29(水) 19:55:59.79
「天村雲命」の妻の阿俾良依姫と 阿比良比売の名にも共通性を感じる。
 

808日本@名無史さん2019/05/30(木) 06:46:24.46
「天村雲命」は又の名を天五多手(あめのいたて)という。 阿波國麻植郡には忌部郡と射立郡があり,「天村雲神社」が鎮座する射立郡は天五多手(あめのいたて)の名に通じる。 

809日本@名無史さん2019/05/30(木) 08:14:24.27
「天村雲神社」や同じく式内社の「伊加々志神社」周辺には「雲宮」とか「天王原」とか何やら意味ありげな地名が見える。 

810日本@名無史さん2019/05/30(木) 08:36:40.98
日本一社 延喜式式内社 阿波國美馬郡 「弥都波能売神社(ミツハノメ神社)」も、日本全国で阿波にしか存在しない。

811日本@名無史さん2019/05/30(木) 09:18:51.02
水の神(水神)の神名そのままの「弥都波能賣神社」という式内社も日本で唯一阿波にしかない。

812日本@名無史さん2019/05/30(木) 10:16:56.82
>>809九州派の私から見てもなんだかグッと惹き付けられる名前だね
伊かかしに古い伝承や由来はないの?

813日本@名無史さん2019/05/30(木) 11:57:18.93
「物部氏」の祖神とされている伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命が

日本で唯一、阿波國麻殖郡 「伊加々志神社」で祀られていることから、物部氏の本貫地は旧麻植郡周辺の可能性が高い。

814日本@名無史さん2019/05/30(木) 12:03:05.47
『先代旧事本紀』によれば、伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命 両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。

このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
@ 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
A 伊加賀志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
B 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
C 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること

などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性が非常に高い。

815日本@名無史さん2019/05/30(木) 12:29:28.59
>>813[かかし]ではないのかぁ
吉野裕子著「蛇」を読んで没頭してて
古代の神はカカと言われてたと書かれていた
カカシも同じルーツと書かれてたの
関係あるのかと思ってしまいました。

816日本@名無史さん2019/05/30(木) 14:04:31.65
>>811

「八坂神社」は 式内社「弥都波能賣神社」論社の一社。

鎮座地 徳島県美馬市美馬町字滝ノ宮231

御祭神 素盞嗚命

創立年代不詳

817日本@名無史さん2019/05/30(木) 18:02:34.33
比定社は他にも美馬市脇町拝原にある「八大龍王神社」、美馬市脇町猪尻の「建神社」、三好市井川町井内「武大神社」などがある。

「武大神社」は、当社の地名と同じ「滝宮」と称されており、御祭神も当社と同じく「素盞嗚尊」。

「建神社」の御祭神も「素盞嗚尊」で論社に共通点がある。

818日本@名無史さん2019/05/30(木) 18:05:31.65
日本一社 延喜式式内社 阿波國美馬郡 弥都波能賣神社 (論社) 八坂神社

http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/47238888.html

819日本@名無史さん2019/05/30(木) 18:29:40.76
四国地域において長さ5cm前後の大型の蛇紋岩製勾玉は、

徳島県:名東遺跡、南庄遺跡、七条経塚遺跡、石井城ノ内遺跡、

香川県:旧練兵場遺跡、石田布施遺跡、原間遺跡、

愛媛県:今若遺跡、

高知県:下ノ坪遺跡、(曹長石)などに認められる。

820日本@名無史さん2019/05/30(木) 19:13:59.33
これらは多様な石質・形状から弥生時代後期前半期における自己完結的な製作消費が考えられるが、

これと相前後して、斉一性の強い小型勾玉の一群が出現する。

821日本@名無史さん2019/05/30(木) 21:43:36.14
阿波地域を中心に点在しており、石材・色調・形状から特定の場所で作られたと考えられる。

蛇紋岩の製作遺跡 : 東みよし町稲持遺跡・徳島市矢野遺跡・上板町七条経塚遺跡

原石産出地 : 徳島県吉野川加茂谷川水系 蛇紋岩

822日本@名無史さん2019/05/30(木) 22:03:32.44
矢野型勾玉の各地の分布 : 讃岐地域・吉備地域・吉備地域西縁・伊予地域・豊前地域・筑前地域・肥前地域

2014/8/23 「阿波の勾玉最前線―蛇紋岩製弥生勾玉の拡散」 講座資料抜粋

徳島県埋蔵文化財センター 菅原康夫氏

823日本@名無史さん2019/05/31(金) 12:20:48.30
藤原京の人口3~4万人
平城京の人口8~9万人

たった16年で人口が2倍〜3倍
阿波から毎日10人づつ移民していったのかね?

824日本@名無史さん2019/05/31(金) 16:22:47.60
>>823
>阿波から毎日10人づつ移民していったのかね?

阿波だけじゃなく、全国に進出している「忌部はん」 たちだよ。

825日本@名無史さん2019/05/31(金) 16:52:38.34
朝廷の祭祀には玉が祭料,幣帛として使われた。忌部は,大和朝廷が祭祀に必要としたその玉類の生産,調達にかかわっていたとの指摘がある。

忌部の祖神である「天太玉命」に玉の文字が含まれていることも偶然ではないはずだ。

826日本@名無史さん2019/05/31(金) 17:16:44.73
「日本書紀」(神代下第九段)に忌部に関する記述があり「…櫛明(くしあかる)玉神を作玉者とす…」とある。

「古語拾遺」にも似た記述があり,忌部氏はいろいろな神を率いて幣帛・祭具の生産に従事した。

827日本@名無史さん2019/05/31(金) 17:36:44.05
櫛明玉神は出雲国の玉作の祖という。

さて,島根県で玉作といえば,出雲玉作遺跡がある玉湯町,松江市忌部だ。  つまり旧意宇郡忌部郷を中心とする地域だった。

828日本@名無史さん2019/05/31(金) 17:44:08.76
「延喜式祇式」臨時祭条に「…毎年十月以前令意宇郡神戸玉作氏造備…」とある。

これを「出雲風土記」と照らすと,毎年十月に玉を調達した玉作氏の住む意宇郡神戸が,「和名抄」に出てくる「忌部神戸」であることが明らかになる。

つまり出雲の玉作りは忌部が行っていたわけだ。

829日本@名無史さん2019/05/31(金) 19:07:28.39
もちろん,忌部の祖神を祀る天太玉命神社がある奈良県橿原市の近くにも玉作遺跡である曽我遺跡がある。  

大和朝廷の官立の玉作工房だったようだ。

830日本@名無史さん2019/05/31(金) 19:41:06.75
徳島の玉作遺跡は,徳島市国府町矢野の「矢野遺跡」と三好市三加茂町の「稲持遺跡」がある。

両遺跡とも緑灰色の蛇紋岩を使用し,勾玉の製作をしていた。  矢野では気延山や眉山から石を運んできたようだ。

時代は矢野が若干古く、弥生時代後期後半とみられる。  

矢野遺跡周辺は,いうまでもなく古代阿波が最も栄えていた土地である。

831日本@名無史さん2019/05/31(金) 20:51:09.32
奈良藤原京より前の時代、7世紀中頃の阿波の役人は木簡で習字をしていた。

832日本@名無史さん2019/05/31(金) 21:10:19.93
阿波国国府町の「観音寺・敷地遺跡」から出土した7世紀中頃の論語木簡は、日本で一番古い出土木簡である。

ちなみに、同遺跡から円面硯・風字硯・須恵器蓋転用硯・上級貴族が使用する油杯(燈明)など、官衙有数の資料が重要文化財に指定されている。

833日本@名無史さん2019/05/31(金) 21:35:12.44
ではなぜ、奈良藤原京より前の時代に、阿波の地にそれらが存在したのだろうか。

834日本@名無史さん2019/05/31(金) 21:47:44.50
それは、7世紀終末頃に阿波から奈良へ遷都(藤原京)する直前まで、阿波に倭の王権・王都があった証である。

阿波国 国府推定地に隣接する「観音寺・敷地遺跡」出土品(重要文化財指定)
http://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/213354

835日本@名無史さん2019/06/01(土) 07:24:46.07
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。

『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。

836日本@名無史さん2019/06/01(土) 12:21:37.53
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加賀志(いかがし)神社

鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635

御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)

またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社である。

837日本@名無史さん2019/06/01(土) 15:43:39.54
『先代旧事本紀』によれば、伊加賀志許賣命・伊加賀色許雄命 両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。

また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”) とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。

838日本@名無史さん2019/06/01(土) 16:05:01.93
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、物部なのだから、みな河内の人間であると単純に考える人が多い。  

しかし、そもそも“河内”は阿波の一般的な地名なのである。

839日本@名無史さん2019/06/01(土) 18:51:27.86
そして、
@ 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること

A 伊加賀志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること

B 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること

C 『阿淡両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること

などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。

840日本@名無史さん2019/06/01(土) 19:07:50.02
これらのことから、物部氏との関係は、同族分派の可能性が非常に高い。

「伊加賀志(いかがし)神社」 http://sueyasumas.exblog.jp/10039623/

841日本@名無史さん2019/06/01(土) 19:25:29.01
御託はいいからもっと発掘せーよ
暇な老人をボランティアに使えば

842日本@名無史さん2019/06/01(土) 20:46:03.48
>>841
いや、ゆっくりじわじわ、真綿で首を締めるようにやるよ。

843日本@名無史さん2019/06/01(土) 20:51:06.86
「倭迹迹日百襲姫命」は徳島市国府町(旧黒田村)の第七代孝霊天皇「黒田廬戸宮跡」で幼少期を過ごし、

阿波市市場町「箸供養」からほど近い「奈良坂」より阿讃山脈を越え、讃岐地方に移動した。

844日本@名無史さん2019/06/01(土) 21:04:41.39
そして、その類い稀な能力を駆使して水を利用した農業の神として祭祀されている。

845日本@名無史さん2019/06/01(土) 22:16:27.31
阿讃山脈を越えて留まった地域が「水主神社(香川県東かがわ市水主1418)」付近。

846日本@名無史さん2019/06/01(土) 23:11:30.60
「水主神社」から北上すると、倭迹迹日百襲姫命が海岸に舟を留めて休息したとき、

船人が舟の艪を海岸の松にたて掛けたとの伝承がある「鱸懸神社(東かがわ市馬篠440番443番)」。

847日本@名無史さん2019/06/02(日) 07:32:52.46
「鱸懸神社」を少し北上すれば「袖掛神社(東かがわ市小磯)」。 そして西へ移動して高松市内に鎮座する「船山神社(高松市仏生山町大字百相神宮寺)」。

船岡山は、倭迹迹日百襲姫命が水主神社からこの周辺に移動して来て住んでいた地。

848日本@名無史さん2019/06/02(日) 08:04:07.25
船岡山は古く百相(もまい)郷に属し船山と称し、地名の百相(ももそ)は倭迹迹日百襲姫命の名に由来すると伝わる。

当地は田村神社の別当寺であった神宮寺(百相廃寺)のあった場所である。

849日本@名無史さん2019/06/02(日) 11:23:11.73
次は讃岐一宮の「田村神社(高松市一宮町286)」。  祭神を 倭迹迹日百襲姫命、五十狭芹彦命(別名 吉備津彦命)・猿田彦大神・天隠山命・天五田根命とし、

これを「田村大神」と総称する。

850日本@名無史さん2019/06/03(月) 21:38:17.90
倭国開拓に伴う国生み過程で、「伊予の二名島(四国)」のあと「隠岐之三子島」が
作られていますが、この島は隠岐島とされている。
然しながら隠岐島は4島で成り立っており、この事実は地図で簡単に確認できる。
すなわちこの解釈は明らかに間違い。
古事記伝で本居宣長が唱えたそうだが、現地を知らない愚民の解釈であろう。
「隠岐之三子島」は「沖にある三つの島」を示しており、まさに阿南市の沖合にある
伊島の事であろう。伊島は三つの島で構成されている。
伊弉諾尊が禊を行った阿波岐原の対岸である。

851日本@名無史さん2019/06/04(火) 12:38:50.98
奈良時代に一番食料の生産高が高かったのは阿波って本当?

852日本@名無史さん2019/06/05(水) 12:52:04.00
徳島市の一宮神社(「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ)の社家、大宮司家を世襲した一宮長宗の流れを汲む一宮氏(分家)が「水主神社」の宮司として祭祀を行っていた時期があり、

この部分についても「大宜都比売命」と「倭迹迹日百襲姫命」に何らかの繋がりがあったと考えられる。

853日本@名無史さん2019/06/05(水) 13:13:06.95
倭迹迹日百襲姫命の父にあたる第七代孝霊天皇の陵墓と黒田廬戸宮跡は、旧黒田村と呼ばれていた徳島市国府町芝原の蔵殊院あたり、

倭迹迹日百襲姫の弟君にあたる日子刺肩別命は、蔵殊院から東に5km隔てた徳島市不動町の式内社「天佐自能和気神社」で祀られている。

854日本@名無史さん2019/06/05(水) 16:31:46.77
王族らによる阿波(倭)から讃岐(山背・難波)への進出は、孝霊天皇の御子時代から盛んになり、

第十五代応神天皇の御宇に至って、ついに香川県さぬき市津田の「前期難波宮」に皇居を営むことになる。

855日本@名無史さん2019/06/05(水) 16:58:41.74
【応神天皇(倭王讃)の難波大隈宮】
   「春三月に、難波宮に幸せる時の歌」

「眉のごと 雲居に見ゆる 阿波の山 かけて漕ぐ船 泊まり知らずも」

   「上の一首、船王の作」

856日本@名無史さん2019/06/05(水) 17:18:11.86
奈良時代の後期難波宮(大阪市)からは「阿波の山」は絶対に見えない。

また、この「阿波の山」は、徳島市の眉山ではなく、香川県さぬき市津田の前期難波宮辺りから見た、なだらかな讃岐山脈である。

857日本@名無史さん2019/06/05(水) 17:26:44.97
倭国(阿波)から遷都する前の飛鳥時代に宮が設置された前期難波宮は香川県さぬき市津田。

この歌は香川県さぬき市津田の前期難波宮で読まれた歌六首の一つである。

858日本@名無史さん2019/06/05(水) 17:59:19.12
>>636
大仙古墳があった場所は当時海岸線で、
船乗りの為に灯台代わりとして巨大にしたそうな
また港町の繁栄を誇示する目的もあった

859日本@名無史さん2019/06/05(水) 18:35:00.65
>>858
本国倭国(阿波)に対する進出地発展の誇示・見栄もあったんだろう。

860日本@名無史さん2019/06/05(水) 20:08:11.18
「あわじ嶋 いや二並び 小豆島 いや二並び 寄ろしき嶋嶋・・・」

861日本@名無史さん2019/06/05(水) 20:13:37.14
この歌は、応神天皇の難波大隈宮がどこに営まれたか、その地理的条件を浮かびあがらせる。

862日本@名無史さん2019/06/05(水) 20:48:38.25
通説の難波大隈宮から見えるのは、淡路島だけで、小豆島は105km離れ、淡路島北端の岩屋と神戸市須磨浦の鉢伏山山塊に遮られ、全く望むことは出来ない。

863日本@名無史さん2019/06/05(水) 20:58:19.29
また、丘陵や山地が存在しないため、天皇が高臺から兄媛の船を見送ったという説話も生まれようがない。

864日本@名無史さん2019/06/05(水) 21:10:47.11

865日本@名無史さん2019/06/05(水) 21:33:15.52
さらに、天皇が徴発した三原の海人は、淡路島南端の三原郡の海人といえるが、大阪湾とは正反対の最遠地である。

866日本@名無史さん2019/06/06(木) 07:36:13.02
これらの説話は、古代「難波」の地であった 讃岐の出来事を伝えたもので、応神天皇の難波大隈宮は、

さぬき市津田町、雨滝山東斜面の御座殿・神野あたりに推定される。

867日本@名無史さん2019/06/06(木) 09:08:42.14
仁徳天皇の大后、石之日売命は、葛城之曾都毘古の娘である。

868日本@名無史さん2019/06/06(木) 09:56:45.48
葛城之曾都毘古の父は、第8代天皇・孝元天皇(こうげんてんのう)の御子、武内宿禰(たけうちのすくね)。

母は、山下影日賣(やましたのかげひめ) で、その兄が珍彦(うづひこ)である。

869日本@名無史さん2019/06/06(木) 11:44:03.51
珍彦(うづひこ)とは、神武天皇を水先案内し、後に倭国造の祖となった倭宿禰命であり、その父が「天村雲命」である。

870日本@名無史さん2019/06/06(木) 17:10:43.34
吉備の黒日売は「海部直の娘」であるが、その海部直の祖先にも当たる。

その「天村雲命」が日本で唯一の式内社「天村雲神伊自波夜比賣神社」にて、阿波で祀られている。

「式内社 天村雲神伊自波夜比賣神社」
http://www.genbu.net/data/awa2/murakumo2_title.htm

871日本@名無史さん2019/06/06(木) 17:30:39.04
神武天皇が珍彦(うづひこ)とめぐり合った「速吸門」は、「鳴門海峡」のこと。

872日本@名無史さん2019/06/07(金) 07:17:08.44
潮流の速さ【速】と、巨大な渦潮【吸】と、【門】で表現される地形、「なと」・「なると」の響き。

873日本@名無史さん2019/06/07(金) 08:57:06.08
当然、珍彦(うづひこ)の「うづ」は、渦潮(うづしお)の「うづ」であろう。

874日本@名無史さん2019/06/07(金) 10:07:31.31
また、山下影日賣の「山下」は、これも地名から取っており、『和名抄』に記される阿波國板野郡「山下(也萬乃之多)」郷のことで、現在の鳴門地方である。

875日本@名無史さん2019/06/07(金) 12:53:56.97
現在の地名(住所表示)では確認できないが、その山のふもとに「葛城神社」が鎮座する。

876日本@名無史さん2019/06/07(金) 14:14:18.58
3世紀に水銀朱を採掘していた遺跡はどこ?

877日本@名無史さん2019/06/07(金) 18:56:14.90
その山とは「葛城の山」を示唆している。

従って、「葛城」も、鳴門地方の地名を指している。

878腹本 勲2019/06/07(金) 20:53:04.43
満州先生の新刊「馬韓も百済も満州にあった」が限定100部で発売中ですよ。
Amazonのみの発売なので、売り切れる前に君も買おう!

879日本@名無史さん2019/06/07(金) 21:01:13.07
『古事記』には、葛城長江 曾都毘古(かづらきの、「ながえ」の、そつひこ)と記され、「葛城」地方のなかに「長江」があることが確認できる。

880日本@名無史さん2019/06/07(金) 21:17:15.15
現在の鳴門市に、古代からの地名、「大津」が残っており、その大津町に「長江」が在る。

もちろん、『古事記』に登場する“本来”の「大津」とは、この地のことである。

881日本@名無史さん2019/06/08(土) 15:23:26.29
もちろん、宇宙の中心は四国である。

882日本@名無史さん2019/06/08(土) 17:21:28.11
孝元天皇の妃の一人が、伊香色謎命(いかがしこめのみこと)   その伊香色謎命を日本唯一祀る所が、延喜式式内社 「伊加賀志神社」 である。

883腹本 勲2019/06/08(土) 22:09:37.44
「満州先生の新刊が出たらしいぜ」
「それを先に言えよ! 早く買わなきゃ売り切れちまうじゃないか!」

≪「馬韓も百済も満州にあった」が尼で限定100部で発売≫

884日本@名無史さん2019/06/09(日) 19:43:34.60
妃には他にまた、埴安姫命がいるが、阿波國那賀郡の式内社 「建嶋女祖命神社」で祀られている。

伊加賀志神社、建嶋女祖命神社ともに、全国唯一の阿波国式内社である。

「伊加賀志神社」 https://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/44664411.html
「建嶋女祖命神社」 http://www.genbu.net/data/awa2/takesima_title.htm

885日本@名無史さん2019/06/09(日) 20:57:14.27
石之日売の「いわ」も地名から取ったと考えられるが、讃岐の難波郷から南に進み阿波へ入ると「いわ野」の地名がある。

そこから東に進み、鳴門地方にも「いわ浜」「いわ崎」があり、「いわ国」と推定されるエリアと、上記の神々、人々の関連地が全く一致する。

886日本@名無史さん2019/06/09(日) 21:31:32.55
石之日売は、「みつ」の崎で、御綱柏を海に投げ棄てたのち、怒りのままに難波宮を通り過ぎて、故郷の国「葛城(鳴門)」を目指す。

(一旦難波に戻ったのは、その怒る様を天皇に見せつけるためだったかもしれない。)

887日本@名無史さん2019/06/09(日) 22:00:26.42
「宮には入り坐さずして、其の御船を引き避きて、堀江に泝(さかのぼ)り、河のまにまに、山代に上り幸でましき。

山代より迴り、那良山の口に到り坐して、歌ひ曰りたまはく・・・」

888日本@名無史さん2019/06/09(日) 22:47:40.70
阿波國には「山代」郷も存在していたが、この場合の山代は地形の形容詞だと思われる。

阿波國には「河内」「日浦」「宇佐」「日向」など地形から生まれた地名が複数存在する。

889日本@名無史さん2019/06/09(日) 22:48:53.07
「やましろ」は、山背とも書き、山の背、後ろ側、すなわちこの場合は、阿波本国から見て、阿讃山脈の裏側という意味である。

890日本@名無史さん2019/06/10(月) 07:38:45.11
讃岐の難波郷から(南へ上る川に人力で船を引き、所々で乗り継ぎながら)、古代の阿波の難波奈良街道に沿って大坂峠を越え、日開谷川を吉野川へと下る。

この途中に上に書いた「いわ野」がある。 そして吉野川に突き当たった一帯が「奈良」である。

891日本@名無史さん2019/06/10(月) 12:35:50.18
【飛鳥の地は小松島市一帯】

892日本@名無史さん2019/06/10(月) 14:25:57.04
小松島市「嶋ノ宮神社」南方の大林町はかつて「あすか」と呼ばれていた。 そして、江戸時代まで「飛鳥神社」が鎮座していた。

893日本@名無史さん2019/06/10(月) 15:04:41.59
天香具山=小松島市日峯山・籠山(かごやま)

894日本@名無史さん2019/06/10(月) 15:57:50.33
 萬葉集註釈 巻第三 

「阿波国風土記の如くは、天(そら)より降り下りたる山の大きなるは、阿波国に降り下りたるを、アマノモト山と云ふ、

その山の砕けて大和国に降りつきたるを、天香具山と云ふ。」

895日本@名無史さん2019/06/10(月) 16:23:47.91
※各地の風土記のうち、天地初発より記された風土記は阿波国風土記のみ。

「阿波国風土記」  https://sites.google.com/site/awakokufudoki/home/awa-koku-zoku-fudoki-nitsuite/2_awakoku_fudoki_towa

「阿波国(あわのくに)」  https://enkieden.exblog.jp/23480944/

896日本@名無史さん2019/06/10(月) 20:08:58.05
主として近年の考古学上の成果によって、箸墓古墳に代表される奈良盆地の初期王とみられる古墳及びホケノ山古墳のルーツが阿波であることが明らかにされ、

また、卑弥呼の近畿年代(庄内式期)を含め、阿波の鮎喰川流域で製作された東阿波型土器(軽量薄型土器)が、近畿地域一円の多くの遺跡から大量に出土している。

897日本@名無史さん2019/06/10(月) 20:32:31.03
さらに卑弥呼の没年頃から、阿波吉野川南岸の結晶片岩が船で運ばれ、同地域の首長級の古墳の石材として使用されていることも次第に明らかになってきた。

898日本@名無史さん2019/06/11(火) 09:49:55.01
「阿波の神様 大宜都比売」

899日本@名無史さん2019/06/11(火) 12:00:15.26
大宜都比売(大気都比売神、大宜津比売神、大気津比売神)は、日本神話に登場する女神。

名前の「オオ」は「多」の意味、「ゲ」は「ケ」の食物の意味で、穀物・食物・蚕の女神である。

900日本@名無史さん2019/06/11(火) 12:48:39.37
『古事記』においては、「大宜都比売」は国産みにおいて伊予之二名島(四国)の中の「阿波国の神」として初めて表れる。

901日本@名無史さん2019/06/11(火) 13:23:43.70
「ケ」が食物を表す他の例はあるんですか?

902日本@名無史さん2019/06/11(火) 18:33:48.82
御饌

903日本@名無史さん2019/06/11(火) 19:15:32.29
忌部一族は、海部(あまべ)とともに日本各地に進出して、麻、穀を植え、農業、養蚕、織物、製紙、建築、芸能などを伝えた、日本唯一無二の「祭祀族、海民族、産業・文化技術集団」なのである。

904日本@名無史さん2019/06/11(火) 21:10:21.63
阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ[「上一ノ宮大粟神社」の御祀神は「オオゲツヒメ」という神様だが、

オオゲツヒメ=御食津神=豊受大神

905日本@名無史さん2019/06/12(水) 07:08:49.26
豊受大神というと伊勢神宮の外宮の神様だが、じつは外宮の神官「度会氏」は「忌部氏」の末裔。

元々は内宮、外宮とも、神官は忌部氏だった。

906日本@名無史さん2019/06/12(水) 08:52:54.24
大宜都比売神(オオゲツヒメ)は、『古事記』に云う粟国(阿波国)の国神となる女神であり、日本の養蚕・五穀の起源神、日本の偉大なる食物の女神、かつ日本最古の農業神である。

907日本@名無史さん2019/06/12(水) 09:51:47.26
また、焼畑農業神、稲作・畑作農業神としての顔をもつ。『古事記』にあるオオゲツヒメの死は、死と再生という自然循環思想を表す。

908日本@名無史さん2019/06/12(水) 11:59:37.04
穀物名(粟)を国名とするのも、 農業神(大宜都比売神)が国神となるのも、 日本で阿波国のみである。

909日本@名無史さん2019/06/12(水) 12:43:17.12
『大分宇佐神宮の勧請元は、阿波國神山町宇狭に鎮座する「宇佐八幡宮」(辰の宮)』 

910日本@名無史さん2019/06/12(水) 13:04:15.45
大分の宇佐八幡宮の開基は725年。

一方、阿波国 国府町井戸 「八幡神社」の開基は、白鳳二年(674年)。   御祭神は、誉田別命・仲哀天皇・三女命(いわゆる宗像三神)。

911日本@名無史さん2019/06/12(水) 13:35:19.33
「是社ノ奥深ク厳シク鎮守シ給フ当八幡宮(古称 井上八幡宮)ハ奉勧請白鳳二年 宇佐八幡宮ヨリ御分遷 誉田別命 仲哀天皇 三女命ヲ奉斎爾来惟神ノ誠を捧ゲ今ニ至 迄幾度改修・・・」  以下略。

大分の宇佐八幡宮の創建より遡ること51年、白鳳二年(674年)にこの阿波国 国府町井戸 「八幡神社」 は阿波國神山町宇狭の「宇佐八幡宮ヨリ御分遷」とある。

912日本@名無史さん2019/06/12(水) 14:30:24.77
よって、大分の宇佐八幡宮は、 『国府町井戸 八幡神社』 より51年遅れて、 神山町宇狭の「宇佐八幡宮」(辰の宮)から勧請されたものであろう。

913日本@名無史さん2019/06/12(水) 15:44:00.91
「日下姓の起源」

914日本@名無史さん2019/06/12(水) 16:11:35.27
古い由来の姓に「日下(くさか)」姓がある。

日下姓は、聖徳太子の時代には存在していた名前である。 

915日本@名無史さん2019/06/12(水) 19:03:44.20
「古事記 中つ巻」の冒頭に 日下の名前が登場するので、神代の時代から人代の時代に入った時には、もう既に存在していた名前である。

勿論、日本書紀にも出てくる。

916日本@名無史さん2019/06/12(水) 20:33:26.77
阿波国の蜂須賀藩家臣成立書に、日下姓が見られる。  また、隣の香川県も日下姓が多く、 高知県高岡郡日高村にも日下の地名がある。

917日本@名無史さん2019/06/12(水) 20:55:05.54
徳島県全体としては、徳島市に集中しており、日本一「日下姓」が多い地域である。

香川県全体としては、高松市に集中しており、日本一の徳島市に続いて「日下姓」が多い地域である。

918日本@名無史さん2019/06/12(水) 21:55:44.12
このことから、西日本に存在する日下姓の大半は、徳島県や香川県等、四国地方を起源にしていると考えられる。

よって、記紀に登場する日下姓をみても、記紀は少なくとも、四国地方を記したものと言える。

919日本@名無史さん2019/06/12(水) 23:46:07.98
神武天皇が上陸した日下はどっち?

920日本@名無史さん2019/06/13(木) 05:55:25.37
>>919

神武東征は倭国(阿波)での出来事。

921日本@名無史さん2019/06/13(木) 06:39:12.77
阿波国内に 二千基程度あると云われる 「地神塔」。

922日本@名無史さん2019/06/13(木) 06:48:52.81
阿波独特の祭礼(地神塔)
http://awa-otoko.hatenablog.com/entry/2015/01/12/225133

923日本@名無史さん2019/06/13(木) 06:59:06.88
これは阿波独特のもので、寛政二年(一七九〇)に徳島藩主であった蜂須賀治昭は、神職早雲伯耆の建白を受け、県下全域に地神塔(塚)を建て、

春秋の社日(戌の日)に地神祭を行うようにさせたと言われている。

924日本@名無史さん2019/06/13(木) 07:05:59.43
阿波藩独特の祭礼行事ではあるが、香川県の南部、 岡山県南部の瀬戸内海に面する部落、 北海道では阿波藩からの入植者のいる地域等で「地神さん」が祀られている。

925日本@名無史さん2019/06/13(木) 07:12:19.39
その形は五角柱で、塔の五面には…

1. 天照大神
2. 大己貴命
3. 稲倉魂命
4. 少彦名命
5. 埴安媛命

が彫られている。

926日本@名無史さん2019/06/13(木) 07:23:38.49
通説では農業五面神といわれているが、正しくは皇祖 「天照大御神」、 葦原中つ国の盟主神 「大己貴命」、 薬学の神 「少彦名命」、 稲米(五穀)の神 「稲倉魂命」、 埴土(はに: 土器や祭祀にかかわる)の神 「埴安媛命」

の五神で、記紀神話の中でも 国土創生に欠かせない、いわば主役級の神々であり、阿波国内では神蹟の明らかな「土着の神」である。

927日本@名無史さん2019/06/13(木) 07:34:23.63
通説では農業五面神といわれているが、正しくは皇祖 「天照大御神」、 葦原中つ国の盟主神 「大己貴命」、 薬学の神 「少彦名命」、 

稲米(五穀)の神 「稲倉魂命」、 埴土(はに: 土器や祭祀にかかわる)の神 「埴安媛命」 の五神で、

記紀神話の中でも 国土創生に欠かせない、いわば主役級の神々であり、阿波国内では神蹟の明らかな「土着の神」である。

928日本@名無史さん2019/06/13(木) 08:40:18.73
倭国(阿波)には、鉄鍛冶の工房が多数(今分かっているだけで、7遺跡)存在し、 鉄器もほとんどの遺跡から出土する 鉄器王国として、 畿内や九州を圧倒している。

929日本@名無史さん2019/06/13(木) 10:36:23.98
倭国(阿波)には、辰砂(丹)の採掘遺跡があり、魏志倭人伝の「其山有丹」に日本で唯一、合致している。

930日本@名無史さん2019/06/13(木) 11:46:28.28
倭国(阿波)には、勾玉造りの工房遺跡や勾玉原石が存在していることから、勾玉造りの発祥地でもある。

931日本@名無史さん2019/06/13(木) 11:46:53.96
お国が四国に冷たいのは万世一系を否定されるから?

932日本@名無史さん2019/06/13(木) 11:54:48.03
>>931

国・国民が、天皇家の故地をきれいさっぱり、忘れ去ってしまっているからだよ。  

天皇家は故地をしっかり認識しているけどね。

933日本@名無史さん2019/06/13(木) 15:45:21.67
倭国(阿波)には、 各地に特異な弥生後期集落遺跡群が点在し、 弥生後期集落遺跡群においても、 畿内や九州を圧倒している。

934日本@名無史さん2019/06/13(木) 16:11:44.49
倭国(阿波)では、弥生土器X様式期に、小形丸底鉢(東阿波型土器)を発明しており、庄内式土器や布留式土器も 忌部一族がもたらした「東阿波型土器」工法の一つである。

935日本@名無史さん2019/06/13(木) 18:40:12.67
倭国(阿波)には、中国朱や中国鏡が出土していることから、倭国(阿波)が中国と交流していたのは紛れもない事実である。

936日本@名無史さん2019/06/13(木) 22:01:42.49
倭国(阿波)には、萩原墳丘墓などの前方後円墳の原型墳が存在していることから、前方後円墳の発祥地でもある。   

937日本@名無史さん2019/06/14(金) 09:38:13.55
神武東征の舞台は阿波国内であり、 九州からの東征などではない。

938日本@名無史さん2019/06/14(金) 10:09:52.52
神武軍が吉野川北岸の阿波市(西)から鳴門市(東)へ攻め下ったのが神武東征。

939日本@名無史さん2019/06/14(金) 12:00:34.91
東征の参謀役となった速吸の門(はやすいのなと 鳴門海峡のこと)の大人・宇豆彦が「宇志比古神社(鳴門市大麻町大谷)」で祀られている。

940日本@名無史さん2019/06/14(金) 12:15:30.38
その背後の山が宇豆彦の葬場である西山谷二号墳(円墳 出土品 圭頭形鉄鏃、やりがんな、鉄剣、鉄斧、斜線上方作銘獣帯鏡、鉄槍など)。

941日本@名無史さん2019/06/14(金) 12:16:52.61
斜縁上方作銘獣帯鏡

942日本@名無史さん2019/06/14(金) 13:33:41.98
西山谷2号墳は 標高74mの尾根上、南北径20m、東西径18m・高さ2mの円墳で、 中央に南北方向の結晶片岩石積の竪穴式石室がある。

竪穴式石室は全長4.72m、北幅1.05m、南幅0.83m、 墓壙は南北6.5m、東西4.8mで全体が晶片岩で覆われている。

943日本@名無史さん2019/06/14(金) 14:29:15.28
結晶片岩(阿波の青石)で覆われている。

944日本@名無史さん2019/06/14(金) 14:30:12.21
石室には粘土でつくられた棺台があり、刳抜式木棺があったと考えられている。

石室の床には水銀朱が塗られていて、特に北側が多量だった。

945日本@名無史さん2019/06/14(金) 15:04:06.98
棺内北側から鉄鏃、ヤリガンナ、鉄剣、鉄斧、鉄片、青銅鏡など多くの副葬品が出土、棺外からは鉄槍や土器が出土した。

3世紀半ばの築造と推定されている。 

946日本@名無史さん2019/06/14(金) 16:25:15.82
「蓮華谷古墳群(U)二号墳」

当遺跡は、平成2年に四国縦貫自動車道建設に伴い発掘調査された。   板野郡板野町犬伏所在の蓮華谷古墳群(U)二号墳である。

947日本@名無史さん2019/06/14(金) 16:45:41.23
阿波に徐福伝説は無いよね?

948日本@名無史さん2019/06/14(金) 18:17:06.64
徐福伝説?  なにそれ?  阿波にはそんな訳の分からない伝説は不要。

949日本@名無史さん2019/06/14(金) 18:22:27.25
調査により古墳時代前期(3世紀後半〜4世紀)の粘土槨を持つ円墳であることが判明し、本県の粘土槨の始原を考える上で重要な古墳である。

950日本@名無史さん2019/06/14(金) 18:34:22.34
副葬品には銅鏡1、鉄製武器工具(鉄刀1、鉄剣1、鉄斧1、鉄鉇1)、装身具(翡翠勾玉1、碧玉管玉11)、土師器壺1があり、徳島県立埋蔵文化財総合センターで展示されている。

前期古墳の出土資料は全国的にみても数少なく、特に銅鏡は仿製鏡の古墳への副葬開始時期を考える上で重要な資料である。

蓮華谷古墳群(U)二号墳出土品
http://www.geocities.jp/yamatai4/oasa/renge.html

951日本@名無史さん2019/06/14(金) 18:56:54.45
大代古墳は全長約54mの前方後円墳

後円部南北径31m・東西径45m  前方部長23m、くびれ部幅18m、前方部前面幅21m、墳高は後円部6.7m、前方部3.3m

前方部、後円部とも2段築成 葺石はあるが、全体ではなく、裾部を列石状に区画している程度。

952日本@名無史さん2019/06/14(金) 22:16:10.04
円筒埴輪、朝顔形埴輪、家形埴輪、盾形埴輪の破片が出土 (第1段テラス上や前方部墳頂に円筒埴輪列があり、後円部墳頂に形象埴輪が並んでいたと考えられている。)

953日本@名無史さん2019/06/14(金) 22:27:59.11
後円部頂に、南北約7.4m、東西約4.5m残存深さ約80cmの墓壙の中に、内法で長軸3.7m、北小口幅1.1m、南小口幅1.0mの竪穴式石室があり、その中に刳抜式石棺がある。

954日本@名無史さん2019/06/14(金) 22:36:11.87
石棺内から、滑石製臼玉28個・緑色凝灰岩製管玉1個が出土した。

原位置から移動した遺物は、鏡片、装飾品(管玉・臼玉) 武器(鉄鏃・銅鏃・鉄剣片・鉄刀片・鉄鉾片)武具(短甲片) 農工具(鋤先・鉄鎌) 工具(鉄斧・刀子・ヤリガンナ・鉄鑿)など。

955日本@名無史さん2019/06/15(土) 08:30:58.00
県内2例目 筒形銅器出土 石井・山ノ神古墳/徳島

石井町教委は31日、2014年度から進めていた気延山の「山ノ神(やまのかみ)古墳」(同町石井)の発掘調査で、県内2例目の筒形銅器が出土したと発表した。

956日本@名無史さん2019/06/15(土) 09:23:32.85
古墳は全長約56メートル、最大幅約30メートル、高さ6・7メートルに達し、前方後円墳としては、県内3番目の規模であることも分かった。

筒形銅器は円筒型で長さ11センチ、最大直径は2・7センチ。前方後円墳の築造後に加えられた円墳(直径14メートル)の周辺部から出土した。

やりの底の部分に飾りとして付けたり、祭事で楽器のような役割を果たしたりしたと推測される。

957日本@名無史さん2019/06/15(土) 10:03:18.35
古墳の築造時期は、前方後円墳が大代古墳(鳴門市)と同じ4世紀後半ごろ、円墳は4世紀末とした。

県内で10基以上確認されている前方後円墳では、渋野丸山(徳島市)、愛宕山(板野町)の両古墳に次ぐ規模だった。

958日本@名無史さん2019/06/15(土) 11:08:30.32
町教委などは「石井町周辺の古墳群の多様性が見られるとともに、気延山周辺の有力者が独自性を誇示した可能性もあり、興味深い」としている。
町教委は来年度以降、円墳に竪穴式石室などの埋葬施設がないか調査する方針。

本格調査は行われておらず、町教委は保存活用のため、2014年度から古墳の一部で発掘調査を行い、これまで形象埴輪の破片や鉄鎌と鉄斧(てっぷ)が出土した。

959日本@名無史さん2019/06/15(土) 11:37:49.53
鮎喰川下流域で最古の古墳と考えられるのは, 名東町節句山 1・ 2号墳であり,

1号墳は石蓋盤棺で鉄製品 (飽 ?)のみの出土の点などからして, 弥生時代の墳墓の可能性が指摘されている。 

960日本@名無史さん2019/06/15(土) 11:53:05.02
2号墳は箱式石棺に 竪穴式石室をしつらえた埋葬施設を有し,棺及び石室内部から舶載の四獣鏡や

勾玉,鉄剣,鉄刀子, 鉄斧 ,鉄鎌などが検出されており, 3世紀末ないしは4世紀前半に位置づけられるとされている。

961日本@名無史さん2019/06/15(土) 12:06:38.03
いずれにしても,節句山 1・ 2号墳が 日本の古墳発生を考える上での重要な鍵を握っている。

962日本@名無史さん2019/06/15(土) 12:44:33.32
「阿南・加茂宮ノ前遺跡」 平成30年7月6日 徳島新聞朝刊  

「鉄器の製造拠点か」

「住居跡の半数 鍛冶炉や道具出土」

963日本@名無史さん2019/06/15(土) 13:38:24.44
阿南市加茂町の加茂宮ノ前遺跡で、弥生時代中期末〜後期初頭(約2000年前)の竪穴住居跡20軒が見つかり、このうち10軒では鉄器を製作した鍛冶炉や鉄器作りに用いた道具類などが出土した。

鉄器の製造工房としては国内最古級で、集落(ムラ)の半分が工房という特徴から、県南部に大規模な鉄器の生産拠点が形成されていたとみられる。

964日本@名無史さん2019/06/15(土) 14:02:03.34
>>963
>県南部に大規模な鉄器の生産拠点が形成されていたとみられる。

いわゆる、狗奴国(長国)である。  卑弥弓呼(狗奴国の男王)=素戔嗚。  

965日本@名無史さん2019/06/15(土) 14:41:19.78
竪穴住居跡で最も大規模なものは直径が約7mあり、その内部に鍛冶炉が19か所あった。  鍛冶炉は直径30〜40pで、鉄をやじりや小型ナイフなどの小さな鉄器に加工するためのものという。

966日本@名無史さん2019/06/15(土) 17:25:33.82
住居跡からは鉄器に加え、鉄器の形状を整える台石、製品を仕上げる砥石などが出土した。

石のやじりや糸を紡ぐ道具の紡錘車、古代の祭祀などに使われた赤色顔料・水銀朱を生産する石杵や石臼なども確認。

967日本@名無史さん2019/06/15(土) 17:36:21.84
さらにガラス玉や管玉など、稀少な装飾品も多数含まれ、出土品は計約50万点にも達する。

集落は、鉄器以外にもさまざまな物品を製作する工房として活用され、交易拠点としても繁栄していた可能性があるという。

968日本@名無史さん2019/06/15(土) 17:39:27.04
県教委は2016年度から、加茂宮ノ前遺跡の発掘調査を実施。

17年2月には出土品の分析などから、南西約5kmにある若杉山遺跡で採掘された原料を使い、水銀朱を製造した工房跡との調査結果を公表している。

969日本@名無史さん2019/06/15(土) 18:20:58.56
県埋蔵文化財センターは「鍛冶炉を備えた住居跡が、半数もあるのは全国的にも特異だ」としている。

970日本@名無史さん2019/06/15(土) 18:46:00.45
阿南市内原町 「国高山古墳」

県南部唯一の前方後円墳。

971日本@名無史さん2019/06/15(土) 19:50:39.65
墳丘には葺石と円筒埴輪が伴う。 墳丘の中央に結晶片岩による竪穴式石槨が設置されていた。 

規模は長さ8m、最大幅1.2mと長大なもので、その大きさは県内でも最大である。

972日本@名無史さん2019/06/15(土) 20:17:00.08
石槨内から銅鏡・石製刀子・土製勾玉・鉄槍・手斧・鉄鏃・大刀・短甲片などが出土している。

遺物などから、4世紀後半に築造されたと考えられる。

973日本@名無史さん2019/06/15(土) 20:32:38.21
それまで古墳の作られていなかった地域に突如として現れることや、同時期に同じ規模の前方後円墳が各地に現れることなど、当時の社会状況を考える際に重要な遺跡である。

974日本@名無史さん2019/06/15(土) 20:40:47.65
「国高山古墳」の副葬品 : 内行花文鏡、 長方板皮綴短甲、 鉄鏃(鳥舌鏃)、 鉄剣、 鉄槍、 石製鞘入刀子、 滑石製勾玉、 鋤先、 鉄製釣針ほか。

975日本@名無史さん2019/06/15(土) 21:08:44.90
鳴門市大麻 「天河別神社4号墳」

976日本@名無史さん2019/06/15(土) 21:26:44.96
以前は前方後円墳といわれていたが、径20〜25mの円墳と訂正されている。

977日本@名無史さん2019/06/15(土) 21:37:30.70
埋葬部もほとんど消滅していたが、礫敷きの粘土槨に割竹形木棺があると考えられている。

978日本@名無史さん2019/06/15(土) 21:41:35.27
副葬品 : 舶載斜縁二神二獣鏡片 ・ 鉄剣 ・ 鉄槍 ・ 鉄鏃 ・ 2号墓および4号墓には中国貴州省産の水銀朱が使用されていた。

979日本@名無史さん2019/06/15(土) 22:37:55.69
「天河別神社古墳群」

「広報なると2005」より引用。

天河別神社古墳群1号墳  県内最古の古墳を確認

980日本@名無史さん2019/06/15(土) 22:45:28.61
市教育委員会では県指定史跡である天河別神社古墳群1号墳の二次発掘調査を今年7月から行った結果、墳丘墓の特徴を残す県内最古の古墳であることがわかりました。

981日本@名無史さん2019/06/15(土) 22:55:16.45
尾根上に青石を多用し石室を築造

鳴門市大津町から板野郡板野町にかけての阿讃山脈からのびる尾根には、弥生時代末期から古墳時代前期の墳丘墓や古墳が数多くみられます。

天河別神社古墳群は、この地域の中央部にあたる大麻町池谷の低い尾根上に築造されています。

982日本@名無史さん2019/06/16(日) 06:59:03.34
天河別神社古墳群1号墳は、以前の調査で存在が確認された11基の古墳のうちのひとつで、

天河別神社本殿の背後にある直径約25m、高さ3.5m、幅4mの周壕(堀)をもつ円墳です。

983日本@名無史さん2019/06/16(日) 07:09:48.52
昨年の調査の結果、石室には吉野川南岸で採取される結晶片岩(青石)が使われていることがわかりました。

当時、天河別神社古墳群周辺には入り江が入り込み、この石材は吉野川南岸の地域から船で運ばれてきたと考えられます。

984日本@名無史さん2019/06/16(日) 07:19:58.60
「側壁が二重の竪穴式石室」

985日本@名無史さん2019/06/16(日) 07:22:37.06
石室は古墳の中心部に良好な状態で残っており、内側の大きさは、南北に約4.9m、東西に約1.1mで高さは約1.2m。

被葬者は、頭を北側に向けて埋葬されていたと考えられます。

986日本@名無史さん2019/06/16(日) 07:35:48.00
古墳の構造は、墳丘の上半分が頂部を平坦に削りだした後、墓壙(墓穴)を堀り、

平坦面から上部は盛り土を施した後に内部を被覆土で充てんしています。 

987日本@名無史さん2019/06/16(日) 07:44:37.86
墓壙の平坦面の上には石室が築かれています。

石室の底(床面)の下部構造は一番下に、断面が台形状の土の「基台」があり、それを覆い隠すように粘土に小ぶりの川原石を混ぜた礫混粘土をはり付けて、「礫床」をつくっていました。

988日本@名無史さん2019/06/16(日) 08:08:38.25
その上の棺を置くため粘土棺床は約40cmと厚く、2回に分けられて、はられていました。

その上には、やや大きめの河原石を使った礫混粘土が積み上げられ「礫混粘土帯」ができていました。

989日本@名無史さん2019/06/16(日) 08:14:36.13
上部構造としては、礫混粘土帯の上に結晶片岩(青石)の「板石積み」の側壁があり、側壁はやや内側に傾斜を持たせながら積み上げられ、持ち送り状に積まれていました。また、

側壁の外には結晶片岩と砂岩でできた石囲いが石室を囲んでおり、二重構造になっています。

990日本@名無史さん2019/06/16(日) 08:24:43.46
石囲いに接する西側には「板石敷き遺構」が見つかりました。

天井は石室上面の配石状況の高さから木のふたによって閉じられていたことが想定されます。

木棺や遺骨などはすでに腐食してしまい見つかりませんでしたが、石室内からは鉄剣と古墳時代最初期に作られたとみられる土器の破片が見つかっています。

991日本@名無史さん2019/06/16(日) 10:20:39.27
「近畿地方の竪穴式石室の起源とする説も」

992日本@名無史さん2019/06/16(日) 10:51:28.15
これまでは平成12年に発掘調査された大麻町大谷の西山谷2号墳が県内最古の古墳であり、国内最古級であるとされてきました。

しかし天河別神社1号墳は(1)西山谷2号墳では一部しか見られなかった石室側壁の二重構造が石室を全周していること

(2)副葬品が少ないことなどから、さらに数十年古い3世紀後半に築かれたものであると推定されています。

993日本@名無史さん2019/06/16(日) 11:03:54.22
また、この2例の築造年代は土器の破片などから近畿地方で見られる同様の竪穴式石室よりも古い時代であることがわかってきました。

これは近畿地方の竪穴式石室の起源が現在の徳島県と香川県にあたる阿讃地域にあるとする仮説を裏付ける発見であると考えられています。

994日本@名無史さん2019/06/16(日) 12:12:28.14
「矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落」

弥生時代になると、大陸から鉄器が持ち込まれ、弥生時代の中ごろには、日本でも作られるようになりました。

この鉄鏃は弥生時代の終わりごろのものです。大きいもので長さが約10cm、幅が約3cmあります。  おそらく戦いの武器として使われたのでしょう。

http://inoues.net/club5/4kokureikai_yanoiseki.html

995日本@名無史さん2019/06/16(日) 17:10:42.67
「樋口遺跡発掘調査概要」

樋口遺跡は弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡であり、眉山南側の数少ない集落遺跡として注目される遺跡である。

今回の調査で出土した遺物としては、土師器(広口壺・二重口縁壺・小型丸底壺・小型丸底鉢・高杯)・須恵器・瓦器・青磁・管状上錘・鉄鏃

・鉄刀等の鉄製品とともに石棒・磨製石斧等の石製品などがあげられる。

996日本@名無史さん2019/06/16(日) 18:00:04.92
倭国(阿波)では、古墳からだけではなく、集落遺跡からも鉄鏃が出土する。    鉄器王国  倭国(阿波)

矢野遺跡(弥生時代) 徳島県最大級の弥生時代の集落

樋口遺跡 弥生時代後期〜近世にかけての複合遺跡

997日本@名無史さん2019/06/16(日) 18:37:36.12
「倭国(阿波)は鉄器王国」

倭国(阿波)では遺跡発掘が少ないにも関わらず、阿波一国だけで現在、阿波各地7か所の弥生時代鉄鍛冶炉遺構がある。 

「拝原東遺跡」・「光勝院寺内遺跡」・「矢野遺跡」・「名東遺跡」・「庄・蔵元遺跡」・「加茂宮ノ前遺跡」・「芝遺跡」

998日本@名無史さん2019/06/16(日) 19:25:35.80
北部九州の鍛冶炉の定着と時期を置かず、徳島市矢野遺跡では規模・構造ともに北部九州に劣ることのないT類鍛冶炉による鉄器製作が確認される。

類似施設は徳島市名東遺跡・鳴門市光勝院寺内遺跡・拝原東遺跡・芝遺跡にも認められる。

先進技術のいち早い導入は吉野川下流域の特徴である。

999日本@名無史さん2019/06/16(日) 20:48:11.31
畿内第V様式土器はあくまで、厚型重量弥生式土器。

弥生第X様式と同期の「東阿波型土器(軽量小型丸底土器)」は、企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴がある。

庄内式も企画性が強く、器壁内面にヘラケズリと指頭圧痕を残す製作技法に特徴。

「東阿波型土器(軽量薄型小型丸底土器)」製法の拡散は、推して知るべし。 

1000日本@名無史さん2019/06/16(日) 20:59:21.88
1000なら阿波説泡のように弾ける

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