穢多・非人について語りましょう [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2016/10/29(土) 01:36:37.29
穢多・非人(えた・ひにん)とは江戸時代の身分制度で士・農・工・商の下に置かれた身分の人たちです。
江戸幕府は農民や町人に「自分たちよりも、もっとみじめな人間がいる」と思わせて、武士に対する不満を和らげました。
彼らは町外れや荒れ地に住まわされ、人の嫌がる仕事をさせられ、人間外の人間のような扱いを受けて差別されました。
「穢多は人にして人に非ず」という言葉もあります。

2日本@名無史さん2016/10/29(土) 02:36:47.85
差別スレ通報

3日本@名無史さん2016/10/29(土) 03:42:41.63
このスレは差別スレではありません。
彼らの人権や存在を日本史の上で真剣に考察するスレです。

4日本@名無史さん2016/10/29(土) 04:14:00.16
>穢多は人にして人に非ず

非人ではなく何故穢多?

5日本@名無史さん2016/10/29(土) 06:06:17.36
宗門人別改帳から外れた無宿非人はスレチかな?
侠客や願人といった浮浪者系の人も含めると非人は穢多と比べて一般的だった感じがする

6日本@名無史さん2016/10/29(土) 08:49:30.45
>>4
非人が人に非ずなのは言わなくてもわかるからだろ

7日本@名無史さん2016/10/29(土) 14:38:28.52
>>3
同感

8日本@名無史さん2016/10/29(土) 15:25:50.72
>>6
>>1が素で間違えてるだけだろ

9日本@名無史さん2016/10/29(土) 17:41:50.23
特権階級スレです。

10日本@名無史さん2016/10/30(日) 01:28:40.35
穢多と非人って何が違うのですか?

11日本@名無史さん2016/10/30(日) 02:09:03.32
最低限のことすら調べられない馬鹿は歴史板に来るな。

12日本@名無史さん2016/10/30(日) 19:30:53.92
利権化した皮革産業を世襲したのが穢多
住所不定無職を役所の管理下に置いたのが非人

13日本@名無史さん2016/10/30(日) 20:47:59.79
現在の芸能界は穢多・非人の文化の延長線上にある

14日本@名無史さん2016/10/30(日) 21:18:38.16
穢多は芸能プロダクション社長(ジャニーさんとか吉本の社長とか)
非人は芸能プロダクション所属の芸能人

15日本@名無史さん2016/10/30(日) 21:41:46.04
弾左衛門(ジャニーさん)
市川團十郎(SMAP)

離脱巡ってゴタゴタ

16日本@名無史さん2016/10/30(日) 22:54:14.09
明治維新の時なんで皆殺しにしておかなかったんだ

17日本@名無史さん2016/10/30(日) 23:12:00.36
維新団や甲陽鎮撫隊の存在も知らん馬鹿がいるとは

18日本@名無史さん2016/10/30(日) 23:13:53.91
奴らに存在価値などないわ

殺しておくのが一番

19日本@名無史さん2016/10/30(日) 23:22:02.58
ここは歴史版だ。
無関係なヘイトスピーチは該当板でやれ。

20日本@名無史さん2016/10/31(月) 18:00:04.10
現代では ニート 氷河期 ひきこもり アラサー 非正規などが
この階層ですなあ

21日本@名無史さん2016/11/01(火) 03:37:33.06
今の小学6年社会の教科書にえた・ひにんのことが書いてないのはなぜですか?

22日本@名無史さん2016/11/01(火) 10:00:04.46
まだ穢多と非人の差が理解しきれてない
東西で差があることも難しい

23日本@名無史さん2016/11/01(火) 23:09:27.01
>>21
都合が悪いから。天皇批判になりやすい。

24日本@名無史さん2016/11/02(水) 02:28:48.92
網野善彦先生が「日本の歴史を読みなおす」(ちくま)の中で、えた・ひにんの
誕生プロセスを書いておられるのが興味深い。

元々「特殊技能集団」がいて排他主義(技術漏洩を防ぐため)
 →一般の人から畏怖されてた存在
 →でも社会が定住農耕化してくと、そこに属さない集団を忌避
 →ケガれと関わりのある業種は特に賎視される

神の使いであった売春もやる白拍子が後年はやっぱり、階級落とされてるし。
教科書が言ってた「農民に優越感を持たせるために生まれたランク」ってのは
疑わしい。

25日本@名無史さん2016/11/02(水) 03:06:42.60
チンドン屋の祖先は穢多・非人である

26日本@名無史さん2016/11/03(木) 23:31:58.50
小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号

畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。
このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)

(追加)形質人類学的にみた未解放部落
われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。
(中略)
身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。
畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。
大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授)

27日本@名無史さん2016/11/07(月) 11:58:53.17
現在の芸能界は穢多・非人の文化が発展したものである

28日本@名無史さん2016/11/07(月) 12:40:55.51
ネトウヨ戦死によると、現在の芸能界は在日が支配しているらしいけど

29日本@名無史さん2016/11/08(火) 06:06:12.87
特権階級や

30日本@名無史さん2016/11/08(火) 13:04:25.96
現在の芸能界も昔と変わらず在日も多いけどやはり部落出身者のほうが多いよ

31日本@名無史さん2016/11/08(火) 18:16:25.53
今は伝統芸能以外は一般人が多いでしょ
出自不詳の自称部落民なら多いかも知れないけど

32日本@名無史さん2016/11/09(水) 13:35:07.02
いや今でも一般人は少ないよ。
部落出身っていうだけでコネで優先される。
特に今どき演歌歌手なんかやってる若手はほぼ部落出身と見て間違いない。

33日本@名無史さん2016/11/09(水) 18:29:42.12
芸能関係っても旅芸人とか猿回しとかの伝統的なものってのは
被差別部落出身ってのが多いかもしれんが
近代以降の芸能界ってのは資産家が作った面も大きいからね
大昔はヤクザの親分も顔役的存在だったしね、政治や社会に密接した

34日本@名無史さん2016/11/09(水) 19:08:15.00
どこの国でも、芸能関係は被差別民族・階級のものだっただろう?

35日本@名無史さん2016/11/09(水) 19:56:45.20
>>32
部落出身と言っても先祖を江戸時代まで辿れる人ら何人いるのよ?
今は部落も混住してるし自分の先祖が被差別民だと確証を持って言える人なんて少ないんじゃないの?
運動団体の活動家にも部落に出自を持たない人が多いでしょ。

36日本@名無史さん2016/11/10(木) 10:22:31.51
あの憧れのアイドルが実は部落出身なんてバレたらファンが泣くからそれはタブー

37日本@名無史さん2016/11/11(金) 09:46:35.99
今の小学6年社会の教科書にえた・ひにんのことは書かれていない。
子どもにえた・ひにんの存在すら知らせないという今の教育方針は間違っている。
子どもに今でも部落問題が存在するということを知ってもらって部落問題について考えさせるのが本当の教育である。

38日本@名無史さん2016/11/11(金) 14:12:59.01
穢多・非人をひらがなで書くのを止めるところからだ
穢多は穢れが多い
非人は人に非ず
ひらがなだと本来の意味がわからなくなる

39日本@名無史さん2016/11/11(金) 19:47:41.17
剣豪の故郷として歴史上で先行するのが東国の地である。
関八州は古来尚武の地であった。
平氏政権を倒して武家政治を作り上げるのに大きな役割を果たしたのが東国武士団である。
東国はその後の日本の武家社会を支えるエネルギーの培養源であったといってよい。
武技の伝統は鎌倉、室町時代を通じて、この地に脈々と生き続けた。
その脈絡の一つの中心となるのが、古来から軍神ととして崇敬された鹿島、香取の両神宮の鎮座する常総の地であった。
(原田伴彦・大阪市立大学名誉教授)

▼被差別部落の人口
(原田伴彦『被差別部落の歴史』より)
近畿50%
九州12%、中国12%、四国12%
関東05%、中部05%
其他04%

40日本@名無史さん2016/11/11(金) 20:15:57.63
>>23
貴あれば賤あり、と松本治一郎が言ってるな。

ただ貴あるのみ、ってのが民主主義だよな。
そこから、天皇制擁護はできないもんか、と思う。共和制になれば部落差別は消えるのか?
違うだろ。

41日本@名無史さん2016/11/11(金) 20:18:24.38
トランプは熱烈な差別主義者にして共和主義者。

42日本@名無史さん2016/11/14(月) 05:51:49.24
>>38
元々はエッタと呼ばれていて、穢多という漢字はただの当て字だから。

43日本@名無史さん2016/11/14(月) 08:12:11.40
エタは餌取なんじゃなかった?

44日本@名無史さん2016/11/14(月) 08:25:24.81
えたでもえったでもなく、ゑた

45日本@名無史さん2016/11/14(月) 09:21:23.23
>>43
意味考えれば違うことわかるやん

>>39
文化的に栄える都市に被差別部落はできるからな

46日本@名無史さん2016/11/14(月) 12:35:28.17
>>45
意味とは?

穢多は後で当てただけの字だとのことだし、餌はゑだが

47日本@名無史さん2016/11/14(月) 17:06:39.45
部落問題が学校で何も教育されなかったからみんな何もわかっていない

48日本@名無史さん2016/11/14(月) 17:56:51.67
<古代>
@ 713〜715年(和銅6年〜霊亀元年) 『播磨国風土記』:村上足島等が上祖「恵多」の記載
A 935年(承平5年) 『和名類聚抄』:「屠児」の訓を「恵止利(えとり)」とし、「牛馬を屠り肉を取り鷹雞の餌とするの義なり」と解説

<中世>
B 1275年(建治元年) 『名語記』:「河原の辺に住して牛馬を食する人をゑたとなつく、如何」「ゑたは餌取也。ゑとりをゑたといへる也」
C 1264〜1288年頃(文永・弘安) 『塵袋』:「きよめをえたと云うは何なる詞ばぞ」に対し
「根本は餌取と云ふへき歟。餌と云ふは、ししむら(肉叢)鷹の餌を云ふなるへし」
D 1296年(永仁4年) 『天狗草紙』:「穢多童」(穢多の初出)

<近世>
E 1644年(正保元年) 江戸幕府の公文書:「穢多」

49日本@名無史さん2016/11/14(月) 23:22:47.65
>>47
差別はダメだっていうだけだしね
しかも 近世政治起源説が大手を振ってたから

50日本@名無史さん2016/11/15(火) 00:05:02.66
>>40
韓国は共和制になって両班も奴婢も白丁も特定できなくなった。

51日本@名無史さん2016/11/15(火) 02:07:19.04
お前らは知らなくていいんだ!

52日本@名無史さん2016/11/15(火) 08:16:22.53
>>48 古代の賤民である 官戸 稜戸 家人 公奴婢 私奴婢 との対照は?

53日本@名無史さん2016/11/15(火) 12:58:24.41
【古代】
 「エミシ」という言葉が、はっきりと「エミシ」と訓むべき言葉として出るのは、
『日本書紀』神武天皇即位前紀戊午年十月の条に載る久米歌の中においてである。

  愛瀰詩(えみし)烏(を) 毘ダ利(ひだり) 毛々那比苔(ももなひと) 
比苔破易陪廼毛(ひとはいへども) 多牟伽毘毛勢儒(たむかひもせず)

 歌の大意は、「えみしを人は一人で百人にも相当する強者(つわもの)だと言っているが、
俺たち皇軍には抵抗もせずにやられてしまった」というほどのことである。これは道臣命
(みちのおみのみこと)が大久米部(おおくめべ)をひきいる神武の軍が、ヤマトに入る前に、
忍坂(おしさか)(=現桜井市忍阪。奈良盆地の南東隅)で敵を宴会に招き、敵が酔いつぶれた
ところで一気に剣を抜いて殺してしまった後、戦勝を悦んで久米の子ら(=久米部の祖ら)が
歌った歌である。思いもかけぬ強敵を倒せたことの悦楽が歌われている、と言えるであろう。
「皇軍(みいくさ)大きに悦びて、天を仰ぎて咲(わら)ふ」と言われているのである。
http://www2.biglobe.ne.jp/~naxos/tohoku/emisi.htm

【平安時代】
空海は、蝦夷を「羅刹の流(たぐ)いにして非人の儔(ともがら)なり」(人を食う
鬼の類であって、非人=悪鬼の仲間である。)とか「人面獣心」と罵っているので
ある。
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-10.html

学問の神様菅原道真も、蝦夷の性は「狼子」であり、「野心」をもっているとのべ
ているのである(『菅家後集』)。さらに、帰服した蝦夷である俘囚でさえも、
律令国家の渡来系の支配層や平民とは民族的に違うことから、『類聚国史』には
「夷俘の性、平民に異なり」とかかれているし、『日本三代実録』にも、「夷俘の
性、本より平民に異なる」などと記されているのである。

【室町時代】蝦夷がエタに
室町時代には、「卑しい者とは結婚しない。血は一度汚れるときれいにはならない。
穢多の子はいつまでも穢多である」という差別意識まで記した史料が明確に現れ
http://www.kyoken.jp/36/houkoku36/1houkoku36.htm

54日本@名無史さん2016/11/15(火) 16:50:21.23
>>52
稜戸以外は農地を与えられた農業従事者では?
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E5%88%86%E7%94%B0

・第27条 政府所有の奴隷(官戸奴婢)の口分田は一般人(良人)に同じとする。
私有奴隷(家人奴婢)の口分田は、地域の寛狭に応じ、並びに一般人の3分の1を支給する。

55日本@名無史さん2016/11/15(火) 16:57:52.25
そういえば宗教の門徒も非人に分類された、という話を聞いたんだけどその辺はどうなんだろ?

何の本だったか忘れたけど、「京都八坂神社の犬神人は浄土真宗門主の棺を担ぐ役目を負ってい
る。そして犬神人は江戸時代には非人に分類されている。八坂神社だけでなく叡山や、大和の神人
といった人は非人に分類されている。だから有力寺社の少ない関東近辺では穢多が多く、関西は
非人が多い」って書いてあった記憶がある。

という事は、大和筒井氏とかも時代が時代なら非人なんだろうか?と思ったんだが。

56日本@名無史さん2016/11/15(火) 17:10:03.68
>>55
犬神人は早くから脱賤化してて江戸時代は町人の扱い。

> 清水坂の非人宿(そこの住人は犬神人とも称されていた)は、江戸時代には坂弓矢町となり、住人たちは賤民の境遇を脱したという。

57日本@名無史さん2016/11/15(火) 19:16:53.98
『被差別部落一千年史』(岩波文庫/高橋貞樹著/大分県出身)
P39
特殊部落の起源については、人種起源説と職業起源説の二種があるが、おそらくは古代の
被征服民族にして賤業を課せられた奴隷が、時代の経過とともに一定特殊の社会群に変じ、
さらに賤業を営むものが穢多族であるという観念に変わったものであろうと思惟する。
この推定には、最も多くの真理を包摂する。部落の遠き祖先は、原始の時代に遡る。特殊
部落の起源を考えるには、上代日本の被征服種族たる奴隷、不自由民、従って賎民について
見なければならぬ。しかしながら、当時における被征服種族が、穢多なる名をもって呼ばれ
ていたのではない。当時の奴隷群、賎民のすべてが、後代の穢多となったのでもない。ただ
特殊部落民大多数の起源は、遠く古代日本の奴隷群にまで遡り得るのであって、穢多族とい
う明白なる階級的存在を有するに至ったのは、遥かに下がって後代のことである。

58日本@名無史さん2016/11/15(火) 19:17:49.99
明確に述べてはいないものの,このとき坪井が被差別部落民にむけた〈眼差し〉には,
日本先住民であるコロボックルの末裔の姿が投影されていたと見ることも強ち無理で
はないように思われる。鳥居らに「むろや」調査を命じたのも,自身の先行調査をさらに
掘 り下げ,その学説を補強する材料を探す目的があったと考えられないだろうか。いず
れに せよ,鳥居らによる調査そのものが,当時の人類学界の論争との関連で実施された
こと, そこから被差別部落民のルーツが北方民族に求められたことは間違いなさそう
である。
そして同調査において示された見解は,後に坪井や鳥居とも学問的親交のあった
民間史家・菊池山哉へと引き継がれることとなる。菊池は 1923 年の『穢多族に関
する研究』で先住民族起源説を説き,発禁処分を受けたことで知られる[前田 2004][礫川 2006]。
同書において菊池は被差別部落民を北方のウィルタ族と同系統の人種とし,彼らこそ先
住民論争におけるコロボックルの末裔であると唱えている。その際,菊池が根拠の一つ
と してあげたのも,各地の被差別部落のフィールドワークで見聞した「室」である。
菊池は これを先住民族であるウィルタ族の竪穴式住居と同様の習俗とみなし,同族が北
方に追 われた後も内地にとどまった被差別部落民が今日に受け継いだものとしたので
ある。菊池はかつて坪井や鳥居,大野らが唱えた説をさらに発展させることにより,「異
端の学説」 を打ち立てたのだといえよう。

59日本@名無史さん2016/11/15(火) 19:18:15.17
形質人類学のデータ
http://ryuchan56.269g.net/article/17864123.html

第1章で説明したように、エミシは和人とアイヌの中間の形質をもち、頭型などの点で、
東北・裏日本型に属するとみられるが、近畿・山陽・山陰・九州に散在する四七部落を含む、
全国的な日本人の形質調査の資料を整理した形質人類学者小浜基次(「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)は、

部落民の形質は異質的なものではなく、現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致している。

とし、

頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。
したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまった部落は、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。
しかし、山陰・北九州・四国東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。

と書き、さらに、

大陸朝鮮型形質のもっとも濃厚な畿内地区に、もっとも非朝鮮的な形質をもつ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値(あたい)する。
おそらくは、婚姻と住居の制限によって内婚率が高く、特異の形質がよく保たれているものと思われる。

と述べている(図2参照)。

http://ryuchan56.up.269g.net/image/ryuchan56-2013-07-12T11:25:23-1.jpg

重要なことは、小浜基次が「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰の例をみても、部落民が頭型は、
中頭を示す一般の住民の頭型よりも、さらに中頭の度が高く、エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致することである。

つまり、形質人類学のデータは、エミシが部落民の先祖であることを明確に裏づけているのである。

60日本@名無史さん2016/11/16(水) 05:20:21.15
知らないでください

61日本@名無史さん2016/11/16(水) 09:10:15.53
一部の部落の話を
恰も全ての部落の話のように
捏造する話は嫌い

62日本@名無史さん2016/11/16(水) 10:07:59.45
一部の部落の話をしてるのに
恰も全ての部落の話のように
勘違いして解釈する奴は嫌い

63日本@名無史さん2016/11/16(水) 10:19:20.74
既にないリンクを貼ってる時点でお察しください

64日本@名無史さん2016/11/16(水) 15:12:28.65
>>55
中世非人と近世非人は別物
中世非人宿は近世では夙村になった
制度上は平民

65日本@名無史さん2016/11/16(水) 16:20:32.06
小浜基次「形質人類学から見た日本の東と西」
『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号

畿内型は西日本の畿内を中心として、瀬戸内海沿岸を経て、朝鮮につらなり、
東北・裏日本型は東日本より裏日本に広がり、西日本では、畿内型の周辺を
とりかこんでいる。西日本の離島には代表的な東日本型形質が残されている。
このような両型の地理的分布によつて、集団の移動を推定すると、はじめに、
東北・裏日本型集団が広く日本全土に先住し、のちに、畿内型集団が朝鮮半
島より渡来し、瀬戸内海沿岸を通つて、畿内に集中し、その一部はさらに、
東進したものであろう。古代の高い文化が、畿内を中心として栄えた史実に
一致することは興味深い(以上、75頁)

(追加)形質人類学的にみた未解放部落
われわれの全国的な日本人調査のうちには、未開放部落もふくまれ、その調
査地区は近畿、山陽、九州、四国に散在する四七部落にわたつている。
(中略)
身長は一般に低身であるが、部落の生活環境によつては、長身の集団もある。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅
は小さい。したがつて、畿内のような高度の短頭地区内にはさまつた部落は、
一般集団との間に明らかな差異が認められる。しかし、山陰、北九州、四国
東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。
畿内地区における両集団の差異は畿内人と山陰人とのちがいにすぎないので
ある。そのほかの形質、たとえば、頭頂高指数や頭部の測度、指数などにつ
いても、部落はまつたく東北・裏日本型に類似している。
大陸朝鮮型形質のもつとも濃厚な畿内地区に、もつとも非朝鮮的な形質を持
つ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値する。おそ
らくは、婚姻と住居の制限によつて内婚率が高く、特異の形質がよく保たれ
ているものと思われる。このような部落の成因については、文化史その他の
分野より検討せらるべき課題であろう。(成績はいずれも男子資料による)
(大阪大学医学部教授)

66日本@名無史さん2016/11/16(水) 20:35:55.94
>>50
族譜を調べれば簡単に分かってしまうのでは?

67日本@名無史さん2016/11/16(水) 23:42:09.34
>>55 と言うか、楠木正成が賤民臭いんだが明治に子孫が出てきたらどうだつたであろうか?

68日本@名無史さん2016/11/16(水) 23:59:59.58
ヒ・デ・ヨ・シ

69日本@名無史さん2016/11/17(木) 00:12:24.73
松平親氏

70日本@名無史さん2016/11/17(木) 00:37:57.12
『河原ノ者・非人・秀吉』服部英雄 (著)

という本を読んでみてください

71日本@名無史さん2016/11/17(木) 04:14:12.72
>>69 信長だけ良民か?

72日本@名無史さん2016/11/18(金) 00:44:39.46
部落の人は優しい。
関東大震災の時、朝鮮人が部落に逃げてきたのをかくまってあげたという温かいエピソードがある。

73日本@名無史さん2016/11/18(金) 07:00:10.79
糾弾闘争のときは、殴る蹴るの凄惨なリンチをやってそうだが。

74日本@名無史さん2016/11/18(金) 12:53:51.16
部落民の暴力団員は驚く程に多い

75日本@名無史さん2016/11/18(金) 13:27:41.42
>>74 893の脳にGPSを埋め込め。

76日本@名無史さん2016/11/18(金) 15:27:02.16
>>56
そうでしたか。大変参考になりました。ありがとうございます。

>>64
もありがとうございました。同じく参考になりましたが、これは資料をあげている>>57にも共通
する事ですが、大切なのは関西では有力寺社の周辺に非人村が集まっている事例が非常に多いという
部分をもう少し重視した方が良いのではないか? と思っております。

民族性や制度史の観点で見る事も大切では有りますが、何故宗教と密接になったのか? 宗教の
門徒といった人達が何故この身分に甘んじたのか? が非常に興味深いところであります。

例えば少し話は違いますが、辻占い・民間陰陽師も非人の部類に入りますよね?明治維新で朝廷や
志士側が攘夷を主張した主な原因の一つである公卿利権、その中の一つに辻占いや民間陰陽師が
土御門家の教えを受け認可を得る必要があるという利権ですが、これはもう門徒と同義語だと思います。

この様に、穢多が皮革産業という立場から軍事に密接なのに対して、宗教に密接という点が興味
深いと思っております。

>>67
私は逆に楠木正成はヤンゴトなきお方だと思っております。ですから同時に夫人の一人であり、
正行兄弟の母であるとの説もある滋子についても信憑性が高いと思っております。

例えば重要な盟友である平野将監入道が、実は『宝珠院文書』によると持明院統有力公卿
西園寺家の家人であるとの記述があり、さらに正成とは以前から赤松円心と共に繋がりがある
とも書かれております。

もちろんヤンゴトなきと言っても色々ですが、例えば時代は違いますが江戸時代の寛文九年
に「長谷三位殿嫡子」が「なはや十右衛門」の家へ強盗に入ったという事件があります。

もちろんこの一事件をもってどうこうは言えませんが、禁裏の方というのも決して「おほほ」
と上品ぶっているわけでなく、凶悪なやり手の方も存在していても不思議ではありません。
そして先述の繋がりと関連すると、むしろ禁裏関係の方では無いか? と思っております。

77日本@名無史さん2016/11/20(日) 21:19:41.96
京都の古地図を見ていると、
エタ村というのがよく出てくる。

78日本@名無史さん2016/11/21(月) 07:13:55.89
>>77
在ります。
今も語り継がれています。洛外に多いです。
松尾の江田溜、山崎の毛雁など在ります。

79日本@名無史さん2016/11/21(月) 13:05:44.96
『被差別部落一千年史』(岩波文庫/高橋貞樹著/大分県出身)
P39
特殊部落の起源については、人種起源説と職業起源説の二種があるが、おそらくは古代の
被征服民族にして賤業を課せられた奴隷が、時代の経過とともに一定特殊の社会群に変じ、
さらに賤業を営むものが穢多族であるという観念に変わったものであろうと思惟する。
この推定には、最も多くの真理を包摂する。部落の遠き祖先は、原始の時代に遡る。特殊
部落の起源を考えるには、上代日本の被征服種族たる奴隷、不自由民、従って賎民について
見なければならぬ。しかしながら、当時における被征服種族が、穢多なる名をもって呼ばれ
ていたのではない。当時の奴隷群、賎民のすべてが、後代の穢多となったのでもない。ただ
特殊部落民大多数の起源は、遠く古代日本の奴隷群にまで遡り得るのであって、穢多族とい
う明白なる階級的存在を有するに至ったのは、遥かに下がって後代のことである。

80日本@名無史さん2016/11/21(月) 18:59:52.89
>>51
逆です。
知っておくべきです。

81日本@名無史さん2016/11/21(月) 21:23:33.54
知る必要のないこと。

82日本@名無史さん2016/11/22(火) 22:31:36.94
隠しておいた方が都合が良い勢力がいます

83日本@名無史さん2016/11/22(火) 22:43:06.11
天皇家とか宮内庁とかな

84日本@名無史さん2016/11/22(火) 22:43:44.93
こどもは知らなくていい

85日本@名無史さん2016/11/23(水) 05:00:56.19
形質人類学のデータ
http://ryuchan56.269g.net/article/17864123.html

第1章で説明したように、エミシは和人とアイヌの中間の形質をもち、頭型などの点で、
東北・裏日本型に属するとみられるが、近畿・山陽・山陰・九州に散在する四七部落を含む、
全国的な日本人の形質調査の資料を整理した形質人類学者小浜基次(「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)は、

部落民の形質は異質的なものではなく、現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致している。

とし、

頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。
したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまった部落は、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。
しかし、山陰・北九州・四国東北部などの中頭地区内にある部落は、一般集団と近似し、差異は少ない。

と書き、さらに、

大陸朝鮮型形質のもっとも濃厚な畿内地区に、もっとも非朝鮮的な形質をもつ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値(あたい)する。
おそらくは、婚姻と住居の制限によって内婚率が高く、特異の形質がよく保たれているものと思われる。

と述べている(図2参照)。

http://ryuchan56.up.269g.net/image/ryuchan56-2013-07-12T11:25:23-1.jpg

重要なことは、小浜基次が「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰の例をみても、部落民が頭型は、
中頭を示す一般の住民の頭型よりも、さらに中頭の度が高く、エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致することである。

つまり、形質人類学のデータは、エミシが部落民の先祖であることを明確に裏づけているのである。

86日本@名無史さん2016/11/24(木) 02:14:07.14
部落問題はオナニーと同じで子供は知らないほうがいいと思う

87日本@名無史さん2016/11/24(木) 11:36:31.83
高校くらいで学べば十分だね
小中だといじめに繋がる可能性が高いしね

88日本@名無史さん2016/11/25(金) 02:45:16.43
高校でもまだ早い。
俺は高校の修学旅行で広島の原爆資料館行ったけど全く意味わからなかった。
写真がグロかったことしか記憶にない。

89日本@名無史さん2016/11/25(金) 21:53:09.57
穢多はずっと穢多のままだが
非人は善行があれば平民になれる、と聞いたことがある
穢多・非人の双方を分断していたらしい

90日本@名無史さん2016/11/25(金) 22:31:54.41
非人にも非人頭、非人小屋頭、非人手下と序列がある
罪人である非人手下を管理する非人頭と非人小屋頭は基本的に世襲制
身分を管理する者がいなければ非人という身分自体が成り立たなくなる

91日本@名無史さん2016/11/26(土) 02:05:49.21
非人の足洗いについて弾左衛門が
出した上申書によると

非人素性(非人として生まれた者)の
平人身分への復帰は不可で、
非人手下は非人に落とされてから
原則として10年以内に、縁者から願い上げが
あった場合に、復帰が認められることが
あったらしい

エタの足抜けは不可
有名な例では、腕がいいと評判の
エタ医者がいて、近隣の村から調法してるので
平人に引き上げてやってくれと嘆願が
出たが、幕府が認めなかったてのがある

逆に、エタと密通してた娘が咎められ
家族含めてエタ身分に落とされた例も
あるし、藩によっては罪人が身分を
落とされる先が、非人ではなくエタと
いうところもあった

92日本@名無史さん2016/11/26(土) 06:57:48.94
近世賤民制解体過程の研究−畿内・近国を中心に−
http://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-22520671/22520671seika.pdf

無宿の増加と身分−近代の見通し−

城付かわた村では、19世紀半ば頃人口は約700軒・3000人という大規模な都市的密集性をともなった集住形態となった。
嘉永5年(1852)の洪水や、慶応4年(1868)の諸物価高騰という自然災害、社会変動、経済変動によって、
同村の労働販売層や、経済基盤の弱い小商品生産者は大きな打撃を受けた。
19世紀には生計困難、経営困難にあった人達が無宿として析出され、
また例えば幼少期両親病死等の理由で家出−非人化−人別除帳−無宿というようなサイクルが進行した。
19世紀には把握された人口の拡大も多かったが、人別改めから脱落する傾向も顕著となった。
例えば嘉永7年(1854)「岡嶋皮田瀬蔵倅追放立帰無宿捨松」と「同村追放無宿善之助」は
「悪事之品」嫌疑で大坂京町堀五丁目の借家へ出入りしたところを召し捕られた。
両者はともに岡嶋村出身で(追放の上)無宿であった。
善之助は紀州安藤家家来岩瀬善十郎の娘で、嘉永5年に善之助と夫婦となっている。
追放された後は無宿となる以外なかったが、領外で身分違いの結婚を実現している。
要するに無宿化=身分社会から脱落を通じて従来の身分社会からの解放を実現している。

なお、無宿の増大化は、例えば文政11年(1828)〜同14年の入牢者の4割は無宿(かわた村出身の無宿を含む)であり、
天保飢饉時を挟む天保3年(1832)〜同9年の溜収容者の約半分は無宿・無宿非人であった(内4分の1はかわた村出身)。
このように無宿化は城下町・領内、百姓・町人身分の区別なく進展していた。
新たなる貧困層=無宿において身分区別は意味を持たない。かかる状況が大きく進展しつつあった。

93日本@名無史さん2016/11/26(土) 11:15:43.20
>>86
>>87
今でも、うかつに関われば命が危ない世界だからな。
現実に東のほうの人が、興味本位で関わって
やけどする事例が多いから。
網野義彦の本を読んでも、それとなく慎重な物の言い方をしているし

94日本@名無史さん2016/11/26(土) 11:34:53.79
在日韓国・朝鮮人問題は危なくないのですか?

95日本@名無史さん2016/11/26(土) 12:23:57.65
元特捜検事で、ヤクザの守護神になった田中森一と言う人の本では、
検察の中では、在日までは話が通じる、
○○(著書の中ではきちんと書いていた、想像に任せる)
は日本語が通じないとボロカスに書かれていた。
よくまあ、差別者認定されて糾弾されなかったものだと
感心するが、連中も田中森一には頭が上がらなかったのかねぇ

96日本@名無史さん2016/11/26(土) 14:22:15.74
>>89
穢多は血統差別、非人は罪状に由来した差別だからね。

97日本@名無史さん2016/11/26(土) 14:34:09.49
>>95 田中は許永中のことを似非同和って書いていたけど、同和利権を得るためにわざわざBを名乗るのも少なからずいると言うから誰がガチで誰が似非でを見極める必要あると思う。

98日本@名無史さん2016/11/26(土) 15:04:40.55
田中森一:同和、在日、ヤクザ……みんな出てくるわね。
大阪は、ヤクザと同和と在日をのけたら、誰もいなくなるっていうのよ(笑)。
地上げとかなんとか言ったら、みんな絡んでくるから。
よく警察が言ってたのは、1番話をしやすいのがヤクザで、次は在日だと。どうにもならんのが同和だと。
なぜかと言うと、在日までは日本語が通じるって言うわけよ。
同和の連中は日本語、つまり理屈が通じない。それぐらい言われてた。

夏原武:当時よくありましたよね、農地に同和団体のビルを建てて、役所から「だめです」って言われたら、
「差別だ」と騒いで、農地から宅地に無理矢理変えさせるというのが。

田中森一:ワシもそういう事件を大阪でやったんだよ。
市役所に「俺は同和だから、生活保護を出せ」って来るわけ。
窓口で「あなたは同和と違います」と言うと、「なんでお前がわかるんや?」と。
「ワシが同和じゃないと、どうやってわかるんや?」と。
「お前ら、何かわかる資料があるんやな」と。それが事件に発展した。

夏原武:『部落地名総監』のようなものがあるんじゃないかと言って、難くせをつける……。

99日本@名無史さん2016/11/26(土) 16:43:21.27
>>98 同和ではなく同和紛いと田中氏も言ったらよかったんじゃない。

100日本@名無史さん2016/11/26(土) 17:09:09.90
>>97
許永中も在日のはずなのに、なぜか同和団体の幹部になって
いたのだよな。

101日本@名無史さん2016/11/26(土) 22:16:13.36
日本史板なのに現代厨が沸いてくるんだよな
育ちの悪さか

102日本@名無史さん2016/11/27(日) 11:27:42.10
>>101
現代は過去とつながっているしなぁ
どうしてもこのネタはこういったヤバい話、タブー話、政治ネタに
つながってくるしな。
いくら民俗学的な話で研究している、純粋に学問として研究していると言っても、
すぐに差別だと言い出して、糾弾会に呼びつけられてしまうしな。
網野義彦の本を読んでも、その種の関係で相当気を使っているのだろうなとの
書き方をしているし。

>>98
マジでここまで書いていて、よく糾弾会に呼びつけられなかったものだと
感心しているよ。
出版社もここまで書けたものだと感心している。

103日本@名無史さん2016/11/27(日) 13:39:10.20
穢多非人は江戸幕府よりもはるかに歴史が古いはずですがね

104日本@名無史さん2016/11/27(日) 14:31:49.67
>>103
昭和の間は、徳川幕府起源説が半ば公式見解となっていたな。
それに対して、疑義を申し立てた研究をしていたら
糾弾会に呼びつけられる騒ぎになっていたな。

105日本@名無史さん2016/11/27(日) 16:29:24.08
もう糾弾会とかいいって
現代の同和問題なら人権板でやってよ

106日本@名無史さん2016/11/27(日) 17:54:22.29
戦前・戦中期の水平運動における部落民アイデンティティと融和政策の相関に関する研究
http://kaken.nii.ac.jp/ja/file/KAKENHI-PROJECT-21720247/21720247seika.pdf

1920年代をつうじて展開されたアナ・ボル論争をつうじて、水平運動内部で被差別部落民が「身分」的存在であるという理解が定着すると同時に、
その過程について以下のことが明らかにしえた。

アナ・ボル論争の性格に関しては、これまでの研究では指摘されてこなかった側面が浮かび上がってきた。
例えば、近年公開されたモスクワのコミンテルン資料の解析をつうじて、水平運動と第一次共産党の関係が判明した。
全国水平社内部のボルシェビズム派である全水青年同盟は、
当初、日本共産党内で直接行動による社会革命を目指していた佐野学らの影響を強く受けて結成された。
その後、ボル派が議会政治への進出容認へと転じると、彼らとアナキズム派との間で激しい内部抗争が開始された。
このアナ・ボル論争のなかで争点化したのが、被差別部落民の社会的定義をめぐるアイデンティティ論争であった。

被差別部落民の性格規定をめぐり、それまで被差別部落民の間では「民族」や「階級」という概念の間で揺らいでいた。
しかしこの論争をつうじて被差別民の自己理解は次第に「身分」へと収斂していった。
その背景として、1920年代半ば、福本和夫らによって本格的に日本に紹介・導入された史的唯物論の影響があった。
これ以後、全国水平社は被差別部落民が「身分」集団であるとして主張して社会と対峙し、様々な活動を展開してゆく。

この主張は融和運動の側にも積極的に受容され、これに呼応する形で融和運動からも水平運動との対話や提携が呼びかけられた。
その顕著な事例は有馬頼寧らによって起こされた同愛会および全国融和連盟の活動である。
有馬は被差別部落外の「一般国民」を、部落民に対する身分差別を行ってきた加害者であると規定し、
融和運動を加害者自身の「反省懺悔」の活動、水平運動の「姉妹運動」と位置づけた。
有馬は、それまで政府や部落外の人びとによって担われた部落改善運動が、差別の原因を被差別民に求めてきたことを強く批判した。
彼は明確に被差別民が日本人社会の構成員であり、部落差別を日本社会に残存する封建遺制の問題として位置付け、社会運動を繰り広げた。

107日本@名無史さん2016/11/27(日) 22:35:56.30
融和運動に水平運動が与えた影響と政策への反映

有馬が率いる同愛会が中心となって1925年に結成された全国融和連盟の活動は、
1920年代後半には被差別部落に対する社会政策を求める国策樹立運動を展開する。
有馬らの活動の結果、昭和恐慌を経て1930年代には、大規模な予算措置を伴う融和事業が実現されることとなる。
1935年に策定された融和事業完成十カ年計画は、戦前期の融和行政の一つの到達点ともいいうる内容であった。
この計画には、融和運動・融和行政における上述した部落問題認識が色濃く反映されている。
これに対しては全国水平社も一定の肯定的な評価を下した。
そして日中戦争下になると、水平運動と融和運動の合同が画策されるようになる。
この運動は1940年には大和報国運動として具体化され、全国水平社と中央融和事業協会の合同案として浮上する。
しかし結果的には、この計画は実現に至らず、大和報国運動は空中分解する形で収束してしまう。
従来、この経緯については全国水平社の融和運動に対する抵抗の「敗北」や、
後者による前者の「統合」として否定的に評価されてきた。
確かに、それまで反戦を唱えてきた全国水平社の活動に引きつけてみれば、
戦時下の活動には戦争協力という顕著な負の側面が存在することは否めない。
だが皮肉にも1920年代いらい部落解放運動が求めてきた問題理解や施策が
そこで一定程度実現されていたことも見逃すことが出来ない。

108日本@名無史さん2016/11/27(日) 22:46:33.41
戦後長らく部落史研究をリードしたのはマルクス主義であった。
部落解放運動史研究は1950年代に本格化したが、当時、現実の部落解放運動は、部落民の解放を社会主義的変革過程のなかに展望していた。
これと同様の観点から、部落史研究においても研究の中心は水平運動の左派(共産党)グループの活動に向けられ、
国家や政府との対決の度合いをもって運動を評価する視点が支配的であった(当該期の最大の研究成果として、
部落問題研究所『水平運動史の研究』全6巻、1971-73年をあげることができよう)。
しかし80年代に入ると、左派に偏重した感のあるそれまでの研究にたいする批判や見直しの必要が唱えられるようになる(代表的な研究としては、
藤野豊『水平運動の社会思想史的研究』1989年など)。
こうした傾向は、80年代末から90年代初頭のソ連・東欧の社会主義圏の崩壊を受け、いっそう顕著になった。
そしてこの間、水平運動史研究は左派のみならずアナキストや社会民主主義者、さらに右派グループの活動にまで光が当てられるようになってきた。
また従来、官製運動として水平運動とは対立的に捉えられてきた融和運動についても見直しが進められてきた。
その結果、水平運動と融和運動の両方にまたがって活動が展開された事例や、両者間で行われた相互協力などの事例が発掘され、
単純に対抗関係だけで説明することには無理があると言われるようになり、従来とは異なる史観が求められてきた。

109日本@名無史さん2016/11/28(月) 04:41:41.03
穢多・非人のような存在は安土桃山時代以前からあった。
江戸時代以後に制度化されただけ。

110日本@名無史さん2016/11/28(月) 05:31:43.35
歌舞伎の中村家とか能の観世家は未だ賤民扱いなんですかねー?

111日本@名無史さん2016/11/28(月) 07:13:19.79
芸能のような観念的な賤民と穢多・非人のような制度的な賤民は別でしょ

112日本@名無史さん2016/11/28(月) 21:01:58.68
明治時代に新平民という新制度になった

113日本@名無史さん2016/11/28(月) 21:23:30.91
解放令反対一揆
西日本一帯で多発
東日本では皆無

114日本@名無史さん2016/11/29(火) 11:36:30.87
非人は犯罪者だから、身分が低かったり、差別されたりしても、ある程度、自業自得の面がある。
穢多は墓掘りなどの職業に関連した差別で、表向きは質素にしていた。しかし、墓掘りなどの誰もが嫌がる、かつ、差別された職業というのは、社会においては必要な職業だったので、実入りも多かった。
従って、小金を貯めていたものが多く、昼間、差別されて質素に暮らしていたが、夜は吉原などに繰り出して大尽遊びをしていた。

115日本@名無史さん2016/12/04(日) 01:45:06.88
江戸時代は穢多・非人の中から障害者が産まれたらその家族と当事者はどうなったのですか?

116日本@名無史さん2016/12/04(日) 03:36:33.99
障害者は神隠しに遭う。
何故か忽然といなくなる。

117日本@名無史さん2016/12/04(日) 22:33:46.36
神隠し
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E9%9A%A0%E3%81%97

神隠しには「遭いやすい気質」があるといわれ、子供の場合は神経質な者や知的障害がある者[1]、
女性の場合、産後の肥立ちが悪いなど[1]、精神的に不安定な時期に遭いやすかったとされる。

118日本@名無史さん2016/12/05(月) 00:11:20.62
穢多・非人に限らず、普通に
新生児を間引いてた江戸時代
ましてや障害があるとなると・・・
推して知るべしだな

119日本@名無史さん2016/12/06(火) 04:20:02.02
>>115
百姓でも子返し

120日本@名無史さん2016/12/06(火) 14:53:37.81
神隠し恐っ

121日本@名無史さん2016/12/06(火) 15:32:42.83
似非B層多いからな。

122日本@名無史さん2016/12/07(水) 12:54:09.65
江戸時代当時、穢多や非人が住んでる地域はどういう名称で呼ばれていたのですか?
近現代なら被差別部落ですが

123日本@名無史さん2016/12/07(水) 22:33:25.50

124日本@名無史さん2016/12/08(木) 14:40:35.40

125日本@名無史さん2016/12/08(木) 21:48:03.62
古地図には単にエタ村と書かれてるな

126日本@名無史さん2016/12/08(木) 23:15:46.03
かわた村もあるし藩によっても名称が異なる

127日本@名無史さん2016/12/09(金) 11:50:14.03
明確に述べてはいないものの,このとき坪井が被差別部落民にむけた〈眼差し〉には,
日本先住民であるコロボックルの末裔の姿が投影されていたと見ることも強ち無理で
はないように思われる。鳥居らに「むろや」調査を命じたのも,自身の先行調査をさらに
掘 り下げ,その学説を補強する材料を探す目的があったと考えられないだろうか。いず
れに せよ,鳥居らによる調査そのものが,当時の人類学界の論争との関連で実施された
こと, そこから被差別部落民のルーツが北方民族に求められたことは間違いなさそう
である。
そして同調査において示された見解は,後に坪井や鳥居とも学問的親交のあった
民間史家・菊池山哉へと引き継がれることとなる。菊池は 1923 年の『穢多族に関
する研究』で先住民族起源説を説き,発禁処分を受けたことで知られる[前田 2004][礫川 2006]。
同書において菊池は被差別部落民を北方のウィルタ族と同系統の人種とし,彼らこそ先
住民論争におけるコロボックルの末裔であると唱えている。その際,菊池が根拠の一つ
と してあげたのも,各地の被差別部落のフィールドワークで見聞した「室」である。
菊池は これを先住民族であるウィルタ族の竪穴式住居と同様の習俗とみなし,同族が北
方に追 われた後も内地にとどまった被差別部落民が今日に受け継いだものとしたので
ある。菊池はかつて坪井や鳥居,大野らが唱えた説をさらに発展させることにより,「異
端の学説」 を打ち立てたのだといえよう。

128日本@名無史さん2016/12/15(木) 19:22:25.26
せんみん

129名無しさん@1周年2016/12/17(土) 13:15:34.95
うち、エタだろうなぁって思う。

130日本@名無史さん2016/12/17(土) 16:26:19.91
エタ長者とエタの違いをエロイ人教えてください。

131日本@名無史さん2016/12/17(土) 22:33:37.01
>>129
何で?

132日本@名無史さん2016/12/21(水) 11:04:44.24
京都発見(三)―洛北の夢―
http://www.shinchosha.co.jp/books/html/303015.html

 京の都の近くに鬼の子孫の住む里があるという。このおぞましい話を語るのは日本民俗学
の創始者・柳田國男である。柳田が言うからには、この話もまんざら根拠のない話ではある
まい。
 事実、八瀬童子と称する八瀬の人々は代々鬼の子孫であるということを自らはっきりと
公言して来た。
(中略)
 八瀬の人たちが八瀬童子と呼ばれるのは、髪が総髪、ざんばら髪であったからである。
江戸時代の末まで八瀬の人たちはざんばら髪であり、普通の人たちと明らかに異なることを
自ら示していたが、この総髪、ざんばら髪というのは、いかなる風習であろうか。この総髪、
ざんばら髪は、古くは日本に土着していた縄文人の頭髪であり、明治までアイヌの人も総髪
であった。とすれば、アイヌの人たちが縄文の遺民であったように、八瀬の人たちもまた縄
文の遺民であったのではなかろうか。

133日本@名無史さん2016/12/24(土) 04:45:20.46
ハンナン浅田、やっと収監

134日本@名無史さん2016/12/24(土) 14:45:22.02
先祖さがししてたら、部落にたどり着きました。悲しいです。

135日本@名無史さん2016/12/24(土) 21:03:51.85
特権階級だろうが

136日本@名無史さん2016/12/24(土) 21:52:02.38
>>134
まあよくあることだ。そうがっかりするな。

137日本@名無史さん2016/12/25(日) 09:33:32.99
うちは母の実家が、6000石以上の大身旗本の出身。おやじのほうは、爺さんも
曽祖父も公務員だが、どうも部落地域の出身ぽい。地域の人たちからは差別された
ことはないけど、どうも調べると部落地域らしい。つまり、おれはハイブットです。

138日本@名無史さん2016/12/25(日) 16:23:23.17
糞ジャップ共は全員津波に飲み込まれて死ね!!!!!!!!!!!!!!
ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwww

劣等人種ジャップについて語りたい場合は

http://hanabi.2ch.net/ogame/

139日本@名無史さん2016/12/25(日) 18:23:30.68
と、9mmちんぽの万年奴隷チョンが、いきがってますw

140日本@名無史さん2016/12/25(日) 20:59:29.01
日本史板だということをわきまえろよ

141日本@名無史さん2016/12/25(日) 21:12:09.78
『平成5年度同和地区実態把握等調査―地区概況調査報告書―』
(1995年刊。1993年調査。現存する最後の公的大規模調査)


同和地区人口
01位 福岡県 305051人 13位 三重県 63575人 25位 茨城県 15597人
02位 長野県 213818人 14位 京都府 61140人 26位 静岡県 14246人
03位 兵庫県 206105人 15位 奈良県 58059人 27位 千葉県 11321人
04位 埼玉県 122650人 16位 高知県 55036人 28位 新潟県 10731人
05位 愛媛県 121011人 17位 栃木県 48937人 29位 岐阜県 10540人
06位 広島県 102588人 18位 山口県 42905人 30位 愛知県 09792人
07位 群馬県 102561人 19位 滋賀県 40493人 31位 鹿児島 08784人
08位 大阪府 100092人 20位 宮崎県 26657人 32位 香川県 08779人
09位 大分県 087267人 21位 鳥取県 26441人 33位 佐賀県 07399人
10位 徳島県 075490人 22位 神奈川 18093人 34位 山梨県 03956人
11位 岡山県 073129人 23位 熊本県 17205人 35位 福井県 02692人
12位 和歌山 067554人 24位 島根県 16750人 36位 長崎県 02293人

142日本@名無史さん2016/12/29(木) 22:12:40.13
この地区から、嫁に行って混血が生まれて、ハイブリッドだらけだねw

143日本@名無史さん2016/12/29(木) 23:49:58.05
そういう意味では男の方が結婚差別に遭い易い。

144日本@名無史さん2016/12/30(金) 22:55:53.22
http://www.kyy.saitama-u.ac.jp/~fukuoka/image.html

独身者の場合にとりわけ,女性のほうが男性よりも、同和地区出身者との結婚を忌避しようとする傾向があることがうかがわれる。
これは、日本社会がいまだに男性優位社会であるために、女性の社会的地位が結婚相手の男性の社会的地位によって
規定されがちであるという社会現象を、女性たちがみずからの意識に内面化していることの反映ではないかと、私は解釈している。

145日本@名無史さん2016/12/31(土) 14:14:31.35
未だに部落や同和とか言ってるのは、
高齢者だけになったなあ。
今は土地開発が進んで、昔の地域の歴史なんて関係無くなってるし。
京都とかも、昔はヤバいと言われてた地域に、
新しいマンションが増えてきてるし。

146日本@名無史さん2016/12/31(土) 19:37:14.76
現代ネタばかり書く人格破綻者

147日本@名無史さん2017/01/07(土) 20:57:12.24
>>143
日本の男系主義の表れだね

148日本@名無史さん2017/01/08(日) 09:32:30.90
武士は藩や旗本に属し、武家屋敷に定住し二人扶持とか石を貰っているし、
農民だけではなく商工民も店や工房をもって定住して、寺に籍あるのです。
しかし、大工や建設業者、飛脚や馬引、船頭などの流通関係、漁民はどうなんだろう?
農民、商人でも小作人や丁稚はどうなんだ?武士の家の小者はどうなんだ?
長屋住まいの仕官できない浪人はどうなんだ?
江戸時代は複雑な社会だったんじゃないのか?

149日本@名無史さん2017/01/08(日) 14:07:22.64

150日本@名無史さん2017/01/08(日) 14:08:26.84
海の民と家船
http://sites.google.com/site/tadanoumis/107

沖浦和光著『瀬戸内の民俗誌』(岩波書店)は次のように述べている。「能地のすぐ裏山に善行寺がある。
家船漁民は年中〈船住居〉だったが、年に二回、 正月と盆には必ずこの能地に帰ってこなければならなかった。
能地に帰ってきてもそこに家があるわけではないので、大半の漁民は船に寝泊まりした。
旅先の海 で死んでも、そのむくろは塩漬けにされてここまで帰ってくる習わしだった。
葬式や追善供養もこの寺で行われたが、貧しい家船漁民のむくろは寺の墓地ではな くて浜辺に埋められたと言われている。

こういう方式は、檀家の数を減らさないために、善行寺が漁民たちに義務づけたのだが、
正月と盆に帰ってこなければならぬ最大の理由は、檀那寺の宗門改帳に登録されないと「帳はずれの無宿」と見なされたからだ。(中略)

臨済宗の善行寺は、1469(文明元)年に、土地の豪族〈浦〉氏によって建立されたと伝えられている。
浦氏は沼田小早川家の庶家(分家)で、小早川家の 有力な一族だった。
〈浦〉を名乗ったその姓からも分かるように、小早川勢の瀬戸内海進出の先駆けとなったが、
特に水軍史上で名を残したのは浦宗勝で、1576(天正4)年の木津川口海戦では毛利方水軍勢の総帥をつとめた。
能地と二窓の海民がこの浦氏が建立した寺の檀家になったのは、
瀬戸内海を縦横に駆 け巡って奮戦した浦氏の直属水軍として働いたからである。」(沖浦和光『瀬戸内の民俗誌』P180〜181)

151日本@名無史さん2017/01/08(日) 16:47:01.83

152日本@名無史さん2017/01/14(土) 15:44:32.42
 ___ _
  ヽo,´-'─ 、 ♪
   r, "~~~~"ヽ
   i. ,'ノレノレ!レ〉 ☆ 衆議院と参議院のそれぞれで、改憲議員が3分の2を超えております。☆
 __ '!从.゚ ヮ゚ノル  総務省の、『憲法改正国民投票法』、でググって見てください。
 ゝン〈(つY_i(つ 日本国憲法改正の国民投票を実施しましょう。お願い致します。☆
  `,.く,§_,_,ゝ,
   ~i_ンイノ

153日本@名無史さん2017/01/20(金) 13:14:18.13
特権階級で全員リッチな暮らしをしていたに違いないウヨ

154日本@名無史さん2017/01/28(土) 21:28:49.80
そういう単純なものではない。
歴史とは、人それぞれに起こった事象を複合的に捉える能力がないと理解はできないものだ。
一括りにしないと理解できない人間に歴史を語る資格はない。

155日本@名無史さん2017/01/28(土) 22:07:30.30
非差別民のうち、あるものは特権を与えられて大名並の生活をしていた。
そしてあるものは、社会の片隅で極貧生活を送っていた。
しかしあるものは、幸せな瀬ぶり生活を送っていたのだ。
定住を好まない非差別民でも、それぞれ異なる生活をしていたのだ。

156日本@名無史さん2017/02/10(金) 08:20:17.64
部落も何種類かあるよね
体の一部にそれとわかる刺青を彫られて放り込まれた前科者の集落が代表的なのかな
それも、刺青の種類も額に「悪」という字を彫られたり、腕に二本の線を彫られたりと
バリエーションがあるようだけど

157日本@名無史さん2017/02/10(金) 21:42:46.84
えたとは何か?ひにんとは何か?ぶらくとは何か?どうわとは何か?
諸説入り乱れており、こんなもの歴史と言えるのだろうか?
論説者自身が歴史とやらに思い想いの絵を描くお絵書き教室じゃないのか?

158日本@名無史さん2017/02/12(日) 15:34:52.41
部落地図ってアメリカの大学が公開しているんだよな
アジア太平洋地域を研究してるとこに、江戸時代の全国部落地図がある
日本の大学が公開すると怪事件が起こるのかなと勘ぐってしまう

159日本@名無史さん2017/02/17(金) 00:46:47.28
相撲が何故国技と呼ばれるようになったか調べていると
お相撲さんは被差別階級だったと書いてあった
しかし好角家の大名はお抱え力士のパトロン
ということは被差別階級民でもお目見得できたということ
これは猿回しも同じでハレの日に大名旗本の江戸屋敷で見世物していた
南河内村の人たちのように蔑まれる被差別民と
ハレの日に縁起物として認知されていた被差別民がいた
後者は芸能に多いが河原役者や猿回し、
力士などが酷い差別を受けた記録はあるのだろうか?
芹沢鴨は酒に酔っただけだろう

160日本@名無史さん2017/02/18(土) 02:14:01.25
力士や歌舞伎役者は被差別民であっても穢多・非人のように刑吏や番太には携わらないし制度的な拘束も受けない。
その辺の町人と身分違いの婚姻をしても咎めを受けることもなかった。

161日本@名無史さん2017/02/18(土) 17:03:21.01
そもそも被差別民なのか、どんな差別があったの?

162日本@名無史さん2017/02/18(土) 22:10:53.70
乞胸
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9E%E8%83%B8

江戸時代に江戸市中などで、万歳や曲芸、踊りなど、さまざまな大道芸をおこない金銭を乞うた者。
乞食(物貰い)の一種であり[1]、元侍や町人、あるいは身元が不明な者が乞胸となった。
身分的には町人に属したが、穢多頭の弾左衛門の支配下に置かれ、稼業としては非人と同等とされた。
乞胸をする場合は非人頭から鑑札(許可証)をもらい、老人と障害者以外は一定額の上納金を納めなければならなかった[2][3]。
非人同様、編笠をかぶり門付もしていたが、非人の職域を荒らさないために、のちに乞胸の門付は禁じられ、主に広場や路上で芸を見せた[3]。

起こり

さまざまな雑芸を演じてわずかな報酬をえて生計をたてる物もらいは、室町時代末期の『三十二番職人歌合』にすでに、
編笠をかぶり、手で裸の胸を叩く風情が描かれている[1]。胸叩など、こうした路上芸が乞胸の起源とされる。
乞胸の名の由来は「先方の胸中の志を乞う」ところからきたとする語源説もある[4]。
芸能に対してある種の羨望と崇敬がありながら、彼らが賤民とされたのは、人の気を引き、
金銭を得んがために演じる芸能は賤しいとする考えと、その非生産的な生活態度にあったとされる[5]。

歴史

江戸幕府ができると、多くの大名家が取り潰され、職を失った大量の浪人が溢れた。
長嶋礒右衛門という浪人が食うに困った浪人仲間を集めて寺社の境内や空き地で草芝居や見世物をして生計を立てていたが、
非人頭の車善七から手下の生業が邪魔されると苦情が持ち込まれ、慶安年中(1650年代)、身分を町人に落としたうえ、
乞胸稼業においては善七の支配下に入る取り決めがなされた[6][3]。善七のもと、磯右衛門が乞胸頭になり、
町人、または身元の明らかでない者で乞胸を稼業する者には「鑑札」を渡し、一人につき18文ずつ毎月徴収した。
乞胸頭は無許可で大道芸をする者を取り締まり、その世話と管理をし、
浅草溜(善七が管理していた医療刑務所のような施設)の火事の際には囚人の警固もした[3]。
その後、1843年(天保14年)の天保の改革で、それまで江戸の各所に住んでいた乞胸も、
非人同様、幕府によって一か所に集まって住むように命じられた[7]。

163日本@名無史さん2017/02/18(土) 22:17:41.77
貧民に墜ちた武士:乞胸という辻芸人
http://www.amazon.co.jp/dp/4309412394

幕府の大名の取り潰し政策により、大量の浪人が発生する。
彼らは日銭を稼ぐ為に芝居や大道芸を見せるようになる。
ところが、非人頭の車善七から自分たちのテリトリーが侵されていると訴えられる。
結局、日常は町名主の支配、稼業をしているときは非人頭の支配ときめられてしまう。
つまり、身分制度上は町人だが、仕事をしている時だけ被差別民という奇妙な人たちが生まれた。
彼らを「乞胸」という。彼らは元は武士なので、被差別民を見下している。

興味深いのは同じ大道芸をやっている香具師などから彼らは軽蔑されている点である。
香具師というのは「男はつらいよ」の寅さんのような人たちである。
香具師は自分たちはあくまでも薬や小間物を売る「商人」であり、
大道芸は客寄せのCMであるから、「乞胸」などの芸人などとは一緒にするなという理屈らしい。

外からみれば「乞胸」も「香具師」も見分けがつかない。
「乞胸」も被差別民のテリトリーを侵していながら同じとは思っていない。
「乞胸」は願人坊主などの落ちこぼれた仏教徒とも対立している。
差別意識というのは利害の対立から生まれるものらしい。

江戸の庶民は、信仰心が篤いので「ほどこし」をすることが功徳になると思っている。
「物乞い」をすることにも現代ほど抵抗は感じていないようだ。
一方「辻芸人」などの非生産的な仕事をして「ほどこし」を受けている人を見下しているふしがある。

164日本@名無史さん2017/02/21(火) 17:47:23.55
願人坊主は僧形の芸人だね
こちらも賎民とされた
スタスタ坊主とかワイワイ天王とかね

力士や猿回しが賎民でも過酷な差別を受けてないのは
穢れがなく神事と親和性が高かったからじゃないの?
刑吏や死体に触るとかの職業は不浄とされたからそういう目で見られた
南王子村の農業賎民は百姓たちのストレス発散じゃないのかね
それとも南王子村の村民は牛馬解体もやっていたの?

165日本@名無史さん2017/02/22(水) 05:24:44.64
式内聖神社では例年二月十日の祭礼に「悪魔降伏・障碍退散」のための「弓射御神秘之神礼」行事が行なわれるが、
それに用いる蟇目の的の生皮五枚を、南王子村は毎年正月元日から二月七日までの死牛馬からとって神納することになっている。
この神事式に差支えないように、神用の皮を調達したうえで、立会入札するのが古来からの格式であるにもかかわらず、
これまでとかく不法を働く者がいた。以後は格式にしたがって正路に取計うべきである。

166日本@名無史さん2017/02/22(水) 06:12:01.93
常夜燈に「南王子村」
http://img-cdn.jg.jugem.jp/3e8/1564192/20160302_1909474.jpg
http://web1.kcn.jp/antimony/niobium/hijirijinja4.jpg

寺社の運営や祭礼に、いわゆる賤民・被差別民とされる人たちが大きな役割を担っていたことが研究されており、
往時は現在をはるかにしのぐ存在感を示していたであろう当社聖神社にあってもそれは例外ではありません。

当社近くにあった今でいう被差別部落「南王子村」は、日本でも最大級の規模を持つえた村で、その由緒は鎌倉期にさかのぼる古い村です。
多くの被差別部落は、本村がありそれに付随する枝村という位置づけでしたが、南王子村は一村独立の自治を認められた村でした。

南王子村内に祭礼を執り行う神社は無く、当社聖神社の弓射神事(革祭りと呼ばれる)の的の奉納・奉納角力の土俵造り・神輿の通り道の清掃など、
当社の祭礼に南王子村の人たちが深く関わっていました。
ところがそこまで深い関わりを持ちながら南王子村は当社の氏子とは認められず、祭礼本番への参加が認められることも無かったそうです。
これは江戸期あたりの時代的な被賤視観の表れなのでしょう。

南王子村や後述する舞村には陰陽師が出入りし居住していました。
この場合の陰陽師は民間陰陽師であり、官人陰陽師と違って賤民の身分となります。
彼らの扱う暦は「信太暦」・「和泉暦」として知られ、彼らは他にも祈祷札などを売り歩きながら庶民の生活に深く関わっていました。

そして彼ら民間陰陽師は、安倍晴明の後裔である京都の土御門家の統制下に置かれていました。
民間陰陽師の地域的な筆頭である「触れ頭」という者を通じて土御門家から許状を下賜されることで陰陽師としての活動が許されました。
南王子村には土御門家から発された文書が残っているとのことです。

寺社に舞などの芸能を奉納する人たち(やはり賎民身分)が住まいする場所は舞村と呼ばれることもあり、
南王子村近くに舞村が存在していたことも知られています。
このように当社には多くの賤民・被差別身分の人たちが関わっていました。
繰り返す意味になりますが、寺社に被差別民が関わっていたのは珍しいことではありません。

167日本@名無史さん2017/02/27(月) 23:40:48.37
>>166
土御門家のお墓、無縁仏なんだってね。
子孫が消息不明。
まあ、そのほうが謎になっておもろいけど。

168日本@名無史さん2017/03/06(月) 17:42:11.88
http://i.imgur.com/ZE6RDtS.jpg
NHK 普通にこういう表現

169日本@名無史さん2017/03/10(金) 22:35:49.41
>>164
幕末スタスタ坊主ワイワイ大王など怪しげな芸人が流行したのは
庶民にとって公儀が揺らぎ世紀末みたいな感じに映ったからだろうね

170日本@名無史さん2017/07/20(木) 03:37:01.01
江戸時代の人口比率


公家・神官・僧侶:1.5%

武士:7%

百姓:84%

町人:6%

穢多・非人:1.5%

171日本@名無史さん2017/11/03(金) 12:13:45.39
三重県伊賀市八幡町

江戸期は伊賀國北浅田穢多村
大規模穢多村だった。

172日本@名無史さん2017/11/03(金) 12:17:45.24
北浅宇田エタ村だった。

173日本@名無史さん2017/11/29(水) 11:11:18.65
死穢への嫌悪感がある。腐乱した妻の姿を見て逃げ出した夫神のように。でも、彼はみそぎをして
元の清浄な体に戻る。奴婢の身分に落とされても元に戻ることができた時代から、一度定まった
身分というか階層というか、これが固定してしまうのだが、これで金儲けができるえせ同和時代だった。

174日本@名無史さん2018/01/30(火) 15:14:18.86
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

80D66

175日本@名無史さん2018/05/03(木) 09:59:36.75
部落差別をなくす一番の方法は同和教育をやめる事だと思う。
そうすれば部落なんて忘れ去られていくだけだろ
同和利権を貪ってる奴がネチネチ同和教育して部落差別が忘れ去られないようにしてる感が否めない。

176日本@名無史さん2018/05/04(金) 14:40:04.93
人の入れ替わりが激しい都会なら忘れ去られるだろうけど
田舎だと難しいだろう。転居してもどこの生まれかはついてまわるし
戸籍制度を無くせば良い

177日本@名無史さん2018/07/12(木) 15:49:39.70
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

2VL

178日本@名無史さん2018/08/14(火) 20:31:18.91
  

  

穢多も非人も、我ら白人からすれば、黄色いものらでしかない。
  
  

179日本@名無史さん2018/08/15(水) 01:20:43.31
日本語お上手〜

180日本@名無史さん2018/08/15(水) 01:40:40.93
>>166
>多くの被差別部落は、本村がありそれに付随する枝村という位置づけでしたが、南王子村は一村独立の自治を認められた村でした。

同じ村の端っこや離れた所に点在して住むんじゃなくて、村の隣に小さい村を興すってことなのかな

いろんな古地図を見ていると殆んどの村が同じような距離を取っているのに、変に隣接状態の村があったりするんだけど、それが該当するんだろうか

181日本@名無史さん2018/08/15(水) 01:47:45.33
>>166
>寺社に被差別民が関わっていたのは珍しいことではありません。

ネット上には殆んど情報が無いみたいだけど、寺奴(じぬ/てらやっこ)=寺賤(じせん)、神賤、という身分がいたらしいね
寺社の私有隷民だと言うけど、具体的な例には辿り着かない

近所に「ここに住んでいると昔は何故か四つと虐められた」みたいな話を聞く場所があるんだけど、
古地図での当該地域は広すぎる領地の寺+三昧だった
それ以上のことは分からないけど図書館にでも行けば資料があるんだろうか

182日本@名無史さん2018/08/15(水) 02:01:41.43
私も>>175と同じ事を思ってたことがあったけど、
2ちゃんや知恵袋なんかで間違った方向に噂されれば
余計にタブー視というか賤視されそうな気がする
現実的には利権団体が解散する訳ないし教育も辞めないだろうけどね

183日本@名無史さん2018/08/15(水) 02:07:28.58
>>173
ミソギによってケガレをリセットできるのが本来の定義だったんだろうけど
そこに大陸から隷民制度のようなものが入ってきたから固定身分が出来てしまったんじゃなかったっけ
メモしてないから内容の詳細も何の本で読んだのかも思い出せないけど

184日本@名無史さん2018/08/15(水) 02:09:19.42
173は当時と現代をゴッチャにしてる

185日本@名無史さん2018/08/15(水) 02:10:33.17
同対地対で巨額の税金が投入される事になったから
金に群がる人々によって無くなりかけていた差別が掘り起こされた
地対の期限切れ以降、解同の同盟員は激減してる
金にならなくなったから
似非が大騒ぎしてたって事だ

186日本@名無史さん2018/08/15(水) 02:24:01.40
>>48
遅レスだけど
まとめありがとう

>「屠児」
>「穢多童」

児とか童とか子どもを連想する字が充てられているのは何故だろうね
単に音として丁度良かっただけなのか
実際に子どもがさせられていた仕事だったのか

187日本@名無史さん2018/08/15(水) 04:04:59.20
>人種起源説と職業起源説

そもそもは人種だったんでは
エンガチョなことは異人にさせてきたと思う
大陸から渡来した仏教(=異人の宗教)の寺に人の死を任せて埋めさせたり焼かせたりしているのも同じ理屈に思う

この手の話題は東北の話が出にくいね
仙台藩には「戎」と呼ばれる賤民身分がいたとされる
これはエビスという漢字だが「ジウ」と読まれたらしい

七福神のエビス様は海の向こうからやってきた神だけど、ジウも同じく海の向こうからやってきた得体の知れない異人だったのではないかという推察を何かの本で読んだ
(幕府が異人を「戎」や「夷」の字で著したり、民が海の向こうから流れ付いた漂流物をエビスと言って祀ったり、そんな習慣からも海の向こうから説は信憑性が高いのではないかと思う)

日本神話ではイザナギイザナミの第一子ヒルコ(蛭子)が不具で産まれたため海に流されている
それが時代と共にエビスと習合したという
もしかするとジウには不具者も含まれていたのではないかとも思うが言い過ぎか

188日本@名無史さん2018/08/15(水) 17:41:03.50
,
織田ザコナガの天下統一はまだか?

織田ザコナガが強いのは池沼の脳内とゲームの世界だけか?

北条義時は朝廷も叩き潰して天下の覇王になったけどな

189日本@名無史さん2018/08/15(水) 17:52:06.95
なに?スクリプト?

190日本@名無史さん2018/08/16(木) 21:12:27.76
朝鮮半島人age

191日本@名無史さん2018/08/17(金) 22:05:33.49
吾々がエタであることを誇り得る時が来たのだ。(水平社宣言より)
部落解放同盟の前身団体が水平社であり、
本家、本流とでも言うべき、水平社の後続、継承団体が部落解放同盟である事を無視していいのか。

192日本@名無史さん2018/08/18(土) 13:28:35.83
>>191
この板の名前は読める?
>>3の日本語は読める?

193日本@名無史さん2018/08/19(日) 20:20:18.94
賎民史、部落史記述者の多くは水平社、部落解放同盟と密接な関係にあった
学者、研究者、作家、評論家、随想家、思想家なんだけど。
切り離せるのか?と。
また、偽史料や専門的論説者の超絶歪曲論考が少なくなく、
論説者自身の偏見や蔑視観念が見え隠れするような論述が見受けられるのだけど。

194日本@名無史さん2018/08/21(火) 04:17:58.42
だからと言って現代の問題をメインに語るのはスレチでしょうよ
板とスレタイに沿った話メインなら出てきても仕方ないが

195日本@名無史さん2018/08/27(月) 02:51:05.22
オットー・モーニケの見た日本人と日本の社会環境
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/5414/1/KJ00000702904.pdf

モーニケの報告文の貴重な部分は、
自らが体験した江戸時代末期の部落差別の体験を記録しているところにあるだろう。
モーニケは江戸から長崎への戻り旅の途次、
ある晩(兵庫と思われる土地で)海岸に沿った砂丘を日本人の付け人たちと散歩をしていた。
モーニケの葉巻の火が消えた。後ろを歩いていた役人と奉公人に火を乞うたが、
誰も火を付ける道具を持っていなかったので、足の早いものが近くの家から松明をもってきた。
しかしその家が「エタ」の家とわかると、モーニケの手から松明は取り上げられ、
松明を掴んだものは海水で手を洗い、松明を運んだものは、身体を清めるためと称して、
海のなかに入ったのである。そして、かなり離れた家からあらためて松明が取り寄せられた。
すさまじいできごとである。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B4%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%83%E3%82%B1

196日本@名無史さん2018/08/27(月) 02:51:48.28
大本敬久『触穢の成立 日本古代における「穢」概念の変遷』(創風社出版、2013年)
http://www.blhrri.org/old/info/book_guide/kiyou/ronbun/kiyou_0199-12_mizumoto.pdf

伊予松山藩では、幕末に生まれ、旧松山藩士で、
石鉄県の学区取締として小学校の開設に取り組んだ内藤素行が語り残した記録の中に、
「『人と畜生の間に穢多という一階級がある』というのが、上下一同の考えであった」とある。

江戸時代、部落外の人たちは部落の人たちを「畜生の血が入った者共」と見ている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%85%E8%97%A4%E9%B3%B4%E9%9B%AA

197日本@名無史さん2018/12/24(月) 19:34:34.20
>>171
それって忍者とは関係あるのかな?
伊賀と聞くと結び付けたくなってしまうけども

198日本@名無史さん2018/12/25(火) 12:15:31.85
穢人の末裔チョンコ

199日本@名無史さん2019/08/07(水) 16:24:58.30
戒名に 畜 の一文字が

200日本@名無史さん2019/08/07(水) 17:29:38.08
>>197
あるだろ
汚れ仕事をやってくれる人材が欲しい忍者の頭目が目を付けない筈が無い

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