【尾張】秀吉子飼いの大名について【近江】 [無断転載禁止]©2ch.net

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1日本@名無史さん2016/06/07(火) 04:03:19.21
福島正則・加藤清正・加藤嘉明・脇坂安治・平野長泰・糟屋武則・片桐且元
蜂須賀正勝・石田三成・浅野長政・浅野幸長・小西幸長・黒田勘兵衛・黒田長政らの
秀吉生前の出世、関係、秀吉没後の帰趨について

2日本@名無史さん2016/06/07(火) 12:44:18.21
有名どころばかりだから自分で調べろよ

3日本@名無史さん2016/06/07(火) 19:27:31.47
>>1
加藤嘉明・脇坂・蜂須賀・浅野・小西・黒田如水らはいずれも子飼いと呼べない。
秀吉の下で一定の出世はしたけれど、元は織田家朋輩か他家からの転身だから。

4日本@名無史さん2016/06/07(火) 21:45:51.51
小出 杉原 木下 青木
このあたりのほうが一門ぽいか

5日本@名無史さん2016/06/07(火) 22:49:28.98
>>3
いや、それらは子飼い。
織田家臣といっても、秀吉がいなければ下級家臣の身分で終わった身の上。

6日本@名無史さん2016/06/07(火) 23:41:04.59
増田長盛がなぜない

7日本@名無史さん2016/06/07(火) 23:43:55.48
増田長盛、長束正家も子飼いだよね
宇喜多秀家も結城秀康もある意味子飼い

8日本@名無史さん2016/06/07(火) 23:50:51.45
いや長束は違うでしょ

9日本@名無史さん2016/06/08(水) 04:51:58.83
豊臣恩顧の大名ならよかったのか
でも豊臣恩顧だと家康も石高倍増してもらったということで豊臣恩顧かって思う微妙用語だよね

10日本@名無史さん2016/06/08(水) 05:16:16.89
真田丸観てたら真田幸村も秀吉子飼いですよね?

11日本@名無史さん2016/06/08(水) 05:59:42.02
真田丸内での話?

12日本@名無史さん2016/06/08(水) 06:39:38.73
1番秀吉に気に入られてるよ、真田丸観てると

13日本@名無史さん2016/06/08(水) 08:27:19.59
毛利勝信

14日本@名無史さん2016/06/08(水) 18:55:31.24
>>12
それは史実じゃないね
秀吉に会ったこともないだろ

15日本@名無史さん2016/06/08(水) 20:08:49.78
尾藤、神子田は

16日本@名無史さん2016/06/08(水) 21:04:50.16
子飼い、恩顧、譜代、外様等、呼称の意味・区別を明確にしないと語り辛い。
出世如何ではなくて、秀吉小身時(尾張か美濃)から仕えた者もしくは、秀吉の下で育てられた者に限るのではなかろうか。
宮田喜八郎などは子飼いor譜代トップ(秀吉は一代の立身なので厳密には違うが)と思う。
浅野や木下、蜂須賀らははじめは秀吉より上位身分だったが、
秀吉の出世に伴って家臣不足となり、信長から与力に付けられた形。
前野、尾藤、神子田、木村、仙石、平野ら等は子飼い第一世代と言える。

17日本@名無史さん2016/06/08(水) 22:33:58.99
浅野が与力につけられた説には疑問がある。
秀吉はヒラの足軽だったんだから、足軽頭の浅野は最初は上司だっただろうが
だからといって、浅野は織田時代は小身で、秀吉にはじめてもらったのが
1573年に130石だったことからしても、もとから信長に直接知行をあてがわれる
ような直臣ではないから与力ではない。

18日本@名無史さん2016/06/08(水) 22:36:30.06
信長の”与力”の定義って、信長から直接書状をもらう身分かどうかでしょ。
黒田官兵衛なんかは、最初は小寺宛に書状がきたので、与力とかじゃなく陪臣。
途中から与力になった。

浅野は最初から最後まで信長から書状や知行をもらった形跡がなく
最初から秀吉に知行をもらってるわけだから、信長の与力ではない。

信長の与力だったといってるのは浅野の家譜だけだから、系図を飾ったんじゃないの?

19日本@名無史さん2016/06/08(水) 22:36:52.57
130石ならふつうに信長から直接知行宛がわれるような侍だろ。

20日本@名無史さん2016/06/08(水) 22:37:47.12
信長に仕官した山内一豊程度で直臣なんだぞ。

21日本@名無史さん2016/06/08(水) 22:39:27.35
木下についても同様だと思う。
木下祐久って、北政所で秀吉の家来になった木下とは苗字が一致してるだけで
別人だと谷口勝久は言ってる。

22日本@名無史さん2016/06/08(水) 22:40:40.26
>>19
だから、すでに秀吉配下になって、秀吉が20万石くらいになった時代に、
「秀吉から130石をもらって大出世した」というのが最初で、
信長の家臣時代はそんなにもらってないから。

23212016/06/08(水) 22:42:58.42
谷口勝久ではなく谷口克広でした。

24日本@名無史さん2016/06/08(水) 22:46:07.11
じゃあ浅野は誰かの家臣だったんだな。
秀吉は軽輩ながら信長の直臣だったんだぞ。
信長の直臣が陪臣の娘と結婚するのはそれはそれでおかしいだろw

何言ったんだ?お前w

25日本@名無史さん2016/06/08(水) 22:48:13.53
>>20
山内一豊の場合、織田家に移ってきた経緯があるけど、
信長から直接知行をもらったり、手紙をもらったりしたわけじゃないんでしょ。
ちなみに山内一豊も1573年に秀吉が長浜城主になったとき400石をはじめてもらってる。
浅野がもらったのが130石だから、織田時代は山内のほうが浅野より大身だったと思われる。

26日本@名無史さん2016/06/08(水) 22:56:18.22
蜂須賀の場合、信長が直接書状を出してるから、信長からつけられた与力で間違いない。

>>24
秀吉が高台院と結婚したとき、秀吉はまだ足軽組頭だからな。
別に陪臣と結婚してもいいだろうが、問題は陪臣かどうかじゃないんだよ。
与力というのは信長に認識されてるような身分だけど、浅野や木下は、秀吉と結婚
するまでもっと下級家臣だったということ。
秀吉によって飛び抜けた出世をしたようなのは子飼いだよ。

27日本@名無史さん2016/06/08(水) 23:06:26.49
浅野は確かに織田家の家臣だけど下級家臣すぎて、与力とかそういう問題ではないレベルということ。
信長に存在を認識されてない。だから秀吉が出世とともに勝手に家来化しただけ。信長は関与してない。

28日本@名無史さん2016/06/08(水) 23:10:12.90
何言ってんだこいつ。
信長に認識されてるかどうかが直臣の条件なわけねえだろ。
誰の家来かってだけだ。
信長が認識してない信長の家来なんて腐るほどおるだろ。

29日本@名無史さん2016/06/08(水) 23:17:34.71
知行30貫や50貫の直臣なんてざらにいる。
信長がまだ那古野城〜尾張半国の主だったころなんか尚更。
当時はまだ寄親寄子制だったから、直臣でも寄親の指揮下に入っていた。
部屋住みの前田利家も織田信家の寄子で、その後信長近習となった。
浅野家は信秀の代から織田家臣だったが、秀吉の長浜城主栄転時についていった事が転換点となったと思われる。(それまでの知行は尾張にあったろうが、秀吉から受けていたかどうかはわからないし、誰が寄親であったかも不明)
分かりやすい例で言えば、家康の関東移封の際の、信濃の諸将たち。
諏訪や木曽、真田(上野領)らは、関東移封で家康の家臣化した。

30日本@名無史さん2016/06/08(水) 23:18:34.97
直臣と与力は別の言葉だろ。
浅野は織田の直臣かもしれないが信長が秀吉の与力にしたとかではない。
浅野については「信長から秀吉の与力につけられた」って表現がおかしい。

黒田や蜂須賀については「信長から秀吉の与力につけられた」で正しい。

31日本@名無史さん2016/06/08(水) 23:22:08.52
こっちは最初から、浅野が直臣でないなんて言ってないんだよ。
浅野は「信長から秀吉につけられた与力ではない」と言ってる。

32日本@名無史さん2016/06/08(水) 23:22:12.29
>>30
>信長から秀吉の与力につけられた
と言うより、一応の許可を貰ってだろうね。

33日本@名無史さん2016/06/08(水) 23:31:48.75
>浅野は「信長から秀吉につけられた与力ではない」と言ってる。
与力は全部信長の家臣なんだから、与力につける際には必ず信長の裁可が居る。
信長以外に与力を誰かにつけることを裁可できる人間は存在しない。

34日本@名無史さん2016/06/08(水) 23:46:09.08
>>33
もし、織田家の家臣なら足軽だろうが信長の直臣だから、
信長の許可が形式上必要なのを「与力の定義」にするなら、
「信長の与力だから秀吉の子飼いではない」という前のほうであった
言葉には意味がないよね。

石田三成とか加藤清正も、織田家の家臣ではあるから秀吉の子飼い
ではないんだろう。

35日本@名無史さん2016/06/08(水) 23:50:18.22
そもそも浅野が信長から秀吉につけられた与力じゃないという表現の意味が不明なんだが。

36日本@名無史さん2016/06/08(水) 23:54:34.74
言葉遊びじゃなく、話を元に戻そうか。
発端は>>16で、秀吉の出世にともなって秀吉の下につけられたから
子飼いじゃないということはないだろ。
1573年の長浜以前に秀吉の配下だったなら、秀吉の子飼いだろ。
もっといえば、1582年の本能寺段階で秀吉の配下だったから子飼いということで
良いと思うよ。もっといえば、秀吉の配下として大名になった人たち。

>>35
それは与力の定義違いだろ。織田家の家臣なら全員信長直臣で
信長の認可による与力ならば、確かにそれには意味がない。

37日本@名無史さん2016/06/09(木) 00:07:54.82
>>34
>信長の与力だから秀吉の子飼いではない
最初から認識不足だぞ。
信長の与力という言い方だと、
どっかの主家から信長が与力武将を得る形になる。
信長から許可されて、指揮下におく事を許された家臣=与力武将
(仮に浅野家が陪臣だったとしても、それまでの主家に許可を得る必要がある)
だから、子飼いではないのだ。
三成や清正は最初から秀吉に仕えたから子飼いだ。
仮に三成が清正を指揮下に置きたいと秀吉に申し出て、秀吉が許可した場合は、清正は三成の与力という事だ。(清正が直臣である事は変わらない)

38日本@名無史さん2016/06/09(木) 00:09:08.88
>>36
>もっといえば、秀吉の配下として大名になった人たち。
子飼い多すぎでしょ。

39日本@名無史さん2016/06/09(木) 00:12:35.74
>1573年の長浜以前に秀吉の配下だったなら、秀吉の子飼いだろ。

まあ、秀吉みたいな叩き上げはどこかで区切らないとダメだろうし
これぐらいの時期で区切るのもいいんじゃない

40日本@名無史さん2016/06/09(木) 00:19:29.07
>>37
浅野が、たとえば柴田勝家に採用されてたとしたら?
信長じゃなくて、柴田勝家に許可を取るってことになるの?

41日本@名無史さん2016/06/09(木) 00:30:08.98
>>40
>浅野が、たとえば柴田勝家に採用されてたとしたら?
柴田家中(陪臣)であったなら、
>信長じゃなくて、柴田勝家に許可を取るってことになるの?
柴田勝家に許可を得ないと指揮下に置けない。
つか、そうしないと成敗されても仕方ない。
プラスで、信長への報告及び裁可も必要な場合だって考えられるし、
信長が柴田へ命ずるケースも無くはない。

42日本@名無史さん2016/06/09(木) 00:38:05.96
ふーんなるほど。
ということはやっぱり子飼いの定義は、年代で区切った方がよさそう。

43日本@名無史さん2016/06/09(木) 17:39:17.59
黒田、蜂須賀、浅野が勝ち組か

小大名とか旗本だとけっこう残ってるけど

44日本@名無史さん2016/06/09(木) 20:21:58.33
子飼いの勝ち組なら
仙石とか木下じゃね

45日本@名無史さん2016/06/09(木) 23:03:27.18
浅野は子飼いでしょ。

46日本@名無史さん2016/06/09(木) 23:35:38.77
浅野も木下も子飼いって感じじゃないな

47日本@名無史さん2016/06/10(金) 03:11:47.51
木下って、おねの実家の方?

48日本@名無史さん2016/06/10(金) 03:19:15.33
増田長盛って家康に対して自爆仕掛けたって説があるがどうよ?

49日本@名無史さん2016/06/10(金) 03:20:12.41
失礼 増田長盛って家康に対して自爆仕掛けたって説があるがどう思われますか?

50日本@名無史さん2016/06/10(金) 09:38:45.28
>>45
浅野幸長は子飼いとして差し支えないと思う。

51日本@名無史さん2016/06/10(金) 09:50:52.06
>>49
増田は開戦前から家康に上方動静を伝えたり三成からの補給要請を断ったりして、
どっちが勝っても良いように保身をはかっていた。
三成も関ヶ原から書状で、
東軍諸将が人質を全く気にしないのは
貴殿(大坂城の増田)と内府が通じているからと陣中で言われているがどうなのか?という疑いの言葉を投げ掛けている。
自爆するようなたまでは無いだろう。

52日本@名無史さん2016/06/10(金) 18:48:02.68
むしろ増田ではなく、水口藩主五奉行長束正家が水口城で家康卿を誘殺せんと企み、戦後、水口開城の約束とは裏腹に詰め腹を強いられた

53日本@名無史さん2016/06/11(土) 09:41:08.87
秀吉の場合、軽輩だったころから頭の良さや弁舌、人への気の使い方は尾張の国中に聞こえるほど圧倒的だったろうから、
当時の秀吉の序列はこうだから、こんな軽輩の下に行った奴も軽輩であったに違いない、とは言えないのではないか

54日本@名無史さん2016/06/11(土) 18:46:19.64
そんなまったく根拠の無い事を自信たっぷりに言われましても

55日本@名無史さん2016/06/25(土) 23:46:09.51
大谷吉継とか長束正家とかの石高が石田三成とかより低いのはなんで?

だいたい加藤や福島みたいな武断派の石高が多いのは理解できるが
奉行系の石田三成の多さが異常なのか?

浅野長政は親戚枠だろうし?

56日本@名無史さん2016/06/26(日) 00:00:52.98
大谷は病気で半引退状態、長束はどちらかというと吏僚専門で前田玄以と同じような感じなんじゃなかろうか

57日本@名無史さん2016/06/26(日) 00:47:07.85
増田長盛も奉行系では大きい 
ドラマや小説ではあんま取り上げられないけど 豊臣政権下では重要な家臣だったんだろね
100万石の直轄地の管理とかも

58日本@名無史さん2016/06/27(月) 23:06:20.23
毛利輝元が上洛した時の 進物の種類や数からみると
奉行系では浅野長政がトップだね
次に 増田長盛と石田三成が同じ扱い

59日本@名無史さん2016/06/29(水) 12:02:49.05
【ゲスウヨ】  ハイ、予告通り、欧米から経済崩壊、最後のトドメは、バカウヨの望む中国からの・・・ではなく、日本からの株式大暴落www(笑)  【カスウヨ】



マイト レーヤの出現のタイミング

近い将来、欧米で株式市場が破綻すれば、マイト レーヤは直ちに出て来られるでしょう。崩壊によって生じる現実感覚が、マイト レーヤが待っておられる要素の一つです。


最初になくなるのは世界の株式市場でしょう。

差し迫る株式市場の暴落は、他の人々が飢えている間にお金を儲けることの結果です。かれらは自分の財産を隠し、犯罪的雰囲気さえも創出しています。
彼らはただ座って待っているだけです。世界を餌にして生きており、何も還元しません。 来るべき株式市場の崩壊は必然的に多くの失業者を出すでしょう。


日本から始まる世界的株式市場の大暴落

ウォールストリートの大暴落(1997年)につながったプロセスが、いま日本におけるプロセスの中に写し出されており、再び株式市場の暴落につながるでしょう。
終いには政府にも支えることができなくなり、どん底に落ちていきます。日本がアメリカ国債の25%を引き出すと世界経済が破綻し、マイト レーヤは出現するでしょう。
彼は日本人ではありませんが、日本語で話すでしょう。彼は、非常に物静かなやり方で話します。彼の最初の控えめな態度に混乱してはなりません。
非常に間もなくマイト レーヤを、テレビで見るでしょう。マイト レーヤは毎日テレビに現れ、質問に答えるでしょう。彼は「匿名」で働いております。
マイト レーヤが公に現れるにつれてUFOが、とてつもない数で姿を表すでしょう。


日本国民はどう対処すればいいのか。

新しい政権は民意を反映し、適切な食糧、住宅の供給、健康管理、教育が最も重要な責任となるでしょう。そして最後に防衛です。
抑制のない成長に基づく現在の経済の終焉を見るでしょう。自由貿易はよくありません。物は需要がある場所で生産されるべきだからです。
民衆の指導者は職業的政治家ではない人々から見つかるのです。国民の意志を裏切ることは、極端な場合、自殺や殺人にまでつながります。(安倍ちゃんサヨナラ笑)

60日本@名無史さん2016/07/02(土) 09:31:15.97
浅野長政は年齢的にも経歴的にも一段上の仕事をまかされてた。
関東・奥州取り次ぎ役を任される=大大名の相手=秀吉直の重役
だが、朋輩意識のせいなのか?
出世した秀吉に可愛げのない態度で接したのであろうか?
その後の関東仕置や秀次事件等で息子幸長共々、
蟄居左遷はおろか改易切腹の怖れまであるほどの不興を買うことになった。
一応の身内筋なのに長政はずっと公家成りもさせてもらえず、
豊臣政権末期は冷遇されていた。
長政に限らず、秀吉の濃尾古参家臣は長浜以降登用の新世代たちに大差をつけられている。

61日本@名無史さん2016/07/02(土) 11:25:30.39
長浜以降登用の新世代たちって例えば誰と誰よ

62日本@名無史さん2016/07/02(土) 14:59:34.89
脇坂、石田、田中、片桐ら近江衆のことを言いたいと思われる

63日本@名無史さん2016/07/02(土) 20:52:20.99
公家成については、秀吉子飼いはしてないし、黒田、蜂須賀らもしてないだろ
そこそこの大名なのに、公家成してないのを子飼いと定義しても良さそう
福島正則も秀吉の親戚なのに、秀吉が死ぬ間際、または死直後まで公家成してないし

64日本@名無史さん2016/07/02(土) 23:35:22.55
>>62
濃尾衆のうち長浜以降初陣したものも含まれる。
清正・正則なども範疇

65日本@名無史さん2016/07/02(土) 23:39:16.63
浅野長政と酒井忠次の扱いがダブってみえる

66日本@名無史さん2016/07/02(土) 23:47:45.05
浅井長政と浅野長政、山田長政の

67日本@名無史さん2016/07/05(火) 18:05:44.31
>>52
長束の嫁は忠勝の妹なんだがw

68日本@名無史さん2016/07/05(火) 23:58:37.09
秀吉以外に使えたことが無い生え抜き大名で、幕末まで大名家として存続した人って加藤嘉明だけじゃないの?

ただ加藤家は父親の代に松平家に使えてたんだよなあ

69日本@名無史さん2016/07/06(水) 18:55:11.59
家来として誰から仕えるかなんて特に問題ではない。
それより秀吉の親族の浅野が残ったのが不思議。
木下くらいの極小ならともかく。

70日本@名無史さん2016/07/06(水) 19:03:48.98
孫が天皇になってなかったか?

71日本@名無史さん2016/07/06(水) 19:26:47.06
異国人襲撃の浪士たちが浅野藩、細川藩に預けられた意味は、日本人にだけ分かった

72日本@名無史さん2016/07/06(水) 20:32:40.24
加藤嘉明って秀吉と家康信雄の戦いで
はじめは信雄についてたよね

73日本@名無史さん2016/07/06(水) 20:41:39.24
すまん間違えた無視して

74日本@名無史さん2016/07/06(水) 21:23:11.92
>>69
しかし豊臣系大名で生き残った家、たとえば池田、山内、蜂須賀、黒田、藤堂、細川らはみんな一度は秀吉以外に仕えているよ

二君に仕えてるってことは、さらに三君(徳川)に仕えることの心理的ハードルは低いわけで、
徳川から見れば彼らが信用できるかはともかく、少なくとも泣く泣く徳川についたわけでもないので、恨みを持たれる怖さは無い

逆に豊臣系で豊臣以外に仕えたことが無い加藤や福島は取り潰されている
小早川とかも
関ヶ原で大功があってもほぼすべての豊臣生え抜きは取り潰されていない?
彼らは二君(徳川)に仕えてしまった悔しさをいつ徳川に向けるか分からないので、
徳川としては抱えたくなかった

そんな解釈もできるのではなかろうか

75日本@名無史さん2016/07/07(木) 09:40:43.49
浅野長政は東国諸大名の取次をやってるうちに家康と碁を打ち合う仲になり、秀次事件でつぶされかかった時に更に家康に接近して豊臣を見限るように…ってパターンじゃないの?

76日本@名無史さん2016/07/07(木) 17:44:16.74
>>74
浅野は織田に仕えたと言っても身分が低すぎて、織田時代はノーカウントって感じ。

77日本@名無史さん2016/07/07(木) 21:56:18.26
>>74
>そんな解釈もできるのではなかろうか
うまいこと言うね。
無嗣断絶以外で潰された外様大名は、やっぱり昔の主家を引きずってて、
徳川からしたら面白くなかったんだろう。

78日本@名無史さん2016/07/09(土) 22:40:54.57
>>68
今真田丸に出てる平野長泰の家は明治政府の高直しで一瞬だけ大名になった

79日本@名無史さん2016/07/26(火) 11:55:23.71
すべて徳川の陰謀

80日本@名無史さん2016/09/20(火) 23:58:28.77
へうげもので寧々に惚れてた家康が抵抗なく受け入れられたんだな
まぁ後の世の事は別の話だけど

81日本@名無史さん2017/08/15(火) 22:32:27.28
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http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/liveetv/1502797690/

82日本@名無史さん2017/08/16(水) 04:07:28.75
戦国くらいまでは「同時に」主君が複数いるとかも当たりまえの時代だったんだが
「同時」じゃなくて「順次」に二君、三君に仕えることを気にする大名なんて1人もいなかったと思うぞ

83日本@名無史さん2018/01/30(火) 16:31:57.34
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84日本@名無史さん2018/07/12(木) 17:26:27.08
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