【阿曇氏】海人族 part2【宗像氏】 [無断転載禁止]©2ch.net

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1日本@名無史さん2016/04/02(土) 22:30:48.59
前スレが落ちてしまったので再び立てます。

謎多き海人族について語るスレ
海人族とは何者だったのか?
天孫族との関係は如何なるものだったのか?

前スレ
【阿曇氏】海人族【宗像氏】
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1317289551/

2日本@名無史さん2016/04/02(土) 22:37:49.37
阿曇氏
海人族の最大勢力。
豊玉媛、玉依姫が天皇家と通婚。
博多の志賀島に綿津見三神を祀る。
志賀島と言えば漢倭奴国王の金印が出土した所。
そのため奴国王の子孫という説もある。

3日本@名無史さん2016/04/02(土) 22:43:40.33
宗像氏
素戔嗚の娘の宗像三女神を祀る。
大和朝廷の九州進出後は、三輪氏同族の宗像氏が統率者となる。
三輪氏は大物主(=大国主とされる)の子孫なので系図上は素戔嗚の子孫。

4日本@名無史さん2016/04/02(土) 22:48:32.92
大和氏(倭直)
神武東征で道案内をした。
東征に参加した地は豊予海峡説(日本書紀)と明石海峡説(古事記)がある。

5日本@名無史さん2016/04/02(土) 22:50:40.94
尾張氏
天皇家同族だが海人族的色彩が強い。
同族の津守氏は住吉大社で住吉三神を祀る。

6日本@名無史さん2016/04/02(土) 22:54:11.28
渡会氏(伊勢国造)
伊勢国の支配者だが磯部の統括者として海人族としての性格も持つ。
神武東征で伊勢を平定し国造に任じられた。

7筑紫倭皇帝2016/04/03(日) 02:24:37.10
また私の説にヒントをえた説が膨れ上がってるな。
よい事だ。

8日本@名無史さん2016/04/03(日) 02:33:34.59
朝鮮人が日本に教えてあげたなどという傲慢な史観は撲滅しましょう
大和に様々な文明を持ち込んだのは古代九州に住んでいた海人(あま)です

和邇と阿直岐は百済に頭を下げて授かった学者ではありません
もっとも偉大な海人である応神天皇が息子の家庭教師として属国の百済に調達させた人材です

倭の五王は九州に本拠地を置いて朝鮮半島を支配した海人の王です
彼らは朝鮮半島で「集団的自衛権」を行使し、時に大和にまで勢力を伸ばし、大和と筑紫の両王権を統合しました

大和政権は自分だけの力で大陸の優れた文物を獲得した訳ではありません
もちろん、優れた朝鮮人が遅れた日本に教えてやったなんて訳がありません
大和に文明を持ち込んだのは筑紫に活動の拠点を置く海人です

海人(アマ)は天(アマ)と同じ
海上交通を制する者が古代日本を制したのです!

9筑紫倭皇帝2016/04/03(日) 13:10:35.37
東アジアの古代の列強は

中国と北朝鮮高句麗と博多湾沿岸にいにしえより都を置いた倭国だけです。

倭国は戦いを得意とする東アジアを代表する強国でした。

南朝鮮韓国は中国、北朝鮮、倭国に挟まれ時代時代により主君を変えた弱小国であり、
元々は博多湾沿岸の倭国の領地です。

南朝鮮から文化が入ったのではありません。
大陸からの文化が倭国に入っただけ。
そして時には本国倭国から朝鮮へ流れたのです。

博多湾沿岸の海洋国家倭国は大和の生みの親であり、南朝鮮、南九州、大和と支配したのです。

後に大和のクーデターで歴史が失われただけであり、
大和の歴史を崇拝する事が必然的に朝鮮から日本へとの間違った流れを生んでしまっているのです。

ですから畿内説は日本の歴史、もしくは東アジアの歴史力関係を間違った方向へ向けてしまった
売国説だという認識を持ち反省すべきなのです。

これからは正しい歴史認識になるようにしていきましょう。

その為に私の説を大いに活用していただき真の歴史を広げましょう。

10大判焼き2016/04/03(日) 21:03:50.87
ちくわがデムパを飛ばすと全うな九州の歴史も風評被害を受ける!

筑紫君(ちくしのきみ)は大和朝廷から事実上独立した九州の倭王
王と呼びたくないから君と書かれた
これは真実!

だが邪馬台国は九州のどこにもない
福岡にあったのは奴国で、それ以上の大きさの国は九州の他のどこへも物理的につくれない
ありのままの九州の歴史を愛さない嘘つきマルポマンちくわ!

11日本@名無史さん2016/04/03(日) 23:57:52.61
高階氏って宗像氏の母を持った高市皇子長屋王の系統なんだな。

12日本@名無史さん2016/04/03(日) 23:58:30.36
どんだけ古いの宗像氏

13日本@名無史さん2016/04/04(月) 00:04:26.20
古代史版反日自虐史観は粉砕されるべきだが、
その裏返しの奇怪な史観も困りものだよね。

天皇家は阿曇氏と通婚してるから最初から海人族を取り込んでた。
九州の支配が順調に進んだのはこの縁を利用したからだろう。
筑紫君は大和朝廷の支配下の単なる地方領主に過ぎない。
ただ本拠地が博多ではなく筑後なのは重要な意味がある。
邪馬台国本国の故地を領有させたからだ。
古くからある説だが、筑後山門は邪馬台国のなれの果て。
門の発音が甲類という問題はあるが、多少早く乙類から変わったと考えておく。

天皇家の日本統一の最後の戦いは筑後山門郡の田油津媛が相手。
天皇家の当主は気長足姫皇后(諡神功)。
最後は女と女の闘い。邪馬台(大和)と邪馬台(山門)の戦い。
どちらが卑弥呼の正統な後継者かを決める戦いだった。
きっと田油津媛は南朝や淀殿の如き人で、
最後まで分家に屈するのを拒否したのだろう。
そして天皇家は邪馬台国本国の最後の末裔を滅ぼして筑紫国造を置いた。

これは若井敏明説が元なんだが、
若井は天皇家が邪馬台国の分家という重大な事に気が付いてないから、
筑紫国造が邪馬台国本国の後継勢力になった事もわからなかった。
筑紫国造が男大迹天皇(諡継体)の時に反乱を起こしたのは、
滅ぼされた邪馬台国本国の代わりに決起したと言ってもいい。
天皇家の日本統一の戦後処理は少し甘かった気がする。

14なんやら2016/04/04(月) 00:48:48.49
>>13
卑弥呼を土蜘蛛の女酋長と一緒にすんなやwwww
仮にも倭国を代表した女だぞwwwwwwwwwww
祖先の地だったら記紀がこんな粗末に扱う訳なかろう!
日向のウガヤフキアエズや出雲の大国主の様に丁重にご先祖を設定するわ
まったくもって不敬罪不敬罪!

大和に充てられた万葉仮名「山常」の「常(ト)」は山の手の「手(テ)」と同じ形態素です
例の剣に刻まれた弖已加利獲居(テヨカリワケ)の「弖(テ)」や「豊(トヨ)」の「ト」と一緒
そして「台与」「豊」は「常世」と同じ音

常世の都、それは日本のビザンティウムこと関門海峡の好古都国に決まっておる
そしてローマは大和こと邪馬台国、瀬戸内海は地中海、そして倭国を構成する各国は古代ギリシャのポリスの様な海上交易都市だ

大陸の西、ローマ帝国がテオドシウス1世の治下、統一時代最後の輝きを放っていたそのころ
東の島国ではどこか似たような帝国がまさに日の出の勢いで隆盛しはじめた

そんな3世紀後半を想像するだけで文字通りロマンチックな気分に浸れるねえ(絶賛ホルホルモード中)

15ふんにゃら2016/04/04(月) 01:45:45.47
進んだギリシャが最終的に遅れたローマに支配される
進んだ筑紫倭国が最終的に遅れた大和日本に支配される
古代オリエント世界をも彷彿とさせる記紀の記さざる古の日本の真実

大和がローマ、豊国がビザンチウムときたら
筑紫はバビロンさながらだ

戦いに明け暮れて領土拡大の末滅び去り、以後は征服されるだけの存在と化した

日本がローマ帝国と異なるところ
それは幾度か分裂状態を経験したものの、決定的な崩壊はついに引き起こされなかったということ
東国はローマでいうところのゲルマニアだが、同じ日本語族の土地であったことが幸いし、完全に同化ができた

さらに筑紫側では百済を失い、支配圏の中心は東にズレ込んだ
人口重心のバランスをとるため首都は東へ持っていかれる

大宝律令で中央集権体制が整い、この時に九州の独立性は死んだ
それから千年ほどして和人が北に入植し始めたので、いよいよ江戸がばりばり最強ナンバーワンと化し、畿内もオワタ

諸行無常!

16筑紫倭皇帝2016/04/04(月) 18:58:04.45
私の説がなければ何も知らなかった輩が後出しジャンケンでうるさくなったものよ。
立場をわきまえよ。後出しジャンケン達よ。

17筑紫倭皇帝2016/04/04(月) 18:59:03.97
東アジアの古代の列強は

中国と北朝鮮高句麗と博多湾沿岸にいにしえより都を置いた倭国だけです。

倭国は戦いを得意とする東アジアを代表する強国でした。

南朝鮮韓国は中国、北朝鮮、倭国に挟まれ時代時代により主君を変えた弱小国であり、
元々は博多湾沿岸の倭国の領地です。

南朝鮮から文化が入ったのではありません。
大陸からの文化が倭国に入っただけ。
そして時には本国倭国から朝鮮へ流れたのです。

博多湾沿岸の海洋国家倭国は大和の生みの親であり、南朝鮮、南九州、大和と支配したのです。

後に大和のクーデターで歴史が失われただけであり、
大和の歴史を崇拝する事が必然的に朝鮮から日本へとの間違った流れを生んでしまっているのです。

ですから畿内説は日本の歴史、もしくは東アジアの歴史力関係を間違った方向へ向けてしまった
売国説だという認識を持ち反省すべきなのです。

これからは正しい歴史認識になるようにしていきましょう。

その為に私の説を大いに活用していただき真の歴史を広げましょう。

18日本@名無史さん2016/04/04(月) 19:10:06.86
ちくわが言うとなんでもうそっぱちに聞こえるわ〜

19筑紫倭皇帝2016/04/04(月) 19:23:55.09
>>16
まあ私は九州スレでも異端児で最初は誰も私の説を信じなかったからな。

しかし、私がいろいろな根拠を述べていくうちに今では最有力説にまでのし上がった。

そうなったとたんどうだ?

後出しジャンケンの野郎のオンパレード。
必死にデマを流し筑紫倭皇帝だけじゃないとか言い出す始末。

私の説が最有力になってから後から名乗る基地外バカが増えたものよ。

もう一度言うが、
私は九州説でも異端児で最初は誰も私の説に同意してなかった。
ところがどうだ。
私が一つずつ根拠を述べ今じゃ最有力候補までになった。

その途端私の説に影響を受けたものが後出しジャンケンで名乗り出る名乗り出る。

ほんと醜いやつらだよ。

20筑紫倭皇帝2016/04/04(月) 19:25:16.47
>>19>>18の私に影響を受けた後出し君へのレスだよ。

21日本@名無史さん2016/04/04(月) 19:59:40.15
うんこちんちん

22日本@名無史さん2016/04/05(火) 17:20:21.59
部落民が!

23日本@名無史さん2016/04/05(火) 22:34:53.58

24日本@名無史さん2016/04/05(火) 22:35:35.63

25日本@名無史さん2016/04/14(木) 22:54:17.34
前スレで
>阿曇族は、長江文明の末裔で、今の中国南部から中華民族に追われた海人の一族で、
>奴国・筑紫国を築くも、ヤマトに滅ぼされて、全国各地に散らばったって感じなんですか?

阿曇氏は初期の天皇家の重臣だよ。天皇家の勢力拡大に乗って日本各地に領地をもらった。
あちこちにある阿曇関連地名はその名残。更に三韓征伐でも大活躍。
明らかに侵略のお先棒を担いだ人たちですねえ。私は朝鮮侵略は大絶賛しますが。

ただ奴国は、邪馬台国(や宗像国)の前に倭国(北九州周辺)の覇権を握ってた国だから、
邪馬台国覇権についての感情が本心でどうだったかは実はわからない。
歴史では天皇家に弓を引くような事はなかったし、まあ忠臣の部類だけどね。
だから思うのだが、もしかしたら卑弥呼(天照大神)と同時代の奴国王は、
卑弥呼の狂信的な信者で、邪馬台国の覇権確立に狂奔してたのかもしれない。

長江流域の文化がどうのという話は弥生人全体の起源の話になっちゃうんで、
特に阿曇氏に限られるものではないだろう。海人族云々というのは、
弥生人の中で漁労民や農耕民や山岳民が分かれてからの話ですね。

26日本@名無史さん2016/05/03(火) 12:05:46.87
>>25
阿曇連氏が、初期の天皇家の重臣?何朝で重臣だったの?
日本各地にもらった領地というのは、何処何処を言っているの?

27日本@名無史さん2016/07/08(金) 11:16:57.48
>>26
阿曇連氏が古代天皇家の重臣というのは、不適切だな。
重臣というと飛鳥時代に大臣・大連に任じられた蘇我氏・物部氏級。
阿曇連氏は、内膳司(天皇の食事の調理を司る)職担当だったから、
天皇家近臣だったろうが、重臣ではなかった。

28名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 14:13:31.18
いろいろな時代の話が錯綜しているんじゃないかな。
もともとは天皇家も海人の一族で、安曇らと近親関係にありそれほど上下の違いではなかったろう。
倭国の中心地である博多湾周辺に広大な領地を持っていたわけだから、有力な王家の一つ。
最終的に某系の氏族になってしまっただけ。

29名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 19:07:02.73
30年前から瞬殺されていた江南詐欺w





【註】(1)一部中国江南地方から西北九州への渡来を考える研究者もいるが(山口1984)
考古学的にこれを支持する証拠はない。

https://www.yumpu.com/xx/document/view/40642374/page-1-page-2-482-




.

30名無しさん@そうだ選挙に行こう! Go to vote!2016/07/10(日) 19:27:19.41
.




長江江南からの渡来を証明する証拠遺跡もその証拠文物も一切ありません。

長江江南から渡来したと言っている考古学者も一人もおりません。

ただのフィクションです。




.

31日本@名無史さん2016/07/11(月) 02:57:18.94
ビブロスからやってきただろ

32日本@名無史さん2016/07/11(月) 06:53:31.83
射精エベンキがはよ死にますように

33日本@名無史さん2016/07/11(月) 13:23:29.43
>>32
あなたプノンペン。

あなた広鼻ブラック。

あなた東南アジア。

あなた遺伝子まっ赤っか。

あなたブタ広鼻。

あなた巨大タラコ唇。

あなた突顎。

あなたクッサイ汚らしい江南原人が祖先の台湾ブタピーノ。

34日本@名無史さん2016/07/11(月) 21:23:41.67
シャベンキ語彙力すくねーな

35日本@名無史さん2016/07/11(月) 22:56:34.47
>>34
あなたルソン。

あなたボルネオ。

あなたミンダナオ。

あなたウンコ色。

あなた赤の遺伝子afb1b3の塊。

あなたブタ便所みたいな顔面。

あなた肥溜めみたいな顔面。

あなた江南ブタ広鼻ハノイロピテクスが祖先の台湾ブタ汚物。

36日本@名無史さん2016/07/11(月) 23:17:29.71

37日本@名無史さん2016/07/12(火) 01:12:21.91
シャベンジット

38日本@名無史さん2016/07/12(火) 02:16:46.89
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

39日本@名無史さん2016/07/12(火) 02:42:51.00
射精エベンキはよしね

40日本@名無史さん2016/07/12(火) 21:10:37.88
>>28
>天皇家も海人の一族で、安曇らと近親関係に・・・・・・・・・・・
天皇家も海人族即ち海洋民?奇矯な発言だが、何が根拠なのかね?
天皇家の出自を物語る天孫降臨神話における始祖ニニギや山幸彦には、
海洋民の行状が何もないんだがね。
海洋民を代表する海幸彦から借りた釣り針を上手に使えない山幸彦は、
どうみても陸上民だ。

>博多湾周辺に広大な領地を持っていたわけだから・・・・・・・・・
何氏のことかね?海洋民は、海上が生活域で農耕民ではないから、
農地?や領地など必要ないのだが。

41日本@名無史さん2016/07/12(火) 22:00:32.77
>>40
ハタ、ワタ/ワダ=海(これ重要)

神武天皇(祖サノの尊(ソサノオ)。また、ホホデミの尊(天火明尊)。、、、素尊)は海部(海部族)を使役し支配する立場に有ったような内容

42日本@名無史さん2016/07/12(火) 22:28:44.02
>>41
宗像(胸形)氏は出雲帝王家(神(カモ)族)の分家、アタカタスを祖とする豪族

アタカタス家の兄媛(えひめ)、多岐津媛命は出雲帝国最後の大国主命(帝王)、ヤチホコの尊に嫁ぎ、
その女の高光媛命(下照媛)は渡来した彦火明尊と結婚なさり天香語山尊を産む。
彦火明尊(ホホデミ)はまた、アタカタス家の末娘(弟媛)、市杵島媛命とも結婚なさって押媛命を産む(押、忍。共に照り輝く(天照)の意味)
天香語山尊(天火明香語山尊)と異母妹の押媛命が結婚なさって
天村雲尊(出雲帝王家の血を色濃く受け継ぐ)を産む。
、、、

43日本@名無史さん2016/07/13(水) 04:00:01.71
射精エベンキ

44日本@名無史さん2016/07/13(水) 04:19:18.42
まあ関西以降はほとんど女海賊の領域だからな

45日本@名無史さん2016/07/13(水) 04:21:29.44
あの古代日本史やらに出てくる話マジか?

天智天皇やら半島あたりとの戦争の話だの?

46日本@名無史さん2016/07/13(水) 08:39:31.18
>>45
「広開土王碑」
*367年・・・百済が倭国に使者を送る。たぶん泣きついてきて助けを請う。
*369年・・・高句麗が百済を進撃。高句麗大敗。援軍として倭国が参加しているかも。
*369年・・・その勢いで倭国は新羅を攻撃。大勝して朝鮮半島南半分を支配下に置く。

47日本@名無史さん2016/07/14(木) 07:56:37.07
朝鮮半島はすぐ隣だから、古代も戦国時代も近代も繰り返し戦争している。
驚くには値しない。

天皇家が海人というのは、姓の天のナントカが海人から来ているという説だね。
天孫降臨も船で渡来してくるし。
初期の倭国の領域は朝鮮半島南岸から九州北岸までの対馬海峡付近。

48日本@名無史さん2016/07/15(金) 21:41:42.70
>>12
出雲帝国分家のアタカタス家、、、後に胸形/宗像?

49日本@名無史さん2016/07/15(金) 21:49:25.47
ハタ、ワタ(ワダ)=海。

八幡様はヤ・ハタの神、、、大海神

ワタナベは海(ワタ)国(な)の民

50日本@名無史さん2016/07/15(金) 22:32:24.63
宗像氏はそんなに古くない気がする。天武天皇からでしょ。古いのは筑紫三家連と多氏のように思う。

51日本@名無史さん2016/07/16(土) 01:45:13.14
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

52日本@名無史さん2016/07/25(月) 01:22:44.46
舞子島古墳群 全国的に特異 阿南沖の群集墳 /徳島
http://mainichi.jp/articles/20160724/ddl/k36/070/308000c

 舞子島は阿南市椿泊町燧岬(ひうちみさき)の東方800メートルにある無人島である。東西1・5キロ、南北0・2キロの狭い島だ。

 舞子島古墳群(阿南市指定文化財)は、島嶼(とうしょ)部に位置する群集墳として全国的に特異な存在である。

 1922(大正11)年5月7日、地元の稲垣武夫氏らによって5基の円墳が発見され、広く知られるようになった。
同年8月には、鳥居龍蔵博士も調査に訪れている。現在、10基の円墳が確認されている。
いずれも島の南西部の海岸線に位置し、高さ25メートルの断崖に開口している古墳もあり、すでに断崖の崩壊によって海没したものもある。
この写真は今年4月9日に撮影したものである。

 10基の円墳は、いずれも10メートル内外の円墳と考えられる。
1号墳は22年の調査では長さ2メートル、幅1・2メートルの羨道(せんどう)部が確認されている。

 私は58(昭和33)年、阿南市文化財保護委員会調査団員として初めて上陸、いくつかの円墳を確認した。
2回目は約30年後、テレビの取材で上陸しようとしたが、密生する低木に阻まれて失敗した。

 橘湾から椿泊湾にかけて弥生時代から有力な海人集団が生活しており、椿町曲(まが)りから銅鐸が出土している。
銅鐸を保有できるほどの財力を持った集団が、6世紀から7世紀にかけて築造したものである。

 参考「阿南市史」第1巻。(徳島民俗学会会長・エッセイスト、湯浅良幸)

53日本@名無史さん2016/07/27(水) 01:18:11.79
弥生時代の遺跡から中国鏡破片 淡路島で初確認
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201607/0009323737.shtml

 兵庫県淡路市舟木(ふなき)の弥生時代後期の山間地集落遺跡「舟木遺跡」で25年前に出土した青銅器が、
中国で製作された中国鏡の破片であることが明らかになった。同市教育委員会が26日発表した。
同時期の遺跡から出土した中国鏡としては兵庫県内4例目で、淡路島内では初。

 島内では近年、南あわじ市の「松帆銅鐸(まつほどうたく)」(弥生時代前期末−中期前半)や、
淡路市の鉄器生産遺跡「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」(弥生時代後期)などの発見が相次ぐ。
研究者は「(中国鏡も)弥生時代における淡路島の重要性を見直す契機の一つとなる」と評価している。

 市教委によると1991年の発掘調査の際に、竪穴住居跡から青銅器4点が出土。
改めて科学分析したところ、4点が接合できることが確認され、中国南部産の材料で製作した「後漢鏡」の一部と判明した。
鏡の中央に位置するひもを通す突起「鈕(ちゅう)」で、穴が開いている。
破片は長辺2・4センチ、短辺1・7センチ、高さ0・9センチ。本体は直径10〜15センチの小型と推測されるという。

 淡路市北淡歴史民俗資料館で開催中の「海人(あま)の島 淡路の歴史」展(9月25日まで)で展示している。(切貫滋巨)

■奈良県立橿原考古学研究所・森岡秀人共同研究員の話

 2世紀前半に製作された中国鏡と想定されるが、一緒に出土した土器の年代をみると、
生産されてから短い期間で淡路島に入ってきたと考えられる。
中国文物が九州以東に流入した時期や広がっていく過程を知る上でも貴重な発見だ。

中国鏡の破片と判明した舟木遺跡出土の青銅器(淡路市教育委員会提供)
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201607/img/b_09323738.jpg
http://www.kobe-np.co.jp/news/bunka/201607/img/b_09323739.jpg

54日本@名無史さん2016/07/30(土) 17:34:33.95
>>49
和田で調べると、苗字が集中している集落は古代の港っぽいのが多いな。
あと、川の畔の集落とか。

渡辺は東日本が多いからいまいりわかりにくい。
でも、岐阜県の美濃加茂市って、かなり古いみたいだな。
かも(加茂)って付いてる地名のところは古代から栄えていたんだろうか。

55日本@名無史さん2016/07/30(土) 17:41:41.84
>>54
渡辺は大阪の渡辺が発祥ではなかったか?
今の天神橋がある辺り

56日本@名無史さん2016/07/30(土) 17:45:39.86
>>50
宗像は新しいよね。
津守ってもっと多いのかと思ってた。
大学の同級生にいたからな。希少苗字だったんだな。

57日本@名無史さん2016/07/30(土) 23:53:37.47
>>50
宗像の名の由来が刺青なのなら相当古い一族になるんじゃないか?

58日本@名無史さん2016/07/31(日) 00:34:33.48
日本遺産認定記念展:古代「海人」の暮らし紹介 江戸〜昭和期の「どんざ」も 淡路 /兵庫
http://mainichi.jp/articles/20160730/ddl/k28/040/479000c

 島内3市が申請した「『古事記』の冒頭を飾る『国生みの島・淡路』〜古代国家を支えた
海人(あま)の営み〜」をテーマにしたストーリーが日本遺産に認定されたのを受け、
淡路市北淡歴史民俗資料館(同市浅野南)で海の民「海人」の営みが育んだ島の歴史を紹介する
記念展示「海人の島 淡路の歴史〜日本遺産とどんざの魅力」が開かれている。【登口修】

 ストーリーでは、天地創造の神話で最初に誕生する淡路島では金属文化をもたらし、
後に塩作りや巧みな航海術で畿内の王権や都の暮らしを支えた海人と呼ばれた海の民の存在があり、
淡路島は古代国家形成期の中枢を支えた海人の歴史を今に伝える島−−としている。

 展示では、先端文化を伝えた弥生時代の海の民▽山間地集落と鉄器文化▽
王権を支えた淡路島の海人▽海人の塩づくり▽海人の暮らし▽律令期の海人の活躍−−などをパネルで紹介。
北淡路の海岸近くの遺跡から出土した製塩土器やイイダコ漁に使われた壺(つぼ)、棒状土錘(どすい)などの漁具、
貴船神社遺跡(同市野島平林)の石敷き製塩炉のレプリカ、五斗長垣内遺跡(同市黒谷)出土の鉄鏃(てつぞく)や
板状鉄斧(てっぷ)、鉄製工具など考古資料約120点を展示。

 「どんざ」は江戸時代〜昭和初期にかけ北淡路地域などの漁師が着用していた衣服で「刺し子のどんざ」と呼ばれる。
防寒や防潮の役目を果たし、漁をする時の仕事着から発展し、やがて寄り合いや町行きのよそいきとして着られるようなった。
よそいきのどんざや何度も継ぎ当てて仕事着として使われたどんざ、綿布を織るのに使われた糸繰機(糸車)などが紹介されている。

 会期は9月25日まで。午前9時〜午後5時、入場料は中学生以上300円、小学生150円。月曜日が休館。

「刺し子のどんざ」を興味深そうに見る女性=兵庫県淡路市浅野南で、登口修撮影
http://cdn.mainichi.jp/vol1/2016/07/30/20160730oog00m010034000p/9.jpg

59日本@名無史さん2016/08/03(水) 19:57:26.42
伽耶・倭国・ヤマトで大和朝廷
高句麗の南下で伽耶の難民が日本へ移住
「伽耶のある部族の王が水鳥の紋章」これが応神天皇?
水鳥の土偶が日本海側で出土
日本海・瀬戸内海の水軍の紋章が水鳥

60日本@名無史さん2016/08/09(火) 15:30:45.78
>>55
それは秀吉に捕まった奴らだろ
秀吉の海賊狩りの時にほとんどの渡辺は東日本に逃げたからな

61日本@名無史さん2016/08/09(火) 20:11:04.06
>>60
たしか、嵯峨源氏の源融の子孫、源綱が大阪の渡辺に住んで、渡辺綱を名乗ったのが渡辺氏のおこりだろ?
それ以外の渡辺氏もいるだろうから、綱の系統がすべてとは思わんけどな

渡辺なんてどう考えてもいろんなとこにありそうな地名だもんな

62日本@名無史さん2016/08/09(火) 22:24:11.27
自称源氏なだけだろ

63日本@名無史さん2016/08/10(水) 00:13:56.17
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

64日本@名無史さん2016/08/26(金) 18:24:54.59
>>63,>>51,>>38
この1ヶ月に同一記事を3度も反復表明する貴殿は、認知症患者だね?

65日本@名無史さん2016/08/26(金) 20:38:19.87
>>62
無知すぎ

66日本@名無史さん2016/08/31(水) 23:51:58.83
海神を祭る民はいくつかの系統があったのではないか?
時代、地域、民族、その他いろいろ。
海神族が時代とともに合従連衡して敵になったり味方になったり。

67日本@名無史さん2016/09/01(木) 01:42:50.93
>>65
日本中の渡辺さんが天皇の血筋だと思ってるの?

68日本@名無史さん2016/09/11(日) 14:40:21.47
>>66
98 :日本@名無史さん:2013/06/14(金) 11:16:37.40
宮本常一氏の研究によれば、三種類の海民が、瀬戸内海にみられるという。(「瀬戸内海文化の系譜」)
第一は、男女共漁をする海民で、北九州から瀬戸内海に移動してきた海民である。
かれらは宗像三神を信仰し、あわびや魚、海草を採取しながら移動する定着性の低い海民であった。
尼崎、海部などの地名が残っているのは、かれらの居住地と推定できる。
第二は、男漁女耕をする海民で、南九州から瀬戸内海に移動してきた海民である。
かれらは大山祇を信仰し、四国側を中心に定着し、後に村上水軍などの海上の武装勢力を形成した。
第三は、半農半漁をする定着民で、瀬戸内海に定着していた在来海民である。
かれらは、住吉の神を祀り、遠浅で磯漁の条件の良いところに居住した。
貝の採集に優れた技能をもっていたかれらは、あわびの採取、交易、製塩などに従事し、供御人などに任ぜられて朝廷との関係を結んだ。

69日本@名無史さん2016/09/11(日) 15:08:28.86
そんなことより女性専用車両は男性差別なんですよね。

70日本@名無史さん2016/09/23(金) 02:41:30.41
宗像大社や住吉大社などの海神族は、
航海の目印となる三連星のオリオン座を祭神としている。

71日本@名無史さん2016/09/23(金) 03:37:05.22
オリオン座の三連星だろ

72日本@名無史さん2016/09/24(土) 01:30:26.07
足上げを取るな!

73日本@名無史さん2016/09/24(土) 02:16:08.43
海神族は日本までたどり着いたら、船でどこにでも行ける。
瀬戸内も四国も美濃もあちこちに海神族の足跡がある。
長野県の安曇野も、海神族が船の材木を求めて糸魚川・千曲川を
遡ったのかもしれない。

74日本@名無史さん2016/09/24(土) 02:46:57.21
>>72
訂正してもらったらありがとうだろ

75日本@名無史さん2016/09/24(土) 14:28:02.04
海神族って宗像から日本海じゃないのか?
古代の関門海峡は通過できなかったらしい。
仲哀のときに掘削したとか。
元の宇佐が内陸の迂回路だったらしいよ。

76日本@名無史さん2016/09/24(土) 19:39:07.70
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

77日本@名無史さん2016/09/25(日) 01:20:13.08
ウガヤフキアエズ命は海神族奴国の綿津見神の娘の豊玉姫を嫁にもらっている。
天皇家と海神族は古代から親戚ではないか?

78日本@名無史さん2016/09/25(日) 13:52:48.12
綿津見の神もイザナギの子供だったとかどこかで読んだ気がします。
まあ、こじつけかもしれませんが、姻戚関係にある豪族であったことは間違いないでしょう。

79日本@名無史さん2016/09/25(日) 23:34:59.07
東海姫氏国在り。
やっぱ海神族はこれでしょ?

80日本@名無史さん2016/09/28(水) 17:21:35.01
周王朝の姫氏か

81日本@名無史さん2016/10/02(日) 21:01:38.01

82日本@名無史さん2016/10/03(月) 09:08:02.32
>>77
親戚どころか、神武の母親も婆さんもワニだからなw

83日本@名無史さん2016/10/06(木) 12:42:14.44
天皇家も古くは天という姓があり天神と呼ばれたが、天(あま)は海人(あま)に由来するという。
海神とは古い親戚。

84日本@名無史さん2016/10/23(日) 02:18:19.42
海と空は、水平線で一体となるから天なのか?
それで、海人族の我らは天から降りてきた天孫降臨なるぞという
神話になったのだろう。
たぶん中国という天から、帆船でわたってきたのだろう。

85日本@名無史さん2016/10/23(日) 02:30:20.28
都から離れることを下ると表現する。
鉄道や道路の上り下りと同じ。

86日本@名無史さん2016/10/23(日) 23:44:45.34
中国の都なのかもしれないな

87日本@名無史さん2016/10/24(月) 00:15:22.81
高天原と筑紫や出雲はそこそこ早く行き来できたようなので、対馬とか、朝鮮半島とか。

88日本@名無史さん2016/10/24(月) 00:48:59.12
朝鮮や対馬に、天というような文化があるはずがない。

89日本@名無史さん2016/10/26(水) 00:07:48.58
>>88
レイシストは学問の敵だ。

90日本@名無史さん2016/10/26(水) 00:59:04.73
あまの世界観は海に関わってないと生まれんだろな

91日本@名無史さん2016/11/11(金) 01:20:24.13
天とはたぶん南京あたりだろう。春秋時代の呉ではないの?

92日本@名無史さん2016/11/16(水) 10:16:03.51
祖母の田舎の淡路島の離れ島の沼島は先祖が海人族だって言ってるんだけど、誰か詳しい人いないですか。

沼島は国産みで最初に出来たオノコロ島の比定地の有力候補で、天御柱のモデルとされる奇石もあります。地元の人は立神さんと呼んでいます。

93日本@名無史さん2016/11/21(月) 10:47:14.53
>>92
海人族で正しい。
何故なら、耕地もなく狩りをするにも狭すぎて海人でないと生きていけない土地だから。

94日本@名無史さん2016/11/21(月) 10:52:42.38
>>51
コピペするだけで読んでないと思うけどw

江南から伝わったのでないと言い切るなら、どこから伝わったのか?
日本に伝えたというその場所には、どこかから伝わってから日本に伝えるまでの
土器や道具の代々の変遷が明らかな遺跡が存在するのか?

95日本@名無史さん2016/11/21(月) 11:14:04.45
>>94
日本の日本史の教科書に書いてあるだろ。

ブタみたいな顔をしたafb1b3たっぷりの遺伝子が真っ赤っかな
クッサイ汚らしい南方蒙古人種の華南ブタが祖先の台湾ブタ。

96日本@名無史さん2016/11/21(月) 16:23:00.82
>>94
荒らしにかまうな

97日本@名無史さん2016/11/21(月) 18:47:33.18
↑自分の書き込みにフォローする変態台湾ブタ顔原人


afb1b3たっぷりたっぷりの、遺伝子真っ赤っかなクッサイ汚らしい
南方モンゴロイド華南ブタが祖先の台湾ブタ顔汚物生命体

98日本@名無史さん2016/11/21(月) 19:47:46.71
おのころ島は博多湾の能古島。
イザナギが最初に征服して奴国を築く基礎となった倭国発祥の地。

99日本@名無史さん2016/12/01(木) 23:39:00.12
呉の姫氏、越王勾践氏、斉の姜氏、箕氏準王の子孫も日本に来ていただろう。
当時は戦乱のシナから、道教の蓬莱山を目指して多くのシナ人が日本に来ていた。

100日本@名無史さん2016/12/02(金) 00:44:56.76
>>99
で、それを証明する証拠遺跡とその証拠土器・石器と、
そんな狂った事を言っている頭のおかしな考古学者の氏名と所属団体は?


台湾ウンコ色ブタ広鼻巨大タラコ唇ブタ顔原人。

101日本@名無史さん2016/12/04(日) 13:28:54.22
>>1
完新世の最温暖期(紀元前4000年頃)、東アジアは対馬海流の恩恵でアムール川流域の高緯度地帯まで
温暖多雨な気候であった
日本列島の縄文人と中国東北部の遼河文明人は日本海を超えてヒスイ、黒曜石などの交易が推定される
しかし、紀元前1100年頃の地球規模の気候変動(寒冷化)に伴って沿海州南岸からの渡来者が山陰地方に集団を形成した
彼らが弥生式土器をもたらした弥生人であり海人族となった
北部九州に進出した海人族は朝鮮半島南部にまで勢力を扶植して稲作技術を獲得した倭人となったのである

102日本@名無史さん2016/12/04(日) 13:45:06.14
朝鮮半島は南北での気候区分よりも東西での気候区分の顕在化は意外と知られていない
黄海側は鴨緑江河口部まで豊かな稲作穀倉地帯である

日本の稲作の原郷は江南でも山東半島でもなく朝鮮半島西部

103日本@名無史さん2016/12/04(日) 18:00:03.07
日本のイネは元来北方品種なので短期間のうちに津軽平野まで伝播しても何ら不思議ではない

これが江南産品種ではない証明

104日本@名無史さん2016/12/04(日) 18:41:23.68
日本に伝わっている農具、特にクワ、エブリといった農具は中国には無いからね。

しかも中国の農具は石刃。

朝鮮南部から伝わったものとしか考えられんの。

ところがこの朝鮮南部から稲作を伝えた連中が朝鮮土器をサッパリ作らない。

この人たちは半島から稲作だけ持ってきただけで半島人じゃない事が分かる訳だ。

じゃあ彼らは何者なのかと考えたとき、彼らが作っていた土器を深く調べてみると
島根あたりが日本最古らしい事が分かってくる。

もっとよく調べてみると、沿海州南部の青銅器時代あたりの土器文化と土器の
文様が一致している事が分かる訳だ。

105日本@名無史さん2016/12/04(日) 22:44:23.88
>>103
東北で米の大量生産が出来るようになるのは
寒さに強い品種が出来た江戸時代から

106日本@名無史さん2016/12/04(日) 23:15:24.28
東北は弥生時代に稲作にも手をつけたが、上手くいかなくてやめたんだよな。
大正昭和においてさえ、食べられない年があったくらい。
稲の北方と言っても、東南アジアに比べてという程度の話。

107日本@名無史さん2016/12/04(日) 23:37:25.29
で、東北が稲作をやめた証拠は?

108日本@名無史さん2016/12/04(日) 23:42:57.30
え?

109日本@名無史さん2016/12/05(月) 10:53:48.40
言っておくが
水稲と陸稲の違いは種の問題ではない
栽培方法の連続性による変異でしかない
水田での稲作は収穫率の増大と連作障害を避けるための知恵

さらに日本のイネの品種の遺伝子の多様性の乏しさはボトルネック効果により
中国人が渡来する以前に朝鮮半島から持ち込まれた短粒種ジャポニカが基層になっているから

110日本@名無史さん2016/12/05(月) 11:18:45.10
朝鮮半島よりも日本の方が遺伝子の多様性が高いんじゃなかったっけ?
だから日本から朝鮮半島に稲作が伝わったと聞いたが?

111日本@名無史さん2016/12/05(月) 11:44:36.95
中国人が渡来定着した事を証明する証拠遺跡もその証拠文物も一切ないし、
そんな狂った事を言っている頭のおかしな考古学者もおりません。

悪しからず。


>>110
だったら朝鮮のイネにもb遺伝子があるはずじゃないのw

それに朝鮮のイネにあって日本のイネにないd、e、f、g、hの5つの遺伝子は
どう説明するの?

112日本@名無史さん2016/12/05(月) 11:56:32.47
単に朝鮮にa〜h全ての遺伝子のイネがあった時代に日本にa、b、cの
3種類のイネが伝わり、その後、朝鮮のイネからb遺伝子が淘汰消滅したという
簡単なトリック。

113日本@名無史さん2016/12/12(月) 20:38:58.93
風媒花の遺伝的多様性がそう簡単に失われるとは考えにくいけどなあ。

114日本@名無史さん2016/12/12(月) 21:06:54.79
とにかく日本の稲作は最古水田に伝わっている農具が中国に無い農具だから
半島なんだよ。

問題なのはその半島から稲作を持ち込んだ連中が朝鮮土器をさっぱり
作らず、半島人ではなかったという事。

115日本@名無史さん2016/12/12(月) 21:18:59.24
朝鮮半島は文化の通り道
いろんな外部の渡来人が文化を運ぶ

116日本@名無史さん2016/12/13(火) 02:31:59.13
沿海州から粟作が伝わった時に同時に伝わった農具を使い続けたんだろ
稲作が初めての穀物作ではないんだから
農具では稲作のルーツは決まらない

117日本@名無史さん2016/12/13(火) 03:09:08.07
最古水田の登場ともに最古農具が登場するんだぜ。

つまり稲作と農具はセットで導入されているとしか考えられないね。

118日本@名無史さん2016/12/13(火) 04:10:15.18
日本における貯蔵米の害虫として最も知られているのがコクゾウムシである
考古学上、コクゾウムシの痕跡が確認される最初の例は縄文晩期のダイズ痕を持つ土器を伴っている

縄文晩期に沿海州南岸から渡来して来た弥生人の当初の栽培穀物は中国東北部からシベリアが原産地である
ダイズ、ソバなどだと考えられる
コクゾウムシはこれらの作物と登場時期が一致するのである

それはダイズ、ソバを栽培穀物としていた早期弥生人が稲作を外部から導入した証明になる
翻せば稲作民が弥生人となったのではなく弥生人が稲作を導入したということだ

119日本@名無史さん2016/12/13(火) 11:55:57.72
>>117
稲作以前は道具無しで農業してたのかよ

120日本@名無史さん2016/12/13(火) 12:20:13.89
稲作以前の農業の証拠は?

121日本@名無史さん2016/12/14(水) 10:56:49.89
水稲の栽培には、暦や灌漑などの技術も必要である。
これらは初期の王統と同時に成立した、いや輸入された。
暦を司り、土木治水に腐心するのは王またはそれに並ぶ指導者の役割である。

122日本@名無史さん2016/12/14(水) 11:51:37.38
弥生人は半島に頻繁に行ってたみたいだから、行くたびに稲作のみならず、
あらゆる先進技術が蓄積していった思われ。

ただ半島の先進文化や先進技術を取り入れた人たちはいつも朝鮮土器は
さっぱり作ってくれないが。

123日本@名無史さん2016/12/23(金) 23:39:22.66
日本神道は

124日本@名無史さん2016/12/23(金) 23:41:28.44
日本神道は弥生人が沿海州から持ち込んだ信仰だろうか?

125日本@名無史さん2016/12/25(日) 16:26:13.15
糞ジャップ共は全員津波に飲み込まれて死ね!!!!!!!!!!!!!!
ジャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアップwwwwwwwwwwwwwwwwww

劣等人種ジャップについて語りたい場合は

http://hanabi.2ch.net/ogame/

126日本@名無史さん2016/12/31(土) 05:50:00.06
>>1
沖縄県には、21世紀現在でも海人が棲息?
【社会】この海に基地いらぬ…悩む海人、オスプレイ事故が変えた [無断転載禁止]©2ch.net
daily.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1482877526/

127日本@名無史さん2017/01/08(日) 17:01:48.19
>>114
半島南部は倭人の国という古代中国の史記の記述から見れば、半島で稲作を
していたのは倭人であり、道具は沿海州や東北部(旧満州)からの影響を受けている。
水稲稲作が満州から伝わったとは考えにくいことから、半島南部と九州北部にいた
倭人が取りに行ったとしか考えられんね。

朝鮮の墓制も伝わっているけど、埋葬されているのは縄文人だ。
朝鮮は古い人骨はあまり出ていない。
それ以前に、縄文中期にあたる時期までは遺跡がほとんどない。
白頭山の噴火で絶滅したという説もあるが、はっきりは不明だがとにかく遺跡がない。
九州は喜界カルデラで絶滅という説もあるが、その後も遺跡があることから
無人だったわけではない。

人間がほとんどいない朝鮮半島から「大量の移民」がやってこれるはずもない。
縄文中期に日本列島ではすでに初期農耕が行われている。各地の遺跡から
栽培植物が出て来る。ゴマにひょうたんにその他遠来のものばかりだ。
遺伝子調査で、縄文人と弥生人は大きく違うという結果が報告されることがあるが、
調査の対象は、東日本の縄文人ばかりだ。
おそらくは、縄文中期には西日本には東とは違う遺伝子を持った縄文人がおり、
マダガスカルへ行った人々の先祖とそう違わない時代に日本へやって来たのだろう。
彼らが元の縄文人に溶け込み、初期の農耕と漁労・狩猟採集をしながら海を行き来
していたのだろう。広域の石器やアクセサリーの交流からうかがえる。

128日本@名無史さん2017/01/08(日) 20:11:52.39
>>127
おまえ詐欺はやめろよ。

朝鮮半島に人が居ないのに何で朝鮮半島から朝鮮土器が出土するんだよ?

しかも時代毎にその土器もしっかり変遷していってるんだぜ。

政治思想からおかしな狂言を働かないでもらいたい。

新町遺跡は北方モンゴロイド形質を帯びた人骨が出土してるし、朝鮮の墓なんだが、
縄文人骨の人たちも北方モンゴロイド形質の人骨の人たちも朝鮮土器を
さっぱり作らないという点から縄文人骨の人たちはもちろん、北方モンゴロイド形質の
人骨の人たちも半島人ではないと考えられるんだよ。

で、農具が沿海州や満州の影響を受けたというソースは?

人が居ないのに

129日本@名無史さん2017/04/14(金) 20:22:50.48
>>118
>縄文晩期に沿海州南岸から渡来して来た弥生人・・・・・・・・
弥生人には、沿海州南岸出身と中国江南地方原住民と朝鮮半島南岸出身の
3系統いたという説なの?
沿海州南岸というのは、現在地名でどの辺りのことなの?

130日本@名無史さん2017/04/15(土) 00:29:26.02
>>129
江南とか、バカ?

131日本@名無史さん2017/04/15(土) 03:00:05.97
>>129
ウラジオストクあたりだよ。
実際にウラジオストクから出土した黒曜石のほとんどが男鹿産か隠岐産だったことが確定してる
縄文晩期に裏日本と沿海州南岸で交流があった事は事実だよ

132日本@名無史さん2017/04/15(土) 03:25:14.46
DNAの観点からでも東日本と沿海州はほぼ同じだから
少なくとも東日本の弥生人のほとんどは沿海州出身で間違いない

133日本@名無史さん2017/04/15(土) 16:01:49.46
宗像王家は出雲帝国の第6代オオナムチ(主王)八束水臣命(北陸から九州まで飛躍的に出雲帝国の領有地を拡げた英雄)の御子のカタアタス命が分家して建てたらしい。

因みに、神話の大国主命は概ね第8代オオナムチ(主王)の八千矛命。(荒び祟り為す大国主神。にはちゃんと理由(無念な非業の死にざ)が有りました)

134日本@名無史さん2017/04/17(月) 09:37:26.24
黒曜石が隠岐産だけなら朝鮮東岸経由で入ったものと考えるけど、
男鹿産があるという事は日本海を縦断して直接行き来してるよね。

やっぱり日本海縦断交易はあったんだろう。

135日本@名無史さん2017/04/19(水) 19:36:58.74
ていうか、弥生時代は対馬海峡から続く日本海航路が列島の最大の交易路だったんだよ。
倭国を構成するのは、西から筑紫、出雲、丹波、近江、越など。
後に瀬戸内海航路も開発された。

136日本@名無史さん2017/04/20(木) 02:03:28.11
要するに、弥生時代までは裏日本が表日本で、表日本が裏日本だったって事だね。

137日本@名無史さん2017/04/20(木) 08:25:38.53
水運が交易の主力で、交易相手が半島と大陸で、関門海峡がまだ通れなかったなら、必然的に対馬海峡を抑えた勢力が最も有利になる。
それが天津国と呼ばれた原初の倭国であり、天とは海人の意味だと言われている。

138日本@名無史さん2017/04/22(土) 12:25:24.99
>>136
京都新聞社2003年刊「京都の地名を歩く」説では、その旧表日本側の
京丹後市網野町の地名「網野」は、漁撈従事者「海人(アマ)」の
棲んだ地域「海部(アマ)」由来とある。
アマ-->アミノと音韻変化するものなのかな?

139日本@名無史さん2017/04/22(土) 13:29:54.04
アマノからならあり得るかもしれない。
音節が省略されて短くなっていくのが普通。

140日本@名無史さん2017/04/22(土) 15:27:27.83
>>136
水運は江戸中期まで
太平洋航路は操船が難しいので
船の発達までは海賊の天下

141日本@名無史さん2017/04/23(日) 00:48:40.94
弥生人自体、沿海州から来た海賊集団だしな。

中国地方から九州北部にかけては海賊の名残が多いし。

村上海軍やら、倭寇なんて弥生人の子孫丸出し。

142日本@名無史さん2017/04/25(火) 20:31:46.31
90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?

95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です



この衝撃的な失言を落とすために
スレ乱立して板操作しておりますですよ

143日本@名無史さん2017/07/26(水) 09:30:45.51
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144日本@名無史さん2018/01/30(火) 16:45:49.23
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145日本@名無史さん2018/03/05(月) 16:41:01.45
>>128
朝鮮半島は、約1万年前〜5000年前あたりまで遺跡が非常に少ない。
127氏が書いた白頭山の噴火は、多分鬱陵島の噴火の書き間違いだろ。
鬱陵島は約1万年前に大規模な噴火をしてる。
日本にも火山灰が来ている。

146日本@名無史さん2018/03/24(土) 12:53:14.56
>>2
阿曇族の奉じる志我神が、景行天皇の氏祖神でもあるのか?
505日本@名無史さん2017/09/02(土) 21:52:36.17
>>362
『景行天皇紀』に、以下記事がある。
土蜘蛛討伐九州親征時に抵抗に遇い加護祈願した
志我神、直入物部神、直入中臣神の名々からすると
先頭の志我神が、景行天皇の氏祖神ということか?
物部氏とは何者??
http://lavender.2ch.net/test/read.cgi/history/1387450390/362-505

147日本@名無史さん2018/03/24(土) 13:53:24.70
物部は武勇の神として挙げたのでは?
中臣はわからん。後世にねじ込んだのではないか?

148日本@名無史さん2018/05/14(月) 15:53:10.89
>>5
津守氏は対馬ね。
豆酘湾ね。

149日本@名無史さん2018/05/14(月) 15:54:40.30
>>55
うむ。渡辺橋。朝日新聞大阪本社のあるとこ。

150日本@名無史さん2018/07/12(木) 15:36:44.97
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

Z67

151日本@名無史さん2018/09/11(火) 05:38:23.54
>>136
>弥生時代までは裏日本が表日本・・・・・・・・・
弥生時代までどころかペリー来航江戸幕末期まで、
現在の裏日本が表日本だったんだが。

152日本@名無史さん2018/09/11(火) 08:20:46.15
家康の江戸開闢からは東海道が整備された。
武田信玄とかがいた戦国時代までじゃないか?

153日本@名無史さん2018/09/11(火) 09:17:28.67
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

154日本@名無史さん2018/11/16(金) 05:30:56.33
>>151
伊勢。熱田。鹿島香取。宇佐。

神宮ライン
栄えてたやん

155日本@名無史さん2018/11/16(金) 06:59:25.88
>>154

「忌部はん」 拓殖ルートだよ。  @阿波

156日本@名無史さん2018/11/16(金) 08:18:25.19
>>154
それは古墳時代に入ってからだろ。
縄文弥生は圧倒的に環日本海交流圏が栄えていた。
越、出雲、筑紫ラインだよ。

157日本@名無史さん2018/11/16(金) 08:22:42.95
>>156
>縄文弥生は圧倒的に環日本海交流圏が栄えていた。
>越、出雲、筑紫ラインだよ。


だから、北陸忌部・出雲忌部・筑紫忌部 と、何度言えばw  @阿波

158日本@名無史さん2018/11/16(金) 13:20:40.78
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

159日本@名無史さん2018/11/28(水) 15:44:21.21
>>156
神武東征にも出てコンが

160日本@名無史さん2018/11/28(水) 17:25:08.83
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

161日本@名無史さん2018/12/03(月) 13:23:58.21
>>159
その頃から瀬戸内の開拓が進んだのだろう。

162日本@名無史さん2018/12/04(火) 03:36:57.84
古さで言えば
安曇>宗像>住吉かな?
文化圏が違うが最古は隼人?

163日本@名無史さん2018/12/04(火) 11:08:39.10
隼人は起源が明確だからやや後。

164日本@名無史さん2018/12/04(火) 12:48:22.99
隼人の起源って?

165日本@名無史さん2018/12/04(火) 13:13:54.89
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

166日本@名無史さん2018/12/04(火) 19:00:52.56
>>164
隼人は海幸彦(ホデリ)が祖とされている。

倭国の王都であった筑紫の日向(福岡県伊都)を追われて投馬(宮崎県都萬)に下った天孫族の分家だろうね。

ちなみに隼人が文献に頻出するのは奈良時代。

167日本@名無史さん2018/12/04(火) 23:11:40.83
>>166
熊襲より更に南だから認知されるのが遅かっただけで海人族としては最古だと思うが

168日本@名無史さん2018/12/04(火) 23:36:18.90
隼人ごとに文化が違うんだから
土着の最古の海人族と北九州から南下したグループはもともと別のものだったんじゃない?
それを朝廷がまとめて隼人と総称しちゃったんでしょう

169日本@名無史さん2018/12/04(火) 23:42:10.61
横からだけど、土着隼人と南に逃亡した海人族は共に縄文文化が色濃いから融和したと考えられる気がする

170日本@名無史さん2018/12/05(水) 02:26:56.31
鹿児島に日本で唯一太伯を祭る神社があるから
南に逃亡した海人族こそ邪馬台国人かもしれない

171日本@名無史さん2018/12/05(水) 02:52:13.39
>>170
それデマやで
現地に行って確認済
その代り200メートル北東に「卑弥呼神社」があるで

1721712018/12/05(水) 05:35:19.11
分かってると思うが、↑の卑弥呼神社はネタなので本気にしないように
一応念のため

卑弥呼神社の由緒
https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/01/49/c0011649_23533877.jpg

卑弥呼神社の由来
https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/01/49/c0011649_23525511.jpg

卑弥呼の像
https://pds.exblog.jp/pds/1/201407/02/49/c0011649_012741.jpg

173日本@名無史さん2018/12/05(水) 06:52:34.01
>>172
真面目か(笑)

174日本@名無史さん2018/12/05(水) 07:37:59.05
>>169
隼人のどこに縄文の痕跡があるんだよ。
古そうなものはなんでも縄文と呼ぶのは思考停止だぞ。
銅矛で博多湾を攻めたイザナギの夜叉孫にあたる海幸彦の末裔なら、思いっきり弥生文化の担い手だろ。

175日本@名無史さん2018/12/05(水) 10:18:59.90
弥生人⇔渡来人 の対比を 縄文人⇔弥生人 と勘違いしてる人が多いよね

176日本@名無史さん2018/12/05(水) 12:27:42.62
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

177日本@名無史さん2018/12/05(水) 14:01:35.49
弥生人=渡来人って近隣諸国条項が規定された頃の教科書で学んだ世代の思い込み

178日本@名無史さん2018/12/05(水) 16:17:40.01
いや、そんな事書いてる教科書なんかどの世代でもないだろ

179日本@名無史さん2018/12/05(水) 16:43:26.67
でも弥生人は渡来してきたんだよね。

180日本@名無史さん2018/12/05(水) 16:48:53.02
でないと、日本人が一重まぶたにならねえじゃんw

181日本@名無史さん2018/12/05(水) 20:00:02.35
渡来系弥生人は圧倒的少数
そもそもNHKが流布した骨格敵特徴の標準モデルがウソだったとNHKも認めてるし
今のDNA研究では生活形態の変化による骨格変形が大半で、一部に縄文系弥生人型、混血系弥生人型、渡来系弥生人型と「思われる」人骨があるってだけ

182日本@名無史さん2018/12/05(水) 20:06:27.49
>>180
一重まぶたはX染色体からの優性遺伝
そもそも骨格からまぶたの特徴を割り出すことは不可能で、縄文人=二重、弥生人=一重は完全なデマ

183日本@名無史さん2018/12/06(木) 02:49:32.83
一重まぶたって地域差大きくない?
15年ほど転勤族やってたが、大阪と福岡は妙に単が多かった印象
そして不思議と大阪も福岡も北東部に多かった

184日本@名無史さん2018/12/06(木) 06:30:34.91
>>182
逆だよw
母系からの劣性遺伝

大阪や福岡の北部は戦後引揚者に紛れた密入国者や在留朝鮮人が多いと言われてるからだろう

185日本@名無史さん2018/12/06(木) 07:15:37.03
そもそも現在の朝鮮・韓国人と縄文晩期に朝鮮半島に住んでた人種は違うだろ
バイカル湖以西が起源とされる現在の朝鮮・韓国人を基準に想像するから渡来系弥生人が一重にされてるだけで
バイカル湖以東が起源とされるアイヌや黄河系、揚子江系はゴリッゴリの二重

186日本@名無史さん2018/12/06(木) 08:53:39.89
海人族は朝鮮系なんか?

187日本@名無史さん2018/12/06(木) 10:00:14.55
>>185
前々から疑問でしょうがないんだけど
現生日本人に70%近く継承されてる"縄文人"の遺伝的形質はインド西部からチベットまでに多く残ってて、シベリア東部にはわずかしか残ってない。
なのに縄文人は北方由来って説ばかりが取り上げられる。

そして現生日本人に30%以上継承されてる"弥生人"の遺伝的形質は主に湖南省や江蘇省に残ってるのに、これらの形質を持った種が何故か朝鮮半島経由で渡ったことになってる。
ちなみに"弥生人"の形質は現生韓国人には引き継がれていない。

何が何でもモンゴル由来や朝鮮由来にしたいバイアスが掛かってるとしか思えない。

海人族は普通に考えて航海技術を持ち、かつ縄文人形質を多く引き継いでるインド・ポリネシア系が起源だと思うわ。

188日本@名無史さん2018/12/06(木) 22:30:29.83
>>187
俺も海人族は縄文文化だと思ってる

189日本@名無史さん2018/12/06(木) 22:32:15.29
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

190日本@名無史さん2018/12/06(木) 22:42:08.24
>>187
縄文人の祖先たる旧石器人がもたらした石器はどこが起源の石器であったか?


なぜ弥生時代は朝鮮土器で幕開けせず、沿海州南部と文様の特徴が一致する土器で幕開けするのか?


中国なんて何も関係ない。

もっと勉強しろよ小学生レヴェルのおまえ。

191日本@名無史さん2018/12/06(木) 22:45:54.13
>>190
お前はレスのマナーを学ばないとな
大人なら

192日本@名無史さん2018/12/06(木) 22:54:14.66
>>191
おまえはサギデマをやめないとな。

華南系中国人の小学生のチミw

193日本@名無史さん2018/12/06(木) 23:20:15.56
樺太ルートと朝鮮ルートと沖縄ルートがあるのに縄文人を一種類だと思い込むのはよくないなあ

194日本@名無史さん2018/12/06(木) 23:31:58.83
九州以北には沖縄ルートの遺構はないがな。

195日本@名無史さん2018/12/07(金) 03:48:12.98
3ルート共に海人族って事はあり得ないし
3ルート共にバイカル湖由来って事もあり得ない

196日本@名無史さん2018/12/07(金) 04:26:58.58
>>192
思い込みが激しすぎると前が見えなくなるぞ

197日本@名無史さん2018/12/07(金) 14:39:36.96
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

198日本@名無史さん2018/12/07(金) 17:19:52.03
>>190
一致はしてないかな
類似性があるってだけ

199日本@名無史さん2018/12/19(水) 13:20:09.15
>>156
鬼頭推計では、山陰は一貫して人口過疎だがな。

200日本@名無史さん2018/12/19(水) 13:36:58.31
>>188
海人族は、縄文人と混合した南方O1a系種族。
この海人族は縄文草創期に南九州へやってきて、縄文早期までに西日本に広がった。
西日本は、在来縄文人とこの南方系O1a系種族との混合文化。
博多の安曇族のベースは、そのO1a系の可能性が大きい。

201日本@名無史さん2018/12/19(水) 16:28:03.45
>>199
馬鹿げている。
大陸半島との海運による交易が盛んだった時代、山陰は有利だろ。

202日本@名無史さん2018/12/19(水) 16:28:55.60
>>200
安曇族はもっと新しいだろ。
彼らは弥生系だと思うよ。

203日本@名無史さん2018/12/19(水) 17:53:51.31
>>201
やよいじた

204日本@名無史さん2018/12/19(水) 17:58:35.21
どうした?

205日本@名無史さん2018/12/19(水) 17:58:38.29
縄文晩期    弥生時代(西暦200年)
山陰 1千人     1.8万人
山陽 1千人     4.9万人
北九州 3千人    4.1万人

206日本@名無史さん2018/12/19(水) 18:07:04.50
>>202
1万年前には、済州島へ縄文人が渡っていた。
また7600年前からは、蔚山や金海で縄文人の遺跡がみられる。
この縄文人たちは、南九州から北上した者たちで、博多あたりはこの縄文人の拠点だったとみられる。
彼らは、さらに北上して出雲や丹後などへも進出した。

207日本@名無史さん2018/12/19(水) 19:53:36.91
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

208日本@名無史さん2019/05/08(水) 03:36:26.76
あげ

209日本@名無史さん2019/05/15(水) 14:31:02.71
過疎らせるには惜しいスレ

210日本@名無史さん2019/05/15(水) 17:30:25.17
天津神が海人の神のことなら、海人族は天皇家の祖を含む倭王家そのもの。
もちろん正当な金印の所有者でもある。
その頭領の一人がアマテラス(海を照らす=支配する)。

211日本@名無史さん2019/05/15(水) 17:41:44.29
>>210
残念ながら古代の海はアマではなくワタなんだよなぁ
海や海人をアマと呼称するのは七世紀になってから

212日本@名無史さん2019/05/15(水) 18:10:46.70
なんでも7世紀にするなよ。
それ以前の文献がないだけだろ。
では天津神と国津神の対比は何を意味するんだ?

213日本@名無史さん2019/05/15(水) 18:15:10.24
>>212
天津神=農耕縄文人
国津神=狩猟縄文人

214日本@名無史さん2019/05/15(水) 18:17:59.64
国津神の大国主は秋に収穫の祭りをするから、明らかに農耕民。
スサノオは新羅から種や苗木を持ち込んで農業を広めた神として知られる。

215日本@名無史さん2019/05/15(水) 18:28:09.28
>>214
スサノヲは天津神
オオクニヌシはその六代孫
整合性は取れてるじゃないか

216日本@名無史さん2019/05/15(水) 18:33:48.47
スサノオから大国主までは国津神だよ。

217日本@名無史さん2019/05/15(水) 19:13:06.47
>>216
なにその瞬間的に分かるウソ

218日本@名無史さん2019/05/15(水) 19:50:30.46
大国主 wikiより引用

大国主神(おおくにぬしのかみ)は、日本神話に登場する神。
国津神の代表的な神で、国津神の主宰神とされる。出雲大社・大神神社の祭神。

219日本@名無史さん2019/05/15(水) 20:06:41.62
>>218
スサノオは天津神でオオクニヌシはその六代孫とも書いてあるだろ

220日本@名無史さん2019/05/15(水) 20:17:41.18
高天原を追放されたから、国津神の扱いになったんだろうね。
大事なのはそこではなく、国津神が農業の神で、その豊葦原中国(稲穂が生い茂る豊かな国)を海人アマテラスが狙ったということ。

221日本@名無史さん2019/05/15(水) 20:35:24.14
>>220
お前の妄想だろマヌケ

222日本@名無史さん2019/05/16(木) 08:33:41.14
天津神=農耕縄文人
国津神=狩猟縄文人

223日本@名無史さん2019/05/16(木) 09:11:52.65
それこそ妄想

224日本@名無史さん2019/05/16(木) 09:58:48.16
天津神=出戻り縄文人
国津神=棲み着き縄文人

225日本@名無史さん2019/05/16(木) 11:18:06.61
天津神=対馬海峡の海洋氏族
国津神=九州、本州の縄文系および弥生系の全て

226日本@名無史さん2019/05/16(木) 11:23:05.66
>>225
それはないわ〜

227日本@名無史さん2019/05/16(木) 12:02:59.51
安曇族は何で一族郎党みんな長野に移住したん?

228日本@名無史さん2019/05/16(木) 12:10:49.32
>>226
邇邇藝が妻の浮気を疑った時のセリフを読むに、天孫族以外のほとんどを国津神と総称しているように読める。

229日本@名無史さん2019/05/16(木) 12:11:30.68
>>227
全部ではなく、九州から本州はのよくある播種の一部でしょ。

230日本@名無史さん2019/05/16(木) 12:14:18.72
>>229
筑紫に安曇だけが残ってないやん

231日本@名無史さん2019/05/16(木) 12:33:47.82
天孫族だって残らずに大和に引っ越しているから、同じことかと。
九州から本州への何波にもわたる植民があったんだよ。
だから博多湾沿岸の稲作が全国に広まった。

232日本@名無史さん2019/05/16(木) 12:55:23.96
>>231
ほ〜ん

233日本@名無史さん2019/05/17(金) 00:00:01.48
疑問として残るのは本流である安曇が一人残らず移民したとするならば傍流である住吉はなぜ残ったのか
ワタツミ信仰自体も安曇から奪ったように見える
また安曇が長野に閉じ篭もったのに対して住吉は全国に分散している

234日本@名無史さん2019/05/17(金) 02:53:17.18
日本書紀では安曇の始祖である大浜宿禰が全海人族の統率者となったと記されてるのに、その後の没落っぷり・・・

235日本@名無史さん2019/05/17(金) 10:08:46.50
もともと分家がたくさんあり、住吉はその中でも宗家として君臨し続けたのだろう。
没落した分家は無数にあるはず。

236日本@名無史さん2019/05/17(金) 10:48:35.69
>>235
文盲過ぎて話にならん

237日本@名無史さん2019/05/17(金) 19:46:58.61
安曇を乗っ取った住吉は元々河漁や河川水運の元締め
住吉神社の原社は那珂川中流域に残る現人神社なんだよな
上の方で海に該当する古倭語はワタだって説を挙げた人がいたが、当時のアマは水辺ってニュアンスだったのだと思われ

238日本@名無史さん2019/05/18(土) 03:30:16.15
>>234
膳氏(高橋氏)との闘争に負けたからなあ。

239日本@名無史さん2019/05/18(土) 03:36:19.03
>>234
ところで、その大浜宿祢は博多安曇氏とどんな関係なん。

240日本@名無史さん2019/05/18(土) 09:26:48.34
>>239
文盲か?安曇の始祖と書いてあるやんけ

241日本@名無史さん2019/05/18(土) 15:21:12.31
>>239
そもそも博多安曇氏ってなんやねん

242日本@名無史さん2019/05/18(土) 15:59:56.11
アマとワタの違いがよくわからないな。
アマテラスと大国主
天津神と国津神
ワダツミと大山祇
海幸と山幸
だいたい陸海がセットだから、言い換えに過ぎないと思うけどね。

243日本@名無史さん2019/05/18(土) 16:23:05.77
>>237
当時のアマは水辺ってニュアンスだったのだと思われ
じゃなくて
当時のワタは水辺ってニュアンスだったのだと思われ
じゃない?

ワタがどういう経緯でアマと変化したのかも興味深い

244日本@名無史さん2019/05/18(土) 16:43:58.62
高天原が海の向こうの都なら、ワタが博多湾の水辺のイメージだな。

245日本@名無史さん2019/05/18(土) 16:45:44.40
>>244
高天原が海の向こうの都とかありえんだろ

246日本@名無史さん2019/05/18(土) 16:46:42.46
>>244
キムチ臭い話しようとしてるならどっか行って
ここは日本史板だからさ

247日本@名無史さん2019/05/18(土) 16:52:07.61
海の向こうといっても、せいぜい沖ノ島か対馬だと思うけどね。
神代の地理的スケールはその程度。

248日本@名無史さん2019/05/18(土) 16:53:14.07
>>247
沖ノ島は100%違う
あそこは人が住んだ痕跡は一切ない

249日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:01:46.17
王族だけいたのかも。
数棟だけ宮があったとしても、痕跡なんて残らなかったろう。
沖ノ島がなぜ長期にわたり大規模な祭祀の場となったのか。
宗像三女神を敬うように神勅を下したのは誰だったかな?

250日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:03:31.69
>>249
アホかよwww
住居の痕跡や生活の痕跡は見つかってないんだって(笑)
沖ノ島は祭祀の対象である聖域

251日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:08:08.45
沖ノ島は海路の目印にされなかったくらい秘匿された島
宗像の氏族以外には知られたくなかったんだろうな

252日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:08:15.90
海人族といっても複数の氏族があっただろうに、その中でも実は海人族とは書かれない天津神こそ、海人の頂点に君臨した王家なんだろうと。
海路を照らす(支配する)王がアマテラス。
ちなみに猿田彦は海と陸を照らす神として登場するが、宗像三女神に守護された天孫に道を譲り、筑紫までの道案内をしたとある。
猿田彦は博多湾沿岸の実力者と考えられる。
では天孫はどこからどこへ移動したのか。
沖ノ島から福岡へではないのか。

253日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:09:09.66
>>250
だからさ、なぜ沖ノ島を祭ったのかという問題だよ。

254日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:10:17.53
>>252
天のアマと海のアマは同音じゃないって知らないのかな?

255日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:10:59.07
>>253
は?

256日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:12:42.07
天孫系がこぞって海人系と婚姻するのは同族ではない傍証

257日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:15:00.52
>>252
だから住居跡も生活痕もない島なんだから妄想はそのへんにしときなよ。
そもそも真水が出ない島なんだから高天原である可能性はゼロ
まだ対馬のほうが住める島って点でワンチャンあるレベル

258日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:15:29.69
海人族にもいろいろあっただけのこと。

259日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:16:43.02
ここで淤能碁呂島伝説の残る博多湾内の有人島 能古島を高天原の候補地としてぶっ込んでみる

260日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:17:17.83
>>258
なんか伊都チョンくせぇなオマエ

261日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:17:28.41
>>257
対馬説もあるけどさ、魏志倭人伝での扱いが低すぎるのが違和感がある。

262日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:18:41.20
>>261
うん、だって高天原は島じゃないもん

263日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:18:53.64
>>259
高天原からやってきて能古島を作った(国土とした=征服した)から、ニアミスかと。

264日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:19:15.73
>>262
ではどこか?

265日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:19:49.25
なんだチョンかよ・・・
かいさーん

266日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:21:01.04
高=高貴な
天=海の
原=集落(バル)

海上の島ですね。

267日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:21:37.18
>>264
高天原が実在した場所だと考えてるのって学会でも市井でもごく僅かだと思うんだが

268日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:22:57.97
>>265
半島まで行ったら行き過ぎ。
後漢書において、倭は半島南岸から九州北岸まで。
魏志倭人伝では、半島南岸の狗邪韓国は寒村あつかい。

269日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:24:23.89
>>266
現代カタカナで天も海もアマと表記されるだけで、全くの別物
君の思考はチョンコが現代朝鮮語で万葉集が読めるとか言い出すのと同じ
学術的ではない感情(願望)論

270日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:24:48.21
よくわからないものはなんでも非実在で済ませるのは、悪いくせだ。
記紀はかなり具体的に高天原との往来を描いている。
ただ単にその場所がわからなくなったか、隠したかったか。

271日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:27:27.09
>>269
日本人は掛詞とか好きだからね。
その程度の音韻の差は意味があるとは思えない。
まして、もともとは漢字がなかった時代の伝承だしね。

272日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:29:31.96
天はアマとも読めるがアメとも読めるがワタとは読まない
海はワタないしアマであり、アメとは読まない
これが現代考古学上で天と海が別音であるという傍証になっている

詳しくは上代日本語を調べてみると良い

273日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:30:45.53
こっちにもチョンコが来てんのか?

274日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:32:22.00
天津神と国津神は、海幸と山幸のように、海と陸を意味しているのだろう。
アマに天という字を後世になり当てただけと考えられる。
そう考えると、天津神、天照、高天原のアマはすべて海人または海のことだとして一貫して説明がつく。

275日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:33:25.35
>>273
半島は関係ない。
黙ってろ。

276日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:33:50.64
>>274
強情すぎて話にならない

277日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:34:13.21
糸クズくん?

278日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:34:28.88
>>272
それは後世の訛りに過ぎない。
上古よりさらに前の音韻を反映しているという根拠にならない。

279日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:34:55.95
>>276
代わりの合理的な説明をどうぞ。

280日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:37:48.24
天から降りてくる神と海を渡ってくる来訪神は別物
これは世界中の神話に共通すること

281日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:38:49.06
>>278
それはお前の思い込み
願望でしかない

282日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:38:50.84
もともとアマとワタという二つの語があった。
(使い分けは不詳)
そのうちアマにだけ天の意味が付加されてアメという音の変化があり、同時に天の文字が当てられた。
これで説明できる。

283日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:39:40.84
>>278
文盲なの?
> 天はアマとも読めるがアメとも読めるがワタとは読まない
> 海はワタないしアマであり、アメとは読まない
> これが現代考古学上で天と海が別音であるという傍証

284日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:40:01.00
弥生人は渡来人であって宇宙人ではない。

285日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:40:05.58
>>282
それこそ根拠がないだろマヌケwww

286日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:41:02.65
>>284
せっかく久々に楽しめると思ったのに文盲か・・・

287日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:41:54.52
漢字の方が後から使われるようになったよね。
また、アメという音も後から使われるようになったのだろう。

288日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:44:18.29
というか、話を元に戻さんか?
海の安曇が取り込んだ河の住吉やったのに、安曇は摂津に移動し住吉が残ったのは何でなんやろなって話やったろ?

289日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:44:49.46
>>287
それこそ根拠がないお前一人の妄想だろマヌケwww

290日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:45:12.47
>>288
せやで

291日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:50:26.66
横からだが、日本史板の特に古代スレで「〜たのだろう。」って言うやつは例外なくチキガイ。
思い込みが強く、他説を聞き入れる耳もなければ、聞き止める度量もない。
そしてどんどん追い詰められるスタイルが共通点。

292日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:51:09.78
>>240
大浜は淡路の野島海人の親玉だと思うが、大浜は淡路に住んでいただろう。
それが博多安曇とどうつながっとんのよ。
系図出しなよ、みてやるさかい。

293日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:53:44.59
>>241
磯良を氏神にしとる一族やと聞いとるがな。

294日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:54:19.18
>>292
アホは日本書紀の巻十読み直してから出直して来なね

295日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:55:35.01
>>293
嫌味が通じないとか笑えないよー

296日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:56:20.94
摂津といえば住吉だろ。
前提が意味不明

297日本@名無史さん2019/05/18(土) 17:56:30.27
>>291
的確な考察だな(笑)

2982882019/05/18(土) 18:02:21.69
>>296
ワイの写し間違えや
>>227は長野と書いとったな
堪忍やで

299日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:07:12.52
海人族はマリネッラってことだろ
海と川に隔たりはないんじゃないか?

300日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:11:17.06
wiki 阿曇磯良より引用

阿曇磯良(あづみのいそら、安曇磯良とも書く)は、神道の神である。
海の神とされ、また、安曇氏(阿曇氏)の祖神とされる。磯武良(いそたけら)と称されることもある。
阿度部磯良(あとべのいそら)とも[1]。
神楽に誘われて海中より現れ、古代の女帝神功皇后に竜宮の珠を与えたという中世の伝説で知られる[2]。
石清水八幡宮の縁起である『八幡愚童訓』には「安曇磯良と申す志賀海大明神」とあり、当時は志賀海神社(福岡市)の祭神であったということになる(現在は綿津見三神を祀る)。
同社は古代の創建以来、阿曇氏が祭祀を司っている。

民間伝承では、阿曇磯良(磯武良)は豊玉毘売命の子とされており、「日子波限建」(ひこなぎさたけ)と冠されることのある鵜葺草葺不合命と同神であるとする説がある(磯と渚はどちらも海岸である)。
また、『八幡宮御縁起』では、磯良は春日大社に祀られる天児屋根命と同神であるとしている。

『磯良ト申スハ筑前国鹿ノ島明神之御事也 常陸国鹿嶋大明神大和国春日大明神 是皆一躰分身 同躰異名以坐ス 安曇磯良ト申ス志賀海大明神 磯良ハ春日大社似祀奉斎 天児屋根命以同神』
(愚童訓より)

301日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:11:33.81
棲み分けはあったんじゃないか?
大浜宿禰が海人宰となって当初は住吉もその配下に入ってたわけだし

302日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:13:22.39
>>300
嫌味が通じないとか笑えないよー(二度目)

303日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:15:55.53
安曇は関東関西九州の各地で祀られていることになるなあ。

304日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:17:02.72
>>302
志賀島は博多ではないとか、そいうの?

305日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:17:51.66
マリネッラって何?
ネクタイのブランドかパタリロの国か?

306日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:19:28.63
>>305
がんばってwikiで調べた感丸出しで笑う

307日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:22:44.54
>>304
博多って地名は安曇氏が移住した後に出来たものだから博多安曇氏なんて実在しないってことだろ
言わせんなよ

308日本@名無史さん2019/05/18(土) 18:47:46.58
>>292
安曇の百足は、景行天皇の北部九州の御幸の際に、お付き人として名がみえるな。
肥前風土記や。
また別に、「大和政権に帰属した段階で摂津国に拠点を移した」とする説もみられる。
このことからすると、大浜は摂津に住んでいたと考えられるが、肥前風土記に出てくる安曇百足は摂津から景行天皇にお付きで付いていったと考えられるな。
そうすると、摂津へ移住したというのは、どの文献にあるんか。
百足が博多の安曇の子孫やと確認できる文献が必要や。
どこにあるんか。

309日本@名無史さん2019/05/18(土) 19:16:02.83
>>308
すまんな。
安曇は糟屋の志珂郷あたりの一族やな。
ウィキのでは、百足の一党は志珂から摂津へ移住した者らや、と書いてあるが。
その「移った」というのは、どこに出てるんか。
見当たらんぞ。
百足はほんまに志珂から摂津へ移った一党か。
はっきりせんぞ。

310日本@名無史さん2019/05/18(土) 20:15:26.55
安曇は海住みで住吉は住み江
つまり海に住む支族がアヅミと名乗り、川に住む支族がスミエないしスミヨシを名乗っただけで氏としては同族という推察もある

311日本@名無史さん2019/05/18(土) 21:32:57.40
九州から畿内に何波も植民があり、その中の一つだろうね。

312日本@名無史さん2019/05/18(土) 22:04:28.79
博多あたりは海人の根拠地だったようだから、安曇族がそのあたりにいたのは確かだろうけど、その志珂の安曇族が摂津へ移住したという確かな証拠はないな。
推測としては、あり得るとは思うがね。

313日本@名無史さん2019/05/18(土) 22:09:04.16
それどころか常陸国の鹿島神宮まで志賀島の末裔なわけだから、摂津くらいはたやすいものだろう。
とすれば、この氏族は瀬戸内海と太平洋に進出した氏族ということになる。

314日本@名無史さん2019/05/18(土) 22:12:25.31
>>310
それって九州の研究者の中では確定事項とされてるちゃんとした学説だよ

315日本@名無史さん2019/05/18(土) 22:15:03.93
日本書紀の神代紀にも住吉三神の底津少童 命・中津少童命・表津少童命は、是阿曇連等が所 祭る神なりと書かれてるから住吉は阿曇連

316日本@名無史さん2019/05/19(日) 00:47:34.08
安曇が登場するのは応神天皇の三年からだが、この安曇はすでに摂津あたりに住んでいたし、それ以降の安曇氏も山城だったりして、おおむね畿内在住。
一方、一世代の前の仲哀天皇のときには、宗像や伊都の勢力は仲哀天皇を出迎えているのに儺県からの出迎えはない。儺県にはどのような勢力がいたのかはっきりしない。
そして、仲哀天皇崩御のあと、神功皇后が西征のために朝鮮半島を望見させるときになって初めて、磯鹿の海人の草という人物を物見に行かせることが書かれている。
どうも、変ではないか。
儺の津には、宗像や伊都のような地方豪族の姿がみえない。
「磯鹿の海人・草」という程度の扱いとなっている。
仲哀天皇を出迎えた宗像の豪族の場合は岡県主の祖熊鰐と書き、伊都の豪族の場合は伊都県主の祖五十迹手と書いているのとは大変な差だ。
この「磯鹿の海人・草」が綿津見を祀る安曇だとは、どこにも書いてない。
仲哀天皇があたかも当然のように橿日宮に入っていることなども考えると、まるで大和の朝廷の直轄地となっていて、在地の豪族がいないような雰囲気だ。
これは、実に奇妙な書きっぷりだと言うほかない。
では、一世代後の応神天皇のときになって突然現れ海人の宰となる摂津の安曇連と、この朝廷直轄地のようなの儺の津の隣の磯鹿の海人・草との関係はどうなるのか。
志賀島で綿津見を祀る安曇氏は、いったいどこにいるのかということになってくる。
そもそも、応神天皇以前の志賀に、安曇族はいたのだろうか。

317日本@名無史さん2019/05/19(日) 01:34:26.76
>>316
何をどう勘違いしてるのか理解不能だが、
海人宰は志賀島の大浜宿禰(阿曇大浜)と和名類聚抄にあり、
志賀島から古賀の手前までを統治していたのが分かる。

黒田家が入ってくるまで現在の中央区や博多区の大半は海の底であり、
現在は那珂川中域に位置する現人神社(元住吉)も当時は那の津(志賀島から内陸側の湾・現在の博多湾)河口だったので、
川住みの住江(後の住吉)と海住みの阿曇(共に阿曇連)が那の懸の監督であったことに疑念の余地はない。

筑前国風土記では志賀島に関する逸話として、
神功皇后に添った陪臣(又家来)として大浜の名が確認できる。

定説では阿曇比羅夫の戦死後に信州への大移動を経てから摂津入りしたとされる。

318日本@名無史さん2019/05/19(日) 01:49:59.26
博多区には4世紀初頭前後の那珂八幡古墳と5世紀初頭前後の老司古墳の前方後円墳があるものの、このおよそ100年間に次々と造られる前方後円墳がなく、博多には豪族の墓らしい前方後円墳群がみられない。
このことは、博多には那珂の八幡古墳を造った勢力以来100年間にわたって豪族の姿がみられないことになる。
ようやく、5世紀頃になって豪族の勢力が現れて老司古墳を造るということになる。
このような状況をみると、仲哀天皇を出迎える儺の津からの舟はなく、また吾瓮海人烏摩呂や磯鹿の海人・草という人物が物見に使わされる程度のありさまであることは納得できそうなことになる。
やはり、この時期には、儺の津あたりは大和政権の直轄地のような扱いとなっていたのではないか。
だとすると、強引に解釈すれば、安曇氏が志賀島で綿津見神を祀るようになるのは、5世紀以降からということになるのではないか。
この構図が確かならば、安曇氏は糟屋郡から各地に分散したのではなく、畿内から各地へと分散したということも可能だ。
実際に、筒男神を祀る津守氏は住之江の豪族で、安曇氏とは同族だとするのであるから、安曇氏が摂津発祥だとしてもおかしくない。
つまり、博多あたりにあった倭奴国は、安曇族とは直接関係のない海人族の国だったということになってくる。
それでいいのでしょうか。

319日本@名無史さん2019/05/19(日) 02:19:30.59
>>318
違うよ
ワタツミを祀った阿曇は仲哀らによって大和政権に取り込まれ信州に飛ばされた
残ったワタツミ信仰は同族の住吉に継承された

320日本@名無史さん2019/05/19(日) 02:30:58.42
摂津の阿曇野村じ百足については和名類聚抄に綿津見を始祖とし、筑前から渡ったと明記されている

321日本@名無史さん2019/05/19(日) 02:31:38.30
X阿曇野村じ百足
O阿曇連百足

322日本@名無史さん2019/05/19(日) 08:42:06.41
魏志倭人伝の時点で、すでに奴国は權力が不在だよ。
小さな伊都に大きな權力が集中していたのとは対照的だ。
別に大和云々は関係ない。
そもそも仲哀は穴門に宮を構え、ほぼ九州人であり、大和の人間ではない。
祖父の景行天皇の頃から九州にいたのだろう(景行天皇は子女が多い)。

323日本@名無史さん2019/05/19(日) 11:15:38.96
肥前国風土記によれば景行天皇が巡幸で平戸の志式島行宮を訪れた時に「陪臣」の阿曇百足に西側の島々を偵察させたと書かれている。

陪臣は又家来つまり家来の家来で、筑前国風土記では阿曇大浜が神功皇后の陪臣と書かれている。

景行天皇から神宮皇后の代まで約2世紀もの開きがあるにもかかわらず、阿曇は陪従せず陪臣のままである点が興味深い。

324日本@名無史さん2019/05/19(日) 11:57:20.18
>>322
は??馬觚と卑奴母離が二万余戸の人口を擁してるやんけ

325日本@名無史さん2019/05/19(日) 13:03:08.25
>>323
では阿曇連の上で天皇の下なのは誰なのか

326日本@名無史さん2019/05/19(日) 14:23:23.83
>>320
和名抄では郷名の記載がなされていたが、氏族の出自については書かれてなかったように思うけどね。
その記事は、和名抄のどの部分に出ているのか教えてほしい。

327日本@名無史さん2019/05/19(日) 14:27:33.42
>>319
そもそも、摂津の安曇氏が糟屋郡の志賀から移ってきたと、どの文献に載っているのかまったくわかりません。

328日本@名無史さん2019/05/19(日) 14:34:51.99
新撰姓氏録では安曇氏の祖神が書かれているがそれだけであり、安曇氏がどこから来たかについては何も書いてない。

329日本@名無史さん2019/05/19(日) 14:41:18.97
>>249
宗像の話を書くとすぐわかる嘘書いて否定するやつが相変わらず日本史板に常駐してますな。
現在の船着場付近には弥生縄文の出土物があり人が住んでいた痕跡はある。また、真水も確保できる。
ただ、水が確保できるとは言え大人数が定住するほどの量の確保は無理と思うので現在のように一人とか数人常駐で、祭祀の時だけある程度の人数が数日留まるといった形だったのではないかと思います。

なんで真水が出ないと決めつけたのかがわからん。あの大きさでそれなりの高さの山があるんだから水が出ないと考える方が無理があると思うがな。
無能君にとって知らないとか自分に不利益な話=嘘って脊髄反射みたいだからしかたないんだろうけどね。

330日本@名無史さん2019/05/19(日) 14:48:48.66
また急に熱量が上がったな

331日本@名無史さん2019/05/19(日) 14:59:51.45
宗像に限らず、嘘をついてなんでも否定する輩が日本史板に住み着いているんだよね。
彼らに任せると日本史は闇に包まれている。

332日本@名無史さん2019/05/19(日) 15:02:59.14
ヤバさで言ったらチョンの日本史捏造や朝鮮起源説が群を抜いてるけどな

333日本@名無史さん2019/05/19(日) 15:27:58.30
沖ノ島を秘匿ってのも遠賀川〜志賀島辺りまでの範囲だと見えるところ結構あるし無理があると思う。
好意的にとれば神秘性を高めたいってことかもしれんけど、実際見えるんだから航海の目標物や道標的な存在になるわな。

334日本@名無史さん2019/05/19(日) 15:40:22.10
>>333
沖ノ島では縄文土器が出てるからな。

335日本@名無史さん2019/05/19(日) 15:47:40.23
通説では安曇氏の出自は糟屋郡志賀とされるが、学者によっては志賀ではないと説を立てる人もおるようだ。
ということは、安曇氏糟屋郡志賀出自の確定資料はないということだな。
もしかすれば、みな騙されているのかも知れんということになる。
そうなれば、倭奴国は安曇族の国ではなかった説もあり得るわけだ。
また、神功皇后紀に出てくる(志鹿の草)という人物も、安曇氏かどうか分からん…と。

336日本@名無史さん2019/05/19(日) 15:50:54.06
>>335
なにそれチョンコ願望か何か?

337日本@名無史さん2019/05/19(日) 16:01:11.09
筒男の神だって、橿日宮に現れる前には、博多には住吉社があったかどうか分からん。
とすれば、神功皇后以前に志賀で綿津見の神が祀られていたかどうかも分からん。
この2神は一挙に博多付近に現れたということも、考えようによっては考えられることだよな。
確かなのは、博多には那珂八幡古墳を造った勢力がいて、それ以前にもずっと海人系の集団が住んでおり、彼らは朝鮮半島と交易して豊だったようだ、たということだけだな。

338日本@名無史さん2019/05/19(日) 16:03:41.38
>>336
そう熱くならんでもよろしい。
安曇氏が志賀発祥だと信じるに足る資料がない、というだけのことに過ぎん。

339日本@名無史さん2019/05/19(日) 16:15:59.67
西日本一帯や北陸方面に鉄を販売していた海人族が博多あたりに住んでいたのは、異論の出ない通説となっているな。
要は、この博多の海人族が摂津安曇氏の先祖だと確定できれば、それでいいのよ。
問題はどこにもなくなって、高速走るみたいに快適になる。
それを望んでいるけど、急に渋滞の国道に降りたみたいなのが現状。
先が見通せない…。

340日本@名無史さん2019/05/19(日) 17:08:54.84
え?
現存する史料で綿津見に繋がらない安曇なんて存在するの?
綿津見は志賀島発祥でしょ?
なら安曇=綿津見=志賀島発祥で答え出てるやん

341日本@名無史さん2019/05/19(日) 17:29:56.68
そこで、博多海人と安曇氏を結ぶ資料になるかも知れないのが、実は面土国なんだな。
中国の各種史書に出てくる面土国の読みは、(わたつち)の可能性がある。
帥升の面土国の読みが(わたつち)ならば、ワタ=海、ツ=津、チ=道と解釈でき、すなわち対馬海峡の交易航路のことだとみなすことができる。
対馬海峡の通行を支配していた国が帥升の国ということになるから、玄界灘沿岸の国と推定することができる。
一方、神話の綿津見神は、ワタ=海、ツ=津、ミ=神なので、帥升の国と何らかの関係を考えることができる。
そうなれば、この帥升の2世紀のころに、綿津見を祀る部族が玄界灘沿岸にいた可能性が出てくる。
そして、5世紀頃に綿津見を祀る氏族は摂津の安曇氏だけだったと考えられるので、玄界灘沿岸の綿津見部族と摂津安曇氏は関係があるかもなあ、ということになる。
で、面土国の面をワタと読むのが正しいのかどうかという検証が必要になってくるのだね。
実際に、この面をワタと読んでいる研究者がいるのは、確かなことだよ。

342日本@名無史さん2019/05/19(日) 17:32:28.34
>>340
その綿津見が5世紀以前に志賀で祀られていた、と書いてある資料はないと思う。

343日本@名無史さん2019/05/19(日) 18:56:38.13
何がなんでも阿曇族を九州発祥にしたくない謎の勢力に笑う
全国すべての阿曇の始祖はワダツミなんだから九州発祥なのは確定だろ

344日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:00:52.83
>>343
確定にしようと思うなら、面土国の面をワタとよむのかどうか研究するのが先。

345日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:12:52.10
>>344
だーかーらー
安曇の始祖が綿津見なのは確定だろ?
綿津見信仰の発祥が志賀島界隈なのも確定だろ?
だったら安曇の出自はオートマティックに志賀島界隈だろw

面土國を訓読みでワタツチとするほうが非合理的だろ

346日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:16:17.85
しかし、摂津安曇氏が糟屋の志賀から移住した者やというのは、学者らの推測を鵜呑みにした主張であって、文献などで確定しているものではないな。
そう思い込んでいるだけという話やな。
弥生時代から博多で鉄などの貴重材を輸入していた海人族が、安曇(あずみ)という族名だったかどうか、まったく分からんのよ。

347日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:17:05.68
あずみちゃんの祖先はワダツミです!
YES!YES!YES!

ワダツミ信仰の発祥は志賀島です!
YES!YES!YES!

あずみちゃんのご先祖様は志賀島出身です!
No!No!No!

なぜなのかwww

348日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:18:36.61
>>346
摂津阿曇の始祖が綿津見なんだから出自が志賀島だ当然だろ
お前は今朝から何と戦ってんだよ

349日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:20:35.20
>>340
>なら安曇=綿津見=志賀島発祥で答え出てるやん

賛成!

350日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:26:12.39
安曇を九州民にしたくない謎の勢力=畿内説チョンだろ

351日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:45:08.17
>>350
知ってた

352日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:50:34.70
>>345
綿津見信仰の発祥が志賀島あたりだったというその資料がないのよ。

帥升が楽浪郡で玄関払いされたように書かれているのも、変な国名で請願書を出したからやろな。
そんな国知らんわ、帰ってんか、というのが楽浪郡の役人の返事だったのやろ。
まあ、日本最初のナショナリストが帥升だったということになってくるな。

353日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:56:22.85
摂津の安曇大浜が海人の宰になったときに、糟屋の志賀まで綿津見の神さん担いで行って、だれか一人そこに残ってその神さん祀ったのとちがうか?

354日本@名無史さん2019/05/19(日) 19:59:38.77
>>352
なにゆーとんねん
綿津見は志賀海神社やがな
アホなこと言うたらあかんで

355日本@名無史さん2019/05/19(日) 20:15:42.03
>>350
チョンかは知らんが嫌九州説なんやろな

356日本@名無史さん2019/05/19(日) 21:07:58.65
>>354
志賀海神社できたのいつか分からん。
5世紀かもしれんし。

357日本@名無史さん2019/05/19(日) 21:09:42.84
>>355
そんな、私情は混ぜんよ。

358日本@名無史さん2019/05/19(日) 21:12:26.10
まあきみら、摂津安曇をホルホルしてるが、5世紀以前の安曇がどこにいたかまったく資料がないしな。

359日本@名無史さん2019/05/19(日) 21:31:35.57
何が何でも勢力しつこ過ぎ(笑)

360日本@名無史さん2019/05/19(日) 21:36:24.42
>>356
神功皇后の水先案内人やから2世紀には存在しとったやろ

361日本@名無史さん2019/05/19(日) 21:42:02.06
>>360
水先案内の安曇は、日本書紀には出てこんな。

362日本@名無史さん2019/05/19(日) 22:21:31.50
>>361
お前は何がしたいんだよwww

363日本@名無史さん2019/05/19(日) 22:28:15.61
>>362
安曇が志賀に元々いたというその根拠はなんなん?

364日本@名無史さん2019/05/19(日) 22:42:16.57
>>363
何度くり返すねんなw

阿曇の始祖は綿津見、綿津見は志賀海
よって阿曇の発祥地は志賀島

何の疑念もないやんけ

365日本@名無史さん2019/05/19(日) 22:46:53.63
同意

366日本@名無史さん2019/05/19(日) 23:52:34.66
どっかの国のお花畑とよう似とるなあ。

367日本@名無史さん2019/05/20(月) 00:09:06.94
>>366

>>355には悪いが>>350が正解だったんだろ


摂津阿曇は九州じゃないニダニダ!!→アホかw阿曇の始祖はワダツミやんけ

摂津阿曇がワダツミ担いで行ったニダ!→アホかwワダツミ=志賀島やんけ

志賀海神社は5世紀創建ニダ!→アホかw2世紀に神功皇后の水先案内しとるやんけ

日本書紀には記述がないニダ→アホかwすでに筑前風土記やって説明しとるやんけ

安曇が志賀島にいたソース出せニダ!→アホかw何度も説明しとるやんけ

368日本@名無史さん2019/05/20(月) 01:01:11.55
>>367
何も知らんのに、人の書き込んだものを齧って継ぎはぎしとるなあ。
どこに筑前風土記なんぞあるのや。
肥前風土記やろ、安曇が出てくるのは。
しょうもないお花畑やな。
この掲示板に書き込んおられる知識人のみなさんに迷惑やから、はよ病院へ帰り。

369日本@名無史さん2019/05/20(月) 01:05:03.50
>>365
一人二役かよ。

370日本@名無史さん2019/05/20(月) 02:40:32.92
>>368-369
まぁそんなにムキになるなよ。
頭に血が登りすぎて過去レスも読み返せてなくなってるじゃないか。
みっともない。

371日本@名無史さん2019/05/20(月) 02:52:35.16
>>370
あんたには、この板は無理や。
みなさんの書き込みをじっくり勉強してから、そろそろと書くようにし。

372日本@名無史さん2019/05/20(月) 03:05:15.83
>>371
どっちかっつったら現実見れないチョンコのお前が邪魔だから

373日本@名無史さん2019/05/20(月) 03:09:57.34
>>317>>323も読み返せない文盲は黙っときなって
恥の上塗りしてることにも自覚できないようだし

374日本@名無史さん2019/05/20(月) 03:16:36.27
百済スレからの転載だけど、まさに摂津チョンコの所業そのもの


チョンコの考える「正義」の概念は非常に独特であり、まず根拠を必要としないという特徴があります。
なぜ根拠を必要としないかと言うと「この世に正義は一つしか存在しない」と考え、特に根拠はないのですがチョンコだけがその「正義」の側だと信じ込んでいるからに他なりません。

通常、それぞれが正義と信じる者同士が争った場合、ホモ・サピエンスは「相手の正義」の存在を認識しながらも「自分の正義」のために戦います。
「相手の正義」を認識しているからこそ、勝ったときには相手を称え、負けたとしても自分が「悪」だとは考えません。

一方、チョンコはとにかく「相手の正義」の存在をいっさい認知できず、相手の劣等性を指摘(曲解でも、捏造でも、その件と全く関係なくても、何でも良い)する事で
「自分だけの正義」の担保とします。
ですから勝った時には殊更に負けた相手を「悪」と罵り、負けた時には難癖をつけて負けを認めないことで「自分だけの正義」を守ろうとするのです。
つまり負けは「悪」なので「感情的に受け入れられない」と逃げ回るのです。

また、自分自身に向けられた問題提議や指摘を模倣し、オウム返しのように相手にぶつけます。

こういったチョンコ独特の「正義観」は独特と言えるもので、予備知識を持たずに対峙すると「錯乱している」「気が狂っている」としか映らず対話を諦めてしまう結果となってしまいます。
しかし、チョンコ独自の正義「観」を知っておくことで対話は可能となるのです。

では、この特殊な「正義観」にはどう対処すべきなのでしょうか?
その手法は非常に簡単です。

論点をすり替えさせる隙を与えないこと。
多くの問題をいっぺんに片付けようとせず、一つずつ解決していくことです。

チョンコにとって負けは「悪」ですから受け入れることは出来ません。
ですから負けを予感した瞬間に別の戦いを仕掛けて負けかけたことをなかった事にしようとします。
チョンコ以外の人が見れば「逃げた」「論点をすり替えた」「卑怯」と映るでしょうが、そうではありません。

チョンコ独自の「正義観」では負けなければ「正義」であり、ウソでも何でも「じぶんだけの正義を貫くこと」が何よりも優先されているだけなのです。

375日本@名無史さん2019/05/20(月) 07:35:43.83
>>374
まさにキナイコシw

376日本@名無史さん2019/05/20(月) 09:23:31.40
>>368
悔しがりすぎ
なんで安曇野の祖先が綿津見神で綿津見神が志賀海神社までは受け入れられてるのに、安曇野発祥地は志珂郷(志賀海神社一帯)だけ認めたがらないのか理解不能。
だったら感情論抜きに安曇野発祥地が志珂郷ではない根拠を示すべき。

377日本@名無史さん2019/05/20(月) 10:33:14.16
記紀厨の歴史談義はまあ、かまわんが、
安曇氏に姓を与えたのは、大和朝廷だろ。
ワダツミを始祖とするなら、そのワダツミ概念の衆知はいつからだ?

志賀島に神社を置いたのが、安曇族なのでであって
安曇族の朝廷系豪族化以前から、記紀神に比定出来る始祖神なんてもんは無い。

氏族神みたいなこういう神社信仰は、朝廷権力確定が認知可能な
最古で倭の五王400年〜神道の必然が出来たと推測できる
仏教公伝500年辺りと同時期に普及した信仰だろ。
記紀の普及に便乗しない古神道奈良だがw

氏族、豪族の発生だって、倭人伝で九州の非統一が判る、247年以降で
半島進出、富国強兵が総力化する313年付近と見るのが妥当だろ。

当時の日本の富国強兵政策で
漢四郡の遺民の軍師化は案外有力だったんじゃないのかな?

378日本@名無史さん2019/05/20(月) 10:48:43.49
>>377
歴史にニヒリズムを持ち込まないでくれ。

379日本@名無史さん2019/05/20(月) 10:49:10.03
>>377
>安曇氏に姓を与えたのは、大和朝廷だろ。

はあ?

380日本@名無史さん2019/05/20(月) 13:06:28.24
摂津チョンコ?畿内盲信者?は志賀海神社の創建を5世紀くらいにしときたいようやが、志賀海神社の分社「風浪宮」は192年創建と社伝に残されとる。
本社・志賀海神社が分社・風浪宮より古いのは当然やわな。

あと、志賀海神社には元宮があり、志賀島最北部の勝馬に現在も表津宮跡、中津宮、沖津宮が残っとる。
社伝では2世紀に現在地に遷座したとあるんやで。

この元三宮には面白い点があり、2005年の福岡県西方沖地震に際して社団法人土木学会が地質・地盤条件を調査しとる。
https://www.jsce.or.jp/report/34/
この時に表津宮跡、中津宮、沖津島は志賀島花崗閃緑岩に乗っとり、現在の海岸線は3000年前頃に形成された事が判明したんや。

つまり、元三宮は紀元前10世紀頃には浅瀬に浮かぶ沖津島と仲津島、志賀島上の表津宮であり、その当時から原始的信仰の対象となっとった可能性が極めて高いっちゅう事や。
1947年に表津宮の東南300mにある前田富蔵邸裏庭から出土した細形銅剣鎔笵残欠(弥生初期)を皮切りに、1973年、1974年に九大考古学研究室によって実施された「金印遺跡調査団」では縄文後期から晩期の土器、黒曜石製石鏃、磨製石斧が出土しとる。

なお、全国の阿曇氏の祖神で綿津見神(少童命)と同一神と目される阿曇磯良は八幡愚童訓において、「安曇磯良ト申ス志賀海大明神」と記され、
阿曇氏の祖とされる大浜宿禰は新撰姓氏録の右京神別下で「安曇宿禰"海神綿積豊玉彦神"子穂高見命之後也」とあり、
同録の摂津国神別にも「安曇宿禰同祖"綿積命"六世孫小栲梨命之後也」と記されとる。

また、実在が確かと思われる阿曇連[闕名](日本書紀 巻二十二)や阿曇連比羅夫(日本書紀 巻二十四)も
河内国神別において「安曇連"綿積神命"児穂高見命之後也」と記されとる。

さらに「『日本書紀」の原典である「帝紀」、「上古諸事」、「墓記」に阿曇連稲敷は関わっており、自身のルーツが綿津見神にあると認識していた傍証と言えるんや。

そもそも阿曇の本拠が志賀島ではないと言い出したんは文学修士でしかない京都の故・楢崎干城と岐阜の松原弘宣 文学教授、大阪で高校教師やった上遠野浩一くらいなもんやで。
ワイは文学者の裏読みより、社伝に基づく民俗学的考察、地質学、発掘に基づく考古学、資料に基づく歴史学に高い信憑性を得られるわ。

381日本@名無史さん2019/05/20(月) 13:17:22.66
>>373
お前は人の書いたものを見ていろいろ言っているようだが、自分の知識としてはゼロであるはことを示している。
つまり、その書き込みが正しいかどうか、判断できんということや。
筑前国風土記なんぞ、存在せんことに気がつかん無知ということになる。
まあ、出直して勉強してこいよな。

382日本@名無史さん2019/05/20(月) 13:20:54.61
>>381
負け犬の遠吠えw
無能の負け惜しみwww

383日本@名無史さん2019/05/20(月) 13:23:42.68
>>381
お前さんは無知無能だから金龍寺行って土下座して来なさい。

384日本@名無史さん2019/05/20(月) 13:36:52.32
>>376
冗談よし子さん。
志珂が安曇氏の発祥の地だというとるのは、お前。
お前がその根拠を示さんでどうするのよ。
はよ、文献挙げんか。

385日本@名無史さん2019/05/20(月) 13:38:58.16
>>383
まず、人が書いたもので勝負せんように。
自分の知識で勝負せい。
筑前国風土記が、どこに存在するねん。
はよ、調べてこい。

386日本@名無史さん2019/05/20(月) 13:51:08.45
>>380
風浪宮て、筑後大川市やないか。
糟屋の志珂とどんな関係あるんよ。
話は、それからや。
安曇が志珂発祥やという根拠になんぞならんやろ。

387日本@名無史さん2019/05/20(月) 13:55:09.42
>>386
駄々こねるヒマあったら少しは調べろ厚顔無恥の朝鮮人

388日本@名無史さん2019/05/20(月) 13:58:32.47
>>384
まだ馬鹿なこと言ってんのかよ・・・
お前は議論できる頭がないんだからもう消えろよ

389日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:01:45.93
>>380で確定じゃん
なんで摂津チョンコは諦めがつかないの?何一つ根拠を示す知能もないのに?バカの中のバカなの?

390日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:02:57.48
>>382
根拠示せ。
根拠挙げてから、吠えよ。
吠えるのは、それからでええ。

391日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:08:15.88
>>390
お前が否定する根拠を出せよマヌケチョンwww

392日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:08:33.07
>>390
負け犬の遠吠えw
無能の負け惜しみwww

393日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:09:51.11
>>385
金龍寺行って貝原益軒の墓前で土下座しろよ
話はそれからだ

394日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:13:57.93
>>389
どこが確定よ。
志賀島の地盤が海の上に出たのが3000年前というのが地盤調査の結果や。お宮さんがいつそこに置かれたのかを示すもんやない。
2世紀頃にお宮さんができたというてるらしいが、そのお宮さんと安曇とどうつながるのやということが問題になっとるのやないか。
はよ、風浪宮と志珂がどう安曇につながるというのか説明せんかよ。

395日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:16:47.28
>>390
恥の上塗り楽しいか?

396日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:17:16.24
>>394
確定で良いよ

397日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:17:50.00
>>393
やっと調べたか。
で、江戸時代にできた風土記がなんやて?

398日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:18:09.96
イヤイヤ言ってんの摂津のチョンコロだけじゃん
無視無視

399日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:18:29.34
>>397
金龍寺行って貝原益軒の墓前で土下座しろよ
話はそれからだ

400日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:19:57.79
>>391
相手にならん。
格下は引っ込め。

401日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:21:59.24
>>400
チョンコの分際で人間並みの口を聞こうとするからイジメられるんだぞマヌケ(笑)

402日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:22:51.88
>>399
土下座してくるのは、お前やろ。
筑前国続風土記を筑前国風土記やて。
江戸時代やないか。
先生に恥かかせておいて、なにをおっしゃる無知蒙昧。

403日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:23:02.05
>>394
文盲
口答えするならせめて書かれてることを調べてからにしたら?

404日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:24:05.43
>>402
まずちゃんと調べて、金龍寺行って、貝原益軒の墓前で土下座して、反省して、謝罪しろ
話はそれからだ

405日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:24:52.99
>>401
病棟へ帰れ。
お前が邪魔して荒らすから、ほかの人が書き込めんやろが。
もう、ええかげんに消えよ。

406日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:25:04.29
こっちも在日とネトウヨが喧嘩しとるんか

407日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:26:04.24
>>405
お前が消えれば良いだけのこと
現実を直視できないチョンコロは祖国に帰ってニダニダしとけ

408日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:27:11.51
>>405
お前が一番邪魔だぞ自覚しろ

409日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:27:35.78
>>403
お前が消えよ。
邪魔や。

410日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:28:08.97
>>405
親の前で10回音読してから出直して来い

チョンコの考える「正義」の概念は非常に独特であり、まず根拠を必要としないという特徴があります。
なぜ根拠を必要としないかと言うと「この世に正義は一つしか存在しない」と考え、特に根拠はないのですがチョンコだけがその「正義」の側だと信じ込んでいるからに他なりません。

通常、それぞれが正義と信じる者同士が争った場合、ホモ・サピエンスは「相手の正義」の存在を認識しながらも「自分の正義」のために戦います。
「相手の正義」を認識しているからこそ、勝ったときには相手を称え、負けたとしても自分が「悪」だとは考えません。

一方、チョンコはとにかく「相手の正義」の存在をいっさい認知できず、相手の劣等性を指摘(曲解でも、捏造でも、その件と全く関係なくても、何でも良い)する事で
「自分だけの正義」の担保とします。
ですから勝った時には殊更に負けた相手を「悪」と罵り、負けた時には難癖をつけて負けを認めないことで「自分だけの正義」を守ろうとするのです。
つまり負けは「悪」なので「感情的に受け入れられない」と逃げ回るのです。

また、自分自身に向けられた問題提議や指摘を模倣し、オウム返しのように相手にぶつけます。

こういったチョンコ独特の「正義観」は独特と言えるもので、予備知識を持たずに対峙すると「錯乱している」「気が狂っている」としか映らず対話を諦めてしまう結果となってしまいます。
しかし、チョンコ独自の正義「観」を知っておくことで対話は可能となるのです。

では、この特殊な「正義観」にはどう対処すべきなのでしょうか?
その手法は非常に簡単です。

論点をすり替えさせる隙を与えないこと。
多くの問題をいっぺんに片付けようとせず、一つずつ解決していくことです。

チョンコにとって負けは「悪」ですから受け入れることは出来ません。
ですから負けを予感した瞬間に別の戦いを仕掛けて負けかけたことをなかった事にしようとします。
チョンコ以外の人が見れば「逃げた」「論点をすり替えた」「卑怯」と映るでしょうが、そうではありません。

チョンコ独自の「正義観」では負けなければ「正義」であり、ウソでも何でも「じぶんだけの正義を貫くこと」が何よりも優先されているだけなのです。

411日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:28:55.08
>>409
このスレで邪魔なのはチョンコのお前だけ

412日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:30:52.60
朝鮮人はこのスレに不要

413日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:33:23.01
>>380
由緒書きで192年は神功皇后の新羅遠征の帰途、となってるわけで
これと安曇族が係わる実際年代ってのは、300年以降であってないか?

卑弥呼で大乱が収まった時に何で神功皇后の新羅遠征だ?
楽浪帯方の239年までの公孫氏や246年まであった韓王朝なんて
青銅器交易で友好国じゃないのか?

三韓征伐ってのも現実的には九州同様に
調略とか、領地安堵の冊封型支配みたいだけどね。

中国との冊封関係に有った高句麗は313年に韓四郡を侵略したけど
350年代に350年代に楽浪候、幽州刺史に封じられている。

神功皇后の三韓征伐って、
卑弥呼が親魏倭王印綬の魏と戦争したことになっちゃわないか?
神功皇后がこの313年以降でないと記紀がデタラメだろ。

414日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:34:29.59
安曇氏族はチョンと無関係なのに何故に固執してるのだ?
百済王族と仲良しだったからか?

415日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:35:15.14
>>413
それこそお前の妄想と願望だろーが無能チョン

416日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:35:46.78
>>413
やっと調べたのかよクソガキ

417日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:55:05.06
>>394
全然ちゃうで、志賀島の花崗閃緑岩は沖積層より古いんや。
約2万年前から海上に突出しとって、3000年前に中津宮がつながったちゅうことや。

ワイが書いたんは
> その当時から原始的信仰の対象となっとった可能性が極めて高いっちゅう事や。
> 1947年に表津宮の東南300mにある前田富蔵邸裏庭から出土した細形銅剣鎔笵残欠(弥生初期)を皮切りに、1973年、1974年に九大考古学研究室によって実施された「金印遺跡調査団」では縄文後期から晩期の土器、黒曜石製石鏃、磨製石斧が出土しとる。
という、信仰の古さの傍証やで。
2005年の地質・地盤条件の調査まで誰も島とは知らんかった場所に中津宮が存在しとるんは原始信仰の対象があった上に建立されたのだろうと考察するのは世界史でも考古学でも何ら不自然なことではないんやからな。

記紀を始めとした史料に残る安曇氏族はほぼ例外なく綿津見神を祖神としとるわけやが、君は綿津見信仰の発祥が志賀島にないと思っとるんか?
せやったらそれを反証して見せてくれや。

418日本@名無史さん2019/05/20(月) 14:57:11.29
>>411
志賀と安曇をつなぐ根拠を出してくれたら、すぐにでも帰る。
はよ出してくれ。

419日本@名無史さん2019/05/20(月) 15:01:13.45
>>418
は?このスレ読み返せば何度も書かれてるだろ無能
お前には無関係なんだから日本史いたからさっさと消えろチョン

420日本@名無史さん2019/05/20(月) 15:05:44.85
>>418
文盲で理解力がないって致命的だぞ

421日本@名無史さん2019/05/20(月) 15:08:54.97
>>418
はよ消え去れや。

422日本@名無史さん2019/05/20(月) 15:11:12.54
>>417
その原始信仰の上にお宮さんが建てられているのは事実やろ。
しかしやな、そのお宮さんを建てたのが誰かという話になるんやな。
安曇族ではなしに、別の海人族かもしれん。
摂津の安曇氏がその志賀の海人族の末裔やと証明できるのならええ。
だが、それを証明するものがないやないか、というとるの。
乱暴な話をすれば、摂津安曇氏が、志賀海人族の信仰を乗っ取ったという話もできる。
話だけはや。
これと同じに、志賀の海人族は安曇族やというのも、根拠を示せん以上、話にすぎんとみなすことも可能やということになる。
そこのところの根拠が問題になってるわけよ。

423日本@名無史さん2019/05/20(月) 15:13:04.38
>>419
横からごちゃごちゃ吠えんな。

424日本@名無史さん2019/05/20(月) 15:14:23.22
>>421
人の受け売りしかできん者は、このスレには必要ない。
帰れ。

425日本@名無史さん2019/05/20(月) 15:16:53.22
>>424
チョンの妄想箱のスレに不要
はよ消えろ。

426日本@名無史さん2019/05/20(月) 15:17:53.44
>>422
お前の空想じゃん

427日本@名無史さん2019/05/20(月) 15:49:05.57
だーかーらーw
まず、摂津チョンコも全国に広がった安曇属がワダツミを始祖としてるのには同意してるんだよな?
とすれば、ワダツミの本拠地がどこかって問題だよな?
摂津チョンコは摂津にワダツミの本拠地を比定できてんの?
神話の話には史実が隠れてるという民俗学の視点で見ると、ワダツミ三神はイザナギの禊でスミヨシ三神と共に生まれ出たことになってるよな?
アマに住むアズミとエに住むスミヨシ(スミエ)は一緒に生まれた三つ子の多胎児ってことだ
多胎児の片割れであるスミヨシ三神は800年前までは那の津(博多湾)の河口だった現人神社に祀られ、のちに現在の住吉神社の地に遷宮され、全国にある住吉神社の総本社となった
摂津の住吉大社もこれは認めてる
同時に生まれたはずのワダツミ三神が那の津の湾内以外に祀られるのは極めて不自然だろw
実は摂津チョンコと似た文調の>>380が書いた中津宮付近にはイザナギの禊地であるという伝承があり、御身洗という地名を残してる
伝承ではワダツミがその場に留まり、スミヨシは那珂川河口に降りたとしてるんだ
なによりも安曇族の始祖がワダツミであるならば全国の綿津見神社、海神社の総本社である志賀海神社こそが安曇族の本拠に他ならないって結論しか導き出せないだろ?

428日本@名無史さん2019/05/20(月) 15:58:38.18
>>422
そんな「もしも話」し出したらキリがねぇだろバ〜カ

429日本@名無史さん2019/05/20(月) 16:59:37.68
>>426
お前のtallinn頭じや、そうしか理解できわな。

430日本@名無史さん2019/05/20(月) 17:04:50.55
>>427
なんか思い込みというか、基本的なことを理解してないというか。
そもそもワダツミは、南九州のアハギハラというところの河口の海で生まれたと書紀に書いてあるわな。
まず、そこから論を始めんで、いきなり那の津を持ち出してくるのは、乱暴な論やと思わんか。

431日本@名無史さん2019/05/20(月) 17:12:40.27
筑紫の日向の橘の小戸のアワキハラなら、福岡市西区小戸だな。

432日本@名無史さん2019/05/20(月) 17:57:18.82
>>431
日本書紀のアワギハラが福岡市の小戸だとの説だが、一足飛びに断定するだけじゃなく、論証が必要だね。
普通は、日向は南九州を指すとされているからね。
どういうわけで、日向が福岡市になるのかな。

433日本@名無史さん2019/05/20(月) 18:47:42.00
記紀海神族の可能性というのは、
縄文以来、倭人伝によって金印57年以降の九州北岸の諸国であって
倭国大乱後190年付近で卑弥呼擁立の筑紫21国の北部博多湾岸国だよ。

或いは、
BC200年辺りから本州への青銅搬入を背負った
これは、邪馬台国勢力が及ばなかった
遠賀川地域〜隠岐出雲〜丹後〜糸魚川〜男鹿の日本海縄文海神。
瀬戸内海海神、吉備と繋がる行橋中津地域の、海賊w氏族もあるかと思う。

本願的には銅鐸文化の非統一によって
壱岐と沖ノ島、対馬の東岸と西岸で別れる
本州寄りと九州系の2系統が有るべきかと思う。

宗像より古そうな、安曇族が卑弥呼擁立の海神族、まあ 奴国が妥当で、
卑弥呼没年247年以降、『因齎詔書 黄幢 拝假 難升米 為檄告喩』
による、東夷侵略加担要請の魏との交流を嫌った、
大和朝廷の前身に下った、当時の邪馬台国の一国、奴国や所属国が
半島や糸魚川方面の開拓に配流されたというのは当然有り得る。

これは三国志中国統一半島進出の魏に、屁垂れた卑弥呼の危機を察知できた、
朝廷が有ったからこそ、富国強兵で半島進出や牛馬の移入に成功したのであって
大和朝廷成立への古代日本史史上でも 決定的な好采配だろ?

こんなもん、戦国の歴史の可能性として、全然、謎じゃないだろ?

434日本@名無史さん2019/05/20(月) 19:47:36.06
北方馬賊侵入説だっけ? って有っただろ?
馬と鉄器が敵だと、縄文の関東方面は当然敗北する。

ところが、歴史はそうならない。
300年当時の富国強兵で関東に馬が導入されるのは
朝廷の御牧や、貨幣価値のある税としての稲を栽培させたからである。

おまえら、米が喰えるのは誰のおかげだよw 
なんで、弥生人は米の為に郡国領主の奴隷になるかねwww

治安を提供されない土地所有は無い。
戦国領主は、朝廷から領地安堵を認められた。
これが、日本史の基本だろ?

水戸学の基準で、現代では記紀は、デタラメなんだがw

それによって、歴史上の固有の領土というものが確定している
日本の天皇制は永遠でなければならない。

歴史の話で、中韓が歴史上固有とか、ないからwww
チベットウイグル満州がなんで中共だよ?
世界征服が解放軍だろ?

竹島の韓国人に至っては、盗っ人猛々しい。

435日本@名無史さん2019/05/20(月) 20:17:34.69
>>432
どこの世界の「普通」だよ。
そもそも、弥生時代を遡れば遡るほど、南九州など何もなくなる。

436日本@名無史さん2019/05/20(月) 20:20:31.12
銀座といえば、普通は東京都中央区銀座を指すのだろうが、どこかの田舎が「うちにも銀座があるから、どちらかわからない」と嘯くようなもの。
筑紫の日向は弥生銀座の一角を占める福岡市西部だよ。
それ以外の場所だというのなら、その根拠を示せ。

437日本@名無史さん2019/05/20(月) 20:49:50.08
>>430
もうね、お前の姿勢は郷土愛か何か分からないけど頑なに阿曇の本貫を志賀島にしたくないという感情論が最優先されてて話にならない。

阿曇に呼応する住吉の存在からも意図的に目をそらしてるし、摂津安曇が志賀海人族の信仰を乗っ取ったなどという暴論を持ち出してまで煙にまこうと必死になる理由が不明。

住吉の本社が博多湾の南岸にある住吉神社で、海神の本社が博多湾の北の沖にある志賀海神社なのだから、素直に史料と現存する神社から読み解きなさいよと言いたい。

摂津には海神の本社もなければ伝説もないのだから。

438日本@名無史さん2019/05/20(月) 20:59:23.71
奴国研究者の受け売りだと、黄泉の国から「帰って来て」から檍原に「行って」禊をしたのだから
帰ってきた場所は淤能碁呂島=博多湾に浮かぶ能古島で檍原は志賀島って説を見たことがある

439日本@名無史さん2019/05/20(月) 21:10:33.25
奴国研究者って、何?

440日本@名無史さん2019/05/20(月) 21:11:55.91
黄泉の国って硫黄温泉だからな

441日本@名無史さん2019/05/20(月) 21:15:48.71
黄泉の国って、日本列島以外の
当然の隣接半島の事? だよね? クワバラクワバラw。

442日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:33:05.64
今でも筑紫日向(竺紫日向)は宮崎だなって言ってるやつが入るんだな

443日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:34:49.17
>>438
タチバナというのは岬のことであり、小戸すなわち九州半島側であることは確実。

444日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:36:45.21
>>441
温泉といえば九州であることが確実。
また、黄泉比良坂の、ヒラは上り坂、サカは下り坂なので、黄泉の国は奴国から峠を一つ越えただけのところにある。
少なくとも福岡県内であり、本州でも半島でもない。

445日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:37:23.99
>>443
九州半島側ではなく九州本島側な。
誤変換容赦。

446日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:41:19.59
>>445
九州島でええやんけ

447日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:47:30.73
>>437
なんか、スゲーふぁんたじーワールドだな。
日向は普通、南九州のことだが、その日向が福岡市あたりだというその理由については、爪のあかほども説明ないな。

448日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:51:59.13
>>438
能古島は、残(のこ)の字が使われることがあるので、(残った嶋)が能古島の意味だろうよ。
つまり、志賀島が陸繋島となって本土につながったので、能古島が最後まで海中に残った島という意味だろうな。

449日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:56:26.49
>>438
黄泉の国で伊邪那岐は伊邪那美に、「伊邪那岐命語詔之、愛我那邇妹命、吾與汝所作之國、未作竟、故可還」と言ってるから、還ったのは淤能碁呂島で間違いないと思われ
淡路の比定地で人気があるのは自凝(島)神社のある沼島か淡路島だけど、禊をした伝承のある地は付近にないんだよな

450日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:57:13.49
>>447
お前のトンスルファンタジーほど臭くないからOK!

451日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:58:03.43
>>448
陸繋島になったのは昭和だぞ無能チョンw

452日本@名無史さん2019/05/20(月) 22:59:53.94
>>437
尋ねているのは、安曇氏が糟屋の志賀から移住したという史料だよ。
それしか聞いてないよ。
たったそれだけの史料が出せんのに、摂津安曇氏が志賀から移住したのは歴史事実だとのたまわっても、はいそうですかとはならんだろうが。

453日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:06:03.47
史料研究の最前線で日向を日向国に比定してたのは昭和中期くらいまでだろう。
日向の説明として「此地は韓国に向ひ、笠沙の御前を真来通りて、朝日の直刺す国、夕日の日照る国なり。故、此地は甚吉き地。」とあるのだから、カラクニと対峙せず、西側に1,500m級の連山がそびえる日向地方は夕日の日照る地にはなりえないというのが現在の通説。

454日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:08:28.78
>>447
その思い込みに根拠がない。

455日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:08:41.24
>>452
海神の本社は志賀海神社で信州安曇郷もその通説を継承してるのに、その中継地点である摂津安曇だけが志賀島以外から発生した安曇と考えるほうがどうかしてる

456日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:11:50.86
>>451
志賀島はずっと陸繋島だった。
ただ、満潮時にはその砂洲は水没していた。
昭和に橋を架けてから橋脚部分に砂がたまって水没しなくなっただけやな。
陸繋島であったのは変わらん。

457日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:12:30.94
>>456
無知無能のトンスル妄想だから却下な。

458日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:14:49.12
>>453
ってことはツクシの日向は朝日が遮られず、夕日も遮られない土地
つまり高山か島ってことになるな

459日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:18:28.09
>>380
>なお、全国の阿曇氏の祖神で綿津見神(少童命)と同一神と目される阿曇磯良は八幡愚童訓において、「安曇磯良ト申ス志賀海大明神」と記され、
>阿曇氏の祖とされる大浜宿禰は新撰姓氏録の右京神別下で「安曇宿禰"海神綿積豊玉彦神"子穂高見命之後也」とあり、
>同録の摂津国神別にも「安曇宿禰同祖"綿積命"六世孫小栲梨命之後也」と記されとる。

これで十分に思えるね。

460日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:20:29.96
>>456
志賀島がに砂州が溜まったのは福岡(黒田)藩が冷泉の津を埋め立ててからと記録があるぞ

461日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:21:24.70
>>459
摂津チョンコはそれでもガンとして減らず口を叩いてるがな

462日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:22:56.68
>>380
>あと、志賀海神社には元宮があり、志賀島最北部の勝馬に現在も表津宮跡、中津宮、沖津宮が残っとる。

>>427
>実は摂津チョンコと似た文調の>>380が書いた中津宮付近にはイザナギの禊地であるという伝承があり、御身洗という地名を残してる

これだと、イザナギの禊は九州ではなく志賀島になってしまうなあ。
それとも、橘(岬の意)そのものが志賀島のことなのか?
そうすると博多湾全体が筑紫の日向?

463日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:23:10.52
摂津チョンコって呼び名やめへん?
絶対に志賀島は嫌マンとかでええやんけ

464日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:24:07.44
>>462
伊都国・奴国メインで研究してる人たちはそう考えてるよね

465日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:25:00.48
>>462
もしくは小戸
伊都クズさんのスレに詳しい

466日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:27:51.55
>>456
少なくとも香椎宮の記録では離島となっている

467日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:36:21.78
>>453
完全否定されてるトンデモ説を、いまだに信じてるとはな。
しかも、「日向」の字が見当たらんじゃないか。
韓国については、書紀で「空国」(むなくに、からくに)と書かれているそれを、古事記が勘違いで韓国(からくに)と表記をしたのだろうな。
いずれにしても、イザナギが禊したアワギハラがある日向が福岡市あたりだという説の説明にはなってないぞ。
日向=福岡市あたり説は、勝手解釈の結果やとや言われてもしようがないなあ。

468日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:37:38.55
wiki 志賀島から引用

1281年(弘安4年)、弘安の役では 志賀島の戦いの舞台となる。
博多湾に現れた元軍は、石築地(元寇防塁)からの上陸を避け、陸繋島である志賀島を占領し軍の停泊地とした。
これに対して、日本軍は海上と海の中道の陸路から元軍に総攻撃を行った。
この志賀島の戦いで日本軍は大勝し、元軍は志賀島を放棄して壱岐島へと後退した。

469日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:38:43.33
>>467
引用された文章全体が、筑紫の日向についての説明だ。
勉強して出直せ。

470日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:40:26.51
>>467
>韓国については、書紀で「空国」(むなくに、からくに)と書かれているそれを、古事記が勘違いで韓国(からくに)と表記をしたのだろうな。

文字は後から当てただけだよ。
「からくに」と言えば、朝鮮半島に他ならない。
「空国」では具体的にどこも指していないことになるからナンセンス。

471日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:41:42.84
>>467
>いずれにしても、イザナギが禊したアワギハラがある日向が福岡市あたりだという説の説明にはなってないぞ。

それ以外のどこだというのだ。
証拠をつけて言ってみろ。

472日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:45:43.88
筑紫や筑紫島を九州島と見る研究者もいるけど、筑紫は北部九州を指す以外に使われた史料はないいだよね
筑紫島も"筑紫のある島"と捉えるのが妥当だと思う

天照や天孫が穀霊神に繋がる稲作農耕の神様だって考えれば、最古の稲作遺構が古墳時代の日向の国より縄文晩期から稲作やってる福岡市のほうが自然だしね

473日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:49:10.98
安曇の本貫地はどこだ?という題から目をそらさせようと必死な摂津チョンコの策に九州勢がハマってて草

474日本@名無史さん2019/05/20(月) 23:59:05.40
>>460
その記録の部分を挙げてみてくれ。
冷泉の津が埋め立てられたのは事実やが、冷泉の津の海にいくつもあった島が陸につながったとされている。
志賀島は北に遠く離れているので、冷泉の津の埋め立てで志賀島がつながったとは信じがたい。
その記録の部分を挙げてくれ。
話は、それからや。

475日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:01:35.46
>>471
なに言うとるの。
通説は、日向は南九州や。
それを日向は福岡市あたりやと異常な論を出してるのやから、そちらが証明せなあかん問題やないか。
へんなこと言うな。

476日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:01:37.65
>>474
アホかよ
南側の埋め立ての影響で北側に砂洲が溜まったってことやろ
出典に関しては調べられる自信がないから>460に譲る(笑)

477日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:02:44.86
>>475
ジジイかよ>>453が現在の通説だマヌケチョン

478日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:03:17.67
>>475
だから南九州のどこだよ。
何県何市何町だよ。

479日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:03:38.75
摂津チョンコwww

480日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:04:21.17
>>475
下手なエセ関西弁がキモくてゲロ吐きそうだから標準語で頼むは

481日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:06:00.65
元寇の時にはもう陸繋だったらしいとの話はあるね。
しかし香椎宮の記録では、古代には繋がっていなかった?
てっきり海の中道が天の浮橋かと思っていたよ。

482日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:06:44.60
福岡は自然の埋め立てや人口の埋め立てに加えて過去を振り返りたがらない気質があるから地名と伝承が残りにくくて可哀想

483日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:11:30.47
>>481
>>380がリンク張ってくれてる社団法人土木学会のファイルを見ると地盤は繋がってないのが分かる
宮津の天橋立や別府の瓜生島みたいに周期的に離れたり、繋がったりしたんじゃない?

484日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:11:46.86
>>470
日本書紀を読んでから、それを言うのがよい。
日本書紀は「そ宍の空国」と書いてある。
背中の肉のように豊かでない国という意味がそれや。
霧島連山から南西の今の南さつま市の吹上浜に向かう山の尾根のことや。
具体的にどこも指してない、などと書紀よんでない証拠やな。
韓国と書いた古事記は、意図的に間違った字を用いたのよ。
古事記は、そもそも信用ならん史書や。

485日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:18:43.44
とんこつラーメンで有名な長島も1200年頃の古地図だと陸繋砂州で、1600年頃の地図だと完全に陸地になってるから博多湾の地形って流動的なのかも

486日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:21:08.14
元寇のときには繋がっていたそうじゃないか。
黒田藩の埋め立てで繋がった志賀島て、どの島よ。

487日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:23:53.90
結局、能古島(残島)は、海中に残った島という意味でよい、ということやね。

488日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:24:06.94
>>484
そんなところに皇祖つまり倭王がいる必要はない。
考古学的にも何もない。

489日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:25:37.89
>>484
それこそ摂津チョンコの屁理屈やろ

490日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:26:10.20
>>480
意味わかったら、ええやないか。

491日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:26:19.89
>>487
それはチョンコの思い込み以外に根拠がないから却下やで

492日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:27:03.97
なんでチョンコのくせにエセ関西弁使うの?

493日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:29:03.43
>>478
はよ、日向は福岡市あたりのことやという説の、その根拠を言わんかいな。
韓国じゃ説明にならんわ。

494日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:32:19.71
>>493
いやお前が反論したんだから反証義務はオマエ摂津チョンコにあるんだぞ無能

495日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:34:11.03
>>493
韓国と対峙してて朝日と夕日を遮らない土地だからでしょう?
宮崎は朝日が刺す以外の条件がないし、そもそも弥生時代の遺物が殆ど出てないでしょ

496日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:38:27.95
>>487
残されるという語が上古にあったとは思えないなあ。

497日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:41:20.17
結局のところ摂津チョンコは文句が言いたいだけで反証は出来ないアホ野郎だから
相手にしても無駄なんだってみんな気づいたほうが良い

498日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:42:16.40
>>493
漢字表記は当て字に過ぎない。
「からくに」は朝鮮半島に他ならない。
それを正面に見るのだから、玄界灘のどこかに限定される。

499日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:46:38.69
古代スレって其々に色んなチョンコが棲み憑いているんだね

500日本@名無史さん2019/05/21(火) 00:48:56.71
最近はここの摂津チョンコと高天原スレのカマチョンがアツいね
ちょっと前までは百済スレの無能ヒトモドキってのが面白かった

501日本@名無史さん2019/05/21(火) 01:03:12.78
>>491
残の字があるやんけ。

502日本@名無史さん2019/05/21(火) 01:05:52.51
>>498
どこかに限定される、という文の主語はなにか。

503日本@名無史さん2019/05/21(火) 01:14:40.78
>>496
能許利多留由棄仁末自例留宇梅能半奈…
(残りたる雪に混じれる梅の花…)
           万葉集 大伴旅人

504日本@名無史さん2019/05/21(火) 01:23:29.27
結局、摂津安曇氏が糟屋志賀の出自であるとする説を裏付ける資料はないということやな。
かくまでひつこく食い下がったワイも、実は摂津安曇氏は志賀から来たと思っとるのやが、いかんせんそれを証明する資料に出会わんのだ。
それで、お主らに聞いてみたのやが、同じことやった。

505日本@名無史さん2019/05/21(火) 01:34:03.83
日本書紀の巻第一、第五段、一書曰の六

伊弉諾尊既還、乃追悔之曰、吾前到於不須也凶目汚穢之處。故當滌去吾身之濁穢、
則往至筑紫日向小戸橘之檍原、而秡除焉

そもそもアワキハラと読むのは古事記であって、日本書紀には明確に「檍原」と記されているのだからアホキハラないしイキハラと読むべき

そして檍原の場所が分からないのなら、その後の行動から推察すれば良い
海辺で厄神と直神2柱が生まれ落ちた後に入水し、

又沈濯於海底。因以生神、號曰底津少童命。次底筒男命。
又潛濯於潮中。因以生神、號曰中津少童命。次中筒男命。
又浮濯於潮上。因以生神、號曰表津少童命。次表筒男命。
其底筒男命・中筒男命・表筒男命、是?住吉大神矣。
底津少童命・中津少童命・表津少童命、是阿曇連等所祭神矣。

海の底に沈んで濯うと底津ワタツミ、次いで底筒ノオという神が生まれる。
潮の中に潜って濯うと中津ワタツミ、次いで中筒ノオという神が生まれる。
潮の上に浮いて濯うと表津ワタツミ、次いで表筒ノオという神が生まれる。
底筒ノオ、中筒ノオ、表筒ノオ、それ即ち住吉大神である。
底津ワタツミ、中津ワタツミ、表津ワタツミ、それ阿曇連たちの祭る神である。

残念ながら日向の有力比定地である日向国に住吉と綿津見の伝承はない
淤能碁呂島の有力比定地である淡路にも住吉と綿津見の伝承はない
摂津には住吉の伝承はあるが、本貫は筑前住吉神社に譲っており、綿津見伝承はない

地名から推察できない以上、そして行動から推察する限り禊を行ったのも、淤能碁呂島も筑紫日向小戸橘之檍原も
禊伝承と住吉伝承、綿津見伝承の3つが揃っている那の懸界隈の他にないと言える

506日本@名無史さん2019/05/21(火) 01:38:56.79
>>504
直接の資料がないケースなんてゴマンとあるやんけ
一級史料の前後や社伝、伝承、を交えて比定するのが歴史学やと思うんやが
もちろん異論もあるやろが、累積できる根拠の多い方を採るのが学術的姿勢と思うわ

507日本@名無史さん2019/05/21(火) 01:44:53.43
>>504
やけん>380の、
>なお、全国の阿曇氏の祖神で綿津見神(少童命)と同一神と目される阿曇磯良は八幡愚童訓において、「安曇磯良ト申ス志賀海大明神」と記され、
>阿曇氏の祖とされる大浜宿禰は新撰姓氏録の右京神別下で「安曇宿禰"海神綿積豊玉彦神"子穂高見命之後也」とあり、
>同録の摂津国神別にも「安曇宿禰同祖"綿積命"六世孫小栲梨命之後也」と記されとる。
でとっくに解決しとるとって(笑)
志賀海神社以外に綿津見信仰や海神崇拝の本社がないんやけん疑念を持つほうがオカシイ。

508日本@名無史さん2019/05/21(火) 01:54:43.85
>>505
行動から探るって他で見たことない考察だな
面白い

509日本@名無史さん2019/05/21(火) 02:24:22.23
>>507
綿津見と磯良は別だからなあ。
磯良は氏神、綿津見は海神。
綿津見は博多あたりの海人が祀っていたのを、5世紀頃になって摂津の海人豪族安曇が博多の海人に代わって綿津見を祀るようになったのだろう、という見方は面白いな。

510日本@名無史さん2019/05/21(火) 02:33:23.93
>>509
志賀の安曇氏は5世紀頃に摂津から移住してきた海人豪族で、その本家の摂津安曇氏は朝廷の内膳司として仕えるようになったものの、やがて高橋氏と競って競り負けたということかな。

511日本@名無史さん2019/05/21(火) 02:35:19.98
>>509
畿内チョンコって乗っ取った説が大好きだよね(笑)

512日本@名無史さん2019/05/21(火) 02:44:28.25
>>511
マルハン創業者の韓昌祐氏によれば、関西には密入国して日本人の戸籍を背乗りした朝鮮人がいっぱいいるらしいからね。
自分たちの得意技を自慢したいのかもね。

513日本@名無史さん2019/05/21(火) 02:47:48.06
順番としては元々磯良を祀ってた志賀海神社を綿津見三神が乗っ取ってるんだけどな

514日本@名無史さん2019/05/21(火) 03:01:25.98
>>510
磯良も綿津見も博多の海人の族神、海神だろう。
この博多海人族は、中国史書で奴国と呼ばれた部族だろう。
この奴国の海人族は、南九州の阿多族を本家とする海人系の分家筋にあたる集団だ。
一方、阿多族や奴族とは遠縁に当たる摂津安曇氏は難波近辺の津守氏と同族の海人で、淡路に勢力を持っていたのだろう。
応神政権が朝鮮半島との交易を活発化するのに伴って、東の住之江は津守氏が、西の博多は安曇氏がそれぞれ分担して海神を祀ることになり、安曇氏が博多に赴いて綿津見を志賀島に祀り、また氏神を磯良として祀ったのだろう。
仲哀紀で博多から豪族が出迎えなかったのは、志賀安曇氏が在来系の豪族ではなく朝廷に仕える摂津安曇氏の分家であり、博多が大和朝廷の直轄地となっていたことなどを反映したということなのだろう。
まあ、志賀安曇氏は、摂津安曇氏の分家とみるのがよいのではないか。

515日本@名無史さん2019/05/21(火) 04:02:35.45
>>509-510
全然違うよ。

>新撰姓氏録の右京神別下で「安曇宿禰"海神綿積豊玉彦神"子穂高見命之後也」
つまり、本家安曇はワタツミの子ホタカミの子孫。
ホタカミ(ウツシヒカナサク)を祭る神社は志賀海神社の境内にある今宮神社と長野県安曇野の穂高神社で摂津は無関係。
一方
>新撰姓氏録の摂津国神別に「安曇宿禰同祖"綿積命"六世孫小栲梨命之後也」
つまり、摂津阿曇はワタツミの6世孫(=ホタカミの5世孫)のコタクナシの子孫。

時系列に並べると、筑紫安曇が本家、信濃安曇が分家、摂津安曇は分家の分家の分家の・・・略。

また
先代舊事本紀の巻一、陰陽本紀には「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」
要はワタツミ3神は安曇連らが”いつきまつる”筑紫の志賀海神社。

時代をのぼって
宗像大菩薩御縁起には「武内宿禰が天の岩戸の神楽に倣って呼び出そうと神功皇后に提案して安曇磯良丸を召喚。
熊襲退治と三韓征伐で活躍した磯良丸に48隻の船を与えて難波に移らせた」とある。

もう十分でしょう。

516日本@名無史さん2019/05/21(火) 04:13:08.01
>>514
> この奴国の海人族は、南九州の阿多族を本家とする海人系の分家筋にあたる集団だ。
根拠の提示を求む

> 一方、阿多族や奴族とは遠縁に当たる摂津安曇
根拠も求む

> 東の住之江
住之江は筑前現人神社が発祥であることは住吉大社も認めるところから却下

> 安曇氏が博多に赴いて綿津見を志賀島に祀り、また氏神を磯良として祀ったのだろう。
磯良は那の津の土着神であることは記紀及び数多の史料が認めるところだから却下

> 仲哀紀で博多から豪族が出迎えなかったのは、志賀安曇氏が在来系の豪族ではなく朝廷に仕える摂津安曇氏の分家であり、博多が大和朝廷の直轄地となっていたことなどを反映したということなのだろう。
> まあ、志賀安曇氏は、摂津安曇氏の分家とみるのがよいのではないか。
完全なる妄想でしかないから却下

517日本@名無史さん2019/05/21(火) 04:27:23.46
古代阿曇氏小考

https://seijo.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3754&file_id=22&file_no=1

518日本@名無史さん2019/05/21(火) 04:50:54.35
>>515
皆、平安時代の系図などだな。
こんぐらがって分からなくなったあとの再編系譜だよ。
海人族の宗本家は南九州阿多族。
その分家が博多の奴族。
丹後や尾張ほかの西日本の海人族は阿多族が西日本に広がったときの血族。
長野の安曇は、ずっとあとのおそらく白村江のあとの安曇分散で生じた比羅夫系の一派だろう。
志賀の安曇は、5世紀頃に摂津安曇の分家あたりが朝廷の政策で綿津見を祀るために移住したものだろうな。
綿津見と筒男は元々は薩摩阿多の宗本家が祀っていたのが、応神政権の要請で綿津見は安曇に、筒男は津守に祀らせるようになったというのが、最も妥当なところだな。

519日本@名無史さん2019/05/21(火) 04:51:59.85
>>517
380がすでに小馬鹿にしてる連中の資料の寄せ集めやんけ

520日本@名無史さん2019/05/21(火) 04:54:07.95
>>518
何がなんでも志賀島にはしたくない情熱www

521日本@名無史さん2019/05/21(火) 04:55:28.45
>>518
>海人族の宗本家は南九州阿多族。
>その分家が博多の奴族。
イキナリ始まりから無根拠の妄想じゃんか

522日本@名無史さん2019/05/21(火) 04:58:42.89
今度は隼人チョンなのか?www

523日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:04:05.40
>>509-510,514>>517-518

親の前で10回音読してから出直して来い


チョンコの考える「正義」の概念は非常に独特であり、まず根拠を必要としないという特徴があります。
なぜ根拠を必要としないかと言うと「この世に正義は一つしか存在しない」と考え、特に根拠はないのですがチョンコだけがその「正義」の側だと信じ込んでいるからに他なりません。

通常、それぞれが正義と信じる者同士が争った場合、ホモ・サピエンスは「相手の正義」の存在を認識しながらも「自分の正義」のために戦います。
「相手の正義」を認識しているからこそ、勝ったときには相手を称え、負けたとしても自分が「悪」だとは考えません。

一方、チョンコはとにかく「相手の正義」の存在をいっさい認知できず、相手の劣等性を指摘(曲解でも、捏造でも、その件と全く関係なくても、何でも良い)する事で
「自分だけの正義」の担保とします。
ですから勝った時には殊更に負けた相手を「悪」と罵り、負けた時には難癖をつけて負けを認めないことで「自分だけの正義」を守ろうとするのです。
つまり負けは「悪」なので「感情的に受け入れられない」と逃げ回るのです。

また、自分自身に向けられた問題提議や指摘を模倣し、オウム返しのように相手にぶつけます。

こういったチョンコ独特の「正義観」は独特と言えるもので、予備知識を持たずに対峙すると「錯乱している」「気が狂っている」としか映らず対話を諦めてしまう結果となってしまいます。
しかし、チョンコ独自の正義「観」を知っておくことで対話は可能となるのです。

では、この特殊な「正義観」にはどう対処すべきなのでしょうか?
その手法は非常に簡単です。

論点をすり替えさせる隙を与えないこと。
多くの問題をいっぺんに片付けようとせず、一つずつ解決していくことです。

チョンコにとって負けは「悪」ですから受け入れることは出来ません。
ですから負けを予感した瞬間に別の戦いを仕掛けて負けかけたことをなかった事にしようとします。
チョンコ以外の人が見れば「逃げた」「論点をすり替えた」「卑怯」と映るでしょうが、そうではありません。

チョンコ独自の「正義観」では負けなければ「正義」であり、ウソでも何でも「じぶんだけの正義を貫くこと」が何よりも優先されているだけなのです。

524日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:31:30.42
けっこう有益な情報もあるのに民族願望やら罵詈雑言で埋もれてしまってますね。

海人族論に関しては>>210の天津神・国津神論や>>211のアマ・ワタ論に対する色んな意見をもっと聞いてみたいですね。

安曇本貫地については>>341の面土国=ワタツチは興味深いし、多岐に渡る>>380のような考察と反証も面白いし、>>427>>505の住吉との関連も面白いですね。
個人的には>>515の旧事紀からの引用で解決って気がします。

525日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:32:08.67
自分の宿題の調査を他人にさせただけじゃん。

526日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:34:44.46
>>514
奴国は都市化が進み過ぎて、特定の優勢な氏族がない政治的空白だったのでは?
魏志倭人伝でも、大都市なのに権力を持っていたのは小さな伊都国の方だった。

527日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:36:22.35
奴族の末裔の志賀の草が細々と綿津見を祀っていたところ、応神政権が瀬戸内海と玄界灘の制海権を確保するために、
住之江では筒男神を津守氏に祀らせ、摂津安曇氏には博多で綿津見神を草から乗っ取って祀るようにさせたのだろう。
このときに、博多の現地へ赴いた安曇氏の分家は氏神の磯良を分祀してもらい、志賀で祀るようになったということなのだろう。
513さんとは逆になるが、これが歴史の真実だろうな。

528日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:37:28.48
>>518
>海人族の宗本家は南九州阿多族。

根拠なし。
却下。

>志賀の安曇は、5世紀頃に摂津安曇の分家あたりが朝廷の政策で綿津見を祀るために移住したものだろうな。

根拠なし。
却下。

何が「妥当」だよ。
お前、キナイコシだろ。
嘘をつくときの口癖が出ているぞ。

529日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:41:04.26
福岡ではチョンコとは言わないね

530日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:45:00.27
>>291が非常に良いこと言ってるんだよな。

> 横からだが、日本史板の特に古代スレで「〜たのだろう。」って言うやつは例外なくチキガイ。
> 思い込みが強く、他説を聞き入れる耳もなければ、聞き止める度量もない。
> そしてどんどん追い詰められるスタイルが共通点。

531日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:47:34.51
>>522
日本書紀読んで、考古学の知見と合わせたら、こうなるな。
お前は素人だから、口出すな。

532日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:50:27.69
>>527
お前は>>516が読めないんけ?

>> 東の住之江
>住之江は筑前現人神社が発祥であることは住吉大社も認めるところから却下

>> 安曇氏が博多に赴いて綿津見を志賀島に祀り、また氏神を磯良として祀ったのだろう。
>磯良は那の津の土着神であることは記紀及び数多の史料が認めるところだから却下

533日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:52:03.38
>>529
チョンよりチョンコの方が可愛くない?

534日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:53:41.28
>>531親の前で10回音読してから出直して来い


チョンコの考える「正義」の概念は非常に独特であり、まず根拠を必要としないという特徴があります。
なぜ根拠を必要としないかと言うと「この世に正義は一つしか存在しない」と考え、特に根拠はないのですがチョンコだけがその「正義」の側だと信じ込んでいるからに他なりません。

通常、それぞれが正義と信じる者同士が争った場合、ホモ・サピエンスは「相手の正義」の存在を認識しながらも「自分の正義」のために戦います。
「相手の正義」を認識しているからこそ、勝ったときには相手を称え、負けたとしても自分が「悪」だとは考えません。

一方、チョンコはとにかく「相手の正義」の存在をいっさい認知できず、相手の劣等性を指摘(曲解でも、捏造でも、その件と全く関係なくても、何でも良い)する事で
「自分だけの正義」の担保とします。
ですから勝った時には殊更に負けた相手を「悪」と罵り、負けた時には難癖をつけて負けを認めないことで「自分だけの正義」を守ろうとするのです。
つまり負けは「悪」なので「感情的に受け入れられない」と逃げ回るのです。

また、自分自身に向けられた問題提議や指摘を模倣し、オウム返しのように相手にぶつけます。

こういったチョンコ独特の「正義観」は独特と言えるもので、予備知識を持たずに対峙すると「錯乱している」「気が狂っている」としか映らず対話を諦めてしまう結果となってしまいます。
しかし、チョンコ独自の正義「観」を知っておくことで対話は可能となるのです。

では、この特殊な「正義観」にはどう対処すべきなのでしょうか?
その手法は非常に簡単です。

論点をすり替えさせる隙を与えないこと。
多くの問題をいっぺんに片付けようとせず、一つずつ解決していくことです。

チョンコにとって負けは「悪」ですから受け入れることは出来ません。
ですから負けを予感した瞬間に別の戦いを仕掛けて負けかけたことをなかった事にしようとします。
チョンコ以外の人が見れば「逃げた」「論点をすり替えた」「卑怯」と映るでしょうが、そうではありません。

チョンコ独自の「正義観」では負けなければ「正義」であり、ウソでも何でも「じぶんだけの正義を貫くこと」が何よりも優先されているだけなのです。

535日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:57:21.21
>>524も非常に良いこと言ってるんだよな。
>
> けっこう有益な情報もあるのに民族願望やら罵詈雑言で埋もれてしまってますね。
>
> 海人族論に関しては>>210の天津神・国津神論や>>211のアマ・ワタ論に対する色んな意見をもっと聞いてみたいですね。
>
> 安曇本貫地については>>341の面土国=ワタツチは興味深いし、多岐に渡る>>380のような考察と反証も面白いし、>>427>>505の住吉との関連も面白いですね。
> 個人的には>>515の旧事紀からの引用で解決って気がします。

536日本@名無史さん2019/05/21(火) 05:58:40.35
>>531
お前ごとき虫けらが考古学を語るなんて半万年早いわ(笑)

537日本@名無史さん2019/05/21(火) 06:17:20.19
ん?摂津チョンコ=エセ関西弁のキナイコシってこと?

538日本@名無史さん2019/05/21(火) 06:24:33.03
普通の日本人ならチョン呼ばわりされるのは最大級の侮辱だから↓こんな感じの反応示すのが普通

- 佐賀県知事、韓国・北朝鮮に例えられた発言について不快感示す -
https://www.saga-s.co.jp/articles/-/376444

日常的に5chでチョン認定されてるから慣れっこなんだろうね

539日本@名無史さん2019/05/21(火) 06:41:05.21
でも日頃から思ってたんだろうねw

540日本@名無史さん2019/05/21(火) 07:01:15.11
キナイコシって存在を最近知ったんだけど、なんでキナイコシなの?
過去に自称したの?それとも何か由来があるの?

あと、ここの摂津チョンコはキナイコシが似非関西弁を使う猿芝居用のキャラだってのは分かったんだけど
高天原スレのカマチョン(カマ先生)もキナイコシだよね?
百済スレの無能ヒトモドキもキナイコシ?

541日本@名無史さん2019/05/21(火) 09:42:29.17
>>532
さあな。
そんな記事みたことないな。

542日本@名無史さん2019/05/21(火) 09:44:23.03
>>528
お前は、歴史を知らん。

543日本@名無史さん2019/05/21(火) 09:46:34.01
>>534
演説はそれだけか。
内容空疎。
だれも読まん。

544日本@名無史さん2019/05/21(火) 09:48:35.15
>>536
知識なしにあれこれ吠えるだけ。

545日本@名無史さん2019/05/21(火) 12:05:58.27
>>541-544
キナイコシって存在を最近知ったんだけど、なんでキナイコシなの?
過去に自称したの?それとも何か由来があるの?

あと、ここの摂津チョンコはキナイコシが似非関西弁を使う猿芝居用のキャラだってのは分かったんだけど
高天原スレのカマチョン(カマ先生)もキナイコシだよね?
百済スレの無能ヒトモドキもキナイコシ?

546日本@名無史さん2019/05/21(火) 12:39:42.47
>>380
> そもそも阿曇の本拠が志賀島ではないと言い出したんは文学修士でしかない京都の故・楢崎干城と岐阜の松原弘宣 文学教授、大阪で高校教師やった上遠野浩一くらいなもんやで。
> ワイは文学者の裏読みより、社伝に基づく民俗学的考察、地質学、発掘に基づく考古学、史料に基づく歴史学に高い信憑性を得られるわ。

安曇≠福岡発祥を認めたがらないのは関西のキチガイ民間研究者だけってことね(笑)

547日本@名無史さん2019/05/21(火) 13:27:33.19
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう


それがキナイコシ(主に邪馬台国関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョン

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量がない

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル

548日本@名無史さん2019/05/21(火) 15:39:39.98
安曇氏が志賀島にワダツミを祀ったのは、信仰の形式から500年以降だとは思うけど
190年から247年の博多湾はシャーマン卑弥呼が女王なわけで、
ワダツミ信仰というのは、中国の鬼道に見えるんですかね?

キナイコシの都合はともかくとして、
安曇族は邪馬台国内2万戸の大夫奴国の難升米に起源がある?
金印が志賀島から出たなら57年のこの時も同邪馬台国系でしょ?
畿内はないwww

風浪宮もそうだが、記紀、神功皇后とかが出てくると、基準になる古代年号の
天皇諡号自体から頓珍漢で、難升米=磯良で神になってしまうけど、
三国志では魏の将校職ですw 皇帝なら曹操や劉備が神でも良いとしても・・・

卑弥呼時代190〜楽浪撤退の313年までに三韓征伐なんて有り得ない訳で
その後は高句麗戦を日本が後押しして350年辺りで百済新羅を建国してます。

>>515 の (神功皇后ソースで疑義満載だけどw
熊襲退治と三韓征伐で活躍した磯良丸に48隻の船を与えて難波に移らせた
が、魏と邪馬台国外交が終わった、247年以降であれば
朝廷が外交防人拠点の一大卒を設置して、邪馬台国は対魏で本州勢力と合流
これによって、摂津で朝廷貴族化して海神族を名乗った。 と、言うのが成立する。

そもそも、BC200から、青銅器輸入で親交のあった
公孫氏や韓王朝が滅びるのを見て危機感の有る日本が親魏倭王の卑弥呼を王にしてたら、
300年代の半島進出や富国強兵政策なんて、可能なわけが無い。
238年から247年の九州フロントの外交を終わらせて、国内が古墳時代に突入したんだよ。

卑弥呼の墓径150mは、はったりで張政に見せるための
日本最初の巨大古墳だったと思うね。

549日本@名無史さん2019/05/21(火) 15:55:04.08
>>548
>安曇氏が志賀島にワダツミを祀ったのは、信仰の形式から500年以降だとは思うけど

イミフ

>190年から247年の博多湾はシャーマン卑弥呼が女王なわけで、

はい、そうですね。

>ワダツミ信仰というのは、中国の鬼道に見えるんですかね?

見知らぬ形式での祖先崇拝として、鬼道と呼ばれた可能性はあります。

>風浪宮もそうだが、記紀、神功皇后とかが出てくると、基準になる古代年号の

神功皇后は120年繰り上げてあるみたいです。
実年代は4世紀後半でしょう。

550日本@名無史さん2019/05/21(火) 18:37:12.16
>>594
>神功皇后は120年繰り上げてある

で、記紀厨や南=東みたいなご都合で書換え畿内説で盛り上げるのは良いけど、
神功皇后、三韓征伐、とか、その帰りに >>380 風浪宮192年創建
って言うのは、どんなもんか? という話なんです・・・

192年は卑弥呼が倭国大乱終わらせた辺りで、
なんで神功皇后が三韓征伐終了で、シャーマン九州に神道神社創建なの?
日本側も九州統一前で、百済新羅も未開で、戦争対象の統一国無いし・・・

繰り上げると、313年は高句麗台頭で韓四郡撤退ですが?
日本は、百済新羅後援の形で対高句麗戦初めて牛馬の移入と鉄生産の国内化です。
神功皇后の事績が入り込む隙間が無いと思うのですが。

記紀作者は中国史書は読んでますが、その世界観、歴史認識で、時系列の有る史書に
神話を混ぜ込むのは無理な相談だったのではないかと思いますが、どうでしょうw

551日本@名無史さん2019/05/21(火) 18:52:43.31
「対馬編年略」には、「対馬島は高麗国の牧(高麗・朝鮮時代の行政単位の一つ)である。[昔は]新羅人が住んでいたが
開化天皇の代にこの島[対馬]から[日本の本州へ]襲来した。仲哀天皇が豊浦宮で対馬を経て新羅を征伐し、ついにこ
の島を得た」と記されている。
三韓征伐したのは仲哀だったということだ

552日本@名無史さん2019/05/21(火) 18:53:44.14
誤爆 >>549
話が全く見えない、キナイコシだかザラコクレスみたいのは、
どこ行っちゃうんでしょう? 日本史板の謎? ロマンじゃあ、ないなwww

553日本@名無史さん2019/05/21(火) 19:01:27.68
>>550
>繰り上げると、313年は高句麗台頭で韓四郡撤退ですが?

繰り下げでしょ。
それではまだ4世紀前半だよね。
神功皇后は海外の史書との比較から4世紀後半というのがよく言われる説だと認識している。

554日本@名無史さん2019/05/21(火) 19:08:08.97
>>551
なんで高麗www 
朝鮮時代って何? 箕子とか衛満の遼東?
半島の朝鮮時代ってのは、普通日本では、李氏朝鮮のことだが?

よくわからんが、
記紀よりさらに輪をかけてわからん後続のご都合主義の歴史が、
近隣国に存在するのは知ってる。

真実も存在する日本? 世界のネットを選択的に見られる、
よゐこのみんなには関係ない。

555日本@名無史さん2019/05/21(火) 19:15:59.65
対州編年略って日本の資料でしょ

556日本@名無史さん2019/05/21(火) 19:28:56.47
>>553
事績の年代が判ったりわからなかったりで
在位期間が仲哀天皇とで100年近くなるのか? とも思うけど、そっち行く? 

で、後の400年になると、倭の五王で、
これは、息子の応神天皇よりだいぶ後ではないのかな?

だから、神功皇后の事績で捨てられない、
九州に数々の伝説を残す仲哀〜神功の三韓征伐が、
倭人伝の247年以降だと時系列で入る隙間が無いのでは? 
という事 なのですが?

神功皇后イラネ、とは、戦前学者が言えないのは知ってる。
アタシ等、令和のよゐこには関係ない。

557日本@名無史さん2019/05/21(火) 19:32:53.12
海人族ネタじゃないなら専スレでやってくれよ

神功皇后とは一体なんだったのか
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1420937777/

558日本@名無史さん2019/05/21(火) 19:33:15.74
景行が4世紀初頭、仲哀神功が4世紀後半、応神が4世紀末。

559日本@名無史さん2019/05/21(火) 19:39:54.21
>>558
言いっばなしはチョンコの始まりだぞ!
書き込むなら根拠も示せバカチンが!

560日本@名無史さん2019/05/21(火) 20:02:41.07
>>557
年代不明の記紀でも、志賀島海神とされた安曇族が
三韓征伐の神功皇后によって、摂津に配流というか招請されたんだろ?

年代確定中国の史書で190年から247年まで、筑紫に居た卑弥呼の邪馬台国は
240年に魏帝から印綬で来日の遣建中校尉梯儁の軍隊を迎えた後
239年公孫氏や246年韓王朝を滅ぼした、魏と対峙する為に
本州勢力と合併して、本州は銅鐸時代から、古墳の富国強兵政策に転換した。
これが日本の古代史だろ?

畿内説でも阿波でもw 邪馬台国の奴国が博多志賀島で後の安曇族である以上
神功皇后無しに、卑弥呼や安曇族が語れるのかね?

561日本@名無史さん2019/05/21(火) 20:09:48.20
すまない、自分で読んで、おかしな話なのは判る。
神功皇后が実在すると仮定すると、日本の歴史の話は真実にならないかもw

562日本@名無史さん2019/05/21(火) 20:13:37.98
>>560
お前の思い込みの話をさも史実のように語られてたって半笑いくらいしかしてやれないよ…

563日本@名無史さん2019/05/21(火) 20:20:56.38
>>560
>本州勢力と合併して、本州は銅鐸時代から、古墳の富国強兵政策に転換した。

ここが不要。

564日本@名無史さん2019/05/21(火) 20:52:04.98
キナイコシって存在を最近知ったんだけど、なんでキナイコシなの?
過去に自称したの?それとも何か由来があるの?

あと、ここの摂津チョンコはキナイコシが似非関西弁を使う猿芝居用のキャラだってのは分かったんだけど
高天原スレのカマチョン(カマ先生)もキナイコシだよね?
百済スレの無能ヒトモドキもキナイコシ?

565日本@名無史さん2019/05/21(火) 21:48:26.78
前に、筑前国風土記は筑前国続風土記のまちがいやないかと言ったが、筑前国風土記の逸文が残っているらしいな。
安曇氏はそれに書かれているのだが、神功の従者として大浜、小浜という者が登場するようだ。
名前しか書かれてないが、この大浜は応神天皇のときに海人の宰に任じられた大浜と同一人物と考えられることから、安曇氏だとみなされているものだ。
したがって、筑前国風土記逸文にみられる安曇は、摂津安曇ということになる。
ということは、前日からの議論のように、この逸文の記述が安曇の志賀発祥を示すものでないことは明白やな。

566日本@名無史さん2019/05/21(火) 21:50:04.25
>>562
記紀のご都合や思い込みの話ではなく、史実を抽出したいわけだが

対馬航路フロントの邪馬台国が、
238年〜246年に、本州もBC200程度から
半島南岸移民や青銅移入で、親交があった公孫氏や韓王朝の滅亡を知り

>>563
>本州勢力と合併して、本州は銅鐸時代から古墳時代の富国強兵政策に転換した。
というのは、日本の古代の歴史の必然ではないのかな?

倭の五王400や任那四県割譲500 磐井の乱が無くて、白村江海戦有り得るか?
畿内説や記紀厨が、古代史の真実を、謎の半島史忖度に捻じ曲げたい
通称 チョンコ? www なのは、知ってる。

567日本@名無史さん2019/05/21(火) 21:52:30.78
筑前国風土記に残っている話なのだから、筑前での話。
神功皇后についての説話はほぼ全て福岡県が舞台だし。
応神天皇も仲哀天皇も九州人だし。

568日本@名無史さん2019/05/21(火) 21:57:16.24
>>565
とするとや、神功のお供に摂津安曇の大浜や小浜らが付き従うとるときに、神功が志鹿の草という者を遠見に出すが、これがおかしいのやな。
草が安曇氏なら、安曇の大浜と親戚とかなんとかという話になるはずやが、そんことは一言も書かれてない。
ちゅーことは、志鹿の草は安曇氏でもなんでもないということにならんか。
神功のときには、志賀には安曇氏はおらなんだという可能性が極めて高うなってくるな。

569日本@名無史さん2019/05/21(火) 22:10:40.73
>>565
キナイコシ先生なのか? 
どこに嵌ってんだよ? ワロスwww

神功皇后が
卑弥呼在位190〜没247〜313楽浪郡消滅の
どこで、記紀の九州事績作れるよ?
安曇族は57年から247年の卑弥呼まで一貫して、
金印志賀島の奴国の後だろ。

記紀の話がしたいなら、
この時系列のどこに神功皇后の事績が存在しえるか?

歴史には、時系列が必然であって、
>>551 みたいのが、歴史というならソースも偽書だろwww

570日本@名無史さん2019/05/21(火) 22:19:39.80
>>568
そもそもや、3世紀末頃には博多地域には大きな地元勢力はおらんようになっていたとする説がある。
つまり、那珂八幡古墳の被葬者が地元の勢力なのか、外部から来た者なのか、それがはっきりせんとされとるくらいなんや。
また、この時期から5世紀初頭まで、ここには古墳群がない。
仲哀の出迎えに博多から行った者がおらん。
神功に遠見に出される志鹿の草は小者のような扱いやし。
安曇というような大族がおったようには見えんのよ。
応神になってから、博多に前方後円墳が再び作られる。
老司古墳がそれや。
那珂八幡から老司までな〜んもない。
安曇がもとから博多にいたというのは、単なる思い込みやないか。

571日本@名無史さん2019/05/21(火) 22:33:13.42
博多は大都市すぎたんだ。
だけど安曇は志賀島の方だから別だろ。

572日本@名無史さん2019/05/21(火) 22:43:07.38
>>568
なんで、謎の関西弁のキナイコシ先生に自己レスだよwww

既にロマンの無い、記紀神話の神功皇后の時系列的実在は無理なのに
実在の 志賀島海神、邪馬台国卑弥呼、共立国の雄、奴国、安曇族が
神功皇后の陪臣で、摂津に招請、配流されてるんだよ?

247年時点で一大卒が対馬外交フロントに入り、卑弥呼は外交権を失ってるだろ?
死んでるけど日本初の径150mの巨大古墳になってるから、国は滅びてはいない。

13歳の豊は、畿内にお輿入れで、箸墓古墳になってっても良いね。
でも、この時の新造首都、纏向が金印の57年から有るという考古学は無いだろ?

使大倭監之 自女王國以北 特置 一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯

日本はBC200から青銅器移入で半島を経由し、公孫氏は卑弥呼時代には居た。
238年の魏の帯方郡占領に始まり、247年に魏との外交を絶った九州の邪馬台国が
公孫氏と韓王朝を滅ぼした魏と対抗するため本州に有った、後の朝廷勢力と競合した、

それ以外の歴史解釈ってあり得るか?

573日本@名無史さん2019/05/21(火) 22:53:04.08
>>571
これまでのみなさんの説では、奴国の続きの儺の津は安曇氏が支配してたというものやったと思うが。
別か。
しかしそれやとしても、糟屋の志鹿の草という者が安曇かどうか分からんし。

574日本@名無史さん2019/05/21(火) 23:02:56.03
>>572
そりゃ、ファンタジーやないか。
纏向の政権が卑弥呼の倭国を解体し、博多を牛耳って鉄などの貴重財を独占取得して加盟各国に配布した、というのが実歴史やな。
その結果、交易の拠点の博多を纏向が直轄地として扱うようになり、在地豪族を解散させた。
一応、那珂八幡古墳を作って、博多は纏向政権の傘下やと示したものの、大きな在地勢力はなくなったので、その次の古墳は造られなんだ。
5世紀になって摂津の安曇が代官みたいな立場で派遣されたので、老司古墳が造られた。
そういうことやろな。

575日本@名無史さん2019/05/21(火) 23:10:53.67
妄想vs妄想

576日本@名無史さん2019/05/21(火) 23:26:10.19
>>565
だからなんでそういう結論になるんだよwww
チョンコ脳すぎんだろ

577日本@名無史さん2019/05/21(火) 23:27:47.05
>>570
しつこすぎ

578日本@名無史さん2019/05/21(火) 23:31:12.19
>>573
志鹿=筑紫斯香神=志賀(志那)=海神の子孫=筑前安曇本家
分家の分家のそのまた分家の摂津安曇氏

579日本@名無史さん2019/05/21(火) 23:32:36.99
>>574
>5世紀になって摂津の安曇が代官みたいな立場で派遣された
そろそろお前が根拠を示せよ無能

580日本@名無史さん2019/05/21(火) 23:50:52.81
古代の歴史の話だろ?
青銅器ってのが有る。 日本ではBC200年位からなのかな?
これは、半島経由で入っている。 

本州は日本海ルート、縄文海神の隠岐? 
対馬は経由するとしても、出雲がこの中心と考えられる。

で、この九州対馬ルートで57年、漢の倭奴国は金印を貰った。
これは中華文献が証明する、大陸本土、中華と日本の 交流の存在を示すものであり
この物証である金印は、安曇族の聖地博多湾志賀島から出た。 だよw

この、時系列の信頼性がまあま、ある倭人伝によって
190年から247年までの博多湾は邪馬台国卑弥呼の支配下管轄下に有る。

邪馬台国には畿内説とか東遷説というのが有るが、
そんなもんは、原文を読めば、イミフ。
安曇族は238年から247年まで、魏と外交のあった博多湾の
邪馬台国に存在したという事は間違いない。

本スレで、摂津には神功皇后年期が不明だが
朝廷の九州平定が247年でも良いが、300年辺りの九州統一で豪族化している。
アタシが記紀、神功皇后が嫌なのはこういう事。

信濃安曇野での安曇氏は 247年以降配流では有るが、
663白村江以降で謎の消滅という話なのである。

縄文売りの諏訪に弥生時代が有るのか? と言われるほど
信州で弥生系水稲耕作というのはかなり遅いのだが
安曇野が稲穂で穂高というのも若干疑問。

竪穴住居の屋根用の葦原としては
日本の中心の豊葦原ではあるwww

581日本@名無史さん2019/05/22(水) 00:03:01.52
妄想ばかりでつまらなくなってきた。
もう結論は出ているのだから止めろ。

582日本@名無史さん2019/05/22(水) 00:06:18.50
>>581
しょーがいやん摂津チョンコがしつこく妄想垂れ流すんだもん

583日本@名無史さん2019/05/22(水) 01:23:57.95
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう


それがキナイコシ(主に邪馬台国関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョン

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量がない

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル

584日本@名無史さん2019/05/22(水) 02:00:22.63
>>583
お前には、安曇についての考えがないのかね。
ちょこっとも、言うたことないな。
邪馬台国は、筑後山門と昔から決まっとる。
奴国は、博多だということも決まっていて、異論の入る余地はない。
しかし、この奴国の主が後の安曇氏だという証拠はどこにもないのだよ。
一方、はっきりしてるのは、5世紀前後には摂津に安曇という大族がいたということだ。
お前も、この謎に、何かためになる史実を一言二言言うてみるか。

585日本@名無史さん2019/05/22(水) 02:05:37.68
>>578
この志鹿の草と安曇大浜、小浜は同時代の人物になるんだから、草と大浜が同じ安曇族としたらヘンじゃないかい。
草が安曇だとはどこにも書かれてないからなあ。

586日本@名無史さん2019/05/22(水) 02:14:28.46
>>585
えっと・・・
大浜宿禰=阿曇大浜=阿曇宿禰
まさか摂津チョンコとあろうものが一人のことを指してると思ってたとは驚きだ

587日本@名無史さん2019/05/22(水) 02:58:56.78
>>586
なにいっとるの。
大浜は安曇宿祢。
この大浜が、神功のお供で博多へ行ったわけ。
その博多で、志鹿の草が遠見を命じられて朝鮮半島を望見したの。
この草が大浜の本家の安曇族なら、それらしいことを書紀は書いとるだろうな。
しかし、そんなことはひとことも書いてない。
草が安曇だというのは、へんだろう。

588日本@名無史さん2019/05/22(水) 03:00:26.45
>>587
何が変なの???

589日本@名無史さん2019/05/22(水) 05:32:35.64
地名からの推察:
西日本古代紀行 神功皇后風土記や筑後争乱記―蒲池一族の興亡、九州を制覇した大王―景行天皇巡幸記、
神功皇后の謎を解く: 伝承地探訪録、景行天皇と日本武尊: 列島を制覇した大王、などを上梓されている福岡の
郷土史研究者である河村哲夫氏によれば、
筑前阿曇氏の拠点は阿曇郷、信州阿曇氏の拠点は安曇郡、摂津阿曇氏の拠点は安曇江

阿曇氏、阿曇連から地名が発生したとするならば"阿"曇郷が本貫地であり、"安"曇郡や"安"曇江は移住先と推定できます

史料からの推察:
新撰姓氏録の右京神別下、地祇によれば
安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也
つまり、綿積の子、穂高見の子孫であると書かれています
同様の記述は古事記の上巻ニにも掲載されています
穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社の2社のみ
しかし、同姓氏録の摂津国神別によれば
安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也
つまり、綿積の6世孫、小栲梨の子孫であると書かれています
この小栲梨という神を祀る神社は存在せず、また摂津には綿津見を祀る神社もありません

先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀によれば
少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神
つまり綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事であると書かれています
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社が存在しないです
ただ、綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社が摂津にあります

新撰姓氏録と先代先代旧事本紀からは筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)だと言えます

また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮できますし、
海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロします
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めています

それでは摂津チョンコさん、阿曇の本拠地が摂津であり、5世紀には大族となっていて、その分家が筑前に入ったとする推察の根拠の提示してみてください

590日本@名無史さん2019/05/22(水) 08:46:49.26
>>589
589で述べられていることは、平安時代になってからの系譜などによった解釈であって、その系譜がみな根拠を欠いている。
肝心かなめの筑前安曇氏が、いつから筑前にいるのかということが資料によって何一つ確認されていない。
書紀に書かれている(志鹿の草)が安曇氏であるのなら、少なくとも神功のときには志賀に安曇氏はいたと考えることができる。
しかし、この(草)が安曇氏だとの確証はないのよ。
ワイがいっとることは、志賀で綿津見を祀っている安曇氏は、後代に畿内からやってきた一族の可能性もあるのではないかというもの。
推測だな。
証拠はない。
しかし、お前さんらは、志賀に元々から安曇氏がいて、摂津などへも移住したのだというてるの。
だから、志賀に元々から安曇氏がいたという証拠をだしたまえというてるわけよ。
ごく普通の要望だよ。

591日本@名無史さん2019/05/22(水) 09:27:45.33
>>590
筑前国風土記逸文では、神功に大浜、小浜がお供で付き従っていたと書かれている。
この大浜は安曇宿祢だと考えられる。摂津安曇氏で、応神のときには海人の宰に任じられる。
一方、日本書紀では志鹿の草という人物が登場する。
草が安曇氏であれば、大浜の本家だと考えることができるものの、残念ながら草が安曇氏かどうか定かでない。
草が安曇氏ならば、書紀はなんらかの注記を入れることも可能だった。
しかし、特にそうした注記もない。
果たして、草は摂津安曇氏の本家だったのかということになると、あとは推測しかないということになるわけさ。

592日本@名無史さん2019/05/22(水) 10:49:52.31
キナイコシだか、記紀厨だから間抜けなのか知らんが・・・

安曇氏は志賀島海神であるなら57年金印以来、邪馬台国、奴国だったというのは判る?
これが、神功皇后に192年、摂津に招請されて、安曇の連のかばねを得て朝廷に参入した。

安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也
これは、600年とか、後付けで記紀神話の海神に格付けされたという事であって
247年までの九州に、安曇族が有ったという証拠が有ったら偽書だろ?

御本尊としては、卑弥呼なり難升米までは辿れる。
しかしこれは、朝廷統一前の、魏の倭王や将校でただの九州人なんだよ。
わっかんね〜だろな? キナイコシwww

593日本@名無史さん2019/05/22(水) 10:53:20.50
>>590
屁理屈こくなよ卑怯者

594日本@名無史さん2019/05/22(水) 10:53:27.77
>>584
>邪馬台国は、筑後山門と昔から決まっとる。
>奴国は、博多だということも決まっていて、異論の入る余地はない。

神功皇后記の信者には決まっとること・・、という意味。

595日本@名無史さん2019/05/22(水) 12:19:36.83
>>590
お前の都合で史料の選別をするな無能。

阿曇の本貫地は志賀島。
摂津にその痕跡がない以上アホの一つ覚えのごとく「書紀がぁ〜書紀がぁ〜」とほざくんじゃない。

596日本@名無史さん2019/05/22(水) 14:32:51.03
>>591
散々「筑前国風土記なんてないニダ〜」と大ヅラこいてたくせに篠川賢のPDF見つけた途端に他の資料を認めることもできずに「筑前国風土記逸文ガー!」ってサルかよwww

597日本@名無史さん2019/05/22(水) 14:39:44.42
『倭猿』

なぜだと思う?

598日本@名無史さん2019/05/22(水) 14:45:28.96
>>597
川崎の重度統合失調症症患者「松傾チョンコ」は日暮れ前に首を吊れよ


何度も!何度も!何度も!

繰り返し!繰り返し!繰り返し

「即死しろ!」と命令されているだろう?


むしろ松傾チョンコへのレスは「首を吊って死ね!」以外にないじゃないか

誰にも相手にされてない=存在する意味がないという事だろう?


なぜ素直に命令をを聞いて首を吊ることができないんだ??


いくら無能な統合失調症症患者のヒトモドキとは言え、

日本語くらい読めるのだろう???


これだけ多くの者達に首を吊れ!と命令されているのだから


さっさとセルフ絞首刑を実行しろよ松傾チョンコ


日暮れ前に必ず実行しろ!

必ずだぞ!!!

599日本@名無史さん2019/05/22(水) 14:48:28.55
どこの池沼なんだよ?

『チョン州 長州』

こういう話の関係者、被害を受けた、被った人?

600日本@名無史さん2019/05/22(水) 14:54:01.38
>>597-599
邪魔だからよそでやれ

601日本@名無史さん2019/05/22(水) 15:39:24.52
なぜ皆さんは色々と知識も豊富なのに
なぜそんなにも口汚いのでしょうか

602日本@名無史さん2019/05/22(水) 16:28:20.07
>>601
チョンコが人型ゴキブリだからだろ

603日本@名無史さん2019/05/22(水) 18:21:25.28
>>592
摂津に招請されて…て、何を根拠におサルさん。
推測なら、推測らしい言葉を使ってね。

604日本@名無史さん2019/05/22(水) 18:23:13.83
>>593
屁理屈も理屈のうちの屁こきサル。

605日本@名無史さん2019/05/22(水) 18:24:22.21
>>594
わははははは。

606日本@名無史さん2019/05/22(水) 18:26:18.19
>>595
安曇の本貫地は志賀島…という信念なのは分かるが、根拠がなければなあ。

607日本@名無史さん2019/05/22(水) 18:27:44.04
>>596
顔真っ赤だな。

608日本@名無史さん2019/05/22(水) 18:28:42.31
>>597
猿田彦じゃね。

609日本@名無史さん2019/05/22(水) 18:33:25.26
>>606
根拠だらけなのに、お前が勝手に信じられないとほざいているだけ。
証拠もないことをダラダラと書くな。

610日本@名無史さん2019/05/22(水) 19:45:09.18
結論としてはキナイコシが歴史を論ずるに値する脳も姿勢もないサルだってことだけが明確になった
サル知恵、サル顔、サル踊り

611日本@名無史さん2019/05/22(水) 20:20:00.78
>>603摂津チョンコは鏡見たことないのか???


何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう


それがキナイコシ(主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョン

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル

612日本@名無史さん2019/05/22(水) 20:22:00.32
どういう教育を受ければそれほどまでに口汚くなるのか興味がある

613日本@名無史さん2019/05/22(水) 20:57:39.66
それくらいキナイコシはウザいんだよ。
根拠のないことを言い張ってばかり。

614日本@名無史さん2019/05/22(水) 21:03:41.97
どこの池沼なんだ?と言っているんだよw


倭人・・・朝鮮人・・・、
何なのか知らないけど、どこかの工作員か何かなんだろう?

615日本@名無史さん2019/05/22(水) 21:07:10.46
倭人、朝鮮というのとは別


漢の人・・・わかりやすく言うと中国w
そういう人たちがいるんだよ

と言ってる人がいるでしょ

616日本@名無史さん2019/05/22(水) 21:08:15.55
>>614-615
邪魔だから余所でやって

617日本@名無史さん2019/05/22(水) 21:09:07.86

618日本@名無史さん2019/05/22(水) 21:14:50.09
・・・・支配されている?というスレ


>秦人と漢人

619日本@名無史さん2019/05/22(水) 21:18:05.82
中国〜?実際は東北地方にも住んでいるよ

『伊達の桃太郎』

家の老婆は、ほとんど同じ話をしているし

620日本@名無史さん2019/05/22(水) 21:58:38.41
>>618
首を吊らなくても良いから息するのだけはやめてよ

621日本@名無史さん2019/05/22(水) 22:01:30.63
摂津には海神伝説がないし、安曇が祭るべき神もいないのに何で摂津チョンコ?キナイコシ?サル?は摂津が本家と妄想してるんだ?

622日本@名無史さん2019/05/22(水) 22:41:38.96
>>621
それがキナイコシの平常運転
上の方にチョンコの正義感がなんたらってコピペを読むと理解しやすい

623日本@名無史さん2019/05/22(水) 23:02:05.38
炎上芸って言うのかね

会えて強弁してほくそ笑むと言う

624日本@名無史さん2019/05/22(水) 23:06:39.82
声闘(ソント)だろう

625日本@名無史さん2019/05/22(水) 23:34:09.46
地名からの推察:
西日本古代紀行 神功皇后風土記や筑後争乱記―蒲池一族の興亡、九州を制覇した大王―景行天皇巡幸記、
神功皇后の謎を解く: 伝承地探訪録、景行天皇と日本武尊: 列島を制覇した大王、などを上梓されている福岡の
郷土史研究者である河村哲夫氏によれば、
筑前阿曇氏の拠点は阿曇郷、信州阿曇氏の拠点は安曇郡、摂津阿曇氏の拠点は安曇江

阿曇氏、阿曇連から地名が発生したとするならば"阿"曇郷が本貫地であり、"安"曇郡や"安"曇江は移住先と推定できます

史料からの推察:
新撰姓氏録の右京神別下、地祇によれば
安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也
つまり、綿積の子、穂高見の子孫であると書かれています
同様の記述は古事記の上巻ニにも掲載されています
穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社の2社のみ
しかし、同姓氏録の摂津国神別によれば
安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也
つまり、綿積の6世孫、小栲梨の子孫であると書かれています
この小栲梨という神を祀る神社は存在せず、また摂津には綿津見を祀る神社もありません

先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀によれば
少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神
つまり綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事であると書かれています
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社が存在しないです
ただ、綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社が摂津にあります

新撰姓氏録と先代先代旧事本紀からは筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)だと言えます

また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮できますし、
海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロします
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めています

それでは摂津チョンコさん、阿曇の本拠地が摂津であり、5世紀には大族となっていて、その分家が筑前に入ったとする推察の根拠の提示してみてください

626日本@名無史さん2019/05/23(木) 05:10:34.63
阿曇の本貫地は筑前志賀島で決定
摂津には綿津見信仰もないし、根拠も何一つないから阿曇の傍流と確定

627日本@名無史さん2019/05/23(木) 06:17:44.94
>>625
筑前阿曇氏がいつから阿曇郷にいるのかについて確定資料がない以上、筑前阿曇郷が安曇族の発祥の地と断定することはできない。
お書きの通りに推測であり、確定事項とはいえないのは摂津安曇氏が本家であるかも知れないとするワイの説と同じ。
安曇氏筑前阿曇郷発祥は推測ということ。
摂津に綿津見を祀る神社がないのは、綿津見神は元々奴国系の海人が祀っていたもので、あとから筑前に参入した安曇氏が祭祀を交代したものとすることもできること。
みなさんが「安曇族は筑前安曇郷で発祥したと推測する」とするのであれば、横やりを入れる必要はない。

628日本@名無史さん2019/05/23(木) 06:46:00.03
>>626
同意

629日本@名無史さん2019/05/23(木) 06:47:19.72
>>627
>摂津に綿津見を祀る神社がないのは、綿津見神は元々奴国系の海人が祀っていたもので、

その海人が筑前安曇氏だろ。

630日本@名無史さん2019/05/23(木) 09:58:14.44
>>629
その海人が筑前安曇氏だという資料はないと、何度言ったら。
正しい表現は、(その海人が筑前安曇氏だと思う)だよ。

631日本@名無史さん2019/05/23(木) 10:09:27.56
淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房   @阿波

632日本@名無史さん2019/05/23(木) 10:15:06.88
>>631
みんな、「忌部はん」 の進出・開拓地。   @阿波

633日本@名無史さん2019/05/23(木) 10:16:03.48
>>631
みんな、「忌部はん(海人族)」 の進出・開拓地。   @阿波

634日本@名無史さん2019/05/23(木) 10:23:06.85
海部氏系図も、「忌部はん(海人族)」 の系図。   @阿波

635日本@名無史さん2019/05/23(木) 12:48:28.83
>>630
バカかよ。。。 古代史なんてほとんど確定事項なんてないだろ。
「資料がないニダ!資料がないニダ!」と駄々こねるなら歴史を語る資格はないよ。

現状としては神話、社伝、地名、資料において阿曇族の本貫地は筑前志賀島が最有力なのは間違いがない。
そして一番重要なのは他に候補地が存在しないこと。

636日本@名無史さん2019/05/23(木) 14:00:20.52
>>635
淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房   @阿波

637日本@名無史さん2019/05/23(木) 14:27:30.00
>>631-634,636
オッケー分かった
寝言は巣に帰ってやれマヌケ

邪馬台国四国説 part2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1547615010/

638日本@名無史さん2019/05/23(木) 14:53:05.21
>>635
候補地なら、摂津安曇があるじゃないか。
安曇宿祢大浜の拠点だ。
大浜が応神のときに突然大豪族にのしあがったわけじゃあるまい。
その前から淡路の海人を束ねる部族だったはずだからな。
とにかく、みな推測なんだよ。
だから、推測だとひとこと言うのが筋じゃね。

639日本@名無史さん2019/05/23(木) 14:56:15.14
>>638
淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房   @阿波

640日本@名無史さん2019/05/23(木) 15:07:37.21
>>638
根拠がないから候補にならない。
日本書紀にだって大浜が摂津だとは書かれてないし、むしろ地元の豪族説のほうが強いと思うがね。

641日本@名無史さん2019/05/23(木) 15:23:37.87
>>640
今までの流れ見てないのか?
いくら諭してやっても言う事聞かないのが摂津チョン


何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう

論破されても「確定資料がない」と殻に閉じこもって喚く

それがキナイコシ(主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョン

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル

642日本@名無史さん2019/05/23(木) 15:28:40.25
>>596
ワイが「筑前国風土記はない」と言うたら、貝原益軒を持ち出してきたのは誰じゃ。

643日本@名無史さん2019/05/23(木) 15:38:44.85
ついでに
海部氏系図も、「忌部はん(海人族)」 の系図。   @阿波

644日本@名無史さん2019/05/23(木) 15:47:37.95
>>640
日本書紀は「阿曇連の祖大浜宿祢をして…」と書いていて、この大浜の子孫とみられる安曇連の安曇百足が摂津の浦上に住んでいたことが分かっている。
大浜は摂津に住んでいた海人豪族であることは確かだ。

645日本@名無史さん2019/05/23(木) 15:54:42.99
>>644
>大浜は摂津に住んでいた海人豪族であることは確かだ。

いずれにせよ、「海人豪族」とは、「忌部はん(海人族)」 。 

「忌部はん(海人族)」以外の海人部族なし。   @阿波

646日本@名無史さん2019/05/23(木) 15:55:54.60
>>643
阿波の人民は、縄文時代に南九州から四国南岸に入り、阿波に定着した者らの末裔。
この人民の一派は、そのあとさらに紀伊の紀ノ川へ進み、次に伊良湖岬方面へ渡った。
つまり、阿波の人民は南方系縄文人の子孫だな。
忌部は、ずっとあとになって大和から来て、縄文人民の上にヨイショと座った者だ。

647日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:02:46.20
>>644
宗像大社の社伝には磯良丸の功績を讃えて船48艘与えて摂津に招聘し、その子孫が百足。
筑前から摂津に移った痕跡は山ほどあるけど、摂津から筑前に移った痕跡はゼロ。
お前の負け。
諦めろ。

648日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:04:00.61
>>646
泡に触らないのが古代史スレ暗黙のルール

649日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:04:18.89
>>645
阿波の人民が南九州系海人じゃな。
忌部は大和の朝廷に仕えた氏族で、あるときふとやっとてきて、人民の上に座った者。

650日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:06:29.22
>>621
疣神社があるだろ。

651日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:06:32.44
>>646
>忌部は、ずっとあとになって大和から来て、

古語拾遺の間違い。  忌部一族は、大和や関東その他へ進出していった。   @阿波

652日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:10:34.42
>>648
>泡に触らないのが古代史スレ暗黙のルール

まさにその通り。 泡に触ると大けがするよ。   @阿波

653日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:13:19.87
>>650
そこは元々新屋神社があった場所で疣水は10世紀に招聘された摂社
少なくとも10世紀まで安曇を奉る神社がないってだけでも摂津が本拠地である可能性は海見に等しい

654日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:16:17.12
>>648
>泡に触らないのが古代史スレ暗黙のルール

まさにその通り。   
NHKでも高名な考古学者が一切、阿波の遺跡(加茂宮ノ前遺跡や矢野遺跡など)に触れないでしょ。   
みんなも、泡に触ると大けがするよ。   @阿波

655日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:19:21.66
神話〜系図なんてものは誰でも作成できるんだけど、
そういう作品、小説や漫画などもあるでしょ


あのような作品は本人(作者の家)のことを書いているのかな、
違うの?


そういう作品があるでしょw


神〜父母(祖父母でも良い、・・・でも良い、・・・でも良い、先祖の話エピソードwを継ぎ足していく)

〜主人公〜その他〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜作者

656日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:21:32.77
泡に続いてショーケーチョンコまで湧いてくると摂津チョンコいびりに集中できないな(笑)

657日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:23:42.92
>>647
情報は正確に書かないと。

>>515
> 宗像大菩薩御縁起には
> 「武内宿禰が天の岩戸の神楽に倣って呼び出そうと神功皇后に提案して安曇磯良丸を召喚。
> 熊襲退治と三韓征伐で活躍した磯良丸に48隻の船を与えて難波に移らせた」とある。

658日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:24:38.93
>>647
>宗像大社の社伝には磯良丸の功績を讃えて船48艘与えて摂津に招聘し、その子孫が百足。


他スレで宗像が瀬戸内海の制海権を掌握しない限り、大和から筑紫への天孫降臨はあり得ないとか書いたのに、宗像が筑紫から摂津まで掌握しているじゃん。
瀬戸内海が筑紫の支配下にあったということでもあるけどね。
畿内説が聞いたら発狂しそうだ。

659日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:25:30.95
>>657
>> 「武内宿禰が天の岩戸の神楽に倣って呼び出そうと神功皇后に提案して安曇磯良丸を召喚。

これって壇ノ浦のことだよね?

660日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:25:53.46
>>647
神功の前に現れた磯良は、その後神功とともに帰途につき、筑後大川の風浪宮で少彦名神を祀って、それから摂津の安曇へ戻った。
磯良が摂津安曇氏の氏神てあることを示しているじゃないか。
磯良は、自分の子孫が朝鮮半島へ戦に行くのだから、加勢のために摂津から宗像へ現れたということだな。
磯良が元々宗像の海にいたわけではない。

661日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:27:07.04
例えば、

何やら歴1000年〜1001、1002年〜という話だったのに、
400年頃(作者の先祖たちの物語?)の話になったり・・・、

つぎは3000年頃(作者の先祖の・・・物語)の話になったり、

662日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:30:52.90
遡り〜紀元前〜6000年のような話(作者の先祖の物語)、
〜何やら歴1004、1005年(作品が始まった頃の物語)

663日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:32:20.58
>>660
資料を妄想で歪曲するな摂津チョン
磯良が現れたのは熊襲征伐の準備中だウソツキチョンコ

664日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:35:12.03
>>663
熊襲退治前なのか三韓征伐前なのかは資料や社伝によって違いがあるね。
摂津から連れて来たは明らかな摂津チョンコの嘘だけど(笑)

665日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:36:23.33
>>651
大和などへ進出したのは、縄文系阿波人民。

666日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:38:33.17
>>663
陸の熊襲を討つのに海人の神様が現れるわけないじゃないか。
ちょっとは、ものの道理を理解しろよ。

667日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:40:16.16
>>648
>泡に触らないのが古代史スレ暗黙のルール

まさにその通り。   
NHKでも高名な考古学者が一切、若杉山遺跡にも触れないね。 今までの常識がひっくり返るからね。   
みんなも、泡に触ると大けがするよ。   @阿波

668日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:42:09.73
>>659
なぜか二行目を読まない無能www

669日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:42:55.69
>>666
過去レス遡る知能もないのか無能www

670日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:50:19.54
>>665
>大和などへ進出したのは、縄文系阿波人民。

忌部一族=縄文系阿波人民と言いたいのかな?

ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。

忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。  @阿波

671日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:51:17.63
>>653
だいたい、摂社になっているのが元々の神さんであることは、普通のこと。

672日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:51:44.45
その作者というのは、
いつの時代の人なんだよ?みたいな事にもなるでしょ


作者のプロフィールなどがあるでしょ
うまく考えて、そういう【設定】にしておくと良い


〜歴??????????????????????年生まれとか

673日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:52:21.42
>>660
>磯良が元々宗像の海にいたわけではない。

もともと宗像の海にいたから摂津に派遣され、必要な時は馳せ参じたんだよね。

674日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:52:35.96
あと公の場にも出てきてはいけない

675日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:56:53.99
『プロフィール』

横顔〜?

何かの曲と同じでしょ、ガンダム?もののけ姫?

676日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:57:14.92
>>670
その古くからあるのが、南九州系縄文人民。
大和の忌部氏の統括のもと、阿波人民(阿波忌部氏)が麻などを生産した。
この阿波忌部氏やその人民が南九州系縄文人の系統。

677日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:58:20.03
>>650
摂津チョンコは摂津ラヴなのに摂津名所図解にある磯良神社由緒略記を知らないのかよマヌケw

平安時代に流行り病が繰り返されたから天照御魂神社に磯良大神を招聘したのが疣水神社の始まり
天照御魂神社の玉の井脇に摂社が建てられていたため江戸時代になってから天照御魂の神水ではなく磯良の疣水と呼ばれるようになった

現在の疣水神社の神職も神功皇后の新羅遠征で水先案内人を務めた磯良大神の神通力を頼って疫病退散の祈願として祀ったとしている

けっきょく摂津には安曇氏族の痕跡は何一つないって事

678日本@名無史さん2019/05/23(木) 16:59:44.11
>>671
もうバカは死ねって
迷惑でしかない

>>677を100回読め!そして電話でもして確認しろ
ついでに高鴨神社にも電話しろ

679日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:00:23.33
>>673
妄想もそこまで行くと摂津トンスルファンタジーwww

680日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:02:59.59
そういう意味では、
ほとんど失敗(ダメ)・・・という作家、作者ばかり

681日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:07:09.92
>>676
大和忌部はずっと後。
出雲忌部
紀伊忌部
讃岐忌部
備前忌部
越前忌部などよりずっと後。   @阿波

682日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:19:58.59
>>673
それ、逆。
摂津にいて、それから神功に従って九州にやってきたの。
そのあと、筑後大川を経て、摂津へ戻った。

683日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:20:19.79
なぜ公の場などにも出てきてはいけないのか?

信じていた子供たち「へえ〜、カミタマ(そういう家)なのに、なんで死ぬの?」

みたいなことになり・・・説明不要

684日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:21:22.25
>>679
いやいや、磯良元々玄界灘説がファンタジー。

685日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:26:02.50
>>682
>摂津にいて、それから神功に従って九州にやってきたの。

神功皇后と仲哀天皇は穴門豊浦宮に座す九州人だよ。

686日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:27:57.53
>>682
>摂津にいて、それから神功に従って九州にやってきたの。

どのみち、「忌部はん」 の物語なんだよ。   @阿波

687日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:29:30.26
徳永英明『Wednesday Moon』


この曲を聴いてみて、
気づいている人は「この曲・・他の漫画やアニメの・・・?なるでしょ

688日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:31:39.78
神功皇后や景行天皇に関する書籍を数多く上梓されている福岡の郷土史研究者である河村哲夫氏によれば
筑前阿曇氏の拠点は阿曇郷、信濃阿曇氏の拠点は安曇郡、摂津阿曇氏の拠点は安曇江であり
阿曇氏、阿曇連から地名が発生した="阿"曇郷が本貫地、"安"曇郡や"安"曇江は移住先であると推定
また、713年の好字令によって筑前本家との区別するため信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇としたとする研究も

新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」
阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ

新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」
摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無

先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」
綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない

綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが
平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係

摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える

また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている


筑前にこれだけの傍証があり、摂津に皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ない

689日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:35:11.09
沖ノ島の祭祀に4世紀後半から畿内も参加するが、その主体は結局は筑紫の宗像であり、祭器の調達先を西日本全域に拡大しただけなようだ。
沖ノ島の世界遺産登録のための論文集では、古墳から推察される筑紫で最大級の勢力が宗像であったと書かれていたから、その通りなのだろう。
その支配下に安曇などがいて、博多住吉や摂津住吉は宗像の活動拠点?
安曇は綿津見の末裔だが、綿津見と対になる大山祇の末裔である三島鴨族と活動範囲が被っているな。
天孫族、宗像、安曇や三島の順にヒエラルキーが形成されていたのかもしれない。
彼らが瀬戸内ルートで畿内と九州を結びつけ、筑紫倭国の支配域が東に拡大したのだろう。

690日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:35:46.03
>>688
淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房   @阿波

691日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:38:47.25
>>677
略記にそんなこと書いてないだろ。
境内に元々あったと書いてあるし、
住吉三神とともに神功の征西に従ったとも書いてある。
住之江と摂津は隣同士。
摂津に磯良がいたのよ。
豊玉大神は住之江の津守の氏神だから、その豊玉神と磯良は関係があるわけだから、安曇が津守と同族なのは明らか。
綿津見は奴国系の祭神だったのを、あとから志賀へ進出した摂津安曇が祀るようになったのだろうよ。

692日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:43:19.92
>>691
妄想アキラメロン
>>688を反証できるまでお口チャックな

693日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:44:20.37
>>690

>>688を超える説を出せるまで巣から出てこないでwww

694日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:44:35.28
>>691
>豊玉大神は住之江の津守の氏神だから、

豊玉比売命を祀るのも倭国(阿波)。  @阿波

695日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:47:52.71
>>691
思い込みで反論する前に確認する自分の目と耳で確認する習慣くらい身に着けろよ無能チョンコ

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/959908/196
疣水神社 072-622-4815

696日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:48:26.63
>>694
>>688を超える説を出せるまで巣から出てこないでwww

697日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:50:03.67
>>696
ごめんね。 読む気がしない。  グダグダ長すぎ。   @阿波

698日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:50:22.10
>>691

もう>>688が結論をまとめてくれたから、それ以上妄想撒き散らしたいなら自スレ立ててやって

699日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:51:18.36
>>697
オッケー分かった
だったら寝言は巣に帰ってやれマヌケ

邪馬台国四国説 part2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1547615010/

700日本@名無史さん2019/05/23(木) 17:51:48.38
>>696
ごめんね。  根拠のない妄想話は読む気がしない。   @阿波

701日本@名無史さん2019/05/23(木) 18:06:25.49
>>700
もう良いから巣に帰れって
邪魔だし目障り

702日本@名無史さん2019/05/23(木) 18:12:38.15
>>691
>綿津見は奴国系の祭神だったのを、あとから志賀へ進出した摂津安曇が祀るようになったのだろうよ。

ここが意味不明。

703日本@名無史さん2019/05/23(木) 18:13:39.82
全ての文献と考古学を無視して畿内を起源にしたい、どこかの国と似たような考えは浅ましい。

704日本@名無史さん2019/05/23(木) 18:42:28.76
最終的に神社の電話番号載っける手法は高天原スレのカマチョン退治と同じ手法だな

705日本@名無史さん2019/05/23(木) 18:42:42.24
>>701
>邪魔だし目障り

妄想の楽しみを邪魔してごめんね。   @阿波

706日本@名無史さん2019/05/23(木) 18:42:48.47
考古学だと海の中道遺跡が3世紀前半の瀬戸内中西部製塩土器から始まる小集落だね

707日本@名無史さん2019/05/23(木) 18:56:23.43
>>706
何そのファンタジー学(笑)
海の中道遺跡は奈良平安時代の製塩遺構だぞウソツキ

708日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:05:41.32
>>692
これらの系譜はみな平安時代に書かれたもの。
5世紀頃のことが反映されているかどうかは分からない。
志賀で安曇が綿津見を祀っているのは、5世紀頃に安曇が摂津から朝廷の命で志賀に進出した結果だとも考えることができる。
1世紀頃に綿津見を祀っていた奴国の海人と平安時代の系譜にみえる志賀の安曇が同一だとする資料はない。
それを同一だと主張するのは、ファンタジー。

709日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:06:30.72
>>706
しれ〜っとこういう虚偽の記述をバラ撒くのはチョンコがよくやる工作活動

710日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:10:55.32
>>708
> これらの系譜はみな平安時代に書かれたもの。

だから? 傍証の累積が歴史学じゃないのか無能?
逆に摂津起源説の傍証は一つもない。 お前だけの妄言。

> 志賀で安曇が綿津見を祀っているのは、5世紀頃に安曇が摂津から朝廷の命で志賀に進出した結果だとも考えることができる。

根拠が皆無なのだから不可能。 お前だけの妄想。

> 1世紀頃に綿津見を祀っていた奴国の海人と平安時代の系譜にみえる志賀の安曇が同一だとする資料はない。

同一ではない根拠がない。 お前だけの屁理屈。

> それを同一だと主張するのは、ファンタジー。

累積された傍証を受け入れられないのはお前の無知無能さによるもの。

はい、論破。

711日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:21:52.06
志賀島の付け根の海の中道には、砂丘上に海の中道遺跡がある。
TB期前後には中西部瀬戸内系の製塩土器が伝えられ、
これ以降古代までの博多湾岸の土器製塩の中心地となった。(久住)

ソント(声闘)集団には考古知識が無い

712日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:24:25.51
GWに実家で観たNHKのアスリートの魂が剣道家の回だったんだけど、指導してるガキの一人が何発も小手で一本取られてるのに「ちがーう!」と負けを認めず、最後に西村英久に説教されて泣きながら下がって行った
あの負けを認められない卑しいガキにソックリなのが摂津チョンコ=キナイコシ

713日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:27:03.53
>>711
嘘はバレてる
ネットで福岡市埋蔵文化財調査報告書第87集を確認しろ無能ホラ吹き

714日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:42:17.88
海の中道遺跡報告書87集は1982年の報告書だろ
ソント(声闘)ジジイも最近の考古調査に基づいた論文読まなきゃだめだよ
反日の会の集団内なら声闘だけで自己満足できるかもしれんが

715日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:45:50.79
>>711
海の中道から出土した製塩土器は1982年に福岡市教育委員会が発刊した発掘調査報告書に記録されているが、同書の第5章「調査の記録 - 遺物U(生産用具)一」、第1節「製塩土器」、第1項「古墳時代の製塩土器」、第2項「製塩土器T類」、第3項「製塩土器U類」のどこにも「瀬戸内某」などという記述は見当たらない。

716日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:47:43.68
>>714
チョンコの出してくる話は常に出処の怪しいものばかり。。。
もう阿曇族は宇宙人ってことにしとこーか(笑)

717日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:51:24.35
>>716
>もう阿曇族は宇宙人ってことにしとこーか(笑)

だから、「忌部はん(海人族)」なんだって(笑)。   @阿波   

718日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:53:24.76
反日ソント(声闘)の会は福教委の久住の論文は都合が悪いから一切読んでないんだろ
罵声で押し通すだけ

719日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:54:35.42
チョンカスの得意技 困った時の民明書房

720日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:55:50.01
>>708 だから、記紀を題材にしたら
天皇の諡号で時系列も事績も全然歴史の話じゃなくなっちゃうでしょ。
奴国の氏族がが、朝廷と合流して氏姓かばねを得て貴族化した。
高句麗は漢四郡侵略以降、350年代に楽浪候、幽州刺史に収まった。
これと戦争したのが、日本の後援の有った、新羅百済だろ?
史実に必要なストーリーが有るだろが。
その根拠は、九州金印国57年〜邪馬台国の247年までに、
ヤマトタケルだの仲哀天皇〜神功皇后で九州征伐や三韓征伐は無いんだよ。
日本はBC200から、半島経由で青銅器搬入してんのに、神功皇后は
友好国の韓王朝や公孫氏の漢四郡征伐してどーすんだよwww
この卑弥呼時代に、三国志で韓王朝や公孫氏が征伐されたから
魏に封鎖された青銅器鉄器ショックで、日本国内が軍事統一して、古墳時代になったんだろ。
三国志制覇の大陸皇帝の魏を 高句麗と挟み撃ちにして、
313年以降、百済や新羅を傀儡立国して、
日本が牛馬や鉄の国内生産に成功してるってのは、だな
日本古代史で、大和朝廷成立の最大要因だぞ。
現代のよゐこに日韓併合や満州傀儡立国の意味なんて分かるかよ。
ゆとり、なめすぎwww
この、後の大和朝廷に後の博多湾岸安曇族が合流した、歴史は
三国志の倭人伝に年代確定で残ってしまってるわけだよ。
記紀で古代の人物事績が歴史として比定できるわけが無いだろ? 
何が、畿内説だよwww
磯良は難升米w 綿積は卑弥呼、臺与は
九州併合から朝廷に入った豊玉媛で、箸墓は豊の墓だろ。
まあ、邪馬台国論争なら、
畿内説だと卑弥呼がアマテラスや神武?
九州説なら、安曇族は確定で、難升米が磯良丸だろ。
台与は豊玉媛、で箸墓だな。 
記紀ってのが、そんなファンタジーなんだよ。

721日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:57:17.42
だって久住猛雄の論文って導入だけ実証して途中から急に妄想が始まるやん
議論対象に値しない戯言だよ〜

722日本@名無史さん2019/05/23(木) 19:59:05.56
しかも日チョン交流大好き野郎

723日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:02:33.17
倭人・・・今でいうと奴隷だと言っているんだよ、
いい加減に認めたほうが良いぞ

724日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:03:46.19
金印ってw
委奴國王の本貫は志珂郡・阿曇郡じゃないだろ

725日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:04:20.88
>>720
いや、そもそも摂津チョンコが頼みの綱にしてる日本書紀にだって安曇の本貫地が摂津だとは一切書かれてないんよ
百足が摂津にいたことは記録されてるが本人が傍流の証拠残してるし

きっと神功皇后と一緒に九州入りしたんだろう、三韓征伐後に一緒に帰ったんだろうという個人的妄想以外になにもない

726日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:06:09.26
筑紫説は福岡の学者の研究成果を拒絶する兵庫の反日集団だからな

727日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:09:38.55
>>724
なぜ伊都国側ではなく志賀島にあったのか
なぜ細石神社ネタまで創作して持ち出されて志賀島に埋められたとしなければならなかったのか
傍流の摂津が本流安曇を祀らないのは何故なのか(恐れていた?)
同じ三神の海神を祀る住吉も宗像も神道上の伝承では志賀明神に一目置いているのは何故か

そんな事を考え出すと元祖の志賀阿曇族ってスゲーんじゃね?ってなる

728日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:10:33.70
>>726
ちゃうよ。
実証的研究ができる研究者にとっては当然の結果やで。

729日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:11:31.06
創作(漫画、アニメ・・・?)などがあるでしょ、
逆のことばかりしているという話とか


主人公たち・・・敗者側

730日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:12:31.92
実証的研究ができる研究者で筑紫説って誰だよw

731日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:14:20.82
>>727

スゲーんじゃね?って嬉しくなっても考古と整合しなきゃ意味無い

732日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:16:29.11
>>708
そもそも7世紀以前に書かれた文献はない。
だから、後世に書かれた資料から考えるしかないが、それでも安曇が志賀島なのは明白。
お前のはただの妄想。

733日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:20:49.44
>>727
>同じ三神の海神を祀る住吉も宗像も神道上の伝承では志賀明神に一目置いているのは何故か

そんな話は初めて聞いた。
宗像が博多湾沿岸で一番隆盛を誇った氏族だという論文は読んだが?

734日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:24:40.78
>>733
>宗像が博多湾沿岸で一番隆盛を誇った氏族だという論文は読んだが?

そりゃ、末盧国だからね。   @阿波

735日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:27:11.54
何やら感情〜敗者を応援

ホンモノ(中華など)には通用しないんだよ
みたいな話なのかもしれない

736日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:34:42.25
>>733
宗像大社の神宝館で鎌倉時代の本地垂迹録が見れるんだけど、宗像明神に対して志賀大明神としてるんだよ
同じく御縁起書にも綿津見大神と住吉神って感じで上に見ていた節があるんだよね

737日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:37:18.58
>>734
でたw
インチキ年毛神社説www
勝浦→かううら→ふぁつうら→まつうら→松浦→末盧プギャ〜だっけ?w

738日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:42:35.43
例えば『蝦夷征討』

中国 南朝〜という話があるけど、
読まないようにしているんだろう?

739日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:45:03.04
>>737
年毛神社は志賀神と住吉神と理由が分からんけど佐賀の塩竃神を祀ってるナゾ神社

740日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:54:15.65
博多住吉神が無位から従五位下にしてもらって大喜びした859年に
志賀海神が従五位上、宗像大社は正二位
その半世紀前に住吉大社は従一位

741日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:54:43.34
>>733
同じ三柱の海神を祀る神社の勢力図として分社の数や分布を見れば、宗像の行動範囲がいかに狭いかが分かる。
一概には言えないけどね。

宗像が重宝がられた最大の理由は天武に嫁いで手厚く庇護されたことだけだと思う。
神代以降で最初に大和朝廷に嫁いだ実在の人物ってことで。

742日本@名無史さん2019/05/23(木) 20:59:09.15
>>737
でたw
「万津浦」 異常敏感反応者   @阿波

743日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:05:23.80
>>737
でたw
「『永島文書』 「万津浦」 異常敏感反応者   @阿波
https://blog.goo.ne.jp/logos3/e/a408508d39f1514204830a9b245d7669

744日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:15:51.87
>>733
>宗像が博多湾沿岸で一番隆盛を誇った氏族だという論文は読んだが?

そりゃ、末盧国だからね。   @阿波

745日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:16:57.35
240年には倭人伝で、漢文で邪馬台国と仮称された
筑紫は、239年公孫氏滅亡、246年韓王朝滅亡を経て、
247年までに、本州の後の大和朝廷となる勢力と併合している。

外交を一大卒に一本化したのである、これが247年で魏と邪馬台国の外交が終わった理由。
これは、245年に難升米が三国志の檄に応えなかったこと
九州は日本であり、中華に迎合しないという事の意思表示である。
247年に238年の卑弥呼の朝貢を皇帝に取り持った、帯方郡の張政は
この不参戦の言い訳に来た、遣倭載斯烏越等詣郡 説相攻撃状 の船に便乗で査察に訪れ、

使 大倭監之 自女王國以北 特置 一大率 檢察諸國畏憚之 常治伊都國 於國中有如刺史
王遣使詣京都帶方郡諸韓國及郡使倭國 皆臨津捜露傳送文書賜遺之物詣女王不得差錯
を 報告している。

魏は280年呉を制し三国志の覇者となるが、
313年には高句麗百済新羅に押され東夷を放棄した。
この事実が、三国志に書かれているが、表現が中華のメンツで奥歯にものが挟まっている。
この陳寿の手法の一つが、卑弥呼の女王宮まで、帯方郡から満二千里、の嘘である。
定義となる、韓方可4千里、対馬海峡3千里
参問倭地 絶在海中洲㠀之上 或絶或連周旋可五千餘里
で、九州なのは明確だが・・・

東夷伝序文の
雖 夷狄之邦 而 俎豆之象 存中國 失禮 求之四夷 猶信
故 撰次 其國列 其同異 以 接前史 之所未備焉
で、言うように、倭国も中華に従った、という皇帝のメンツを忖度したのである。

邪馬台国=安曇族は、実在しない神功皇后の説話によると
朝廷貴族となり三韓征伐の功を立て摂津に招請され、朝廷貴族となっている。
卑弥呼は、畿内説ではアマテラス、九州説ではワダツミ、難升米が磯良とか
現代の、小中高生には、間抜けの歴史であり、記紀は唯のファンタジーなのである。

746日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:19:51.64
>>744
そのイカガワシイ神社のアヤシイ伝承以外に福津を松浦に比定する要素ゼロなんでしょ

747日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:20:29.97
当時の話なのかな

蝦夷というのは日本の東北地方というのも、
嘘なんだろうな・・・と気づいている人がいたり

どのスレだったかな

748日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:23:28.64
誤字失礼
>>744
そのイカガワシイ神社のアヤシイ伝承以外に福津を末盧国に比定する要素ゼロでしょ

749日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:25:30.71
>>732
志賀の安曇は、確認できるのはいつからだよ。

750日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:27:29.98
>>746
>そのイカガワシイ神社のアヤシイ伝承以外に福津を松浦に比定する要素ゼロなんでしょ

対馬海流に流されて、壱岐→福津辺りに着くんだよ。 世界文化遺産が証明しているでしょ。   @阿波

751日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:28:44.50
>>749
神代だろマヌケ

752日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:29:10.95
ネットだからなのかな

「蝦夷」
調べてみると〜日本の東北地方に飛んだり、その辺りばかり出てきたり

753日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:30:13.39
>>745
邪馬台国は、筑後山門だし。

754日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:30:34.76
>>750
はぁ、、、前スレで船乗り古代史マニアに完全論破されとったやつやん
なんで畿内チョンと阿波キチは学習と反省が出来ひんのやろか。。。

755日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:31:33.81
面土国は、(わたつち国=綿津道国)が正しい読み方だ。

756日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:36:05.52
>>755
なんで訓読みなんだよと数十時間前に説教されてたのに懲りないバカだな

757日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:50:13.88
>>741
むしろ、本拠地に留まった中心勢力とも取れるけどね。
でも博多では住吉の方が重視されるさているのも確かだ。
よくわからん。

758日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:52:49.25
>>753
それでいい。
邪馬台国最南端で縄文系シャーマンの卑弥呼は海神族にふさわしくない。

氏族は、おそらく縄文の古代共産制部族が消えないと出てこない。
神道は仏教で成仏できないなら、古墳時代に成立しないと思う。

律令制は中国史に学んでいるが、冠位12階とか豪族貴族、この発生に安曇族が有る。
57年の金印以降、記紀で時系列正常化しない古代史は、氏姓の発生が500年でも
中国史で西暦年代が判る、邪馬台国=安曇族によって正当に時系列化できると思う。

アタシが卑弥呼だった頃、安曇族はまだ日の出る処にもなってない。
キナイコシに判るのかな? わかんね〜だろ〜なwww

759日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:53:51.67
>>736
志賀島が上位に見られる要素があったとしたら、それはズバリ金印を持つ倭王だからでは?
摂津に移り住んだ安曇は安曇の一部に過ぎないだろうし、本体が志賀島から移る必要はなく、今でも綿津見神社は志賀島にあるんだろ?
それがある時点では倭王の王統だったとも考えられる。
倭王の王統がその後で何度も入れ替わったのかもね。

760日本@名無史さん2019/05/23(木) 21:59:32.76
>>758
倭国の王家が筑紫の綿津見と大山祇の一族から天孫族にかわり、さらに火の国からやって来た日巫女の一族になったのかもね。
それとともに倭国の範囲も拡大し、3世紀には現在の福岡県、佐賀県、熊本県まで倭国だったのだろう。
同じ火の国の卑弥弓呼とは、火の君の家督を争ったが、壹與の時代に統一されたのだろう。
(筑後は地理的には有明海沿岸の肥国)

761日本@名無史さん2019/05/23(木) 22:09:05.96
変な文章になっちゃったねwww

読める人居ないかな? 
書きなおすか思案中。

ついででなんだが?
〜と、思う。 なんて文にレスするかよ?

あ〜そ〜なの? 良かったね。
で、終るだろ? 

イミフ? とか、そ〜ゆ〜のは、
安曇族スレの、阿波ちゃんと一緒で、ただのアラシなんで要らん。

阿波に57年金印で博多湾の安曇族に成れる誰か居たのかよ?
奈良なら纏向もなんだけど、阿波先生、57年以前の遺跡でおながいします。

762日本@名無史さん2019/05/23(木) 22:29:38.28
>>761
>奈良なら纏向もなんだけど、阿波先生、57年以前の遺跡でおながいします

加茂宮ノ前遺跡・芝遺跡・若杉山遺跡 これ全部狗奴国(長国)ね。   @阿波

763日本@名無史さん2019/05/23(木) 22:38:58.68
>>761
淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房
1
みんな、「忌部はん(海人族)」 の進出・開拓地。   @阿波

764日本@名無史さん2019/05/23(木) 22:42:54.60
>>761

ついでに
海部氏系図も、「忌部はん(海人族)」 の系図。   @阿波

765日本@名無史さん2019/05/23(木) 22:44:55.47
>>761
>宗像が博多湾沿岸で一番隆盛を誇った氏族だという論文は読んだが?

そりゃ、末盧国だからね。   @阿波

766日本@名無史さん2019/05/23(木) 22:46:26.97
>>761
>そのイカガワシイ神社のアヤシイ伝承以外に福津を松浦に比定する要素ゼロなんでしょ

対馬海流に流されて、壱岐→福津辺りに着くんだよ。 世界文化遺産が証明しているでしょ。   @阿波

767日本@名無史さん2019/05/23(木) 23:14:25.24
>>762
なんで、そうやって、墓穴を掘るかね?

日本の記紀には博多湾の志賀島海神族が必要なのが判るか?
57年から247年の間に卑弥呼系九州族がそこにいた。
313四郡滅亡なら、日本史の神功皇后はもう無理。

もちろん神武の2600年以前の神代なら成立するwww だがしかし、
57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。

卑弥呼の邪馬台国が、
それ以前から朝廷の一族であった阿波を含む
大和朝廷貴族豪族となったのは247年以降である。

というか、安曇族みたいな豪底化の話は
律令制とか封建氏族の成立以降だろ?

卑弥呼の九州ローカルの縄文信仰は
朝廷自体とほぼ変わらない、阿波とは無関係だと思うね。

768日本@名無史さん2019/05/23(木) 23:41:35.07
考古、文献両面からみて志賀島海神族というのはいないだろ

769日本@名無史さん2019/05/24(金) 00:40:43.57
>>756
日本で初めて漢語国名を拒否したナショナリスト帥升だった。
たがしかし、中国に対して日本ナショナリストは、常に排斥されるのが決まりだった。
「おめ、何者? 我が後漢朝が与えた国名使わんて気確か? 玄関そこだから、帰る道分かるね」
と楽浪郡の役人に顎で出口の方を示されて、60人を超える生口とともに玄関払いされたのであった。

770日本@名無史さん2019/05/24(金) 01:06:28.17

771日本@名無史さん2019/05/24(金) 01:15:01.35
>>732
応神のころに、海人の宰となった摂津安曇氏の分家が、対馬海峡の制海権を確実にするために朝廷から志賀に派遣され、博多海人が祀っていた綿津見の神の祭祀権を譲らせたのだろう。
安曇氏が志賀に現れるのは、この頃からが最もぴったりする。
つまり、志鹿の草は放逐され、摂津安曇氏の分家がそのあとを引き継いだということだろうな。

772日本@名無史さん2019/05/24(金) 02:06:37.07
>>768
チョンコロの断末魔(笑)

773日本@名無史さん2019/05/24(金) 02:08:26.40
>>771
摂津阿曇の実在を証明する考古学的根拠も歴史学的根拠も民俗学的根拠すらないと
何度も叱りつけられてるのにしつこい過ぎやしないか? アタマ湧いてんのか???

774日本@名無史さん2019/05/24(金) 02:40:23.20
>>773
頭、沸いとんのは、お前だろ。

775日本@名無史さん2019/05/24(金) 04:20:14.62
神功皇后や景行天皇に関する書籍を数多く上梓されている福岡の郷土史研究者である河村哲夫氏によれば
筑前阿曇氏の拠点は阿曇郷、信濃阿曇氏の拠点は安曇郡、摂津阿曇氏の拠点は安曇江であり
阿曇氏、阿曇連から地名が発生した="阿"曇郷が本貫地、"安"曇郡や"安"曇江は移住先であると推定
また、713年の好字令によって筑前本家との区別するため信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇としたとする研究も


新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」
阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ

新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」
摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無

先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」
綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない

綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが
平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係


摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える


また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている


筑前本家説にこれだけの傍証がある一方で、摂津説には皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ないという結論に至るのが真摯な歴史学研究の姿勢である

776日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:18:56.97
>>767
>57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。


残念ながら、対馬半島フロントは、倭国(阿波)のテリトリーだよ。

倭国(阿波)では、大陸から鍛冶素材を入手して鉄鍛冶を倭国(阿波)内各地で実施し、中国鏡・中国産朱も渡来している現実がある。

また、朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧も出土している。

「大陸と倭国(阿波)までの流通ルート」が確立されているのは紛れもない事実である。  @阿波

777日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:21:13.23
>>767
>57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。


井の中の蛙大海を知らず。   @阿波

778日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:24:47.82
>>776-777
オッケー分かった
寝言は巣に帰ってやれマヌケ

邪馬台国四国説 part2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1547615010/

779日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:26:22.20
>>774
大人なんだから自分が狂ってるって自覚したらどうなのよ


何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう

論破されても「確定資料がない」と殻に閉じこもって喚く

それがキナイコシ(主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョン

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル

780日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:26:57.73
>>767
>57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。


井の中の蛙大海を知らず。   @阿波

魏の水銀朱が使われた萩原古墳群出土の画文帯神獣鏡

同じく魏の水銀朱が使われた天河別神社古墳群出土の斜縁二神二獣鏡

781日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:28:34.10
>>767
>57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。


井の中の蛙大海を知らず。   @阿波

「カネガ谷遺跡」
出土した弥生土器・石器から、弥生時代後期初頭の集落であることが分かった。
特に、注目される遺物として朝鮮半島で作られたと思われる青銅鏡や鉄斧が出土した。
http://awakouko.info/modules/xpwiki/?%CC%C4%CC%E7%BB%D4%2F%A5%AB%A5%CD%A5%AC%C3%AB%B0%E4%C0%D7

782日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:30:25.76
>>767
>57年から247年までの対馬半島フロントに、阿波の出る幕は無い。


井の中の蛙大海を知らず。   @阿波

加茂宮ノ前遺跡・芝遺跡・若杉山遺跡 これ全部狗奴国(長国)ね。 

783日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:30:39.06
阿波キチが朝っぱらからウザすぎんな
今後は阿波キチへのレスは「巣に帰れマヌケ」以外禁止しようや

784日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:31:44.03
>>782
専スレあるんだからそっちでやってくれよ・・・

785日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:33:56.50
泡もキナイコシも弟子キャラ演じて「先生」って呼ばせてるところが薄気味悪い

786日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:36:36.66
>>783
一言も反論できないでしょ?  ワハハハハ   @阿波

787日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:39:05.24
>>786
お前の妄想に付き合いほどアホじゃないだけ
だからさっさと巣に帰れよマヌケ

邪馬台国四国説 part2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1547615010/

788日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:40:13.54
>>784

妄想を楽しんでるのに、邪魔してごめんね。 でも、妄想の時間はもうおしまい。   @阿波

789日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:41:58.01
>>788
謝罪は不要
邪魔せず消えろ

790日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:43:21.97
さあ、泡をやっつけましょう。 力を合わせて。  でも、無理か?   @阿波

791日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:44:18.57
>>789

でも、妄想の時間はもうおしまい。   @阿波

792日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:46:10.28
いや、思い込みの激しいキチガイを相手にしたくないだけ
ってことで今後は目障りでも無反応を徹底しましょう♪

793日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:52:22.51
>>792
>いや、思い込みの激しいキチガイを相手にしたくないだけ

いや、反撃できる術がないだけ。 ワハハハハ   @阿波

794日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:53:21.23
とりまリセットしとこーや

795日本@名無史さん2019/05/24(金) 06:53:41.78
神功皇后や景行天皇に関する書籍を数多く上梓されている福岡の郷土史研究者である河村哲夫氏によれば
筑前阿曇氏の拠点は阿曇郷、信濃阿曇氏の拠点は安曇郡、摂津阿曇氏の拠点は安曇江であり
阿曇氏、阿曇連から地名が発生した="阿"曇郷が本貫地、"安"曇郡や"安"曇江は移住先であると推定
また、713年の好字令によって筑前本家との区別するため信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇としたとする研究も


新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」
阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ

新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」
摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無

先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」
綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない

綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが
平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係


摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える


また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている


筑前本家説にこれだけの傍証がある一方で、摂津説には皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ないという結論に至るのが真摯な歴史学研究の姿勢である

796日本@名無史さん2019/05/24(金) 07:01:46.36
>>795
>綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良

豊玉比売命を祀るのも倭国(阿波)。  @阿波

797日本@名無史さん2019/05/24(金) 07:03:09.46
>>795

淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房

みんな、「忌部はん(海人族)」 の進出・開拓地。   @阿波

798日本@名無史さん2019/05/24(金) 07:07:03.72
>>795
気を悪くしたらゴメンだけど、最初の河村氏の件りって要る?
普通に好字令の節だけで良いと思うんだけど

799日本@名無史さん2019/05/24(金) 07:09:01.13
キナイコシは逃げ阿波にまとわり付かれる海人族スレ

800日本@名無史さん2019/05/24(金) 07:10:41.47
>>798
795は全てに出典を付加しておきたいタイプの人なんだろ

801日本@名無史さん2019/05/24(金) 07:21:10.86
>>800
だとすれば、
>また、713年の好字令によって筑前本家との区別するため信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇としたとする研究も
の出典も明らかにして欲しいですね

802日本@名無史さん2019/05/24(金) 09:54:54.54
イカガワシイ神社
https://hakataboy.com/temple.php?dirpath=temple/Fukuoka/Fukutsu/OnizukaKOdakaraKANNON/
神社じゃないけど珍宝地蔵とか珍宝神社って呼ぶ人がいるからか、年毛神社の話をするとここと間違える人が居る。

803日本@名無史さん2019/05/24(金) 10:01:57.47
では、本物の延喜式式内社「伊加々志神社」
http://blogs.yahoo.co.jp/noranekoblues/44664411.html

物部氏・蘇我氏・葛城氏の祖、伊迦賀色許売(イカガシコメ)・伊迦賀色許男(イカガシコオ)姉弟は、ここ阿波で生まれ、暮らし、葬られたのである。   @阿波

804阿曇本貫地のまとめ2019/05/24(金) 13:07:12.82
筑前阿曇氏の拠点は"阿"曇郷、信濃阿曇氏の拠点は"安"曇郡、摂津阿曇氏の拠点は"安"曇江であり、阿曇氏、阿曇連の本貫地は同名の阿曇郷である(全国邪馬台国連絡協議会九州支部)
また、713年の好字令によって筑前本家と区別するために信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇とした(神歴研)


新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」 阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ

新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」 摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無

先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」 綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない

綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが、平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係


摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える


また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている


筑前本家説にこれだけの根拠がある一方で、摂津説に根拠は皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ないという結論に至るのが真摯な歴史学研究の姿勢である

805日本@名無史さん2019/05/24(金) 13:09:20.70
>>804

淡海は阿波の海
淡路は阿波の路
阿曇は阿波の阿雲
安曇も阿波の阿雲
安房も阿波の安房

みんな、「忌部はん(海人族)」 の進出・開拓地。   @阿波

806日本@名無史さん2019/05/24(金) 13:26:11.72
>>805
構ってほしいなら>>804に匹敵する根拠くらい出してみれば?
リアリティーのある内容なら海人族オタも食いつくと思うぞ。

807日本@名無史さん2019/05/24(金) 13:30:53.26
>>806
>構ってほしいなら>>804に匹敵する根拠くらい出してみれば?


はい、どうぞ。

鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波

何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。   @阿波

808日本@名無史さん2019/05/24(金) 13:35:12.14
>>807
今日はあちこちで威勢が良いなw
お前の思いの丈をブチ撒けるだけじゃ目障りなんだってばwww
ここは海人族スレで今は阿曇族の本貫地の話をしてるんだから、阿曇の本貫地が阿波だという根拠を示してみたらどう?って言ってんの

809日本@名無史さん2019/05/24(金) 13:37:40.85
>>804

根拠がお粗末すぎ。  はずかしいレベル。   @阿波

810日本@名無史さん2019/05/24(金) 13:41:33.21
>>808

海人族と言えば、「忌部はん(海人族)」。   当然、 阿曇の本貫地が阿波。   

海人でも、四国の阿波
鉄器でも、四国の阿波
辰砂でも、四国の阿波
土器でも、四国の阿波
勾玉でも、四国の阿波
神社でも、四国の阿波
古墳でも、四国の阿波
木簡でも、四国の阿波
石器でも、四国の阿波
鯨面でも、四国の阿波
神道でも、四国の阿波
寺院でも、四国の阿波
気候でも、四国の阿波
植生でも、四国の阿波
地勢でも、四国の阿波
行程でも、四国の阿波
銅鐸でも、四国の阿波
銅剣でも、四国の阿波
銅矛でも、四国の阿波
銅戈でも、四国の阿波
銅鏡でも、四国の阿波
風土記でも、四国の阿波
魏との交流でも、四国の阿波
天皇家大嘗祭でも、四国の阿波

何がどう転んでも、四国の阿波に辿り着く。   @阿波

811日本@名無史さん2019/05/24(金) 13:42:36.63
こいつ日本人じゃないだろ
日本語が通じなすぎる
やっぱ>>792が正しかった

812日本@名無史さん2019/05/24(金) 13:50:11.09
>>811

倭国(阿波)に触れると大怪我するよ。  @阿波

813日本@名無史さん2019/05/24(金) 15:29:54.28
阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父  彦火火出見(山幸彦)
母  豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)

『古事記』あまつひここ”ナギサタケ”うがやふきあえず、『日本書紀』ひこ”ナギサタケ”うがやふきあえず、書紀、五十猛(いそたける)と同一視する研究もある。

『太平記』『志賀海大明神御縁起』『風浪宮縁起略』『宗像大菩薩御縁起』『津島(対馬)紀事』では三韓征伐の準備中に舞によって招聘され、その舵取を務める。
太平記では住吉神、志賀海大明神・宗像大菩薩の御縁起では武内宿禰、津島紀事では小島の女が舞を奉じたとある。

この出現場所については春日大社の春日若宮おん祭で奉納される猿楽「細男の舞」において”筑紫の浜”と詠われている。

『八幡愚童訓』には安曇磯良は志賀海大明神で、常陸国に於いては鹿島大明神、大和の国に於いては春日大明神であるとされる。
同様の記述は『琉球神道記・鹿嶋明神事』にも見られる。

阿曇磯良を奉祀する主な神社
志賀海神社(海神信仰の本社)
風浪宮(おふろうさん)
和布刈神社(隼人明神または早鞆[はやとも]様とも)
多久頭魂神社(対馬下県厳原町大字豆酘)
闇無浜神社(大分県中津市大字角木)
止上神社(鹿児島県国分市重久)
疣水磯良神社(大阪府茨城市三島丘)※元新屋坐天照御魂神社境内

磯良のその後については、志賀海神社に祀られて宮司家となったとされるが、三韓征伐の功で48隻の船を賜わり難波に移住、九世孫が阿曇百足(宗像大菩薩御縁起)、風浪宮の斎主として大川榎津に留まり、宮司家となった(風浪宮社伝)、筑紫の浜から海底に還ったなどがある。
また、ウガヤフキアエズを和魂、磯良を荒魂と捉える研究もある。

814日本@名無史さん2019/05/24(金) 15:31:05.50
>>804
豊玉彦を氏神とするのは、住之江の津守氏だからね。
諸家の系譜をそのまま信じるのであれば、阿曇氏は津守氏の分家ということになってしまう。
そうなれば、志賀阿曇氏も摂津安曇氏も、その他の安曇氏もみな津守氏の分家になるので、それでいいのかい。

815日本@名無史さん2019/05/24(金) 15:41:40.07
阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父  彦火火出見(山幸彦)
母  豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)

これ全部「忌部はん(海人族)」。 狗奴国(長国)出身。   @阿波

816日本@名無史さん2019/05/24(金) 15:43:56.79
>>813

豊玉比売命を祀るのも倭国(阿波)。  @阿波

817日本@名無史さん2019/05/24(金) 15:46:26.72
>>813
「三韓征伐の功績で舟48隻をもらった」というくだりを探してみたが、みつからない。
どの文献に出ているの。
また、磯良が「難波に移住した」ということだが、どの文献に出ているの。

818日本@名無史さん2019/05/24(金) 15:53:20.97
>>814
津守は本社を自称しつつも総本社を筑前住吉神社と認めてる=津守の本家も筑前。
どちらも綿津見を祖神にもつ同族。
いずれにしても摂津が阿曇の本貫地のコジツケには繋がらないから安心して良い。

819日本@名無史さん2019/05/24(金) 15:53:59.54
>>817
文盲か?アタマ湧いとんのか?

820日本@名無史さん2019/05/24(金) 15:54:29.22
>>816
阿波は住之江の津守の子分。

821日本@名無史さん2019/05/24(金) 15:58:27.48
>>820
触るなキチガイ

822日本@名無史さん2019/05/24(金) 15:59:05.61
たしかに火傷(笑)はもうゴメンだわ

823日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:03:30.14
>>818
ウィキの「住吉神社(福岡市)」では、「…当社が全ての住吉神社の始源になるとする説がある」と記述している。
説だとよ、説。

824日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:04:19.99
>>823
お前の知識はいつもWiki頼みだな無能www

825日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:05:21.69
>>823
そこは畿内愛にあふれるキナイコシですら認めてる事実だぞ

826日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:05:38.58
>>821
てめは、@じゃないし。
背乗りが得意そうだなあ。

827日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:06:38.56
>>825
文献挙げてみな。

828日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:07:53.77
>>820
>阿波は住之江の津守の子分。

触れてしまったな。 住之江ごときが。 

御祭神を豊玉比賣とする神社は、全国各地に鎮座しているが、豊玉比賣を冠する延喜式式内社「豊玉比賣神社」は倭国(阿波)にしかない。

・二つの豊玉比賣神社(上)
一つは「天石門別豊玉比賣神社(あまのいわとわけとよたまひめじんじゃ)」
 徳島市眉山町の春日神社境内に祀られております。

一つは「和多都美豊玉比賣神社(わだつみとよたまひめじんじゃ)」
 徳島市不動西町「雨降神社」
 徳島市国府町和田「王子和多都美神社」
 名西郡石井町高原「王子(玉子)神社」

三社が論社とされております。
http://goutara.blogspot.jp/2015/02/blog-post.html?m=1

829日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:09:15.94
>>824
おめが馬鹿にするそのウィキすら、単なる説に過ぎんというとるのよ。
それを大真面目に、筑前住吉神社が住之江住吉大社の本家だというのだから、片腹いたいということになるなあ。

830日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:09:18.46
だからあれほど触るなと言ったのに・・・

831日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:11:13.19
阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父  彦火火出見(山幸彦)
母  豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)

これ全部「忌部はん(海人族)」。 狗奴国(長国)出身。   @阿波

832日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:13:07.70
>>827-829
06-6672-0753
「宮司の津守さんに筑前住吉神社についてお聞きしたいのですが」と電話しろ
47分以内に電話して、今日中にここに反省文な

833日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:17:41.01
まぁ細かいこと言うと住吉大社が総本社と認めてるのは筑前住吉神社じゃなくて那珂川の現人神社だけどな

834日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:19:10.12
>>828
豊玉姫は、豊玉彦の娘。
親の豊玉彦をないがしろにして、娘の分が立つのか。
阿波は住之江の子・分じや。
親の言うことは素直に聞くべし。

835日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:21:35.02
>>834
触るなと何度叱られれば理解できるんだよクソガキ
それ以上やるなら阿波スレでバトれ

邪馬台国四国説 part2
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1547615010/

836日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:22:10.51
>>833
そうだ、そっちだった

837日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:23:18.55
>>832
833さんが、詳しいことを知らせてくれた。
832よ、おめみたいなテンクラもんは、二度三度と病院で診察うけろよ。
一度じゃだめだろ。

838日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:27:51.30
>>834
>親の豊玉彦をないがしろにして、娘の分が立つのか。

豊玉比賣は神武天皇の祖母。  豊玉彦よりはるかに格が上。

住之江はだれも祀らない問題外の地。   @阿波

839日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:28:15.60
>>837
おめってwww 悟空かよwwwww

オラおめーみてーな無知無能みるとワクワクすっぞ!w

840日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:30:43.99
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう


それがキナイコシ(主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョンコ

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル

841日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:34:01.94
>>837
おめが馬鹿にするウィキの「現人神社」をみたら、博多住吉神社は「住之江の住吉大社から分霊したもの」と書いてあるなあ。
分霊だ、分霊。
意味分かるか。
本霊は、住之江ちゅうことや。
そいで、豊玉彦は津守の氏神やからな。
筑前安曇は住之江津守と同族の摂津安曇の分家で決まりやろ。

842日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:37:04.29
>>838
神武は創作だからなあ。

843日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:37:35.10
>>834
>親の豊玉彦をないがしろにして、娘の分が立つのか。

豊玉比賣は神武天皇の祖母。  豊玉彦よりはるかに格が上。

住之江はだれも祀らない問題外の地。   @阿波

844日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:43:54.26
>>841
まーたWikiかよ無能www
さっさと住吉大社に電話しろ!
あと15分以内に電話しろ

人並みの口をききたかったら言われたことはすぐにしろ

845日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:45:40.37
あれ?摂津チョンコは筑前住吉神社=元住吉の現人神社が住吉神の総本社ってのは認めてなかったっけ?

846日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:56:25.66
>>841
まぁ落ち着けよ無能
そもそもWikipediaに現人神社のページは存在してないからな
興奮しすぎて幻を見たんだろう
まぁお前は昔からの見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性があるのは知ってるから
俺は寛大に許してやるよ

ワタツミもスミヨシも生まれた場所は筑紫なんだよ
阿曇本貫地まとめにもあるように、摂津は海神とは無関係な土地
阿波の言葉を借りれば問題外の地

847日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:57:46.96
>>845
キナイコシは自分の思い通りにならなくなると別キャラ作って自分の発言にすら噛み付くキチガイだから気にするな。

848日本@名無史さん2019/05/24(金) 16:59:03.41
やっぱ、知識のある人は違う。
現人神社一つで、おめらの妄説が一気に吹き飛んでしもうた。
おめらの説は確かな根拠に立ってないから、ちゃんとした根拠が出てくるともう腰砕けてへなへな説になってしまう。
やはり、ちゃんとした根拠に立って、分からんことは分からんとせんとな。

849日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:00:24.56
>>846
>ワタツミもスミヨシも生まれた場所は筑紫なんだよ

筑紫も、だれも祀らない問題外の地。   @阿波

850日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:01:34.91
>>845
そうとう焦っとるな。
あはは。

851日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:03:53.82
>>848
そろそろ幻の世界から帰っておいでよ
明日朝一番に住吉大社に電話しような
そうしたら全てが分かるから
分かったらちゃんとここに反省文上げろよ

852日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:03:56.33
>>846
わはははは。
現人神社をぐぐってみたのか。
現人神社を知らなんだ証拠やな。
筑前国続風土記の時とおんなじや。
あはははは。

853日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:07:40.49
>>852
そういう気の触れた演技は文字にしないでくれよ。
とりあえず明朝、住吉大社に電話しろ。
住吉大社 06-6672-0753
電話で聞く内容はちゃんと覚えてるか?

854日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:08:55.16
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう


それがキナイコシ(主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョンコ

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル

855日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:09:00.24
>>846
わけわからんこと言うとるな。
豊玉彦は津守の氏神。摂津に元々いたかどうか分からん。
豊玉彦を氏神とするタモミ族がどこかから移動してきて住之江に土着し、そこで豊玉彦を祀ったのかも知れんじゃないか。
そういう可能性も頭に入れておかんとな。

856日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:11:35.03
>>854
それに>846の>見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性 も加筆しといてくれ

857日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:12:25.36
>>854
志賀安曇本家説の方々にとっちゃ、おめは邪魔なんだよ。
本家説の方々に墓穴ほらせるようなことばかり吠えておる。
本家説の方々がみんな黙ってしもうたやないか。
おめは、美容院へ帰れ。

858日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:12:59.57
>>855

住之江は、神武天皇の祖母 豊玉比賣を祀らない問題外の地。   @阿波

859日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:14:51.61
>>857

本家説は倭国(阿波)だがね。   @阿波

860日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:15:20.80
>>855
わけのわからんこと言ってんのはお前だよマヌケ
安価先のどこに豊玉姫の記述があるんだマヌケ
さっきから興奮しすぎてキャラ変にも失敗してるマヌケっぷりだし・・・
とりあえず水風呂にでも浸かって湧いたアタマを冷やしてから出直して来いマヌケ

861日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:15:59.35
>>857
美容院wwwwwwwwww

862日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:17:44.51
>>857
>>804>>813を書いた俺はここにいるぞ。

863日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:22:24.22
横からだが、綿積を合祀または境内摂社に祭る住吉系神社は多いが、住吉を祭る海神系神社を知らない。
誰か住吉を祭る海神社を知らないか?

864日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:25:36.29
綿津見は住吉の兄、宗像の叔父

住吉は綿津見の弟、宗像の叔父

宗像は綿津見と住吉の甥っ子

865日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:31:45.12
>>863
ここだよ。

「住吉大明神こと住吉神社」
板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。
祭神は神功皇后、表筒男命、中筒男命、底筒男命。

鎮座地は神功皇后ゆかりの地で当社は全国住吉神社の元社にあたる。
神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。 息長ということは生粋の海人族である。
大陸進出にあたり航海の守護神として、底筒男命、中筒男命、表筒男命を御舟に祀っていた。

百済征伐の帰りに当地(板野郡藍住町住吉)に寄り、御舟に祀っていた住吉三神を降ろしたのであろう。

そのほか、夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。

また御子である応神天皇の葬場跡は南に位置する応神町宮島。

審神者(さにわ)で顕れた淡郡の嚴(いつの)事代主は吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社「事代主神社」で祀られている。

ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違う。 神功皇后も幼少の頃より古の各海人部族の神話を聞かされていたのであろう。
そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。

底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)

神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳である。   @阿波

866日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:34:24.04
>>865
電波ビンビン過ぎて草www

867日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:36:53.36
>>865
月刊ムーに触るなキチガイ

868日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:37:51.39
阿波ごめんな安価ミス

>>866
月刊ムーに触るなキチガイ!

869日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:41:10.03
>>866
>電波ビンビン過ぎて草www

倭国(阿波)では、たいがいの記紀神話の神々をお祀りしている。   @阿波

870日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:41:52.79
>>865
住吉を祭る(主祭神が綿津見の)海神系神社を知らないかと聞いてるんだが・・・

871日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:45:33.67
聞いてもないことを一所懸命にベラベラと喋る
図鑑読みたてのガキにそっくり

872日本@名無史さん2019/05/24(金) 17:48:36.28
>>870
ん?864が答えだと思うぞ

873日本@名無史さん2019/05/24(金) 18:08:15.69
>>860
湧くのは蛆な。
頭は沸く。
勉強しろよ。

874日本@名無史さん2019/05/24(金) 18:14:28.89
>>869
四国八十八か所主義〜。
外へ行かなくてもいいように、全部集めてくる〜。
神社も全部集める主義〜。

875日本@名無史さん2019/05/24(金) 18:17:29.99
>>870
大海神社。
津守の氏神。
住吉大社の境内にある。

876日本@名無史さん2019/05/24(金) 18:19:11.49
>>875
綿津見の別名が豊玉彦。

877日本@名無史さん2019/05/24(金) 18:36:49.86
>>874
>神社も全部集める主義〜。

集めるんじゃなくて、倭国(阿波)に集まってたの。 ごめんね。   
君の所には無いでしょ。   @阿波

878日本@名無史さん2019/05/24(金) 18:39:39.10
>>870
住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。 @阿波

底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)
中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)
表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)

879日本@名無史さん2019/05/24(金) 18:40:03.94
>>877
全部、分霊じゃないの。

880日本@名無史さん2019/05/24(金) 18:45:30.08
>>879
>全部、分霊じゃないの。

いくらなんでもそんなに集中的に勧請する訳ないでしょ。
集めるんじゃなくて、倭国(阿波)に集まってたの。 ごめんね。   
君の所には無いでしょ。   @阿波

881日本@名無史さん2019/05/24(金) 18:47:52.59
>>879
君の所には、住吉三神もお祀りしてないでしょ。   @阿波

882日本@名無史さん2019/05/24(金) 19:02:24.87
>>881
私の上に住吉大社があって、そこに筒男が祀られている。
本家本元じゃ。

883日本@名無史さん2019/05/24(金) 19:06:14.92
>>882
筒男ってどの筒男?  それ、胡散臭いね。   @阿波

884日本@名無史さん2019/05/24(金) 19:25:55.89
>>883
そらまあ、海の神さんだから、潮くさいやろがな。
筒男は、底、中、表をひとくくりにした神名。
世間は、筒男三神と呼んでおる。

885日本@名無史さん2019/05/24(金) 19:33:21.60
>>884
筒男三神?  住吉三神じゃないの?  それ、胡散臭いね。   @阿波

886日本@名無史さん2019/05/24(金) 20:03:05.42
>>885
住吉というのは、住之江から転化した地名とされておる。
その地名を採った住吉大社の神さんなので、住吉三神じゃ。
元々は筒男神ということだ。
潮くさいがな。

887日本@名無史さん2019/05/24(金) 20:11:50.07
>>886
>住吉というのは、住之江から転化した地名とされておる。

3文字から転化した?   それも、胡散臭いね。   @阿波

888日本@名無史さん2019/05/24(金) 20:29:58.58
福岡も大阪も、住之江の表記が今でも使われているね。
住居表示は住吉になっているけど。

889日本@名無史さん2019/05/24(金) 20:55:19.10
大阪の住之江の住は、墨が書かれていたりする。
澄もあり得る。
隅も考えられる。
だから、住は当て字の可能性がある。
ということは、住吉は当て字の当て字ということにもなるな。

890日本@名無史さん2019/05/24(金) 21:00:07.83
>>887
スミノエ=4音。
スミヨシ=4音。
おんなじ。
潮くさいのは、海の神さんだから。

891阿曇本貫地まとめ2019/05/24(金) 21:00:24.78
筑前阿曇氏の拠点は"阿"曇郷、信濃阿曇氏の拠点は"安"曇郡、摂津阿曇氏の拠点は"安"曇江であり、阿曇氏、阿曇連の本貫地は同名の阿曇郷である(全国邪馬台国連絡協議会九州支部)
また、713年の好字令によって筑前本家と区別するために信濃阿曇と摂津阿曇は拠点を安曇とした(神歴研)


新撰姓氏録右京神別下、地祇
「安曇宿禰海神綿積豊玉彦神子穂高見命之後也」 阿曇は綿積の子である穂高見の子孫であり、同様の記述は古事記上巻ニにもある
なお穂高見を氏神として祭るのは志賀海神社境内の今宮神社と信濃穂高神社のニ社のみ

新撰姓氏録摂津国神別
「安曇宿禰同祖綿積命六世孫小栲梨命之後也」 摂津阿曇は綿積の6世孫、小栲梨の子孫であり、小栲梨を祀る神社は皆無

先代先代旧事本紀の巻一、陰陽本紀
「少童三神、阿曇連等斎祀、筑紫斯香神」 綿津見三神は阿曇連が斎(いつ)き祀(たてまつ)る志賀海神社の事である
志賀海神社=綿津見三神=阿曇連が斎祀する神であるにも関わらず、摂津に綿津見を祀る神社は存在しない

綿津見の娘、豊玉姫の子である阿曇磯良を祀る疣水磯良神社(摂津で唯一の海神由来の神社)が摂津にあるが、平安時代に天照御魂神社が招聘した(摂津名所図解と当社神職による)もので阿曇族とは無関係


摂津の阿曇連百足は安曇磯良(綿津見の娘の子)の九世孫を自称していることから筑前阿曇と信濃阿曇は男系(本流)であり、摂津阿曇は女系(傍流)と言える


また、綿津見=ワタスミ=海住み=アマスミ=阿曇の音変も十分に考慮でき、海住みにシンクロする川住み=住之江=住吉も綿津見三神と住吉三神の同時誕生にシンクロする
兄弟神である綿津見と住吉の本社はそれぞれ志賀海神社と筑前住吉神社である
摂津の住吉大社は住吉本社を自称しつつも総本社は筑前住吉神社(元宮は現人神社)であることを認めている


筑前本家説にこれだけの根拠がある一方で、摂津説に根拠は皆無である点を勘案すれば、自ずと阿曇の本貫地は筑前以外に有り得ないという結論に至るのが真摯な歴史学研究の姿勢である

892日本@名無史さん2019/05/24(金) 21:00:45.43
阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父  彦火火出見(山幸彦)
母  豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)

『古事記』あまつひここ”ナギサタケ”うがやふきあえず、『日本書紀』ひこ”ナギサタケ”うがやふきあえず、書紀、五十猛(いそたける)と同一視する研究もある。

『太平記』『志賀海大明神御縁起』『風浪宮縁起略』『宗像大菩薩御縁起』『津島(対馬)紀事』では三韓征伐の準備中に舞によって招聘され、その舵取を務める。
太平記では住吉神、志賀海大明神・宗像大菩薩の御縁起では武内宿禰、津島紀事では小島の女が舞を奉じたとある。

この出現場所については春日大社の春日若宮おん祭で奉納される猿楽「細男の舞」において”筑紫の浜”と詠われている。

『八幡愚童訓』には安曇磯良は志賀海大明神で、常陸国に於いては鹿島大明神、大和の国に於いては春日大明神であるとされる。
同様の記述は『琉球神道記・鹿嶋明神事』にも見られる。

阿曇磯良を奉祀する主な神社
志賀海神社(海神信仰の本社)
風浪宮(おふろうさん)
和布刈神社(隼人明神または早鞆[はやとも]様とも)
多久頭魂神社(対馬下県厳原町大字豆酘)
闇無浜神社(大分県中津市大字角木)
止上神社(鹿児島県国分市重久)
疣水磯良神社(大阪府茨城市三島丘)※元新屋坐天照御魂神社境内

磯良のその後については、志賀海神社に祀られて宮司家となったとされるが、三韓征伐の功で48隻の船を賜わり難波に移住、九世孫が阿曇百足(宗像大菩薩御縁起)、風浪宮の斎主として大川榎津に留まり、宮司家となった(風浪宮社伝)、筑紫の浜から海底に還ったなどがある。
また、ウガヤフキアエズを和魂、磯良を荒魂と捉える研究もある。

893日本@名無史さん2019/05/24(金) 21:09:38.47
>>892
阿曇磯良(磯武良[いそたけら]、阿度部[あとべ]−、安曇−とも)
阿曇族の氏神
祖父 綿津見(母方)と瓊々杵(父方)
父  彦火火出見(山幸彦)
母  豊玉姫(綿津見の娘、鰐鮫の化身)
叔父 穂高見(阿曇氏の祖)と振魂(尾張氏の祖)
叔母 玉依姫(神武の母)

これ全部「忌部はん(海人族)」。 狗奴国(長国)出身。   @阿波

894日本@名無史さん2019/05/24(金) 22:57:39.12
>>892
この安曇東遷説も、邪馬台国東遷説と同じ思考パターンだよな。
なんで、北部九州は東遷したがるのかね。
根拠がまったくないのに。

895日本@名無史さん2019/05/24(金) 23:06:46.76
>>894
そりゃ、大宰府症候群のなせるわざだよ。
大和に占拠されて大宰府を置かれた精神的後遺症がひどく、どうにも大逆転しないと病状が回復しないの。
そこで、九州王朝を捏造して大宰府は九州王朝の都だった説、また邪馬台国は東遷させてその本国は奴国だった説、そして安曇は元々志賀発祥説を唱えている。
いかに、大宰府症候群の病状がひどいか分かるだろう。
安曇東遷説は、そうした精神的後遺症を鎮める一つのお薬なわけ。

896日本@名無史さん2019/05/24(金) 23:10:26.08
>>894
東遷というか、東征はあったのだろう。
しかし、本貫地があくまでも博多湾沿岸であることを忘れてはいけない。

897日本@名無史さん2019/05/24(金) 23:13:02.81
>>896
業突張りBBA

898日本@名無史さん2019/05/24(金) 23:13:52.87
最初の王都として福岡平野に吉武高木遺跡(紀元前2世紀)、奴国と考えられている須玖岡本遺跡(紀元前2〜1世紀)があり、
後に高祖山をはさんだ西側の糸島平野に移動して伊都国とされる三雲南小路遺跡(紀元前1世紀の王・王妃墓)、井原鑓溝遺跡(紀元1〜2世紀の王墓)、平原遺跡(紀元2〜3世紀の女王墓)がある。
三雲南小路遺跡の甕棺墓から発見された内行花文鏡には「見日之光天下大明」という銘文があり、太陽光を象った鏡であることがわかる。内行花文鏡は中国で王侯に下賜されていた形式であり、倭国が漢王朝の冊封の元での祭政一致王権をとっていたことがわかる。
昭和40年(1965年)に平原遺跡から出土した最大の内行花文鏡は国産と考えられている。その円周が漢代の8咫(直径1尺の円の円周が4咫)に相当することから、記紀などにおいてアマテラスがニニギに与えたとされる八咫の鏡であると考えられている。
かつては八咫は単に大きいことを意味するだけだという説もあったが、この鏡の出土により実際に円周がちょうど八咫である鏡が実在したことが確認された。
これらの王朝は高祖山の東側の福岡平野の奴国に成立し、後に西側の糸島平野の伊都国に移動しているが、出土品や墓制が同じであることから基本的には一連の王権であると考えられる。
三種の神器は現在の天皇家においても象徴とされており、倭国王権の起源は稲作伝来の地でもあるこれら博多湾・玄界灘周辺にあったことになる。
これが卑弥呼が女王となった倭国の姿である。

899日本@名無史さん2019/05/24(金) 23:41:27.66
北部九州の甕棺墓制は3世紀以前にど没落した
全羅南道では存続する

900日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:03:57.16
>>894
文盲なんか?メクラなん?むしろ根拠しかないやん
気温が上がってアタマにウジ虫湧いたんか?
で、摂津に何か根拠あんのけ?皆無やんな(笑)

901日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:04:56.32
王統が何度も入れ替わっているのだ。
伊都国の王統は甕棺ではなく、三雲南小路遺跡に代表される方形周溝墓だ。
甕棺を貶めても何にもならないよ。

902日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:07:56.31
王統が替わっているなら一連の王権じゃないな
三雲南小路遺跡は甕棺墓

903日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:16:24.32
>>902
甕棺を持つ方形周溝墓。

つまり、三雲南小路遺跡の一族と、平原遺跡の一族は違う。
つまり、伊都国の中で、倭国大乱の年代を挟んで政権交代があったんだよ。
平原遺跡は倭国大乱の後の女王墓であることは、概ねほとんどの人が認めているわけだし。

904日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:17:30.95
>>902
それこそ魏志倭人伝に一致

905日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:19:07.70
>>901-903
ここは海人族のスレ。 

九州スレと同じコピペをすることに何の意味があるのだ?

主張したい事は適した場所でだけやってくれ。

906日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:20:12.57
まあしかし、摂津安曇氏と住吉大社の津守氏が同族である可能性は高い。
住吉大社神代記では、豊玉彦の名を津守安必登神(つもりのあらひとかみ?)と書いている。
また、これを延喜式神名帳では、津守安人神(つもりのあらひとかみ?)と明確に書いている。
この安必登神、安人神は、現人神(あらひとかみ)の意味だとされている。
那珂川の現人神社の社名の由来も、ここにあるのかも知れない。
この安人神を単純に発音すれば(あと)であり、安曇氏の読みを(あどん)とするのと発音がよく似ているのだ。
安曇の漢字の由来は、この(あと)(あどん)にある可能性があるのである。
志賀の阿曇氏は、安ではなく阿としているが、しょせん発音自体は(あ)であることに変わりはない。
であれば、安曇氏は津守氏と同族であり、津守氏から分かれたのが摂津の安曇氏だと解釈されることになる。
アズミの発音については、(あと=安人=豊玉彦)と綿津見(わたつみ)の二神の(あと)の(あ)と(わたつみ)の(つみ)を掛け合わせたものであることが容易に推測できる。
この(安+津見)に安曇の漢字を当てたのが、安曇(あずみ)ということであろう。曇(どん)の字が当てられたのは、豊玉彦を安人(あどん)と発音することがあったからだろう。
このようにみると、すべては住吉大社神代記に記す(安人=あと・あどん)から発していることになる。
やはり、安曇の発祥は摂津と考えるのがいいようだ。
このように考えると、綿津見を豊玉彦と同神とみなすようになるのは、安曇氏が志賀に進出して奴国系海人が祀っていた綿津見を自らが祀るようになってからと考えるのが自然である。

907日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:23:10.29
>>906
摂津は傍流の末裔だと何度教えられればw

908日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:23:13.59
>>905

九州スレと同じコピペは>>898だろ

909日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:23:25.04
摂津は分家ですらない

910日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:24:20.58
>>908
邪馬台国ネタは邪馬台国スレでやれってこと

911日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:27:06.51
>>899
甕棺墓は、3世紀中頃まで筑後の山門あたりで通用しているがなあ。

912日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:29:34.98
>>906

感心して読んでいたのに、最後がダメダメ

要するに安曇氏は津守氏と同根であり、住吉の神、綿津見なんだよ。
豊玉彦と同じということは、筑紫の日向三代王家と姻戚を結んだ豊国王家であり、まさに古の奴国の王家に他ならない(記紀では綿津見の方が天孫よりイザナギに世代が近い=古い)。
イザナギの筑紫の日向の小戸における禊で生まれた氏族なのだから、当然土着の氏族の代表だよ(そもそも祖先崇拝だし)。

913日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:29:49.41
>>910

>>891は全国邪馬台国連絡協議会九州支部を引用している

914日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:30:41.35
>>909
いちおう分家だが、本家は福岡の綿津見神社や住吉神社なのだろう。

915日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:32:08.25
>>911

筑紫の端っこだから

916日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:38:01.86
博多湾に新しい氏族が発生すると、古い氏族は周辺に追いやられる。
豊国王家だって、元々は住吉でわかるように博多にいたのに、遠賀川流域に追いやられている(たぶん、筑紫岡田宮、崗県主というのがそれ)。
最後には豊国は豊前豊後など、大分まで追いやられる。

その前の世代の勢力は、もっと東の出雲だし、それより古くて記録も定かではないのが、出雲よりもっと東に追いやられた越だろう。
しかし越も、香椎の語源が越だと言われるくらいなので、古くは西日本の日本海沿岸全てが越だったのかもしれない。

917日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:41:19.09
>>914
摂津阿曇の最も古い実在人物が百足
その百足が磯良の9世孫を自称してるんだから傍流
本流は阿曇氏の祖 穂高見
摂津阿曇の祖 磯良は本流たる穂高見の甥

918日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:42:51.02
阿曇が中央で没落したからだろう
忌部も没落した

919日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:45:44.18
中央=筑紫の日向=博多湾沿岸

920日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:47:07.86
つまり博多湾における天孫族に圧迫されて摂津まで落ち延びた氏族が摂津安曇氏か?

921日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:50:39.33
ずっと志賀島で釣りしとったの?

922日本@名無史さん2019/05/25(土) 00:58:05.80
倭王だよ

923日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:00:02.96
>>920
別物と考えたほうが良い
志賀阿曇は万葉集にスメラミコトと詠まれているから天孫系

924日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:00:45.58
倭人伝では志賀島には行かんだろうw

925日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:06:05.61
>>923
イザナギの末裔なら、王族であることは間違いない。

魏志倭人伝の卑弥呼の前の男王が日向三代なら、綿津見はその初期の時代になるから、郡使が訪問した時には奴国で埋没していたかもしれない。

926日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:06:24.58
>>924
倭人伝無関係やん

927日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:11:05.52
>>926

志賀阿曇いつ倭王だったの?

928日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:25:34.61
スメラミコトと呼ばれた頃じゃない?

929日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:27:46.95
その志賀阿曇がスメラミコトと詠まれている万葉歌引用して

930日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:29:48.67
>>927
魏志倭人伝において、倭国大乱の前の男王の初期が帥升と年代が被るけど、これが天孫ニニギなら、イザナギの三世孫。
綿津見はイザナギの子だから、金印をもらった頃か、紀元前後かな。
まさに倭奴国王。

931日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:33:53.51
倭奴国王=綿津見神=現人神=安曇=スメラミコト

932日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:34:39.30
後漢に金印貰った本家は倭人伝の倭王とは関係なく志賀島の寒村で暮らし
分家が連、宿禰になったってことかな

933日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:38:46.13
ニューヨークの玄関口であるエリス島みたいなところを押さえておいて、寒村とは言わないよ。

934日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:39:53.17
奴国 ニューヨーク
伊都国 ワシントンD.C.

935日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:40:52.76
エリス島もニューヨークも阿曇とは関係ない

936日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:57:51.76
>>929
会話に参加したいなら、そのくらい自分で調べられる知能を身に着けてからにしろよ無能
もしくは謙譲語で教えを乞うたら即教えてやるぞ

937日本@名無史さん2019/05/25(土) 01:59:54.73
千磐破 金之三埼乎 過鞆 吾者不忘 壮鹿之須賣神

反日ソント集団はこれのこと言ってるのかな

938日本@名無史さん2019/05/25(土) 02:47:33.81
>>912
感心して読んでいたのに最後まで感心しつづけることができなかったのは、きみらのファンタジー説刷り込み洗脳がいかにひどいものであるか示しているよ。
安曇氏の系図ではなぜ綿津見と豊玉彦がひとつにくっついているのかその理由を説明したら、自分の障害に気付いて安曇氏志賀発祥説の刷り込みを捨て去るかと思いきや、真理に背を向けてファンタジーに沈潜していく体たらく。
安曇氏の系図がいくつもの神を加上していく形式を取っていて、それが物部氏の旧事本紀の系図のパターンとおんなじであるのは明らか。
物部氏の系図が海部氏や尾張氏、その他の氏族の神名を取り込んで自らの出自を造作しているように、安曇氏の系図もそうした造作の産物だということだな。
そして、日向=南九州定説にもかかわらず、日向=福岡異説に固執して、夢に浸り続けてしまう。
まあ、長年の固定観念がすぐに溶けるということはないだろうから、そのまま安曇氏志賀発祥を信じていたまえ。
ある日突然、「あっ、そうだつたのか」と膝をたたくことになるから、まあみていたまえ。

939日本@名無史さん2019/05/25(土) 02:49:24.98
>>915
あのあたりが、卑弥呼の祭祀所のあったところなんだけど。

940日本@名無史さん2019/05/25(土) 02:51:46.52
>>939

何か見つかった?

941日本@名無史さん2019/05/25(土) 02:55:37.56
阿曇百足(ももたり、−むかでとも)
詳細不明
阿曇磯良の九世孫※磯良は阿曇族の女系であり、磯良の子孫を自称する摂津阿曇は傍流である。
本拠が摂津であるとされる最初の阿曇氏
磯良同様、『記紀』には登場しない

『肥前国風土記』松浦郡値嘉郷条では「百足は景行天皇の西国を鎮撫巡行に陪従し、志式島で偵察。 小近島の大耳と大近島の垂耳という土蜘蛛を拿捕して献上するも、景行天皇は貢物の約束で恩赦した。」
『筑前国風土記逸文』に見える大濱宿禰(阿曇宿禰・阿曇大濱)が"陪臣(又家来)"であったのに対し、百足は"陪従(お付き人)"となっている。
すなわち、百足の代にはすでに朝廷に従属していたことが分かる。

『播磨国風土記』の揖保郡・石海里条では「百足が石海の里の百枝ノ稲を孝徳天皇に献上し、その里を開梱せよとの勅を受け、石見の人夫を召して開墾したので、この土地の名が百便(ももたり)、村の名が石海(いわみ)となった。」
『播磨国風土記』の揖保郡・浦上里条では「この土地を浦上と呼ぶのは、移住してきた百足らが、先に住んでいたのが難波の浦上だからであり、産土に依ってこの地も浦上とした。」
そして本拠地を摂津から播磨に移したことが伺える。
ただし、播磨国風土記は年代的に阿曇頬垂(つらたり)との混同と考えられる。


阿曇頬垂(つらたり)
詳細不明
本拠地は播磨
日本書紀に見える最初の人間阿曇氏

『日本書紀』巻第二十六・斉明紀三年是歳条では
小花下(律令制下の従五位に相当)の頬垂が西海使の務めを終え、百済からラクダ一頭とロバ二頭を斉明天皇に献上した。
※642年に百済は再び倭国の附庸国となっていたため、西海に含まれていたのが興味深い
翌年の『日本書紀』巻第二十六・斉明紀四年是歳条では
再び西海使として百済が新羅を討ったとの報告を行っている。
『日本書紀』巻第二十七・ 天智紀九年九月朔条では
頬垂を新羅に遣わし(西海使ではない)、この年より水車を作って製鉄を始める。

東アジアにおける海洋帆船は宋代の発明とされているため、この時代は手漕ぎの準構造船と考えられる。
続く稲敷も含め、阿曇は遠洋海運に非常に長けていたことが分かる。

942日本@名無史さん2019/05/25(土) 02:56:05.25
>>916
きみらは、弥生時代になり何もかもが大陸からやってきて東へ通り過ぎて行ったそのトラウマに、いまだに悩まされているようだ。
邪馬台国東遷説も、天智東遷説も、この安曇東遷説もみなそのトラウマのなせるわざだよ。
しかし、日本の実歴史では、すべて西遷なのよ。
東から西へ移動している。
安曇も、大宰府もみな東から西へ移動しているの。
はやく、歴史の真実にたどりつきたまえ。

943日本@名無史さん2019/05/25(土) 03:04:10.62
>>942
トンスラー?

944日本@名無史さん2019/05/25(土) 04:09:47.38
>>941
頬垂、あるいは百足か、いずれにても今の大阪府下か兵庫県。
北部九州の阿曇氏は公式記録に出てこないね。

945日本@名無史さん2019/05/25(土) 04:11:27.73
>>940
祭祀所の位置を特定した。

946日本@名無史さん2019/05/25(土) 04:38:57.63
>>944
何を持って公式とするかにもよるが、>892の阿曇磯良を読めば本流(本家)は筑紫で確定だろうな。

畿内に住んでいることが確定している安曇が陪従(従属)してるにもかかわらず、後年長崎に現れる阿曇は陪臣(間接的な臣下)であることもそれを裏付けている。

947日本@名無史さん2019/05/25(土) 07:11:27.85
>>938
>物部氏の系図が海部氏や尾張氏、その他の氏族の神名を取り込んで自らの出自を造作しているように、安曇氏の系図もそうした造作の産物だということだな。

妄想だろ。

>>938
>そして、日向=南九州定説にもかかわらず、日向=福岡異説に固執して、夢に浸り続けてしまう。

こういうのを固定概念というのだよ。

948日本@名無史さん2019/05/25(土) 07:12:28.01
>>942
>しかし、日本の実歴史では、すべて西遷なのよ。

根拠は?

949日本@名無史さん2019/05/25(土) 07:29:54.00
大濱宿禰(阿曇宿禰、阿曇大濱とも)
詳細不明
綿積の子 穂高見の子孫※綿津見の直系男子であり、本流である。
弟  小濱宿禰(海犬養と凡海の祖先とされる)
次男 名不詳(信濃の阿曇犬養連の祖先とされる)
本拠地の明記はない。
海人之宰(あまのみこともち)

『日本書紀』巻十・応神紀三年十一月条では「各地の海人が天皇の命に従わなかったので、阿曇の祖である大濱宿禰を遣わして平定し、大濱を海人之宰に任じた。」
『本朝月令』の「高橋氏文」にも同様の記述があり、奉膳職の理由としている。 
さらに「高橋氏文」では崇神天皇の奉膳は阿曇の遠祖”大”栲成が始まりとあり、摂津の"小”栲梨と区別する目的があったと見られる。

『釈日本紀』巻六・阿曇連等所祭神条に所収の『筑前国風土記逸文』では「神功皇后が新羅行幸の折に島に停泊し、火を求めて陪臣の小濱を遣わせた。 あまりに早く戻った理由を皇后に説明するよう大濱が促したので、小濱はの島は打昇之浜とほとんど地続きなのですと答えた。 この所以をもって近島と命名し、今は訛って資珂島という。」
摂津(後に播磨)の阿曇百足は景行天皇の陪従(臣下)であったのに対し、大濱と小濱は陪臣(又家来)となっている。 同じ阿曇連で百足の後年である大濱小濱兄弟が陪従していないのは極めて不自然であり、神功・応神から勅使を受けた筑前阿曇宗家が大濱小濱兄弟を遣わせたため又家来とされたと見るべきである。


阿曇浜子(はまこ、−黒友とも)
詳細不明
家系不明

『日本書紀』巻十二・履中紀即位前紀では
「履中の同母弟、住吉仲皇子(墨江之中津王)の叛乱に淡路の野島の漁師を率いて荷担したが、死罪を免れる代わりに入れ墨の刑に処され、人々から[阿曇目]と呼ばれた。」
海人之宰の影響力が淡路の海人族にまで及んでいた証拠であり、記紀の上では血縁を確認できないものの、阿曇と住吉の強いつながりを見て取ることができる。
この事件をきっかけに海人之宰の任を解かれ、その後は推古紀まで阿曇の名は歴史から消える。


阿曇連比羅夫(ひらふ、−山背比羅夫とも)
詳細不明
家系不明

信濃穂高神社にて安曇連比羅夫命として祀られるが、安曇氏の家系図には見えないため、阿倍比羅夫のことと思われる。

950日本@名無史さん2019/05/25(土) 07:40:09.22
>>938
>物部氏の系図が海部氏や尾張氏、その他の氏族の神名を取り込んで自らの出自を造作しているように、安曇氏の系図もそうした造作の産物だということだな。

物部氏も海部氏も尾張氏も安曇氏もその他の氏族も、ぜんぶ倭国(阿波)の忌部一族。 小難しく妄想しすぎ。   @阿波 

951日本@名無史さん2019/05/25(土) 07:46:30.79
>>950
月刊ムーには毎度のことながらヤケドさせられちゃうわ〜

952日本@名無史さん2019/05/25(土) 08:22:35.72
>>951
よく、冷やして養生したまえ。   @阿波

953日本@名無史さん2019/05/25(土) 08:52:46.47
阿曇稲敷(いなしき)
詳細不明
家系不明

『日本書紀』巻第二十八・天武紀 天武元年三月己酉条では
「内小七位阿曇稲敷を筑紫に遣わし、天智天皇の崩御を唐使の郭務?に伝えると、郭務?らはことごとく喪服を着て三度挙哀し東に向かって拝んだ。」
白村江の戦いの後、郭務?ら二千人の来日を倭国敗戦の根拠とする者がいるが、郭務?は大和朝廷に対して敬意を持っていたことが分かる。
(郭務?は文官であり、また随行の二千人の大半は捕虜と百済難民である。 また唐側にも倭国側にも筑紫都督府を設置した記録はない。)

『日本書紀』巻第二十九・天武紀 天武十年三月丙戌条では「小錦下阿曇連稲敷ら十二人に帝紀および上古諸事(旧辞)を記し定めるよう命じられた。」
帝紀と旧辞は『記紀』の基本史料であり、記紀に記される阿曇族の記述は稲敷の認識と考えられる。


安曇継成(つぐなり)
詳細不明
家系不明

『高橋氏文』では「延暦十一年三月十八日に内膳奉膳にあった継成が詔命を承けず、人臣の礼無しとして絞刑に処せられるべきところ、特旨をもって死一等を減じ佐渡に配流された。」
これをもって阿曇氏は表舞台から姿を消した。

954日本@名無史さん2019/05/25(土) 09:01:17.64
マッカーサーだって昭和天皇に礼は尽くした。
天智天皇を日本国の代表に取り立てた以上は、あくまでも国王であるから、官であるカクムソウは礼を取るべきなんだよ。
別に矛盾はしない。

955日本@名無史さん2019/05/25(土) 09:07:32.50
>>954
一理あるが、お前はいつまで経っても人の文章の全体を把握できない無能やな

956日本@名無史さん2019/05/25(土) 13:31:08.15
>>946
太平記に磯良が筑紫の浜に現れたと書かれているから筑紫の海神だと主張しているが、短絡すぎる。
摂津の海から筑紫へ移動したということだよ。
きみらは都合読みが甚だしいな。
また、陪従と陪臣の違いを挙げているが、陪臣は武士の主従関係に用いられる語彙だとされている。
古代には、武士はまだいない。
ちゃんと時代考証しないとね。

957日本@名無史さん2019/05/25(土) 13:36:17.18
>>950
あれ、物部氏の系図、そのまま事実だと思ってるの。

958日本@名無史さん2019/05/25(土) 13:38:29.10
>>948
え、常識だよ。

959日本@名無史さん2019/05/25(土) 13:46:59.82
>>947
物部氏の系図は、見たら一目で造作だと分かる。
きみらの目は節穴だよ。
また、日向=福岡異説はごく普通の見識。
きみらの安曇志賀発祥説こそ、固定観念というにふさわしい。

960日本@名無史さん2019/05/25(土) 13:56:05.97
>>956
苦し紛れに何を言い出すんだ無能

961日本@名無史さん2019/05/25(土) 14:03:57.62
いずれにしても、安曇氏が志賀発祥だと確定できるような資料はない。
いままで、きみらは通念として安曇志賀発祥を信じてきたが、これからは摂津発祥だと考えを改めたまえ。

962日本@名無史さん2019/05/25(土) 14:07:10.16
>>961
またいつもの病気で精神勝利か摂津チョンコ(笑)

阿曇の本貫地は筑紫だという証拠しかないぞ無能
一方、摂津には何もないじゃないか無能
いい加減現実を直視する勇気を持てよ無能

963日本@名無史さん2019/05/25(土) 14:07:42.15
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう

見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性


それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョン

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

最後には見え透いたウソを吐いてでも精神勝利で現実から目を背ける

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル

964日本@名無史さん2019/05/25(土) 14:29:40.72
志賀島は志珂郷、朝鮮学校がある和白、新宮あたりが阿曇郷

965日本@名無史さん2019/05/25(土) 14:30:26.45
奴族が筑紫の宗家=イザナギ

筑紫志賀島が安曇本家=ワタツミ

筑紫那珂川が住吉本家=アラヒト

播磨安曇は安曇の傍流=イソラ

摂津住吉は住吉の分家=スミノエ

966日本@名無史さん2019/05/25(土) 14:42:29.39
住吉大社神代記の「安人=豊玉彦」がすべてだよ。
安曇は、この安人にちなむ(安)と、綿津見の(津見)の合字。
安曇は津守から分かれた同族で、その同族の分家が志賀へ行って綿津見を祀るようになったので安曇の姓ができた。
それまでどのような族名であったか分からないが、この頃から安曇を名乗るようになったのだろう。
志賀の阿曇氏が阿の字を使っているのは、何か意地を張った結果にすぎない。
この志賀の阿曇氏が安曇族の本家であるとするのは、本末転倒といえるだろう。

967日本@名無史さん2019/05/25(土) 14:49:54.80
摂津とか葛城とか阿波とか
そうまでして村興しがしたいのか

968日本@名無史さん2019/05/25(土) 14:52:49.57
>>966
ウソの創作活動楽しそうだね無能チョンコwww

969日本@名無史さん2019/05/25(土) 14:54:56.51
>>966
踏み間違えを絶対に認めない池袋の老害そっくりだな(笑)
向こうのプライドの高さは社会的に認められたものだが、摂津チョンのそれはガキの夜泣き

970日本@名無史さん2019/05/25(土) 14:57:43.65
綿津見は兄
住吉は弟
宗像は甥

筑前安曇本家は直系男子

播磨安曇は女系の傍流

971日本@名無史さん2019/05/25(土) 15:04:40.05
>>965
四国とおんなじで、福岡はなんでも取り込んでしまうのな。
安曇は住之江のタモミ族(津守氏)の分かれで、住之江の隣の難波あたりを支配した。
朝廷の命によってその分家が志賀の現地で綿津見を祀る役目を担った。
そして安曇の姓ができ、志賀で意地を張った分家が阿曇と別字を使ったということだろう。
それでも、阿はア音であり、安曇の一党であることは残した。
まあ、そんなところだ。
ちなみに綿津見は、元々は南九州阿多族が祀ったが、縄文早期末に博多へ移った際にそこで祀るようになったもの。
その阿多族が縄文前期に南九州阿多に戻ったあと、阿多族の支流である奴国系がそのまま志賀で綿津見を祀り続けたもの。
なぜ綿津見だけが志賀に残されたのかというと、朝鮮半島とつなぐ対馬海峡の支配権を保持するためだった。
この頃には、朝鮮半島には阿多族がすでに進出していて、博多などと交流が維持されていたからだ。
綿津見がなぜ志賀で祀られていたのかについての事情は、このようなものであった。

972日本@名無史さん2019/05/25(土) 15:09:13.74
>>971
しつこいぞ摂津チョンコ
お前は完敗したんだ諦めろ

973日本@名無史さん2019/05/25(土) 15:13:13.62
             なんでも取り込んで・・・
 サッ ミ _____ ̄ ̄V ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
   ∧_,,||// ∧_∧|. ∧_∧ …
  .(.・ω||/ <♯`Д´><    >
  ( ⊃||   (    )| (>>971
  し―-J ̄ ̄ ̄ ̄  u―u'


 なんでも取り込ん・・・            
  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄V ̄ ._____彡 サッ
          ∧_∧ |//∧,,_∧ ||_∧
         <     > |/ <`Д´#>||ω-` )
         (>>971つ | (  ⊂ ) ||⊂ )
          u―u'  ̄ ̄ ̄ ̄ ( ̄(_⊃

974日本@名無史さん2019/05/25(土) 15:14:56.36
>>971
本当にお前はウンコだなwww

975日本@名無史さん2019/05/25(土) 15:15:23.33
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう

見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性


それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョン

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

最後には見え透いたウソを吐いてでも精神勝利で現実から目を背ける

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル

976日本@名無史さん2019/05/25(土) 15:22:17.97
>>971
あんた>975を10回くらい読んだほうが良いよ
悔しいだろうけどまさに書かれている通りの行動をしてるよ

977日本@名無史さん2019/05/25(土) 15:34:10.06
福岡が弥生時代の先進地域であることは間違いない。

978日本@名無史さん2019/05/25(土) 15:44:17.99
歴史より先に後付けの記紀が、
お前らの頭に有るからおかしい、ってのが理解できてるか?
邪馬台国が、後の大和朝廷と合流したのは、
240年以降で280年辺りまでと考えられる。

これは公孫氏滅亡で、それまで青銅などの輸入が途絶えたことが原因。
半島の韓王朝も246年に倒れ、卑弥呼の外交では、九州も滅びたであろうこと。

この時は、倭人伝読むまでもなく、安曇の連なんて存在しないのは判るか?
13歳だった壹與が嫁ぐ みたいな戦国調略による併合だろ?
これによって対中華防衛で、日本が軍事化で古墳時代が始まる。

銅鐸が消えるのも、重農政策から富国強兵への切り替えで
縄文以来の、なにがしかの勢力との協調が有ったからだ。

313年の韓四郡滅亡後は、半島進出や富国強兵が総力化する。
400年〜500年、倭王は、南朝に対し、自ら漢字名を名乗った節がある。

氏姓を伴う貴族の豪族化もこのころから、と考えられ、
記紀神話を構成する神々の由来となる、氏神や神社信仰は
朝廷勢力の中心が確定するこのころまで、調整できないのではないかな。

安曇族の始祖神が、神功皇后や朝廷とかかわりを持つ
なんてのは、時系列がデタラメにならないと成立しないファンタジー。
海神ワタツミを始祖としして祀れ、という、冠位格式のご都合成立以降の話だ。

979日本@名無史さん2019/05/25(土) 15:46:45.83
>>978
10回読んで理解できないなら100回音読しろよキナイコシ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓


何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜のだろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「が妥当」と逃げまどう

見たくないものは見えなくなり、見たいものは幻を作ってでも見る習性


それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

別名も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン(猿芝居ではカモ先生)

海人族スレでは摂津チョン

などスレ毎の呼称も存在する


特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

最後には見え透いたウソを吐いてでも精神勝利で現実から目を背ける

そして追い詰められると様々なスレを渡り歩いて逃げ回るスタイル

980日本@名無史さん2019/05/25(土) 15:47:51.52
>>978
ところで住吉大社には電話したのか?
午前中に電話して反省文提出するはずだったよな?

981日本@名無史さん2019/05/25(土) 16:00:32.38
>>978
>記紀神話を構成する神々の由来となる、氏神や神社信仰は
>朝廷勢力の中心が確定するこのころまで、調整できないのではないかな。

筑紫における王権の方が古いのだから、筑紫に関してはその限りではない。

982日本@名無史さん2019/05/25(土) 20:04:11.26
>>978
移動する神が現れてくるのは、この5世紀前後頃から。
この時代以前には、氏族なんてまだいない。
部族社会の最後が4世紀後半よ。
日本書紀はそもそもの始発から王がいて、家来がいて、という王権と氏族の世界を描いているが、4世紀後半まではまだ部族社会だよ。

983日本@名無史さん2019/05/25(土) 21:31:31.08
>>982
>この時代以前には、氏族なんてまだいない。
>部族社会の最後が4世紀後半よ。

まったく根拠のない妄想

984安曇の系譜2019/05/26(日) 10:55:12.32
綿津見(ワタツミ:大綿津見神「−海津見・−海津美」、上津−・中津−・底津−、−豊玉彦「豊玉毘古」、少童「表−・中−・底−」、海神「海童」、和多津見「−都美」、綿積「−摘」、志賀神)
安曇の祖神
出生地 筑紫日向小戸橘之檍原(アホキハラ)/竺紫日向之橘小門之阿波岐原(アワキハラ)
父  伊邪那岐
母  伊邪那美
兄  八十枉津日、枉津日、神直日、大直日、(姉 伊豆能売[記のみ])
双弟 住吉(底筒男命・中筒男命・表筒男命)
妹  天照、月読
弟  須佐之男
子  穂高見(阿曇の祖)、振魂(尾張氏の祖)、豊玉姫(磯良の母、鰐鮫の化身)、玉依姫(神武の母)
娘婿 彦火火出見(山幸彦)、彦波瀲武??草葺不合
孫  彦波瀲武??草葺不合、阿曇磯良(阿曇の氏神)
曾孫 神武天皇

綿津見を奉祀する主な神社
志賀海神社(海神信仰の本社)
綿津見神社(全国)
海神社(全国)
穂高神社(長野)


穂高見(宇都志日金拆、宇都志日金折命、顕日金拆、一説には猿田彦と同定)
阿曇の祖
親 綿津見
弟 振魂(尾張氏の祖)
妹 豊玉姫(磯良の母、鰐鮫の化身)、玉依姫(神武の母)
子 八坂刀売(諏訪大社社伝のみ)

穂高見を奉祀する主な神社
志賀今宮神社
信濃穂高神社
紀伊海神社

985日本@名無史さん2019/05/26(日) 13:38:35.96
志賀海神社は元は志賀島の先端の勝馬にあった
859年に「志賀海神」の神階が従五位上、
880年に「賀津万神」(勝馬地区の仲津宮に比定)が従五位下だから
このころに三座になったんだろう
927年成立の『延喜式』神名帳では志加海神社三座 並名神大
9世紀後半から志賀島での海神祭祀を重視するようになった原因は
貞観の入寇 869年6月から新羅の海賊、艦二艘に乗り筑前國那珂郡(博多)の荒津に上陸
寛平の韓寇 893年および894年熊本、長崎、壱岐、対馬にかけて入寇し、
 藤原国経を大宰権帥として派遣

貞観の韓寇にたいする奉幣祈願の文に「我が日本の朝は所謂 神明之国なり」という思想がみえ、
神風による非戦の解決が唱えられている

986日本@名無史さん2019/05/26(日) 13:55:12.58
>>982
>この時代以前には、氏族なんてまだいない。
>部族社会の最後が4世紀後半よ。

だから、氏族の元はすべて忌部一族に繋がるんだと、何度言えばw   @阿波

987日本@名無史さん2019/05/26(日) 14:59:42.70
>>986
言っちゃ悪いが屠殺屋一族に仕えた下請けの精肉屋でしかない阿波忌部に何のルーツがあるんだ?
殺傷供養で全国各地から分社してもらった神社を建てまくるくらいしか出来ないじゃないか(笑)

988日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:01:46.87
>>985
ちゃうで

989日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:16:47.29
住吉大社の神宮寺は新羅寺(758年建立)
博多住吉神社の元宮とされる現人神社は香春にもあり都怒我阿羅斯等を祀っている
香春は辛嶋氏が筑前國筑紫神社に次いで新羅の神を祀ったところ

841年筑紫守の文室宮田麻呂が、新羅、唐、日本にまたがる海上勢力を築いた新羅人張宝高との密貿易が発覚する
820年の遠江・駿河弘仁新羅の乱の乱後処理のため遠江守に任ぜられた藤原衛が新羅人鎮撫の実績を買われて
842年大宰大弐として筑紫に下向する

新羅人との密貿易、国内新羅人の反乱、新羅の入寇の時代に
筑紫の志賀海神、住吉神が整備されている
藤原北家の摂関政治が始まるころの時代

990日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:28:49.04
摂津チョンコ
大宝律令の前は何もなかったことにしたい説はじめるwwwww

991日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:31:22.16
「住吉大明神こと住吉神社」

板野郡藍住町住吉神蔵に鎮座。

祭神は神功皇后、表筒男命、中筒男命、底筒男命。

鎮座地は神功皇后ゆかりの地で当社は全国住吉神社の元社にあたる。

神功皇后の本名は息長足姫 (おきながたらしひめ) 命。 息長ということは生粋の海人族である。

大陸進出にあたり航海の守護神として、底筒男命、中筒男命、表筒男命を御舟に祀っていた。

百済征伐の帰りに当地(板野郡藍住町住吉)に寄り、御舟に祀っていた住吉三神を降ろしたのであろう。

そのほか、夫にあたる仲哀天皇は西に位置する板野郡矢武の応神山仲哀寺で祀られ、大臣 武内宿禰は同町 矢武八幡神社を中心に武威神社、高良神社で祀られている。

また御子である応神天皇の葬場跡は南に位置する応神町宮島。

審神者(さにわ)で顕れた淡郡の嚴(いつの)事代主は吉野川を上流に上った阿波郡市場町伊月の式内社「事代主神社」で祀られている。

ちなみに海人族でも支配地域が違うと氏族も違う。 神功皇后も幼少の頃より古の各海人部族の神話を聞かされていたのであろう。

そもそも住吉三神は泡(阿波)より産まれた神。 この三神は神代より祀られた阿波の海人の神々なのである。

底筒男命は県南部海岸を支配した長国の神(大国主命、事代主命)

中筒男命は北に続く小松島市、徳島市の海岸を支配した阿曇の神(和多都美豊玉比賣命)

表筒男命はさらに北に続く鳴門の海岸一帯を支配し淡路、奈良大倭に進出した大倭の神(速吸宇豆彦)

神功皇后は阿波全ての海人族神を味方につけて異国との闘いに挑んだ訳である。    @阿波

992日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:40:08.94
>>989
住吉大社は筑前からの分社
住之江の領地権住吉から津守に移った後に乗っ取っただけ

那珂川現人神社と香春現人神社は名前が同じだけでルーツは全く違う別物

筑紫神社の主祭神の筑紫の神は綿津見の孫である磯武良(イソタケラ)と同定した須佐之男の子 五十猛(イソタケル)

993日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:42:56.03
>>992

後付だな

994日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:47:21.59
>>991
住吉神は筑紫日向小戸橘之檍原で綿津見の弟として誕生した
泡から生まれたのは猿田彦命の底度久御魂、都夫多都御魂、阿和佐久御魂
これは津守が正伝を知らなかったためにニニギの道案内をした猿田彦と神功皇后の道案内をした海神(住吉)を同一視したことによって創作された。

995日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:49:23.67
>>993
住吉大社が後付な
一昨日から住吉大社に電話して確認しろって命令されてるんだから
さっさと言付けに従えよ摂津チョンコ

996日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:51:28.66
筑紫阿曇厨はレスが穢いな

997日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:51:44.18
>>991
屠殺屋の下請けが阿波忌部
阿曇浜子のパシリが阿波忌部

998日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:52:40.62
>>996
ウンコにはウンコぶつけるのが相当なだけでしょ

999日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:53:57.11
筑紫阿曇厨はウンコ好きだな

1000日本@名無史さん2019/05/26(日) 15:54:12.64
>>1000ならバレンタインジャンボ宝くじで1等+前後賞で3億円が当たってる!

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