邪馬台国 畿内説九州説VS他説 [無断転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2016/03/23(水) 18:08:04.22
大いに語らおう。是々非々でよろしくお願いします
初心者でわからない方も歓迎します。

わからない方もいますので「貼り付け」度を越さない限り歓迎します。



畿内説のへ、・・・・・根拠のない他説へ誹謗中傷はやめましょう!


九州説の方へ、・・・・根拠のない他説へ誹謗中傷はやめましょう!

他説の方へ・・・・・・根拠のない他説へ誹謗中傷はやめましょう!

2日本@名無史さん2016/03/23(水) 18:13:55.91
a

3日本@名無史さん2016/03/23(水) 18:14:10.42
b

4日本@名無史さん2016/03/23(水) 19:31:35.90
むすかしいよ、四国や出雲の方少ないから

5日本@名無史さん2016/03/24(木) 02:14:23.69
邪馬台国 畿内説九州説VS他説
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1458724084/

閑古鳥じゃん

6日本@名無史さん2016/03/24(木) 08:55:55.40
このスレを立てたのは
成り済ましや自演を繰り返し
嘘を平気でつく札付きのガイキチだからな

7日本@名無史さん2016/03/26(土) 23:39:47.40
南至邪馬壹國、女王之所都、水行十日、陸行一月

8日本@名無史さん2016/03/29(火) 10:47:23.62
そうなんだ

9日本@名無史さん2016/04/03(日) 09:03:26.50
板違いじゃね?

10日本@名無史さん2016/04/03(日) 09:07:13.70
あまり悪くは言いたくないんだけど
東北だよ

本当に、
いい加減に気づいたほうが良いよ

11日本@名無史さん2017/03/30(木) 19:51:18.18
「小学生より学力が足りないで賞」受賞

「テンプレの誤字も直した方が良いで賞」受賞
↓              
「まだわからないで賞」受賞

俺は悔しくて泣いた。

だが、ボキャ貧キウスの知らない単語な線もある。

「無教養露見で賞」受賞

❓❓❓
.      /テンプレ\ 誤字ったってキウスやサイキバみたいは
     /        \   単なるタッチミスもある
.   /      (゚) (゚)  \   ❓❓❓
   |        )●(    | キウスが笑い者なだけ❓
.   \       廿   / 誤字って何❓
.   ノ            \    ❓❓❓
👆「自分で発見しないと笑いもので賞」

12日本@名無史さん2017/04/24(月) 12:50:09.59
乱立晒しあげ

13日本@名無史さん2017/04/24(月) 13:30:48.66
0

14日本@名無史さん2017/04/25(火) 12:01:27.84
奇知外スレ

15日本@名無史さん2017/04/25(火) 20:22:02.02
90 : 日本@名無史さん2017/03/12(日)
>>88
狗邪韓國は何人の領土?

95 : 1 ◆q8leUXpsw. 2017/03/12(日)
>>90
領土といいう観念に語弊があるかとは思いますが韓人の国でしょう
金官国の全身とするのが通説です



この衝撃的な失言を落とすために
スレ乱立して板操作しておりますですよ

16日本@名無史さん2017/04/27(木) 10:10:30.56
1 ◆q8leUXpsw. こいつが邪馬台国スレを乱立させているのか?
日本史板になんの恨みが???
日本の歴史が嫌い??

17日本@名無史さん2018/01/16(火) 16:26:28.62
畿内説のへ、・・・・・根拠のない他説へ誹謗中傷はやめましょう!
九州説の方へ、・・・・根拠のない他説へ誹謗中傷はやめましょう!
他説の方へ・・・・・・根拠のない他説へ誹謗中傷はやめましょう!

18日本@名無史さん2018/01/16(火) 18:06:25.37
>>17

あのなあ、おまえ

日本史板をヤマタイスレで埋めるために いちいち 中古ゴミスレをageたんか?

ええかげんにせえよ



ヤマタイ板 作って そこでやれ

19日本@名無史さん2018/01/16(火) 19:03:48.71
>>18
マルチするな

20日本@名無史さん2018/01/30(火) 14:12:32.71
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

PWJFN

21日本@名無史さん2018/01/30(火) 23:09:26.87
邪馬台国

22日本@名無史さん2018/03/11(日) 21:26:02.53
僕たちが愛してやまなかった邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、どうやって生きて行けばよいのだろうか。。。

23日本@名無史さん2018/03/12(月) 19:37:32.25
邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。

24日本@名無史さん2018/03/16(金) 23:18:23.61
邪馬台国畿内説が、粉々に、木っ端みじんに論破され、見る影もなく叩き潰されてしまった、今、キナイコシはどうやって生きて行けばよいのだろうか。。。

25日本@名無史さん2018/03/19(月) 08:56:42.21
2013年のあの日以来、小汚く年老いた奈良の自称考古学者が、優秀な若い古代研究家たちに、無茶な自説をゴリ押すための工作やパワーハラスメントを仕掛けることが多くなってきたが、良識ある若者たちは結束して、真実を次世代に伝えようとしている。。。
すなわち、巻向は邪馬台国とは無関係であると、、、

26日本@名無史さん2018/03/19(月) 09:10:25.73
    ↑
こいつが乱立荒らしの犯人です

27日本@名無史さん2018/03/20(火) 17:13:29.43
九州説決定キター!

28日本@名無史さん2018/04/16(月) 14:58:11.69
大物主の倉庫

29日本@名無史さん2018/04/18(水) 14:23:25.12
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

30日本@名無史さん2018/04/18(水) 17:57:50.88
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

31日本@名無史さん2018/04/18(水) 20:05:47.66
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

32日本@名無史さん2018/04/19(木) 12:22:44.61
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

33日本@名無史さん2018/04/19(木) 14:21:01.83
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

34日本@名無史さん2018/04/19(木) 16:10:25.77
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

35日本@名無史さん2018/04/19(木) 16:59:38.17
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

36日本@名無史さん2018/04/19(木) 17:18:22.17
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

37日本@名無史さん2018/04/19(木) 20:02:24.23
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

38日本@名無史さん2018/04/19(木) 21:06:22.34
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

39日本@名無史さん2018/04/20(金) 09:04:29.25
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

40日本@名無史さん2018/04/20(金) 14:03:56.93
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

41日本@名無史さん2018/04/20(金) 17:08:47.98
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

42日本@名無史さん2018/04/20(金) 17:17:05.06
okuyamaさん、荒らさないで自分のスレに戻ってください。

43日本@名無史さん2018/04/20(金) 18:08:22.00
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

44日本@名無史さん2018/04/20(金) 18:54:51.83
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

45日本@名無史さん2018/04/20(金) 18:56:38.54
荒らしって何のこと?

このスレに来るたびに、思ったことを書いてるだけで、
連投もしてないだろ?

いつでも誰でも好きなことが書ける状態が保たれてるよ?
ただ、他の人がこのスレに書き込んでないから、連続して見えるだけで
誰の妨害もしていない

46日本@名無史さん2018/04/20(金) 19:21:17.47
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

47日本@名無史さん2018/04/20(金) 20:07:02.94
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

48日本@名無史さん2018/04/20(金) 22:11:40.26
大物主の倉庫

49日本@名無史さん2018/04/20(金) 22:24:22.09
大和に大物主なんていなかったよ。
あれは作り話。

50日本@名無史さん2018/04/21(土) 13:15:50.20
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

51日本@名無史さん2018/04/21(土) 15:20:33.77
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

52日本@名無史さん2018/04/21(土) 17:39:38.50
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

53日本@名無史さん2018/04/22(日) 17:23:35.97
帯方郡
韓四千里
四方可四
千方可千
里四千里
三千里狗邪韓 ※7000(水行20日)

 (渡海千里) ※8000

   対馬
   馬(方可四百余里) ※8800余

  (渡海千里) ※9800余

    壱岐
    岐(方可三百里)  ※10400余

   (渡海千里) ※11400余

  末盧(五百)伊都(百)博多駅前陥没地点 ※12000余(水行30日陸行1日)

54日本@名無史さん2018/04/22(日) 17:27:41.94
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

55日本@名無史さん2018/04/22(日) 17:31:04.74
残念だったね。
鉄器も何にもない銅鐸地域に日本の起源を持ってきて、
全てを教えた俺様偉い、にしたかったのに。

金印偽物説はもうあきらめたの?

56日本@名無史さん2018/04/22(日) 19:03:06.15
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

57日本@名無史さん2018/04/23(月) 10:16:54.63
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

58日本@名無史さん2018/04/23(月) 19:13:58.00
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

59日本@名無史さん2018/04/23(月) 21:02:10.70
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

60日本@名無史さん2018/04/24(火) 09:22:59.48
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

61日本@名無史さん2018/04/24(火) 11:41:37.69
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

62日本@名無史さん2018/04/24(火) 16:00:32.22
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

63日本@名無史さん2018/04/24(火) 17:14:48.71
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

64日本@名無史さん2018/04/24(火) 20:40:58.82
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

65日本@名無史さん2018/04/25(水) 10:14:18.69
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

66日本@名無史さん2018/04/25(水) 18:05:45.88
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

67日本@名無史さん2018/04/26(木) 10:35:44.50
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

68日本@名無史さん2018/04/26(木) 13:14:52.09
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

69日本@名無史さん2018/04/26(木) 16:04:28.33
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

70日本@名無史さん2018/04/26(木) 18:09:17.26
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

71日本@名無史さん2018/04/27(金) 09:37:20.69
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

72日本@名無史さん2018/04/27(金) 21:20:21.63
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

73日本@名無史さん2018/04/28(土) 16:43:11.15
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

74日本@名無史さん2018/04/28(土) 19:24:14.69
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

75他スレをあらすな2018/04/29(日) 15:33:24.16
さらしあげ

76日本@名無史さん2018/04/30(月) 15:13:18.34
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

77日本@名無史さん2018/05/01(火) 11:25:16.93
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本史板のスレ一覧に、畿内説への批判の文言を並べたいというそれだけで
立てられたスレ

らしいよ

78日本@名無史さん2018/05/01(火) 14:43:11.86
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

79日本@名無史さん2018/05/01(火) 17:22:49.68
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

80日本@名無史さん2018/05/02(水) 10:47:11.22
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

81日本@名無史さん2018/05/02(水) 12:03:12.45
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

82日本@名無史さん2018/05/02(水) 15:36:41.07
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

83日本@名無史さん2018/05/02(水) 17:11:29.16
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

84日本@名無史さん2018/05/03(木) 16:35:48.71
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

85日本@名無史さん2018/05/03(木) 17:17:09.35
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

86日本@名無史さん2018/05/04(金) 03:40:00.78
あげ

87日本@名無史さん2018/05/04(金) 16:31:00.52
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

88日本@名無史さん2018/05/04(金) 16:34:20.72
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

89日本@名無史さん2018/05/04(金) 18:35:08.65
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

90日本@名無史さん2018/05/05(土) 16:46:07.23
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

91日本@名無史さん2018/05/05(土) 17:41:44.39
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

92日本@名無史さん2018/05/05(土) 18:31:22.67
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

93日本@名無史さん2018/05/06(日) 13:09:52.54
税金を使って荒しまわる。
まあ、奈良県民の税金だから知ったことではないが。

94日本@名無史さん2018/05/06(日) 14:47:34.05
「邪馬台国畿内説」という文字列で始まるスレを乱立させる、荒らし目的スレの一つ

日本国籍を持たない「市民」の方たちが、半島に近いところに
日本の起源を持ってきて、儒教道徳的に起源に影響を与えた半島えらいって言いたいから

らしいよ

95日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:30:25.91
>>1
>わからない方もいますので「貼り付け」度を越さない限り歓迎します。

だそうだから、貼っていこうか

96日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:31:03.63
◆0【 要 旨 】  
 纒向遺跡の発掘状況等から、ここには西日本の広域に影響力を持った宗教的指導者が君臨しており、それは各地の首長に共立され求心的に集約された権力基盤を持つ女性であったと考えられる。
その死亡時期は3世紀中葉とみられる。畿内に中国文化が急速に浸透する時期である。

97日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:31:28.59
 これらを倭人伝の記事と対照すると、箸中山古墳の被葬者が倭人伝に記載ある曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、纒向が邪馬台国にあった倭女王の宮殿所在地であると同定できる。

98日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:31:58.47
 2世紀の地球規模的寒冷化は、農業生産力を強化する社会的需要から指導的地位を占める析出集団の成長を強烈に促進し、弥生的青銅器祭祀を終息せしめ、高塚化した墳丘墓を現出させる。

99日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:32:26.09
 換言すれば、弥生墳丘墓の巨大化が顕著な地域こそが、弥生社会に古墳時代へと向かう構造変化の著しい地域であり、3世紀に爆発的に広域化する萌芽期国家の中核である。自然環境変化に起因する社会構造変化が現象として纒向に凝集し結実したと言える。

100日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:33:00.98
 倭人伝に記載された卑弥呼の活動期間に相当する庄内併行期は、畿内様式の土器が漸進的に北部九州に流入している時期であり、ことに那珂比恵地域への人口流入が急拡大していく。

101日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:33:26.20
 博多湾貿易が対外交渉の主役に躍り出るこの時期には、西日本各地の人々が韓人や楽浪商人と直接交渉による交易をする段階となっている。

102日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:33:53.18
 絶域であった日本列島が中華社会と二国間の国交を再開した時期、この外的刺激で最も変化の生じた地域こそが当時の倭国の中枢である。

103日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:34:08.28
 倭人伝述べるところの、3世紀前半末に曹魏と通交した倭の女王はどこにいたであろうか?
 それは桜井市纒向以外にありえない。

104日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:35:15.67
◆1(女王所都)
 奈良県桜井市に所在する纒向遺跡が2世紀末に人為的・計画的に建設された前代未聞の巨大祭祀空間であり、また北部九州を含む列島各地の文化を受容し融合し、そして全国に発信する中枢的な場であったことは、夙に知られている。

105日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:35:46.98
 現・纒向駅近くに東西軸上に複数棟連続して計画的に建築された大型建物群(4棟まで発見済み)は、3世紀前半のものと公式発表されている。

106日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:36:53.91
 居館域は桜井線西側のみでも東西150m、南北100m前後の規模を持ち、大小それぞれ構造・機能を異にする複数の建物が方形の柵列に囲繞されており、重要な古道として知られる上つ道に接面している。
これに比肩するものは、弥生時代に存在しないのは勿論のこと、飛鳥時代まで見当たらない。大型建物の傍(大型祭祀土壙SK-3001)で宗教的行事が行われた痕跡も発見された。

107日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:37:52.08
 この建物群は、位置関係から言って三輪山及び箸中山古墳と緊密な関係が推察される。建物廃絶の時期と箸中山古墳建設開始の時期が近いこと(FAQ10参照)を勘案すると、三輪山と関係の深い宗教的指導者がここに君臨し、死後に箸中山古墳に葬られたと考えるのは合理的である。
この大型建物群と箸中山古墳そして上つ道の位置関係は、トポロジー的に咸陽と驪山陵を想起させる。

108日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:38:22.01
 箸中山古墳は、日本列島広域各地の葬制を総花的に集約した定型化古墳の嚆矢であり、初期ヤマト政権の初代王墓と考えられるが、被葬者が女性であるという伝承にも信憑性(◆3参照)がある 

109日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:38:51.11
 乃ち、その葬制の総花的性格から初期ヤマト政権の初代王は各地の首長に「共立」され求心的に集約された権力基盤を持つ者であり、かつ女性と考えられる。その死亡時期は3世紀中葉(FAQ30参照)である。

110日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:39:16.07
 この地に、青銅鏡や武具、新たな土木技術や萌芽的馬匹文化(FAQ21参照)、列島に存在しなかった植物の花粉等(金原2015)など、中国文化が急速に浸透する時期は、列島が魏晋と通交した時期と重なる。

111日本@名無史さん2018/05/07(月) 07:39:35.52
ほぼ同時代史料である魏書東夷伝倭人条(魏志倭人伝)の記事と上記の考古的諸事実を突合すると、箸中山古墳の被葬者は曹魏に卑弥呼と呼ばれた人物であり、◆2〜8に詳述するとおり、ここ纒向が女王の所都である。

112日本@名無史さん2018/05/08(火) 10:21:20.12
◆2(箸中山古墳に見る共立の構造と政治的ネットワークの形成)
 前掲の大型建物が廃絶時に解体され柱まで抜き取って撤去されていることは、後世の遷宮との関連も考えられるが、歴代の宮のあり方に照らせば、建物の主の死去に伴う廃絶と考えることに合理性があるといえる。したがって、この建物の主人の活動時期は卑弥呼と重なる。

113日本@名無史さん2018/05/08(火) 10:21:45.83
 また、箸中山古墳はこの建物の真南2里(魏尺)に立地し、且つ上つ道(推定)で結ばれるなど緊密な関係を有しており、この建物の主が被葬者であると合理的に推認できる。

114日本@名無史さん2018/05/08(火) 10:22:03.98
 血統による相続原理が未確立な社会において、葬礼の執り行われる首長墓や殯屋は次代首長継承権の公認・公示される儀式の場(FAQ26参照)である。その場で顕示されている各地の葬制は、いわば王権の中における各地首長の影響力のバロメータである。
 つまり、纒向に誕生した定型化前方後円墳のあり方は、共立された王をめぐる権力構造の表象たるモニュメントに他ならない。そして箸中山古墳以降、古墳の築造企画共有が、初期国家の骨格を形成する。

115日本@名無史さん2018/05/08(火) 10:22:59.33
 纒向の時代、上つ道に沿って系統的に展開する大王墓級古墳を時系列的に見ても、箸中山を嚆矢として西殿塚、行灯山、渋谷向山と明確な連続性が認められ、
一連の政権が列島規模で存在したことが判る。これらの大王墓級古墳とそれぞれ築造企画を共有し、単純な整数比で縮小された首長級古墳が、全国に展開(澤田1999)しているからである。

116日本@名無史さん2018/05/08(火) 10:23:19.30
 築造企画の共有は、地縁的集団首長間の相対の結縁における相互承認関係を基調とした、擬制的親子或いは兄弟的政治力学関係を示していると考えられ、これが重層的に各地を網羅している状況が観察できる。

117日本@名無史さん2018/05/08(火) 10:23:54.20
 この個々の紐帯の集積が、律令的全国支配が企図される以前の、さらには各地首長の自立性が希薄化して国造化する以前の、倭国の政治的骨格である。
ここでいう重層的とは、例えば大王級古墳の4/9の築造企画を持つ古墳においては、大王と2/3の力関係を誓約した大首長があり、更にその大首長と2/3の力関係を誓約した首長があるような関係を意味する。

118日本@名無史さん2018/05/08(火) 10:24:12.27
乃ち、大王が4/9首長に対して直接指導力を発揮するのでなく、2/3大首長を通じて影響力を行使するような形態の国家権力構造である。

119日本@名無史さん2018/05/08(火) 10:24:48.37
 その始発点が、元来は無形である地域的政治集団間の政治力学関係が具現化・表象化し固定化される時期、乃ち機構的には未組織で初代国王の
個人的カリスマに依存したプレ国家段階(庄内期)から或る種の政治的機関により運営される初期国家段階(古墳時代)へと移行する画期、乃ち布留0期にあるとみることが出来よう。

120日本@名無史さん2018/05/08(火) 18:23:54.22
◆3(文献に見える箸中山古墳の特異性)
 その行灯山、渋谷向山がともに帝王陵として伝承され、それらと規模的に同等である箸中山もまた「箸陵」の名が伝えられているにも拘わらず、帝王の姨の墓に過ぎないと紀で位置付けられている。

121日本@名無史さん2018/05/08(火) 18:24:14.59
 このことは、築造工事の大規模さや神と人の協業による築造という逸話が紹介されていること、就中それが紀の収録する唯一の陵墓築造記事であることも併せて鑑みれば、紀編纂時の、行灯山及び渋谷向山の規模を認識している読者視点に於いて、明らかに不自然である。

122日本@名無史さん2018/05/08(火) 18:24:36.66
 箸中山、行灯山及び渋谷向山は、例え位置関係及び築造年代の連続性を等閑看過しようと、その圧倒的質量において、同等格の主権者が連続的に存在したと人々に印象付けずにはおかない。

123日本@名無史さん2018/05/08(火) 18:25:19.70
 換言すれば、眼前の事実として当該陵墓を実見している読者にとって紀編纂時点で箸中山古墳の
被葬者に崇神や景行と並ぶ男性帝王が被葬者として伝承されていたならば、現行のように改変を
行うことは困難であろうということ、そして被葬者についての伝承が存しない場合も現行のように
新規創作することが難しいであろう、ということである

124日本@名無史さん2018/05/08(火) 18:26:12.38
 また、所謂三輪山伝説の類型要素について記との相違点から考証すると、後世に陶邑から入って当地の勢力者となったと
考えられる三輪氏の始祖譚など3世紀の史実とは無関係な要素が一連の地名起源譚等とともに接合されていることには疑いない。
三輪山伝説類型の神婚説話や天岩戸神話など、付加された疑いの濃厚な類型的部分を除去すると、改変以前に存したと
思われる伝承の残存部分が浮かび上がって来よう。

125日本@名無史さん2018/05/08(火) 18:26:35.23
 乃ち、手白髪陵に治定された西殿塚などより明確な形で、被葬者が男性の帝王でないことを示す伝承が紀編纂時においても無視しえなかった情報として存在したと考えることが出来よう。

126日本@名無史さん2018/05/08(火) 18:27:14.17
 女性被葬者のものと治定されている他の巨大古墳には、仲津姫(応神后、景行曾孫)や手白髪(継体后、雄略・市辺孫)など
先代との血統的継続性に疑義のある大王に正統性を付与している配偶者のものなどが目立つ。或いは、五社神(神功)など
本人が大王相当とされる者のものもある。これらの性格と比較しても、やはり箸中山の位置付けは異例である。

 

127日本@名無史さん2018/05/08(火) 18:27:55.29
紀のしるす壬申乱の倭京での逆転戦勝に関連して、磐余彦天皇陵と箸陵の二つが登場することも加味しつつ、
敢えて踏み込んで言えば、箸中山が考古学的知見から推察されるとおりの始祖王墓的な存在であること、
かつ巫女王墓であるということを、当時の民衆が知悉しており、紀編纂当時の政治がそれを改竄し切れなかった
という推測すら成り立つ余地があろう。

128日本@名無史さん2018/05/08(火) 19:26:33.62
こっちのスレまで妄想を垂れ流すな。
これだから畿内説の妄信者は手に負えない。

129日本@名無史さん2018/05/08(火) 20:02:11.73
偽スレ、嘘スレを立てまくる糸クズこそ手におえない

130日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:02:26.80
◆4(纒向の地政的意味と倭国の形成)
 纒向は二上山と三輪山で奈良盆地を南北に二分する横断線の東端近くに占地する。

131日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:02:55.41
この地は大阪湾から大和川を遡上した瀬戸内航路の終点にして、初瀬街道経由で伊勢雲出川河口付近から東海航路に向かう起点である。

132日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:03:40.03
 同時に上つ道に面し、北陸・山陰にも抜ける交通の要衝である。乃ち、三輪山をランドマークとする辻に関塞の神を祀る地であり、古くより大市が立つ。

133日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:04:12.10
 威信材の流れや墓制の消長から、弥生時代の北部九州では対外交渉力で突出した小国の興亡があったことが判明しており、そのうちには中国製威信財を独占的に入手し配布することで「倭国」的な政治的纏まりを現出せしめるやに見えた者もあった。

134日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:04:38.95
 しかしながら、国家形成と呼べる水準に至らぬまま衰退し、最終的には2世紀末の大乱期、中国製威信財入手ルートの途絶を以て、この列島における旧世界の秩序は崩壊した。

135日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:05:09.41
 代って、気候条件悪化に起因する社会不安の沈静化と政治的求心力の喪失による紛争の回避を目途として、この地纒向に新たな秩序の中枢が構築され、本格的な国家形成が緒に就く。

136日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:05:37.86
 共立とは、各地の葬制を総花的に集約した定型化前方後円墳に表象されることになる政治的関係における求心的集約の状態を、当時の中国の語彙で表現したものに他ならぬと思われる。

137日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:05:54.42
テンプレを自スレだけでなく他にも貼って回るとは、ひどい荒らし方だな。

138日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:06:06.66
おそらくは当初に調停の庭であったそれが、完鏡等の威信財供与と祭祀の規格化に表象される首長間のリンケージの核となっていくのである。

139日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:06:35.25
 それは首長と首長個々の相対の結縁が重層化した形態をとり、次代の前方後円墳築造企画共有に繋がっていく祖形となる。

140日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:06:58.48
 定型化前方後円墳における葬制の「総花」性の中で、突出しているのは吉備地方であり、北枕原則が貫徹している畿内―吉備は葬制から見た政治状況中の枢軸といえる。

141日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:07:27.56
 もとより畿内第V様式圏の文化的斉一性は、交流圏・通婚圏として纏まりが存在したことを示す
此の環大阪湾文化圏と吉備を核とする瀬戸内圏との合作は、日本列島中西部を縦貫する流通大動脈を形成し、現実的に倭国乱の帰趨を決したとも言えよう。

142日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:07:56.54
 後段で触れる所の寒冷化による海水準低下で、多くの砂丘上の港湾集落が廃絶し潟港が埋没して機能低下を来たした日本海航路に対して、瀬戸内航路の価値は大いに上昇していた。纒向に誕生した政権の特徴である求心性も、この流通支配の趨勢を踏まえたものであろう。

143日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:08:25.44
 この意味で、倭人伝に登場する倭の国が東夷伝中で珍しく流通や通信に言及していることは、注目に値する。

144日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:08:39.94
 初期ヤマト政権の性格を、アンフィクチュオニーと通商連合の両面から理解することは、有益である。

145日本@名無史さん2018/05/09(水) 08:11:13.67
吉スレ主が出張中

146日本@名無史さん2018/05/09(水) 12:19:13.16
吉スレ主、ってのは縁起がいいのかい?
大吉スレ主とかもいるの?

147日本@名無史さん2018/05/09(水) 12:19:57.17
>>145
>吉スレ主が出張中

キウス
5ちゃんでは一般的ではない「スレ主」頻発、名前欄への書き込み多用などの特徴ですぐに判別できる。

148日本@名無史さん2018/05/09(水) 12:53:12.01
頭がおめでたいんだよ。

149日本@名無史さん2018/05/09(水) 13:11:51.94
>>136
今どきどんな風に「共立」を理解してる学者はいないねw

>>144
無益だよw
魏志にかかれた統治システムからみて倭国の統合性の水準が高いのは明白

150日本@名無史さん2018/05/09(水) 14:45:09.38
>>149
>魏志にかかれた統治システムからみて倭国の統合性の水準が高いのは明白

「国内」はそうだが、倭種の領域全体ではそうでもない。

151日本@名無史さん2018/05/09(水) 22:12:47.26
ちゃんと統治されている畿内のようなところもあれば、それぞれの首長が好き勝手にやっているところもある

152日本@名無史さん2018/05/10(木) 10:47:05.32
>>151
畿内が誰に統治されていた?
その根拠は?

153日本@名無史さん2018/05/10(木) 15:48:00.94
あれ? 以前は東遷厨のスレあったんだけど今ないのか

…東遷厨にネタ振ろうと思ったのに…w

154日本@名無史さん2018/05/10(木) 15:53:32.27
>>152
>畿内が誰に統治されていた?
>その根拠は?

畿内第V様式土器の時代に、「大和、河内+環大阪湾」の範囲で、土器形式の
統一が見られ、それまでの在地の土器が消失する
これは、背景に文化、経済圏、流通の統一によるものと想定でき、その経済流通圏の
一体性を国とみなすことができる

これは後に、布留式土器の時点で北部九州も含め列島の広範囲で見られる土器形式の
統一と同じ事象だと考えられる
一つの国としてまとまることを、統治の存在の根拠としている

誰に、というのは、金石文でも出ない限り、個人名での指摘は無意味
統一形式の土器製作地の首長を、統治者とみなすことになる

155日本@名無史さん2018/05/10(木) 16:31:19.29
>>154
>畿内第V様式土器の時代に、「大和、河内+環大阪湾」の範囲で、土器形式の
統一が見られ、それまでの在地の土器が消失する


その理由:倭国(阿波)からの東阿波型土器(畿内第V様式土器)工法の畿内拡散の為。  @阿波 

156日本@名無史さん2018/05/10(木) 16:34:56.63
>>154
>これは、背景に文化、経済圏、流通の統一によるものと想定でき、その経済流通圏の
一体性を国とみなすことができる

その経済流通圏の中心が倭国(阿波)ということ。  @阿波

157日本@名無史さん2018/05/10(木) 17:23:20.43
>>153
>あれ? 以前は東遷厨のスレあったんだけど今ないのか
>…東遷厨にネタ振ろうと思ったのに…w

「♪邪馬台国東遷説 その15 [転載禁止]©2ch.net」は、
4月7日に倉庫送りになってるね

今、お鏡さんが伊都国東遷スレとか立ててるから、遊んでやったら?w

158日本@名無史さん2018/05/10(木) 17:24:36.33
◆5(倭国の形成と気候変動)
 1に、南播磨を主力とする畿内系住民が北部九州に移住し交流しているとみられる状況

159日本@名無史さん2018/05/10(木) 17:24:52.27
 2に、河内と吉備の交流の深さ

160日本@名無史さん2018/05/10(木) 17:25:44.27
 この2点を併せ鑑みれば、東海地方(中勢)にも影響力を持つ宗教的指導者を、纒向の地に地域間紛争回避の
機構として擁立した勢力の中核をなすのは、汎列島的交易網の再構築と拡大を目途とする、瀬戸内の海上交通を
支配する首長たちの利益共同体であろう。

161日本@名無史さん2018/05/10(木) 17:26:11.30
 共立によって地縁的紐帯の域を超えた広域のプレ国家が誕生した。
その成熟段階であろう3世紀前半末には、四等官を有する統治機構や市場の統制、通信網の整備などが観察されている。

162日本@名無史さん2018/05/10(木) 17:26:41.82
 これが更に個人的カリスマの死去を契機として、布留0期に、機関化した政治システムのフェイズへと進むのである。

163日本@名無史さん2018/05/10(木) 17:27:06.64
 2世紀は、炭素年代の較正曲線などからも太陽活動の不活発な状況が見て取れるとおり、
寒冷化が進んだ時期であることが知られている。

164日本@名無史さん2018/05/10(木) 17:27:43.55
 この寒冷化は、世界的な環境収容量力の低下となって、漢帝国の弱体化を
決定づける農村の疲弊(逃散を含む)や北方民族の南下を引き起こしており、
世紀末葉の中国は天下大乱の時期となった。
倭国乱もこの時期である。

165日本@名無史さん2018/05/10(木) 17:28:10.95
 寒冷化による海退は、砂丘の発達を再開させ、温暖期に安定していた砂丘上に展開していたいくつもの海浜集落を廃絶に追い込み、
潟港の機能低下と相俟って国内流通網の再編(※日本海航路の衰退と瀬戸内航路の隆盛を含む)を促した。

166日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:08:37.64
>>154
>これは後に、布留式土器の時点で北部九州も含め列島の広範囲で見られる土器形式の
>統一と同じ事象だと考えられる

なんで畿内説は後世の話ばかり持ち出すの?

>誰に、というのは、金石文でも出ない限り、個人名での指摘は無意味

史書を信頼できないとか言って無視し続けた結果だよね?
自分たちが日本の歴史に暗黒のベールを被せていることに気がつかない?

167日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:10:34.13
>>160
貧弱な遺跡しかない土地をこんな風に言いくるめるなら、どこだって都にできてしまう。
こんなものは根拠にならない。
これが伊勢でも近江でも出雲でも諏訪でも成り立ってしまうからだ。

168日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:11:03.72
>>163
> 2世紀は、炭素年代の較正曲線などからも太陽活動の不活発な状況が見て取れるとおり、
>寒冷化が進んだ時期であることが知られている。

奈良は寒いぞー。

169日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:11:46.35
>>166
>なんで畿内説は後世の話ばかり持ち出すの?

畿内第V様式は、邪馬台国より前だ

170日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:15:39.98
>>166
>史書を信頼できないとか言って無視し続けた結果だよね?
>自分たちが日本の歴史に暗黒のベールを被せていることに気がつかない?

史書にも絶対年代は付いていないから、結局、十分な信頼性を担保して
考古学的な事象との対応付けを行うことはできない

それだけのこと

大国主の宗像三神との妻問い記事をもって、出雲と北部九州の交流の反映と
見ることは可能ではあるが、大国主と宗像三女神を実在の同時代人と見るのは
意味がない

171日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:19:32.15
>>167
>貧弱な遺跡しかない土地をこんな風に言いくるめるなら、

例えば、唐子・鍵遺跡より充実した弥生時代の拠点集落は、そうそうないと思うぞ?

どこだかで、ワシントンDCとニューヨークの関係がどうたらと言ってる人がいたが、
纏向遺跡がワシントンDCで、唐子・鍵遺跡がニューヨークみたいなものだ

172日本@名無史さん2018/05/10(木) 18:28:32.77
>>171
>例えば、唐子・鍵遺跡より充実した弥生時代の拠点集落は、そうそうないと思うぞ?

はあ?
あんなど田舎の遺跡、どう充実しているんだよ。
しかも古墳時代前期には放棄され衰退する。
そもそも魏の使いが滞在した九州北部と弥生時代には交流がないから、魏から存在すら認識されていなかったろう。
銅鏡文化圏の九州に対して唐古・鍵遺跡は銅鐸文化圏であり、卑弥呼の時代には滅亡する遺跡だ。
それがどうやったら邪馬台国になるんだ?

173日本@名無史さん2018/05/10(木) 19:20:31.49
>>172
>あんなど田舎の遺跡、どう充実しているんだよ。

個人の感想ですね!
例えば吉野ヶ里よりも、集落遺跡部分は唐子・鍵の方が広いんですよ
吉野ヶ里を大集落というなら、唐子・鍵はそれ以上に充実した大集落

>しかも古墳時代前期には放棄され衰退する。

>>166
「なんで畿内説は後世の話ばかり持ち出すの?」って書いてたのは>>172じゃないの?
古墳時代のことは、後世の話なんじゃないですかね?

>そもそも魏の使いが滞在した九州北部と弥生時代には交流がないから、魏から存在すら認識されていなかったろう。

そんなことはない
北部九州には、畿内第V用式土器の時代から、ずっと継続して畿内様式甕が流入し続けている
「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf

九州北部と畿内には土器を伴う人の交流がずっと続いてるよ
九州北部のみの倭国は、通用しない

174日本@名無史さん2018/05/10(木) 19:20:50.46
>>172
>銅鏡文化圏の九州に対して唐古・鍵遺跡は銅鐸文化圏であり、卑弥呼の時代には滅亡する遺跡だ。

銅鐸の廃絶時期は難しいが、標準的な多数説では、畿内第V様式に変わる時期に画期があり、
その画期に銅鐸祭祀が終了したと考えられている
卑弥呼の時代は、その後、余裕を持って迎えられるよ

>それがどうやったら邪馬台国になるんだ?

纏向遺跡の前身と言ったらおかしいが、近江の野洲川下流域の伊勢遺跡の廃絶と
纏向遺跡の建設開始がほぼ時を同じくして起こる

ここに、畿内第V様式の国の始まりという画期に続く、一つの画期があるのは確実で
これが卑弥呼の共立を契機とする新しい秩序の始まりと考えるのが畿内説の考え方だ

175日本@名無史さん2018/05/10(木) 19:39:18.79
年代詐欺てんこ盛り

176日本@名無史さん2018/05/10(木) 19:40:37.54
>>173
>九州北部と畿内には土器を伴う人の交流がずっと続いてるよ
>九州北部のみの倭国は、通用しない

畿内といっても、纒向を除く、だろ。
しかも九州北部へは西日本全域から一極集中。

177日本@名無史さん2018/05/11(金) 07:46:22.35
>>176
>畿内といっても、纒向を除く、だろ。

「畿内」の本来の範囲は何度も何度も書いているが、
「大和+河内〜環大阪湾」の畿内第V様式の段階で共通の土器を
使うようになった共同体の領域のことだ

纒向は、その王都として「新しく」「計画的に」作られた都市
建設前は何もなかったというのがどうして批判になると思えるのかが不思議

>しかも九州北部へは西日本全域から一極集中。

港町だからね
成田空港は通過人口は大きいし、空港の売店には各地から持って来た土産物を
売っているけれど、特に成田が都市として栄えている訳ではないし、
もちろん首都でも何でもない

北部九州は、倭国外との出入り口として重要だけれど、それがその土地の実力を
示す訳ではない

178日本@名無史さん2018/05/11(金) 10:02:12.14
>>177
>纒向は、その王都として「新しく」「計画的に」作られた都市

王都であったという根拠は?
邪馬台国と関係あるという根拠は?

179日本@名無史さん2018/05/11(金) 10:05:36.90
>>177
>売っているけれど、特に成田が都市として栄えている訳ではないし、
>もちろん首都でも何でもない

成田は空港の外が未だに田舎だが、博多奴国は2万戸の大都市だったわけで、比較にならんよ。
纒向が各地と交流して物資をやり取りしていたから王都だという主張は引っ込めたのかい?
関西の中でも周囲との交流がむしろ乏しい奈良盆地が王都なわけないだろ。

180日本@名無史さん2018/05/11(金) 10:07:05.04
摂津や河内ならまだ瀬戸内海をまとめる要所だったが、纒向では擁護のしようがない。
そんなところを持ち上げるのは町おこしの役人だけ。

181日本@名無史さん2018/05/11(金) 12:41:18.85
>>179
>博多奴国は2万戸の大都市だったわけで、比較にならんよ。

都が置かれた邪馬台国は7万戸で、奴国の3.5倍の大都市
奴国が女王の都、邪馬台国じゃないのははっきりしてるじゃないか

それを、各地の土器が集まるから都って言ってるから間違いだって
書かれているんだよ

成田は都じゃなくても、玄関口の港町なら文物が集まるという例であって
街の大きさが本論じゃないだろ

反論のポイントが、ずれてる
見当違い

182日本@名無史さん2018/05/11(金) 12:51:39.75
>>178
>王都であったという根拠は?

弥生終末期の最大規模の遺跡で、かつ新しく作られた都であること
多くの地域からの土器が検出されており、広範囲の人的交流の拠点であったと認められること
纏向大溝から建設が始まるなど、自生的な都市ではなく計画都市であること

以上を整合的に説明するには、「広範囲に影響を与える存在」の号令によって建設が
始まったとするのが最も合理的

「広範囲に影響を与える存在」は、古代国家においては第一義的に「王」を想定する
ことになるのが当然

以上より、纏向遺跡は王都であると考えるのが普通

>邪馬台国と関係あるという根拠は?

弥生終末期に、倭国において王とされているのが卑弥呼である以上、
上記の王が卑弥呼であると考えるのが最も蓋然性が高い

また、纏向遺跡では東西に軸線を合わせて作られた大規模建物が検出されており
さらにそれを囲む柵列がある
この居館域の広さは最低でも東西150m、南北100m前後の規模
大型祭祀土壙SK-3001がこの建物群に付随して発掘されており
宗教的行事が行われた痕跡として確認できる

宗教的権威として共立された卑弥呼の存在を、
祭祀遺構から直接推定できる遺跡でもある

根拠としては、十分だろ

183日本@名無史さん2018/05/11(金) 12:55:36.71
>>180
>摂津や河内ならまだ瀬戸内海をまとめる要所だったが、纒向では擁護のしようがない。
>そんなところを持ち上げるのは町おこしの役人だけ。

九州のような、地域王権の発達の遅れる地域ばかり見ていると理解できないんだろうな
大和+河内〜環大阪湾の範囲が、畿内第V様式土器を共通に使う一つの経済流通圏を
作っている

摂津や河内と大和を分けて考えるのは、ためにするごまかしだよ
その畿内第V様式の国の首都として作られたのが、纏向遺跡だ
そこに卑弥呼がいたなら、そのまま倭国の王都ということになる

184日本@名無史さん2018/05/11(金) 18:07:07.29
>>182
>多くの地域からの土器が検出されており、広範囲の人的交流の拠点であったと認められること

でも魏と確実に繋がりがあった筑紫からの土器はないでしょ?
魏と交流がなかった田舎ですね。

>「広範囲に影響を与える存在」は、古代国家においては第一義的に「王」を想定する
>宗教的権威として共立された卑弥呼の存在を、
>祭祀遺構から直接推定できる遺跡でもある

根拠なし。
期待?妄想?

185日本@名無史さん2018/05/11(金) 18:08:00.24
>>183
>大和+河内〜環大阪湾の範囲が、畿内第V様式土器を共通に使う一つの経済流通圏を
>作っている

纒向はその流通から取り残された空白地域だよ。

186日本@名無史さん2018/05/11(金) 18:08:25.22
>>183
>そこに卑弥呼がいたなら、そのまま倭国の王都ということになる

循環論法?

187日本@名無史さん2018/05/11(金) 18:53:33.04
>>184
>でも魏と確実に繋がりがあった筑紫からの土器はないでしょ?

でも、大陸王朝の出先の楽浪郡と確実につながりがあった出雲の土器は出てるよ
筑紫の土器を大和に運ぶ理由がなかったんだよ

筑紫の人間が、大和に来るときは吉備か出雲を経由するし、筑紫の土器に
特段の価値がなければ、大和までわざわざ運ぶ理由がない

逆に、同じ距離で吉備や出雲を経由するのに、畿内様式の土器が九州で
出土するのは、畿内様式土器がスタンダードだからだよ

>魏と交流がなかった田舎ですね。

魏と交流がなかったら、魏の年代を入れた鏡は作りません

188日本@名無史さん2018/05/11(金) 18:57:07.86
>>185
>纒向はその流通から取り残された空白地域だよ。

新しい都を作るために、空いてる土地に作ったんだから、纏向で都市建設が
始まる前は空白地域だよ
何を当たり前のことを言ってるんだ?

そして、邪馬台国7万戸の範囲は、「大和+河内〜環大阪湾」の畿内第V様式の国

それだけ面積の範囲なら、山のてっぺんとか、扇状地で水が得にくいところとかに
人のいないところも当然にある

その中で、三輪山信仰に都合のいい扇状地の空白地帯を選んで、纏向の
建設を始めているんだよ

なんだか、反論というかケチの付け方が的外れなんだよな

189日本@名無史さん2018/05/11(金) 18:57:53.68
>>186
>循環論法?

>>182とセットで読んでね

190日本@名無史さん2018/05/11(金) 18:59:05.42
>>184
>根拠なし。

北部九州で、確実な祭祀遺構があったら教えてね

祭祀跡として確実な遺跡ってのは珍しいんだよ
十分な根拠だ

191日本@名無史さん2018/05/11(金) 19:57:02.87
>>184
3世紀に関西地方と魏との交流の形跡は全く無いですからね。

192日本@名無史さん2018/05/11(金) 20:03:49.56
>>187
三角縁神獣鏡は北部九州で作られて全国に配られたものだろう。

193日本@名無史さん2018/05/11(金) 21:05:35.73
祭祀跡の遺跡が出たらなんで邪馬台国になるのん?
キナイコシの世界はわからんわあ

194日本@名無史さん2018/05/11(金) 23:28:07.33
>>191

つ 三世紀の魏の年号

195日本@名無史さん2018/05/11(金) 23:29:37.09
>>192
>三角縁神獣鏡は北部九州で作られて全国に配られたものだろう。

そんなこと言うヤツは、九州説の嘘つきしかいないよ?
書けばいいってもんじゃない

196日本@名無史さん2018/05/11(金) 23:33:02.94
>>193
つまり鬼道をよくした(事鬼道能惑衆)とされる
卑弥呼の祭祀を思わせる遺跡は「九州にはない」んだね

197日本@名無史さん2018/05/12(土) 07:52:07.58
平原遺跡に古代神道の祭祀の跡があるよ。

198日本@名無史さん2018/05/12(土) 07:53:24.17
>>194
後世の記念品。
キナイコシは卑弥呼より後のことばかり根拠にしようとする。

199日本@名無史さん2018/05/12(土) 07:55:21.24
卑弥呼の墓なんだからそりゃそうだ。

200日本@名無史さん2018/05/12(土) 07:56:54.11
>>198
江戸を持ち出して16世紀以前から首都だったと主張しているようなもんだよな。

201日本@名無史さん2018/05/12(土) 08:13:06.63
>>157
お鏡さん? 
お鏡、句読点連続男、岡上、伊都屑ってぜんぶ同一人物であってる?

202日本@名無史さん2018/05/12(土) 08:59:13.14
ぜんぶ別人

203日本@名無史さん2018/05/12(土) 09:12:12.64
そいつら同士でちょくちょく言い争ってるだろがw

204日本@名無史さん2018/05/12(土) 13:32:09.76
全部バカ何だから区別する必要なくね?

205日本@名無史さん2018/05/12(土) 13:33:09.63
なりすましは九州説の基本スキルなんだし

206日本@名無史さん2018/05/12(土) 14:16:06.05
あげ

207日本@名無史さん2018/05/12(土) 16:35:41.62
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM

208日本@名無史さん2018/05/12(土) 23:48:50.08
>>197
>平原遺跡に古代神道の祭祀の跡があるよ。

その柱跡が、きちんと長方形になっていないんだよ
歪んで、平行四辺形になってる
建て方がかなりいい加減

いろんなところに発掘記録の平面図があるから自分でも確かめてごらん

金印をもらった女王の墳墓祭祀がそんないい加減っていうのは「ない」よな
この辺も平原1号墓が卑弥呼の墓ってのはないという理由だ

そして、神道には鏡を割る儀式はないよ
天照大神を祀る神明社のご神体が鏡なんだから

209日本@名無史さん2018/05/14(月) 07:55:08.30
最近はまた地震が頻繁に起こっているが、吾等が倭国は先史より大きな天変地異の被害を被って来た。
前期旧石器時代、倭国には人類が居なかった…と推察されているらしいが果たして其うなのか。

其れは喜界カルデラ等の巨大噴火に依って列島全域が酸性土に覆われ痕跡が残らなかっただけでは無いのか。

縄文時代の人口分布は見つかった人骨だけのものなのか(其れからまた推察されたモノなのか)、今の関東から東北地方が其の密度は高いとされているが…。

南西諸島のカルデラからの噴煙が多くの西日本の人類の痕跡をも消してしまったのであろう。

在家の草考古、古代史ファンは学者の「推察」や他国の古文書にあきめくらにされているのだと思う。

http://1st.geocities.jp/huhito80/Fanta-nennpyou-yonago.html

210日本@名無史さん2018/05/15(火) 05:46:43.63
>>209
邪馬台国も噴火で埋まってしまったんだなw

211日本@名無史さん2018/05/15(火) 11:05:22.94
東遷説じゃなくて逆に「西遷説」は無いのかよ

212日本@名無史さん2018/05/15(火) 11:06:20.12
ないよ。
日本の歴史は常に西から東。

213日本@名無史さん2018/05/15(火) 19:19:37.63
 北部九州の土器編年で言えば卑弥呼の人生の大半を占める時期の相当する久住IA・IB期、博多は対外交易について最大級の中心地である。
そのころ、博多は畿内人の流入を含む深い人的交流があり、生活様式から祖先祭祀の形態まで、その影響を受けている。

 その影響を受けた在来系と影響を与えた外来系が共存・集住している集団と、外来系に対して閉鎖的な在地集団の間に、前者を上位とする集団間の階層差も指摘(溝口1988)されている。
 糸島三雲番上地区に一定数の楽浪人居住が確実視されていることも鑑みれば、倭が中国と国交を再開した3世紀中葉において、中国は必ず博多の情報を入手していると見做してよい。
従って、中国魏王朝は畿内にあった倭人社会最大の政権を知っていると考えるべきである。土師器IB期が魏王朝と国交のあった時期に相当することは諸説の一致するところである。

 この時期に、奴国の中枢域に比定される那珂比恵地域の土器相が畿内ヤマトの「飛び地」的展開に向かっている現実は、邪馬台国九州説にとって絶望的である。

214日本@名無史さん2018/05/15(火) 19:24:40.97
>>213
>従って、中国魏王朝は畿内にあった倭人社会最大の政権を知っていると考えるべきである。土師器IB期が魏王朝と国交のあった時期に相当することは諸説の一致するところである。

こういうのを妄想と言う。

215日本@名無史さん2018/05/15(火) 19:26:10.41
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。

筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓     近江三上祝→東濃→纏向

宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津住吉


【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入

1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入

2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→畿内から庄内式土器が博多湾へ流入

3世紀に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入

216日本@名無史さん2018/05/15(火) 20:47:08.28
邪馬台国ヤマタイコク、狗奴国クナコク、一体、誰が其う読んだのか。
臺タイか壹イチかは取り敢えず置いといたとして邪馬はジャマじゃ無いのか。
狗奴、クドゥ…国栖、葛のクズだろう。

ちなみにジャ、ジャパン、ジャマイカ、ジャワ、ジャカルタ…共通するのは何処も海に面している、ヤマなどでは無かったと思われる。

時代区分の縄文〜弥生…此の定義も原日本人を分断されたが、考古の資料では何ら実証されたモノじゃ無い。
寧ろ、縄文遺跡からは既にかなり進んだ文化を持っていた事は証明されている。
先ず先に言って置くと「ググれ!誇り高い日本国民よ」他国の古文書や事なかれ主義の学者の推察がどれくらい信用に足るモノか感じよう。

 「取り敢えずみんなググろう」

217日本@名無史さん2018/05/15(火) 20:50:16.56
>>215
河内庄内式は博多湾へ流入 → 筑紫倭国王へ(鉄器)
大和庄内式は大和へ流入 → 大和大物主へ(無鉄器)

【問題】
大物主の倉庫が邪馬台国時代と決まったら、神武東征はいつ?

218日本@名無史さん2018/05/15(火) 20:55:22.34
その少し前、倭国大乱で神武は筑紫を脱出した。

219日本@名無史さん2018/05/15(火) 23:57:29.27
一方、伐採用石斧の減少状況から鉄器の普及状態を推測すると、九州と畿内でも極端な格差が無い。準構造船(久宝寺南:庄内新)をはじめとする木製品の加工痕からみても、一定量の鉄器が普及していたと思われる。
 遺存例には大竹西遺跡の鉄剣(弥生後期初頭)や唐古鍵40次調査の板状鉄斧、痕跡では加美遺跡Y1号周溝墓の鉄斧による伐採痕や唐古鍵SD-C107鉄斧柄、纒向遺跡メクリ地区の大型鉄器を研磨したと推定されている大量の砥石(3世紀前半〜中頃)など。
 鍛冶を伴う遺構は纒向石塚の北東200m近辺出土の鞴羽口や鉄滓等(3世紀後半)、淀川・桂川圏で中臣遺跡(京都山科,弥生後〜古墳初)、西京極遺跡(京都市内,弥生後前)、和泉式部町遺跡(右京区,弥生後〜古墳初)、
南条遺跡(向日市,弥生後前)、小曽部芝谷遺跡(高槻,弥生後)、美濃山廃寺下層遺跡(八幡,弥生後後)、星ヶ丘遺跡(枚方,弥生後後)、鷹塚山遺跡(枚方,弥生後後)、木津川圏で田辺天神山遺跡(京田辺,弥生後〜古墳初)など。
   
 纒向での鉄利用状況については、大型建物D隣の大型祭祀土壙SK-3001より出土したヒノキ材(庄内3)の分析で、その加工痕及び周辺で植生上少ないヒノキの多用という状況から
「集落を包括した工人専業集団の発達がなされ、鉄器が一般使用または使用できる集落」(金原 2011)
 と結論されている。
   
 弥生終末期(庄内新相)の畿内中枢に於て遺物が直接土壌と接触しにくい墓制が普及し始めると同時に俄かに豊富な鉄器が登場するという状況を鑑みると、畿内の土壌の特性が鉄器の遺存状態に大きく影響していたことには疑問の余地が無い。

220日本@名無史さん2018/05/16(水) 01:29:49.37
喜界カルデラ、南海トラフの影響を一切考慮せずに簡単にまとめられた「縄文時代の人口」とか…。
学者さんたちは邪馬台国論争など火付けして嘲笑ってると思う。

縄文時代の人口は、縄文早期の2万人から縄文中期の最盛期の26万1千人まで順調に増加したが、縄文中期を過ぎると反転し急激に落ち込み、縄文後期は16万人、縄文晩期は7万6千人まで減少した。 1万年ほど前、日本列島の年平均気温は現在よりも約2度低かった。
人口から読む日本の歴史 - Biglobe
www2u.biglobe.ne.jp › ~itou › hon › hito

縄文時代(便宜上そう言っておく)の人口の減少を気温だけか、、、。

221日本@名無史さん2018/05/16(水) 07:59:26.63
3世紀半ばがやたらと登場するが、これは卑弥呼の死後に急に発展した、つまりは大和は卑弥呼に搾取されていた土地ということだ。
卑弥呼は2世紀末には即位していたと考えられるから、卑弥呼とともに発展したなら、2世紀末から発展していなくてはいけない。
大和は卑弥呼の死後にしか発展していない。

222日本@名無史さん2018/05/16(水) 08:07:42.74
ちょっと前「ゴミの分別を!」と喧しく言われていた。
各家庭では、真面目に?いくつか指定されるままゴミを分別し出し…。
あろう事かその後ゴミ回収業者が一括りに処理していた事が判明。

此れは、邪馬台国論争等と言うデマカセを信じた(信じさせられた?)草古代史ファンと少し似たニュアンスを感じる。

223日本@名無史さん2018/05/16(水) 09:48:36.61
「字を持た無かった倭人」其れは本当なのか「神代文字はトンデモ」確かにトンデモないモノまで混ぜられては居るやも知れんが。

人類の痕跡が認められている(誰に…)だけでさえ三万年程もつづく先史の世に果たして本当に文字は無かったと言い切る学者たちを信じられるのか、、、。

阿比留草、神社のお札等に遺されているのだが、、、。

224日本@名無史さん2018/05/16(水) 09:59:59.95
>>221
>卑弥呼は2世紀末には即位していたと考えられるから、

これが、根拠がまったくないとは言わないが、相当に希薄

(ほぼ)同時代資料の魏志倭人伝には、倭国乱の時期も、
その後の卑弥呼の共立の時期も「一切書いてない」

2世紀末だという言辞の根拠は、『後漢書』「桓霊間(一四六〜一八九)」、
『梁書』「漢霊帝光和中(一七八〜一八四)」だが、後漢書の成立は432年、
梁書の成立は636年とかなり後代になる。後漢書、梁書の倭国記事の多くは
魏志倭人伝を下敷きにしているのが明らかであり、魏志倭人伝にいれられ
なかった事実が、100年200年後まで別に伝わっていたとするのも不合理

漢末の中原の動乱が、夷狄の領域にも乱を齎したという中華思想から挿入されたと
考えた方が妥当だろう
二世紀末に共立だと、3世紀半ばに死ぬ卑弥呼の没年齢が70以上になってちょっと
弥生時代の寿命としては不自然
不可能ではないけれど

225日本@名無史さん2018/05/16(水) 10:02:56.82
縄文、弥生…なんの意図もなく便宜上で区分されていたとしても、結局は原日本人を分断してしまったんだろう。
弥生人とは渡来人…嘘なんだろうと思う。

226日本@名無史さん2018/05/16(水) 10:04:25.72
実際あったという>>222の実例

・ほとんどの人がマトモに分別しないため分別まで回収業者が請負っていた
・自治体が分別しなくても燃やせるガス化溶融炉を持っているが
 隣の市町村との関係で分別基準を合わせていた

227日本@名無史さん2018/05/16(水) 10:20:00.16
古代中国江南から朝鮮半島済州島、更に北米、南米、太平洋のバヌアツ辺りまで縄文人らしき人類が遺したかも知れん痕跡は指摘されている。
そして、、、。
佛教経典の薬王菩薩品事品の中に「遥か昔(少なくとも薬王事品が成立する)遥か東(ヒマラヤ辺りから)に『佛國土あり』また『佛國土に十六人の王子あり』其々が十六方面に飛んで行った」と言う一節がある。
確か、其の一人が「此方へ飛んで来た」と言う。

縄文時代(あくまで便宜上)の倭国と倭人の人の流れの事じゃ無いのか。

228日本@名無史さん2018/05/16(水) 12:35:47.08
>>224
あれもこれも信用できないと言い張るしかない畿内説は哀れだな。

229日本@名無史さん2018/05/16(水) 19:28:57.27
「稲作はじめ文化は弥生人(渡来人?)大陸由来半島経由」、、、大嘘でした。
(前略)
今後、更なる発見によって"縄文稲作"の年代は更に遡る可能性があります。
いずれにせよ、世界最古級とされてきた支那大陸の河姆渡遺跡から僅か300年で日本に伝播するのか、
また「弥生人が日本に稲作を伝えた」と俗説は強調しますが、"縄文"時代に"弥生人"が渡来するのか大いに疑問です。

此等を踏まえて信じ込まされた古代論を一旦リセットせねば。

230日本@名無史さん2018/05/16(水) 19:34:57.52
史料批判という文献史学の基本のキを理解していないため恥を晒し続ける九州説

231日本@名無史さん2018/05/16(水) 19:51:38.56
全否定しないと成り立たないラノベ説がなんか言うとる

232日本@名無史さん2018/05/16(水) 19:57:07.91
歴史と考古の研究方法を全否定してたやつならいるぞ

233日本@名無史さん2018/05/16(水) 20:00:28.91
鉄器が溶けるドジョウとか?

234日本@名無史さん2018/05/16(水) 23:27:03.51
実際、文献史学の信憑性はどうなのか。権威には従順な仔羊になってしまうのは判るが。

235日本@名無史さん2018/05/16(水) 23:31:02.00
問題なのは文献そのものの信憑性

236日本@名無史さん2018/05/17(木) 07:03:50.44
稲作伝播、、、。此れを検証するのはプラントオパール。
そしてプラントオパールを考察し其処から弾き出される米の流れ。
文献史学の手に負える物では無い。考古学、農学、気象学らの成果が証明している。

米は、稲作は列島から半島、大陸へ。逆説を強弁する文献の信憑性など…以下略。

237日本@名無史さん2018/05/17(木) 07:12:31.26
>>234
>実際、文献史学の信憑性はどうなのか。権威には従順な仔羊になってしまうのは判るが。

都合の悪い文献を全て焚書したいのが畿内説の本音でしょう

238日本@名無史さん2018/05/17(木) 07:30:42.91
ちなみに自分は邪馬台国論争自体に興味が無い。魏志倭人伝に記載された其の時に列島の中心が何処であったかよりも、人の流れと其の理由と目的が知りたい。
其れから導かれる、大陸由来半島経由、と言う嘘…と言うか古代列島の真実を知りたい。

239日本@名無史さん2018/05/17(木) 07:55:22.67
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。

筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓     近江三上祝→東濃→纏向

宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津住吉


【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入

1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入

2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→畿内から庄内式土器が博多湾へ流入

3世紀に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入

240日本@名無史さん2018/05/17(木) 09:43:46.58
稲作伝播は列島から大陸へ。
https://ameblo.jp/ici05876/entry-12148719713.html

太平洋ルートは無かった…え?

小笠原諸島で行なわれた先史時代の遺跡調査 編集
東京都教育委員会では、1972年(昭和47年)に東京都遺跡地図を作成する中で小笠原諸島の遺跡についても調査を行った。
この中で父島の大根山遺跡から打製石斧などの石器類、そして母島からも骨角器と貝製品を採取し、有史以前、小笠原諸島に人が居住していたことが明らかとなった。
その後1984年、1985年(昭和59、60年)と、国際基督教大学考古学研究室の手によって父島、母島の調査が行われ、母島から中世の頃の可能性がある素焼きの土器が発掘された[11]。

文献史学の及べない権威主義の崩壊。

241日本@名無史さん2018/05/17(木) 10:48:34.58
>>227
あの釈迦は其の「佛國土から王子のひとりが飛来した」とされる古代北インドに在って小国を為したシャカ族の王子だが、其の父親の名前はまさに「浄米王」とか本当に意味深ではある。

242日本@名無史さん2018/05/18(金) 09:43:26.74
古代人に思いをやる時に気付かされる事のひとつに衣食住がある。
食は採ったり獲ったりした糧を生で或いは焼いて…そう思わされて来たが、ふと、縄文クッキーを考えると、、、。
拾って来たドングリをクッキーに焼く日常とは、皮、薄皮までも剥いて粉にして水分で溶かしつなぎとする其の工程は技術の結晶なんだろう。
中には大葉など香草を練り込んでいたと言う。

古代人は現代人の想定など遠く及ばない知恵を持っていた事を念頭に置かないと真の古代史など見えるものでは無い。

243日本@名無史さん2018/05/18(金) 13:11:01.79
倭国には製鉄技術があり、養蚕技術と紡績技術、水田稲作もあった。
倭人は想像以上に技術力が高かったようだ。
奈良盆地を除いて。

244日本@名無史さん2018/05/19(土) 10:39:35.78
>>243
>倭人は想像以上に技術力が高かったようだ。

これは同意
弥生時代はおろか、縄文時代から文明社会だよ

>奈良盆地を除いて。

そして、縄文時代から広域流通が日常的に行われており、
奈良盆地だけ「取り残しておく」方が難しいww

245日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:11:37.35
伝説の神、実在しなかった!とアカデミズムに貶められてる神武天皇がやけに気になって来た。ちょっと詳しく調べてみたいと思った。

あと皇紀がさもトンデモみたいなのも。

246日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:16:18.97
>>244
広域流通の手段は船なんだよ。
当然、発展するのは海沿いの地域になる。
内陸の奈良盆地は取り残される。

247日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:22:59.59
https://jp.stanby.com/media/old-shop/

二千六百年がトンデモだとか…。一千年越えの歴史を持つ会社が九つもある事実。

248日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:27:22.53
盆地は取り残さる…。

古代の大阪湾は生駒の麓ちかくまで湾岸線の筈。更に大地震による巨大津波が…。震災後に高台へ拠点を置いたのが高地性集落。

249日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:30:22.18
>>246
基本的に内陸部は「山の幸」だけ。 塩も採れない。
一方、海沿いの地域は「海の幸」は勿論、「山の幸」にも恵まれる。
人が生きていくには、まずは「海沿い」だろう。  @阿波

250日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:32:25.33
>>248
津波の影響は一過性で、復興する。
奈良盆地まで引きこもることはない。

251日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:43:34.30
>>250
だかしかし、古代列島には航路に繋がる川がある。
これで見れば判るが琵琶湖から河内湾へと注ぎ込み複数の支流を持つ大和川は古代の物流に此れ以上ない要衝。しかも巨大津波の被害も及ばない。
https://jumgon.exblog.jp/14981226/

252日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:50:57.72
と言うか瀬戸内から更に東、東海関東の東日本に行くなら
大和川を遡上するのが近道

紀伊半島南端まで迂回するのか?

東西の接合点として奈良は外せない

253日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:54:48.22
>>251
大和川が琵琶湖から河内湾に注ぎ込むとか頭沸いてるのか?

254日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:56:29.63
>>252
土器の流れからは、東海は日本海側と陸地を越えて結びついているが、奈良は経由していない。
瀬戸内海と東海の交流が少ないのは、紀伊半島を回るのは難所だったからかもしれないね。

255日本@名無史さん2018/05/19(土) 12:59:12.37
あと、関東へのルートは甲信越地方を経由したらしい。
筑紫に討伐された出雲の残党が諏訪に逃げ込んでいるね。
関東を最初に開拓したのも出雲だったから、古代の倭国では日本海勢力が優勢だったことがわかる。

256日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:00:14.74
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。

筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓     近江三上祝→東濃→纏向

宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津

257日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:00:59.99
>>249
平城京跡から出土した木簡だが。件の川で阿波、淡國から調として納められていた模様。九州も機内も四国も古代倭国にとって重要な土地だったのは間違いない。邪馬台国等のまぼろし?を追うよりもな。
魏志倭人伝(他国の古文書)に惑わされず古代の史実を知りたい。

路国三原郡阿麻郷戸主海部□麻呂戸口同姓嶋万呂調塩三斗・○□○平寶字
五年十月四日

258日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:02:33.57
>>253
いいや。

259日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:04:40.17
>>254
>土器の流れからは、東海は日本海側と陸地を越えて結びついているが、奈良は経由していない

でもよく知られるように大和には東海系の土器が流れ込んでる

260日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:07:50.78
しかし瀬戸内海と奈良の関係は希薄である。
大和川は流通に用いられた形跡がない。

261日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:08:41.69
ちなみに弥生時代の人口の推定とか見れば東山道とか結構人が多いんだよな

交易港を擁した海岸沿いが発展し内陸は置き去りにされる

・・・なんてのは現代のイメージをそのまま古代に持っていってるだけ

262日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:12:52.64
>>261
やたらと広範囲な東山道を持ち出されてもコメントしにくいけど、甲信越地方は出雲の勢力が上越あたりから侵入していたらしいと、以前のレスに書き込みがあった。
関東最古の大社を名乗る埼玉県の鷲宮神社も出雲の関連だ。
諏訪経由でこの地方は発展していたが、奈良盆地はそのような条件には恵まれていない。

263日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:15:03.25
今のと古代の大和川は、、、まあいいや…()

264日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:18:01.76
>>263
付け替えだろ?

でも水位とか今よりも条件が良くだろう

265日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:24:55.22
でも纒向から瀬戸内系の遺物が出ない不思議

266日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:26:03.56
>>248
>震災後に高台へ拠点を置いたのが高地性集落。

一つの高地性集落が数世紀に渡って営まれてたりする
一時的な避難場所でもない

高地性集落=一時的な避難場所

というイメージなら大昔の異物

267日本@名無史さん2018/05/19(土) 13:29:24.00
>>265
・・・?
手っ取り早くwikiだが

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BA%92%E5%90%91%E9%81%BA%E8%B7%A1

吉備播磨西瀬戸内系と出てるが

268日本@名無史さん2018/05/19(土) 18:13:37.60
>>253
>大和川が琵琶湖から河内湾に注ぎ込むとか頭沸いてるのか?

直接はつながっていないね
それは、少し筆が滑ったんだろう

大和川を遡って、奈良盆地に入り佐保川を遡っていった地域が、
垂仁天皇のときの狭穂彦の乱の本拠地の「狭穂」

そこからそれほど高くない平城山を越えた背後が、「山背」で
山背側の祝園も、崇神天皇のときの武埴安彦命の乱に地名説話が
出てくるヤマトの直接の勢力範囲

山背の木津川は、そのまま琵琶湖に行けるから、物流経路としては妥当だろ

269日本@名無史さん2018/05/19(土) 18:15:28.79
>>255
>関東へのルートは甲信越地方を経由したらしい。
>筑紫に討伐された出雲の残党が諏訪に逃げ込んでいるね。

だったら、>>246
「当然、発展するのは海沿いの地域になる。
 内陸の奈良盆地は取り残される。」
は、否定されるね!
内陸も交通路になるんだろ?

270日本@名無史さん2018/05/19(土) 18:18:11.78
>>260
>瀬戸内海と奈良の関係は希薄である。
>大和川は流通に用いられた形跡がない。

九州説側は、よくこの論旨を使うけれど、瀬戸内海と河内の結びつきは顕著なんだよ
そして、河内と大和は大和川で直結されていて、文物の交流も顕著
というよりも、一体として動いている

271日本@名無史さん2018/05/19(土) 18:21:42.19
「大和+河内〜環大阪湾」の範囲が、畿内第V様式土器を共通に使う範囲
この範囲が、邪馬台国七萬餘戸の範囲として妥当

272日本@名無史さん2018/05/19(土) 19:13:44.39
>>268
かつて豊臣秀吉が干拓するまで京都に存在した巨椋池(おぐらいけ/巨大な池で、池と言うより湖)琵琶湖から木津川で巨椋池へそして河内湾へ。

それは伊賀とも川で繋っていたと言う。

http://best-times.jp/articles/-/5468

273日本@名無史さん2018/05/19(土) 19:17:57.20
>>272
スマン
木津川☓
宇治川○

274日本@名無史さん2018/05/19(土) 19:37:38.50
>>262
>関東最古の大社を名乗る埼玉県の鷲宮神社も出雲の関連だ。

倭国(阿波)を発った忌部一族を祀る神社ですね。  @阿波

275日本@名無史さん2018/05/19(土) 19:39:41.76
>>262
>関東最古の大社を名乗る埼玉県の鷲宮神社も出雲の関連だ。

その「出雲」も 倭国(阿波)を発った忌部一族の拓殖地ですね。  @阿波

276日本@名無史さん2018/05/19(土) 22:09:36.35
>>272
巨椋池が干拓されたのは昭和だが

277日本@名無史さん2018/05/19(土) 23:24:34.33
>>276
なんかそう思い込んでたけどちょっとググってみる。

278日本@名無史さん2018/05/19(土) 23:44:31.47
秀吉が行ったのは長大な築堤による宇治川と巨椋池の分離と
巨椋池内への築堤による街道整備だよ

279日本@名無史さん2018/05/20(日) 10:52:11.95
>>276
ありがとう、なんか記憶違いしてた。琵琶湖→瀬田川(宇治川)→巨椋池→浪速津河内湾は繋がってた模様。

上の方で、西遷、と言う事が出てたが古事記の「日を背にして戦う」神武天皇の件はひょっとして其れかも知れん。

280日本@名無史さん2018/05/20(日) 12:58:06.47
ひょっとしてって何が?w

281日本@名無史さん2018/05/20(日) 14:19:23.87
>>270
>九州説側は、よくこの論旨を使うけれど、瀬戸内海と河内の結びつきは顕著なんだよ

土器からは否定されるわけだが、何を根拠にそう言うのか?

282日本@名無史さん2018/05/20(日) 16:24:15.58
古事記の神武天皇の「(土蜘蛛征討?に)日の天子は東から回り込んで日を背に、、、」的な件を考えると「西遷」を示しているのかも。
しかし、更に考えると戦略ひとつで全方位から攻める事が出来る勢力を持っていたとも考えられるか。
葛城?の牙城を包囲するような勢力か、、、。

アカデミズムが伝説上の…と言う程なにか秘密が隠れてそうな気はする。

283日本@名無史さん2018/05/20(日) 20:44:26.10
もはや誰も止められないw
@阿波みたいw

284日本@名無史さん2018/05/20(日) 23:02:28.94
貶し合い専門の紋切り型のモン吉くんかな。相手せんとこ。

285日本@名無史さん2018/05/21(月) 07:21:30.31
>>282

伊都国の王城が高祖宮だとすると、倭王は高祖山から昇る太陽を背にして君臨することになる。
東側に山がある地形が太陽信仰にとって重要であったのかもしれない。

286日本@名無史さん2018/05/21(月) 07:44:51.85
太陽を背にしちゃいかんだろ、日向じゃないと

287日本@名無史さん2018/05/21(月) 10:06:25.71
纏向古墳群の東田大塚古墳と纏向矢塚古墳、箸中山古墳の主軸の方向が揃っていて、
きっちり夏至の夜明けの方角を向いてる

288日本@名無史さん2018/05/21(月) 10:32:58.51
それがどうしたんじゃ?

289日本@名無史さん2018/05/21(月) 12:09:51.69
>>286
いいんだよ。
天神は太陽を背にしなくてはいけないと神武がはっきり言っている。

290日本@名無史さん2018/05/21(月) 17:47:51.89
でもって、東田大塚古墳が、竜王山を向いてて、箸中山古墳が穴師山を向いてる
三輪山から夏至の日の出が見られるところに、大神神社がある
東の稜線と夏至の日のでは、いろいろと意識されてるっぽい

291日本@名無史さん2018/05/21(月) 17:50:22.84
東に山があるのが神仙思想だと孝霊厨が言っていたが、ますます九州伊都国説を補強するだけだった。

292日本@名無史さん2018/05/21(月) 18:30:00.30
>>290
偶然だな

293日本@名無史さん2018/05/21(月) 18:40:13.47
九州伊都国説がゴミすぎて笑えた

294日本@名無史さん2018/05/21(月) 19:08:54.85
>>293
具体的に何処が?

295日本@名無史さん2018/05/22(火) 09:34:14.44
>>292
>偶然だな

自分でも調べてごらん
東田大塚古墳から竜王山のラインには、きっちり渋谷向山古墳が入っているし
箸中山古墳から穴師山「ゲシノオオダイラ」のライン上には穴師坐兵主神社があるよ

296日本@名無史さん2018/05/22(火) 12:19:22.73
>>295
ラインに入ってるだけ


世界地図
直線引けば
あら不思議

297日本@名無史さん2018/05/22(火) 15:09:06.49
>>296
>ラインに入ってるだけ

任意の地点で任意の日付の日の出の方角を
調べられるウェブページがあるから、ちょっと調べてごらん

東田大塚古墳の後円部墳頂からの夏至の線を引くと、それがぴったり
前方部を通る古墳の中心線を通っていて、かつ竜王山を向いてて、
途中の渋谷向山古墳の古墳の軸も通ってるんだよ

纏向矢塚古墳も箸中山古墳も平行に同じ方向を向いていて、
箸中山古墳のラインは、穴師山「ゲシノオオダイラ」と
穴師坐兵主神社の本殿をぴったり通る

三輪山から夏至の日の出が見られるところに、大神神社がある

纏向矢塚古墳の夏至の日の出方向には、何もなさそうだけれどねww

298日本@名無史さん2018/05/22(火) 15:15:51.49

299日本@名無史さん2018/05/22(火) 16:49:01.05
>>298
「箸墓古墳の主は「夏至の祭り」を主宰していた?」

それは、忌部一族が「夏至の祭り」を主宰していたってこと。  @阿波

300日本@名無史さん2018/05/23(水) 13:08:19.43
阿波が、と言うか、阿波も先史から倭人の重要な拠点であった事実は動くものじゃないし、千葉県の安房は忌部氏の東遷と言うが、総國=麻國かな。
吾は倭、吾倭、阿波、安房。

其の忌部氏のルーツを夫余に求める説などは、倭人の広大な圏内のひとつをルーツとしてしまったのか。
なんでも大陸半島経由にされた弊害であろう。

301日本@名無史さん2018/05/23(水) 14:58:20.39
>>297
しかし、阿蘇山がない

302日本@名無史さん2018/05/23(水) 15:15:52.80
いるのか?

303日本@名無史さん2018/05/23(水) 18:48:42.74
大陸中華には火山が(ほぼ)ないから、僻地のことでも、
耳目にとまり、特記したくなったんだろう

304日本@名無史さん2018/05/23(水) 18:51:45.88
大和に向かうなら、阿蘇には立ち寄れない。
倭が阿蘇を含む国だったから記録に残した。

305日本@名無史さん2018/05/23(水) 18:57:49.83
>>304
寄って阿波もダウト

306日本@名無史さん2018/05/23(水) 20:48:41.16
>>304
>大和に向かうなら、阿蘇には立ち寄れない。

立ち寄ったとは書いてないだろ?
それに隋書だよ?
遣隋使は大和朝廷からの派遣

>倭が阿蘇を含む国だったから記録に残した。

そうだよ? 大和朝廷の国造や県主他に、九州の豪族も任命されてる
阿蘇のある辺りも当然倭国で何の疑問もないけれど?

307日本@名無史さん2018/05/24(木) 08:20:59.70
>>306
>遣隋使は大和朝廷からの派遣

根拠は?

308日本@名無史さん2018/05/24(木) 10:00:51.45
九州説さんの言い分だと、日本書紀は筑紫倭国の史書を盗んで書いてるんでしたっけ?w

309日本@名無史さん2018/05/24(木) 10:14:06.95
畿内は推古天皇の時代なのに、天多利思比孤(垂らし彦)という明らかな男王の名が記されているしね。

310日本@名無史さん2018/05/24(木) 11:14:47.92
>>309
推古・孝徳紀は後から書き直されてることが判明済みなので、別におかしくない
当時は従兄弟の有明子が即位してて何の不思議もない

ヘンテコな九州説を唱える根拠にならないな

311日本@名無史さん2018/05/24(木) 11:36:40.40
>>307
ほかに国がないから

312日本@名無史さん2018/05/24(木) 11:45:01.02
>>310
>当時は従兄弟の有明子が即位してて何の不思議もない

これ、何の話?
「有明子」って誰?

313日本@名無史さん2018/05/24(木) 11:54:01.95
>>310
畿内説お得意の、史書はすべて信用ならぬが発動かな?

314日本@名無史さん2018/05/24(木) 11:54:20.52
>>311
ないという根拠は?

315日本@名無史さん2018/05/24(木) 12:01:50.99
>>313
>畿内説お得意の、史書はすべて信用ならぬが発動かな?

隋書と日本書紀の記述の対応が取れるのに、
それを認めない、大和朝廷の遣使ではないと言っている=記紀も隋書も信じない、と
言っているのは九州説の方だろう?

何を言ってるんだ?

316日本@名無史さん2018/05/24(木) 12:02:59.49
>>314
>ないという根拠は?

いや、あるならどこにあるのか示してくれればそれで済むだろ?
ないのか?
ないんだな?

ならいいじゃないかww

317日本@名無史さん2018/05/24(木) 12:05:00.25
日本国ではなく、倭国についての記録がたくさんあるから、それが証拠だよね。

318日本@名無史さん2018/05/24(木) 12:14:16.32
雄略天皇の頃も、推古天皇の頃も、畿内の大和朝廷が倭国朝廷を名乗ってるんだが?

319日本@名無史さん2018/05/24(木) 12:42:19.70
>>318
証拠は?

320日本@名無史さん2018/05/24(木) 16:06:46.01
九州の大王が遠く離れた畿内に
四天王寺や法隆寺を建てたという珍説

321日本@名無史さん2018/05/24(木) 17:21:55.24
>>319
考古学

322日本@名無史さん2018/05/24(木) 17:56:31.79
>>321
名前が書いてあるわけでもなかろうに。

323日本@名無史さん2018/05/24(木) 17:57:50.79
>>320
九州から移築したらしいよ。

324日本@名無史さん2018/05/24(木) 18:00:44.95
【白村江の戦いと倭国滅亡】

663年に白村江において行われた倭・百済と唐・新羅の決戦で倭国軍は大敗した。
自ら前線に赴いていた筑紫君薩夜麻が捕虜となり8年にわたり唐に抑留された。
筑紫には唐から郭務悰ら2000人の使節団が駐留したが、畿内大和ではなく筑紫を占領したのは、そこが倭国の首都だったからである。

668年、筑紫の使節団は帰国し、中大兄皇子は天智天皇として即位したが、その翌年には筑紫都督府が置かれ、同じ敗戦国の百済に置かれた熊津都督府と同様に唐の統治制度として機能し、倭国は独立国としての権限を喪失した。
旧唐書には倭国と日本国が分けて記載され、「日本は旧小国、倭国の地を併せたり」とある。
三国史記の新羅本紀には「670年、倭国が国号を日本と改めた」、新唐書にも670年に「日本と號す」とあるが、国内にはその記録がない。

671年に天智天皇が死亡、翌年にはその王子である大友皇子を殺した大海人皇子(天武天皇)が実権を握った(壬申の乱)。
天武天皇は対外的な国史としての日本書紀(漢文)を編纂させ、歴史上の天皇への漢風諡号の制定などを行った。
日本書紀の最大のトリックは、神武東征より後の筑紫倭国の歴史を抹消することであった。
日本書紀の編纂と並行して禁書令が出され、8世紀初頭に記紀以外の多くの古代の記録が失われた。
倭国の政治および文化を継承するために、筑紫から多くの文物、人物、建物、地名が平城京に移動された。

筑紫が679年に水縄断層系によるM7.1の筑紫大地震、畿内が684年に南海トラフ地震と推定されているM8.4の白鳳大地震により被災している。
筑紫は震災からの復興もままならなず没落したと考えられる。

701年の大宝律令で行政単位が評から国・郡に改称され、九州から関東までの中央集権国家としての畿内政権が誕生する。
この大倭の表記が大和とあらためられ、以前から筑紫倭国に対して近畿を示すために用いていた日本国が列島全体の統一王朝の国号となり、ヤマトは畿内の地名に変化した。
こうして筑紫倭国は滅亡し、その権益は唐に朝貢(遣唐使)を再開する畿内大和政権が継承した。

325日本@名無史さん2018/05/24(木) 18:25:25.93
>>319
>証拠は?

「証拠は?」って聞くのはこちら側なんだが?
「倭の五王」、特に最後の倭王武が雄略天皇というのは、教科書レベルの定説
それに異を唱えるなら、それなりの根拠と論証をしてもらわないと

年代論で言えば、継体17年が武寧王の没年に当たるというのが、記紀と
武寧王の墓誌で確認できるので、そこを基準年として遡っていけば、
倭の五王の年代と、雄略天皇の在位年が重なることからも確認できる

あと、雄略天皇の宮が稲荷山鉄剣に斯鬼宮、記紀に泊瀬朝倉宮とあるが、
畿内だと磯城に初瀬、朝倉の地名があり整合性がある

九州にも、初瀬、朝倉の地名は単独ではあるが、離れた場所にあり、
泊瀬朝倉宮にはならない

326日本@名無史さん2018/05/25(金) 11:35:39.91
九州ガー畿内ガー、と言うより件の時代に近いのか、今の群馬県渋川辺りでも甲を着た兵士と思しき人骨が「こいつら発想力が乏しすぎワロタ」と嗤ってるやも。

https://style.nikkei.com/article/DGXMZO86048130T20C15A4000000?channel=DF280120166609

327日本@名無史さん2018/05/25(金) 11:40:20.93
>>326
ただ、マスゴミらしくお困りの国のゴリ押しを絡めてるが。
半島で出たのが真実()としても其れは倭人の兵士と思われる。

328日本@名無史さん2018/05/26(土) 16:46:44.02
九州説の頭の悪いところは、萬二千里が「女王国までの距離」であって
「邪馬台国までの距離じゃない」ことを理解していないこと

魏志倭人伝「自郡至女王國萬二千餘里」
魏略   「自帯方至女國万二千余里」
後漢書  「樂浪郡徼去其國萬二千里」
梁書   「去帶方萬二千餘里」
隋書   「古云去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里」
旧唐書  「去京師一萬四千里」
新唐書  「去京師萬四千里」

邪馬台国までと書いてあるのは一つもないし、かなりざっくりした表現なのが分かる
ざっくりしているのは実測値ではなく、淮南子時則訓からの観念的な値だからというのも
何度も教えている

漢文が読めなくて、原文を確認していないから、延々と頭の悪い書き込みを
続けている訳だ

隋書で「『古云』去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里」という書き方になっている
『昔はこう云っていた』というのは、「今は違うことが分かっているけど」ということを
意味している

隋書では、裴世清の記録でこの萬二千里が間違っていることが把握されたから、
『古云』が付いている訳だ

この萬二千里に全てを託している九州説は、萬二千里に意味がないことが
明らかになった時点で無理なんだよ

329日本@名無史さん2018/05/27(日) 10:24:45.09
>>328
>この萬二千里に全てを託している九州説は、萬二千里に意味がないことが

都合が悪いのでそう思いたいんだね。
かわいそうに。

330日本@名無史さん2018/05/27(日) 10:35:12.99
>>328
九州説には、王都と見られる集落遺跡もないし、
径百歩級の大墳丘墓=卑弥呼の墓の候補もない

結局、魏志倭人伝は「こう読むのが正しい」という、文献史学頼りでがんばるしかない

そして、その根幹が、「短里で読めば萬二千里は九州」って1点にかかってるんだよなww

3世紀の遺物・遺跡に見るべきものががない九州説を信じ続けるのは大変だw

331日本@名無史さん2018/05/29(火) 20:42:43.64
纒向は二上山と三輪山で奈良盆地を南北に二分する横断線の東端近くに占地する。この地は大阪湾から大和川を遡上した瀬戸内航路の終点にして、初瀬街道経由で伊勢雲出川河口付近から東海航路に向かう起点である。
 同時に上つ道に面し、北陸・山陰にも抜ける交通の要衝である。乃ち、三輪山をランドマークとする辻に関塞の神を祀る地であり、古くより大市が立つ。

 威信材の流れや墓制の消長から、弥生時代の北部九州では対外交渉力で突出した小国の興亡があったことが判明しており、そのうちには中国製威信財を独占的に入手し配布することで「倭国」的な政治的纏まりを現出せしめるやに見えた者もあった。
 しかしながら、国家形成と呼べる水準に至らぬまま衰退し、最終的には2世紀末の大乱期、中国製威信財入手ルートの途絶を以て、この列島における旧世界の秩序は崩壊した。
 代って、気候条件悪化に起因する社会不安の沈静化と政治的求心力の喪失による紛争の回避を目途として、この地纒向に新たな秩序の中枢が構築され、本格的な国家形成が緒に就く。

332日本@名無史さん2018/05/29(火) 20:43:15.61
 共立とは、各地の葬制を総花的に集約した定型化前方後円墳に表象されることになる政治的関係における求心的集約の状態を、当時の中国の語彙で表現したものに他ならぬと思われる。
おそらくは当初に調停の庭であったそれが、完鏡等の威信財供与と祭祀の規格化に表象される首長間のリンケージの核となっていくのである。
 それは首長と首長個々の相対の結縁が重層化した形態をとり、次代の前方後円墳築造企画共有に繋がっていく祖形となる。

 定型化前方後円墳における葬制の「総花」性の中で、突出しているのは吉備地方であり、北枕原則が貫徹している畿内―吉備は葬制から見た政治状況中の枢軸といえる。
 もとより畿内第V様式圏の文化的斉一性は、交流圏・通婚圏として纏まりが存在したことを示す
此の環大阪湾文化圏と吉備を核とする瀬戸内圏との合作は、日本列島中西部を縦貫する流通大動脈を形成し、現実的に倭国乱の帰趨を決したとも言えよう。
 後段で触れる所の寒冷化による海水準低下で、多くの砂丘上の港湾集落が廃絶し潟港が埋没して機能低下を来たした日本海航路に対して、瀬戸内航路の価値は大いに上昇していた。
纒向に誕生した政権の特徴である求心性も、この流通支配の趨勢を踏まえたものであろう。
 この意味で、倭人伝に登場する倭の国が東夷伝中で珍しく流通や通信に言及していることは、注目に値する。

333日本@名無史さん2018/05/29(火) 20:51:54.75
魏志倭人伝の邪馬台国までの里程
帯方郡(朝鮮北部)から狗邪韓国まで七千里、女王国まで一万二千里。
対馬海峡が三千里であり、帯方郡から九州上陸までで一万里となるので、邪馬台国の位置は九州北部になる。

魏志倭人伝の邪馬台国までの日程
帯方郡から邪馬台国まで水行10日、陸行1月(1日の誤りか)
ちなみに帯方郡から投馬国(宮崎都万)まで水行20日

後漢書における里程
大倭王は邪馬台国にいる。
楽浪郡の国境は、その国(邪馬台国)から一万二千里である。
倭国の西北界である狗邪韓國からは七千里である。
倭奴国は倭国の極南界である。

魏略逸文における里程
帯方(郡)より女(王)国に至る万二千余里。

邪馬台国時代の遺物の出土状況
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/zu11.gif

334日本@名無史さん2018/05/29(火) 20:52:17.54
【邪馬台国はどんな国?】

「魏志倭人伝」−「倭人は兵器に矛を用いる」
―銅矛であれ鉄矛であれ、
矛が多量に出土しているのは北九州、奈良県は出土無し。

「魏志倭人伝」−魏への持参物、魏から女王への贈り物に多数の「絹織物」
−邪馬台国のあった弥生時代後期までの「絹」は、すべて九州からの出土。

「魏志倭人伝」−「倭人は鉄の鏃を用いる」
鉄は圧倒的に九州にある。
http://www.infokkkna.com/ironroad/2011htm/iron7/1103iron09.jpg

「魏志倭人伝」−「魏は卑弥呼に五尺刀二口を与えた」
−弥生時代の鉄刀、鉄剣は福岡県から92例出土、奈良県からは1例のみの出土。

三角縁神獣鏡は魏の鏡に非ず、卑弥呼の時代は「方格規矩四神鏡、内行花文鏡」
邪馬台国時代、古墳時代を通じて、福岡県から37面、奈良県からは、わずか2面。

その山に丹あり
弥生時代の奈良では、朱丹は二箇所で しか使用されていない。
福岡県では41箇所の遺跡で使用されている。

335日本@名無史さん2018/05/29(火) 20:58:51.09
>>334
>福岡県では41箇所の遺跡で使用されている。

国産の水銀朱は、一箇所も使われておらず、弥生時代には九州には辰砂の
鉱脈、鉱山は知られていなかった

九州だけの倭国を主張する限り、其山有丹で即死

336日本@名無史さん2018/05/30(水) 00:35:01.48
平気で嘘をつく病気がある?大人の虚言癖の心理・原因と対処法!

http://lovely-media.jp/posts/2166

337日本@名無史さん2018/06/04(月) 06:45:44.17
纒向は二上山と三輪山で奈良盆地を南北に二分する横断線の東端近くに占地する。この地は大阪湾から大和川を遡上した瀬戸内航路の終点にして、初瀬街道経由で伊勢雲出川河口付近から東海航路に向かう起点である。
 同時に上つ道に面し、北陸・山陰にも抜ける交通の要衝である。乃ち、三輪山をランドマークとする辻に関塞の神を祀る地であり、古くより大市が立つ。

338日本@名無史さん2018/06/04(月) 06:46:25.39
 威信材の流れや墓制の消長から、弥生時代の北部九州では対外交渉力で突出した小国の興亡があったことが判明しており、そのうちには中国製威信財を独占的に入手し配布することで「倭国」的な政治的纏まりを現出せしめるやに見えた者もあった。
 しかしながら、国家形成と呼べる水準に至らぬまま衰退し、最終的には2世紀末の大乱期、中国製威信財入手ルートの途絶を以て、この列島における旧世界の秩序は崩壊した。
 代って、気候条件悪化に起因する社会不安の沈静化と政治的求心力の喪失による紛争の回避を目途として、この地纒向に新たな秩序の中枢が構築され、本格的な国家形成が緒に就く。

339日本@名無史さん2018/06/04(月) 06:47:08.44
 定型化前方後円墳における葬制の「総花」性の中で、突出しているのは吉備地方であり、北枕原則が貫徹している畿内―吉備は葬制から見た政治状況中の枢軸といえる。
 もとより畿内第V様式圏の文化的斉一性は、交流圏・通婚圏として纏まりが存在したことを示す
此の環大阪湾文化圏と吉備を核とする瀬戸内圏との合作は、日本列島中西部を縦貫する流通大動脈を形成し、現実的に倭国乱の帰趨を決したとも言えよう。
 後段で触れる所の寒冷化による海水準低下で、多くの砂丘上の港湾集落が廃絶し潟港が埋没して機能低下を来たした日本海航路に対して、瀬戸内航路の価値は大いに上昇していた。纒向に誕生した政権の特徴である求心性も、この流通支配の趨勢を踏まえたものであろう。
 この意味で、倭人伝に登場する倭の国が東夷伝中で珍しく流通や通信に言及していることは、注目に値する。

340日本@名無史さん2018/06/04(月) 06:47:27.92
 共立とは、各地の葬制を総花的に集約した定型化前方後円墳に表象されることになる政治的関係における求心的集約の状態を、当時の中国の語彙で表現したものに他ならぬと思われる。
おそらくは当初に調停の庭であったそれが、完鏡等の威信財供与と祭祀の規格化に表象される首長間のリンケージの核となっていくのである。
 それは首長と首長個々の相対の結縁が重層化した形態をとり、次代の前方後円墳築造企画共有に繋がっていく祖形となる。

341日本@名無史さん2018/06/04(月) 07:20:40.27
纒向と瀬戸内は交流が乏しいよ。
纒向は東海の傘下にあったことが土器の流通からわかる。

342日本@名無史さん2018/06/04(月) 09:40:50.75
>>341
>纒向と瀬戸内は交流が乏しいよ。
>纒向は東海の傘下にあったことが土器の流通からわかる。

必ずこれが湧いて出るけど、瀬戸内と河内は交流が分厚いだろ?
大和+河内〜環大阪湾の地域は、畿内第V様式土器の時代から、一つの地域だよ
そして、乏しいというが、吉備の特殊器台をそのまま受け継いでいるし、
その前から弧文円板など、吉備系の祭祀具が出ている
乏しいっていうのは、為にいう文言に過ぎない

343日本@名無史さん2018/06/04(月) 15:29:25.15
河内は瀬戸内だが、大和は違うだろ。

>>342
>乏しいっていうのは、為にいう文言に過ぎない

それは畿内説が伊都とか平原に対してよく使うレトリックだろ。
一緒にするな。

344日本@名無史さん2018/06/04(月) 16:01:06.56
「為にいう」w

345日本@名無史さん2018/06/04(月) 17:51:07.61
【筑紫を中心とする倭国の交易路】
もともと日本海ルートが倭国の交易の主力だった。4世紀の仲哀天皇のときに関門海峡が開削され、5世紀の雄略天皇のときに風待ち港と澪標が整備され、瀬戸内ルートが整備された。なお、太平洋ルートは事実上存在しなかった模様。纒向は日本海ルートの末梢の辺境。

筑紫博多→出雲→丹後・若狭→能登・越→諏訪→甲斐・秩父
↓         ↓
↓     近江三上祝→東濃→纏向

宇佐→瀬戸内海→阿波・吉備→淡路島→摂津


【九州北部勢力による倭国の拡大】
紀元前に、越のヒスイ勾玉を含む三種の神器が出現
→日本海沿岸の土器が博多湾へ流入

1世紀に銅矛などが拡散
2世紀に高地性集落が瀬戸内海を東征
→瀬戸内四国の土器が博多湾へ流入

2世紀末に銅戈が大阪湾上陸
→畿内から庄内式土器が博多湾へ流入

3世紀に大型内行花文鏡が畿内へ侵入
→畿内から布留式土器が博多湾へ流入

346日本@名無史さん2018/06/04(月) 17:52:31.34
隣接地に絞ると纏向遺跡の出土土器は
河内10%
近江5%
紀伊1%
山城0%
摂津0%

河内と大和は大和川一本でつながっているし、畿内第V様式土器以降、
庄内式土器、布留式土器への変遷も歩調を揃えて、進んでいる

どう考えたら、別勢力になるのかが不思議

奈良と大阪の土器はちょっと違う ←せやな
つまり奈良は名古屋で、大阪は九州だ ←は?

347日本@名無史さん2018/06/04(月) 18:00:12.47
纒向遺跡は弥生時代から古墳時代への転換期の様相を示す遺跡であり、邪馬台国畿内説を立証する遺跡ではないかとする研究者もいる。
しかし3世紀前半の遺構は多くなく、遺跡の最盛期は3世紀終わり頃から4世紀初めにかけてである。
2011年に大型建物跡の約5メートル東側から別の大型建物跡の一部が見つかり、建物跡は造営年代が3世紀後半以降の可能性がある[2]。

wikiより

348日本@名無史さん2018/06/04(月) 18:02:59.07
纒向の搬入土器の出身地割合

伊勢・東海系 : 49%
北陸・山陰系 : 17%
河内系 : 10%
吉備系 : 7%
近江系 : 5%
関東系 : 5%
播磨系 : 3%
西部瀬戸内海系 : 3%
紀伊系 : 1%

349日本@名無史さん2018/06/04(月) 19:12:14.25
ここで言う、どこどこ系土器、というのが、基本的に飯炊き甕で
あることには注意が必要

途中で煮炊きしなければならない距離の移動なら、飯炊き甕を持参する
必要があるが、すぐに行ける距離や、行った先で飯が出るなら甕を持って
出かけなくてもいいだろう

それと庄内式の頃から土器製作地の集約が進み、ある範囲には特定の製作工房から
土器が配布(事実上の販売かも)されていたこと
河内南西部と奈良盆地西部にそれぞれ土器の製作中心があったから、わざわざ持って
行く必要がなかっただけだと思うな

まあ、証明はできないけど、河内の土器が奈良盆地での出土が少ないから交流が
なかったはずだと短絡的に考えるより筋が通ってると思うがね

350日本@名無史さん2018/06/04(月) 19:30:06.37
証拠もなく都合のいい想像で済ませる。
さすがはでっち上げ畿内説!

351日本@名無史さん2018/06/04(月) 19:57:15.00
>>348
>纒向の搬入土器の出身地割合

それ、各地の忌部一族が持ち寄った「東阿波型土器」だから。  @阿波

352日本@名無史さん2018/06/04(月) 20:08:18.81
目と鼻の先の河内と大和の交流が少なかったのは、何が理由なんだろうね。
大和川が水運に適さない河川であったのもあるだろうが、政治的に別のグループでもあったのだろう。
弥生末期の西日本がいくつもの集団に分かれていたことがうかがえる。
そんな状況の中で、地理的に圧倒的に有利で、富を集積していた筑紫を差し置いて魏と交渉できた勢力があり得ただろうか?

353日本@名無史さん2018/06/04(月) 20:16:01.07
証拠もなく都合のいい想像で済ませる。
さすがはでっち上げ●●説!

354日本@名無史さん2018/06/04(月) 20:16:19.35
>>352
>富を集積していた筑紫を差し置いて魏と交渉できた勢力があり得ただろうか?

なんと、それがあり得たんですよ。  @阿波

355日本@名無史さん2018/06/04(月) 20:38:10.26
>>352
>大和川が水運に適さない河川であったのもあるだろうが、

??
寺澤先生の論文「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」から引用

「縄文時代晩期後半の突帯文土器様式のうち、(中略)
 突帯文様式の遺跡は一見して、菩提山川と大和川を結ぶ盆地の南部に集中する様子が
わかる。とくに突帯文様式単純の遺跡(J 型)は、唯一、秋篠川上流の西隆寺下層を
除けば、大和川本流(初瀬川水系)以南にほぼ限られており、おそらくは朝鮮半島−玄界灘
沿岸地域ルートで伝来し、北部九州の穀物センターにおいて定着を果たして初期の
不完全な農耕文化の揺籃を開始した突帯文系様式は、瀬戸内海ルートで河内潟に入り
河内平野への入植を介して大和川を溯上して初瀬川をさらに遡上したことがわかる。」

そもそもからして、奈良盆地の集落は、河内平野への入植〜大和川を遡上〜初瀬川へ、と
河内の集団が奈良盆地へ伸張して行ったものと見られる
最初から本質的に同根・同祖だね

なぜ別集団だと考えるのか?

356日本@名無史さん2018/06/04(月) 20:38:58.51
>>352
>富を集積していた筑紫を差し置いて

集積してないよ? 3世紀には既に田舎

357日本@名無史さん2018/06/04(月) 20:43:15.45
>>356
田舎だという根拠は?

358日本@名無史さん2018/06/04(月) 20:45:02.68
>>356
>集積してないよ? 3世紀には既に田舎

まぁ、そうなんだけどw  @阿波

359日本@名無史さん2018/06/05(火) 06:51:42.25
>>357
いつも言ってるんだが、逆質問で「ごまかす」な!

まずは、富の蓄積を根拠・論拠を示してきちんと論証しなさい
話はそれからだ

>>358で阿波が無条件で同意するくらいの常識だぞ
3世紀の北部九州はただの田舎

360日本@名無史さん2018/06/10(日) 10:47:36.19
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM

361日本@名無史さん2018/07/12(木) 15:00:05.75
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

HGK

362日本@名無史さん2018/07/17(火) 09:59:24.23
このスレ、2016年に立てられてるんだな

存続理由もないし、適当に使いつぶしてもいいかな?

363日本@名無史さん2018/07/18(水) 14:58:43.02
墳丘長200メートル以上の大古墳は、全国に40基ある
奈良県 20基
大阪府 15基
岡山県 造山古墳
    作山古墳
    両宮山古墳 
群馬県 太田天神山古墳
京都府 神明山古墳 

トップ101で数えると墳丘長137メートルまで数えることになるが、
奈良県 34基
大阪府 27基
岡山県 9基
群馬県 5基
京都府 5基
兵庫県 茨城県 宮崎県 3基
三重県 2基
宮城県 山梨県 愛知県 鹿児島県 福岡県 千葉県 
岐阜県 福井県 石川県 香川県 埼玉県
が1基ずつだね
ちなみに福岡県は岩戸山古墳で80位 筑紫君磐井の墓だね
これで、古墳時代の間中ずっと存続していたという九州王朝を
どうやったら想定できるのか

364日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:01:03.52
史記での「咫」の字の使用全例
矢長尺有咫
長尺有咫
  尺有咫は、尺(10寸)+咫(8寸)で、18寸の長さ
八寸曰咫
咫尺,八寸
  咫は8寸である
徒欲日夜望咫尺之地
舜無咫尺之地
奉咫尺之書
今拘學或抱咫尺之義
言拘學守義之士或抱咫尺纖微之事
  咫尺で、「少しの(ながさ)」程度の意味
  日本語で「ちょっと」を「一寸」と書くのと同じ発想

咫を円周を測るのに使っている例はない

365日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:01:21.95
漢書での「咫」の字の使用全例
長尺有咫
石砮長尺有咫
  尺有咫で、18寸
八寸曰咫
張晏曰:「八寸曰咫。」
  咫は8寸
豈其與水爭咫尺之地哉?
奉咫尺之書
但日夜望咫尺之地
履咫尺之難
臣聞天威不違顏咫尺
且盲不見咫尺
咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喻輕率也。
  咫尺は、それ「あるいは長さ咫あるいは長さ尺」を簡単に言うもので、比喩である

咫を円周を測るのに使っている例はない

366日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:01:39.64
三国志での「咫」の字の使用全例
未能進咫尺之地
終日行不離咫尺
加咫尺之書
  咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味

咫を円周を測るのに使っている例はない

367日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:01:55.31
後漢書での「咫」の字の使用全例
其長尺有咫
石砮矢長尺有咫
長尺有咫
  尺有咫で18寸
八寸曰咫
八寸為咫
  咫は8寸
舜無咫尺之地
今拘學或抱咫尺之義
咫尺天儀
咫尺龍沙
咫尺言不以為遠也
夫欲千里而咫尺未發
去營咫尺
今以曲俗咫尺之羞
  咫尺は、一咫か一尺程度の少しの長さの意味

咫を円周を測るのに使っている例はない

368日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:02:16.81
史記、漢書、三国志、後漢書での「咫」の字の使用例を全例検索
史記9件、漢書12件、三国志3件、後漢書13件 の、全37件
うち、咫尺    で使われているのが23件  
   尺有咫   で使われているのが 7件
   八寸曰咫  で使われているのが 6件

「咫尺」は三国志の「未能進咫尺之地」(未だ咫尺の地を進むに能わず)のように、「一咫あるいは一尺程度のわずかな(距離)」程度の意味で、慣用句的に使われている

「尺有咫」は、矢の長さなどを表すのに用いられ、史記では「矢長尺有咫」(矢の長さ、尺あまり咫(=18寸))のような使われ方になる

「八寸曰咫」は、「咫」の長さの説明、つまり 咫=八寸

ここまでで、全37件中36件
残りの1件は「咫尺」の説明中に使われているもので、漢書の「咫尺者,言其簡牘或長咫,或長尺、喩輕率也。」
咫尺は「あるいは長さが咫あるいは長さが尺」を簡単に言うもので、軽率の喩えなり
というものだ

要するに「咫」は、
「尺とあまり変わらないわずかな長さ」 咫尺という熟語として使う
「具体的な八寸という長さ」      長さの単位として使う
という二つの意味での使い方しかない
そして、円形のものの周囲を測るために使われている用例は「一つもない」

咫を丸いものを計る単位に使った例は、邪馬台国前後にはない
咫を使っていたとされる周代を記録した大陸史書は史記しかないが、もちろん、史記にも咫を丸いものを計る単位に使った例はない

これによって、「咫は、円周率を3.2で近似するための便利な単位」という平原出土鏡を「八咫鏡」に『する』ための戯れ言は、完全に否定されたね

つまり、平原出土鏡は「八咫鏡」ではない

369日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:02:45.29
平原1号墓出土鏡を、円周が八咫だから、八咫の鏡という人がいるが、
咫=8寸という長さの単位ではあっても、史記から後漢書の範囲で
咫を長さを表すのに使っている例は、石砮や矢の長さで「尺有咫」という慣用句的な
決まった表現で18寸を表す場合だけで、基本的には「咫尺」で「わずかな長さ」を
比喩的に表す熟語でしか使わない

平原1号墓が卑弥呼の頃であることを想定するならば、その時代に「咫」で
具体的な長さを測ることはない

したがって、平原1号墓出土鏡が円周が八咫であると認識されることもないし
八咫鏡と呼ばれることも、考えられることもない

しかも、破鏡供献されているので、千年以上後になって、発掘され復元されるまで
その間、その周囲の長さが知られることもない
この鏡が八咫鏡の語源となることもない

つまり、どうやっても平原1号墓出土鏡は八咫鏡とは無縁の鏡である

370日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:04:46.32
邪馬台国の時代を含む大陸史書の全例検索をしても、
「咫」が長さの単位として使われている例が、事実上ない
「尺有咫」という決まり文句中で使われる例はあるが、
そのたびに「八寸曰咫」という注が付き、当時、既に「咫」が
実用される長さの単位ではなかったことが分かる

その状態で、「何かを測った」「何を測ってもいい」と主張すること自体が
意味を持たないんだよ

371日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:05:06.11
大きい鏡という意味の普通名詞ではない、と考える限り
八咫鏡の「本物」は誰が何と言おうと、伊勢の神宮の御神体の鏡だ

そして、その八咫鏡は見てはいけない鏡なので、実見記録はないがその入れ物については実見記録がある

八咫鏡は遷宮の際に、御桶代に入れた上で御船代に載せて、移動するが
「そのオケの大きさが平原の鏡と一致する」と主張する伊都国説の人がいる

しかし、神宮遷宮記文永三年御遷宮沙汰文には、その桶の中に 「黄金の樋代」があり、その大きさは高一尺七寸八分、口径一尺、 蓋口径九寸であると記録されているそうだ

また、明治期の国学者で「日本書紀通釈」を書いた飯田武郷氏も、明治四年の遷宮行事のとき、神体の容器を見た実見記録を残しており、
神鏡は舟形の「御舟代(みふねしろ)」の中に「御桶代(みおけしろ)」があって、 その中の「黄金鑵」のなかに納入されており、黄金鑵の高さは一尺三寸、円の直径は九寸としている。

この黄金鑵が、文永三年御遷宮沙汰文の「黄金の樋代」と同じものだろう

どちらも、口径9寸とあるから、平原1号墓の内向花文鏡は入らないな
八咫鏡は大鏡ではあるだろうが、直径2尺はない

八咫厨のいう「オケ」は、「黄金鑵」の外側の御桶代のことだろう
まあ、聞きかじりだと、いい加減なことを考えるってことだな

本物の伊勢の八咫鏡と、平原1号墓出土鏡は大きさが異なることが明らかであり、
その意味で平原遺跡出土の大型内行花文鏡は記紀において八咫鏡と呼ばれる鏡ではない

372日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:06:15.36
>八咫鏡は一尺六寸三分(49センチほど)と記載がある。

それ、八咫鏡の大きさじゃなくて、御樋代の大きさだよ
八咫鏡そのものは誰も見てはいけないから、大きさも測った人はいない

この御樋代の大きさから、八咫鏡の大きさを想定している人が多いけれど、
その中にさらに黄金鑵があって、八咫鏡はその中に入っている
黄金鑵の内径が9寸という話

平原出土鏡は入らないでしょ?

『皇太神宮儀式帳』は、遷宮のときに新しく用意する御道具が記載されていて
黄金鑵は遷宮のたびに作ったりしないから、載っていない

原本引用しておくから確認してみて
『皇太神宮儀式帳』
https://edb.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/h248/image/01/h248s0016.html

御樋代一具 深一尺四寸 内八寸三分 
      径2尺   内一尺六寸三分

『延喜式』は電子テキストで参照できる
『延喜式』4(伊勢大神宮)・造備雑物条〔24〕
http://21coe.kokugakuin.ac.jp/db/jinja/000008.html

樋代一具。正宮料。高二尺一寸。深一尺四寸。内径一尺六寸三分。外径二尺。

373日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:07:01.65
そもそもウィキペディアの「八咫鏡」のページの
説文解字の解釈が大間違いだからな

咫、中婦人手長八寸謂之咫、周尺也
(咫、ふつうの婦人の手の長さ八寸で、これを咫という、「周を計る尺度」なり)

「周を計る尺度」が誤訳もいいとこ
「周(の時代)の尺である」が正しいのは、説文解字の注釈まで
ちゃんと読めば確認できる

このウィキペディアの記載は、既に修正されているけれど

374日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:17:07.76
本物の威信財、伊勢神宮の八咫鏡とは大きさが合わないってのも
既に論証済み

伊勢神宮の八咫鏡を入れるオケの大きさに一致するとか言ってたやつがいるけれど
神宮遷宮記文永三年御遷宮沙汰文には、その桶の中に
「黄金の樋代」があり、その大きさは高一尺七寸八分、口径一尺、
蓋口径九寸であると記録されているそうだ

また、明治期の国学者で「日本書紀通釈」を書いた飯田武郷氏も、
明治四年の遷宮行事のとき、神体の容器を見た実見記録を残しており、
神鏡は舟形の「御舟代(みふねしろ)」の中に「御桶代(みおけしろ)」があって、
その中の「黄金鑵」のなかに納入されており、黄金鑵の高さは一尺三寸、
円の直径は九寸としている。

この黄金鑵が、文永三年御遷宮沙汰文の「黄金の樋代」と同じものだろう

どちらも、口径9寸とあるから、平原1号墓の内向花文鏡は入らないな
八咫鏡は大鏡ではあるだろうが、直径2尺はない

八咫厨のいう「オケ」は、「黄金鑵」の外側の御桶代のことだろう
まあ、聞きかじりだと、いい加減なことを考えるってことだな

375日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:19:30.15
説文解字の「咫」は、清代の注釈 清代 段玉裁《說文解字注》を載せていて、
それに拠ると以下のとおり

周尺也。
通典引白虎通曰。夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
 按奄字未詳。疑是手之誤字。
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。

376日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:37:12.91
周尺也。  
周尺である

通典引白虎通曰。
「通典」の引用する「白虎通」に曰く

夏法日。日數十也。日無不照。尺所度無不極。故以十寸爲尺。
夏王朝の法は「日」で、太陽の数が10なので、10寸を尺とした

殷法十二月。言一歲之中無所不成。故以十二寸爲尺。
殷王朝の法は「十二月」で、1年が十二月なので、12寸を尺とした

周據地而生。地者、陰也。以婦人爲法。婦人大率奄八寸。故以八寸爲尺。
周王朝は地によりて生じた、地は陰であり、それで婦人を法とした
婦人の奄を広げると八寸になるので、八寸を尺とした

 按奄字未詳。疑是手之誤字。
 奄の字はよく分からない、手の誤字ではないかと疑う

377日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:44:02.03
上文曰十寸爲尺。此及夫字下云周制八寸爲尺。
ここまで述べてきた文で見るように、尺は十寸である 
ここに及び、その字、これより下では、周制(周の制度)では、八寸を尺としたという話だ

別周制之異乎古也。王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
周代の制度でも古い時代とは異なる別の制度があった
王制(礼記の一篇)によれば、いにしえには周尺の八尺を歩としていた
今は、周尺の六尺四寸が歩である

鄭注曰。周尺之數未之詳聞。案禮制。周猶以十寸爲尺。
鄭注では、周尺の数(長さ、寸の数)はいまだに詳しいことははっきりしない
礼制の(記述)から考えて、周(の制度で)も、なお十寸で尺としていたようだ(と鄭注に書いてある)

 葢六國時多變亂法度。或言周尺八寸。以步㪅爲八。八八六十四寸。
 考えてみるに、春秋戦国時代には、変乱法度が多かった。
 あるいは周尺は八寸と言う
 歩を以ってさらに八をなす(歩はさらに八尺である)
 ハッパ六十四である(今以周尺六尺四寸爲步と一致する)

378日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:50:47.08
鄭意八寸爲尺。周末始有之。與許說異。然許亦曰諸侯力政。
鄭注の(鄭玄の、としてもよいが)意味するところは、八寸で尺と為すということだ
周末にこれ(一尺八寸)が始まった
異なる説も当然成り立ちうる
そうではあっても、またいうことには、
諸侯(六国の王)が(王制、礼制ではない)力政を行っている

分爲七國。田𤲮異畮。車涂異軌。律令異法。則其說亦未嘗不合也。
(周朝が衰え、天下が)分かれて(秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙の)七国を為す
田のうねは畮を異にする
農作物の植え方、農地の区画の仕方が、国ごとに異なる様子をいう
車の涂(みち)は軌を異にす
涂は、途(みち)の意味 軌は車輪の幅 交通手段、車の規格が国ごとに異なる様子をいう
律令は法を異にす
律令も、国ごとに異なる法令を使っていた
律令の法が国ごとに異なるということは、公定尺の長さも異なることになる
則ちその説くところ、また、未だ嘗て合わざらずなり
結局は周代の尺が10寸と8寸の両方あって説くところが合わないという話になる

379日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:53:14.20
左傳。天威不違顏咫尺。咫尺並言。不云二尺也。
佐伝 天子の威光、咫尺に顔を違らざる
咫尺を並べていう 二尺とは言わざるなり(咫と尺は同じ長さ(=八尺)ではない)

左伝には、「天(子の)威(徳)、(龍)顔を違らざること咫尺」と書いてある
左伝は、左氏春秋伝のこと 左丘明の作と伝えられる「春秋」の注釈書

咫尺を並べて言うということは、区別があるということ
だから、二尺とは言わない

この部分全体が、説文解字の「咫」の「周尺也」の注な訳だが
「周尺=咫」ではないことが分かる

380日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:58:36.49
國語、列子皆言其長尺有咫。亦不言其長二尺也。是可證周未嘗八寸爲尺矣。
国語(春秋外伝)では、列子皆その長さを「尺有咫」という
またその長さを二尺とは言わざるなり
これ、周はいまだかつて八寸を尺と為さざる証というべきや

「国語」でも、「列子」でも、みんな、その長さ「尺有咫」という使い方をしている

『国語』は、21巻から成る国別の春秋時代史で、
『春秋左氏伝』の著者とされる魯の左丘明の編纂といわれている
『列子』は春秋戦国時代の人、列禦寇の著書とされる道家の文献

国語には「石砮其長尺有咫」、列子には「其劍長尺有咫」という表現がある

(天威咫尺で二尺と言わなかったように)また、二尺とは言っていない
「左伝」でも「国語」でも「列子」でも、
咫と尺を並べて使っていても、二尺とはしていない

こうしたことは、周の時代にいまだかつて八寸を尺と
したことはないという証と見てよいだろう

咫と尺はあくまで区別されている

381日本@名無史さん2018/07/18(水) 15:59:34.71
《王制》 出自《礼记》是指古代君主治理天下的规章制度,
内容涉及封国、职官、爵禄、祭祀、葬丧、刑罚、建立成邑、选拨官吏以及学校教育等方面的制度。

禮制,漢語詞彙,漢語拼音為lǐ zhì,
是コ治夢想的具體化,指的是通過禮儀定式與禮制規範塑造人們的行為與思想;
通過法律的懲罰維護禮法的絕對權威。

據史實而論,西周王朝的禮制和官制顯然受先周禮制文明的影響,尤其.
對夏、商二代之禮制及官制有其沿襲的軌跡。
究其遠源,姬周王朝官制與禮制之形. 成,實際上應追溯到堯舜時代。

鄭注
後漢の鄭玄(じょうげん)による経書の注釈

382日本@名無史さん2018/07/18(水) 16:00:03.20
纏向遺跡と出雲、吉備の間は、双方向の土器の移動が確認できる
吉備甕は、北部九州から畿内まで出土している

北部九州の土器は、畿内ではあまり出ないが、北部九州では畿内様式土器が
畿内第V様式から順に、畿内の土器形式の変遷に合わせて出土している
この部分については、ソースをつけておくから確認してくれ
「古墳出現前後における畿内型甕形土器の西方拡散に関する研究」佐々木憲一(2010)
明治大学人文科学研究所紀要 第66冊 (2010年3月31日)251−312
https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/10881/1/jinbunkagakukiyo_66_251.pdf

383日本@名無史さん2018/07/18(水) 17:21:01.23
>>382
>纏向遺跡と出雲、吉備の間は、双方向の土器の移動が確認できる
>吉備甕は、北部九州から畿内まで出土している

それは当然の現象。 倭国(阿波)を発った忌部一族が各地で「東阿波型土器」の製法を広めたからね。


>北部九州の土器は、畿内ではあまり出ないが、北部九州では畿内様式土器が
>畿内第V様式から順に、畿内の土器形式の変遷に合わせて出土している

それも当然の現象。 倭国(阿波)を発った忌部一族が各地で「東阿波型土器」の製法を広めたからね。
佐々木憲一氏も考古学者なら知ってる筈。 @阿波  

384日本@名無史さん2018/07/18(水) 17:46:01.37
地域別人口の超長期的推移
http://www2.ttcn.ne.jp/
honkawa/7240.html  
地域別人口規模の順位の変遷
http://www2.ttcn.ne.jp/
honkawa/7242.html  
鬼頭宏(2000)「人口から読む日本の歴史 (講談社学術文庫)」
「弥生時代から奈良・平安初期にかけて
 畿内、畿内周辺、山陽、山陰、四国の5地域が揃ってシェアを拡大し、
 そのうち畿内周辺は全国1になっている。この5地域は平安前期には、
 やはり揃って地位を低下させている。
 ある時期、これら地域がひとつのまとまりとして他地域を凌駕する人口扶養力を
 養えたことが日本の古代国家の成立の背景となったと捉えることができる。」

385日本@名無史さん2018/07/18(水) 17:46:19.89
奈文研の遺跡データベースで検索した時のヒット数のことだろ?
でも、そのデータベースの説明で
「データベースの情報源は大きく 3 つに分けることができる。
 1 遺跡地図
 2 遺跡地名表
 3 発掘調査報告書(報告書抄録)
 遺跡地図は都道府県教育委員会、市町村教育委員会が発行する遺跡に関する包括的な情報源として
 最も大切なものである。『地域によって精度、更新頻度が異なり、近接自治体との情報格差が存在』する。
 地図が付加されていて位置情報の取得も可能な資料である。」

と書いてある

『地域によって精度、更新頻度が異なり、近接自治体との情報格差が存在』
九州説はこのデータベースのヒット数で、福岡県の方が多いと「言える」と
思っているようだけれど、そんなことはないんだよ

386日本@名無史さん2018/07/18(水) 17:46:54.37
実際に検索してみると
0. [遺跡データベース] 482701件
1. [3001など複合条件] 15436件 「弥生時代の集落遺跡」
2. [福岡県] 1703件
3. [調査 (除外検索)] 723件   「調査を除外」
福岡県の「弥生時代集落」のデータのうち、980件が調査報告の件数で遺跡数ではない

0. [遺跡データベース] 482701件
1. [3001など複合条件] 15436件
2. [奈良県] 229件
3. [調査 (除外検索)] 47件
奈良県だと、「弥生時代集落」のデータのうち、182件が調査報告の件数で遺跡数ではない

また、奈良県だと唐子鍵遺跡で1件としている
182075 個別 29363 唐古・鍵遺跡 奈良県磯城郡田原本町大字唐古および鍵

それに対して、糸島の三雲遺跡群は5件のデータとして、データベースに登録している
341072 地区 40230 三雲・井原遺跡 456-1・458-1番地 福岡県糸島市三雲456-1/458-1
403731 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷471・482-1地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷471・482-1
403728 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷478-1ほか地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷478-1・479-1・537-2
403729 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷480-1地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷480-1
403725 地区 40230 三雲・井原遺跡 井の川529-2地区 福岡県糸島市三雲字井の川529-2

結局、何を以って遺跡数とするかは、その地方自治体の考え方次第ってことで、
奈文件のデータベースは、それをそのまま記載しているってことだ

これで、福岡の方が奈良より遺跡が多いとか、言ってもしょうがないだろ?

387日本@名無史さん2018/07/18(水) 17:47:56.56
福岡県の弥生墳墓遺跡だと
調査を除いて757件がヒットするけど、そのうち
「204件」が宮若市沼口字汐井掛の汐井掛遺跡で
「汐井掛第90号木棺墓」とかの個別の墓一つ一つが数えられてる

一つの遺跡の中の、遺構・遺物を一つ一つ登録してるんだから
そりゃぁ、数が多くなるのが当然だわ

388日本@名無史さん2018/07/18(水) 17:48:30.04
ごめん、三雲遺跡群、もっとたくさんあった
三雲・井原遺跡で地区登録が15件 その他個別登録で9件
合わせて24件だった

341072 地区 40230 三雲・井原遺跡 456-1・458-1番地 福岡県糸島市三雲456-1/458-1
403739 地区 40230 三雲・井原遺跡 ヤリミゾ2582・2583地区 福岡県糸島市三雲字ヤリミゾ2582・2583
403734 地区 40230 三雲・井原遺跡 ヤリミゾ428・429地区 福岡県糸島市三雲字ヤリミゾ428・429
403738 地区 40230 三雲・井原遺跡 ヤリミゾ434地区 福岡県糸島市三雲字ヤリミゾ434
403726 地区 40230 三雲・井原遺跡 下西526-1地区 福岡県糸島市三雲字下西526-1
403727 地区 40230 三雲・井原遺跡 下西533地区 福岡県糸島市三雲字下西533
403733 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷426地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷426
403731 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷471・482-1地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷471・482-1
403728 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷478-1ほか地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷478-1・479-1・537-2
403727 地区 40230 三雲・井原遺跡 下西533地区 福岡県糸島市三雲字下西533
403733 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷426地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷426
403731 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷471・482-1地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷471・482-1
403728 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷478-1ほか地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷478-1・479-1・537-2
403729 地区 40230 三雲・井原遺跡 中川屋敷480-1地区 福岡県糸島市三雲字中川屋敷480-1
403725 地区 40230 三雲・井原遺跡 井の川529-2地区 福岡県糸島市三雲字井の川529-2

389日本@名無史さん2018/07/18(水) 17:48:48.26
153426 個別 40230 三雲・加賀石支石墓 福岡県糸島市三雲加賀石 333236.3 1301440.0
348190 個別 40230 三雲井ノ川遺跡 福岡県糸島市三雲
153421 個別 40230 三雲原際所在7-729墳墓(仮称) 福岡県糸島市三雲原際 333223.5 1301400.3
153432 個別 40230 三雲原際所在7-740墳墓(仮称) 福岡県糸島市三雲原際
153430 個別 40230 三雲屋敷所在墳墓(仮称) 福岡県糸島市三雲屋敷
153431 個別 40230 三雲所在墳墓(仮称) 福岡県糸島市三雲
153428 個別 40230 三雲柿木所在7-736包含地(仮称) 福岡県糸島市三雲柿木
153429 個別 40230 三雲柿木所在7-737包含地(仮称) 福岡県糸島市三雲柿木
445195 個別 40230 三雲郡所在包含地(仮称) 福岡県糸島市三雲郡

390日本@名無史さん2018/07/18(水) 17:49:54.57
唐子鍵遺跡 1件と三雲遺跡群24件を比べて、福岡県が24倍って言ってもしょうがないだろ?

391日本@名無史さん2018/07/18(水) 17:50:35.63
例えば、桃の種2000個が見つかったのは、祭祀土坑のあとで、供献土器も同時に出ている
3世紀当時の直接的な祭祀・宗教行事の直接的な考古学的遺構としては、ほぼ唯一の発掘成果だ

纒向遺跡の一番の重要性は、前方後円墳祭祀が統合・完成された、宗教的な中心都市だった点にある

箸中山古墳に先行する纒向型前方後円墳時代の纒向古墳群の時点で当時の列島最大の墳丘墓であり、
埋葬部分、墳墓そのものが最重要の遺跡なんだよ

392日本@名無史さん2018/07/18(水) 17:51:01.77
魏志倭人伝には
卑彌呼以死大作冢徑百餘歩
と書かれている
つまり、倭国は王が死んだら大きな冢を作る国だ、と書いてある訳だ

大きな墓を作らない地域は倭王の所在地としては除外してよい

そして卑弥呼の墓の候補は、その当時の最大の墓がまず第1候補となる
纒向石塚古墳から箸中山古墳まで累代的に築造されたと考えられている纒向古墳群の
5つの墳墓はいずれも列島最大であり、編年によってそのうちのどれに当たるかは前後しても
纒向古墳群のいずれかが卑弥呼の墓の第1候補となることには変わりがない

編年が今後より古い方にスライドすれば、箸中山古墳が卑弥呼の墓の確率が高くなる

393日本@名無史さん2018/07/18(水) 17:56:21.43
>>391
>纒向遺跡の一番の重要性は、前方後円墳祭祀が統合・完成された、宗教的な中心都市だった点にある

人が暮らした痕跡がない以上、とても「都市」とは言えない。  
古墳造成前線基地だろうね。  @阿波

394日本@名無史さん2018/07/18(水) 18:03:30.64
>つまり、倭国は王が死んだら大きな冢を作る国だ、と書いてある訳だ

誤訳です

395日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:21:08.16
剣、勾玉、鏡のセットは大王家の独占物じゃないよ
普通の豪族の古墳でも出ている
山口の赤妻古墳とかね

畿内では大王墓は発掘できないand/or盗掘済みで、出てないってだけだよ

396日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:21:29.95
山梨県の笛吹市平林2号墳でも揃ってるね
自分でもちょっとググってごらんよ
普通の特に目立たない古墳でも、結構揃いで出てるよ

つまり、日本の大王家(皇統)は、倭国・日本の総本家であって、
絶対者としての支配者ではなく、葬送祭祀の副葬品も一般の首長層と共有してるってことだ

平原1号墓を、副葬品だけで王墓と主張するのはピント外れなんだよ

そもそも伊都国に邪馬台国を持ってきたら、邪馬台国七万餘戸も満たせないし
平原1号墓も径百歩に合わない

本当に無理な屁理屈、アクロバティック解釈を重ねないと通らない説は、
正しくないと判断するのが当然

397日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:21:56.16
「歩」は文字の成り立ちからいっても複歩

https://f.jigen.net/img/fn/k/1/70/27497o1.png
#1歩(あゆ)む。足をふみ出してゆく。
#2歩(ある)く。歩行する。
#3止は左足の足あと、𣥂は右足のあしあと。左右の足あとを連ねて歩行の意とする。武は半歩、歩は六尺、合わせて「歩武堂々」のようにいう。足を地に接して歩くことは、その地の地霊に接する方法で、重要な儀礼に赴くときには歩するのが常法であった。(字通)
#4右の足+左の足。左と右の足をふみ出すことを示す。(漢字源)
https://jigen.net/kanji/27497

説文解字
步,行也。从止𣥂相背。凡步之屬皆从步。
行くなり、止と𣥂の相背に従ふ、凡そ步の屬は皆な步に従ふ。

398日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:22:12.91
実際の大陸の度量衡でもすべて複歩の長さ

長さとしての歩は、古代中国の周代に制定された。
右足を踏み出し、次に左足を踏み出した時の、起点から踏み出した左足までの長さ
(現代日本語でいう「2歩」)を「1歩」とする身体尺

周歩=約 1.35 m
秦漢歩=約 1.38 m(始皇帝の度量衡の統一)
魏晋歩=約 1.45 m
隋歩=約 1.77 m
唐歩=約 1.56 m(1歩=6尺から1歩=5尺に変更)

399日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:22:48.52
伊能忠敬の歩測では、複歩で約138センチで秦漢代の一歩とほぼ等しい
単歩で69センチだな
現代では、歩測は複歩で150センチになるように調節する訓練をするそうだ
この場合は単歩で75センチ
ソースも付けておこうか
http://www5a.biglobe.ne.jp/kaempfer/kodomo/taiken/hosoku/hosoku.htm

さらに、年齢別の単歩の集計結果も見つけたので、貼っておく
男性は、15歳から49歳の範囲で、70センチを超えてるよ
https://pt-matsu.com/wp/wp-content/uploads/2017/11/a94943a9de0a8cbd0c25e72e0ba1dd7b-1.png

400日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:28:05.95
「歩」はもともとは「步」
https://jigen.net/kanji/27493

下の部分は
https://jigen.net/kanji/145730
で、「少」とは別の文字で、音読みはタツ
「止」の反字
「少」は、小さい点の象形

401日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:30:53.66
順番としては
これhttp://f.jigen.net/img/fn/k/1/70/27497o1.png
楷書化したのがhttp://www.zdic.net/z/92/js/23957.htm
字体が整えられて「步」になる
これが「歩」の旧字
下の「𣥂」が、当用漢字音訓表にないから、「少」で代用して
「歩」の字形にしたんだよ

最初からずっと「足跡二つ分=複歩」が、大陸の「歩」

402日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:31:34.90
篆書の頃の漢字がどんなものかまったく考えていない
歩という字が、その成り立ちからずっと一貫して複歩なのに、
それを認めると自説が最初から嘘だったとバレるから必死でごまかし続けているww

象形文字の歩
http://f.jigen.net/img/fn/k/1/70/27497o1.png
篆書の頃の歩
http://pic.zdic.net/xz/swpic/6B65_3107.png
异体字の歩
http://pic.zdic.net/kai/jt/20/92/23957.gif
旧字
「步」
今の楷書体
「歩」

今の楷書体でいきなり漢字ができるはずがないし、
楷書体になったときに初めて漢字の意味が作られるはずもない

403日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:33:29.12
日本書紀には、皇統と無縁の八咫鏡の例が挙げてある

日本書紀 巻第十四
大泊瀬幼武天皇 雄略天皇

別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、使倭子連連、未詳何姓人奉「八咫鏡」於大伴大連而祈請曰「僕、不堪共紀卿奉事天朝。故、請留住角國。」是以、大連爲奏於天皇使留居于角國。
是、角臣等初居角國而名角臣、自此始也。

小鹿火宿禰も大伴大連も皇族でも皇統でもないだろ?
その間で、詫び証文的に送られているのが「八咫鏡」と呼ばれている
これは三種の神器とは無関係

つまり、普通名詞としての「八咫鏡」だよ

404日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:33:46.07
また、皇統と無関係の「八尺瓊勾玉」も日本書紀に出てくる

日本書紀 巻第六
活目入彥五十狹茅天皇 垂仁天皇

昔丹波國桑田村有人、名曰甕襲。則甕襲家有犬、名曰足往。
是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有「八尺瓊勾玉」。
因以獻之。是玉今有石上~宮也。

もともとは、「八咫鏡」も「八尺瓊勾玉」も普通名詞として、
三種の神器以外にも使われていたことが分かる

405日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:34:16.35
日本書紀の雄略紀には、
「遣身狹村主・檜隈民使博コ、使於吳國。」と、遣呉使の記録はある
遣宋使の記録はないけれどね

宋は南北朝時代の南朝の王朝なので、大雑把には呉の地域だ

雄略天皇の前代あたりで、日本書紀の暦が元嘉暦から儀鳳暦に変わるため、
允恭天皇以前の儀鳳暦部分は書紀編纂時に計算されたものと考えられ、
その部分のもとの記録が春秋年(二倍年暦)だったのでは、と想定する人も多い

そのため、雄略天皇以前の対応は見出しにくくなるが、大陸との往来が仁徳〜安康紀にも
記されており、倭の五王が大和朝廷の大王であることは、定説となっている

406日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:34:52.24
和歌山の日前神宮・國懸神宮のご神体は、日像鏡と日矛鏡で、
八咫鏡の前に作った試作品の鏡とされている
こういう八咫鏡に連なる鏡が、近畿にある
http://livedoor.blogimg.jp/myacyouen-hitorigoto/imgs/4/8/48c9c1d9-s.jpg

そして、>>881
>伊勢の八咫の鏡の箱を入れるオケの大きさが平原の鏡と一致するんだよね。

などと書いているが、神宮遷宮記文永三年御遷宮沙汰文には、その桶の中に
「黄金の樋代」があり、その大きさは高一尺七寸八分、口径一尺、
蓋口径九寸であると記録されているそうだ

また、明治期の国学者で「日本書紀通釈」を書いた飯田武郷氏も、
明治四年の遷宮行事のとき、神体の容器を見た実見記録を残しており、
神鏡は舟形の「御舟代(みふねしろ)」の中に「御桶代(みおけしろ)」があって、
その中の「黄金鑵」のなかに納入されており、黄金鑵の高さは一尺三寸、
円の直径は九寸としている。

この黄金鑵が、文永三年御遷宮沙汰文の「黄金の樋代」と同じものだろう

どちらも、口径9寸とあるから、平原1号墓の内向花文鏡は入らないな
八咫鏡は大鏡ではあるだろうが、直径2尺はない

八咫厨のいう「オケ」は、「黄金鑵」の外側の御桶代のことだろう
まあ、聞きかじりだと、いい加減なことを考えるってことだな

407日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:35:39.56
>時代とかが違う遺跡が含まれているから、たまたま三雲地区にあるというだけで、別々に数えることは不適切ではない。

>>525
「また、奈良県だと唐子鍵遺跡で1件としている
 182075 個別 29363 唐古・鍵遺跡 奈良県磯城郡田原本町大字唐古および鍵 」
って書いてあるだろ?
唐子・鍵遺跡は、唐子と鍵にまたがる大遺跡で、かつ、弥生時代前期から古墳時代に至るまで
拠点集落として存続した、異なる時代の遺物もてんこ盛りに出る遺跡だけれど、

奈良県の(というか田原本町のかな?)の、データベースへの登録方針だと「1件」になる

唐子鍵遺跡と、三雲遺跡群では、唐子鍵の方が遺跡の範囲、存続期間ともに長いけれど、
それが、24倍の件数の差で登録されている

データベースの検索件数で福岡が多いっていうのは意味がないだろ?

408日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:36:55.36
>>394
「魏志倭人伝には
 卑彌呼以死大作冢徑百餘歩
 と書かれている
 つまり、倭国は王が死んだら大きな冢を作る国だ、と書いてある訳だ 」

これが、後の古墳時代につながる様相をそのまま記したものなのは、異論ないだろ?
大きな古墳を作れないところは、無視してOKだよ

409日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:37:17.51
吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル
出雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え四方に5〜9mの平坦部
てなサイズがある

纏向型前方後円墳は、弥生墳丘墓に入れる立場だけれど、
纒向石塚古墳で全長96メートル、
東田大塚古墳で墳丘長120メートルある

平原1号墓の墳丘サイズ14×12メートルというのは王墓だとしても、有力国の王墓としては、どうしても見劣りする

伊都国でも古墳時代に入って三雲遺跡群に作られる端山古墳は全長78.5メートルあるし
三雲南小路遺跡の墳丘サイズが周りの周溝で30メートル四方くらい
須玖岡本遺跡D地点墳丘墓も同程度のサイズ
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓でも南北約40m、東西約27mの長方形に近い形態、という大きさがある

平原遺跡の案内看板の解説文では、1号墓の墳丘サイズは長さ約13メートル幅8メートルの方形周溝墓

410日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:37:39.93
耳璫・耳飾りとされている「背紺色透明なガラス連玉」の2000年の報告での分析結果
「平原遺跡出土ガラスの保存科学研究」(肥塚隆保 奈良文化財研究所 年報 2000)
https://repository.nabunken.go.jp/dspace/bitstream/11177/2668/1/AN00181387_2000_%E2%85%A0_32_33.pdf

これによると、
「本試料を顕微鏡観察したところ、重層ガラスであることが明らかになった。」
「孔に平行する断面を観察したところ二層構造を有し、孔に近い内側は大小多量の気泡を含むガラス層、
 その外側には気泡をほとんど含まないガラス層で形成していた。」
「このような構造を成すガラスは、古墳時代の遺跡から発見されている、いわゆる「金層」ガラスである。
 金層ガラスの多くは金層を含むものは少なく、内側孔に近い部分には、気泡が多量に含まれるガラスを使用して、
 その外層には褐色透明なガラスが用いられており、構造や材質に多くの共通点があり、加工法も同様であると考えられた。」

これを素直に読むと、このガラス連玉は古墳時代に位置づけるのが、相応ということになる
またその成分は
「本試料の材質は、基礎ガラス材としてはソーダ石灰ガラス(Na20-CaO-SiO2 system)で、
 これにコバルトイオンによって着色したものと考えられた( 表2) 。
 しかし、 MnO含有量の多い青紺色ソーダ石灰ガラスが、弥生時代の遺跡から出土したのは初めてで、その多くは古墳時代の後期に見つかっているもの」
とあり、この耳飾りだけに頼って編年するのであれば、編年は埋葬主体の出土物で最も新しいものに合わせるという原則に従って、平原1号墓はかなり新しく古墳時代後期でもおかしくないことになる

古墳時代後期というのは、例えば藤ノ木古墳から金層ガラスが出ている

現在のところ、平原1号墓の編年は出土鏡が国産であてにならないため、周溝から出た土器の編年に頼っている
1号墓の周溝からは弥生後期前半と終末期の土器片が出土、2号墓南側から庄内併行期と思われる土器の破片が出土しており、1号墓と2号墓が周溝を共有しているため、同時代の築造と考えられている
で、現在は、この庄内平行期の土器の破片が平原1号墓の編年の理由になっているのだが、これと金層ガラスの関係をどう考えるかによって、編年が変わることになる

411日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:37:54.97
平原1号墓の編年で、もうひとつ考えなければならないのが、周溝の土坑墓である
原田大六氏はこの土壙墓を殉死者の墓と考えておられたそうだが、現在では土壙墓は周溝が埋没した後に造られたものと考えられている
周溝の土壙墓からは鉄鏃・鉄鉇(ヤリガンナ)・鉄刀子・ノミ状鉄器が出土している
この土坑墓遺物の編年は、弥生時代終末(200年〜250年前後)で問題ないので、先の2号墓周溝からの庄内併行期の土器片と時代が一致する
となると、本体である1号墓と土坑墓では「周溝が埋没」するほどの時間差があるので、1号墓の編年は弥生時代終末よりもかなり古くしなければならない

耳飾りからはより新しく想定され、土坑墓遺物からはより古いほうが妥当性がある
肝心の副葬品は国産鏡で編年のあてにならない

平原一号墓はもう少し、検討が必要だと思う

412日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:39:07.57
歩は、本来身体の大きさで決まる身体尺だから、大きく変わることはできない

そして、径百歩を報告したと思われる張政は塞曹掾史=掌辺塞之職
国境の要塞の職を司る政治職員。掾史=副官
ということで、軍政、補給や兵站に関わる魏の役人

そういう立場の人が、魏の度量衡の体系から離れた『歩』で記録したと考えるのは、
ある意味常軌を逸している

そもそも東夷伝里などというものは、一部の九州説の人の心の中にしかない
それに合わせた「東夷歩」を想定しても、無意味

そして、27メートルでも、平原1号墓はその半分以下
どうやっても、平原1号墓は卑弥呼の墓にはならないし、
平原1号墓を除けば、北部九州に3世紀の王墓候補すらない状況になる

413日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:40:06.72
もともと、日本の皇室、大王、天皇は、日本の豪族の総本家という位置づけで、
三種の神器の組合せは、広く豪族の古墳の副葬品として共有されているし、
日本書紀にも皇統とは無関係な「八咫鏡」「八尺瓊勾玉」の記事がある
>>404>>405を参照

平原1号墓の内向花文鏡を皇室の神鏡の起源だという方が、よほど貶める意図を感じる
皇室の神鏡は破壊されて埋められたものの同類と言っていることになるからな

414日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:42:45.29
日本の神話というのも朝鮮人(日本という国は無かった頃の話?)の話でしょ、
どういうことだと思う

415日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:43:06.46
日本では、確実な殉葬が確認できた墳墓は一つもない

ちゃんとした学会で検討された内容ではないけれど、
吉武高木遺跡や吉野ヶ里遺跡で見られる庶民の集団墓である甕棺墓列を見て
殉葬墓とかんちがいした可能性がある

あるいは、弥生時代のある時期までは、方形周溝墓にしても特定家族墓にしても、
一つの墓域、墳丘に、順次追葬しているので、それを殉葬とみなした可能性もある
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓には、14の埋葬主体がある

そういう記録が光武帝への朝貢や、帥升等の朝貢の時の記録として残っていて、
倭王の墓なら当然殉葬者があるはず、と考えられたんじゃないか、
くらいまでしかいえない

考古学的状況としては、確実な大規模殉葬例は、日本にはない
それが現実

416日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:44:27.99
魏志倭人伝
(末慮国から) 東南陸行五百里、到伊都國
現実
千々賀遺跡   北東30キロ   三雲遺跡群
        1里=60メートル
魏志倭人伝
(伊都国から) 東南百里    至奴國  ちょっと語順入れ替え
現実
三雲遺跡群   東北東18キロ  比恵・那珂遺跡群
        1里=180メートル

方角も、距離もメタメタじゃないか?
現実に合っていないよ?

3倍違うものが、一つの単位だというのは通らない
誤差とは認められないだろ

417日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:45:27.21
話を作ったり(ねつ造。偽造。)するなという意味、
日本起源のモノなんて何も無いんだよ

418日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:50:47.07
>>408
「大作冢」
大きな冢じゃないよ、誤訳です

419日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:54:20.05
『ねつ造』

日本のマスメディアなどの話をすると、
ほとんど犯罪者、犯罪関係者

よく恥ずかしくもなく、
テレビ(メディア)などに出られるな

420日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:55:34.15
帯方郡(ソウル)ー狗邪韓国(プサン)660km/7000里=94m/1里
狗邪韓国(プサン)ー対馬国     100km/1000里=100m/1里
対馬国ー一大国(壱岐)       70km/1000里=70m/1里
一大国(壱岐)ー末廬国(唐津)    50km/1000里=50m/1里
末廬国(唐津)ー伊都国(糸島)    25km/500里=50m/1里
伊都国(糸島)ー奴国(福岡市)   20km/100里=200m/1里
奴国(福岡市)ー不弥国(宇美)   10km/100里=100m/1里

統計では、違う立場の数字を一緒にしてはいけないので、海路のデータ3つ(100,70,50)倭国に上陸したあとの陸路のデータ3つ(50,200,100)のn=3の二つのデータセットで、有意水準95%の区間推定を行うと、
海路 平均73m 分散633m
陸路 平均117m 分散5833m で
自由度2のt-値の5%点が4.303なので、
海路は 73.3(10.8〜135.8)ただし( )内は95%信頼区間
陸路は 116.7(-73.1〜306.4)ただし( )内は95%信頼区間
となります。単位はmです。
この範囲に、あなたの言う短里の値が入る確率が95%という意味です。

11から136mとか、-73〜306mとか、「意味のある数値」だと思いますか?

これが正しい統計のやり方です。nが小さくて、ばらつきが大きいデータでは、いかに統計処理をしても信頼性のある数値は出ないんですよ。

421日本@名無史さん2018/07/18(水) 19:59:53.93
まず、第一に、漢魏尺の度量衡に「咫」は入っていない
周代には「咫」は、女性の手を広げた大きさ(おそらく親指から人差し指まで)という
身体尺があった
しかし、周朝の権威が衰え、各地の諸侯が自立した春秋・戦国時代に、各国が
勝手に分国法を使うようになり、度量衡もばらばらになって長さの定義もごちゃごちゃになった

それを、秦の始皇帝が改めて、度量衡を統一した
その時点で計量単位としての「咫」は使われなくなっているし、度量衡に組み込まれていない

前漢の紀元前91年成立の史記の時点で伝承の中で「尺有咫」と
使われているのを除くと、「咫」は「咫尺」という熟語以外では
使われなくなっている

そして、円周を測ることに「咫」が使われている例は、一例もない
円周を計るのに便利な単位だから「咫」が使われたというのは、まったく根拠がない

422日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:03:01.34
三種の神器の組合せは、そこらの古墳の副葬品として普通に見られる
 事実 山口県の赤妻古墳、山梨県の笛吹市平林2号墳 など

八咫鏡という名称は、皇統のレガリア以外の大鏡にも普通名詞として使われている
 事実 雄略紀「別小鹿火宿禰、從紀小弓宿禰喪來、時獨留角國、
        使倭子連連、未詳何姓人奉「八咫鏡」於大伴大連而祈請」
 おまけ 皇統と無関係の「八尺瓊勾玉」も日本書紀にある
    垂仁紀「是犬、咋山獸名牟士那而殺之、則獸腹有「八尺瓊勾玉」」

本物の「八咫鏡」である伊勢の御神鏡は、面径が漢尺の二尺ではない
 これは推測
 八咫鏡を入れる入れ物の実見記録として口径九寸の黄金鑵が記載されている
 その外側の御樋代は内径が一尺六寸三分で、49センチで
 面径46.5センチの鏡を入れるにはぎりぎりすぎるのも状況証拠といえる

つまり、面径二尺と主張することは、皇統のレガリアとのつながりにおいて意味がないし
三種の神器の組合せも「倭王の墓」を意味しない
そして、「八咫鏡」という名称も、皇統の皇位の証をそのままで意味するものではない

その上で、円形の鏡の周囲を「計ったら」というのが、
可能性すらほぼない恣意的すぎる「仮定」だし、
漢尺の体系にない「咫」を、「漢尺の八寸」として計算するのもご都合主義

結局は「だったらいいな」の結論ありきの数合わせなんだよ

423日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:03:53.90
周歩が身体尺で、135センチ程度とされている

清代の注釈 清代 段玉裁《說文解字注》から引用すると
王制曰。古者以周尺八尺爲步。今以周尺六尺四寸爲步。
となっていて、
周代でも古い時代は、周尺の八尺を歩としてたが、
今は周尺の六尺四分を歩としている
と書かれている

これで、歩=135センチから換算すると
八尺=歩=135センチなら 一尺=16.9センチ
六尺四分=135センチなら 一尺=21.1センチ

どちらにしても、漢尺の23センチとは異なるし、
咫が周尺である以上、平原1号墓出土鏡は、面径二尺にはならない
したがって、円周も八咫にはならないんだよ

九州説のいう「咫」の長さが異なっていたってことだ
この数値から計算すると、咫=16.9センチ
八咫=135センチで、平原1号墓の146センチとは合わない
146センチは、「8.63咫」だね

都合のいい数字を恣意的に持ってくるのでなければ、こんなものだよ

424日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:05:09.60
何度も何度も書くけれど、半径が一尺、あるいは二尺ちょうどじゃないと
使い道がない単位が、単位として成立する余地はないっての

それに、円周長が最初の定義だったら、何をさておき
「円周長を咫で示した例」が多数あるはずだが、
「一例たりともない」

この、不整合を説明できない限り、
「咫の最初の定義は円周長」という主張の「説得力はゼロ」だよ

425日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:06:44.58
例えば、壱岐国の原の辻遺跡でも、畿内第V様式の影響受けた土器が出ているし、
縄文時代から広域の交流・流通があったんだよ
https://www.city.iki.nagasaki.jp/material/files/group/27/1222c2c16dd1ab975c162c72c821f1b4.pdf

四隅突出型墳丘墓の範囲も広域だし、大型銅鐸の出る範囲も広域だよ
古来そういう広域交流の中で、倭人の領域=倭国がまとまりを持って存在している

九州説の連中だけ、倭国を小さくしたがるのは何なんだ?

426日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:07:56.50
同じ言語を使うとか、同じものを食べるとか、そういったことが民族・倭人としてのまとまり
国としてのまとまりは、首長層の卓越から王の台頭を経て、国になっていく

九州説のいう「九州のみの倭国」は、列島内の他国の情報が大陸に伝わらないことが必要条件だから
交易・交流も否定しないと通用しない

3世紀当時、北部九州より、吉備、出雲、丹波、大和の方が、王権の発達が進んでいて、
より強い王(地域首長)が存在している

その状態で、各地からの交易で各地の人が北部九州にも来ていたら、北部九州の首長が
倭国王と認められるのは無理だよ

427日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:09:47.31
>東の海の先にも倭人がいると書いてあり

九州説はいつもこうやってごまかすよな?
原文は「女王國東渡海千餘里、復有國。皆倭種。」

渡海「千余里」だよ
どんなにがんばっても、これを本州に当てるのは無理な話

漢書地理志に見える魏略逸文では
「倭在帯方東南大海中 依山島爲國 度海千里復有國 皆倭種」と冒頭の文に続けて
「度海千里復有国」とあり、千里渡ったところにも倭種に国がある、というだけの文になっている
千里渡って倭人の国がある、というのは、
半島から対馬、壱岐と千里渡ったところの島も倭種の国、というのを表していると見て矛盾がない

428日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:11:21.20
だいたい、咫が漢尺の八寸って言ってる連中が、短里だの東夷伝里だのを主張するのが噴飯もの

漢尺の長さが正確に伝わっていて、既に使われなくなっている咫が周尺の八寸であることも
知っていて、それなのに6尺が歩、300歩が里っていうのが伝わっていないと主張できるのが
本当にご都合主義

さらに記録するのが魏の建忠校尉梯儁、塞曹掾史張政なんだから、魏晋里を知らない訳がないし
魏晋里以外で記録する理由がない

429日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:13:51.75
後漢書の「自女王國南四千餘里至朱儒國人長三四尺自朱儒
東南行舩一年至裸國黒齒國使驛所傳極於此矣」の「極」は
淮南子: 時則訓 の「東方之極」の「極」なんだよ
「使驛所傳、極於此矣」は
「使譯の傳うる所、此に於いて極まる。」
要するに、情報が伝わってきた(得られた)ところはここが限界=「極」ってこと

東の世界の端を南に行ったところに「黒歯國」があって、
南の世界の端を西へ行くところに「裸国」があるからね
淮南子:墬形訓
自西南至東南方,結胸民、羽民、歡頭國民、「裸國民」、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、鑿齒民、三頭民、修臂民;
自東南至東北方,有大人國、君子國、「黒齒民」、玄股民、毛民、勞民;

430日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:14:12.73
記紀では伊都國は村扱い(在筑紫國之伊斗村也:仲哀記)で、
國造すら置かれていないような地域
國造ではなく県主レベル(筑紫伊覩縣主祖五十迹手:神功紀)

431日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:14:33.29
端山古墳 墳丘長78.5メートル周濠を含むと全長は約99メートル
築山古墳 墳丘長60メートル周濠を含むと全長は約105メートル

>大きい古墳だから住民の多いところには
>作れないという話をしてるのだが?

畿内の大古墳と比べたらちゃちいものだが、
かなりの面積をつぶさないと作れないだろ?
住居いくつ分になるかな?
でも、伊都國中枢に作ってある

これらが、伊都國王家筋の墳墓
これと比べても平原1号墓はしょぼい
そんなのを卑弥呼の墓と言い張るのが惨めにならないんだからすごいよな

432日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:14:57.13
吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル
雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え
四方に5〜9mの平坦部、てなサイズがある

オレは纏向型前方後円墳は、弥生墳丘墓に入れる立場だけれど、
纒向石塚古墳で全長96メートル、東田大塚古墳で墳丘長120メートルある

これ全部、弥生時代だよな?

北部九州は、地方王権の伸張に乗り遅れた地域なんだよ
そんなところに倭王がいる訳ないだろ?

433日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:15:20.32
九州説の頭の悪いところは、萬二千里が「女王国までの距離」であって
「邪馬台国までの距離じゃない」ことを理解していないこと

魏志倭人伝「自郡至女王國萬二千餘里」
魏略   「自帯方至女國万二千余里」
後漢書  「樂浪郡徼去其國萬二千里」
梁書   「去帶方萬二千餘里」
隋書   「古云去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里」
旧唐書  「去京師一萬四千里」
新唐書  「去京師萬四千里」

邪馬台国までと書いてあるのは一つもないし、かなりざっくりした表現なのが分かる
ざっくりしているのは実測値ではなく、淮南子時則訓からの観念的な値だからというのも
何度も教えている

漢文が読めなくて、原文を確認していないから、延々と頭の悪い書き込みを
続けている訳だ

隋書で「『古云』去樂浪郡境及帯方郡並一萬二千里」という書き方になっている
『昔はこう云っていた』というのは、「今は違うことが分かっているけど」ということを
意味している

隋書では、裴世清の記録でこの萬二千里が間違っていることが把握されたから、
『古云』が付いている訳だ

この萬二千里に全てを託している九州説は、萬二千里に意味がないことが
明らかになった時点で無理なんだよ

434日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:15:47.98
 魏志倭人伝で、九州に上陸してすぐ
 末廬國から伊都国を、本当は「北東」なのに、「東南」陸行って間違ってるね
 魏志倭人伝では狗奴国は「南」なのに、後漢書では「東」度海千餘里至拘奴國になってるね
 どちらかは間違いだね
 隋書では、対馬から壱岐が「東」に間違ってるね

 旧唐書でも
 「皋遂命巡官崔佐時至牟尋所都陽苴?城,南去太和城十餘里,
  東北至成都二千四百里,東至安南如至成都,通水陸行」
 とあって、内容を確認すると
 陽苴?城は現在の大理白族自治州大理市で、そこから東北に2400里で成都、
 「東」に水行陸行を通して成都に至る如し(同じくらいの距離)で安南(ハノイ)に至る 
 となっているけれど
 実際には成都から安南は「東南」

 大陸の史書に、方角が間違っている例は、こんなにあるんだけどさ
 どうしてだろうね?
 探せばまだまだいくらでもあると思うよ
 大陸の正史は、国外のことには無頓着だからね

435日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:16:21.43
魏志倭人伝の旅程記事に混乱があるのは確かだ
1.淮南子の世界の東の果てまで萬二千里という概念
2.漢委奴國王、倭国王帥升等の朝献の時の北部九州までの「里」程
3.卑弥呼の遣使の時の邪馬台国までの「日」程
これらが、陳寿の手元にあって、これを総合して旅程を書いたのだろう
また、2.の時の里程には別の目的地(倭面土国)行きが紛れている可能性が
高いし、魏志倭人伝の旅程と実際の邪馬台国までの経路は一致しない可能性が高い

旅程記事は、中国の研究者の読み方でも、放射読みも最後の邪馬台国までの日程を
総距離と見るのも、漢文の文法からいって明らかな誤読

北部九州=邪馬台国というのは、誤読の上に成り立っているだけで、普通に
漢文として読めば、伊都国、奴国と邪馬台国が別であるのは誰が読んでも明らか

この時点で、伊都国にある平原1号墓が卑弥呼の墓というのは、ありえない

436日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:16:45.09
<萬二千里の変遷>
淮南子:碣石山→東方之極
後漢書:楽浪郡→倭
魏志: 帯方郡→倭

要は中国の国境から辺境まで「萬二千里」と観念距離を置いているわけ
中国の範囲が拡大していっても「萬二千里」は変わらない

437日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:17:03.77
黒齒國は山海經にも出てくる伝説上の国だし、裸國も淮南子に出てくる世界の端の国

淮南子:墬形訓
自西南至東南方,結胸民、羽民、歡頭國民、「裸國民」、三苗民、交股民、不死民、穿胸民、反舌民、豕喙民、鑿齒民、三頭民、修臂民;
自東南至東北方,有大人國、君子國、「?齒民」、玄股民、毛民、勞民;

そして、前にも挙げた淮南子:時則訓を再掲すると
東方之極,自碣石山過朝鮮,貫大人之國,東至日出之次,木之地,青土樹木之野,太?、句芒之所司者,萬二千里。

魏志倭人伝の世界観では、
淮南子:墬形訓の大人國、時則訓の大人之國を倭國に当てているように見える
だからこそ「倭」國なのかもしれない
墬形訓の自「東南」至東北方だから、倭國は倭人在帶方「東南」大海之中だし、
時則訓の世界の端だから「萬二千里」
そして東の端を南へ下っていくと「?齒民」がいて、
墬形訓の自西南至東南方の段落にある「裸國民」はさらに遠くの扱いになる

こうして見ると、魏使の報告書になかった部分は、
淮南子を参照して書いているのは明らかだな

438日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:18:45.64
地の果てまでが萬二千里というのは、>>436で淮南子の数字を出しているが、
その前の山海経の世界観では「夏王朝が治めた九州」が方三千里で、
その外側の蛮夷の住む四海を含めた世界全体が、東西二万八千里、南北二万六千里としている
漢土の外は、東西それぞれ万二千五百里(28,000-3,000/2)、
南北は万千五百里(26,000-3,000/2)となるので、
これが萬二千余里の基礎になっているように見える

また、漢土は秦・漢の統一を経て、方万里に拡大されている
ちなみに、この漢土方万里という観念が、万里の長城の「万里」の元

これを整理したのが、淮南子の時則訓
五位,
東方之極,自碣石山過朝鮮,貫大人之國,東至日出之次,木之地,青土樹木之野,太r、句芒之所司者,萬二千里。(中略)
南方之極,自北戶孫之外,貫顓頊之國,南至委火炎風之野,赤帝、祝融之所司者,萬二千里。(中略)
中央之極,自昆侖東絕兩恒山,日月之所道,江漢之所出,眾民之野,五穀之所宜,龍門、河、濟相貫,以息壤堙洪水之州,東至碣石,
黃帝、後土之所司者,萬二千里。(中略)
西方之極,自昆侖絕流沙、沈羽,西至三危之國,石城金室,飲氣之民,不死之野,少r、蓐收之所司者,萬二千里。(中略)
北方之極,自九澤窮夏晦之極,北至令正之穀,有凍寒積冰、雪雹霜霰、漂潤群水之野,顓頊、玄冥之所司者,萬二千里。

五行説との対応で、東西南北+中央之極が、それぞれ萬二千里とされている

439日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:20:25.15
弥生終末期にあたる卑弥呼の時代と古墳時代は、「古墳を作るかどうか」以外は
何も違いがない、連続した一続きの時代だ

大きな混乱の痕跡もなく、広い範囲で一斉に古墳を作り始める
この「古墳を作る範囲」が、そのまま「倭国の範囲」

九州説が主張する北部九州も、古墳時代初期から畿内大古墳の2分の1、
3分の1サイズで相似形の古墳を作り始める

その倭国の中心を求めるという命題に答えればいいだけだ

440日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:21:06.80
三角縁神獣鏡の全量を下賜鏡だと主張している人は一人もいない

逆に、魏との交渉を記念したものであるのは明白で、
それを記念する必要があるのは、魏との交渉をした当事者以外にはあり得ない

大陸からは三角縁神獣鏡は1枚も出ていないと言う人も多いが、
「三角縁」の「神獣画像」鏡は複数出ている

魏からの下賜鏡そのものは、発掘できない天皇陵治定の大王墓クラスの
副葬品だろう

441日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:22:04.76
500枚もあるんだから、仿世鏡が大部分なのは当たり前だろう

そして、魏から親魏倭王に除せられたのが九州王朝なら、
「なぜその記念鏡を作ったのが『九州王朝ではない』のか?」

一番簡単な答えは、九州王朝なんていうものはなくて、
親魏倭王に除せられた卑弥呼も九州にいた王ではない、ってことだ

これが一番シンプルで分かりやすい

442日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:22:48.67
>>427
誤訳です

443日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:23:33.69
実測不可能なところは、「つじつま合わせの作った数字」なんだよ
そして、萬二千里は、邪馬台国までではなく「女王国」まで

そして、魏志倭人伝の旅程は、後漢代の古い記録と魏使の報告による新しい記録を
ごちゃ混ぜにまとめてある
そこにさらに、世界の端まで萬二千里という淮南子にも書かれている中華世界の世界観と
倭国は儋耳朱崖の近くの南の国という思い込みを混ぜ込んで魏志倭人伝は書かれている

おそらく後漢代の帥升等の朝貢時で既に万里の彼方からの朝貢とされて、
対馬海峡を渡るまでが一萬里になるように数字が作られていて、
そこに末慮国−伊都国間ではない東南陸行五百里が付けられて、
計算が合わなくなって水行と陸行が日数表示になったまであってもおかしくない

まあ、北部九州から千三百里で魏晋里で畿内まで届くので特に問題はないと言えばないけれど

444日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:24:35.37
三国志は書かれた当初は私撰史書
陳寿は役人だけれど、公務で三国志を撰述した訳ではない

正史と認定されたのは、唐代になってから

というか、王朝としての編纂事業として、正史を作るようになったのが
唐朝以降なんだけれど

445日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:35:49.23
>>431
>これらが、伊都國王家筋の墳墓

伊都国王家なんてものを捏造するなよ。
伊都にいたのは倭国王家だよ。
平原遺跡の後で伊都が寂れるのは、倭国の王宮が筑紫の中で移動するからだろ。

446日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:36:07.17
>>444
陳寿の死後に晋朝に公認されてるよ

447日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:36:39.12
>>427
>千里渡って倭人の国がある、というのは、
>半島から対馬、壱岐と千里渡ったところの島も倭種の国、というのを表していると見て矛盾がない

千里渡って倭人の国がある、というのは、
倭国(阿波)から紀伊水道を千里渡ったところの倭種の国、というのを表していると見て矛盾がない  @阿波

448日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:37:22.74
>>390
>唐子鍵遺跡 1件と三雲遺跡群24件を比べて、福岡県が24倍って言ってもしょうがないだろ?

福岡の遺跡は質でも量でも奈良をはるかに凌駕しているよ。

449日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:40:21.85
>>448
>福岡の遺跡は質でも量でも奈良をはるかに凌駕しているよ。

倭国(阿波)の遺跡は量では負けるが、質では福岡をはるかに凌駕しているよ。  @阿波

450日本@名無史さん2018/07/18(水) 20:59:13.10
>>448
>福岡の遺跡は質でも量でも奈良をはるかに凌駕しているよ。

それを言うときの典拠としてたのは
「奈文研の遺跡データベースで検索した時のヒット数」だろ?

それの数は、自治体の件数の登録の仕方だからあてにならないって話

451日本@名無史さん2018/07/18(水) 21:00:43.12
>>446
>陳寿の死後に晋朝に公認されてるよ

それが正史を意味しないんだよ
そして、実際ほぼ散逸状態で、まともな写本、伝本がほとんどない状態だった

まあ、魏略よりは残ってた、という言い方もできるけどね

452日本@名無史さん2018/07/18(水) 21:02:27.56
>>450
どうでもよい遺跡の数を比べても意味ないでしょ。  @阿波

453日本@名無史さん2018/07/18(水) 21:10:27.99
>>451
正史とは言ってない
でも私文書でもなくなったのよ
晋朝が公的に写本を作らせてるからね

454日本@名無史さん2018/07/18(水) 21:35:02.17
>>453
>晋朝が公的に写本を作らせてるからね

つまり、晋朝の祖である司馬懿の功績を誇っているから誉められたと
そのための誇張が萬二千余里だよね
誇張であって、短里とか東夷伝里ではない

そして、正史ではないから、晋朝がつぶれると省みられなくなり、ほとんど写本も
伝えられなかった、と

455日本@名無史さん2018/07/18(水) 21:43:25.24
晋代写本は出土してるよ
http://www.xjishi.com/sfzl/read-13-2277-1.html

456日本@名無史さん2018/07/18(水) 21:55:16.56
三角縁がすべて下賜鏡だと主張してる研究者はいるぞ

最近はかつての舶載鏡とボウ製鏡の区分は成り立ち難いとする論調が強まってる

つまり全三角縁中国鏡説

457日本@名無史さん2018/07/18(水) 21:56:56.28
三角が呉産の銅・鉛を使ってるのは確定済み

458日本@名無史さん2018/07/18(水) 22:06:27.74
>>457
中国鏡と同じ成分銅だとは聞いたことがあるが
呉の領域のものだとか特定されてるのか?

459日本@名無史さん2018/07/18(水) 22:06:38.08
>>457
中国鏡と同じ成分の銅だとは聞いたことがあるが
呉の領域のものだとか特定されてるのか?

460日本@名無史さん2018/07/18(水) 22:22:37.62
>>459
馬淵久夫論文

461日本@名無史さん2018/07/18(水) 22:30:17.58
魏の領域に銅山がない。
特に呉にその銅山が奪われてからは魏の鏡は鉄鏡なのだ。

462日本@名無史さん2018/07/18(水) 22:57:25.99
徐州は曹操による虐殺以降、ずっと曹操→魏の勢力圏

463日本@名無史さん2018/07/18(水) 23:02:52.16
徐州産じゃなかったよ

464日本@名無史さん2018/07/18(水) 23:11:52.65
つまり魏鏡説で何も問題がない

465日本@名無史さん2018/07/18(水) 23:13:24.44
wiki
229年、孫権は皇帝に即位して元号を黄龍と改め、建業に遷都した。蜀漢では、原則論として孫権の即位を認めるべきではないから
同盟を破棄すべきとの意見が続出したが、諸葛亮の説得で孫権の即位を認め、改めて対等同盟を結んだ。また、魏を打ち破った後
のその支配区分として、徐州、豫州、幽州、青州は呉が、并州、涼州、冀州、?州は蜀漢が支配するものとし、司隸は函谷関を境
界線として、東は呉、西は蜀漢が占める取り決めをかわした。

466日本@名無史さん2018/07/18(水) 23:16:48.14

間違えた

467日本@名無史さん2018/07/18(水) 23:33:31.21
後漢時、徐州の治所は?(今の山東省?城)にあり、曹魏時は彭城(今の江蘇小徐州)に移った。
しかし、今の徐州一帯は、古より銅を産しない。
http://blog.livedoor.jp/shimajyo2/archives/2545234.html

468日本@名無史さん2018/07/19(木) 05:44:17.36
徐州で銅は出てないんだ

469日本@名無史さん2018/07/19(木) 12:36:34.09
>>455
>晋代写本は出土してるよ

出土ってことは、正しく伝世しなかったってことじゃないの?
存在していたことと、それを伝える意思があったというのは別

470日本@名無史さん2018/07/19(木) 12:47:41.47
伝世したから写本が伝わってるんでしょ

471日本@名無史さん2018/07/19(木) 14:08:13.98
その写本が、数少なくて、いろいろと怪しい
邪馬「壹」國とか

晋代写本は、晋代で写本(維持・保存)が止まってるから晋代写本なんだろ?

472日本@名無史さん2018/07/19(木) 14:42:59.61
何が言いたいんだろ
みんなそんなもんだろうに

473日本@名無史さん2018/07/19(木) 20:30:29.76
さん‐し【三史】

中国古代の三つの史書。史記・漢書(かんじょ)・後漢書をいう。
後漢書の代わりに東観漢記を当てることもある。

三国志は、後漢書よりも成立が早いのに、三史には入れてもらえない

三国志(魏志倭人伝を含む)は、そこまで出来のいい史書という訳ではないことを
念頭において読まないとってこと

474日本@名無史さん2018/07/19(木) 23:15:59.61
中国に「三史」という定義はない。
『続日本紀』巻30の神護景雲3年(769年)10月10日の条に称徳天皇が「府庫は但だ五経を蓄えるのみ、
未だ三史(『史記』・『漢書』・『後漢書』)の正本有らず。渉猟の人、其の道広からず。伏して乞うらくは、
列代諸史、各一本を給わりて管内に伝習し、以て学業を興さん」という大宰府の請に応じて『史記』『漢書』
『後漢書』を下賜している。これらの史書が日本国内に普及する過程を示す一例にすぎない。

475日本@名無史さん2018/07/20(金) 06:56:58.00
>>474
>中国に「三史」という定義はない。

定義とか、そういう話じゃないんだよw

476日本@名無史さん2018/07/20(金) 08:06:57.59
アタマ悪い奴

477日本@名無史さん2018/07/21(土) 07:34:55.84
2016/10/17
【歴史】「巨大な墳墓、年号が入った中国鏡は畿内でしか見つかっていない」 ネット介し「邪馬台国」論争、吉野ケ里と奈良つなぎ★2©2ch.net
https://da●ily.2ch.net/test/read.cgi/newsp●lus/1476694009/
2018/05/14
【考古学】奈良の纏向(まきむく)遺跡の”桃の種” 年代は卑弥呼の時代と重なる 邪馬台国研究の新資料[05/14]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1526302961/49

邪馬台国畿内説 Part362
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1531681507/

478日本@名無史さん2018/07/21(土) 07:35:20.12
2011/07/26
【滋賀】「邪馬台国は守山にあった!」とする近江説を盛り上げる動き…銅鐸出土で
http://ra●icho.2ch.net/test/read.cgi/newsp●lus/1311670443/

2016/10/17
【歴史】国内最大級の大型建物跡と鍛冶工房を発見 滋賀県彦根市の稲部遺跡 [無断転載禁止]©2ch.net
https://da●ily.5ch.net/test/read.cgi/newsp●lus/1476695491/
【考古学】大型建物や鍜冶工房群発見=邪馬台国時代、国内有数規模−滋賀 [無断転載禁止]©2ch.net
https://potato.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1476706449/6-9,14,15,19,20
http://log●soku.com/r/scienceplus/1476706449/6-9,14,15,19,20
【歴史バトル】大型建物や鍜冶工房群発見=邪馬台国時代、国内有数規模―滋賀 [無断転載禁止]©2ch.net
https://da●ily.5ch.net/test/read.cgi/newsp●lus/1476700742/171,322,324,346,373,374,677-679,790,815
http://log●soku.com/r/newsplus/1476700742/171,322,324,346,373,374,677-679,791,816
2016/10/21
【歴史】鉄工房、権力の象徴? 滋賀・稲部遺跡、邪馬台国時代に光…交通の要所、発展か©2ch.net
https://da●ily.5ch.net/test/read.cgi/newsp●lus/1477053967/31

邪馬台国近江説◇論争に終止符!
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1290130003/

479日本@名無史さん2018/07/21(土) 07:35:40.08
★★ 邪馬台国は【葛城】である【5】 ★★
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1524110756/
邪馬台国は畿内だけど卑弥呼は九州説
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1522166750/
考古学者が明かす邪馬台国畿内説破綻の本当の理由
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1529629401/

480日本@名無史さん2018/07/21(土) 07:36:02.78
2018/02/18
【考古学】古墳時代のすずり出土 福岡市の比恵遺跡群 「邪馬台国時代に奴国で文字使用」★2
https://as●ahi.2ch.net/test/read.cgi/newsp●lus/1518948076/
2018/03/20
【古墳】「卑弥呼の墓では」巨大な前方後円墳?謎の丘陵 日本最大に迫る全長450メートル [福岡県][03/20]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1521543101/913

邪馬台国は九州にあった78
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1518149184/
(みやま市)邪馬台国九州説(筑紫筑後糸島)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1529648088/
邪馬台国北部九州説の雑談用(伊都が首都だっちゃ)
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1529596870/

481日本@名無史さん2018/07/21(土) 07:36:27.92
2016/10/06
【歴史】在野精神が大胆な考察生む「邪馬台国は熊本にあった!“魏志倭人伝”後世改ざん説で見える邪馬台国」
https://da●ily.2ch.net/test/read.cgi/newsp●lus/1475697932/

邪馬台国は九州南部くさい [転載禁止](c)2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1422237907/
もうあきらめろよ邪馬台国は西都原 [無断転載禁止]©2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1486869070/

邪馬台国は北緯32度付近の宮崎にあった
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1331559630/540-545

482日本@名無史さん2018/07/21(土) 07:37:01.36
邪馬台国四国説 part1 [無断転載禁止]©2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1458389654/
ーー邪馬台国山形説 part5ーー [転載禁止]©2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1448706215/

邪馬台国の場所がわかった。。
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1530616236/

♪邪馬台国ドンと来い!♪138
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1529860126/261-265

483日本@名無史さん2018/07/21(土) 07:55:29.20
邪馬台国安芸国説 [転載禁止](c)2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1442796406/

484日本@名無史さん2018/07/21(土) 07:55:46.57
漢委奴国王印 いわゆる金印
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1338710507/
奴国は何処に存在したと推測しますか?
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1353375194/
倭奴国と邪馬台国の栄枯盛衰物語 について
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1374810770/
倭奴国はあっても倭の奴国なんてなかった説
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1523713956/

【久野】狗奴国は「クノ国」の事である【久能】 [無断転載禁止]©2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1496178758/
【衝撃真実】狗奴国は富士王朝なり!Part1
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1530348549/


邪馬台の全解決
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1519012050/
もう邪馬台国板でも作れよ [無断転載禁止]©2ch.net
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1452333944/

485日本@名無史さん2018/07/21(土) 07:56:00.55
>>477
邪馬台国畿内説 Part363
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1532107694/


>>480
邪馬壹國は北部九州に在った(王都は伊都国)part13
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1525790222/

伊都国東遷スレ 8
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1531742186/

486日本@名無史さん2018/07/23(月) 22:04:05.26
だいぶ畿内説への背乗りスレは整理できてきただろ?

487日本@名無史さん2018/07/26(木) 10:23:30.86

488日本@名無史さん2018/07/26(木) 11:28:14.45
勝手に仕切るなよ。

489日本@名無史さん2018/07/30(月) 17:57:41.16
>>487
そのスレ全部、もう終わってるww

490日本@名無史さん2018/07/31(火) 18:21:47.98

491日本@名無史さん2018/07/31(火) 18:23:56.64

492日本@名無史さん2018/08/01(水) 15:29:13.85
吉備の楯築墳丘墓は二つの方形突出部を入れて墳丘長72メートル
雲の西谷9号墓は四隅突出墓でその突出部まで入れるとおよそ60×50メートル
丹波の赤坂今井墳丘墓は東西36m、南北39m、高さ3.5mの墳丘部に加え、四方に5〜9mの平坦部、てなサイズがある

纏向型前方後円墳は、弥生墳丘墓に入れる立場だけれど、
纒向石塚古墳で全長96メートル、東田大塚古墳で墳丘長120メートルある

北部九州でも、
須玖岡本遺跡D地点王墓や三雲南小路遺跡王墓は、30メートル四方程度の墳丘があるし
吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓も南北約40メートル、東西約27メートルの大きさがある

493日本@名無史さん2018/08/01(水) 15:29:31.77
捏造、改竄、詭弁で正しいと言い張っても無意味

・短里とかいう架空の単位を捏造
・1里あたりの距離は区間によってバラバラであるにもかかわらず、短里とやらがすべてに当てはまると強弁
・末慮国から伊都国への方角違いを呼子を起点にして正しいとする意味不明な詭弁
・末慮国から伊都国への距離も末慮国の入り口から伊都国の入り口までの距離だという珍解釈
(そんな珍解釈をすると往路と復路で距離が異なってしまう矛盾があることに気づかない低脳ぶり)
・国の中に別の国があるという二重帳簿詐欺
・陸行一月を陸行一日に改竄

494日本@名無史さん2018/08/01(水) 15:29:57.89
~鏡座事
一面者。從月天顯現之明鏡。
 圓形座。三光天衆五飛龍守護~五座。是天鏡尊之鑄造白銅寶鏡也。
 月天所作三面之内也。
崇祭止由氣宮是也。

大田命曰久。崇~天皇御宇止由氣皇太~天降坐弖。天照皇太~與一處雙坐。
于時從天上御隨身之寶鏡是也。~代天御中主~所授白銅鏡也。
是國常立尊所化~天鏡尊。月殿居所鑄造之鏡也。三才三面之内。一面是也。
今二面者。天鏡尊子天萬尊傳持給是。次沫蕩尊。次伊弉諾伊弉冉傳持給天。
~賀吉詞白賜弖。日~月~所化乃眞經津鏡是也。天地開闢之明鏡也。
三才所顯之寶鏡也。當受之以清浄。面求之以~心。視之以無相無位。
因以爲~明之正躰也。今崇祭一面荒祭宮御靈。一面多賀宮御靈坐。
已上三面辭竟奉支。

一面者。八百萬~等以石凝姥~奉鑄寶鏡是也。是則崇祭伊勢太~宮也
 一名日像八咫鏡是也。八咫。古語八頭也。八頭花崎八葉形也。故名八咫也。
 中䑓圓鏡形座也。圓外日天八座。
一面者。日前宮座也。石凝姥~鑄造鏡也。初度所鑄不合諸~意。紀伊國日前~是也。
已上。~代寶鏡是也。

495日本@名無史さん2018/08/07(火) 13:36:26.05
このスレも、存在意義ないよな

496日本@名無史さん2018/08/07(火) 13:41:10.11
九州説と同じだよ

497日本@名無史さん2018/08/07(火) 19:29:17.85
かなりの長命スレになってるけど、要するに人がいないし議論もないってことだよな

498日本@名無史さん2018/08/20(月) 19:26:58.20
東京から北海道までの最短距離だと 640キロ弱
玄関口の函館までだと       680キロ弱
中心都市(道都)の札幌までだと  830キロ
最遠の稚内だと          1100キロ
道央の真ん中辺までで       900キロ

東京から北海道までの距離は、640キロから1100キロまでの幅がある
これを100キロ単位の丸めた数字で表現すると

東京から北海道まで900キロくらい となる
起点・東京より、北海道に至るに900余粁

自郡至女王國萬二千餘里
自東京至北海道九百餘粁

499日本@名無史さん2018/08/24(金) 09:40:54.23
・柳田康雄「九州弥生文化の研究2002」
(糸島地域p178)
「二世紀前半ともいわれている平原遺跡は、その年代に科学的な根拠は全くない。瑪瑙や琥珀の玉類
は別にしても、四二面のうち最も多い方格規矩鏡の中に、方格内の銘や小乳もなく、八像も簡略化さ
れ、玄武が釣針状の蛇だけになったものがある。このように簡略化された方格規矩鏡は三世紀代に下
がるものと思われ、鏡からでも三世紀前半まで下げて考えなければならない。周溝から鉢形の土器が
出土しているが公表されていない。」

500日本@名無史さん2018/08/24(金) 09:41:23.11
・柳田康雄「弥生時代王権論」2013
(p317)
「拙稿のように32面の方格規矩四神鏡を含めて38面の製造技術が164年(『延喜七年』銘獣首鏡)以後、
 235年(「青龍三年」)銘方格規矩四神鏡)以前に見られる鋳造・研磨技術である」

501日本@名無史さん2018/08/24(金) 09:41:39.92
・柳田康雄「九州弥生文化の研究2002」
(糸島地域p178)
>>>「二世紀前半ともいわれている平原遺跡は、その年代に科学的な根拠は全くない。

502日本@名無史さん2018/08/24(金) 09:42:18.91
土器は、p199
私も当初は「三・四世紀の土器と鏡」という論文で、
周溝から古式土師器と共存する土器(西新式土器)が出土していることから
古墳前期としたことがある。
ところが出土品や図面が整理されていくなかで、
この土器は周溝が埋没した後に掘り込まれた土壙墓に伴なうことが判明してからは、
「平原墳墓の意味」や「平原王墓の性格」などの論考で、鏡を初めとした副葬品の比較検討から
導いた弥生時代終末説を貫いている。

503日本@名無史さん2018/08/24(金) 09:42:39.01
p208
今回の出土銅鏡の研究から、平原王墓の年代が後漢末に対応する紀元二〇〇年頃であること
が認められるとすれば、卑弥呼の墓である根拠は当然のことながら否定される

504日本@名無史さん2018/08/24(金) 09:43:07.77
久住は、平原1号を
埋葬主体と鉄鏃等から古墳時代に近いTA期の築造と考える

TA期は、誰か貼ってくれてた編年
https://textream-cimg.west.edge.storage-yahoo.jp/d9/8e/1835208-bcygobf9qoc0aha4ac9a5a4ada4jbfmbd8a4dea4la1aa/2478/d6e9b572b1637a39973843c36b6cc5cd.png



柳田と同じ200年頃まで

505日本@名無史さん2018/08/26(日) 18:47:02.37
・邪馬台国の発音に近い地名
 ⇒ ヤマト国そのもの

・戸数7万戸
 ⇒ 大和+河内〜環大阪湾の畿内第V様式土器が共通で出る範囲
   戸数7万は実数ではないだろうが、福岡平野2万戸(奴国)、
   四隅突出墓の範囲5万戸(投馬国、出雲)との比較で妥当な数字といえる

・30近くの国々の盟主
 ⇒ 纏向遺跡で出土する、広範囲で多様な各地の土器の集積 
   広い範囲からの人が集まっている証拠  
 ⇒ 前方後円墳の定型化が、纏向遺跡で進められている
   それを古墳時代に列島の広い範囲で共通に受け入れていることから、
   この墓制の共通化を主導した盟主と認められる

・宮室、楼観、城柵
 ⇒ 纏向遺跡の辻地区居館域の建物群
   それまでの弥生時代の建築にはない複数建物の計画的な配置が確認できる
 ⇒ 唐子鍵遺跡から、楼閣を記した線刻土器が多数出土している

・卑弥呼の墓径百歩
 ⇒ 纏向古墳群は、最初期の纏向型前方後円墳の纏向石塚古墳で墳丘長96メートル
   それ以後、ずっと列島最大の墳丘墓が作られ続け、いずれでも径百歩の墓として見劣りしない
   どれが卑弥呼の墓かは編年次第で変動するため特定できないが、
   いずれにしても纏向古墳群に卑弥呼の墓がある蓋然性が極めて高い

・徇葬百人
 ⇒ 日本列島で大規模殉葬の確認例はない
   家族墓である方形周溝墓への追葬を殉葬と誤認した=倭国には殉葬の風習があると
   誤解した可能性がある

畿内大和説では、殉葬以外はきちんと説明できるんだが?

506日本@名無史さん2018/08/26(日) 18:48:06.58
そもそも九州説のいう項目は、邪馬台国と関係ない倭人一般、
倭国一般の風習風土であって、ある意味どうでもいい

そして邪馬台国固有の記述は、都合が悪いから無視する
・邪馬台国の発音に近い地名
・戸数7万戸
・30近くの国々の盟主
・宮室、楼観、城柵
・卑弥呼の墓径百歩
・徇葬百人

507日本@名無史さん2018/08/26(日) 18:50:39.23
ベイズ統計を分かってないだろ

トルーポジティブとフォールスポジティブの確率が
「信用できるとき」にしか意味がないんだぞ

もう少し具体的に書くと
「鉄がある所が邪馬台国である確率」と
「鉄がない所が邪馬台国である確率」が、
データからの統計計算に入る前に、
「あらかじめ分かっていてしかも正しい」ときじゃないと意味がない

松原望氏(東京大学名誉教授、聖学院大学教授)は、
東大退官後に聖学院大学に移られた先生で、バカなことを訊きに来た素人に
計算上はこうなるねっていう「意味のない机上の計算」を、リップサービス的に
示しただけだよ

「鉄がある所が邪馬台国である確率」
これがそもそも定義されてないし、
この数値をいじればどんな結果でも作れるんだよ

統計を知らない人間は簡単に騙されるww

508日本@名無史さん2018/08/26(日) 19:00:17.60
統計をわかってないバカがまた意味のないことを。

509日本@名無史さん2018/08/26(日) 19:27:50.27
>又渡一海千余里、至末盧国。。。
>東南陸行五百里、到伊都国。官曰爾支、副曰泄謨觚、柄渠觚。有千余戸。世有王皆統属女王国。郡使往来常所駐。

東京の東大レベルの高等数学なぞ持ち出す前に、
伊都国はどこかを、色眼鏡外して読み取るべし。 ↑ これ、唐津の小学生が読んでも、行く先は佐賀平野だろ。

510日本@名無史さん2018/08/27(月) 12:28:11.20
九州北部ばかり注目されて中南部はガン無視かよ?
と最近思う。

511日本@名無史さん2018/08/27(月) 12:44:32.52
中部は狗奴国と投馬国ごあるじゃないか。

512日本@名無史さん2018/08/27(月) 20:14:57.66
投馬国は半島南部って言う人がいるけどさ、
魏志倭人伝の冒頭で、「倭人在帶方東南大海之中、依山島爲國邑。」って書いてあるのを
無視してるだろ?

投馬国5万戸、邪馬台国7万戸が、それぞれ半島と日本列島の女王国の範囲とか言ってるけれど
総数12万戸のうち、5万戸が帯方郡と地続きの半島上にあったら「帯方東南『大海』之中」にもならないし
「山島に依りて」という表現にも合わない

投馬国を半島上に持ってくるのは、九州説の中でも批判されている無理読みだよ

513日本@名無史さん2018/08/27(月) 20:26:44.12
>>506
>統計をわかってないバカがまた意味のないことを。

オウム返しってことは、ザラコク並みのバカだな?wwwwww
統計を分かっているなら、具体的にどこがおかしいがあげてみな

バカに限って虚勢を張るんだよなw

514日本@名無史さん2018/08/27(月) 20:29:04.17
古墳から出土した大型鏡としては、
1位 「鼉龍鏡」44.5センチ 山口 柳井茶臼山古墳
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3#/media/File:%E6%9F%B3%E4%BA%95%E8%8C%B6%E8%87%BC%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E5%87%BA%E5%9C%9F_%E3%81%A0%E9%BE%8D%E9%8F%A1.JPG


2位 「内行花文鏡」39.8センチ 柳本大塚古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000700000/e6c59c8777c949b69a9e966a571ddb2d
3位 「鼉龍鏡」38.8センチ 出土地不明だが1位と同じ「鼉龍鏡」
http://www.emuseum.jp/detail/100584/000/000%3Fmode%3Ddetail%26d_lang%3Dja%26s_lang%3Dja%26class%3D%26title%3D%26c_e%3D%26region%3D%26era%3D%26century%3D%26cptype%3D%26owner%3D%26pos%3D825%26num%3D2
4位 「内行花文鏡」39.6センチ 下池山古墳出土
https://lh5.googleusercontent.com/-tkY1W-oL8vY/VNdKvPWKogI/AAAAAAAACPM/HIci-6ZXnNg/s2560/shimoike376.jpg


5位 「勾玉文鏡」35.7センチ 大阪紫金山古墳出土
https://lh6.googleusercontent.com/-wXRTdJSy-nk/VLPb5HnPYRI/AAAAAAAABc8/pCaHbl_7i9I/s2560/sikin359f.jpg


6位 「変形方格規矩鏡」34.9センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000680000/c1f396e370674f8ca9253bba0298bae6
7位 「直弧文帯縁内行花文鏡」34.3センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000690000/afe97a03a9d2456899e83ea787ce89f2
8位 「変形方格規矩鏡」32.7センチ 佐紀陵山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001000670000/13fd29465df845d1a1d1953cf8a64290
9位 「四仏四獣鏡」30.4センチ 千葉 祇園大塚山古墳出土
https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Ryobo/Viewer/7001001000000/1e1c67f63291436080316c0bd8086302

515日本@名無史さん2018/08/28(火) 17:32:37.00
>>512
中国人が読むとそう読めるらしいよ

516日本@名無史さん2018/08/28(火) 23:55:00.36
>>515
>中国人が読むとそう読めるらしいよ

そう主張するなら、中国人が読んでそうなるという根拠を
誰でも確認できる形で具体的に示してね

517日本@名無史さん2018/08/28(火) 23:55:31.60
小規模河川の川の水行は、大陸正史に一切書かれていない
川での移動は、川を遡るときは「泝流」下るときは「順流」が主に用いられ、具体的な川を出すときは「泝漢水」のように用いる

518日本@名無史さん2018/08/30(木) 11:08:47.86
盗掘後の残り物だけで桜井茶臼山古墳からは
判定できたものだけで81面が出土しており一つの墳墓からの出土では、
枚数、鏡種ともに最高数だよ
その内訳は
三角縁神獣鏡       26面
内行花文鏡(国産)    10面
内行花文鏡(舶載)     9面
画文帯・斜縁・四乳神獣鏡 16面
半肉彫神獣鏡        5面
環状乳神獣鏡        4面
だ龍鏡           4面
細線獣帯鏡         3面
方格規矩鏡         2面
単き鏡           1面
盤龍鏡           1面

副葬されたのは古墳時代でも、かなり古い鏡種も多く出ている

筑紫の勢力が進出したのだとしたら、
どうして平原1号墓の時に埋能しなかったのかな?
平原遺跡は、仿製鏡がてんこ盛りなんだけど?

519日本@名無史さん2018/08/30(木) 13:31:25.22
卑弥呼は自分が造らせた新しいピカピカの鏡の方を好んだんだよ。
もう漢は滅んでいたから、漢からもらった鏡にこだわる理由もないしね。
茶臼山にあったのは卑弥呼が好まなかった中古品と、卑弥呼より後世の粗製乱造の三角縁。
それでも、筑紫から進出した王家の末裔であることは間違いない。

520日本@名無史さん2018/08/30(木) 19:41:00.24
妄想を根拠に断定w
おかしさもここに際まれりw

521日本@名無史さん2018/08/30(木) 20:38:44.91
>>520
反論になっていないよ。
伊都説は考古学的に妥当だ。

522日本@名無史さん2018/08/31(金) 00:21:09.48
>>519
>卑弥呼は自分が造らせた新しいピカピカの鏡の方を好んだんだよ。

贈られたのは新しいピカピカの魏鏡だろ
その後も朝貢してるのに、それを鋳つぶして新しい鏡を作りましたとか、
まじめに考えてないだろ?

523日本@名無史さん2018/08/31(金) 01:34:21.15
>>521
伊都クズの言う「考古学的」が考古学界で相手にされていないトンデモであることは既にバレている

524日本@名無史さん2018/08/31(金) 17:05:01.68
>>521
>伊都説は考古学的に妥当だ。

考古学的に妥当だとする、根拠・遺物を一つでも二つでも挙げてくれ

順に否定してあげるから

525日本@名無史さん2018/09/19(水) 16:22:42.40
ヤマトンヤマトンヤマトントン♪

526日本@名無史さん2018/09/19(水) 16:35:02.29
キナイコシって一日中張り付いているの?
無職プーなの?

527日本@名無史さん2018/09/19(水) 18:23:04.85
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

528日本@名無史さん2018/09/19(水) 19:35:22.34
>>526
そうですね

529日本@名無史さん2018/09/19(水) 21:26:36.51
で、伊都説が考古学的に妥当だという「具体的な根拠・遺物」は?

530日本@名無史さん2018/09/19(水) 23:59:30.28
三種の神器

531日本@名無史さん2018/09/20(木) 00:45:51.94
三種の神器が弥生にさかのぼるなんて考えている研究者はいない

酒井利信「三種の神器に関する研究:『剣の観念』の中世的展開」『武道学研究』36-1、2003年

(前略)
三種の神器に関する先行研究はおびただしい数にのぼり、本論の論旨において重要なも
のも多くあるが9)、これらを全て紹介することは不可能であるため、後に本文中で必要に
応じて取り上げていくこととし、ここでは三種の神器について、潜在する問題点を示唆し
我々に新しい視点を与えてくれるものの代表として、津田左右吉氏の「日本古典の研究」10)
をあげておきたい。津田氏の業績で最も評価されるべきは、当時常識とされていた三種の神
器像に、はじめて学問的な批判を加えたことにある。以下、氏の論旨を要約する。氏の研究
の前提にあるものは、『日本書紀』(以後『紀』)の本文に神宝の記述がなく、第ニノー書に
鏡のことがみえ、『古事記』(以後『記』)と『紀』の第一ノー書には勾玉・鏡・剣が記され、
『古語拾遺』には鏡剣二種の神宝が記される、といったように色々異説があるのをどう解釈
するかという問題である。ここでは既に、従来常識とされていた固定的解釈からの脱却がみ
られる。このことは後世に与えた影響として非常に重要であると考えられる。氏は、諸々異
説が存在することから想起される問題点について自問自答する。具体的な事柄をあげてい
くと、先ず歴史的事実として神宝が何々であると思われていたか、という問題である。これ
については、勾玉・鏡・剣の三種の前に鏡・剣の二種の時代があったとしている。
(中略)

532日本@名無史さん2018/09/20(木) 00:46:35.26
中略)
我々は、先にみた『帝室制度史』にみるような三種の神器像が唯一真実であり、既に定説
ででもあるかのような錯覚に陥りがちだが、実はその限りではないようだ。これら津田氏を
はじめとする先学が示唆するところの第一は、三種の神器の問題は決して一般的に理解さ
れているように決定的・固定的に捉えきれるものではないということである。いうまでもな
く社会制度、政治の問題であるため、その時代々々による政治的立場によりこれの捉えられ
方は流動的であった。つまり、史実さえ変えられた、あるいは歪められた可能性があるとい
うことである。このことを念頭に置いた解釈が必要である。従って、定説というものはいま
だ存在せず、また成立しにくいとも言える。
(後略)

533日本@名無史さん2018/09/20(木) 00:53:44.53
考古学的に弥生応募から出土しているのに。
その学者は妄想家なのか?

534日本@名無史さん2018/09/20(木) 01:12:17.73
一般的な三種の神器のイメージは日本書紀編纂段階ですら確立してたかどうか怪しいってこと

まあ、全てにおいてイメージでしか語れない伊都クズ説には相応しい主張だな

535日本@名無史さん2018/09/20(木) 01:19:38.84
伊都厨のいう「考古学的に〜」は考古学界では相手にされていない内容ばかり

536日本@名無史さん2018/09/20(木) 06:17:51.54
まあ、弥生時代の北部九州ではそのときに
保有していた宝物を副葬していたが、
それらのセットが後世に定番化
したってことだろうな。

537日本@名無史さん2018/09/20(木) 06:24:23.18
畿内ではそれらの宝物を入手するのが困難で
鏡のみになる場合も多い。

538日本@名無史さん2018/09/20(木) 10:33:40.58
>>537
>畿内ではそれらの宝物を入手するのが困難で
>鏡のみになる場合も多い。

それをきちんと具体的なデータで示せると、論拠のある主張になるんだけどね

539日本@名無史さん2018/09/20(木) 10:52:08.85
鏡のみになるとか、発掘成果をまったく知らないことが丸わかり
伊都説じいさんの主張する「考古学的」がデタラメって本当だな

540日本@名無史さん2018/09/20(木) 11:32:37.39
>>538
三種の神器がほとんど畿内から出土していないね。

541日本@名無史さん2018/09/20(木) 11:45:53.25
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

542日本@名無史さん2018/09/20(木) 16:00:03.42
鏡のみになる(1種)とか言ってたはずなのにすぐに三種の神器(3種)に枠組みを変更w
伊都クズはボケがかなり進行してる老人か根っからの嘘吐きかのどちらかだなw

543日本@名無史さん2018/09/22(土) 08:25:26.62
>>542
根っからのウソツキで、かつ、
まともな論拠がないからその場しのぎでいうことをコロコロ変える

それが、九州説のデフォだよw

544日本@名無史さん2018/09/22(土) 16:01:46.12
>>542
そりゃ、あんたが理解しようとしていないだけ。
筑紫にいた頃はちゃんと三種の神器だったのに、畿内では鏡だけに簡略化された理由を考えないから。
大和の勢力が博多湾沿岸の勢力の末裔であるという事実ときちんと向き合えよ。

545日本@名無史さん2018/09/22(土) 16:42:01.46
>>544
その伝で行くと、円筒埴輪は吉備の特殊器台を受入れたものだから、
大和の勢力が吉備の勢力の末裔であるというのが事実ってことになるなww

あと、前方後円墳で重要な墳丘全面への葺き石は、出雲の四隅突出墓のの葉式だから
大和の勢力が出雲の勢力の末裔であるというのも事実になるw

546日本@名無史さん2018/09/22(土) 17:27:02.76
>>544
"弥生時代に三種の神器"なんて主張してる歴史学者も考古学者もいないよ
それが科学的な学問の結論
ウソつきが1000回唱えても現実は変わらない

547日本@名無史さん2018/09/22(土) 18:31:11.07
まあ、北部九州の時代は
たまたま保有している宝物を副葬しただけだろう。

いつしかそれが定型になり
神聖視されて皇室に残っただけのこと。

548日本@名無史さん2018/09/22(土) 19:53:37.59
連続性を実証してからほざいてね

549日本@名無史さん2018/09/23(日) 00:53:57.90
そのいつしかというのが弥生時代なんだろ。
平原遺跡では副葬品のほとんどが装飾品と鏡なのに、刀を一本だけ入れて三種の神器の様式に合わせているから、その時点ではすでに定型化されていたことがわかる。

550日本@名無史さん2018/09/23(日) 00:55:52.85
>>545
>大和の勢力が出雲の勢力の末裔であるというのも事実になるw

三輪山の事代主の話があるから、間違いではないのだろう。

551日本@名無史さん2018/09/23(日) 04:44:05.93
>>549
三種の神器は剣で刀ではない

552日本@名無史さん2018/09/26(水) 12:56:04.78
>>545
>大和の勢力が出雲の勢力の末裔であるというのも事実になるw

奈良県の朝倉から宇陀に抜ける街道沿いに、出雲という地名があるんだよな
大和と出雲が古い付き合いなのは間違いない

魏志倭人伝の、投馬国(出雲)から邪馬台国(大和)の水行10日陸行1月は、
この出雲と大和の往還路をそのまま使ったのだと思う

553日本@名無史さん2018/09/26(水) 13:26:14.61
筑紫にも出雲という地名があったような。

554日本@名無史さん2018/09/26(水) 23:47:52.30
大牟田市に出雲町って地名があるけれど、かなり小さな地名だね
あと福岡市西区に出雲大社の分院があるけどそっちのことかな?

555日本@名無史さん2018/09/28(金) 09:42:17.83
福岡の出雲がどこにあるのか知ってる人、いる?

556日本@名無史さん2018/09/28(金) 09:49:49.17
大牟田

557日本@名無史さん2018/09/28(金) 11:22:38.23
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

558日本@名無史さん2018/09/28(金) 14:07:04.48
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

559日本@名無史さん2018/09/28(金) 19:11:32.79
>>556
>大牟田

それは>>554にも書いてある
小学校の学区よりも小さな地名で、
古代に重要な拠点があったような場所とも思えない

560日本@名無史さん2018/10/07(日) 09:31:02.07
筑紫と出雲の関係はそれほど深くないと思うけどな

宗像三神と大国主の絡みくらいで

561日本@名無史さん2018/10/07(日) 10:48:42.86
現代に語り継がれるくらいにはふかいつながりだろ。
吉備なんて、大勢力だっただろうけども伝承そのものが残っていない。

562日本@名無史さん2018/10/08(月) 23:13:00.50
>>561
>現代に語り継がれるくらいにはふかいつながりだろ。

何が語り継がれてる?
記紀のことを言ってるの?

563日本@名無史さん2018/10/09(火) 09:05:51.16
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

564日本@名無史さん2018/10/09(火) 12:14:16.97
出雲王権が倒されて、筑紫王権が倭国(対馬海峡、日本海の国)の覇権を握ったのが、記紀にある出雲の国譲り。

565日本@名無史さん2018/10/09(火) 22:56:27.65
>>564
>筑紫王権が倭国(対馬海峡、日本海の国)の覇権を握った

記紀のは日向三代であって、筑紫王権なるものは出て来ないんだがね

566日本@名無史さん2018/10/10(水) 07:35:15.16
日向三代は、イザナギが住吉三神を生み出したのと同じ筑紫の日向の倭王だよ。
それは博多湾沿岸を舞台とする物語だ。

567日本@名無史さん2018/10/10(水) 14:50:37.82
>>566
>それは博多湾沿岸を舞台とする物語だ。

そう言い張るのは、一部の九州説(伊都国説)ぐらいしかいないマイノリティ

例えば、天孫降臨後のサルタヒコとアメノウズメの婚姻の場であるという荒立神社の
伝承のようなものが、筑紫の博多湾岸にはない
http://www.kuis.ac.jp/chinese/column-korogi.htm

神話や説話から考えると、日向の高千穂はやはり宮崎県が舞台と考えた方が蓋然性が高い

568日本@名無史さん2018/10/10(水) 16:21:42.28
猿田彦神社は福岡市早良区の古の倭国王都にある。
後に猿田彦は邇邇芸を迎えて、倭国は筑紫の日向の中で東の早良から西の糸島に遷都したんだね。

569日本@名無史さん2018/10/10(水) 16:27:00.44
邇邇藝命は高天原を離れ、天の浮橋から浮島に立ち、筑紫の日向の高千穂の久士布流多気(くじふるたけ)に天降った。
天忍日命と天津久米命が武装して先導した。
天忍日命は大伴連(おほとものむらじ)らの、天津久米命は久米直(くめのあたひ)らの、それぞれ祖神である。
邇邇藝命は「この地は韓国(からくに)に向かい、笠沙(かささ)の岬まで真の道が通じていて、朝日のよく射す国、夕日のよく照る国である。それで、ここはとても良い土地である」

東に平野、西に平野、北に韓国への海路が開けているのは福岡の高祖山。
宮崎では平野は東だけ、韓国は遠い。

570日本@名無史さん2018/10/10(水) 16:29:43.96
>>567
>伝承のようなものが、筑紫の博多湾岸にはない

筑紫の日向においてイザナギが禊をした時に生まれたのが住吉三神であり、それを祭るのが筑前一宮である博多住吉神社。
神道の最も重要な祝詞となっていて、中心教義の一つである。

571日本@名無史さん2018/10/10(水) 18:35:27.82
美々津も宮崎にあるし、日向三代は、日向=宮崎だよ

572日本@名無史さん2018/10/10(水) 18:36:45.07
そんなところに遺跡はないだろ。
福岡なら、王墓もなんでもある。

573日本@名無史さん2018/10/10(水) 22:02:11.94
宮崎の古墳群だね。
福岡が圧倒的なのは間違いないけど
九州はどこも遺跡が豊富なので
無いというと間違うよ。

注意せよ。

574日本@名無史さん2018/10/10(水) 23:37:33.16
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

575日本@名無史さん2018/10/11(木) 13:26:29.44
宮崎は第二の勢力である投馬国(宮崎県都万)

576日本@名無史さん2018/10/11(木) 18:55:01.85
>>575
>宮崎は第二の勢力である投馬国(宮崎県都万)

残念ながら、魏志倭人伝に投馬国は邪馬台国以北と書かれているから、
宮崎に投馬国を置くと、邪馬台国の比定地で詰むよ

577日本@名無史さん2018/10/12(金) 08:58:13.43
以北なんて書いてないよ。
嘘つくな。

578日本@名無史さん2018/10/13(土) 17:55:20.74
>>577
>以北なんて書いてないよ。
>嘘つくな。

あー、漢文の読めない人かw

南至投馬國『水行二十日』(官名略)『可五萬餘戸』
南至邪馬壹國、女王之所都、『水行十日、陸行一月』(官名略)『可七萬餘戸』
「自女王國以北、其『戸數』『道里』可得略載」

と連続で書いてあって、邪馬台国も投馬国も、『戸数』『道里』が略載されてるんだから
当然に「女王国より以北」だろ?

579日本@名無史さん2018/10/13(土) 18:08:00.29
投馬国はなんらかの理由でそこに挿入されただけ。
前置き、溜め、なんだよ。
文学的表現だな。

580日本@名無史さん2018/10/15(月) 11:42:10.80
>>579
>投馬国はなんらかの理由でそこに挿入されただけ。
>前置き、溜め、なんだよ。
>文学的表現だな。

投馬国行きの道里と、邪馬台国行きの道里の記載がまったく同じ形式
何らかの理由も何も、北部九州から先の長距離水行を含むところだから
同じ形式で書かれている

邪馬台国行きの水行が、帯方郡起点だと主張するなら、
当然に投馬国息も帯方郡起点でなければならないが、そうなると
投馬国の比定地が注に浮く

九州説の読み方はいつも捏造を交えた無理読みなんだよ

581日本@名無史さん2018/10/15(月) 11:44:26.57
で、どう読んだら畿内にたどり着くんだ

582日本@名無史さん2018/10/15(月) 11:47:38.24
>>580
無理矢理じゃないよ。
独特の読み方があるから難しいと中国の考古学者も言ってたから。
倭人伝の他にも色々あるらしい。

583日本@名無史さん2018/10/15(月) 12:27:53.09
投馬国は倭人から日程だけ聞き取りしたけど、里程はない。
わかるのは、投馬国が邪馬台国より南だということ。
邪馬台国が九州北部で、投馬国は九州南部。

584日本@名無史さん2018/10/15(月) 12:42:28.63
やはり殺馬なんやろか

585日本@名無史さん2018/10/15(月) 12:49:47.06
投馬国の中心は都万神社だよ。
今でもそのままの名前だろ。
屈指の古墳群を抱える西都市にある、日向国総社だよ。
郡使は伊都までしか行かなかったけど、第二の都市である投馬国の情報だけは仕入れていたわけだ。

586日本@名無史さん2018/10/15(月) 16:43:41.02
>>582
>独特の読み方があるから難しいと中国の考古学者も言ってたから。

その「独特の読み方」とかいうのが、無理読みなんだってば
人に物事を伝える文書が、解読が必要なものだったら困るだろ?

587日本@名無史さん2018/10/15(月) 16:46:15.68
>>583
>わかるのは、投馬国が邪馬台国より南だということ。

だから、それは「自女王國以北、其戸數道里可得略載」に反するからダメだって言ってるだろ?

「南至投馬國水行二十日」官曰彌彌、副曰彌彌那利「可五萬餘戸」
    ↑                     ↑
    道里                    戸数

投馬国は道里、戸数が略載されている女王国以北の国

588日本@名無史さん2018/10/15(月) 18:02:45.60
里程は書いてないな。
日数だけだから、倭人からの伝聞だ。

589日本@名無史さん2018/10/15(月) 18:20:57.44
>>585
とうの西都原の博物館の展示には熊本から宮崎(西都原含む)にかけて集中して出土する免田式土器の分布域が狗奴国であるという説は魅力的だとあったよ

590日本@名無史さん2018/10/16(火) 10:10:34.88
>>588
>里程は書いてないな。
>日数だけだから、倭人からの伝聞だ。

魏志倭人伝に書いてあるのは「其戸數道里可得略載」であって、
里程が略載されているとはどこにも書いてない

そして、日数も道里の記載として普通の表現

 『九章算術』巻第六「均輸」に
 「欲以道里遠近・戸数多少、衰出之」とある。
続けて
 「甲県一万戸、行道八日」「甲衰一百二十五」
とあるので、道里遠近・戸数多少から算出された「衰」は
 甲県で 10,000 ÷ 8=125
であり、「行道八日」が「道里遠近」であることが明らかである。

 本書は前漢代から知られ且つ263年に劉徽が註しているもので、
倭人伝述作当時の常識的用字法を表している。

水行は魏人にとってなれない移動法だから、距離の換算ができなくて
日数のまま記録しただけだろう

591日本@名無史さん2018/10/16(火) 10:11:29.64
屁理屈

592日本@名無史さん2018/10/16(火) 14:01:16.94
「道里」という言葉一つきちんと解釈できないから、九州説なんてやってるんだろ?w

今の世の中では、史書・古典もデジタル化されてて、検索も容易になってるんだから
自分で調べればいいのに

『九章算術』も「道里」で検索をかけて見つけたんだよ

593日本@名無史さん2018/10/16(火) 14:04:50.04
>>581
>で、どう読んだら畿内にたどり着くんだ

奴国までは定説どおりでいい 奴国は福岡平野の比恵那珂遺跡群を中心とする国

福岡付近から、出雲まで水行20日
ただし出雲の場所が決めがたく、
出雲大社や西谷墳墓群がある出雲平野か、
熊野大社や出雲国府が置かれた松江平野か、
あるいは妻木晩田遺跡のある大山付近か、いずれかが候補

そこから丹波へ行くまでが水行10日
丹波の上陸地点は、網野銚子山古墳のある網野町か、神明山古墳のある丹後町竹野の竹野川河口付近
地名からすると記紀に丹波竹野媛(開化天皇妃)があることから竹野が有力、地形的には離湖という潟湖がある網野かな、とも思う

どちらに上陸したとしてもそこから陸行で京丹後市役所のある峰山付近を通って丹後半島を横断
横断したところが籠神社のある与謝野町、そこから野田川沿いに遡っていくと蛭子山古墳がある
福知山付近を通って、山陰本線に近いルートで亀岡まで来ると、丹波国一ノ宮の出雲大神宮がある
亀岡から桂川沿いに京都盆地に入り、巨椋池を経て木津川を遡り平城山を越えて奈良盆地に入って纏向ってルートでいいだろう

水行20日 福岡から出雲平野までが約300キロ 妻木晩田遺跡辺りまでだと370キロ
水行10日 妻木晩田遺跡から竹野までが約150キロ
陸行1月 竹野から纏向までが170キロくらい

水行中の日数は、夜に浜辺で休んだ日数や潮待ち、天気待ちも含むと思う
投馬国滞在日数は含まないんじゃないかな これはあくまで「かな」程度
陸行部分は、途中の集落の滞在日数も含むと思うが、そんなに大きな町も途中にはなさそう
あっても、丹波国の竹野付近と与謝野町くらいかな

遺跡の分布や神社の名前からして、出雲と大和の往来はこのルートでいいだろう
その出雲と大和の往還路を魏使ももたどったと考える
ただ、丹後半島を縦断するより、回りこんで若狭湾に入った方が楽かもしれないとも思う

594日本@名無史さん2018/10/16(火) 14:06:07.29
>>592
そっちの使い方が間違っているのでは?
キナイコシは都合のいい部分だけ文献を信用するんだな。

595日本@名無史さん2018/10/16(火) 22:25:10.36
>>594
『九章算術』は長く使われた、計算問題にスタンダードだよ
ここに使われている用語の使い方は、大陸知識人には常識

日数も道里だってこと

都合のいいも何も普通の用法なんだよ
自分でも調べてごらん

596日本@名無史さん2018/10/16(火) 22:26:10.23
>>594
ああ、ゴメン
「キナイコシ」は漢文が読めないんだったねww

できないことを要求して申し訳ないww

597日本@名無史さん2018/10/17(水) 02:21:12.88
倭人伝の内容だけ見れば
九州説は距離以外はほぼ問題無し
畿内説は方角以外も問題だらけ
違う?

598日本@名無史さん2018/10/17(水) 04:14:28.01
2018/10/14
【古代】「魏志倭人伝」に記された「末盧国」か、住居跡や水路 13日現地説明会 唐津市相知町黒岩前田遺跡
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1539458471/

>>477
2018/10/17
【東京】纒向遺跡は邪馬台国か、箸墓は卑弥呼の墓か議論 東京で纒向フォーラム★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1539714110/

599日本@名無史さん2018/10/17(水) 14:29:11.45
>>597
>畿内説は方角以外も問題だらけ

その問題だらけを具体的に指摘してみて
答えられることは答えるよ

その前に九州説では、投馬国の比定地とセットのまともな説がない

600日本@名無史さん2018/10/17(水) 20:10:25.09
投馬国は薩摩も妻も単独じゃ人口規模的に無理があるよね。宮崎+鹿児島全部足しても5万戸は無理だと思う。
弥生時代の九州全部の推定人口が10万でしょ。末期だから古墳時代の推定人口で考えてみても九州全部で20万人いくかどうかくらいだし。
かと言って畿内説日本海ルートの出雲でも中国地方全部で10万くらいだから5万戸じゃなくて5万人なら有り?ってくらいだしなぁ。
結局倭人の言ってることをそのまま記しただけで、全然信用できませんよってなるよな。
そうなると畿内説も九州説もどっちも問題なしだし。

601日本@名無史さん2018/10/17(水) 20:25:59.36
当時の「戸」には「人」の意味があり、むしろその使い方の方が多いと説明している。
https://kazunohi.exblog.jp/18859317/

602日本@名無史さん2018/10/17(水) 20:27:13.93

603日本@名無史さん2018/10/17(水) 20:31:57.19
倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。
皆、徒跣。屋室有り。
父母、兄弟は異所に臥息す。
朱丹を以ってその身体に塗る。
中国の紛を用いるが如し。

女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が
倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。

魏志倭人伝 普平陽侯相 陳寿撰

604日本@名無史さん2018/10/17(水) 20:35:00.45
高貴高度な文明は南から生み出され南に帰る

605日本@名無史さん2018/10/17(水) 20:42:02.01
>>600
対馬(千余戸)の50倍は無理なのか?

606日本@名無史さん2018/10/17(水) 20:56:01.39
>>601,602 ありがと〜実際は単純に人で多く見せるために戸とか家って書いたのだろうと考えていました。
>>605 面積で、対馬約700㎢、宮崎+鹿児島約16,900㎢(離島含む)面積比較で約25倍。
可住地域の広さとか生産力とか考えると単純比較はできないけどもちょっと厳しいかと。
あと、和名類聚抄での郡の数が対馬9、宮崎+鹿児島102郷で10倍程度しか無いので50倍の人口は当時は居なかったと考えます。
対馬は離島なので1郷の戸数が本土より少なかったとかも考えれなくはないけど。

607日本@名無史さん2018/10/17(水) 22:16:22.43
>>600
>結局倭人の言ってることをそのまま記しただけで、全然信用できませんよってなるよな。

奴国・福岡平野二萬戸を一つの基準にして、投馬国五萬戸ははそれより人口が多い
邪馬台国七萬戸はさらに多い、くらいに読めばいいと思う

実際の数を数えたってことはないだろうし、二万と五万だから2.5倍ってこともないだろう

608日本@名無史さん2018/10/17(水) 22:24:17.25
邪馬台国と投馬国は併記されている。
しかし奴国は他の国邑と同じ内訳に過ぎない。

609日本@名無史さん2018/10/17(水) 23:23:27.42
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

610日本@名無史さん2018/10/17(水) 23:24:19.16
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

611日本@名無史さん2018/10/17(水) 23:55:37.18
>>608
>邪馬台国と投馬国は併記されている。
>しかし奴国は他の国邑と同じ内訳に過ぎない。

国と国を重ねてダブルカウントするのは二重帳簿詐欺だよ
投馬国の内訳はなしかい?w

612日本@名無史さん2018/10/18(木) 01:08:50.45
投馬国は行っていないから内訳なんかわからなかっただろうね。

613日本@名無史さん2018/10/18(木) 23:43:46.74
梯儁さんは皇帝詔書を携えた除正使だから卑弥呼に金印を渡すのが仕事で
ヤマト国まで行ってるし、張政さんも台与に檄を告喩してるからヤマト国まで行ってる

投馬国はその経路上の国だからちゃんと見てるよ

614日本@名無史さん2018/10/19(金) 08:27:56.68
投馬国には里程がないし、邪馬台国より遠いから、郡使は投馬国へは行っていない。

615日本@名無史さん2018/10/19(金) 17:30:30.25
>>614
>投馬国には里程がないし、邪馬台国より遠いから、郡使は投馬国へは行っていない。

それは単なる誤読
>>590に書いてあるとおりに、日数も道里の表現として普通の表現
日数だから(里程が書いてないから)道里じゃないというのは通らない

魏志倭人伝には、自女王國以北、其戸數道里可得略載と書いてあり、
投馬国は戸数も道里も略載されている女王国以北の国

邪馬台国まで行っている除正使梯儁は、当然途中の投馬国にも寄っているよ

616日本@名無史さん2018/10/19(金) 17:40:44.75
畿内の大御所は、とっくにトンズラした。
残っているのは、雑兵ばかりなりwww

617日本@名無史さん2018/10/19(金) 17:43:34.06
>>616
畿内説を推してるのは、桜井市教育委員会と毎日新聞だけ。

618日本@名無史さん2018/10/19(金) 17:47:29.97
>>616
>畿内の大御所は、とっくにトンズラした。


トンズラした理由は九州説に負けた訳ではないからw  

トンズラした理由は倭国(阿波)の実体を知ったから。  @阿波

619日本@名無史さん2018/10/19(金) 23:22:37.71
倭地は温暖にして、冬夏生菜を食す。
皆、徒跣。屋室有り。
父母、兄弟は異所に臥息す。
朱丹を以ってその身体に塗る。
中国の紛を用いるが如し。

男子は大小無く、皆、黥面文身す。
古より以来、その使中国に詣(いた)るや、皆、自ら大夫と称す。
夏后少康の子は会稽に封ぜられ、断髪文身して、以って蛟龍の害を避く。
今、倭の水人は沈没して魚、蛤を捕るを好み
文身は、亦、以って大魚、水禽を厭(はら)う。
後、稍に以って飾と為る。諸国の文身は各に異なり
或いは左し、或いは右し、或いは大に、或いは小に。尊卑差有り。
その道里を計るに、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”) の東に在るべし。

女王国より以北は、特に一大率を置き検察し、諸国はこれを畏憚す。
常に伊都国に治す。国中に於ける刺史の如く有り。
王が使を遣わし、京都、帯方郡、諸韓国に詣らす、及び郡が
倭国に使するに、皆、津に臨みて捜露す。
文書、賜遺の物を伝送し女王に詣らすに、差錯するを得ず。

「魏書」第30巻『 魏志倭人伝 』 普平陽侯相 陳寿撰

神々からの日本最古の捏造教科書とされる古事記や日本書紀には記述されてないが
致密かつ高度な中華文明を生み出した古代中華帝国漢人官僚には正確に記述されてた
神々しい伝説の邪馬台国や女王卑弥呼、倭人達の倭国群は日本の何処にあったんだろう?

620日本@名無史さん2018/10/20(土) 00:27:24.24
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

621日本@名無史さん2018/10/20(土) 09:53:06.75
>>616
>畿内の大御所は、とっくにトンズラした。

また捏造してる
トンズラした大御所って誰だよ?
具体的に言うてみ?

622日本@名無史さん2018/10/20(土) 14:35:20.87
>>480
2018/10/15
【九州説】邪馬台国は福岡県山門郡にあった!
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1539603701/

623日本@名無史さん2018/10/20(土) 17:06:59.68
>>480 >>479
2014/06/06
【嫌儲邪馬台国スレ】女王・卑弥呼はどこから来たの?九州説と近畿説、邪馬台国論争に新たな説が!
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/po●verty/1402030330/
「邪馬台国論争」は、九州説と近畿説が長らく対立してきた。しかし近年、各地で調査が進み、新たな説が浮上してきた。
それは、卑弥呼は九州北部の伊都国に生まれ、近畿に移動してきたとする説だ。
九州で女王・卑弥呼が誕生し、その後、近畿に都ごと遷都してきたという可能性もある。

624日本@名無史さん2018/10/20(土) 17:07:17.66
>>481
2016/07/04
邪馬台国=南九州説が正しいような気がしてきた 出雲は九州人の植民地だった
http://hayabusa3.2ch.s●c/test/read.cgi/news/1467623283/

625日本@名無史さん2018/10/20(土) 17:07:43.08
>>482
2012/12/02
九州「邪馬台国は間違いなく九州!」 畿内「いやウチだろ、卑弥呼の墓もあるし」 岡山「待ちたまえ君達」
http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/po●verty/1354432717/
若井氏は、楯築弥生墳丘墓(倉敷市)が前方後円墳の祖型だとし、「邪馬台国(吉備)の
文化を大和が取り込んだ」とした。

2014/10/08
【岡山】邪馬台国の場所がついに決定 畿内説(笑)九州説(笑) [654328763]
http://fox.2ch.net/test/read.cgi/po●verty/1412753165/

2015/12/06
邪馬台国が魏からもらったとされる神獣鏡、岡山の古墳から多数出土 [231982652]
http://maguro.2ch.s●c/test/read.cgi/po●verty/1449390077/
 同展で初公開されている、江戸時代に岡山市の古墳から同神獣鏡が複数出土したとす
る古文書(同博物館など所蔵)については、「大変驚いた。新しい鏡の資料はもう出てこな
いと思っていた」と驚きを隠さず、銘文などから魏で240年ごろ製作された鏡と分析

626日本@名無史さん2018/10/20(土) 17:08:17.05
>>482 >>491
2016/04/07
【邪馬台国】 畿内・九州以外の説も考えてみるべきでは? 島根説、沖縄説、四国説、奄美大島説、台湾説、etc… [231982652]
http://maguro.2ch.s●c/test/read.cgi/po●verty/1460018135/
邪馬台国の所在地を奄美大島とする著者は、周の要求に応じ、倭人が特産の桑の木と蚕を献上したのではないかという。
 奄美大島では現在も大巫女をフミコと呼び、そのフミコが卑弥呼へ転化したと解説。

627日本@名無史さん2018/10/21(日) 16:58:39.37
ここって頭の悪いスレをスレ立てしてして、URLを貼るスレなの?

628日本@名無史さん2018/10/21(日) 21:50:42.79
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RCL6WAQsxbu3kAXBGU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

629日本@名無史さん2018/10/27(土) 10:34:48.57
九州説と山形説がだいたい同じレベルw

630日本@名無史さん2018/10/30(火) 09:39:18.18
九州説と北海道説もだいたい同じレベルw

631日本@名無史さん2018/10/30(火) 09:53:08.25
畿内説は琉球説と同じレベルか?

632日本@名無史さん2018/10/30(火) 10:55:25.20
素直に読めばそうなるっていう意味かな?

633日本@名無史さん2018/10/30(火) 20:38:33.40
http://www.youtube.com/watch?v=aljW2VJn7f8&feature=youtu.be

私の 説は 邪馬台国 は 球磨郡 にあった です
魏志倭人伝の 翻訳 とか みなさん 読んで かたってますか?
ぼくも 読む前は 邪馬台国 やまたい 大和 ヤマトゥ と このよみから 近畿だと ゆってましたが
これは 本居宣長 の 策略でした まんまとはまってました
魏志倭人伝には 邪馬壹國 と あり これは 中国よみで シュマイ 日本語で よんでも やまいこく 臺灣 台湾 誤字ったにしろ とにかく ソウル から 邪馬台国 まで 1マン2000里 である 100里が7KMとしても 近畿にはとどかないので
九州しかないのです そのへんも 動画にまとめました

634日本@名無史さん2018/10/30(火) 21:02:55.67
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

635日本@名無史さん2018/10/30(火) 23:34:28.10
>>633
日本語が不自由ですね
自動翻訳ですか?

636日本@名無史さん2018/11/02(金) 13:36:13.36
日本語が不自由って書かれたら、消えちゃったな

637日本@名無史さん2018/11/03(土) 19:09:44.04
九州説と青森三内丸山説

時代が合わないという点ではどっこい?

638日本@名無史さん2018/11/03(土) 19:20:15.77
夏王朝と漢字を作ったのは日本人(シュメール人)
夏王朝を倒したのは商
商王朝がバカだった原因は占い

夏=summer=シュメール

639日本@名無史さん2018/11/03(土) 19:21:02.32
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

640日本@名無史さん2018/11/03(土) 23:56:43.14
倭人は帯方の東南、大海の中にあり、山島に国を作っている。
土地は平野少なく山林が多く、良田はない。海産物を食す。
昔は百余の小国が互いに接す「。魏の時に至って、三十の国があり親しく交流した。
戸数は七万あり、男子は大人、子供はみな、顔と体に入れ墨している。

倭人たちは自ら太伯(古代中国の周王朝)の子孫だという。
また昔、倭国の使者が中国を訪れた時、倭人達は自ら大夫(周朝の貴族)と称す。

いにしへの夏朝(中国大陸初の王朝)の少康(夏朝皇帝)の子は
中国会稽に封じられると、髪を切り、入れ墨をし蛟龍の害を避けたが
今まさに倭人達は沈没して魚を取るのを好み、同様に入れ墨をし水魔を払う。

倭国までの道のりを計算すると、まさに会稽東冶(”現中国の浙江省”)の東にあたる。
その男子の衣服は横長の布を結び合わせてつなぐだけで、ほとんど縫いつづることがない。
婦人の衣服は一枚の掛け布団のようで、中央に穴をあけ頭を入れる。
皆おかっぱ頭で、裸足である。

641日本@名無史さん2018/11/03(土) 23:57:22.17
倭人の地は温暖で、稲やカラムシを植え、養蚕して布を織る。
土地に牛、馬は無し。刀、楯、弓矢があり、鉄をヤジリにしている。

倭国には家屋があり、父母と兄弟は異なる場所で寝る。
食飲にはまな板状の台と高坏を用いる。
正月や四季の区別が無く、ただ秋の収穫の時を数えて年紀としてる。
死に際し棺はあるが槨なく、土を盛って墓を作る。初め喪中は哭泣して肉食を絶つ。
葬儀が終わると、家中の者が水に入り、体を洗い清潔にし穢れを取り除く。(神道の源流)

重大な決断時には、太占を行い骨を焼いて吉凶を占う。
倭人は長生で、百歳とか八、九十歳の者が多い。
婦女は淫らではなく、嫉妬もしない。争いや訴えはない。
軽罪を犯した者は家族ともども身分を奪って奴隷にし、重罪者は一族を滅ぼす。

その倭国の王家は昔は男子を君主として立てていたが
漢末に倭人達は乱れ戦うことなり倭人達は共に女子を立てて倭国の女王とす。
其の名は卑弥呼という。
宣帝(魏の宣王、司馬懿仲達。晋の建国後、宣帝と諡された)が公孫氏を平らげると
その女王は遣使して帯方に至り朝見した。その後も貢ぎ、遣使することは絶えなかった。
文帝(司馬昭)が魏の相国になると、また何度か使者を遣わし中国に来朝す。
晋の泰始元年(司馬炎)に遣使し、倭人は通訳を重ねて中国へ朝貢に遣って来た。

「晋書」第97巻   『 四夷伝倭人伝 』 房玄齢撰

神々からの日本最古の捏造教科書とされる古事記や日本書紀には記述されてないが
致密かつ高度な中華文明を生み出した古代中華帝国漢人官僚には正確に記述されてた
神々しい伝説の邪馬台国や女王卑弥呼、倭人達の倭国群は日本の何処にあったんだろう?

642日本@名無史さん2018/11/04(日) 02:35:54.39
>>613
倭人伝では途中の国までは方角と距離を書いてるがそれ以降は水路や陸路で何日と書いてるよね。

つまり元資料を書いた人は途中までしか行っておらずそれより先の行程は聞いた話でしかない。
よって邪馬台国まで行った魏の使者の使節団の関係者じゃない

643日本@名無史さん2018/11/04(日) 02:44:27.07
奴国や伊都国は福岡県と特定されてて、倭人伝では邪馬台国連合の勢力圏と記述。
邪馬台国が畿内にあったらそこから福岡までもが勢力圏ということになるから邪馬台国は九州だと思う。

644日本@名無史さん2018/11/04(日) 03:05:29.18
>>478
2018/11/03
【滋賀】法隆寺式の瓦が大量出土 蜂屋遺跡、関連寺院存在か
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1541191526/24-27

645日本@名無史さん2018/11/04(日) 03:14:42.96
>>642
邪馬台国への行程を書いた人物は末端役人か商人なのだろうね。 

陳寿が倭人について書くなら実際に邪馬台国へ行った使節団の公的記録を引用した方が正確だし、普通ならこちらを選んで載せるはず。
ただ公的記録が入手できなかったからそれを載せたってだけかもしれないが。

646日本@名無史さん2018/11/04(日) 06:21:22.90
>>641
>倭人の地は温暖で、稲やカラムシを植え、養蚕して布を織る。
>土地に牛、馬は無し。刀、楯、弓矢があり、鉄をヤジリにしている。
>神々しい伝説の邪馬台国や女王卑弥呼、倭人達の倭国群は日本の何処にあったんだろう?


だから、倭国(阿波)だと、何度言えばw  @阿波

647日本@名無史さん2018/11/04(日) 08:11:21.17
>>643
>邪馬台国が畿内にあったらそこから福岡までもが勢力圏ということになるから邪馬台国は九州だと思う

いや、普通に畿内から北部九州まで一つの勢力圏なんだが?
それが倭国であり女王国だよ

ただ、九州説の人の好きな「支配」とか「服従」とかの関係ではないけれど

648日本@名無史さん2018/11/04(日) 08:21:26.84
↑バカ発見

649日本@名無史さん2018/11/04(日) 11:38:53.19
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimVRd.tRb9nMAQCuU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

650日本@名無史さん2018/11/04(日) 13:50:42.01
>>648
>バカ発見

こういうのが典型的な九州説
どこがどうバカなのか、一切説明できないから、
腹いせで小学生のように「バカ」と書くことしかできない

小学生、ごめんなさい(>_<)

どこがバカなのか具体的に指摘してごらん

って書くと消えるんだよなw

651きのこ2018/11/04(日) 22:41:37.88
>>633日本語が どうたら ゆうてる やつ 自分の ハプログループ しらべてみた?
だいたい こうゆう 人のことを きずつけることゆうやつは
渡来人系の 02 グループだろうーな 百済の言葉かな? じゃーわからないわ

652日本@名無史さん2018/11/04(日) 23:59:56.13
>>651
キノコっていうのは、キウスの弟子って意味か?ww

653日本@名無史さん2018/11/05(月) 00:02:01.51
>>651
百済をバカにしてる辺り、全羅道に差別意識を持つ人間だなww

654日本@名無史さん2018/11/05(月) 00:03:36.13
>>651
>だいたい こうゆう 人のことを きずつけることゆうやつは

日本語が不自由と言われて傷つく日本人はいないって分かるかい?
自分の巣へお帰り

655日本@名無史さん2018/11/10(土) 20:59:40.72
2018/11/10
【古代史】「邪馬台国」時代の鉄器生産工房…「ヤマト建国」に隠された淡路島の「不運な歴史」
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1541840994/

656日本@名無史さん2018/11/14(水) 23:27:12.41
九州説はだいたい秋田大館説と同じくらいの確率

657日本@名無史さん2018/11/15(木) 07:20:41.30
畿内説はそれ以下

658日本@名無史さん2018/11/16(金) 01:04:15.54
九州説はもう減らず口をたたくくらいしかやることがないんだろうな

659日本@名無史さん2018/11/16(金) 23:59:49.99
九州説より三内丸山遺跡が邪馬台国だったという方が筋がいい

660日本@名無史さん2018/11/17(土) 10:05:48.09
九州説対仙台説、辺りがいい勝負かな

661日本@名無史さん2018/11/17(土) 11:06:42.69
纒向はそれ以下ということです。

662日本@名無史さん2018/11/17(土) 13:18:22.55
>>480
2018/11/16
【大分】邪馬台国は筑後川流域?「金銀錯嵌珠龍文鉄鏡」謎に迫る 日田で古代史サミット
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542374845/

663日本@名無史さん2018/11/17(土) 17:29:35.84
>480
【九州説】邪馬台国 魏志倭人伝を正しく読む
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1542023631/

664日本@名無史さん2018/11/17(土) 17:30:08.56
>>484
【論破済】 邪馬台国 卑弥呼 馬韓説 【完全破綻】
https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1542178910/

665日本@名無史さん2018/11/17(土) 22:48:24.68
九州説はもう減らず口をたたくくらいしかやることがないんだろうな

666日本@名無史さん2018/11/19(月) 23:23:15.77
九州説と青森六ヶ所村説

667日本@名無史さん2018/11/20(火) 11:00:34.07
九州説対秋田大潟村説

668日本@名無史さん2018/11/20(火) 14:20:11.89
2018/10/19
【考古学】鳥取の青谷上寺地遺跡の人骨 弥生時代後期に渡来か DNAで判明[10/19]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1539933252/65

669日本@名無史さん2018/11/20(火) 22:59:04.32
九州説と鹿児島桜島説

670日本@名無史さん2018/11/21(水) 13:56:51.31
九州説対宇和島説

671日本@名無史さん2018/11/21(水) 18:15:33.67
九州説対三河安城説

672日本@名無史さん2018/11/21(水) 19:19:33.07
九州説対富山高岡説

673日本@名無史さん2018/11/21(水) 20:31:19.53
どこも畿内説よりは可能性があるな。

674日本@名無史さん2018/11/21(水) 20:48:58.46
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

675日本@名無史さん2018/11/23(金) 12:19:40.56
九州説対長野高遠説

676日本@名無史さん2018/11/24(土) 03:34:57.72
>>662
11/22
【歴史】「この鏡が邪馬台国や卑弥呼と関連のある物だと言って差し支えない」 大分・日田で邪馬台国との関係探る古代史サミット開催★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542891348/

11/23
【歴史】邪馬台国時代のすずり5個出土 交易でも文字使用か「日本の文字文化の始まりを考える上で興味深い」 福岡・西新町遺跡
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1542968156/

677日本@名無史さん2018/11/24(土) 14:25:53.68
九州説対道後温泉説

678日本@名無史さん2018/11/24(土) 19:31:19.95
九州説対土佐中村説

679日本@名無史さん2018/11/24(土) 21:25:11.73
九州説対伊豆神津島説

680日本@名無史さん2018/11/25(日) 14:39:25.12
九州説対土佐南国市説

681日本@名無史さん2018/11/25(日) 14:39:58.82
九州説対宇和島宿毛説

682日本@名無史さん2018/11/25(日) 16:17:04.71
九州説対佐渡説

683日本@名無史さん2018/11/25(日) 23:53:36.57
九州説対長戸説

684日本@名無史さん2018/11/27(火) 22:13:38.68
九州説対東京足立区説

685日本@名無史さん2018/11/29(木) 22:36:43.81
九州説対京都清水寺説

686日本@名無史さん2018/11/29(木) 22:44:16.75
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

687日本@名無史さん2018/11/30(金) 13:43:55.17
>>477
2018/11/29
【歴史】「日韓の共同研究が進むきっかけになる」 朝鮮出身の渡来人、100年早く奈良に移住か 最古級の建物跡発見
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1543486397/
市尾カンデ遺跡の一帯は渡来系集団「東漢氏(やまとのあやうじ)」の拠点とされ、
これまでも高取町内では5世紀後半〜8世紀末の約40棟の大壁建物跡が確認されている。
 出土した大壁建物跡の1棟は東西約14・5メートル、南北約13メートルで、国内最大級の規模とみられる。
4世紀後半〜5世紀初めの土器片が出土したことから、町教委はこの大壁建物が4世紀末〜5世紀初めに築かれ、
渡来人の同町への移住時期が100年近くさかのぼる可能性が出てきたとみている。

>>480
【福岡】「畿内説と違って九州説は“おらが町の邪馬台国”的に百花繚乱」 豪族「筑紫の君」に焦点、「邪馬台国八女説」持論の高校教諭
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1543496504/
邪馬台国八女(八女市)説が持論の宮島さんは「歴史のダイナミズムが感じられる劇的なストーリー展開を意図した」と話す。
 国語を教える宮島さんは、遺跡・遺物から研究する考古学的手法でなく、日本の神話や地域の伝説、民族文化などから
研究を重ねている。本著では、古事記や日本書紀に登場する北九州を拠点とした海人氏族の一つ「阿曇(あづみ)族」と抗争した
とみられる古代九州を代表する豪族「筑紫(つくし)の君」に焦点を当てた。さまざまな文献の解釈、地方の神社の祭事や伝承などの
検証に基づき、この抗争が邪馬台国の成立に至ったとする「邪馬台国八女説」を説いている。

688日本@名無史さん2018/12/01(土) 05:55:20.38
まあ、八女は山門郡の隣だから
山門郡と関係があってもおかしくはないかな。

689日本@名無史さん2018/12/01(土) 06:35:34.43
どちらにせよ邪馬台国とは何の関係性もないってこと

690日本@名無史さん2018/12/01(土) 10:18:57.21
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

691日本@名無史さん2018/12/01(土) 23:50:14.62
九州説対佐世保説

692日本@名無史さん2018/12/02(日) 13:38:21.65
九州説対米子説

693日本@名無史さん2018/12/02(日) 23:29:00.30
九州説対沼津説

694日本@名無史さん2018/12/03(月) 10:56:15.89
九州説対飛騨下呂温泉説

695日本@名無史さん2018/12/03(月) 20:24:07.58
九州説対飯田説

696日本@名無史さん2018/12/05(水) 02:02:37.86
>>477
2018/12/05
【奈良】「ヤマト王権の基礎を作ったのが3世紀の邪馬台国の時代」 ヤマト王権、始まりは纒向 橿考研創立80周年記念講演会
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1543935540/

697日本@名無史さん2018/12/05(水) 07:39:08.64
>>696
畿内説が妄想でできていることがよくわかった。
そもそも中国に朝貢しまのは卑弥呼が最初ではないし。

698日本@名無史さん2018/12/05(水) 10:36:15.79
九州説対新庄説

699日本@名無史さん2018/12/07(金) 13:05:04.87
九州説対妄想

700日本@名無史さん2018/12/07(金) 13:08:33.61
大和弥生社会の展開とその特質
寺沢薫
(纒向学研究 第4号より抜粋・引用)

もともと第一の道論(注釈:奈良盆地の独自の発展によるヤマト王権の誕生)は、奈良盆地の自然環境の卓越性を根拠に、生産力の先進性をことさらに高く見積もり、
前期古墳に見る隔絶性から前段階の強力な権力の存在を推定するという本末転倒の論理によって説明されてきた感が強い。
以降、第一の道論は吉備連合論、河内(大和川水系)連合論、鉄ルート開発 ・ 確保論、倭国乱での巻き返し論等々を巻き込み、修復を繰りかえしながら多くの論者によって支持され続けてきた。
しかし証明のための論理や手法に根本的な改善は見られない。
私は第一の道を否定する立場である。
第二の道は多様である。
私は北部九州や2世紀以降とくに強大な勢力として新興してきた吉備を中心とした瀬戸内海勢力を維新主要勢力とした政治的談合による倭国の再編成(私の言う「新生倭国」の誕生)と考えている。
畿内や大和ではその直前まで首長墓を含む一般的墓制は方形墓なのであって、しかも王権を構成した主要地域に比べると、
墓に反映されるほどの階級的に隔絶した首長権力が存在した形跡は微塵もないのである。

ttp://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf

701日本@名無史さん2018/12/07(金) 13:09:00.98
関川尚功(邪馬台国大和説と箸墓古墳・纏向遺跡、2017)
「大和の弥生遺跡と纏向遺跡をみても、邪馬台国のあった地域の遺跡とは思えない。大陸系の遺物もほとんど出ないし、
古墳の起源になるような墳丘墓もみられない。
このようなところに北部九州の「奴国」や「伊都国」を統属して、中国王朝と盛んに交流を行ったという邪馬台国があったは
ずはないし、またこのような国が大和において自然に現れてくるということは、まず考えられない。
また、箸墓古墳の土器や埴輪も布留式の時代ですから3世紀まで行くものではない。纏向遺跡のピークもこのころだから、
やはり邪馬台国の時代よりあとのことで、纏向遺跡はむしろ大和政権の確立期の遺跡であろうと思われる。」

702日本@名無史さん2018/12/07(金) 14:22:02.20
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子の調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が長江・江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

703日本@名無史さん2018/12/09(日) 17:13:53.56
九州説対酒田市説

704日本@名無史さん2018/12/09(日) 23:05:12.83
九州説対智辯和歌山

705日本@名無史さん2018/12/10(月) 15:52:04.91
九州説対盛岡説

706日本@名無史さん2018/12/11(火) 01:53:24.52
>>477
2018/12/10
【考古】邪馬台国論争、モモの種が一石 「畿内説」強める
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1544436011/

707日本@名無史さん2018/12/12(水) 09:34:17.25
九州説対八戸説

708日本@名無史さん2018/12/12(水) 17:26:40.67
九州説対津軽六ヶ所村説

709日本@名無史さん2018/12/13(木) 12:47:03.33
卑弥呼はピミフと発音するから
邪馬台国も日本では無く卑弥呼も日本人では無いに1票

710日本@名無史さん2018/12/13(木) 13:11:43.27
卑弥呼はピムカと発音するという説もある。
現代語だと日向だ。
筑紫の日向の宮さまの意味だよな。

711日本@名無史さん2018/12/13(木) 17:17:20.85
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

712日本@名無史さん2018/12/14(金) 16:43:38.71
九州説対秋田横手説

713日本@名無史さん2018/12/15(土) 09:36:35.18
>>644
2018/12/14
【発掘】日本最古とみられる仏像の光背の鋳型片発見 滋賀・榊差遺跡
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1544770488/35-37

714日本@名無史さん2018/12/17(月) 10:02:42.30
九州説対津山説

715日本@名無史さん2018/12/19(水) 10:18:15.36
九州説対恵那説

716日本@名無史さん2018/12/19(水) 20:23:28.58
九州説対金沢説

717日本@名無史さん2018/12/20(木) 11:21:23.39
九州説対境港説

718日本@名無史さん2018/12/23(日) 22:18:54.57
九州説対各務原説

719日本@名無史さん2018/12/23(日) 22:41:47.53
九州説対富山村説

720日本@名無史さん2018/12/23(日) 23:18:29.38
九州説対犬山説

721日本@名無史さん2018/12/24(月) 10:11:05.29
九州説対春日井説

722日本@名無史さん2018/12/24(月) 23:12:42.05
九州説対長久手説

723日本@名無史さん2018/12/26(水) 14:54:47.36
九州説対小牧説

724日本@名無史さん2018/12/26(水) 19:31:09.80
九州説対一宮説

725日本@名無史さん2018/12/26(水) 19:43:52.19
日本が1600年前の古墳期にようやく竪穴式住居から抜け出したのに対し、
中国では8000年前にはすでに高床式住居が登場し、早くも竪穴式住居から抜け出していた。

その時代差、約6500年。

その後、中国では6000年前に木骨泥墻が登場し、早くも土壁の住居の時代に入り、
4000年前にはすでに戸建ての時代である。

商周より前の3500年前の王朝では宮殿建築なるものが花開き、2800年前には
瓦が登場し、早くも瓦屋根の戸建ての時代に入るのである。

縄文弥生を通して、日本にはこれら中国の住居が一切伝わっていない。

中国から渡来人があったなんてあり得ないのである。

726日本@名無史さん2018/12/27(木) 11:04:55.77
九州説対弥富説

727日本@名無史さん2018/12/28(金) 17:34:44.98
九州説対小豆島説

728日本@名無史さん2018/12/29(土) 15:47:37.23
九州説対大隅半島説

729日本@名無史さん2019/01/02(水) 01:52:23.13
>>480
2018/12/31
【邪馬台国の九州説に新説!?】古代史の真相に肉薄した一人の天才科学者 魏志倭人伝に示された距離の単位「里」を推定[12/07]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1546267583/
2018/01/01
【邪馬台国九州説】は「99・9%」福岡県にあった!ビッグデータが解いた「卑弥呼の墓」の謎 
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1546268754/

730日本@名無史さん2019/01/03(木) 02:21:07.32
>>481
2018/12/31
【邪馬台国の九州説に新説!?】古代史の真相に肉薄した一人の天才科学者 魏志倭人伝に示された距離の単位「里」を推定[12/07]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1546267583/

731日本@名無史さん2019/01/03(木) 14:55:51.62
九州説対五島列島説

732日本@名無史さん2019/01/03(木) 14:56:35.51
九州説対甑島説

733日本@名無史さん2019/01/03(木) 14:57:06.94
九州説対兎島説

734日本@名無史さん2019/01/03(木) 14:57:44.99
九州説対巌流島説

735日本@名無史さん2019/01/03(木) 14:58:27.83
九州説対八重山諸島説

736日本@名無史さん2019/01/03(木) 14:59:02.71
九州説対宿毛説

737日本@名無史さん2019/01/03(木) 14:59:33.14
九州説対井島説

738日本@名無史さん2019/01/03(木) 15:00:08.13
九州説対戸島説

739日本@名無史さん2019/01/08(火) 10:34:09.87
九州説対佐渡説

740日本@名無史さん2019/01/11(金) 22:27:59.30
九州対日間賀島説

741日本@名無史さん2019/01/12(土) 12:20:19.35
九州説対佐久島説

742日本@名無史さん2019/01/13(日) 13:17:07.71
九州説対篠島説

743日本@名無史さん2019/01/13(日) 23:38:34.48
九州説対礼文島説

744日本@名無史さん2019/01/14(月) 21:19:44.24
九州説対利尻島説

745日本@名無史さん2019/01/16(水) 00:00:46.43
九州説対納沙布岬説

746日本@名無史さん2019/01/16(水) 00:02:45.80
九州説対宗谷岬説

747日本@名無史さん2019/01/16(水) 22:51:21.87
九州説対知床岬説

748日本@名無史さん2019/01/17(木) 07:39:34.97
九州説対根室半島説

749日本@名無史さん2019/01/24(木) 06:44:44.62
>>481
1/23
【邪馬台国九州説】倉本一宏氏「3世紀に統一政権前提、おかしい」「天皇家につながっていると言いたい人たちに利用される危険」
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1548249849/

750日本@名無史さん2019/02/02(土) 20:12:32.82
九州説対積丹半島説

751日本@名無史さん2019/02/03(日) 04:38:02.34
1/31
【邪馬台国論争】畿内説vs九州説、「邪馬台国は東遷したか?」テーマに議論 福岡・飯塚、古代史連続講座に150人★4
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1548932468/1,4,7

752日本@名無史さん2019/02/04(月) 16:28:49.27
九州説対渡島半島説

753日本@名無史さん2019/02/04(月) 16:29:22.98
九州説対亀田半島説

754日本@名無史さん2019/02/04(月) 16:30:11.37
九州説対松前半島説

755日本@名無史さん2019/02/04(月) 16:31:23.33
九州説対函館半島説

756日本@名無史さん2019/02/09(土) 00:02:20.13
九州説対津軽半島説

757日本@名無史さん2019/02/13(水) 16:08:10.23
九州説対下北半島説

758日本@名無史さん2019/02/13(水) 16:09:49.17
九州説対男鹿半島説

759日本@名無史さん2019/02/22(金) 11:01:37.41
>>481
2019/02/21
【考古学】北部九州に紀元前の硯製作跡 国内の文字使用開始、300年以上さかのぼる可能性[02/19]
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/scienceplus/1550732843/43-45

760日本@名無史さん2019/02/28(木) 17:19:44.74
九州説対唐桑半島説

761日本@名無史さん2019/03/15(金) 14:18:22.38
>759
2019/03/14
【歴史】吉野ケ里遺跡で弥生時代後期のすずり。有明海沿岸で初。佐賀県教委発表
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1552530739/70

762日本@名無史さん2019/03/15(金) 18:53:59.71
九州説対牡鹿半島説

763日本@名無史さん2019/04/04(木) 16:56:14.91
「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf

もともと第一の道論は、奈良盆地の自然環境の卓越性を根拠に、生産力の先 進性をことさらに高く見積もり、前期古墳に見る隔絶性から前段階の強力な権力の存在を推定するという本末転倒の論理によって説明されてきた感が強い。
以降、第一 の道論は吉備連合論、河内(大和川水系)連合論、鉄ルート開発 ・ 確保論、倭国乱での巻き返し論等々を巻き込み、 修復を繰りかえしながら多くの論者によって支持され続 けてきた。
しかし証明のための論理や手法に根本的な改 善は見られない。
私は第一の道を否定する立場である。
第二の道とは、(中略)大和弥生社会がこの時期により大き な別の権力主体によって征服、あるいは包括、
刷新されるという苛酷な道であり、そこでは農業共同体構造の再 編は外的強力によって強制的に達成されたことになる。
旧稿において私は、(中略)第二の道を主張した。
しかしこのことが、私があたかも北部九州勢力の東遷論 者であるかに評価されることとなり、
5年後に刊行された橿原考古学研究所論集では改めて、いわゆる「東遷論」 一般には与するものではないことを明記した。

こうした小共同体の安定した強固にすぎる程の紐帯とそれを安住させ得る自然条件の卓越性、それゆえの保守的基盤と非闘争性をもつ大和の弥生社会が、
いわゆる「ヤマト王権」と呼ばれる政治的連合体の権力中枢を内的に生成させ、国家形態を「王国」にのし上げ得るだけの母胎にはたしてなりうるのだろうかという疑問をもつにいたった。
そもそも私は、橿原考古学研究所に入所し自らこのテーマを追い始めた1976 年頃から、大和弥生社会の自然的、社会的、
そして文化的安定性とそれゆえの緊張関係の欠除、いわば内陸後背地の保守的地域がそうした王権機構を生成するような母胎にはたしてなりえたのか、というこの疑問が終始脳裏を離れることがなかった。

(一)大和にとっての外的強力とはいかなる地域のいかなる集団であったか(権力中枢の系譜)、
(二)彼らの征服活動に興ずる必然性とその対象としての大和とりわけ東南部の重要性、
(三) 農業共同体再編の具体化と階級的支配関係の実体については、その後の論攷で私なりの一応の答えは用意することができた。

764日本@名無史さん2019/04/05(金) 16:00:15.70
>>763
なげぇよ

765日本@名無史さん2019/04/05(金) 19:30:04.27
九州からの移民による大和共同体の征服を考えるべきだ

766日本@名無史さん2019/04/05(金) 21:58:34.74
数次に渡る筑紫から西日本への文化の流入だろ。
畿内は未開の地だったからね。
饒速日、三島溝杭耳、神武など、開拓者の記録は事欠かない。

767日本@名無史さん2019/05/16(木) 12:49:09.18
>>766
だね

768日本@名無史さん2019/06/01(土) 12:51:26.96
>>482
5/28
【徳島】「邪馬台国は阿波にあった」 徳島市のNPO法人が「邪馬台国阿波説」で地域活性化へ★3
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1559028256/
https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/0f1ffffe10ace75c73a4c817c78d9cd8435c51cb.80.2.9.2.jpeg

769日本@名無史さん2019/06/01(土) 12:53:06.66
>>477
5/31
【奈良】邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で刀剣の柄・鞘が出土 「纒向に武器を持つ力がある拠点があったことを示している」
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1559297299/
 邪馬台国の最有力候補地とされる桜井市の纒向(まきむく)遺跡の発掘調査で、3世紀前半〜4世紀前半とみられる遺構から刀剣に
関連する木製品などが見つかった。刀剣の持ち手の柄(つか)1点や鞘(さや)2点で、
専門家は「近くに武器の工房があった可能性がある」と指摘する。

 古墳時代の武器に詳しい豊島直博・奈良大教授(考古学)によると、鹿角製の柄は弥生時代の静岡より東に多く見られるといい、
「纒向に武器を持つ力がある拠点があったことを示している」と話す。
 県内の武器工房としては、古代豪族の葛城氏や物部氏に関係するとみられる5世紀の遺跡があるが、古墳時代前期までさかのぼるものは
知られていない。豊島教授は「将来の発掘調査で、纒向から武器工房が出てくる可能性がある」と期待する。
 鹿角製の柄は、同市芝の市立埋蔵文化財センターで9月29日まで展示されている。この調査区は、太田微高地と呼ばれる地域にあり、
一帯では、祭祀に関係するとみられる遺物が廃棄された土坑や、建物の柱穴などが見つかっている。
今回の調査では、新たに井戸も見つかり、調査した市文化財協会の西村知浩・学芸員は「井戸は祭祀(さいし)に用いられた可能性がある。
微高地上の土地利用法が分かってきた」とも話す。

770日本@名無史さん2019/06/01(土) 16:02:55.37
やはり邪馬台国より後の遺構らしいね。
畿内説は壊滅w

771日本@名無史さん2019/06/03(月) 16:33:32.29
  _人人人人人人人人人人人人人人人_
  >   チョンコロがいるぞ殺せ!!  <
    ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
              倭人
           三 ( ´・ω)
          三 ー(‐∪─→
      三 / ̄ ̄ ̄ 》  ̄\
    三三 | ナウマン象U ・ |         死にたくないニダ!!!
     三 と|        ι| |         三┏<;`Д´ >┛
     三 /_∧∨ ̄ ̄/_∧U         三   ┛ ┓

772満州先生の秘書兼愛人おぽかたぱるこ2019/06/03(月) 17:02:23.82
5chのお利口なみなさんへ

満州先生のご本のアマゾンレビューが出ましたのでお知らせします。
(後半のみ抜粋。詳細はアマゾンをご覧ください。)

また本作は邪馬台国論争を解く上でも無視できない必読書である。
なぜなら古代の地理を正確に把握していなければ、
卑弥呼がどこにいたかを論じることはできないからである。
たとえば著者によれば、漢四郡が置かれたのは今の大凌河と遼河の間であり、
楽浪郡と帯方郡は遼河の西にあった。
また著者は前作に引き続き、卑弥呼がいた可能性のある地域について研究し、
新たに四つの候補地を挙げている。
旧唐書の倭国と日本についても、著者は大半の人が気付いていない重要な指摘を行っていて、
それを読めば、旧唐書の倭国とは馬韓であり、馬韓は満州にあったことが分り、
卑弥呼は馬韓の女王であったという浜名寛祐説が正しかったことが分るだろう。

773日本@名無史さん2019/06/04(火) 04:18:03.12
      ´   ヾ
      ゛ (⌒) ヽ
      ((、´゛))
       |||||
マスター、このスレの奴らにはトンスルは一切やらないで!!
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
    / |   ∠|
(゜\./,_ ┴./゜ノ(   
 \ \iii'/ /,!||!ヽ
/V,,ニ..,ニ、、 ノ( \
 \ヽY~~/~y} `/~,/  ∧    ∧
   | ,k.,.,!,.,.,r| ,!  く  / `ー一′丶
   <ニニニ'ノ    \/   : : :: :: :::::ヽ 
.   ▼   >、/⌒ヽ   |    : : :: :: :::::::::l
─‐⊥‐ッ'-‐y' / i_ ヽ、  : : :: :: :::::::/
      `⌒ー′ | |::|  )゙  ..::::〃:ィ´
         \ | |::|  /" ''  : : ::⌒ヽ
     ____  \=::|. i       、 : ::::|____
     {'〜:;}    \ |      ..::| : :::|::::::|;;;|
     {_.:;}....     \      : :::| : :::|::::::|;;;|

774日本@名無史さん2019/06/04(火) 22:11:58.14
何の根拠もなく「存在が証明できないのだ。」とうめき

妄想フルスロットルで「〜だろう。」と断定したがる

識者らに追い詰められると「〜が妥当。」などとホラを吹いて逃げまどう

しばらくすると記憶喪失で再び同じ思い込みを延々とコピペする


それが キ ナ イ コ シ (主に邪馬台国・神代関連スレでの呼び名)

蔑称も多くあり、半島関連スレでは無能ヒトモドキと呼ばれ

高天原スレではカマチョン、海人族スレでは摂津チョンコ

最近では奥山と呼ばれることもしばしば

特徴としては思い込みが強く、他説を聞き入れる耳がなく

また聞き止める度量もない

そして追い詰められるとテキトーなホラを吹き、様々なスレを逃げ回る

そして突如として別キャラでネチネチと書き殴ることも少なくない

しばらくすると記憶喪失を発動させて懲りずに妄想を書きなぐるが、読解力に乏しく、

また思考に一貫性がないのでアルツハイマーの可能性が高い

775日本@名無史さん2019/06/08(土) 05:58:08.81
>>706
6/7
【奈良】邪馬台国の有力候補地「纒向遺跡」の桃の種、かじられた跡なし 「桃が供え物として使われたことを裏付ける重要な成果だ」★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1559914022/

776日本@名無史さん2019/06/13(木) 15:59:32.48
>>477
6/13
【古代】三重・熊野灘沿岸で発見の土器片、邪馬台国の最有力候補地「纒向遺跡」で作成か 「ヤマト王権の航行おさえる拠点」★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1560408101/

777日本@名無史さん2019/06/19(水) 01:32:48.32
日本の人はひどいですhttps://i.imgur.com/0heOxWc.jpg

778日本@名無史さん2019/06/19(水) 02:41:25.72
>>484
6/18
【邪馬台国】被葬者は卑弥呼率いるヤマト王権の対抗勢力の首長? 高尾山古墳保存を議論 文化財協議会、静岡・沼津で全国大会
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1560855677/

779日本@名無史さん2019/07/02(火) 18:11:11.73
>>477
7/1
【奈良】大和の地こそ邪馬台国に相応しい 箸墓古墳と纒向遺跡、大神神社
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1561989131/

780日本@名無史さん2019/07/07(日) 10:13:36.85
>>761
7/6
【考古学】最古級のすずり 内陸部にも 朝倉・下原遺跡で出土、弥生中期中頃 黒色顔料が付着 福岡
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1562411131/

781日本@名無史さん2019/07/20(土) 15:24:40.23
>>764
では短く

「大和弥生社会の展開とその特質(再論)」
http://www.makimukugaku.jp/pdf/kiyou-4.pdf
「私はこの仮称「ヤマト」国こそが『魏志』倭人伝に記された「邪馬台国」であろうと考えている。」

782日本@名無史さん2019/07/20(土) 20:35:05.43
>>781
その一文が前後の脈絡なく挿入され、仕方なく書かざるを得なかったことがわかるから、全文を読むべし。

783日本@名無史さん2019/07/20(土) 20:59:58.56
キチとかトンデモって勝手に自分に都合よく解釈するよね

784日本@名無史さん2019/07/20(土) 21:02:17.23
>>782
陰謀論は論理的敗者の証

785日本@名無史さん2019/07/22(月) 03:53:08.88
>>478
7/21
【滋賀】邪馬台国近江説って? 東西交流拠点、伊勢遺跡から推定 可能性低いが、町おこしに活用
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1563717030/

786日本@名無史さん2019/07/30(火) 22:49:49.55
7/30
【古代】邪馬台国論争、議論は永遠の平行線★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1564465813/

787日本@名無史さん2019/08/13(火) 15:23:37.02
九州説対岡崎説

788日本@名無史さん2019/08/19(月) 16:31:58.20
九州説対伊良湖岬説

789日本@名無史さん2019/09/03(火) 12:28:04.05
九州説対渥美半島説

790日本@名無史さん2019/09/03(火) 18:04:48.17
8/31
【愛媛】小松と邪馬台国、関連の仮説披露 古代へ思いはせ 西条で講演会
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567258669/

791日本@名無史さん2019/09/06(金) 22:45:04.95
今日の朝日に日田の鉄鏡の記事があるが、
話題にすらなってないとか、どんだけやねん

792日本@名無史さん2019/09/09(月) 17:57:44.09
>>480 >>484
9/8
【歴史】卑弥呼の邪馬台国と争った国「狗奴国」が熊本に? 九州説に新解釈 ★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567920865/

793日本@名無史さん2019/09/09(月) 20:41:22.64
別に新しく見つかったわけではないのだろう?

794日本@名無史さん2019/09/12(木) 17:48:10.41
>>791
昔っから知ってる人は知ってる古いネタなんだよ
今さらってこと

九州説的には、こんな古いネタでも新証拠って言いたいんだろうけどさ

795日本@名無史さん2019/09/13(金) 00:51:41.01
九州説でも鏡は既知だったが、曹操の鏡だとまでは言われてなかった。
魏の鏡だとまでは言われていたはず。
難癖はみっともない。

796日本@名無史さん2019/09/14(土) 16:00:40.75
>>480
9/13
【歴史】邪馬台国の卑弥呼がもらった?曹操墓出土と同型の鏡 「皇帝の所有物にふさわしい最高級の鏡」がなぜ九州に? ★2
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1568347237/

797日本@名無史さん2019/09/14(土) 16:59:06.27
さすがに曹操の墓の鏡と同系統のだと倭国乱より前だろうに
どうして卑弥呼と関係あると思えるのか

798日本@名無史さん2019/09/15(日) 13:23:45.48
>>795
>曹操の鏡だとまでは言われてなかった。

あくまで、曹操の鏡と同レベルの鏡であって、曹操の鏡じゃないんだよ
王侯貴族級の鏡だというだけ

大陸の鏡に同笵鏡なんてないんだから、同じ鏡ではないんだよ
鏡は1枚ずつ鋳型から作られるもの
特に王侯貴族向けは特注品の一点もの

こういう常識がないから、九州説はバカにされるし
今回踊っている人たちはみんなバカ

799日本@名無史さん2019/09/15(日) 14:19:51.52
過小評価しないと気が済まないのだなあ。
少なくとも貴族級より上なんだよ。
皇帝よりわずか下。
つまり魏王級。

800日本@名無史さん2019/09/15(日) 16:54:10.90
九州説対日間賀島説

801日本@名無史さん2019/09/17(火) 20:25:23.71
九州説対篠島説

802日本@名無史さん2019/09/17(火) 21:25:46.96
>>797,799
倭国乱より前ということはないが、乱が終わるよりは前だよな。まだ、真っ最中のころ
卑弥呼の共立と無関係な、もしくは卑弥呼の擁立をおこなった一員の地方豪族じゃね

803日本@名無史さん2019/09/17(火) 21:40:27.59
>>802
なんですぐに地方豪族と言いたがるのかな?
それこそ倭王でも貰えるかどうか怪しいのだが?

804日本@名無史さん2019/09/17(火) 22:03:55.74
でもな、たとえ日本列島の二割三割ほども束ねる大勢力であっても、
最有力者じゃなければ地方豪族としか呼びようがなだろ?
それか、地方王と呼んだらいいのかな?

805日本@名無史さん2019/09/18(水) 06:04:47.41
博多湾を征すれば倭王

806日本@名無史さん2019/09/19(木) 14:01:37.84
>>805
それ、奴国
のちの筑紫国造

807日本@名無史さん2019/09/19(木) 14:46:31.02
つまり金印を受け取った倭王だよね。

808日本@名無史さん2019/09/19(木) 16:12:00.17
九州説はスケールが小さいというか、ローカルな話に落とし込もうとしすぎる

809日本@名無史さん2019/09/19(木) 17:08:25.34
実際にローカルな話だったんだと思う。
しかし、そのローカル政権が全国規模になったのだろう。

810日本@名無史さん2019/09/19(木) 18:07:03.24
>>808
すると邪馬台国の人口は七万戸ではなく七千戸だったわけか

811日本@名無史さん2019/09/19(木) 18:07:47.76
>>808ではなくて>>809だった、すまん

812日本@名無史さん2019/09/19(木) 18:54:15.44
>>807
それ200年くらい前ww
九州説はみんな時系列がおかしい

奴国の領域は3世紀には、甕棺墓も王墓級遺跡も、厚葬墓も出なくなっている
舶載鏡もわずかしかない

奴国と邪馬台国が遠く離れた別の国として描かれているのを認めることから始めないとな

813日本@名無史さん2019/09/19(木) 19:29:02.48
キナイコシの周りだけ時間の進み方が違うのかもしれないぞ。
プラズマのせいかな?

814日本@名無史さん2019/09/20(金) 05:15:58.67
>>482
9/17
【京都】最古級の前方後円墳に石室、向日で出土 邪馬台国の女王、卑弥呼の墓説ある箸墓古墳に酷似
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1568728745/

815日本@名無史さん2019/09/20(金) 14:28:48.99
九州説がキナイコシって言いたがるのは
半島の人が日本人をチョッパリと呼びたがるのと同じなんだろ?

生まれは出るものだねw

816日本@名無史さん2019/09/20(金) 16:43:19.65
九州説がキナイコシって言いたがるのは
半島の人が日本人をチョッパリと呼びたがるのと同じなんだろ?

生まれは出るものだねw

817日本@名無史さん2019/09/20(金) 16:43:51.93
九州説対能登島説

818日本@名無史さん2019/09/20(金) 18:29:34.74
>>815
いや、キナイコシという呼び名を使ってるバカは1人だけと思うけど
多くても二人かそこらだろ

819日本@名無史さん2019/09/21(土) 20:25:35.89
>>818
つまりそいつが半島の出だってことだろ

820日本@名無史さん2019/09/23(月) 08:35:57.40
>>768
7/11
【古代】「阿波風土記」が裏付ける“邪馬台国四国説”…卑弥呼を連想させる徳島県の特徴、後継者とも関連が?
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1562853581/

7/15
【大嘗祭】大嘗祭調度品の関連儀式=「麁服」の材料、大麻を刈り取る「抜麻式」が行われる−徳島
https:
//asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1563196847/
8/09
【皇位継承】皇位継承の重要祭祀「大嘗祭」で献上される麻織物の糸を紡ぐ「初紡式」 徳島・三ツ木八幡神社
https:
//asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1565357830/
9/4
【奈良】天皇即位の大嘗祭と忌部のつながり説明 吉野川市でイベント
https:
//asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567542954/

9/10
【†】「全国初」の石剣が出土 平形銅剣を模したものか・阿南
https:
//asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1568114832/

9/6
【歴史】女王卑弥呼は阿波にいた?邪馬台国論争、徳島が名乗り。古代史ブームに乗り、「ひょっとしたら…」の町おこしへ
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1567750591/
9/22
【徳島】邪馬台国=邪馬壹国で、阿波に 研究者が出版 本来の邪馬壹(やまと)国が邪馬台国に 高天原は神山町、卑弥呼も同町に
https:
//asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1569161581/

821日本@名無史さん2019/09/23(月) 08:40:57.02
>>482
 >>790

>>477 >>814
9/10
【考古学】ヤマト王権トップ?の木棺、初公開 桜井茶臼山古墳 
https://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1568090711/

822日本@名無史さん2019/09/24(火) 12:02:32.62
>>818-819
そういや、ヤツが言うキナイコシのコシってどういう意味なんだっけ

823日本@名無史さん2019/09/24(火) 14:57:22.53
もともとキナイコシの打ったタイプミスで、深い意味はない。

824日本@名無史さん2019/09/24(火) 16:04:12.58
九州説対志摩半島説

825日本@名無史さん2019/09/25(水) 15:04:46.27
九州説対丹後半島説

826日本@名無史さん2019/09/30(月) 14:30:43.38
九州説対葛籠尾崎説

827日本@名無史さん2019/10/02(水) 16:08:04.02
九州説対伊香保温泉説

828日本@名無史さん2019/10/03(木) 13:22:47.73
九州説対草津温泉説

829日本@名無史さん2019/10/06(日) 02:34:59.44
>>820
徳島=畿内の下請け

830日本@名無史さん2019/10/07(月) 20:18:53.72
小枝に馬具の物証が本物だとホケノ箸墓が4世紀5世紀だと崇神モモソ姫の世代にしては遅すぎね?
七支刀が本当だとしての神功皇后にダブってくる
ここはやはり物部さんに説明してもらうしかな

831日本@名無史さん2019/10/08(火) 10:35:43.38
九州説対草津温泉説

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