平清盛が源頼朝と義経を子供のうちに殺害していたら [転載禁止]©2ch.net

1日本@名無史さん2015/09/21(月) 12:03:39.78
母親に懇願され、情けに負けて平清盛は頼朝と義経を殺さず
伊豆と鞍馬寺に流罪としてしまった。そのため平家は滅びたと
されるが、もしこの2人を母親の懇願を無視し殺してしまって
いたら、果たして平家は存続したのか、それとも滅亡の運命
からは逃れられなかったか、考察してください

2日本@名無史さん2015/09/21(月) 16:02:51.87
関東ではいずれ平家や朝廷の支配を離れて、独立する勢力ができたのは
間違いない。だが、源頼朝がいなければ、あれほどの巨大勢力にはならず、
いくつかの独立勢力が併存する事態になっただろう。

木曽義仲によって平家は都を追われるが、源頼朝がいなければ、平家を
殲滅するところまではできない。よって、平家は西国を拠点として存続
する。

西国の平家、木曽義仲、関東の複数の独立勢力、奥州藤原氏が併存する
時代になっていただろう。

3日本@名無史さん2015/09/21(月) 19:48:43.28
>>2
いやいや、この三者だけではない。
東海東山には甲斐源氏、
四国には河野、近藤などの反平氏豪族
九州には菊池などの反平氏豪族も存在する。
また畿内の寺院勢力も無視できない。
義仲、平家、奥州藤原はその中の有力な勢力になるだろうが
その他の諸勢力が小勢力として並立する
戦国時代のような様相を呈する。

もしそれが100年近くつづいていたら元寇に対処できなかった可能性がある。

4日本@名無史さん2015/09/21(月) 21:17:35.38
>>2
ということは、東西朝時代の幕開けですね。わくわくw

5日本@名無史さん2015/09/21(月) 22:14:40.38
新田義貞がおるやん

どちらにせよ平家は滅亡しただろう

6日本@名無史さん2015/09/22(火) 00:31:15.92
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

7日本@名無史さん2015/09/22(火) 00:31:52.49
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

8日本@名無史さん2015/09/22(火) 05:26:17.46
新田義貞は時代が違うやん。

9日本@名無史さん2015/09/22(火) 07:02:08.57
墾田永年私財法の約束があったために
平氏は実際何を考えていたか分からんが歴史通りならやはり
日本から撤収していたと思う。

当時の日本社会の状況と菊池家などの九州勢力と近畿の寺院勢
力や天皇家の存在がある以上源氏とか頼朝とかがいなかったと
しても適当な例えば関東平野の人とかに同じことをやらせていたはずだと思う。

10日本@名無史さん2015/09/22(火) 08:39:34.98
関東の人たちは関東八平氏とか源氏の佐竹とかだけど、上に立って束ねる頼朝無しではまとまらない。
頼朝が利権争いを調停したから御輿として担がれた。

11日本@名無史さん2015/09/22(火) 10:03:35.34
上総介広常・佐竹秀義・志太先生義広などは、平家や中央貴族の支配を嫌ったが、
鎌倉政権の干渉も嫌っていたふしがある。頼朝の権威を認めず、自分の独立性を
主張していたように見える。
このような関東独立勢力からすると、頼朝はいないほうがよかったかも知れない。

また、奥州藤原氏は、平家や中央貴族と適当に友好を保ちながら、独立を守るほうが
合っていただろう。

12日本@名無史さん2015/09/22(火) 10:59:20.65
佐竹は平家に親かったんで頼朝に従わずに討伐された。佐竹討伐を主張したのは上総広常。
広常は佐竹と勢力争いをしていてその件の解決を期待して頼朝に参じたので平家追討より
佐竹討伐が先と主張し、頼朝はそれを拒否出来なかった。

13日本@名無史さん2015/09/22(火) 11:03:04.32
頼朝のようなリーダーがいないのだから、中央が平家、関東は独立武士、そして東北は藤原氏という割拠状態が常態化するだろう。
という事は武士はこうあるべしという規範も存在しないため、武士は公家化した連中と4世紀早く登場した戦国大名のようになった坂東武士に二分化し・・・
元寇が来て終わりかな。

14日本@名無史さん2015/09/22(火) 11:07:30.02
追記。上総広常は頼朝麾下で最大の勢力を誇ったので頼朝にとってもだんだん目の上の
たんこぶになっていったし、他の御家人にも横暴な振る舞いありとして誅殺される羽目になった。

15日本@名無史さん2015/09/22(火) 11:12:44.58
でも木曽義仲によって平家が都落ちするところまでは行くだろう。
そのあとが義仲にうんざりした都人によって平家が返り咲くのか、
他の誰かが義仲に取って代わるのか?

16日本@名無史さん2015/09/22(火) 12:15:47.84
範頼もいたと思うし、山伏とかが適当に日本全国から
さらうとかやってたと思うよ。

まあこういうのもあれだけど平氏が日本で政権を維持しようとする気が
あったのかなかったのか分からないからね。そういう体だと思うけど。
静御前などに弱みでも握られていたか、日本には関係があまりない別な
事情があったのか。その時には既に影武者だったとか。

17日本@名無史さん2015/09/22(火) 13:00:15.41
頼朝・義経がいないとすれば、後白河院は木曽征討を甲斐源氏・信濃源氏などに
命じるかも知れない。
義仲が都を落ちていった後は、これらの源氏たちが上洛し、検非違使などの
官位を得て、都の治安に当たるだろう。

平家は一の谷・屋島などに拠点を築いて西国に勢力を張るが、頼朝・義経が
いなくては、簡単には落ちまい。
膠着が続いたところで、平家は後白河院と和睦して、都への復帰を図るのでは
ないか。平家が復帰すれば、平家が事実上「幕府」の役目を果たすだろうが、
東国や奥州は独立状態になるだろう。

18日本@名無史さん2015/09/22(火) 13:33:03.85
まあ、奥州藤原氏は自分たちの所領のこと以外あまり考えてなさそう
だったからね。東方見聞録などはあると思うけど実際どれだけ金の
産出量や埋蔵量があったのかっていうところが。

相応の金があれば、欲しいものや必要なものが基本貿易で入手できただろうからね。

京都の治安維持は・・・僧兵でも源平ブランドの武士団でもなく
「ろぼっと」か「すーぱーまん」みたいな日本人がいればよかったよね。
まさこちゃんと北条氏が出てきてくれたからよかったものの。

19日本@名無史さん2015/09/22(火) 17:21:38.38
信濃源氏は大概義仲に従ったんじゃないの?
ザッと見たところでは、村上は義仲配下から後白河に付いて、義仲と戦ったけど破れて頼朝の元に参陣。

20日本@名無史さん2015/09/22(火) 17:54:07.17
>>19
信濃源氏などは義仲に従ったというよりは、やや義仲に主導権のある同盟ってとこかな?

信濃以外に義仲についてたのは(同盟的立場)

北陸豪族 → すぐ離れる
源光長(美濃源氏)→法皇につき敵対
葦敷義隆(尾張源氏)→距離を置く
安田義定(甲斐源氏)→離れて頼朝につく
源行家→ 敵対

山本義経(近江源氏)→最後まで義仲につく
志田義広→最後まで義仲につく

頼朝のような強力な主従関係によって構成された(といっとも後世より拘束力ははるかに弱い)家人をあまりもたない
同盟者頼みの義仲は同盟者に去られると
軍事力はすぐにガタ落ちする。

21日本@名無史さん2015/09/23(水) 20:41:51.66
平家が西国で生き延びたら、貿易を独占して経済力で返り咲くだろ

22日本@名無史さん2015/09/23(水) 21:34:56.26
>>21
宋に支払うものがないじゃん。
奥州の金が届かない状況になってるでしょ?

23日本@名無史さん2015/09/23(水) 22:23:34.17
バカ?商社って知ってる?

24日本@名無史さん2015/09/23(水) 23:02:07.11
商社なんて言われたら都人も驚くわ!

25日本@名無史さん2015/09/23(水) 23:42:31.84
消費財が輸出品だったみたいだからなんかしらあったんじゃないの

26日本@名無史さん2015/09/24(木) 04:26:04.04
>>23
支払いの決済としての金といってるんじゃなくて
相互支払いの物品としての金と言ってる。
貿易なんだからただで物もらうわけではないでしょ。

日本からの輸出品は、金、刀剣、硫黄くらいだったと思う。
そのうちの主力輸出品が金。

27日本@名無史さん2015/09/24(木) 04:39:45.20
えっと、商業ってわかる?

28日本@名無史さん2015/09/24(木) 06:18:33.38
>>27
じゃあおたくの考える平家時代の日宋時代の実際は?

29日本@名無史さん2015/09/24(木) 06:20:17.69
×実際
○実態

30日本@名無史さん2015/09/24(木) 15:07:48.04
日本地図を見て考えてみよう

31日本@名無史さん2015/09/24(木) 16:35:12.89
>>30
全然答えになっていないんだが。
あ、マジレスしたらいけない君だったかな?

32日本@名無史さん2015/09/24(木) 17:08:12.68
マジで解らないのか?
脳軟化症だな

33日本@名無史さん2015/09/24(木) 18:08:59.16
>>32
じゃあ地図からどう読みとくのか説明して。

お馬鹿な相手でもわかるようにお願いします。

34日本@名無史さん2015/09/26(土) 08:51:13.36
>>17
そもそも東国は大豊作で西国は飢饉だったから東国勢もこの機に乗じて次から次へ対抗手段を練りつづけてたと思うよ

35日本@名無史さん2015/09/26(土) 11:52:57.43
>>34
東国の範囲も微妙だよな。
東山 自分たちが食べる分は確保できるが、地形気候のもんだいで放牧の方が盛ん。
都までの輸送経路は陸路中心で効率悪い。
東海 箱根以東は当時の地形と交通の便の都合で穀物より、布糸での年貢納付が多数。(穀物もそれなりかもしれないが)
北陸 穀倉地帯&琵琶湖を使った輸送により穀物を都に納入。

食糧問題だけ考えると北陸を押さえたもんの勝ち。

36日本@名無史さん2015/09/26(土) 11:58:35.24
>>34
その北陸も義仲VS平家で大量の農民が徴兵されて
気候は良くても耕作人が足りずに収穫高がかなり減っていた。
頼朝が義仲滅亡後比企能員を北陸に送り込んだけど
最初の任務は荒廃した農地の回復だったらしい。

飢饉は天候による天災と戦乱による農地荒廃という人災両方の側面がある。

東国豊作という面だけでのその先の可能性評価は難しい。

37日本@名無史さん2015/09/26(土) 19:16:19.06
貴族化していった平家じゃ御家人の不満を吸収仕切れなかっただろうから、
いずれは源氏か平氏の誰かを棟梁に祭り上げて平家と対立していったであろう。
頼朝は神輿

38日本@名無史さん2015/09/26(土) 21:09:19.75
>>37
だろうな。
誰かをきっと担ぎ上げる。
でも頼朝ほど有能な神輿はなかなかいないだろうな。

39日本@名無史さん2015/09/26(土) 21:33:52.77
無能な神輿では幕府のような独立政権の枠組みは作れなかっただろうし。
ひょっとしたら後の承久の乱で朝廷軍に敗れて潰えていたかもしれない。

40日本@名無史さん2015/09/26(土) 22:23:28.39
頼朝みたいなクソ重い神輿は最終的には切り捨てられる

41日本@名無史さん2015/09/26(土) 22:43:05.65
>>40
重しがなくなったら内紛時代突入だったけどね。

42日本@名無史さん2015/09/27(日) 00:54:40.63
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

43日本@名無史さん2015/09/27(日) 00:55:14.77
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。
ヨーロッパ、アフリカ、中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

44日本@名無史さん2015/10/03(土) 20:27:19.63
姉妹スレ
もし平家が源氏を滅ぼしていたら…
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1296004824/

45日本@名無史さん2015/10/29(木) 22:51:12.64
>>38
頼朝って優秀か?印象では北条に操られてたとしか思えんけど

46日本@名無史さん2015/10/30(金) 01:17:00.05
頼朝は日本史上屈指の政治家だよ

47日本@名無史さん2015/11/05(木) 05:19:25.10
頼朝義経が殺害されても、頼朝義経の変わりになるのが出て
いづれ平家は滅ばされたと思うがね
平家滅亡の最大原因は、後白河幽閉し清盛が独裁者になり
平家以外の領土をどんどん取り上げ、平家以外がみんな反平家になってしまったとこだと思う
あっちこっちで反乱多発し、家で例えたら
寝室でボヤが出て火を消しても、今度はトイレで火が出て、さらに玄関が(九州や南都や)
そして台所でガス爆発し大炎上(木曽や頼朝)
家中の壁にガソリンまかれた状態の家になってしまっていた

頼朝の弟が土佐に流され、そこで反乱したが鎮圧され殺されたが
頼朝が西国に流されたら、同じ運命辿ってたでしょう
たまたま伊豆にいたので担がれたが、頼朝が関東にいなかっても
変わりの血統の良い誰かが担がれたでしょう
別に源氏でなくても、京から流れた藤原貴族や以仁王みたいな皇族とか

義経の変わりが出たかどうかは判断に困る
しかし義経の存在は、平家が早く滅亡するか、遅くに滅亡するかの存在だったと思う
あの定石を無視した戦法の人間は、他にもいたと思うが
対平家司令長官として抜擢されたかどうかの問題
木曽義仲だって義経と同じ人生を歩んでいれば、似たような戦績収めたかもしれない

結論として頼朝義経が殺されていても、鎌倉幕府のようなものは出来たと思う
その過程の歴史は違ったものになると思う

48日本@名無史さん2015/11/05(木) 16:10:53.15
三行で

49日本@名無史さん2015/11/05(木) 21:18:16.74
頼朝北条未登場、何処ぞの公家だけじゃ幕府は難しいよ。
少なくとも承久の乱を切り抜けて全国を統治なんて団結力は育たない。
多分、リーダーが居なきゃ坂東武者はそれぞれ独自に割拠・自立の動きを見せるだろう。
鎌倉室町を挟まずに戦国時代になるかもしれないな。

50日本@名無史さん2015/11/05(木) 21:31:54.81
頼朝は傀儡だと思うなあ
事故死も暗殺じゃね

51日本@名無史さん2015/11/05(木) 21:52:02.28
神輿は軽くてバカが良い
神輿も要らなくなったから3代でポイ

52日本@名無史さん2015/11/05(木) 21:56:39.97
>>50
頼朝が必要なんじゃない。
北条も未登場なのが痛いんだ。
そうなったら比企も安達も表舞台には出てこれない。
リーダーが不在だろ。
どうみたって群雄割拠一直線だ。

53日本@名無史さん2015/11/07(土) 06:42:57.87
頼朝の凄さを認識したいなら、全国の暴力団を統一することを想像すればええな

54日本@名無史さん2015/11/07(土) 12:00:31.24
頼朝の凄さって、元総理の娘に生まれただけで衆議院議員になったようなものだろ

55日本@名無史さん2015/11/07(土) 14:39:15.35
>>54
平安当時の総理大臣相当=左大臣

平治の乱当時の実力
平清盛=政務次官&貿易公社会長&山口組トップ
源義朝=国土交通庁の局長級官僚&栃木県知事&南関東限定広域暴力団トップ

56日本@名無史さん2015/12/27(日) 17:47:01.27
結局、坂東平氏の内ゲバに源氏の御曹司担ぎ上げたって感じじゃねーの?
芝居や講談が源平を面白おかしく分けて表現してしまったが源氏の佐竹が清盛に近かったり頼朝と戦ったり

しかし佐竹って戦国時代は石田三成に近く家康と対立したり
そのくせ維新まで生き残った
世渡りが下手なのか上手いのか?

57日本@名無史さん2016/01/21(木) 01:41:08.87
義経は肖像画からすると義朝の子供じゃない
八幡太郎から受け継いだ清和源氏系の遺伝的特徴がない

58日本@名無史さん2016/02/05(金) 17:15:40.62
義経物語読んでるんだが、最初に源氏は一族ぬっ殺されて義経だけが僧になることを条件に
生かされたと書いてあるのに、後になって一族やら実の兄貴やらいっぱいでてくるのはなんなの?
詐欺ですか?

59日本@名無史さん2016/02/05(金) 18:57:42.75
平清盛が白河天皇の子ってマジ?

60日本@名無史さん2016/02/05(金) 20:20:02.30
肖像画からすると白河天皇の子供じゃない
同時代を生きていた天皇・皇族系の遺伝的特徴がない

61日本@名無史さん2016/02/05(金) 21:15:57.79
歴史にIfは無い、天地人そのもの。
人や社会、世界を知るに頭を巡らせれるのは結構。

終了。

62日本@名無史さん2016/02/05(金) 22:02:13.39
平清盛が白河上皇の御落胤ってのは、
あくまでも虚構も多い平家物語での話にすぎない。
『平家物語』の成立は鎌倉時代以降。

63日本@名無史さん2016/02/05(金) 22:13:26.01
源頼朝は平治の乱で平家によって打たれた源義朝の遺児なので
担がれとしては最適の人物だったけど、
仮に頼朝がいなくても別の人物が担がれていたな。
おそらく、東国の源氏の誰かさん。

64日本@名無史さん2016/02/06(土) 01:04:04.00
他の源氏が棟梁になるだけ
源氏うじゃうじゃいるし

65日本@名無史さん2016/02/06(土) 01:18:17.86
自称だらけだけどな当時も

66日本@名無史さん2016/02/06(土) 14:07:21.64
義仲のヒャッハーが長期化

67日本@名無史さん2016/02/08(月) 11:16:26.21
>>58
その物語が事実関係を確認されないまま書かれてるだけ

68日本@名無史さん2016/02/11(木) 18:16:14.20
幼少期の頼朝を殺害していたら
間違いなく平家一門が
天下統一をしていたから
信長や秀吉や家康も出てこなかった

69日本@名無史さん2016/02/11(木) 18:33:34.60
>>68
分かれていないものは統一できない

70日本@名無史さん2016/02/15(月) 19:02:09.85
イザベラ・バードも『日本奥地紀行』に、「彼(義経)は蝦夷に逃れてアイヌ人と長年暮らし十二世紀の末に死んだ、
と信ずる人も多く、アイヌ人は何処のことを固く信じている人は殆ど無く、義経は彼らの祖先に文字や数学と共に、
文明の諸学芸を教え、正しい法律を与えた、と主張している」、等と和人からの伝承を記している。

ってWikipediaにあるんだが「何処のことを固く信じている人は殆ど無く」ここの意味がわからん
信じてるのか信じてないのかどっちなんだw

71日本@名無史さん2016/02/15(月) 19:07:14.81
信じてる和人は多いが
信じてるアイヌはほとんどいない

72日本@名無史さん2016/02/15(月) 23:39:55.98
大陸に渡ってチンギスカーンに謁見してイタリアでマルコポーロになったって伝説聞いた

73日本@名無史さん2016/02/16(火) 00:53:53.41
>>66
西国は平家
東国が木曽源氏
奥州が奥州藤原氏

長期の
三国鼎立だな

74日本@名無史さん2016/02/26(金) 23:04:51.75
足利尊氏が挙兵するまで平家幕府が栄えてた

75日本@名無史さん2016/02/28(日) 20:51:57.46
>>70
あれだよ、蝦夷地併合するための正当性のある理由として
和人の義経が蝦夷地にわたってその地の人々に物を教えた恩人だから
和人が統治してもいいよねって感じだったんだろう
為朝が琉球の王になったとする捏造も、同じ理由で
義経がモンゴルにわたったのも、満州の手に入れる為の同祖論
戦時中のユダヤ同祖論も似たようなもんだ
朝鮮人が、天皇は朝鮮出身だからウリナラが日本を支配していいニダ!と言うのと似てる

76日本@名無史さん2016/05/10(火) 09:11:45.36
>>59
平忠盛と祇園の女との子供? 池禅尼は義母?

77日本@名無史さん2016/06/29(水) 12:42:28.97
清盛のほうが頼朝より長寿だった。

>>1
そうすると残党が復讐する。以上。
じっさい、北条の乗っ取りって平家による復讐だろ。

78日本@名無史さん2016/06/29(水) 20:17:34.57
>>77
平氏と平家を混同してる?(´・ω・`)?

79日本@名無史さん2016/07/20(水) 00:48:26.31
別の源氏が神輿に担がれるだけだろ。希義、範頼、義経の兄二人とたくさんいる。義仲もいるし

80日本@名無史さん2016/07/20(水) 09:03:16.78
>>79
反平家と独立性の高さから坂東に注目するなら新田義重かな
頼朝に対しては遅れをとったけど
頼朝がいなかった場合だったら有力じゃないかな

81日本@名無史さん2016/07/21(木) 22:12:29.43
史実では1183年に木曽義仲は幕府を開いているが、すぐさま義経に滅ぼされる。
>>1の仮定に従えばこの部分以降が「無い」ことになる。 関東も頼朝以外の源氏が群雄割拠して
どんぐりの背比べ状態となる。木曽義仲の京都幕府はおそらく足利幕府のさらなる弱体化バージョンとして
だらだら存続し南北朝時代のようなカオスが続く。
誰かも書いているが鎌倉・室町を経ずに戦国が来るというのは有り得るね。

82日本@名無史さん2016/07/22(金) 22:34:57.96
そしたら、何処が天下統一するんだ?
平家が都“戻り”するか、それとも関東に戦国の北条のような新たな覇者が現れるか。
それとも藤原が一気に中央に進出を始めるか・・・
どうなんだろうな。

83日本@名無史さん2016/07/23(土) 00:28:30.02
平家と京都幕府は東経135度で戦線膠着、後世これを「135度線」と呼ぶ。
平家は京都奪還を諦め、中国大陸 東南アジアとの交易を深める海洋国家路線を志向する。
一方 奥州藤原氏は中央政局には関心を示さず、適当に付き合いながらオホーツク経済圏を目指す。
近畿から関東は戦国時代へ突入。京都幕府も朝廷も形骸化する。史実より早く、そして長い戦国時代が続き、
真の天下人が現れる。 
その男の名は、

84日本@名無史さん2016/07/23(土) 02:30:17.36

85日本@名無史さん2016/07/23(土) 03:03:14.58
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

86日本@名無史さん2016/07/23(土) 22:21:47.32
>>84
油売りの方ではなくて、その油売りに乗っ取られた方か。
しかし、基本的に応仁の乱に乗じて領国を拡大して天下を取るってのは、乱が起きうるレベルの中央政権が無いと出来ない話だろう。
そう、史実より長期に渡る戦国時代になってしまったら、それぞれの領国が確固とした領域国家に固まってしまって統一は難しいんじゃないか?
妙な竦み状態で、図抜けた奴が出辛いだろう。

87日本@名無史さん2016/07/23(土) 22:43:56.65
結局上洛を果たして朝廷の権威を担いだ者が天下を取る流れだろう。

でも俺の考えでは平家が都に返り咲いて戦国時代にはならないと思うけど。

88日本@名無史さん2016/07/23(土) 23:45:50.22
平家が日本全土を統制できるだろうか?
多分、出来ない。
幕府のように独自のシステムを作ってるわけでもなく、基本的に形骸化した朝廷のシステムの流用だからね。
これじゃ武士の支持は得られない。
武士は、自分の領地を認めてくれない主は当然ながら認めない。
平家が滅んだのはそれだ。
しかし平家が都戻りしても、それを認めないだろう。
基本的に平家は、朝廷に寄生することで栄達し、生きている組織だからな。

なら、平家が全国を統一することは難しいだろう。

89日本@名無史さん2016/07/24(日) 00:12:34.21
鎌倉幕府は承久の変を乗り切ったけど鎌倉幕府も頼朝もない関東武士団は
承久の変を乗り切れない。朝廷の権威(を担いだ平家)に従うしかない。

90日本@名無史さん2016/07/24(日) 00:20:12.81
>>89
だから、武士は御恩の無い殿様には従わないよ。
土地の所有権すら保証できない、若しくはしない組織に何故全てを捧げねばならないんだ?
宣旨だけで武士が動いた時代は、乱世の始まりと共に終わってる。
というか、平家がある意味それを終わらしてしまった。
なら、自分の力で切り開くって方向に向かうと思うよ。
武士の所有権を認めない以上、平家に従う意味が全く無いもの。

91832016/07/24(日) 00:35:14.07
>>86
ども。斎藤妙椿を出したのは「ただ言いたかっただけ」で深い意味はないです。勘弁してくださいよ旦那。
おいらは別レスでも並行してこの問題にコメントしているのだが、想定しているIF歴史は
治承・寿永の乱が終息せずにダラダラ長期間それも100〜200年というレベル。
後日この手の長文連投をするつもりなんだが、少し書いておくと、このIF歴史と史実の違いは
武家側が公家政権より勝ち取った権限、下地中分・地頭請・半済・守護請などが未だかちえていない社会を
考えてみた。 武士の成長が史実より未熟なまま戦国に突入するわけだな。守護領国制の前段階である荘園公領制の状態での
「戦国時代」を空想してみたわけだな。
周知のとおり、最初の戦国大名は北条早雲あるいは尼子経久(演:緒方拳 シビレル)を
挙げてよかろうと思うが、もう少しおもろい奴を思いつかなくて、誰かが後を書いてくれるだろうと
一旦退却したのだが、突然 斉藤みょうちんの名が頭に降りてきたので深い意味はない。
足利氏は鎌倉幕府の厚遇で肥大化した武士団だし、新田は勝手にすべってるのでIF歴史でも不合格。
あなたのおっしゃるとおり、山名も大内も守護領国制の申し子だから これもペケだすな。
あー、わかったよ。83の続き あんたが書いてくれよ。
んじゃあ、いくよ。

史実より早く、そして長い戦国時代が続き、やがて真の天下人が現れる。 

その男の名は、

92日本@名無史さん2016/07/24(日) 01:04:01.55
蓮如
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%93%AE%E5%A6%82


日本史上最強のオルガナイザー。 (自分で答えちゃった)

93日本@名無史さん2016/07/24(日) 10:20:04.33
平治の乱で頼朝を処刑しておくべきだったという意見は正しいだろうね。

ただ、平治の乱は首謀者が藤原信頼でほぼ確定している。
信頼の方は、目の前で妻子を全て処刑してから、車裂きにされ、信頼は凄まじい
断末魔を上げながら死んだ、と残っているから、マジで怒りを買ったんだろう。
余りにも信頼一人に罪を押し付けた(あるいは事実そうだった)反動で、
他は甘くなってしまった。

>>1
これ、嘘。池禅尼と清盛はすさまじく仲が悪いので、清盛が池禅尼の意見など聞くわけがない。
朝廷が源義朝の罪を軽く見なし、頼朝を処刑するまでもない、としただけ。
最も、流されている途中で処分しておくべきだったと思うけどね。
後の藤原成親のように。

94日本@名無史さん2016/07/25(月) 09:57:39.34
>>91
史実より200年長い戦国時代なら、流石にその間に大名も諸制度を整えていくだろうがどうだろうな。
史実だと、頼朝や北条という指導者が全国的に独自の制度を短いスパンで広めていった。
しかしそういう指導者がいなければ、戦国大名がそれぞれ制度を作っていく事になるだろう。
要は全国規模ではなく、地方それぞれにミニ幕府が出来るんじゃないだろうか。

<周知のとおり、最初の戦国大名は北条早雲あるいは尼子経久(演:緒方拳 シビレル)を
挙げてよかろうと思うが、もう少しおもろい奴を思いつかなくて、誰かが後を書いてくれるだろうと
一旦退却したのだが、突然 斉藤みょうちんの名が頭に降りてきたので深い意味はない。

なら、戦国一のド屑、木沢長政なんかどうだ?
戦国初期に突然現れ、あっという間に消えていった梟雄だが、畿内の諸勢力を戦わせるだけ戦わせて短期間に滅茶苦茶領国を拡大している。
ああいう倫理とか道徳とか一切関係ない信長タイプは、中世の破壊者と天下人をやれそうだが。

95日本@名無史さん2016/07/25(月) 23:54:36.89
オツムが未整理なまま長文を書いてみる。おれがこのスレ来たのは先週が初めてなんで許してね。
連投長文嫌いな人はスルーしてちょ。
◆スレをざざっと読むに、>>2>>3でいきなり結論が出てしまって
概ねこれを基調としたスレ進行になっている。2と3を読んで、ハッ!と気づかされたのは、
治承・寿永の乱が実は「プチ戦国時代」だということだった。
頼朝・義経のあざやかな政治・軍事手腕によって内乱が早期に収束したので
後世の我々は単純に「源氏と平氏(+奥州藤原)の10年戦争」と見がちだが、
実はそうではない、と目から鱗が落ちた思いがした。さらに読み進むと、
>>49が「鎌倉・室町を挟まずに戦国が来たかもしれない。」と書いてやがる。
「何いっ! 鎌倉・室町を経ずに戦国時代が来るだとお!?」 ベルム紀の大量絶滅の後に、
石炭紀・ジュラ紀・白亜紀をすっ飛ばして新生代が来るような話である。(わかりづらいか?)
もしかして49氏は天才なのか? これはもうじっとしておれない。
それで書いたのが>>81>>83でござるよ。 (続きます

96日本@名無史さん2016/07/25(月) 23:57:05.90
>>1の設定は可能性も十分あったし、「鎌倉幕府とは何か」を考えさせてくれる良い機会でもある。
49氏の言う「鎌倉・室町時代を経ないで戦国に突入する世界」とは
一体どんな時代(社会)なのか? これは有り得るIFなので非常に興味がわく。
治承・寿永の乱が終息せず数十年あるいは2,300年続く世界。なんかワクワク。
>94氏
史実の鎌倉・室町時代(応仁以前)は中世武士団の「進化」の過程だったと言える。
文治の勅許に始まり、下地中分・地頭請・半済令・守護請など、日本史の授業でお馴染みの
「武家の権限拡大、荘園・公領の侵略」を300年かけて行い、
その最後に待ってましたとばかりに「戦国」が到来するわけだ。
俺が>>81>>83で描いた世界は、史実の鎌倉・室町での社会発展が欠落したまま
未発達のカオス社会であり、>>94が描く世界は逆に、300年かかる「生物進化」を
数十年で遂げる急成長した社会だな。どっちに向かうんだろうねえ。
「戦国が300年早く、しかも長期に続く世界」を想像することは文明論の範疇だ。
 スレ主の意図を超えた面白い議論になるね。(続きます)

97日本@名無史さん2016/07/26(火) 00:01:42.40
◆たまにテレビで有名ではないが本当は凄い昔の偉人、みたいな番組を観ることがある。
来年 大河ドラマの主人公の井伊直虎も歴史秘話ヒストリアで初めて知ったし、
有名ではないが凄い歴史上の人物はまだまだ居そうである。 斉藤妙椿はずっと以前から
「すごい人なのになんでマイナーなのか」と考えていた人物だった。
今回 新テーマに取り上げた「治承・寿永から続く戦国時代」におれが彼を
エントリーしてやらないと誰も注目してくれない。 

んで、 ――木沢長政――  いいねえ。今まで名前しか知らなかったよ。
ジャ二―細川のバックダンサーぐらいにしか認識が無かったが、ウィキで今回調べてみた。
「小物界の大物」感が漂ってデリシャスだ。俺もまだ修行が足りんね。
49氏が提唱し、>>83で妄想した仮想の戦国時代は一体誰が混乱を収拾するのだろうか? 
斉藤妙椿、蓮如、木沢長政、桃井直常〔←NEW〕・・・・etc そして、
スレ主が気にしている平家の運命は? 鎌倉幕府の影の実力者 大内惟義の去就は?
歴史学界が無視している木曽義仲の京都幕府のその後は? 
日ノ本将軍こと安東氏は渤海国と日本海経済共同体を結成するのか? 
  興味が尽きないね。

98日本@名無史さん2016/07/26(火) 00:29:23.45

99日本@名無史さん2016/07/26(火) 02:12:16.41
>平清盛が源頼朝と義経を子供のうちに殺害していたら

義仲を誰も止められない・・・・

100日本@名無史さん2016/07/26(火) 02:22:39.78
◆なぜ稲作が長江江南ではありえないのか


日本に水田稲作が伝わった当時の長江江南の遺跡から出土するイネは
中粒種と短粒種が約半々の割合で混ざって出土してくる。
ところが、日本の最古水田から出土した炭化米は短粒種のみ。
しかも、当時の長江江南の主力農具だったはずの石スキが伝わっていない。
というか、最古水田にはスキという器種自体がないし、石刃の農具もない。
それどころか、当時の長江江南には無いエブリとクワといった農具が最初に
伝わってしまっている。
しかも、当時の長江江南の炊飯器だった鬲や鼎といった三足土器も
最古水田にはさっぱり伝わっていない。
日本稲作が長江江南から伝わったなんて2兆パーセントありえません。

101日本@名無史さん2016/07/26(火) 09:43:38.59
>>97
天下人候補に、桃井直常か・・・
悪くは無いな。
この人、上司の直義が負けたから奸臣扱いされてるが、もし直義が勝っていればそうはならないだろう。
恐らく直義が将軍になってれば確実に管領になっただろうし、戦国時代まで幕府が保てば細川政権ならぬ桃井政権になっていたかもしれない。
もし仮に幕府が未成立だとしても、立地は下野だし悪くはない。
木曽幕府が出来ていれば、越中守護だから上洛も容易いだろう。

<スレ主が気にしている平家の運命は?
平家は武家の台頭とともに、小弐や大友に牛耳られるんじゃないかと思う。
平家も地元の武士の台頭とともに、権限を渡さざる負えなくなるだろう。
すると、大友や小弐のような大名級の家臣に乗っ取られていくんじゃないだろうか。
そしてその内支配権も狭まっていき、後に島津や龍造寺が台頭していくと。
自分としては、平家は戦国の大内のような末路を考えている。

<日ノ本将軍こと安東氏は渤海国と日本海経済共同体を結成するのか?
安東氏は、藤原に取って代わるのか同時に併存するのか。
どちらかで大分運命が変わりそうだ。

102日本@名無史さん2016/07/28(木) 00:12:00.51
関東は佐竹の天下だな

103日本@名無史さん2016/07/28(木) 08:59:42.70
>>102
なぜ、2位じゃダメなんですか? ・・・・・違う。もとい、 
なぜ、新田じゃダメなんですか?
歴代当主がアレだからですか?

104日本@名無史さん2016/08/26(金) 23:18:25.03
治承寿永の乱は木曽義仲が本能寺で源行家の謀反に合うことにより、
さらに300年以上も続くことになった。

やがて。この長い争乱を鎮め、泰平の世を築く男が現れる。
その男の名は、

105日本@名無史さん2016/08/27(土) 14:36:14.74
赤影参上っ!

106日本@名無史さん2016/08/27(土) 15:34:44.64
その木曽義仲は
少年時代、オオカミ数頭に一人で抗戦し全て斬殺と伝わる武勇

 人形劇『平家物語』vol.5 - 22〜24話
http://kiratemari.exblog.jp/4627472/
> 駒ヶ根の牧が狼の群れに襲われ、愛馬が餌食にされたことに腹を立てた義仲が、

> たった一人で狼数頭に立ち向かい斬殺する光景を目の当たりにして、
> 将来天下にはばたく武将の相を見て取り、その教育係を引き受けた…

参考までに、源氏のオオカミ退治の名声は、八幡太郎義家が「狼坂(おいぬざか)」 で
軍勢での退治例もある

  源義家の狼退治伝説 - 地元あちこち
kacco.kahoku.co.jp/blog/m-katono/53770

 > 八幡太郎源義家が後三年の役に奥州下向の折(1083年)、
 > 万民を悩ます狼を退治し埋めた所と言い伝えられている。」

 > 昔は中山の辺りには狼が多く住んでおり、 この辺りまで下りてきて
 > 住民に危害を加えていたそうです。

107日本@名無史さん2016/08/27(土) 19:16:34.69
◆ペテン師・佐藤洋一郎がなぜダメなのか


経年変化や環境変化で短期間のうちに著しく頻度を変えてしまう遺伝子調査において、
佐藤洋一郎が調査に使ったイネの調査サンプルは、

日本のイネの調査サンプルが稲作が伝わってから800年以上も経ってしまった鍵・唐古遺跡の炭化米、
朝鮮半島のイネの調査サンプルにおいてはいつの時代のイネを使ったのかさえ全く公表していない。

このように調査サンプルから疑わしい、欠陥ありありの、お遊び程度でやったペテン調査での捏造である。

この場合、BC10Cの稲作開始時の最古水田である菜畑遺跡の炭化米とそれ以前の朝鮮の炭化米で
比較調査しない限り、まともな調査結果など得られるはずがない。

ちなみに佐藤洋一郎はこの件で京大考古学陣に全面否定されている。
日本稲作が江南から伝わったなんて言ってる頭のおかしな考古学者など一人もおりません。

108日本@名無史さん2016/08/27(土) 22:55:21.63
国時代が史実より300年早く到来すのではなく、平氏政権が300年続いてたら、
どうだったのだろうか?
 鎌倉幕府の成立・承久の乱・南北朝の争乱と各段階で武士はその力を強めてきた。
平氏政権が300年続くとなると、先述の各ステージは当然ない。じゃあ、武家社会は平安末期のままで成長・進化をやめていただろうか?
 俺が思うにこちらのIFでも史実よりは未成熟な「中世」はやはり進んでいたと思う。
『明治維新が無くても、ゆっくりした近代化は進んでいた』論の中世版ということだ。
 従来の歴史観では平氏政権成立の評価が鎌倉幕府のそれより相当低い。「近世」を創設した織豊政権と徳川幕府が“同格”の歴史評価を得ているのとは大違いである。
平氏政権は存在期間が短かったゆえに、その誕生の意義をも過小化されてしまった気がしてならない。
平氏政権の歴史ポジションを“格上げ”してあげてもいいのではないか。

109日本@名無史さん2016/08/27(土) 22:57:52.23
文頭訂正   国時代 × 戦国時代 ○

110日本@名無史さん2016/08/27(土) 23:32:45.45
>>108
平家政権の評価が下がるのは、ひとえに武士出身の平家の政権であって、武士の政権では無かったということだな。
そう、政権を取った時点で最早平家は武士を辞めてるし、武士全体の・・・って発想は無い。
そう、あくまで平家の占有物だったからね。
だから武家の所有権を保証せずに、平安時代そのまんまな形骸化した土地制度に割り込む形で独占した。
勿論、上がりは平家の物だ。
コレじゃ下々の支持は得られない。
要は平家政権というのは藤原政権の後継でしかないのだから。
長続きは難しいだろう。

もし、平家が源平合戦に勝利して全国の維持に成功したら、矢張り第二の頼朝義経が出てくるのではないかな。
関東でなくとも関西に、源氏でなくとも木っ端武士にね。
ひょっとしたら、福原や奈良に幕府という歴史が見られたかもしれない。

111日本@名無史さん2016/08/28(日) 11:32:04.53
>>110
基本的に激しく同意しますです。 終わり。 いや、つづく。
平氏政権(←「平家政権」と呼ぶべきなのは理解できるが用語としてはこちらが一般的なのでこちらを使用)が藤原政権の“亜種”であることはその通り。
しかし、藤原氏と違って直接の軍事力を持っているという「軍事政権」の本質は一貫していたし、
未だ研究途上で詳細ははっきりしないが、平氏政権では一部の国に「守護人」が設置されていた等の鎌倉幕府との類似性は無視してはならないと考える。
「本質」と言えば、平家も鎌倉将軍家も「軍事貴族」(比喩ではなく歴史用語の方ね。)という性格はその滅亡まで変わらなかった。
「平成政権も鎌倉幕府も本質は院政時代の軍事貴族である。」という認識を俺は持っている。
 鎌倉開府や承久の乱について、従来の歴史観ではその断続性(非連続性)を強調し過ぎなのではないかという疑問を持っている。
もちろんこの2つの事件はエポックメーキングであることは言うまでもないが、社会の連続性の部分をも注視する視点も必要だと考えている。
 そういう思いで>>108を投げてみた。

112日本@名無史さん2016/08/28(日) 11:44:26.68
また連投するぞ。
>>110
平氏政権はやはり長続きしなかったとは俺も思うね。治承寿永の内乱を何とか乗り切ったところで、
第二・第三の頼朝は現れていただろうし、北条政権でさえ100年後には制度疲労と人心離反で滅亡したんだから、
300年続くわけがない。「300年早く訪れる戦国時代」に触発されて、逆に「300年続く平氏政権」を
夢想すればどういう視点が生まれるか。頭の体操としてはいい「お題」のはずだ。

「ありえない」とかバッサリ切り捨てられたら、あまりに俺が可哀相じゃないか。
過疎スレ,,もとい、IFスレなんだから柔軟思考でいこうや。

113日本@名無史さん2016/08/28(日) 11:49:59.58
おっと、誤字ってるw  平成政権 → 平氏政権
ついでに

軍事貴族(ウィキぺディア)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E8%B2%B4%E6%97%8F

114日本@名無史さん2016/08/28(日) 23:25:57.20
>>112
しかし、幾ら幕府の“萌芽”といえるような制度を含んでいたとしても、それは恐らく公式の制度や地位では無かったはずだ。
あくまで平家は幕府では無いのだから、朝廷の官位を蔑ろにして幕府のようにおおっぴらに守護地頭の設置は難しかったんじゃないか?
頼朝が征夷大将軍を望んだのも、独自の裁判権を持てる=独自の組織や官位をクリエイト出来るということだからね。
だから、やはり平家が朝廷の国司を飛び越えることは難しかったんじゃないかな。
と、なれば伊勢平氏による政権ではなく、同じ平氏系の一族に政権を禅譲し、ある意味平氏政権が続くといった形が精一杯ではないか。
同じ平家が幕府を開けば、平家は続いたという事が出来る。
そうなれば、現代には福原時代(六波羅政権→福原幕府)と表記されることになるだろう。
天下人の称号は征夷大将軍ではなく、畿内総官職になるだろうが。

115日本@名無史さん2016/08/29(月) 13:19:30.57
義仲が個人でのオオカミ退治>>106から見て、木曽は遺伝的に戦闘能力高かったな

116日本@名無史さん2016/08/29(月) 13:35:30.57
勧進帳がなくなるから
歌舞伎の有名な演目が1つ減る

117日本@名無史さん2016/08/29(月) 19:49:01.74
京都兵wwwww

『御堂関白記』
「斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し。依りて的を打たしむと云々。射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如しwwwww」

『山槐記』
「宿傍池鳥数万俄飛去、其羽音成雷、官兵皆疑軍兵之寄来夜中引退、上下競走wwwww」

『吉記』
「於子越宿館失火出来、扈従者中、坂東輩等放火云々、上下失魂之間、或棄甲冑、或不知乗馬逃帰了wwwww」

『吾妻鏡』
「所集于富士沼之水鳥等群立、其羽音偏成軍勢之粧、依之平氏等驚騒wwwww」

『愚管抄』
「宗盛ハ水練ヲスル者ニテ、ウキアガリウキアガリシテ、イカント思フ心ツキニケリ。サテイケドリニセラレヌwwwww」

『吉田定房奏状』
「戦士の勇、山東の民一にして千に当たる。あに皇畿近州の嬰児を以て、東関蛮夷の勇健に対せんやwwwww」

118日本@名無史さん2016/08/30(火) 12:08:23.91
>>114
鎌倉幕府の諸制度について 基本認識の違いを感ずるが枝葉末節の話なので
これは置いておく。
>>94の時も感じていたが、貴方の平氏政権観はやや古い気がする。この数年、
従来とは違う視点から平氏政権を論ずる見解が出され、おれもそれに引きずられている。
前に「平氏政権は藤原政権の亜種」と書いたが、実はこの平氏政権観は過去のものとなりつつある。
この辺の参考URLを貼っておくので、暇な時にちょっと目を通してちょ。

平氏政権の位置づけ
http://singetu.ddo.jp/kiyomori/01/12.htm

平氏政権(ウィキペディア)の『意義と評価』の項 参照
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E6%B0%8F%E6%94%BF%E6%A8%A9

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119次のレス2016/08/30(火) 12:12:26.44
鎌倉幕府にしろ室町幕府にしろ、その存在期間中に「進化」や「業態転換」が見られ、
創設から滅亡まで決して一様であったわけではない。ここが近世の政権と異なる点でもある。
この時代 いくつかの争乱や政変があって幕府内部の権力構造のみならず武家社会そのものの構造変化が起こった由による。
平氏政権をみても、十数年という短命政権ながらかなりの構造変化をしている。
>>114にも出てきた「畿内惣官職」であるが、これが設置されたのは清盛逝去の直前である。
最初は藤原型の権力掌握で始まった平氏政権だが、最後は軍事独裁の麺を強く打ち出した政権となった。治承三年(1179年)のクーデターも合わせて短期間にここまで性格を変貌させた政権も珍しい。
史実においてもこうなのだから、歴史IFとしての平氏政権の可能性は相当な「振幅」や「伸びしろ」を勘定に入れてもよさそうである。

120日本@名無史さん2016/08/30(火) 12:54:01.99
平家物語はなかった

121日本@名無史さん2016/08/30(火) 16:51:41.47
平安時代が続いていたら元寇にうまく対応できなかった
元寇の被害が最小限にできたのは武士政権になっていたおかげ
もしかすると今頃は九州の一部が中国の領土になっていたかもしれない

122日本@名無史さん2016/08/30(火) 19:45:41.97
平氏政権は武士政権なんだが・・・・

123日本@名無史さん2016/08/30(火) 22:57:48.53
>>119
とりあえず、その強く打った麺を食べたくなった

124日本@名無史さん2016/08/30(火) 23:04:01.88
紅白歌合戦は名前が変わっていた

125日本@名無史さん2016/08/31(水) 09:34:41.55
>>123
また誤字っちゃったよwww  誰かおれのPCにAI搭載してクレヨン
「軍事独裁」味のかなりハードな麺だが、いいのかそれで?

126日本@名無史さん2016/09/02(金) 01:25:35.50
木曽は遺伝的には強い>>106 狼退治

127日本@名無史さん2016/09/02(金) 08:11:23.11
>>125
平打ち麺ならより(い)とも

128日本@名無史さん2016/09/27(火) 00:13:38.12
福原から京への還都とともに園城寺や南都を焼討したり、
近江から東を鎮定したり、惣官職を設けたり、
荘園からの徴発体制を整えたり、最終段階になって急激に面白くなってくるね

129日本@名無史さん2016/10/01(土) 23:36:28.19
勝てば・・・幕府になったのか?
いや、矢張り宗盛じゃダメな気がする。
いくら平家が勝っても、武家の棟梁が宗盛じゃなぁ。
持って二代じゃないかな。
そもそもそれが幕府と呼ばれるかどうかも分からんことになると思う。

130日本@名無史さん2016/10/03(月) 19:58:12.54
>>129
宗盛無能は鎌倉幕府による捏造ではないのかな?

131日本@名無史さん2016/10/03(月) 21:12:06.91
>>130
鎌倉幕府による脚色を抜いても、あまり有能ではなかったと思うぞ。
何よりも平家方の負けっぷりがそれを物語ってる。
矢張り下っ端の武士からは、武家の棟梁に相応しくないって思われていたのではないかな。

132日本@名無史さん2016/10/04(火) 14:22:56.27
>>497
平頼盛と源頼政がツートップの、穏やかで良識的な政権を夢想してみるも、これも長持ち要素はないやね

133日本@名無史さん2016/10/05(水) 19:45:47.61
平家一門が源氏を押さえて天下を取っていれば
現代の日本の姿も自分達の生活も全く違ったと思う
平家はものすごい力と影響力をもっていたから
もしかしたら世界中が変わっていたかかもね

134日本@名無史さん2016/10/12(水) 13:44:34.56
>>1
頼朝はな〜
ぶっちゃけ頼朝以外のやつが傀儡にされてただろ

ぶっちゃけ頼朝義朝親子って没落源氏の貧困失業者を上総家が政治的な手段、対大和政治手段として買い込んだんだよ。
買った傭兵であり買った養子、これ今で言うと田舎財閥が没落議員を買う。幕末なら没落貴族や新撰組残党を婿養子にするようなもん。扱いはもっとした
極論で上総広常や千葉氏の盾として義朝を買ったようなもの。婿養子よりも扱い低く、下男傭兵のようなもんが源氏

ところがこいつら一味がほとんど山賊、ヤクザみたいなもんだったから、源氏ファミリーがクソヤクザみたいなことするんだよ。
それはいいとして、で義朝はむしろ坂東武士が矢面に立たないために作った傭兵で身分を上とする曲解がむしろ暴論であり、滅列じみて、身分的には傀儡傭兵なんさ

そして義朝を盾にしてほげんや平次の乱に介入する。言い換えれば天皇に警戒されつつも繋がりがある義朝を盾に大和介入体分を得てるだけで、それはより警戒された坂東武士が公家や天皇の反発を得ずに介入する為政の手段。
そしてこの傀儡義朝介入政治が義朝及び長男(但し長男は養父と秩父殺しで信用を損失してた)死亡で
三番目、四番目の候補として、明らかに頼朝を次のポスト傀儡とするために坂東武士団が頼朝のこうえんしゃである事を位置づけるために
頼朝成人の儀を坂東武士団が執り行う。この成人の儀もやり口としては大げさかつ異例なんだけど、予備の傀儡儀式とすれば納得

でこの対抗策として清盛が執権家によりともを婿養子強婚させて、平家の小飼として頼朝を離婚させて婿養子に強婚させた。

傀儡の封じ込めとして頼朝を使った。ここまで頼朝はあくまで天皇や中央政治に通じた(介入体分)は誰がいいか
そのための抜擢が頼朝であり、義朝を養子にした上総は後に平家ともパイプラインと政治外交のために接近する。これは盛大に裏切られる結果になって、この事があってから上総は強行的な手段に訴えるようになった
また上総御曹司義朝の兄と一旦秩父氏も協力してた

事実上の戦後の自民党+ヤクザ政治感覚で、このヤクザに当たるのが義朝家とその親族でこれらを傀儡にしたの

135日本@名無史さん2016/10/12(水) 15:21:02.39
つまりパイプラインとして使える家、飼いやすい没落貴族は誰かであり、それが義朝家であったというだけで、多すぎる義朝の子息であれば別に誰でも良かった。

だから頼朝、義経がいなくても他の多すぎた兄弟の誰かで良かった。

つまり義朝も頼朝も盟主じゃ一切ないんだ。元々は大和パイプラインの没落貴族
扱いやすい元貴族のヤクザでいかに政治に圧力かけるかが義朝抜擢の理由と義朝家であり

むしろこの傀儡が以下に扱われて、どう封じ込められてってのが重要な観点
もう大和では義朝が生まれる前に、連中を危険視して実質改易、解任しちゃうんだよな。
坂東武士というよりも、坂東武士を使って権力を作ろうとしてる危険人物とみなして義朝生まれる前に義朝家を解雇没落させるんだ。

でその後で上総=坂東武士最大の有力家が、千葉氏を一旦房総盟主に育てる気があったのだが、盟主がつかまり、知行を盗まれ、勢力を衰退させた叱責があった。でこの際ヤクザ手段を使われたために
大和とのパイプライン(政治介入)を作るため、没落貴族の源氏を総会屋感覚で雇ったのが義朝

そして義朝を傀儡の代表という身分的にはたいしたことない扱いとして政治介入させ
位置づけ的には上総田舎名士のし金がなければ活動できない総会屋ないし政治家でしかないからいくら出世しても駒なわけだ

そして上総家のように、秩父家も総会屋として義朝家に接近するんだけど、これを秩父跡目相続相続に悪用した結果、悪源太は養父と名士の秩父惣領を暗殺し、悪と言われる
しかしむしろこの悪源太は総会屋として依頼殺人を受けてる側とも言える。こうなると依頼殺人受諾者の悪源太と依頼殺人をして秩父総量になったあらたな依頼殺人依頼者の畠山氏では
力関係上どうしても源氏が下の総会屋になる

そしてほげんの乱は上総御曹司+坂東武士団(代表上総氏、傭兵傀儡議員の大和案内人義朝、坂東房総武士団御三家御曹司、総会屋源太)
と白川+平家(代表後白川+忠犬清盛)で包囲して、崇徳+藤原(代表崇徳、共謀貴族支援者藤原将軍、下っ端八幡悪太郎)を叩きつぶした

136日本@名無史さん2016/10/12(水) 15:21:34.95
しかし後に平家が事実上の対天皇クーデターを起こし太政大臣日本総量になり実質天皇を超える実権を獲得した
この際清盛は悪源太は総会屋で義朝は傀儡議員とわかった上で
強力な坂東武士と対抗せずに暗に相手の弱体化を図るために二人の傭兵を暗殺した。
その後子分を上総に接近し裏切らせ、坂東武士牽制政治を行う
そして頼朝は義朝の子であり、第二第三の坂東傀儡とわかってたから子分の北条に頼朝を離婚させて頼朝の子を殺害し婿養子として強婚させた
最も頼朝が離縁させられたのはいつ誰がやったか実はわからない。犯人は坂東武士か、清盛か、北条かわからないんだけど

そして天皇王子の挙兵と頼朝の支援、前後に関係性が分からないが千葉家がのっとり藤原を処刑して知行を回復させ、ここが鎌倉幕府坂東兵団の根拠駐留地となる。
そして明確に主導権と軍権を持ってたのは坂東御三家や秩父惣領などであったため
頼朝はただの天皇パイプライン連絡役で位置づけ低く、意見は聞き入られなかった
あくまで御三家は北の宿敵じょうりくいちみを打って牽制し、富士を制圧して独立国型持久交戦を画策してたからだ

よってわずか二ヶ月で富士、金砂城を攻略したものの、以後3年停滞して内政に務める。
しかし頼朝は自分の出世のために、扱いの低さに我慢がならず英雄になりたかったか、清盛を恨んでたから上総を暗殺した。
上総を暗殺して後悔したという逸話があるがむしろこれはパフォーマンス的で格下の頼朝は扱いに我慢ならず恨んでたんだろうな(逆恨み)
無論対清盛政治の和睦材料として主戦派で扱いの低い頼朝は暗殺されるのではという意見があったかもしれない

137日本@名無史さん2016/10/12(水) 15:22:16.31
そしてその後大急ぎで短期間で清盛を駆逐、もっとも活躍が低くいうだけ殿様の頼朝は自分の功績の低さを自覚し、むしろ可愛がられた義経やその他の兄弟に自分が取って代わられることを危惧して積極的に身内を処刑した

結果的に頼朝だからこそ代理の候補者が目立たないが、頼朝がいたこと、頼朝が積極開戦主張、頼朝が将軍になる下りはむしろ結果的なものでここに才覚、必要性なるものは存在しない。
むしろあれで将軍になれたことこそが以下にして傀儡であったかだけだし
結果頼朝がいなくとも別のやつを傀儡にしただけ

もっとも別のものであって、やはり開戦主張の可能性は存在したし、開戦とならずとも富士川金城の戦いは確定済みなので
坂東対立は不可避でそうなると長く持たない清盛が死ねば、いずれ一族対立や天皇との戦いで、そのうちまた坂東武士が介入して負けるだろ

むしろタイミング的に、頼朝のせいで対立が早くなったけど、頼朝いなくても何らかの形で敗戦して清盛を後退させる。

むしろ史実とうりの対じょうり→対清盛→対奥州→対天皇の戦いが一元的に纏めて、あるいは別の形で起きるだけだろ。

そういうの踏まえると必然的にやはり清盛一派は清盛ワンマンだけに不利であり、歴史は変われど結果は大差ないんじゃないのかな

138日本@名無史さん2016/11/14(月) 14:02:02.66
木曽義仲が天下取ったんじゃないだろうか?

139日本@名無史さん2016/11/14(月) 17:32:03.90
義仲は史実の通り都人に嫌われて他の勢力に追い落とされる。
それが武田なのか、佐竹なのか。源範頼が最有力か?

140日本@名無史さん2016/11/14(月) 20:17:53.49
源頼隆が源氏将軍になる

141日本@名無史さん2016/11/14(月) 23:55:01.57
長い戦国時代へと突入し、500年後 天草四朗時貞が天下統一

142日本@名無史さん2016/11/15(火) 08:10:15.04
重盛が長命であれば奥州藤原・関東源・西国平の3派鼎立。

143日本@名無史さん2016/11/22(火) 05:41:40.56
何だこのスレ・・・
あのなぁ・・・

天皇家、藤原、桓武平氏(伊勢平氏も)、源氏をちゃんと解ってください・・・
解らないならしようがないが、せめて、保元の乱、平治の乱、以仁王の挙兵、と勉強してくれ!

144日本@名無史さん2016/11/22(火) 15:08:22.40
勉強不足はお前

145日本@名無史さん2016/11/23(水) 13:27:07.68
だな

146日本@名無史さん2016/12/25(日) 09:58:50.86
平氏政権は朝廷の支配機構に平家の人間を占めたのに対し、
鎌倉幕府は守護や地頭など朝廷から独立した役所を置いた。

147 【猫】 【174円】 2017/01/02(月) 23:39:44.26
>>44
もし平家が源氏を滅ぼしていたら…
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1296004824/
鯖が移転したよ。
姉妹スレ
もし清盛が、平治の乱後、頼朝の首を切っていたら?
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1404582353/
清盛と頼朝はどっちがすごいの?
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1326285478/
もし源頼朝が義経・義仲ら身内を粛正していたら
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1326285478/
源頼朝の兄弟が可哀想すぎワロタwww
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1351337985/
源頼朝、足利尊氏、徳川家康の中で最も重要なのは
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1388819500/
源頼朝・徳川家康・大久保利通
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1171269552/
義経は頼朝を倒せたか?
http://hanabi.2ch.net/test/read.cgi/nanminhis/1268553495/
源 頼朝を大河でやらないわけとは
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1403887955/
【源頼朝】ミスター大河・石坂浩二【柳沢吉保】
http://nhk2.2ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1346941947/
頼朝の事
http://mercury.bbspink.com/test/read.cgi/host/1125518751/

148 【犬】 【321円】 2017/01/02(月) 23:49:15.94
×もし源頼朝が義経・義仲ら身内を粛正していたら
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1326285478/
○もし源頼朝が義経・義仲ら身内を粛正していたら
http://mint.2ch.net/test/read.cgi/history/1296540229/

149日本@名無史さん2017/02/28(火) 05:50:33.98
>>147
源頼朝の兄弟が可哀想すぎワロタwwwスレと、
【源頼朝】ミスター大河・石坂浩二【柳沢吉保】 スレが落ちたよ。

150日本@名無史さん2017/03/13(月) 22:25:08.16
木曽義仲が京都に幕府を開いていただろう

151日本@名無史さん2017/03/13(月) 22:55:26.59
>>150
自軍すら統率できないような奴に天下がとれるかよw

152日本@名無史さん2017/03/13(月) 23:12:59.55
義仲公が宗盛卿より劣ると申すのか、お主

153日本@名無史さん2017/03/14(火) 09:32:32.50
ブレーンがいなかったから、宗盛も義仲も双方ともに天下を長続きさせるのは困難だったろう。
逆に頭の良い武士か坊主がいれば、スグに武士の領地を安堵する令旨を出させた筈だ。
そうすりゃ幕府なり公儀なりを築けたろう。

154日本@名無史さん2017/03/14(火) 10:06:43.42
んじゃあ、平家が反転攻勢に成功し動乱を鎮圧する、に1万ペソ。

以下、このスレッドを「もしも平氏政権が150年続いたら?」にします。

155日本@名無史さん2017/03/14(火) 11:45:20.01
日本史の中でも煌びやかな平家文化を見るに、鎌倉時代のような倹約文化にはならず
日本の伝統文化財、世界遺産が増えただろうとは思う
独特の芸術センスがあるよ。平家(清盛)には
秀吉以前に、もっと華美な文化が起こっていただろう

156日本@名無史さん2017/03/14(火) 14:23:26.37
平氏政権はフビライと協調路線をとり、元寇は起きなかっただろう。
フビライは口では対日強硬派であるが、根は親日と考えられる。
元軍が日本に駐留する日元安全保障条約を結ばれる。

157日本@名無史さん2017/03/14(火) 15:09:37.14
結局のところ平家が追い落とされたのは、藤原氏の専売特許であった
婚姻により天皇家朝廷を牛耳り、一族の栄華を極め維持する手法を
藤原氏から奪ったため、藤原氏から憎まれたからで
清盛を責めるなら、藤原氏はそれ以上に糾弾されるべきなんだが
歴史の勝者の地位を守り切った藤原氏は批判されないんだよな
藤原氏の我欲のせいで日本史はめちゃくちゃだし
天皇を私物化した不敬者国賊と責められるべきは藤原氏なんだがな

158日本@名無史さん2017/03/14(火) 19:25:51.33
平清盛がオンナの言を聞き容れたのが間違いのもとぢや。

何事であれ、女ごときに口を挟ませては相成らぬぞ!



分かったナッ!

159日本@名無史さん2017/03/14(火) 19:30:37.56
>>157
平清盛が後白河法皇を幽閉したりしたからだろ
藤原氏は天皇家と持ちつ持たれつだよ

160日本@名無史さん2017/03/15(水) 07:28:59.20
>>157
平家の独占は、保元の乱で上皇方の貴族が大量処刑され、人材不足に陥ったのも
一因だけどね。平家が簡単に調停を牛耳れたのも、そういう事情もある。

摂関家では、忠道の息子たちは普通に健在だったが、頼長の血縁は断絶させ
られたし、その他上皇方についた者は悉く三族皆殺しになった。

なお、これは後白河法皇の責任であり、清盛とは関係ない。
清盛自身も、保元の乱では同族の頼盛、忠正、家弘の族滅を命じられているし。

>>159
後白河法皇は淫乱で暴虐で狡猾だったからね。そういう人間に取り立てられた
のに恩知らず、という批判は当たりかもしれないが、後白河法皇の破綻した
性格に耐えられなかったのも一因だろう。

161日本@名無史さん2017/03/15(水) 09:38:32.41
>>160
そもそも後白河法皇が型破りでなければ
清盛は太政大臣にはなれないからね
娘を高倉天皇の中宮にまでした
後白河法皇がこれまでの慣例通り藤原摂関家と
外戚の藤原閑院流を大事にしているならどれも無理

清盛の晩年、人々があっさり平家を見限ったのもそのせいがある
平家が天皇家・摂関家に代わる新しい為政者として世に受け入れられなかった

162日本@名無史さん2017/03/15(水) 10:29:09.49
>>160
頼盛の族滅とは?(´・ω・`)?
愚管抄によれば宗子・頼盛は後白河・清盛支持に素早く回っているよね

163日本@名無史さん2017/03/15(水) 10:40:35.89
>>160
また三族皆殺しの人が来てるw
藤原頼長の子孫って、曽孫ぐらいまでは普通にたどれるよ

忠正、家弘も子孫までは殺されていない
だいたい頼盛って保元の乱で死んでいない
平家の都落ちに従わず壇ノ浦後も生きててじゃん

164日本@名無史さん2017/05/08(月) 20:34:24.56

165日本@名無史さん2017/05/26(金) 19:48:16.71
165get

166日本@名無史さん2017/06/21(水) 08:41:59.90
頼朝を殺しても、他の奴が次々と挙兵するだろうから、あんまり変わらなかった気がするな。

下手すると平家滅亡の到来が早まった可能性だってあるだろう。

167日本@名無史さん2017/07/07(金) 21:20:25.54

168日本@名無史さん2017/07/08(土) 14:11:25.18
>>38,39
有能な神輿とは、無能人ではなかろうか?

神君家康など言われるが、実はかなり短気な性格だったようで
息子の信康を殺したのは信長って事になってたが、最近は家康説が強く
三方原での織田の援軍はわずかな兵で、織田は冷たいって事にされてきたが
佐久間信盛など援軍の将を考えると、もっといたのじゃないのか?って説が出てきたみたいで
大軍で大敗するのは神君家康としては情けない
なので織田からの援軍が少なかった事にしょう
色々江戸時代に家康を神格化させた事が、最近暴露されつつある

これと同じように頼朝もかなり神格化されまくったのでは?という疑問がある
頼朝がスケベな女たらしである事は事実であるが
スケベな女たらしにプラスして、バカでスケベな女たらしだった
こんなバカ兄貴に従う事に納得できない義経が反逆したり
頼朝が扱い易いバカなので、関東の御家人はまとまっていたが
息子の頼家は賢く、御家人の言う事聞かず乱れた

天皇家を見ても、後白河や後醍醐など元気なのが出ると乱だれ
何も言わん天皇の時の方が乱れない
日本の政治は神輿は軽い方が、ってのが大きく
頼朝の実像って案外バカなんじゃないのか?と最近思うようになった

169日本@名無史さん2017/07/08(土) 14:25:01.09
家康17,000 vs 秀吉100,000
家康は秀吉軍を『上方の弱い軍勢』であると見下していた。
(「NHK英雄たちの選択/小牧長久手の戦い」磯田道史・岡山県出身の歴史学者)

番組前半と後半で2回言ってたね…磯田先生…

170日本@名無史さん2017/07/15(土) 10:47:14.67
地中海帝国のローマ帝国でも南のほうがよわい、北のほうが強いってのあった
北アフリカは地中海人種の白人でローマ人とたいして変わらないが
なにせ熱いため鎧を付ける習慣がない

北のガリア人は体格が大きくローマ人もよろい兜をかぶっていたため強かった

大阪の陣では家康は「老人に鎧の重さはきつい」として脱いでいたが
若い者は苦労して金策して豪華な鎧を買い求めて従軍した
ぴかぴかの赤備えの軍を見ると家康は発狂して「あれをみよ!あのような勢は必ず弱い」と飛び上がった
ぼろぼろの鎧をみた家康は「まこと古い者に違いない」と使者をはしらせてアレコレ質問した
「武田家のものに候」ときいて家康は安堵した

171日本@名無史さん2017/07/15(土) 18:20:29.94
ガリア人は勝ってる時は強いけど押し込まれると崩れやすい。

172日本@名無史さん2017/07/26(水) 09:23:52.39
☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と
生活保護を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人に、ベーシックインカムの
導入は必須です。月額約60000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。☆☆

173日本@名無史さん2018/01/30(火) 16:47:00.23
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

GD6AV

174kimiaki harada2018/02/23(金) 19:37:19.68
読み解きクイズ QUIZ    原田君明 著作権あります。

現在、イージス艦パトリオット艦とAWORKS等により、
P300とP500脳波測定と監視を赤テロリスト
と在日コリアンスパイから受けているので、やむを得ずの 小説と研究発表に及んでいます。
類似品販売や本は差し止め命令を第44代内閣総理大臣原田君明で出して処罰します。
これが独裁の実態です。調べ解明していくべきであかろうかと思います。
研究段階ではあります。
平の将門公 
一説に新皇を名乗りとある。これは京都目前侵攻し、関東守護職を不当に藤原氏に
偽勅、貴族横暴で、役職を解かれた抗議をする意味で、軍勢を出した時に
藤原秀郷と平禎盛と藤原道長一族一党の姦計奸計 奸計略によって
新皇と侵攻を同音異義語で、計略を図り、関東覇者であった平の将門公の部下を
混乱させて、勢力を削ぎ落として、藤原と平禎盛 悪徳貴族派で、マトモな治世を
行おうとする。平の将門公への討伐を計略した疑いがあります。
故に死後、祟りを恐れ、首と胴体をバラバラに埋葬している。ことからも伺える
マッカーサー工事停止逸話と戦前大蔵官僚の施設で次々死人出ている等、国家で
鎮魂慰霊するという事態に発展していた。 死後の怨霊説は、奸計を計った側の
我侭な言い分と噂を流していることも伺える。平の将門公死後 治世は乱れ国民が
苦しんだとある。不正アウトを横行させ偽勅を出して道理も何も弾圧してくる輩では
民が苦しんだのも頷ける。千年も前の逸話も冷静に考えれば、怒っているのは
実力あった人がまともに出世出来なかったこと、嘘と計略で謀った人間を憎悪している
こと、神田明神御祭神であり、多くの人から頼られた経緯と強い霊力からも
今、在日コリアン独裁で出世や学歴や職業弾圧を受けた人々の為に
実力あって報われなかった罪無き人々が為に御加護助力して下さる神様なれば
疑いと誤解を解きたい思いと悔しさと祟り神みたいに噂される悲しさを
知って欲しいと願われている感無きにしも在らざる也、

時に事実は小説よりも奇也、

175幸ちゃん ◆5V9dS9MYZOAP 2018/03/24(土) 10:30:11.01
安徳天皇と実母の二位尼のフィリピンでのアジトらしい
https://www.flickr.com/photos/hanuska/4142962548

176日本@名無史さん2018/05/08(火) 22:53:38.89
あげ

177日本@名無史さん2018/05/09(水) 19:41:39.04
多分、源行家が木曽義仲と武田信義と足利義兼を担ぎ上げて、旗揚げしていたかと思います。

178日本@名無史さん2018/05/09(水) 23:49:19.53
将門は朝廷権力と全く別の政権を立てようとして討滅された。
清盛は一族で高位要職を独占して朝廷権力を牛耳ったが子の代で滅びた。

頼朝だからこそ、幕府という概念がない時代に、既存の公権力を複数統合して、朝廷権力の名目的枠組みの中で自治政権を打ち立てて、朝廷と武士の二元政治を確立することが出来た。
後世でも、頼朝の枠組みを踏襲した足利と徳川だけが長期政権を築けた。

頼朝がいなければ、朝廷と武士の二元政治の枠組みは簡単には生まれず、将門型と清盛型の群雄が出ては滅びることを繰り返すのでは。

179日本@名無史さん2018/05/10(木) 22:57:31.06
頼朝は天才政治家。 だが、「幕府」という新システムは頼朝が突然閃いた産物ではなく、
過去の先人たちの失敗例を学習したのと、頼朝の政治基盤である東国を離れられない事情とが
ないまぜになって編み出されたシステムだ。
とまれ、将門型といい清盛型といい、 この2つは院宮王家と正面からぶつかるシステムだった。
武家政権の要諦は 神代からこの国の支配者である院宮王家とどう上手く付き合うか? この一点に尽きる。
頼朝は日本政治を二重構造(二元政治)にすることで この難問をクリアした。
だから、以降の武家政権はこのシステムを踏襲した。

180日本@名無史さん2018/05/10(木) 23:50:23.58
信長は将門型。おそらくは日ノ本の枠組みを超越しようとしたが、途上で討たれた。
秀吉は清盛型。位人臣を極め、豊臣姓による擬制的な氏集団で朝廷権力をも牛耳ったが、子の代で滅びた。
家康は先人から学んだ頼朝型。江戸に幕府を開き、武家官位を切り離すことで二元化に成功した。

181日本@名無史さん2018/05/11(金) 22:27:19.42
中世の始まり・・・・・・院政の開始あたり
中世の終わり・・・・・・秀吉の全国統一
この辺が学界の最大公約数

182日本@名無史さん2018/05/12(土) 12:33:16.14
悪いひとたちがやって来て
みんなを殺した

理由なんて簡単さ
そこに弱いひとたちがいたから

女達は犯され
老人と子供は燃やされた

悪いひとたちはその土地に
家を建てて子供を生んだ

そして街ができ
悪いひとたちの子孫は増え続けた


朝鮮進駐軍 関東大震災 日本人10万人大虐殺

https://youtu.be/iBIA45CrE30
https://youtu.be/D0vgxFC04JQ
https://www.youtube.com/watch?v=sYsrzIjKJBc
https://www.youtube.com/watch?v=SiHp41uWo1I
https://www.youtube.com/watch?v=zYBCTRryFP8
https://youtu.be/-wF31xbwqPM

183日本@名無史さん2018/05/13(日) 13:30:46.01
>>178
清盛の「脱・京都」志向と頼朝の「親・京都」志向も考える必要がある。
 京都を離れたかったが完全には離れられなかった清盛
 京都に還りたかったが鎌倉を捨てるわけにはいかない頼朝
それぞれ政権の成立過程と権力構造が違うので優劣を論ずるのは無意味。
ただ、この「六波羅モデル」と「鎌倉モデル」の内 長期政権として成功したのが後者であり、
後世 このモデルを採用した徳川幕府も成功したもんだから、頼朝>清盛に見られてしまうのは清盛の不幸ではあるな。
承久の乱で鎌倉方が負けておれば頼朝も北条も一発屋扱いであったろうし、
石橋山の合戦後、梶原景時が「頼朝、ハケーン!!」と叫んでいたら頼朝は源三位頼政以下の扱いであったろう

184日本@名無史さん2018/05/21(月) 02:04:21.97
清盛と秀吉、頼朝と家康はやっぱりかぶって観られるのかな

185日本@名無史さん2018/06/08(金) 08:58:47.81
>>178
頼朝はただの神輿でしょ
血筋で担ぎ上げられた存在
実際無理でしょ
とうやってあの状況で実権握れるんだよ

186日本@名無史さん2018/06/20(水) 01:08:37.48
>>184
清盛は頼朝の父・義朝よりも年上
いっぽう、秀吉と家康の年齢差はそこまでない

187日本@名無史さん2018/07/12(木) 14:35:53.91
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

1YT

188日本@名無史さん2018/10/02(火) 19:16:39.62

189日本@名無史さん2019/01/28(月) 19:01:51.51
以仁王が代わりにもっと有力な兵を挙げていた
 平氏が滅んだのは頼朝が強かったからではなく、飢饉等の自然災害が原因

平家なくしては天皇なく、天皇なくしては平家がなかったという結末  呪いか

190日本@名無史さん2019/01/29(火) 18:17:08.16
義仲や甲斐源氏によって平家は都から追い出されるのは史実と変わらんだろうが、
その後の混乱を終息させる力がある人物は頼朝以外にいないんだよな。
しかも義経の武力があればこそ。
頼朝義経がいなければ源氏はいずれ空中分解、平家の逆転劇で都奪回はあるだろうけど、
天下はさらに不安定になるだろうな。

191日本@名無史さん2019/02/01(金) 16:22:48.98
清盛が最後に病死したのは戦のときに大仏を焼いたり壊したりしたからだそうで、
(※あくまで仏教側の見解)

大仏様を畏れ敬いましょう・・・!

192日本@名無史さん2019/02/01(金) 16:24:10.19
頼朝だけの力だけではなく、興福寺とも仲が悪かったんだけど、
 鎌倉(静岡)と奈良は関係が良好だったりしないよなー?

193日本@名無史さん2019/02/01(金) 20:11:10.59
源 しょぼっ・・・! 関東のヤンキー、 ロンゲ金髪みたいで
 低知能そうだし、   しょぼっ・・・!

194日本@名無史さん2019/02/01(金) 20:14:40.74
平氏は祟りで死んだって平家物語にもあるし、
天皇の息子を立てなかったからおごり高ぶって 敗北に至っただけで

源頼朝の戦力は  皆無!!  ゼロ!!

雁の音で平氏が逃走したということもあるみたいだから、 雁>>頼朝 だな 頼朝に怯えたわけではない

195日本@名無史さん2019/02/01(金) 20:23:56.90
>>21
 徳子は生き延びていたそうだ
 あとはひっそりと暮らしたらしいよ

196日本@名無史さん2019/02/01(金) 20:36:01.05
53~55
 今で言うなら蝶野とか、K1選手辺りだろ?  それに武器が付いてるっていう 
 頭だけのひ弱ではなれなかっただろう 知能もあった

197日本@名無史さん2019/02/01(金) 20:48:17.27
京都兵wwwww

『御堂関白記』
「斎王定まりて後、弓場始、其の儀常の如し。能射なる者、候せず。的を射る者無し。依りて的を打たしむと云々。射手の数少なく、三番奉仕す。猿楽の如しwwwww」

『山槐記』
「宿傍池鳥数万俄飛去、其羽音成雷、官兵皆疑軍兵之寄来夜中引退、上下競走wwwww」

『吉記』
「於子越宿館失火出来、扈従者中、坂東輩等放火云々、上下失魂之間、或棄甲冑、或不知乗馬逃帰了wwwww」

『吾妻鏡』
「所集于富士沼之水鳥等群立、其羽音偏成軍勢之粧、依之平氏等驚騒wwwww」

『愚管抄』
「宗盛ハ水練ヲスル者ニテ、ウキアガリウキアガリシテ、イカント思フ心ツキニケリ。サテイケドリニセラレヌwwwww」

『吉田定房奏状』
「戦士の勇、山東の民一にして千に当たる。あに皇畿近州の嬰児を以て、東関蛮夷の勇健に対せんやwwwww」

198日本@名無史さん2019/05/01(水) 20:34:58.35
林修のニッポンドリル2時間SP★2
http://himawari.5ch.net/test/read.cgi/livecx/1556708348/

199日本@名無史さん2019/05/23(木) 13:56:01.96
「いだてん」と「平清盛」ってどっちの方が酷いの?
http://nhk2.5ch.net/test/read.cgi/nhkdrama/1558459966/

200日本@名無史さん2019/05/24(金) 13:39:03.50
鎌倉も、国の再興が必要。
平も頼朝もともに代々天皇の子孫。
だから幕府においても、政治体制は必要。
国民のよりどころを増やすべし

201日本@名無史さん2019/06/29(土) 15:01:26.91
394名無しステーション 2019/06/03(月) 22:18:47.47ID:tyAkGX4r0
登戸事件・・・叔父叔母インタビューに 「家にほとんどいない」
農水事務次官・・・ 息子が実家に帰って来てたった10日目

どちらの事件もいわゆる 「ひきこもり」 ではないだろ

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