物部氏とは何者??

1日本@名無史さん2013/12/19(木) 19:53:10.01
語れ

2日本@名無史さん2013/12/19(木) 22:03:56.02
物部文書を読め

3日本@名無史さん2013/12/20(金) 21:00:27.50
饒速日命だろ

4日本@名無史さん2013/12/21(土) 01:37:50.57
饒速日命は神武天皇の曽祖父でしょ

5日本@名無史さん2013/12/21(土) 07:31:29.17
徐福 伽耶

6日本@名無史さん2013/12/21(土) 08:55:47.38
イスラエルの失われた十支族の一つだけど戦いと呪術に長けた部族。
でも戦いはユダ族、呪術はレビ族・アロン族の方が上?
十種の神寳は物部の神宝?それとも出雲の神宝?

7日本@名無史さん2013/12/21(土) 19:49:19.32
大学の後輩に物部さんてかわいい女の子がいたよ。

8日本@名無史さん2013/12/21(土) 19:51:58.81
>>6
ユダヤ人のその中国人並の妄想。
今後洒落になら時代になりそうだぜ。

9日本@名無史さん2013/12/21(土) 20:26:03.56
もののべ姫

10日本@名無史さん2013/12/21(土) 21:19:21.52
>>4
ニニギだろww

11日本@名無史さん2013/12/21(土) 23:35:28.64
そうだね、間違えた。

12日本@名無史さん2013/12/22(日) 00:33:29.43
古代に祭祀と武力を担当した部族
蘇我氏と権力を二分するほどの豪族だった

物部文書によると蘇我氏に負けて都落ちし秋田に直系の子孫が居る
地元でも特別扱いされてるようなので信頼性は有る

13日本@名無史さん2013/12/22(日) 01:13:32.30
諸国豪族の連合体

14日本@名無史さん2013/12/22(日) 05:43:18.75
>>8-9

15日本@名無史さん2013/12/22(日) 17:12:03.45
物部氏っていうと反仏教勢力みたいに言われてるけど
物部氏の支配下にも仏教勢力居たんだってな。
BS歴史館でやってた

16日本@名無史さん2013/12/22(日) 18:14:56.08
以前東洋英和で物部さんがいた
聞いたら直系だといっていたなあ

17日本@名無史さん2013/12/23(月) 04:37:16.11
物部の「モノ」の意味は安倍・阿部(「アベ」「アヘ」)と同じ「不可視の力」。
誰もよく分からない、それが物部。

18日本@名無史さん2013/12/23(月) 08:49:01.79
蘇我馬子のカミさんも
物部守屋の妹なんだよな

19日本@名無史さん2013/12/23(月) 23:27:08.24
籠神社や石切剣箭神社の宮司は物部氏の支族が代々受けついでいて
社伝によると饒速日命(物部氏の祖)は天皇家より早く大和地方に進出してた
もう一つの天孫一族だったらしい。

20日本@名無史さん2013/12/24(火) 03:00:11.09
>>19
饒速日と天火明は別人

饒速日命 天神
天火明命 天孫

21日本@名無史さん2013/12/24(火) 06:16:41.97
裏切り者

22日本@名無史さん2013/12/24(火) 09:56:46.82
>>20
同一人物だよ。

饒速日命=大物主の正式名称が「天照国照 彦天火明 櫛玉饒速日命」
つまり彦天火明とは饒速日命の略称なのである。

籠神社はこの神を主祭神とし、天照大神より上位と位置付けているのだ。

23日本@名無史さん2013/12/24(火) 10:09:53.83
始祖・彦天火明命から連綿と続くという、籠神社の代82代宮司の話しでは、
社伝によれば彦天火明命は彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)の別名とされてるそうな。

彦火火出見尊=山幸彦なので籠神社は自社を
「元浦島、元龍宮、常世信仰発祥の故郷」と称してるらしい。

24日本@名無史さん2013/12/24(火) 12:58:56.49
>>19 >>23
籠神社は既に藤原氏が取って替わってるというけどね。
検索してみ。

25日本@名無史さん2013/12/24(火) 13:17:12.94
>>24
現在の籠神社の話ではなくルーツの話だよ

26日本@名無史さん2013/12/24(火) 13:44:53.23
>>22
同一人物だとするとニギハヤヒはニニギの兄にあたる

27日本@名無史さん2013/12/24(火) 14:38:46.72
饒速日命=大物主=彦天火明=彦火火出見尊=山幸彦

なのでニニギの子という説だよ。

28日本@名無史さん2013/12/24(火) 14:56:40.64
籠神社宮司海部氏の日本最古の家系図

ttp://www.motoise.jp/main/houmotu/keizu1.html

海部氏が私に作成したものでなく、之を作成の後に丹後國庁に提出して認知を受け、
更にそれを大和朝廷に差し出した所謂本系帳の副本であり得る事が証明され、
国家公認のものとしてその権威が一段と高まったのである。

29日本@名無史さん2013/12/24(火) 20:39:20.33
24日か
ベリークルシミマス

30日本@名無史さん2013/12/24(火) 21:11:39.31
徐福とかって言ってる翔んでも本とか有るがどうなのかね?

31日本@名無史さん2013/12/24(火) 22:27:25.12
興原敏久

32日本@名無史さん2013/12/29(日) 07:12:27.73
>>19
逆だよ。物部が支族という感じ。
丹波一族=アメノホアカリ一族の宗家で王族。
崇神以前にいつくかの支族が出来ていた感じ。
妃も多いし、古くは王族だったが、応神期ごろに姓をもらったらしいから、
そのころは勢力が衰えて臣下になったんだろうね。
だけど、雄略の時、アマテラスは丹波から豊受大神を迎えている。外宮の神様。
何かあったんだろうな。

33日本@名無史さん2013/12/31(火) 14:53:41.83
ちょっとのぞいたけれど、ムズイね
物部氏が仏法の信奉して、中臣の鎌子一派が廃仏で争った構図ね
物部氏は聖徳太子の系統だったの? 
これから少し勉強してみようかな、なあんて

34日本@名無史さん2014/01/04(土) 20:19:38.69
饒速日=ホアカリと思ってたけど、違うのかなぁ?
降臨前のニギハヤヒの根拠地はどこだ?

35日本@名無史さん2014/01/04(土) 22:32:51.93
もちろん高天原だろ

36日本@名無史さん2014/01/06(月) 22:50:38.10
>>33
聖徳太子は蘇我氏と組んで物部氏と戦ってるよ

37日本@名無史さん2014/01/07(火) 14:43:00.33
>>34
高天原だろ。
記紀が書かれた当時の大和朝廷の領土内にはない。
白村江の戦いで失った朝鮮半島だろうね。

38日本@名無史さん2014/01/07(火) 16:29:27.06
>>34
どうなんだろうなあ。
同一って伝承もあるけど、なんか扱いが違う感じがするんだよなあ。
ホアカリ族=王族
ニギハヤヒ系=家臣

ホアカリ族の宗家だけが王族扱いで、物部の先祖は庶流の支族だったから
家臣だったのか?
ニギハヤヒが神武と同世代な訳はないからな。

39日本@名無史さん2014/01/07(火) 18:31:31.71
高天原は長江下流域の稲作先進地域ではなかろうか。
その辺は秦朝以前は非漢民族系の東夷が多く住んでいた。
中国の史書でも習俗が倭の記述と一致する部分が多い。

40日本@名無史さん2014/01/07(火) 20:44:26.00
>>38
ホアカリ族とニギハヤヒ族の違いとは、
同じ失われたイスラエル十支族どうしの中でも、
ヤコブ(イスラエル)臨終の時に王権の指定のあったユダ族或はエフライム族とそれ以外か、
或は同じ失われたイスラエル十支族どうしの中でも、
異民族や同族との長い戦いの末にマナの壷など王権の証を手にしていた一族とそれ以外、
或はこうしたイスラエル渡来王権と日本先住王権との違いのような気がする。

41日本@名無史さん2014/01/09(木) 19:47:54.35
ルーツは北部九州じゃないの?

42日本@名無史さん2014/01/10(金) 09:14:06.64
41
同意。
物部の故地は遠賀川流域とする説もあるが、さらに遠祖は、筑後川中下流域と考えるものもいるようだ。
そこでの物部の位置づけと、天孫族との関わりが分かると、饒速日とイワレヒコの関係やホアカリと饒速日の関係性が明確になるような気がするが。

43日本@名無史さん2014/01/11(土) 02:52:10.97
物部氏のルーツは秋田だよ

44日本@名無史さん2014/01/11(土) 09:47:32.77
大和に神武が入った時に、長髄彦が敗れただろ。その際に長髄彦の勢力の一部が北へ逃れた。
秋田の物部はその勢力だ。
饒速日はホアカリの庶流とする説が一番現実的だろうな。
大和を明け渡す時、統治の正統性という点で、イワレヒコに統治権を譲っている。
これは、天孫族の本流への近さがメルクマールになっているんだろう。

45日本@名無史さん2014/01/11(土) 09:53:16.79
>>39
そう考えた時もあったんだけどね。
それだと、先進地域からやってきて原住民を蹴散らしたって伝承があっても
おかしくないし、せいぜい3000年前になるだろ。
苗族とか、の親戚というか。

でも、記紀の神代は、弥生以前のかすかな記憶も伝えてる感じ。
遺跡で言えば、福井の鳥浜のようなイメージ。

記紀や風土記を作った日本人の先祖の主流は縄文人で、水稲稲作を
取り入れ、渡来人を受け入れた。
高天原は、はるか昔の先祖達のことなんじゃないかなあ。

46日本@名無史さん2014/01/11(土) 11:28:21.23
>>44
ニギハヤヒが畿内に移住する前は秋田に居住していた
降臨した山は鳥海山
天皇を支えた神官の家系なんでそれなりに正確な伝承だろう
秋田美人はニギハヤヒが集めたと思ってるw

47日本@名無史さん2014/01/11(土) 13:29:21.03
46
秋田の歴史も興味深い。
秋田犬はヨーロッパ犬の遺伝子をひくらしい。
秋田美人との何らかの関係がありそうだ。
大陸との接触があったのだろう。

48日本@名無史さん2014/01/13(月) 17:51:03.45
アマテラス勢力(九州南部)スサノオ勢力(出雲地方)ニギハヤヒ勢力(近畿地方)
実はどれも源流は違うのに記紀で一つの系統にまとめられたのかも

49日本@名無史さん2014/01/13(月) 20:44:53.02
>>47
秋田美人なんて幻想だよ
じっさい美人なんてそんないないし。
顔形で美人と称されてるんじゃなく、色白だったから美人と言われてるに過ぎないと思うよ
秋田女が美人なんて幻想
稀にいる超美人なんて何処の県にもいるだろうし)東日本なら(

50日本@名無史さん2014/01/13(月) 22:54:58.45
49
東日本ならって?

51日本@名無史さん2014/01/13(月) 23:23:25.48
東日本なら美人はいるだろうがという意味なんだろう
いわせるなよ

52日本@名無史さん2014/01/14(火) 01:57:36.27
「もののべ」と「もののふ」ってよく似てるんだけど、「もの」って
同じ意味で使われてたりしないのかな

53日本@名無史さん2014/01/14(火) 02:29:33.33
「もののふ」の語源が「もののべ」だからね。
「もののけ」などのように直接口に出すのが憚られるほど恐ろしい物を昔の人は「モノ(物)」と言った。
軍事や刑罰などもその類らしく、そういった口に出すのも恐ろしい軍事を担当したのが物部。

54日本@名無史さん2014/01/14(火) 04:04:48.18
>>49
佐々木希タイプは他の地域に居ないからあながち幻想ではないきがする

55日本@名無史さん2014/01/14(火) 08:23:48.48
>>49
秋田の既に中世の歴史にわざわざ秋田美人を娶る為にその辺に行って豪族やってたのが出て来るが。
南部氏だったかその辺り。

56日本@名無史さん2014/01/14(火) 09:57:26.45
>>53
「もの」自体に極端な畏怖の意味はないよ。
物部が没落してゆくさまの事だからね、「け」は。

57日本@名無史さん2014/01/14(火) 11:15:26.01
佐々木希

58日本@名無史さん2014/01/14(火) 11:20:43.51
佐々木希がどうみたら秦氏族に結びつけるようなエキゾチックな顔してるのか。
あんんな目なら東北全土におおいし、あれはフィリピンあたりを色白にしたていどでしょ
仮に秋田に渡来系が来てたなら間違いなくフィリピンかポリネシアミクロ根志あ辺りの人間だよ

59日本@名無史さん2014/01/14(火) 11:36:13.64
俺の親戚も秋田だが完全に異質
13代位つずいてる日本ん人だが、目が佐々木希の目に親こそろってあんな目してる

普通に東京歩いてると警察に1日に一回はパスポート提出求められ、さらには東南アジア系から同族と思われ現地語で初対面んで話し掛けられるほど。
確かに顔立ちは異質
渡来系の影響じゃないなら間違いなく蝦夷の影響だよね
似てる系統で言うとボビオロゴンを日本ん人ぽくしたかんんじというか、山本kidみたいなああいう顔がめちゃおおいのが秋田だよああああs

早々思い出した!
小錦みたいな顔がめちゃ多いんんだよ

60日本@名無史さん2014/01/14(火) 11:39:45.80
いやほんと小錦みたいな顔や山本kidみたいな顔がめちゃ多い

61日本@名無史さん2014/01/14(火) 19:37:12.74
よく分からんが、粛慎の血が混じってるんじゃないか。

62日本@名無史さん2014/01/14(火) 21:31:17.12
うちの嫁さん青森出身だけど、ジャパユキさんとよく間違われてたよ。
こいつは、蝦夷だな。

63日本@名無史さん2014/01/14(火) 23:21:33.38
>>59
それ南と太平洋側
引きこもりが無理すんなよw

64日本@名無史さん2014/01/15(水) 00:20:06.32
「もの」は霊的な存在(Spiritual matter)を指すことば。「もののけ」という言葉は、
霊的な存在の気配(け)を意味することから転じて幽霊や妖怪や鬼を指すようになった。

木や石でも、それを「もの」と呼ぶときは、物質の霊的な側面を意識していると
考えて良い。日本人の万物に命が宿るという考え方は、このような森羅万象に
霊的な側面を見る先祖の世界観に依拠している。

物部氏は、この霊的な存在を扱う氏族として霊魂の清浄性を判じたり(裁判)する
職務(司法・警察)に携わった人々。

「もののふ」は、「海部」とかいて「かいふ」と読む習いがあることを知っていると
どのように移り変わってきたかがよくわかる。「もののふ」が王を名乗るよりも
将軍を名乗ることに固執したのは、自らが霊にかかわる警察・司法権力の覇者
であることを意識していたから。







…と言ったら言い過ぎか

65日本@名無史さん2014/01/15(水) 01:06:48.37
まあ確かにタイ人が以前、東北が大好きと言ってたんで、何でと聞いたら、同胞顔が一杯いるといってたなあ
東北は渡来系タイ人が先祖の可能性あるんじゃないか?どこ

66日本@名無史さん2014/01/15(水) 01:11:11.29
タイよりベトナム顔の方が多くね?

67日本@名無史さん2014/01/15(水) 01:30:37.01
タイとベトナムの顔立ちの違いはよくわからないけど、ベトナムのほうが少しのっぺりしてるかな?
そうだとベトナムだが、どっちも堀が結構深いんだよね
個人的にはタイベトナム系をのっぺりした顔、すなわちフィリピン系かな
東北は日本人かどうか見分けるのに顔じゃ分からない位濃い人いるからなあ
海流に乗っかれば、確実に日本にたどり着くだろうし

68日本@名無史さん2014/01/15(水) 01:39:15.24
ベトナム、なんとなく濃い系、違いが分からんw
http://www.kumamoto-pct.ac.jp/right/file_news/4/vietnam.htm

タイはフィリピンに近く、違いが分かる気がする

69日本@名無史さん2014/01/15(水) 02:00:48.23
>>68
真ん中の人みたいな顔がうじゃうじゃいるねww
確かにベトナムだわ
タイ人はすこし堀が深すぎるかもなあ

70日本@名無史さん2014/01/15(水) 02:18:51.25
>>62
ジャパユキさんワロタ

71日本@名無史さん2014/01/15(水) 17:00:19.62
各国の平均顔、左から韓国、日本、タイ
http://plaza.rakuten.co.jp/img/user/48/41/21304841/61.jpg

各国の平均顔、左から中国・韓国・タイ
http://photo-media.hanmail.net/200512/13/govpress/20051213115007.076.1.jpg

72日本@名無史さん2014/01/15(水) 17:07:07.24
>>71
中国と日本の平均顔の違いはあまりないんだな
中国人はもっと丸顔のイメージだったけど

73日本@名無史さん2014/01/15(水) 17:14:32.60
でも東北人の平均顔はタイ人ジャマイカ?

74日本@名無史さん2014/01/15(水) 21:31:36.72
元々、縄文人はクメール系の民族ではなかったかというせつもあるから、縄文色の強い東北は、濃い顔が多いのもうなづけるな。
ちなみに、津軽弁と薩摩弁は共通性が多いらしい。

75日本@名無史さん2014/01/16(木) 01:04:00.21
>>74
ねーよwww
津軽弁は東北の中では特殊で古代大和言葉が残っている
東北弁は出雲弁とそっくり

76日本@名無史さん2014/01/16(木) 02:22:54.74
東北人は渡来系ベトナム人てことでおけ?

77日本@名無史さん2014/01/16(木) 03:31:39.29
>>76
越ってベトナムの事だけど
弥生人が越人なんだよ
ただ呉人も来てこれも弥生人

2500年前ごろこいつらがどっと日本に来た
半島にも来たけど日本の方が住みやすかったようで日本が多い
日本の習慣も中国南部と近い

78日本@名無史さん2014/01/16(木) 04:34:46.12
>>58
フィリピン人は目は大きくても鼻が低く色が浅黒い

79日本@名無史さん2014/01/16(木) 04:46:42.36
>>75
出雲弁って具体邸的にどんなの?

80日本@名無史さん2014/01/16(木) 13:30:18.07
出雲弁w
http://www.youtube.com/watch?v=lEo1G9qM7Bg

アクセントは外輪東京式の変種1
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/10/Japanese_pitch_accent_map-ja.png

東北の日本海側と似てるのかな
東北南東部は無アクセントで茨城関東に似ている

81日本@名無史さん2014/01/16(木) 16:05:56.76
>>77
だから越系渡来人があ東北に
呉系渡来人は中国地方へ
エベンキツングースっ系渡来人が畿内へ
関東人はスーパーさいや系渡来人
てことだろ

82日本@名無史さん2014/01/16(木) 20:01:31.24
呉は熊本あたりだろう。
正しい系図の保証はないが、松野連系図は後の姫氏で始まるぞ。
普通に考えたら、紀元前500年頃に呉が越により滅ぼされるだろ。
その時に離散した呉の稲作民が列島に入ってくるだろ。
それまでは、日本には縄文人がいただけで、稲作は殆ど行われていない。
そうすると、呉や山東半島、朝鮮半島に最も近いところから稲作が始まるわけよ。
この呉の渡来人と縄文人の混血が最初の弥生人で、どんどん稲作が普及し、九州一円、本州などに広がると。
次に越が紀元前2世紀に滅亡し、また離散し、一部が日本へ。
この時、既に日本で稲作が普及してたから、越人は未開の地へ。
そこが北陸の越さ。それから、北陸は粛慎が結構入ってきているからな。佐渡なんか非常に多い。

83日本@名無史さん2014/01/16(木) 20:10:44.58
まあ海人族(モーケン族)と山祇族(セノイ族)の混血だろうな。

84日本@名無史さん2014/01/16(木) 20:26:50.88
粛慎てなあに?

85日本@名無史さん2014/01/16(木) 20:30:12.85
粟末靺鞨のこと

86日本@名無史さん2014/01/16(木) 20:39:13.33
85
然り。しゅくしんで検索してごらん。

87日本@名無史さん2014/01/16(木) 22:02:03.38
>>85、86
なるほど要は満州系の総称みたいな感じですね

これは畿内に多いというエベンキツングースとは違うんですか?

88日本@名無史さん2014/01/16(木) 22:04:56.08
655年、北の蝦夷99人、東の蝦夷95人、百済の調使150人に饗応。

658年、4月、阿倍比羅夫が軍船180艘を率いて蝦夷に遠征。
降伏した蝦夷の恩荷を渟代(能代)、津軽二郡の郡領に定め、有馬浜で渡島の蝦夷を饗応した。
7月、蝦夷二百余が朝献した。常よりも厚く饗応し、位階を授け、物を与えた。
11月、この年、越の国守の阿倍引田臣比羅夫が粛慎を討ち、生羆二つ・羆皮七十枚を献上した。

659年、3月、阿倍比羅夫に蝦夷国を討たせた。
阿倍比羅夫は一つの場所に飽田(秋田)・渟代二郡の蝦夷241人とその虜31人、
津軽郡の蝦夷112人とその虜4人、胆振鉏の蝦夷20人を集めて饗応し、禄を与えた。

660年、3月、阿倍比羅夫に粛慎を討たせた。
比羅夫は大河のほとりで粛慎に攻められた渡島の蝦夷に助けを求められ、粛慎を幣賄弁島まで追って、戦い破った。
5月、阿倍引田臣が夷50人余りを献じた。石上池で粛慎47人を饗応した。

粛慎は挹婁・勿吉と国号を改め、7世紀初期には靺鞨と名を変え、高句麗や突厥に服属し、
後に渤海を建国した南の粟末靺鞨と、後の女真となる北の黒水靺鞨に二分されている。

724年頃に建立された奥州多賀城の石碑に「西に靺鞨国」との文字がみえるが、『日本書紀』編纂時には粛慎の改号を知らなかったようだ。

612年、隋の煬帝は高句麗に遠征し、高句麗に服従していた靺鞨粟末部の大部分を帰順させ、現在の朝陽市に移住させた。
隋に帰順しなかった靺鞨粟末部の残余は、高句麗側で抵抗を続け、668年に唐が高句麗を滅ぼした後、朝陽市に強制移住させられている。

従って、日本書紀に登場する粛慎とは、高句麗と共闘していた粟末靺鞨ではなく、アムール川中流域の黒水靺鞨のことになるが、
中国の史籍には、黒水靺鞨は「東夷最強」とあり、当時の倭国水軍が敵うような相手ではない。
『日本書紀』では阿倍比羅夫が何度も「饗応」しているが、敵を饗応するのは和議が成立した場合で、実際は討伐ではなく、
蝦夷や中国大陸の部族と交易をした記録を歪曲したとも考えられるが、この時期の倭国は風雲急を告げる国際情勢にあり、
東北に水軍を派遣するような余裕があったとは思えない。

89日本@名無史さん2014/01/16(木) 22:23:40.21
勿吉

5世紀頃から史書に現れるツングース族。
挹婁の故地の松嫩平原東辺〜沿海州南部に住して北魏・東魏に頻繁に朝貢し、周辺諸族を冦掠して「東夷最強」と称され、494年に夫餘を滅ぼした。
『魏書』には挹婁の裔とあり、言語は「独異」として近隣諸種との違いが指摘され、隋の頃より靺鞨と記されるようになった。

90日本@名無史さん2014/01/16(木) 22:33:12.21
『満族』天山網

滿族本稱滿洲、屬東胡的一支、發祥于白山K水之間、其族源可上溯至周代的肅慎、漢代為挹婁、地北朝埋藏為勿吉、隋、唐時期為靺鞨、五代、宋、遼、金、元朝時期為女真。

満族、本は満洲と称した。東胡の一支族に属し、白山とK水の間で発祥した。
族の起源は周代の粛慎に遡り、漢代には挹婁、南北朝時代には勿吉に埋没し、隋唐の時代には靺鞨となり、五代十国・宋・遼・金・元の時代には女真となる。


悠久の歴史を有する民族だが、穢系部族(扶余・高句麗・濊貊・沃沮)に比べ、生活基盤を定住農耕に転換するのが遅く、
ツングース族本来の狩猟生活を継続していたことで、国家体制の整備構築が大幅に遅れたようだ。


勿吉國、在高句麗北、舊肅慎國也。邑落各自有長、不相總一。其人勁悍、於東夷最強。言語獨異。常輕豆莫婁等國、諸國亦患之。

勿吉国、高句麗の北に在り、昔の粛慎国である。邑落には各自に長がおり、相互の統一はされていない。
その族人は頑強にして東夷で最強。言語は特異。常に豆莫婁(扶余の後裔)などの国を軽んじ、諸国はこれを患としている。


南北朝の時代に至っても国家体制ができていない。匈奴や蒙古のようにカリスマ的な英雄が登場しなければ部族間の統一が不可能だったのだろう。
豆莫婁とは扶余の後裔が建国したのだが、挹婁時代に扶余から受けた屈辱の恨みを晴らしているかに思える。

この時期、高句麗の最盛期にあたるが、勿吉が東夷で最強ということは、高句麗をしても勿吉に対抗できなかったのだろう。
西に中原諸国、北に勿吉がいたのでは、高句麗は勢力を朝鮮半島に向けるしかしなかったことになる。

91日本@名無史さん2014/01/16(木) 22:34:17.34
煬帝初、與高麗戰、頻敗其衆。渠帥突地稽率其部降、拜右光祿大夫、居之柳城。與邊人來往、ス中國風俗、請被冠帶、帝嘉之、賜以錦綺而褒寵之。
及遼東之役、突地稽率其徒以從、毎有戰功、賞賜甚厚。十三年、從幸江都、尋放還柳城。李密遣兵邀之、僅而得免。至高陽、沒於王須拔。
未幾、遁歸羅藝。(十三年、從帝幸江都、尋放歸柳城。在塗遇李密之亂、密遣兵邀之、前後十餘戰、僅而得免。至高陽、復沒於王須抜。未幾、遁歸羅藝)。

煬帝の初め(604年)、高麗と戦うが、その軍勢は幾度も敗戦。
渠帥の突地稽が自分の部(粟末部)を率いて降り、右光祿大夫の官位を授かり、柳城(遼寧省朝陽市)に居住した。
辺境の人々が往来し、中国の風俗を悦び、冠を被り、帯を巻くことを請う、皇帝はこれを嘉とし、錦織の着物を賜い、
これを褒めて寵した。遼東の役では突地稽はその一党を従えて、いつも戦功をあげ、甚だ手厚い賞賜を授かる。

十三年(616年)、帝の江都行幸に従い、柳城への帰路を探す。
途上で李密の乱に遭遇、密は兵を派遣してこれを求め、前後十余度戦い、僅かに免れた。
高陽に至り、王須抜もまた没した。程なくして羅藝に逃げ帰る。


この後は勿吉の名が消え、靺鞨に代わる。靺鞨とは北方の方言で勿吉のこと、両者の音が同じだとされる。

92日本@名無史さん2014/01/17(金) 02:11:40.68
東北弁と出雲弁と九州のうちの幾つかはよく似てると思う。
薩摩人は知らんが、長崎、宮崎は似てた。

93日本@名無史さん2014/01/17(金) 02:12:38.39
>>13
大変正確に分かってらっしゃる。

94日本@名無史さん2014/01/24(金) 22:45:28.03
西日本の(後に東日本も)水稲稲作の源流は、北九州の板付・遠賀川あたり
と言われてるよなあ。高天原が北九州ってんなら、分かりやすいんだけどさ。
遠賀川式土器が広まった時の記憶が、スサノオと大国主命で、青銅が広まった時の
記憶がアメノホアカリとニニギでとかさ。

そんな単純じゃないんだよなあ。
だけど、どの一族も「どこかからやって来た」と言ってる。
まあ、先住民がいるんだけどね。
平定しにやって来てるから、遠賀川以降なのかなあ。

95日本@名無史さん2014/01/25(土) 08:19:27.72
まだ北九州だのいってんのか
ほんとにどうあっても南洋航路を無視したいんだな
ほんといい加減しつこいぞ

96日本@名無史さん2014/01/25(土) 08:20:19.61
なにが平定だ馬鹿じゃねえのか?
そんなこと言ってるなら○してやろうか?

97日本@名無しさん2014/01/25(土) 21:45:53.40
初カキコ

98日本@名無史さん2014/01/25(土) 23:33:35.19
>>96
勇ましや勇ましや

99日本@名無史さん2014/01/26(日) 06:22:31.06
縄文後期から古墳時代まで色んなルートから
ちょこちょこ日本に移民してきたけど結局どの地域も主体は
縄文人の血統が多かったと思う。

100日本@名無史さん2014/01/28(火) 21:54:54.22
>>71
日本人の平均顔とか言ってウチの母ちゃんの写真を勝手に使うな

101日本@名無史さん2014/01/30(木) 04:25:49.94
     ____
   ,/:::::::::::::::::::::\
 /::::::::::::::::::::::::::::::::::\
 |:::::::::::|_|_|_|_|_| こう見えても
 |_|_ノ∪ \,, ,,/ ヽ をれはイケてる男だよ。 
 |::( 6  ー─◎─◎ ) 財閥に近い血脈基準で
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  .\\U   ___ノ\
    \\____)  ヽ
東北大学大学院博士課程
吉川裕(29) 仙台在住

102日本@名無史さん2014/03/03(月) 22:36:29.67
尾輿コシコシコ

103日本@名無史さん2014/03/21(金) 07:03:07.50
物部麁鹿火ってなんやったか

104日本@名無史さん2014/03/21(金) 20:30:29.94
実在が確実視されてるのが麁鹿火
それ以前はあくまでも伝説

105日本@名無史さん2014/03/22(土) 15:22:22.95
物部氏は今の北朝鮮付近から入ってきた北の氏族
皇別氏族だが基本独裁者

106日本@名無史さん2014/03/22(土) 18:03:04.10
「物部目」は架空の人物?
だとしたら残念。

107日本@名無史さん2014/03/22(土) 21:25:09.10
先代旧事本紀だと雄略の時代の大連は物部布都久留で、伝承に混乱があるんやで

108日本@名無史さん2014/03/22(土) 21:38:22.03
ニギハヤヒは祭神として祀っている神社も多いし、実在したんじゃないか?

109日本@名無史さん2014/03/22(土) 21:40:26.23
秋田の雄物川は物部川が語源らしいぞ

110日本@名無史さん2014/03/22(土) 21:50:54.37
物部や忌部って苗字がかっこいい

111日本@名無史さん2014/03/23(日) 07:03:43.94
『もののべ』が『もののふ』になったのでなく、もともと『もののふ』と呼んでたんじゃないの?

112日本@名無史さん2014/03/23(日) 11:42:26.19
他の某部氏ときちんと比較してからどうぞ
ちなみに海部は音読みしただけだから新しい読み方

1131122014/03/23(日) 11:43:07.19
カイフの話ね

114日本@名無史さん2014/03/24(月) 02:00:03.54
なんで服部ってはっとりべじゃないの?

115日本@名無史さん2014/03/24(月) 05:48:36.19
現代の訓読みでもなく音読みでもないのは日本の古語のなごりだろうな

116日本@名無史さん2014/03/24(月) 08:55:47.18
包(示包)執りの訛りだよ適当てへぺろ

117日本@名無史さん2014/03/24(月) 09:00:43.12
むしろなんで、ふくべ、じゃないのかと思わんの?

118日本@名無史さん2014/03/24(月) 09:05:55.44
この場合、変わってくるのは苗字がウ行からア行への移行だね

119日本@名無史さん2014/03/24(月) 09:08:22.93
ふくは音読みだからね。
はっとりははたおり(機織り)の訛りだろう。

120日本@名無史さん2014/03/24(月) 17:46:13.34
服部は秦氏なのか

121日本@名無史さん2014/03/24(月) 18:34:54.33
>>114
服部氏は
秦・波多から来ていると自称しているね。

122日本@名無史さん2014/03/26(水) 02:46:57.35
近所に守屋さんがいて明治維新まで武士だったらしいんだけど先祖が守屋大連っていう人で本姓は物部氏なんだって

123日本@名無史さん2014/03/26(水) 11:26:01.63
そいつはモリヤという姓が先で、後から有名人の物部守屋に付会したんだよ
諏訪とかにもあるでしょ

124日本@名無史さん2014/03/28(金) 17:02:06.71
物部の祖、尾張の祖の一族の娘が古い時代の妃に多いんだよな。

125日本@名無史さん2014/03/28(金) 22:13:01.33
それぞれひとりづつじゃないの
伊香色謎と世襲足姫
後づけで県主系后妃を同族にしちゃう説もあるけど、それならそうと書かれるはずでしょ

126日本@名無史さん2014/04/14(月) 16:04:18.48
物部の祖は一人かも知れんが、尾張・海部の祖の一族出身はいっぱいいるぞ。

127日本@名無史さん2014/04/16(水) 18:38:04.42
     *      *
  *     +  うそです
     n ∧_∧ n
 + (ヨ(* ´∀`)E)
      Y     Y    *

128日本@名無史さん2014/05/02(金) 14:22:51.25
>>1
前スレ
謎多き存在、物部氏について語るスレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1106979203/

過去スレ
いまいちマイナーな存在、物部氏について語るスレ
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1029739403/

関連スレ
そろそろ本気で物部守屋を考察しよう!
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1097895054/
【正典】先代旧事本紀【偽典】
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1305429454/
先代旧事本紀大成経
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/min/1117005129/
『スサノオ』先代旧事本紀を語ろう『ニギハヤヒ』
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1056591834/
西暦0000年から0100年までの日本
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1087159616/
★★日本に、金属製法を伝えた民族とは?★★
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1078123279/

129日本@名無史さん2014/05/02(金) 14:27:07.34
>>1
参考HP
虚空見つ日本国の王 物部氏
http://kamnavi.jp/mn/
現代語訳 『先代旧事本紀』
http://mononobe.digiweb.jp/kujihongi/yaku/
先代旧事本紀(現代語訳あり)・古事記・新選姓氏録・物部万葉歌ほか資料多数
http://www.h4.dion.ne.jp/~munyu/
物部人物列伝 物部氏の人物事典
http://mononobe.digiweb.jp/jinbutu/mononobejinbutu.html

130日本@名無史さん2014/05/02(金) 14:50:14.96
www.h4.dion.ne.jp/~munyu/が移転して http://mononobe.digiweb.jp になったんでしょ

131日本@名無史さん2014/05/10(土) 13:04:10.67
今年の物部守屋公墓前祭っていつですか
6月14日くらいかな?

132日本@名無史さん2014/05/15(木) 11:53:41.19
物部氏こそ日本人。藤氏、高氏他は渡来系氏族に過ぎない。

133日本@名無史さん2014/05/15(木) 13:40:54.74
伊勢・志摩国造家・武蔵国造家の人って、忌部氏なのか物部氏なのか千家系譜なのか良く分からない。
父系・母系で大国主命の出雲系譜なのは分かるのだけど・・

134日本@名無史さん2014/05/15(木) 14:03:20.53
皇室の万世一系が必ずしも確実ではないように、豪族たちにも盛衰があって国造の地位も入れ替わりがあるぞ

135日本@名無史さん2014/05/15(木) 21:55:06.69
>>134
平安期の武蔵平氏とか伊勢平氏だね。

136日本@名無史さん2014/05/15(木) 21:55:52.17
物部の平氏で言うと・・三島氏だね。

137日本@名無史さん2014/05/15(木) 23:10:47.47
はあ?平安時代の国造なんて出雲や紀伊で自称してるのがいたくらいだろ

138日本@名無史さん2014/05/16(金) 21:07:29.41
>>135
武蔵平氏・伊勢平氏系のそれぞれ何氏が、国造の地位にあったと
おっしゃるのですか?

139日本@名無史さん2014/05/16(金) 21:25:07.82
1000年前以上前のことよく分からないんだろw

140日本@名無史さん2014/05/16(金) 21:35:36.40
よく分からないから根拠の無いことでも好き勝手に言っていい、という考え方がトンデモを生むんだよ

141日本@名無史さん2014/05/17(土) 00:45:22.27
下総に土着し9Cには足継、熊猪と二人も鎮守府将軍出してる物部匝瑳氏は
10Cの将門の乱の頃には全く名前出てこないね。
9Cで子孫が絶えてしまったのだろうか?

142日本@名無史さん2014/05/17(土) 04:57:29.27
古代史はトンデモ説オンパレードでうんざりだよ。
>>132 新撰姓氏録をちゃんと読めや。
あれは、ちゃんと出自に関して、分類してある。

143日本@名無史さん2014/05/17(土) 09:08:55.89
>>132
>物部氏こそ日本人・・・・・・・・・・・・・・・・
藤原氏は、その祖が物部氏の祖饒速日に随従河内の哮峰降臨?上陸した
部下天児屋根だから渡来人だが、同行した饒速日も同じ渡来人だぞ。
高階氏が渡来人というのは、長屋親王系以外の高階氏のことかね?

144日本@名無史さん2014/05/17(土) 09:20:26.63
藤原氏の祖は藤原不比等

145日本@名無史さん2014/05/17(土) 09:26:16.01
中臣鎌子は死んだあとに藤原姓を与えられてんだが?
事実、中臣姓のままの子孫もいるんだろ?

146日本@名無史さん2014/05/17(土) 11:37:46.01
「降臨」は文字通り古代集団の信仰が生み、伝えた神話
あえて上陸だの渡来だのの意味に取らなくてもよい

147日本@名無史さん2014/05/17(土) 12:26:09.56
>>144
その藤原不比等が、>>132氏の云うように渡来人だと?
で、何処から渡来したと云われるの?

148日本@名無史さん2014/05/17(土) 12:38:08.73
神道系にもいくつも派閥があるからその伝承を伝えてる人らを探すしかないだろうねえ

149日本@名無史さん2014/05/17(土) 12:40:42.89
本来、その一族の祭儀はその一族だけのもんだし

150日本@名無史さん2014/05/17(土) 13:07:53.76
古代史料に基づいて議論すべきだ
現代の神道がどうこういうなキモい

151日本@名無史さん2014/05/17(土) 13:28:27.20
国家神道ってとこで反発がおきてんだろw
神道自体は過去への道案内だから反発する理由が分からないけど

152日本@名無史さん2014/05/17(土) 14:59:21.96
>>145
中臣鎌足だろ
中臣鎌子って欽明天皇の時代に物部守屋と一緒に仏教反対してた別人だぞ
藤原朝臣を受けたのは鎌足が死ぬ直前だよ

文武天皇の代になってから藤原不比等が自分の子孫以外が藤原を名乗ることを禁じた

153日本@名無史さん2014/05/17(土) 15:20:55.48
>>152
落ち着いて皇極紀を見てみろ
「鎌子」表記になってるだろ

藤原朝臣誕生も、物部連→石上朝臣や物部首→布留宿祢、膳臣→高橋朝臣なんかの一連の改氏姓の時期からすると、
鎌足顕彰のために古くさかのぼらせた疑いはあるかもしれんが、根拠が無い以上、
鎌足が死ぬ直前ってことにしておくしかないね

154日本@名無史さん2014/05/17(土) 15:24:01.19

155日本@名無史さん2014/05/17(土) 15:38:56.75
>>153
藤原不比等が若い頃は藤原史と名乗ってたみたいなもんだろ
死ぬ間際は鎌足だろ(藤家家伝他)

日本書紀天智天皇8年の記述
「庚申、天皇、遣東宮大皇弟於藤原內大臣家、授大織冠與大臣位、仍賜姓爲藤原氏。
自此以後、通曰藤原內大臣。辛酉、藤原內大臣薨」

あえて日本書紀記述を曲げてまで死後贈位にする意味がない
明確な根拠はないだろうに

156日本@名無史さん2014/05/17(土) 16:04:13.90
古代、女性には名前がなかったし鎌子でもおかしくもなんともないが?

157日本@名無史さん2014/05/17(土) 16:06:59.02
平安時代以降だろ
女性が名前を持つようになったの

158日本@名無史さん2014/05/17(土) 16:16:02.00
女性の名前を記すときは父親の名前のあとに女と入れて
何々の女(いらつめ)と記すはず

159日本@名無史さん2014/05/17(土) 16:29:14.32
じゃああの宅媛(物部木蓮子大連のむすめ)とかいう名前は何なんじゃい

あとsageないの?

160日本@名無史さん2014/05/17(土) 16:32:15.89
さあ?
神話だからな

161日本@名無史さん2014/05/17(土) 16:36:42.87
>>157
逆だよ
女に名前がなくなったのは平安時代以降
官位を貰う時につけるだけ

万葉集の女には名前がある
だけど古今和歌集になると女房名だったり(父の官職)女だったり
厳密に言えば平安時代以降男も名前を呼ばれなくなり
日記や和歌集には官職名で載る例が多い

>>158
・藤原与志古(鎌足妻・父は車持国子)
・蘇我娼子(不比等妻・父は蘇我連子)
父親の名前のあとに女なんて入れてないんだけど?

162日本@名無史さん2014/05/17(土) 16:40:48.99
某足って名前、奈良時代の戸籍にもいっぱい出てくるけど、某子だと古くさい印象だったんだろうか

163日本@名無史さん2014/05/17(土) 16:49:30.17
161
女性の場合は子は付かない
○女とつく、子がつくようになったのは後世

164日本@名無史さん2014/05/17(土) 16:57:24.03
>>163
古代から女性の名前に子は付くよ。
「こ」の発音を子とかくか古とかくかの違いだけ。
古代の名前は女性名と男性名の区別が曖昧だった。
そのために子(古)のつく女性名のあとに「娘」を付けて区別したりはあったけどね。
「こ」のつく女性名
・車持与志古(よしこ)
・伊賀宅子(やかこ)
・忍海造色夫古(しきぶこ)
。葛城広子(ひろこ)

165日本@名無史さん2014/05/17(土) 17:07:20.83
そうか?
○○子(こ)って名前だっけ?
もともとは○○子(し)からの変換が始まりだったと
思うけども?

166日本@名無史さん2014/05/17(土) 17:12:40.39
>>165
○○子(し)っていうのは平安時代の女性名をなんて呼んだのか分からないから
後世の歴史家が便宜上音読みしているだけ
当時の人が実際にそう呼ぶんでたってことじゃない

ただし当時の日記を読むと
・藤原多子(まさるこ)
だったり、藤原安子にならって読みが同じ藤原泰子という名にしたという記述などから
(安子と泰子に共通する読みは訓読みの「やすこ」だろう)
実際には訓読みで子(こ)だった可能性は高い

167日本@名無史さん2014/05/17(土) 17:12:42.88
現代の女性に子がつく由来の話だけどな

168日本@名無史さん2014/05/17(土) 17:14:14.15
>>167
だから古代から現代まで女性の名が「○○こ」というのはポピュラーなんだよ
「こ」の読みに「子」の漢字を当てたのは平安時代以降
それ以前は当て字だった

169日本@名無史さん2014/05/17(土) 17:50:35.20
天孫本紀だと、男性人名語尾のコは子じゃなくて古に統一されてるんだよね
物部阿遅古、物部石上贄古、物部恵佐古、物部老古、物部金古、物部塩古、物部竹古
物部麻伊古、物部牧古、物部目古、物部倭古
(◯◯ヒコは除く)
でも贄古は日本書紀だと贄子という表記になってる

170日本@名無史さん2014/05/17(土) 22:44:30.04
>>143
アフリカから渡来した人かも知れん
古墳時代は神話じゃ無い
神話になってるのはもっとずっと前だ

171日本@名無史さん2014/05/17(土) 23:02:53.74
ニギハヤヒなどの山上降臨型の神話って朝鮮半島に類例があるんだっけ?
比較神話学はこの板の住人は苦手そう
欽明紀前後に物部氏の半島での活躍が見られるから、
その手の文化を摂取したのも六世紀前半〜中頃かな

172日本@名無史さん2014/05/17(土) 23:07:02.74
朝鮮の山上降臨型の神話って白山信仰で檀君神話のみだろ
内容はかなり怪しい
5千年前とか

天孫降臨神話は沖縄に明確に有るぞ
こっちは1万7千年前だ

173日本@名無史さん2014/05/18(日) 12:31:47.13
崇排仏論争は結局どうなんだー

(1−1)実在した。原因は宗教対立。史料に書かれてることを信じろ。
(1−2)実在した。ただし政治的対立がメインで宗教対立はオマケ。宗教問題がなくともどのみち対立に至るはず。
(2)虚構だ。太子伝説の一環として創作されたものだから、オマケですら実在しなかった。

174日本@名無史さん2014/05/20(火) 21:55:34.48
確か高地に物部(モノベ)ってあるだろ。
これと物部は関係あんのか?

175日本@名無史さん2014/05/20(火) 22:07:43.96
もののけ姫みたいだね

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?search=
%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%AE%E3%81%B9&title=
%E7%89%B9%E5%88%A5%3A%E6%A4%9C%E7%B4%A2&go=
%E8%A1%A8%E7%A4%BA

176日本@名無史さん2014/05/20(火) 23:42:24.38
>>174
和名類聚抄にも載ってる土佐国香美郡物部郷が物部鏡氏っていう豪族の本拠地やで
http://mononobe.digiweb.jp/map/west.html#tosa00

177日本@名無史さん2014/05/21(水) 05:07:59.93
物部氏=犬神信仰
藤原氏=稲荷信仰

178日本@名無史さん2014/05/21(水) 11:16:48.63
谷川健一が白鳥信仰とかいってたけど、
通説の剣神信仰をひっくり返すような根拠はないんだよなあ

179日本@名無史さん2014/05/22(木) 05:58:03.40
>>171
>欽明紀前後に物部氏の半島での活躍が見られ・・・・・・・・・・・・
6世紀に物部何某が、半島へ渡海してどういう活躍をしたの?

180日本@名無史さん2014/05/22(木) 06:33:58.35
隋書では対馬から壱岐を「東」と表現。
隋書を読む時は「東」を南東に置き換えて読む。

では宋書。かの倭王武の上表文はどう読むか?
・東の毛人55国を征伐。
・西の衆夷66国を征伐。
・海を渡って北の95国を征伐。
中心が倭王の都になる。

文字通り読めば三番目は韓半島。
でも隋書の例で「東」を南東とすると…。
南東で毛人55国を征伐。
北西で衆夷66国を征伐。
海を渡り東北で95国を征伐。
となる。一番目は今の宮崎県方面。倭は狗奴国を倒してる。
二番目は韓半島南部。
そして三番目が本州を指す。
これからも倭王は太宰府にいたと言える。そもそも太宰府って開府儀同三司の太宰の府。

太宰府だと九州説支持者にもつまらないかもしれない。
でも太宰府なんだね。少なくとも隋の時代まではずっとね。

本州畿内説支持者は言うかもしれない。隋書で秦王国からしばらく行き海に出た。そこは瀬戸内海で、本州畿内へ行ったのだ、と。
でもそれだと小徳アホたいの弁明が合わなくなる。使者一行は引き返して倭王の都へ戻った。
王国は秦国と呼ばれてた。それ以外に出てこないから。

181日本@名無史さん2014/05/22(木) 06:38:24.07
>>180
スレ違いスマソonz

182日本@名無史さん2014/05/22(木) 18:50:33.55
>>179
物部莫哥武連(物部施徳麻奇牟)、物部連奈率用歌多、物部奈率哥非、上部奈率物部烏
という人たちが欽明紀に見える

彼らは氏(物部)や姓(連)を倭の大王から賜っている一族に属しながら、
個人としては奈率・施徳といった百済の官位を持って百済王に仕えていた
おもに、百済が倭に対して外交交渉をするときの使者や、
倭と百済が共同で軍事活動するときの武将として活動している
倭の物部氏とのコネを百済王宮から期待されていたらしい

どうしてこういう人たちが生まれたかというと、この人たちの父親が倭から外交官や武将武人として朝鮮に派遣され、
現地の女性と結ばれることがあったから
欽明朝の一世代前の継体朝に、物部伊勢連父根(物部至至連)が軍事将軍として派遣されてたことが見える
また姓氏録の韓国連(物部氏の同族)の祖先伝承に、武烈朝に韓国に遣わされ復命したとき、
その活躍によって韓国氏の名を賜ったとある
韓国氏の始祖・物部塩古連公は続日本記では塩児と表記されるが、
先代旧事本紀では物部麁鹿火の従兄弟に位置づけられており、
だいたい武烈継体朝ころの人物と考えられていたらしい
あと竹斯物部莫奇委沙奇という兵士も欽明紀にはいるね

物部氏は大豪族として政権の中枢にいたから、軍事・外交面での活躍も大きかったんだろう

183日本@名無史さん2014/05/30(金) 17:26:33.41
孝元、開化、崇神の妃は、非常に興味深い。それ以前もそうだけどね。
複数の妃はほとんどがホアカリの子孫の伝承を持つ一族だ。
もちろん物部の祖もいる。

勘違いしてはいけないのは、物部の祖、尾張の祖、和珥の祖など、すべて
「祖」であること。ホアカリとニギハヤヒの一族のほうが神武系よりも
栄えていたように見えること。

184日本@名無史さん2014/05/30(金) 18:41:08.41
原帝紀・原旧辞の成立は欽明朝頃と見られてるが、
尾張氏が継体天皇妃を出して安閑・宣化二帝の外戚になったことや
物部氏の実在する天皇妃の唯一の例が安閑妃の宅媛だったりするのを見ると、
やはりこの頃の出来事や勢力が伝承形成に与えた影響は大きいなと、思わされるね
和珥氏系后妃も五世紀の葛城氏と六世紀後半以降の蘇我氏の間に活発に立てられているし

185日本@名無史さん2014/06/01(日) 09:18:42.66
>>44
饒速日命を祖とする登美連の氏神を祀る神社が、勢力地の奈良北部
富雄地域でなく南方磐余地域にあるのは、本貫はこの地なのか?
等弥神社 御祭神:饒速日? 奈良県桜井市大字桜井字能登1109
http://kamnavi.jp/mn/nara/tomi2.htm

186日本@名無史さん2014/06/01(日) 14:23:30.93
奈良盆地北部、富雄川沿いにもあるよ
登彌神社 祭神:登美饒速日命 奈良市石木町648
http://kamnavi.jp/mn/nara/tomi1.htm

187日本@名無史さん2014/06/01(日) 17:03:54.44
>>152
丁未乱に敗れた宗家物部守屋一統は、被差別賎民身分に落とされたの?
125 :可愛い奥様@転載禁止:2014/04/09(水) 00:05:09.35 ID:RmDzkAoF0
>>124
ところが物部氏は、仏教をめぐって蘇我氏と対立し、ついには戦(丁未の乱)と
なってしまった。そして物部一門の頭領の物部守屋が戦死し、以降物部氏は
権力者や有力者の地位から没落した。
物部氏が権力者の地位から落ちたことにちなんで、『部落』といい・・・・・
【同和地区】部落民エッタ四つ非人の奥様(^o^)
http://hello.2ch.net/test/read.cgi/ms/1395062007/124-125

188日本@名無史さん2014/06/01(日) 17:37:28.17
部落の部と、部制の部がかぶってるから連想した、ってだけなんだろうな
部民制度に由来する氏の名前は刑部とか日下部とかいろいろあるけど、
物部は有名だから変な付会もされやすい
物部氏が大連滅亡後も普通に史料上に現れることを知らないんだろう
http://mononobe.digiweb.jp/nenpyoumononobe.html

189日本@名無史さん2014/06/09(月) 22:12:46.15
何で大仙市の天日宮が、物部氏縁の神社なんだ?
22 :日本@名無史さん:2013/10/06(日) 00:28:02.79
・・・・・・・・・・・・・物部氏縁の神社が似てるよね
http://www.pipi.jp/~exa/kodai/tanbou/karamatu-zinja/Pages/9.html
高天原はアトランティスやムーだった?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1377466574/22

190日本@名無史さん2014/06/09(月) 22:44:24.05
唐松神社の社伝は古史古伝(近代擬撰国史)の物部文書だから

河内国河上哮峯じゃなく鳥海山に饒速日は降臨した、
神功皇后は三韓征伐の後、九州ではなく秋田に帰り着き、物部胆咋に祀りをさせた、
物部尾輿の孫が大連滅亡の後、落ち延びてきたのが社家の祖、
といったぐあいに、書紀や旧事紀を元ネタに秋田に引き寄せてる

こういう自分の先祖を尊く見せたいとか、祭ってる神社を由緒正しいものにしたいっていう願望から生まれる伝説っていうのは、
割とどこにでもあるんじゃないの
物部氏が出てくるから有名になっちゃったけど

191日本@名無史さん2014/06/10(火) 06:34:23.96
秋田を流れるのは雄物川
物部と関係ありそうだぞ

192日本@名無史さん2014/06/10(火) 06:47:04.01
>>190
その家なんだけど唐松神社の宮司の家系で
権力は無いんだけど家柄が戦国時代以前から別格という感じ
あとナマハゲも空から降臨してるから
伝説と神話が妙に絡んでいる

193日本@名無史さん2014/06/10(火) 18:42:29.47
室町時代には創建した古社なのは間違いないが、物部氏に付会された時期は謎ね
佐竹氏の転封後かもね(常陸国の久自国造、狭竹物部から案出)
部民制の時代、秋田が物部など部民設置できるほどにヤマト王権の支配が浸透していたわけではなく
それを無視して守屋の息子が落ち延びてきたなんて話を信じちゃうのはいかんわ

>>191
そういう語呂合わせはいらない

194日本@名無史さん2014/06/21(土) 22:01:40.41
>>189
この神社ですね。
◆唐松神社 物部 2012年12月28日
http://tohokujomon.blogspot.jp/2012_12_01_archive.html

195日本@名無史さん2014/06/21(土) 22:57:02.31
唐松神社は行って損は無いと思う
田舎なのに妙な格の高さを感じる
配置や鳥居も興味深い
なんというか神社の元祖的な感じがする

196日本@名無史さん2014/06/21(土) 23:22:18.81
人間の持つ感触、オカルトにも通じる感覚的なものね
配置や鳥居といった演出にコロッとやられる人は、新興宗教にも騙されたりするから気をつけたほうがいい
史料を基礎に置いた議論をする歴史とは相容れない

197日本@名無史さん2014/06/22(日) 10:59:14.52
この鳥居を見て興味を持たない人は異常
http://www.pipi.jp/~exa/kodai/tanbou/karamatu-zinja/Pages/8.html

柱二本だけの鳥居は極めて少ない、しかも参道がクランクw
天日宮の存在を隠したかった感じだな

198日本@名無史さん2014/06/22(日) 11:12:51.30
こっちのほうが位置関係分かるな
ttp://www.pipi.jp/~exa/kodai/tanbou/karamatu-zinja/Pages/12.html

パノラマなんで天日宮と鳥居は直角の位置関係
天日宮が神社というより古墳ぽい
http://blue.ap.teacup.com/qmss/img/1269243245.jpg

199日本@名無史さん2014/06/22(日) 13:22:14.28
知ってると思うが、天日宮も代々継続しているわけじゃなくて、
古伝と称して「復元」されたものだからね
もちろん古伝である保証はない

200日本@名無史さん2014/06/22(日) 18:28:41.30
唐松神社に伝わる物部文書は
まだ半分も公開されてないんだっけ?
公開されてない部分に天日宮の事が書いてあるのかな

201日本@名無史さん2014/06/26(木) 13:55:57.30
ものべので画像検索してみ

202日本@名無史さん2014/06/26(木) 14:31:47.28

203日本@名無史さん2014/06/28(土) 22:08:33.17
>>185
トミは桜井にある「外山」という説もある。「とび」と読むよ。

204日本@名無史さん2014/06/29(日) 01:04:11.77
そのため、江戸時代には桜井茶臼山(外山茶臼山)古墳を饒速日の墓にあてる俗説すらあった

205日本@名無史さん2014/06/30(月) 13:41:39.32
神武(と後の人が名づけた)がヤマトへやって来た時、すでにたくさんの部族が
栄えていたと思われる。
紀元200年頃の日本の人口は、60万前後という推計がある。
縄文末期に7万にまで減り、西日本は3万あまりとか。
先祖を同じくする一族がいくつもあっても不思議じゃない。

206日本@名無史さん2014/06/30(月) 14:07:55.18
>>187
部落という言葉には、もともとは差別の意味はなかったんだよ。
関西でも集落(旧大字・小字、江戸時代のムラ)のことを部落と言ってた。
「特殊部落」と言われるようになり、さらに部落だけになった。
1970年前後からかな。

物部とは無関係だね。
部民ってたくさんあるからね。

207日本@名無史さん2014/06/30(月) 21:31:53.14
部落を差別用語として使ったのは朝鮮人だからな

208日本@名無史さん2014/07/01(火) 13:35:05.05
畿内人は今でも東日本を蝦夷 アズマ夷と呼ぶ
部落差別文化のある渡来系朝鮮人の影響だろうか
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%8C%97%E7%86%8A%E8%A5%B2%E7%99%BA%E8%A8%80

209日本@名無史さん2014/07/01(火) 20:31:57.19
>>1
上御殿にオルドス式短剣の鋳型を持ち込んだ勢力。
頭に鹿の角を飾ってた勢力。
それ以外の解釈あり得る?

210日本@名無史さん2014/07/01(火) 21:04:43.29
脳内設定かな?

211日本@名無史さん2014/07/01(火) 21:18:34.62
脊髄反射だけしてろ、下等生物はw

212日本@名無史さん2014/07/01(火) 22:19:44.71
尾張氏(関西人)


国名が、他国の地名の他国人(関西人)由来は尾張だけ

大和国葛城郡高尾張の尾張氏が移住して来て、国名が尾張になる



尾張(笑)、ダサいダサ過ぎるw

213日本@名無史さん2014/07/05(土) 14:14:05.53
尾張連氏の本貫については本居宣長以来の葛城説が通説であったが、
新井喜久雄「古代の尾張氏について(上)(下)」(『信濃』21−1・2、1969年)以降は尾張説が定説となっている。
時期としては継体天皇の大和入りにともなって尾張から葛城へ進出したと見るのが有力だが、異論ももちろんある。

214日本@名無史さん2014/07/07(月) 12:50:51.38
尾張氏(関西人)


国名が、他国の地名の他国人(関西人)由来は尾張だけ

大和国葛城郡高尾張の尾張氏が移住して来て、国名が尾張になる



尾張(笑)、ダサいダサ過ぎるw

215日本@名無史さん2014/07/09(水) 20:36:36.41
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm
出雲国造千家系図
http://www.k2.dion.ne.jp/~tokiwa/keifu/keifu-izumo-senge.html
この出雲氏神代系譜を、各氏族の祖と照らすと・・
天穂日命-@武夷鳥命-櫛瓊命=伊佐我命-津狭命-櫛瓱前命-櫛月命-櫛瓱鳥海命-櫛田命-知理命-毛呂須命-阿多命-出雲振根=日本武命-A伊幣根命-B韓日狭命
@A伊幣根命-鵜濡渟命 千家氏・北島氏の祖
A伊幣根命-伊賀曾然命 出雲神門臣・建部氏・斯摩・志摩国造家の島氏の祖
B韓日狭命-野見宿祢←襲髄命の子とも言う・・ 土師氏・菅原氏・大江氏の祖
C宇乃遅命-置部臣/物部氏の祖
@武夷鳥命-櫛玉命=出雲建子命=伊勢津彦命 出雲忌部系島族・角井氏の祖

饒速日とは・・櫛瓊命=伊佐我命の事で、神武勢力に敗走した出雲建子は、兄を頼って、伊勢へ来て
長髄彦の妹、登美夜須毘売=三炊屋媛=鳥見屋媛との間に産まれた、宇麻志麻治命に伯父の長髄彦を征伐させた。
ちなみに、長髄彦は、出雲族の事代主命の子、天日方奇日方命の子孫で、天日方奇日方命の妹が、神武天皇の皇后・媛蹈鞴五十鈴媛命。
諏訪の健御名方命が遠縁の伯父。
※1 島族は、神門氏志摩国造家の島氏を長とした領民縁者の俗称。
※2 斯摩・志摩・島に列し司馬氏は、大陸の晋国の司馬皇帝の一族の帰化の可能性あり。
※3 又、応神天皇の時代に渡来した、秦の始皇帝七世の弓月君の帰化姓、太秦国所領とした、惟宗氏末代、島津氏が志摩領民としての島族として鎌倉時代〜戦国・江戸時代まで続く家柄。
※4 斯波氏は、野々部氏の末代で、石橋氏の祖。

216日本@名無史さん2014/07/09(水) 20:37:06.70
>>215の続き・・

木屋の資料館3.3饒速日、にぎはやひ
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/kiya33.htm
「熱田縁起」、海部氏はこれ尾張氏の別姓なり。
「尾張大国霊神社」(愛知県稲沢市国府宮町大宮)、社家は久田氏(後に野々部氏と称す。)で天背男あめのせお命を祖とする。

海部氏・度会氏は、海神=綿津見大神を祖とする、安曇氏が長。
ワタツミ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AF%E3%82%BF%E3%83%84%E3%83%9F

神武勢力の父神、天津日高日子波限建鵜草葺不合命の親神が綿津見大神で、天照大神も、複数形の神々の俗称たる綿津見大神の1神。
ウガヤフキアエズ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%AC%E3%83%A4%E3%83%95%E3%82%AD%E3%82%A2%E3%82%A8%E3%82%BA

217日本@名無史さん2014/07/09(水) 20:54:28.95
この尾張氏の久田氏祖は、忌部氏系譜上の神の天背男だとすると・・度会氏と同祖で
火明命=櫛明玉命=櫛玉命=出雲建子命か饒速日命=櫛瓊命=伊佐我命と成る。

218日本@名無史さん2014/07/09(水) 21:36:47.61
忌部氏は、厳密には、天照大神第3子 龍神の天津彦根命=天若日子命=七夕の牽牛・天稚彦で、次代が、天日鷲翔矢命=少名彦名命神代系譜。

219日本@名無史さん2014/07/12(土) 23:12:44.05
印旛沼周辺を開墾した人物

220日本@名無史さん2014/07/15(火) 12:03:42.19
物部氏は…

簡単にわかりやすく短くまとめると、
皇族同様に物部氏も神様って
言うことです
つまり天皇家と親類であり
互いに神様の血を受け継いでいる氏族であり神様って事になります
あと忌部氏も同じですね

221日本@名無史さん2014/07/15(火) 15:15:17.36
物部氏は倉庫番。
倉庫に入れる色んな「物」を扱ってたから、「物」の部。

222日本@名無史さん2014/07/15(火) 15:36:04.99
千家氏が嫡流で
神門氏が物部・置部の一つ下の兄
置部氏・物部氏が末っ子

223日本@名無史さん2014/07/15(火) 15:53:00.68
日本武尊=出雲振根の朝原氏が伯父で、土師氏の菅原道真公筋は叔父の家柄。
櫛瓊命=伊佐我命と櫛玉命=出雲建子は同一人物が濃厚。
機内・関西の千家側と東海道を移動しての武蔵・千葉国造と成った島族の末代が
それぞれ違う呼び名で呼んでいただけ。
島族にも、島津国造家の斯摩・島氏と渡来系の斯摩・司馬氏が居て、秦の始皇帝七世の秦氏系惟宗・島津氏が居るからね。
呼び方・解釈の違いは、抗した渡来系出雲人の関係かも・・
又は、神武側に従った者と関東に逃れた側の関係とか・・

224日本@名無史さん2014/07/15(火) 16:02:13.58
武内宿禰筋の葛城襲津彦氏・・紀氏の波多氏・角氏・蘇我氏なども母系物部崇拝で島族を名乗った様だし
安倍氏も母系が物部氏で、奥州勢は、母系崇拝で間違い無さそう・・
後の、平氏源氏の平氏も武蔵武士や伊勢国造を名乗った事から、何らかの縁が有るようで・・

225日本@名無史さん2014/07/15(火) 16:08:38.71
財閥石橋氏も元は、伊勢志摩絡みの氏族で、島屋を営み
武家の斯波氏がルーツで斯波氏の元が野々部氏の尾張氏族で始祖を天背男命としている。

226日本@名無史さん2014/07/15(火) 16:14:27.55
志摩国造家=島津国造家です。

227日本@名無史さん2014/07/15(火) 20:16:11.14
>>215
神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。

228日本@名無史さん2014/07/15(火) 20:22:21.03
神門古墳群

229日本@名無史さん2014/07/15(火) 20:23:28.77
帆立て貝型

230日本@名無史さん2014/07/15(火) 21:26:12.65
元々の出雲大社の司祭って神門氏で、杵築大神の大社から、西暦716年に大国主命の出雲大社に改め、千家氏の祖先へと譲られたのですね。

231日本@名無史さん2014/07/15(火) 21:27:38.97
元々の出雲大社の司祭って神門氏で、杵築大神の大社から、西暦716年に大国主命の出雲大社に改め、千家氏の祖先へと譲られたのですね。

232日本@名無史さん2014/07/15(火) 21:35:19.65
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
http://ameblo.jp/aramitama/entry-10730508438.html
出雲大社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE

233日本@名無史さん2014/07/15(火) 21:35:49.98
出雲の司祭 神門氏から出雲氏へ|神さんめぐり
http://ameblo.jp/aramitama/entry-10730508438.html
出雲大社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%87%BA%E9%9B%B2%E5%A4%A7%E7%A4%BE

234日本@名無史さん2014/07/15(火) 21:56:41.74
神門古墳群は千葉にあって出雲大社の当主も千葉なのか

235日本@名無史さん2014/07/15(火) 22:10:21.49
>>234
厳密には、出雲神門臣 島津国造家の島族の人たち

236日本@名無史さん2014/07/15(火) 22:17:31.66
黒潮系が日本海にもチョッカイを出し始めたってことなのかな?

237日本@名無史さん2014/07/15(火) 22:27:25.91
うさんくせーw

238日本@名無史さん2014/07/15(火) 22:34:11.01
埼玉苗字辞典
http://homepage1.nifty.com/joichi/2-6si.html
島 シマ 斯摩、志摩、司馬は島と記す。
日本書紀・神功皇后摂政四十六年(応神天皇)条に「斯摩宿祢を卓淳国に遣す」と。
百済の卓淳(とくじゅん)は慶尚北道大邱の古名。
斯摩宿祢の使が百済王の肖古王(百済十三代、在位三四六〜三七五年)に献上する。
後漢帝は朝鮮楽浪郡の南に帯方郡置く。
古代氏族系譜集成・坂上氏系図に「後漢帝―石秋王延(封東呉石秋県、至帯方郡)―マ(帯方大守。弟楯は百済上柱国)―ム(帯方大守)―f(沂州司馬)―阿智使主照(応神天皇二十年投化、居大和国高市郡桧前村)。
鞍作村主等従ひ来る」と。
呉、司馬は百済国の内なり。クレ条参照。
坂上族は東漢直(やまとのあやのあたえ)、或は桧前忌寸(ひのくまのいみき)と総称され、同族百済人蘇我氏に軍事をもって臣従した。アヤ条参照。
扶桑略記・継体天皇六年に「大唐漢人案部村主司馬達止、此の年春二月入朝す」。
大唐(大加羅)の漢人(あやひと)は百済人、案部村主(くらづくりのすぐり)は鞍作の村長なり。
日本書紀・敏達天皇条に「鞍部村主司馬達等、其の女、島・善信尼と云ふ」。
司馬氏は島氏に同じ。
蘇我馬子(司馬宿祢、島大臣)―蝦夷―入鹿(鞍作)あり、蘇我族は島氏にて鞍作部の支配者なり。
扶桑略記・推古天皇元年に「蘇我大臣馬子宿祢、飛鳥の地に於て、法隆寺を建て、島大臣並百余人、皆百済服を著す」と見ゆ。
蘇我氏の本貫地大和国高市郡曽我庄(奈良県橿原市)の曽我川は別名百済川と称す。
当地方は島岡、島田氏等が多い。
東国に於いて、島崎、島田、島根、島野、島村等の百済渡来人島族は武蔵国に多く存す。
島田、島野条参照。出雲国に渡来した島族は伊勢国・志摩国(三重県)へ移住す。
神武天皇東征の頃に伊勢津彦あり。
志摩国は島津国と称し、国造本紀に「島津国造。成務天皇朝、出雲臣の祖・佐比禰足尼の孫出雲笠夜命を国造に定め賜ふ」。
「武刺国造の祖神・伊勢都彦命」と見ゆ。
出雲臣族の武蔵国造の祖先は伊勢地方より島族を率いて武蔵国へ移住す。
足立郡島村(大宮市)は島津郷と称す。
津は人や物の集まる所の意味で島族の集落を島津、島ノと称す。

239日本@名無史さん2014/07/15(火) 22:38:29.77
小名島は、埼玉郡道口蛭田村、市野割村、久米原村、百間領須賀村、広田村、杓子木村、足立郡沖之上村、比企郡越畑村、幡羅郡間々田村、葛和田村、西別府村等にあり。
各市町村に存す。
新潟県栃尾市五十戸、見附市三十七戸、福島県相馬郡小高町二十戸、相馬市五十七戸、原町市三十戸、郡山市四十戸、岩手県花巻市三十三戸、青森県西津軽郡深浦町十七戸あり。


島谷 シマタニ 各市町村に存す。島根県松江市十五戸あり。
嶋谷 シマタニ 川口、志木等に存す。
嶌谷 シマタニ 浦和に存す。


島谷 シマヤ 各市町村に存す。長野県埴科郡戸倉町十四戸、青森県上北郡野辺地町十七戸、西津軽郡柏村十戸あり。シマタニ参照。
嶋谷 シマヤ 与野、久喜、越谷、草加等に存す。
島屋 シマヤ 越谷に存す。

元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祠掌社家について
http://travel.2ch.net/test/read.cgi/kyoto/1395470649/
崇神天皇の時代の京丹後 元伊勢外宮 比沼麻奈為神社 祭神:豊受大神の島谷祠掌
雄略天皇の時代の天橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社 祭神:豊受大神の島谷神主
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司

豊受大神とは、=国常立命=神道最高位神で創造主の天之御中主命とも聞きますね。

240日本@名無史さん2014/07/15(火) 22:39:44.62
崇神天皇の時代の京丹後 大宮売神社 祭神:豊受大神の島谷宮司は

心木神社・祭神 大月姫命(倉稲魂命)
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/akeda.html
大屋神社・祭神 木花咲耶姫命・素戔嗚命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/morimoto.html
高森(こもり)神社・祭神 億計命・弘計命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/nobutosi.html
皇大神社・祭神 天照大日霊女命・大宮比売命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/koobe.html
三社神社・祭神 迦具土命・興津彦命・興津姫命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/ikaga.html
三坂神社と干塩稲荷神社
三坂神社・祭神 伊邪那美命
干塩稲荷神社・祭神 倉稲魂命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/misaka.html
若宮神社・祭神 宇賀能売命
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/okuoono.html
大野神社・祭神 保食神・大荒田別神・熊野十二神・野槌神
http://www.geocities.jp/k_saito_site/doc/tango/ktngc/kutioono.html

神職 島谷旻夫(兼)(周枳大宮売神社神職)←上記の神社を全て、兼任しているようだ。

241日本@名無史さん2014/07/15(火) 22:41:29.37
古川C治委員長講演
http://www1.kcn.ne.jp/~kawamura/ipro/90a3/90a329.html
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち)            十一月・秋季大祭  一月号・269号

 惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。

242日本@名無史さん2014/07/15(火) 22:58:26.25
このスレにはバカしかいないんだから、
バカが斜め読みで一目で理解できるように書かないと賛同は得られないぞw

243日本@名無史さん2014/07/27(日) 06:54:40.06
>>39
>中国の史書でも習俗が倭の記述と一致する・・・・・・・・・・・
長江下流域の何という国の習俗が、倭のそれと一致すると記されてあるの?

244日本@名無史さん2014/07/27(日) 07:14:16.65
>>220
物部氏の祖は、通説と異りアメノヒボコとスサノヲなのか?
大国主、素盞嗚、天照
http://www.d4.dion.ne.jp/~arai-n/test230.htm

245日本@名無史さん2014/07/27(日) 11:55:58.33
>>243
くわしくは安本美典『日本民族の誕生』で!
http://bensei.jp/index.php?main_page=product_book_info&products_id=100269

246日本@名無史さん2014/07/27(日) 18:38:08.30
安曇・海部・尾張・渡会氏が、徐福秦氏=出雲族だそうで、先住の神門氏は、天皇家と出雲族連合との勢力争いに呑まれ・取り込まれ出雲族に組み込まれた・・。
出雲国譲りを正当化の為に出雲族系譜の神門氏という系譜は、デタラメで、正しくは・・
大国主命と多紀理姫命との子神、阿遅須枳高日子命の裔が神門氏、神門の語源は、阿遅須枳高日子命が先祖代々から受け継いで身に着けていた、神度剣由来だそうだ。

※神度剣=大量剣は、十束剣(とつかのつるぎ)は日本神話に登場する剣。「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」など様々に表記される伊耶那岐命の天之尾羽張剣(伊都之尾羽張剣)=天羽々斬剣。
大国主の時代では、布都御魂剣と呼ばれた。
石上神宮には、配神を両刃の伊耶那岐命の天羽々斬剣と主祭神として、片刃の布都御魂剣の2刀を祀っている。
建御雷神から神武天皇へ受け継がれた十掬剣が石上神宮主祭神の布都御魂剣で
阿遅須枳高日子命から神門氏、日本武=出雲振根=神門振根に受け継がれた神度剣が、石上神宮配神の両刃の天羽々斬剣と思われる。

西暦700年まで出雲大社以前の杵築大社の司祭が神門氏の子筋、島津国造家、島直氏の島族で、東海道に広がった島族が武蔵・千葉国造家の親筋。
山陽道に広がった神門島族をルーツにする島谷氏は、出雲族の拠点であった、播磨国(神戸市に掛かる)を発祥とし
元伊勢の比沼麻奈為神社・天の橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社・京丹後 大宮売神社宮司は、京丹後周辺の9社を兼任。

247日本@名無史さん2014/07/27(日) 18:39:19.87
物部氏も、この徐福秦氏の一族と言う・・

248日本@名無史さん2014/07/28(月) 20:35:51.33
渡来人

249日本@名無史さん2014/07/28(月) 21:12:29.51
秦氏ってのが好きだなw
お前らなにか呪われているんじゃないのか?

250日本@名無史さん2014/07/28(月) 21:16:23.14
246
神社関係ができたの700年代以降だろ
つまり桓武天皇以降だってことだ
六孫王経基も桓武天皇から数えて六代目ってこと

251日本@名無史さん2014/07/28(月) 21:31:25.77
隋書では、筑紫のあとで
東の秦王国に行くとある。

秦(ハタ)といえば八幡、
八幡神社総本社の宇佐神宮じゃなかろうか。

252日本@名無史さん2014/07/28(月) 21:45:13.54
八幡の元ネタは半島で編纂されたらしき八萬胎蔵教からどうみても
それが日本に伝わり八幡という言葉が使われるようになったんだろ

253日本@名無史さん2014/07/28(月) 21:48:06.27
どっちゃにしろ起源は900年代後半から1000年代初頭にかけての頃だろ

254日本@名無史さん2014/07/28(月) 21:53:49.79
八萬胎蔵経だった

255日本@名無史さん2014/07/28(月) 22:05:55.08
251
秦王国か?
秦姓を名乗った氏族が住んで勢力を持っていたのは越前だ
他にも各地に氏族が住んでいたみたいだがな

256日本@名無史さん2014/07/28(月) 22:11:20.81
その末裔に連なる武将たちだって調べればでてくるぞ
加賀の一向一揆で没落した冨樫氏なんかもその末裔だ

257日本@名無史さん2014/07/28(月) 22:17:39.95
秦氏

歴史

日本へ渡ると初め豊前国に入り拠点とし、その後は中央政権へ進出していった。
大和国のみならず、山背国葛野郡(現在の京都市右京区太秦)、同紀伊郡
(現在の京都市伏見区深草)や、河内国讃良郡(現在の大阪府寝屋川市太秦)、
摂津国豊嶋郡など各地に土着し、土木や養蚕、機織などの技術を発揮して栄えた。
アメノヒボコ(天之日矛、天日槍)説話のある地域は秦氏の居住地域と一致するという
平野邦雄の指摘もある[17]。難波津の西成・東成郡には秦氏、三宅氏、吉氏など
新羅系の渡来人が多く住み、百済郡には百済系の渡来人が住んだ[18]。



八幡神社もこれらの過程でひろまったのだろう。
その後源平合戦などさまざまな事跡の影響も大きいと思われる。

258日本@名無史さん2014/07/29(火) 20:09:56.33
>>246>>257
誘導
秦氏など渡来人のルーツは?
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1331639785/

259日本@名無史さん2014/08/02(土) 05:44:23.41
>>185
桜井市のトミ神社近く大字外山818には、高市皇子が勧請したとされる
宗像神社も鎮座しておりますね。「外山」の読みは、「トビヤマ」?「トミヤマ」?
富山の地名由来を追う  2011/12/17
http://blogs.yahoo.co.jp/mas_k2513/30874372.html

260日本@名無史さん2014/08/04(月) 21:07:29.77
>>258
富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承 - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/16408628.html
富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承
古代氏族系譜集成に掲載される系譜である以下は、
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/archive/2012/6/17
出雲国造家の穂日家に伝承を奪われた系譜であり、神門臣家の人を穂日家の系譜に
つなぎ合わせたものであった。
富家の伝承では、伊勢津彦命は神門臣家の人であった。
国引神八束水臣津野命
┃ 
赤衾伊努大住日子佐別命(妻:水戸神女天甕津日売命)
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
八千矛                                 伊怒比売(伊努比売命、香用比売命
┃                                   此命御合於大歳神生向日神聖神也)
┣━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓
伊佐我命(又、櫛八玉命 出雲国出雲郡伊佐我神社是也  出雲建子命(又、櫛玉命、伊勢津彦命居
┃  天孫降臨時為膳夫献天御饗供奉      )       伊勢度逢縣伊波例天皇御宇遷住東国 )
┃ 注:伊佐我命の櫛八玉と出雲建子命の櫛玉というほぼ同じ名称から、同一神である
┃  可能性も指摘される。出雲建子という名は前後の系譜から浮いた
┃  名称でありその可能性は高いと思われる。
都我利命(又、津狡命出雲国出雲郡都我利社是也)

富家による出雲臣(神門臣家)の系譜の伝承A - 神々の黄昏 - Yahoo!ブログ
http://blogs.yahoo.co.jp/tsubame7_bio_titech/16560282.html

神門臣家の系譜は、八束水臣津野命以前も含めると、
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)−八束水臣津野
−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−八千矛┬伊佐我(伊佐波)
                           ├阿遅須枳高日子
                           └高照光姫        
となっている。

261日本@名無史さん2014/08/04(月) 21:08:17.74
>>260の続き

翁とクナトノ大神:虚 空 に 花 降 り:So-netブログ
能舞台に封印された花の記憶
http://nami-no-kai.blog.so-net.ne.jp/2013-04-06
クナト大神は出雲井神社(出雲富家の祖神)の祭神であり、久那斗(クナト)神社と神社名に名を遺すのは、岩手県北上市和賀町に一社あるのみである。
別名、岐(フナト)の神、幸の神、寒の神、八街(ヤチマタ)の神、道祖神、道陸神。
道々の輩の神である。
「我々の大先祖はクナトの大首長だが、もう一つの女首長にアラハバキがあり、体制側によってこれが抹殺されようとした時、クナトは地蔵に、アラハバキは弁財天への変身した。」出雲富家伝承
クナト神もアラハバキも旅をして回る神である。
「霊亀2年(716年)熊野のクナトノ大神が杵築に移り出雲大社となった」出雲富家伝承
クナトの神(祖神)→大国主・事白主→三輪氏・鴨氏
天火明(祖神)→海部氏(籠神社宮司)・尾張氏
ニギハヤヒ(祖神)→物部氏
ニニギ(祖神)→天孫族
クナト大神=国乃常立神(国土形成の唯一根源神・大元尊神)
日本書紀では 国常立神(国土形成の唯一根源神・大元尊神)
宿神とは、国つ神が特定の地域の地主神となる以前、日本列島を人々が自由に移動していた時代、
天つ神・国つ神以前の世界の神と考える。      

だそうです。

262日本@名無史さん2014/08/04(月) 21:17:37.20
島族は、神門氏で、祖が・・
岐(フナト)神、別名、クナト大神=国乃常立神−八島篠−布葉之文字巧為−八束水臣津野−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−八千矛┬伊佐我(伊佐波)
                                                                                    ├阿遅須枳高日子
                                                                                    └高照光姫
※伊佐我=出雲建子=伊勢津彦=阿遅須枳高日子

>>241

263日本@名無史さん2014/08/04(月) 21:28:48.81
八束水臣津野命=シシ神・ダイダラボッチで熊野大社建立にまつわる神。
もののけ姫のアシタカのモデルが、阿遅須枳高日子命。
シシ神は、アシタカの父か祖父・・曾おじいさんだった。

264日本@名無史さん2014/08/04(月) 21:48:27.58
八束水臣津野命は、出雲国引きの神さま。

265日本@名無史さん2014/08/07(木) 11:34:04.89
これ、凄いよ

出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false
出雲王国の正体: 日本最古の神政国家 著者: 武光誠
http://books.google.co.jp/books?id=_V9GDh7VBpQC&pg=PA124&lpg=PA124&dq=#v=onepage&q&f=false

266日本@名無史さん2014/08/17(日) 03:55:40.72
物部氏の子孫、末裔は現代に居るの?

267日本@名無史さん2014/08/17(日) 05:46:50.92
いるよ
物部姓が今も各地に残っているし
秋田の唐松神社の宮司が直系だと言ってる

268日本@名無史さん2014/08/17(日) 12:09:12.80
ttp://blog.livedoor.jp/kusitama/archives/52061997.html

269日本@名無史さん2014/08/17(日) 13:01:07.07
そのブログは物部好きにはたまらんだろうな

唐の勿部将軍の話とかおもしろい

270日本@名無史さん2014/08/17(日) 13:56:18.61
藤原氏が物部の、それも本流筋の末裔だよ。
物部本流筋の末裔の藤原氏と、物部庶流筋の(しかも蘇我氏の血も濃く入った)石上氏との間で、物部の惣領の地位を巡るちょっとした権力闘争があったんだよ(でもそれは割と穏やかなもの)。
それに藤原氏が勝ったから、伊勢神宮以外で唯一「神宮号」を名乗ることを許されていたのは物部の斎場なんだけど、
それが石上神宮から鹿島、香取の両神宮に代わったんだよ(藤原は「東国物部」。弓削大連の失脚以来、物部本流は東国に移り、臥薪嘗胆の思いを秘め雌伏していた。
一方、畿内に残っていた物部は庶流でしかも蘇我の婿筋。またそれ故に畿内に残ることを許されたとも言える)。
石上は物部の代表ではなくなったことにより、石上社の神宮号は返還され、石上神社になった。

271日本@名無史さん2014/08/18(月) 21:00:44.34
>>270
それ、中臣氏の親筋の忌部氏の事だろう。
出雲忌部氏と島族の祖先が同一されてるから同祖混じってるな。
その祖ってのが・・天津彦根命=天稚彦=天若日子命≠大国主命の子、阿遅須枳高日子命(島族本筋の神門氏の祖父)で
次代が・・天日鷲翔矢命=少彦名命=昔話の一寸法師。
忌部氏末代に志麻名布命っているから・・
武内宿寝・葛城襲津彦や、末代の蘇我氏も島族を名乗っている。
出雲族は、徐福・秦氏で、島族には、秦の始皇帝七世の弓月君の惟宗氏・島津氏が居る。

・この古代氏族の系譜は、出雲族や時の中臣・藤原氏の記紀編集時に都合よく書き換えられ、大和単一民族として利用されたせいで
真実の系譜が現在に成って、掘り起こされて来ている・・。
現在までに伝わる・・一般的系譜だと・・

@神門氏は、千家と同じ古代分派の一族で、伊幣根命-伊賀曾然命の建部氏と神門氏で、叔父に、置部氏・物部氏と成っている。
日本の苗字7000傑 姓氏類別大観 出雲氏
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/02/021/02119.htm
A上記系譜の伊幣根命-伊賀曾然命以前の代に朝原氏の祖の出雲振根命=日本武の正体で、建部氏と神門氏の祖が、実は、この出雲振根=日本武と言う系譜があり、
その末代として、古代出雲大社以前の杵築大社司祭として神門氏就任した記録がある。
B、もしくは、神門氏は、事代主命筋の向氏・富氏の旧家伝によると、神門氏が大国主命と宗像三女神の多岐理姫との子、阿遅須枳高日子命の孫として就任とも伝えられている。
※(神門氏の語源は、阿遅須枳高日子の持っていた神度剣からの姓。)
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)−八束水臣津野
−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−八千矛┬伊佐我(伊佐波)
                           ├阿遅須枳高日子
                           └高照光姫        となっている。
                ↑
大国主命が、素戔嗚命の子孫じゃないと言う系譜の様です。

272日本@名無史さん2014/08/18(月) 21:01:21.11
>>271続き・・

この、話を神門氏の子筋の島族の創生を語る中にも語られています・・。
                ↓
惟 神 の 大 道 (かむながらのおおみち)            十一月・秋季大祭  一月号・269号
 惟神の大道(四魂具足の道)は、顕幽一貫けんゆういっかん(現界から、霊界に貫かれて不動の人生)の道であります。
初めに伊邪那岐命が、原人として魂を与えた島族(日本の第一先住民族)を産み、次に須佐之男命とその代々の御子神たち七代が、この一魂の島族を二魂の先住民族として同化された。
次にこの第二先住民族を、さらに大国主命系十代の神々により、三魂の第三先住民族へと同化されて、天孫降臨となります。
国譲りを経て、四魂を具えた邇々芸命系の神(氏之祖ノ神)が四魂の大和民族に同化せられ、我々が受け継いで敬神崇祖を実践し、四魂具足の行にぎょう 努め絶対道徳 (惟神の大道) を践み行く民族になるのです。
心に四魂を満ち充み みたす(常に四魂具足を思う)ことであり、自身に真心を確立するよう努めることです。

273日本@名無史さん2014/08/18(月) 21:06:26.38
島族の大半も秦氏の渡来ばかりですが、神門氏の子筋の志摩国造家・島(直)氏系統は、大国主命の末代の様ですね。

274日本@名無史さん2014/08/18(月) 22:21:12.88
物部ってのはぶっちゃけ合従連衡氏族なんだけど(そうじゃなきゃあんな『先代旧事本紀』に載ってるようは膨大な数にならない)、弓削大連のあとちょっと雌伏の期間を置いて藤原がその本宗筋(中核氏族)になったってことね。
物部はいくつかの氏族の連合により構成されています。
だから「物部連」っていうの。

275日本@名無史さん2014/08/18(月) 22:23:02.59
神門氏 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%96%80%E6%B0%8F
豪族神門(かんど)氏が,その配下の人々を日置部・海部・鳥取部・神奴部等に編成して,杵築大神の祭料をととのえさせた。

276日本@名無史さん2014/08/19(火) 15:41:32.74
インド グジャラート(シンド=シンディー)神門氏・カムド≠シモン・・・シンディーローパ?
アブラハムの子・イサク、イサクの子・ヤコブ、ヤコブとレアの第二子、シメオン族・・秦国秦氏・晋国司馬氏・ハザール帝国・ハーシム家・シマ(島族)・・アシュル族・キナ族・シェマヤ族=シャファト族≠ルベン族のシャムア族(アシュケナジム)
シメオン族が取り込んだ、シモンの子、ユダ族。
シメオン (ヤコブの子) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%82%AA%E3%83%B3_(%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%96%E3%81%AE%E5%AD%90)
シメオン族(秦・西晋・司馬氏・ハザール帝国・アシュケナジム・ハーシム家・秦氏)
http://empirex.web.fc2.com/1nenpyo.html


十戒のモーゼ
その子、ダビデ
その子、ソロモン王(三千年前)
シバの女王
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%90%E3%81%AE%E5%A5%B3%E7%8E%8B
紫垣(しえん)シオン?天帝の在所 世界史掲示板(荊の紀氏)
http://8906.teacup.com/toraijin/bbs/2656
大国主命=大黒天=シヴァ神=クロノス=シバの女王
クロノス - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%8E%E3%82%B9
レアー - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A2%E3%83%BC
レアーがクロノスとの間に産んだ神々はヘスティアー、デーメーテール、ヘーラー、ハーデース、ポセイドーン、ゼウスである。
ティーターン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B3
狭義には、ウーラノスとガイアの間に生まれた12柱の神々の兄弟姉妹を指す(ティーターン十二神)。クロノスはその末弟。これにディオーネーを加えて13柱とする場合もある。
オーケアノス・コイオス・クレイオス・ヒュペリーオーン・イーアペトス・クロノス・テイアー・レアー・テミス・ムネーモシュネー・ポイベー・テーテュース

277日本@名無史さん2014/08/19(火) 15:50:26.37
シメオン族の徐福・秦氏の出雲臣の氏族の入った源氏・平氏は、古代ギリシャ神話の繰り返しだった・・。

278日本@名無史さん2014/08/19(火) 15:58:08.37
アダムとイブ
ヤコブとレア
クロノスとレアー
ソロモン王とシバ女王
大国主命と多岐理姫命

279日本@名無史さん2014/08/19(火) 22:10:48.66
秦氏は、シメオン族・・秦国秦氏・晋国司馬氏・ハザール帝国・ハーシム家・アシュケナジム(アシュル族・キナ族・シマ族)
ヤコブとレアの子、シメオンの孫の世代には、・・シマ族(志摩国造家の島氏島族)シェマヤ族=シャファト族≠ルベン族のシャムア族・・島谷・島屋−シマヤ

280日本@名無史さん2014/08/19(火) 22:39:19.04
創世記のヤコブとレアの子孫・・島谷氏 シメオン族のシェマヤ・シャファト

島谷祠掌の比沼奈為神社の社紋は、籠目=六芒星の理由と、社名が本来、聖アーク=神輿で比冶だった事。

281日本@名無史さん2014/08/19(火) 22:41:07.98
>>280訂正。
比沼麻奈為神社

282日本@名無史さん2014/08/19(火) 23:55:12.86
登場人物で読む聖書の物語 シェマヤ 列王記・歴代誌
http://flamboyant.jp/bible/bib179/bib179.html

283日本@名無史さん2014/08/20(水) 21:14:17.96
おっ
「預言者シマヤ」でも、ググれるんだぁ・・

284日本@名無史さん2014/08/24(日) 15:03:51.47
大雨が降って、各地の雨量を見てるんだが、物部って地名が結構あるね。

285日本@名無史さん2014/08/24(日) 16:08:23.18
京都府綾部市、滋賀県長浜市高月町、兵庫県朝来市、兵庫県洲本市、長崎県壱岐市郷ノ浦町、
あとは?

286日本@名無史さん2014/09/02(火) 17:43:41.73
>>259
外山と書いて「トビ」と読む。

287日本@名無史さん2014/09/05(金) 11:16:49.25
>>285
守山市、高知県香美市、高知県香南市、高知県南国市・・

288日本@名無史さん2014/09/05(金) 12:15:07.23
>>287
守山市のほうは物部地名じゃなくなってるよ
香南市にもあったっけ?

289日本@名無史さん2014/09/21(日) 23:12:05.27

290日本@名無史さん2014/09/30(火) 13:35:28.09
昔も今も物部氏は神様!

291日本@名無史さん2014/10/04(土) 13:00:34.08
>>182
麁鹿火こと物部荒甲(アラカヒ)と物部押甲(オシカヒ)兄弟は、その
名からして任那出身ということか?
322 :日本@名無史さん:04/07/06 09:16
・・・・・百済へ割譲された任那4県は、
上多利(おこしたり)・下多利(あるしたり)・娑陀(さだ)・牟婁(むろ)・・・・・・
330 :ty270410:04/07/08 21:46
>>322
荒(アラ),押し(オシ)を「アルシ」と「オコシ」に対比させるのは
卓見だと思います.
末松保和先生の『任那興亡史』に次のように書いてあります.
アロシ:前,下,(南)
オコシ:背後,上
末松先生は古代朝鮮語と書いておられますが・・・・・・・・・・・・・・
欽明天皇と周辺環境
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1083350482/322-330

292日本@名無史さん2014/10/30(木) 22:58:26.98
原田常治の説ってどうよ
饒速日は、出雲の大歳神であり三輪の大物主神でもあるっていう

293日本@名無史さん2014/10/30(木) 23:22:40.53
物部氏の同属に中臣・玉造・土師などのものずくり集団がいる。
大阪、奈良に非常に関連が深い一族だね
玉造といえば出雲が思い出される
それから朝鮮からの戦利品七支刀を持っていたりする
三韓征伐で名前が出てくるのは蘇我の先祖、武内宿禰
不思議だ

294日本@名無史さん2014/10/31(金) 17:06:21.92
>>293
出雲・大国主神・・八代:八千矛神−九代:阿遅須枳高日子神−十代:鹽冶毘古能神=長髄彦−十一代:古事記の速甕之多気佐波夜遅奴美神=神門 速甕之建沢谷地乃身神(初代:旧出雲大社(杵築大社)司祭:神門氏)
・・十代神門 阿多神−十一代:出雲(神門)振根命=(倭健命)日本武命−十二代:神門鹽手命=神門伊賀曽熊命の子
建部氏(武部)、武内宿禰・葛城襲津彦・・蘇我馬子=島大臣。※百済国、第二五代:武寧(武内)王=斯摩王
出雲(神門)笠夜命、斯摩宿祢、島津(志摩)国造家の斯摩、志摩、島(直)氏の島族・・※百済渡来島族の武蔵・千葉国造家

295日本@名無史さん2014/10/31(金) 17:13:55.36
>>294追記。
294は、事代主直系の向家・富家に伝わる話がベースの擦り合わせ神代系譜で
   大国主より以前の神代系譜は・・

・御中主命=国常立命(クナト大神)
クナト大神−八島篠−布葉之文字巧為(ふはのもじくぬす)−八束水臣津野−赤衾伊努意保須美比古佐倭気−大国主・・八千矛(大穴持)┬伊佐我(伊佐波)
                                                                                     ├阿遅須枳高日子
                                                                                     └高照光姫

296日本@名無史さん2014/10/31(金) 17:22:34.56
素戔嗚尊との血統の繋がりは、正確には、阿遅須枳高日子神の母が宗像氏の祖神、多岐理姫の母系因子からである。

297日本@名無史さん2014/10/31(金) 17:36:22.14
>>294の脱字訂正。
※百済国、第二十五代:武寧(武内)王=斯摩王

298日本@名無史さん2014/11/03(月) 23:31:03.48
6世紀以前のことが隠蔽されてるから豪族がどこから来たのかはっきりしない

299日本@名無史さん2014/11/04(火) 20:30:36.40
>>298
だから、隠蔽した徐福秦氏=出雲族と天皇家の隠蔽コンポ技&討伐の恐怖政治の及ばなかった
向家・富家の旧家伝伝承を>>294>>295で言っている。

300日本@名無史さん2014/11/04(火) 20:51:10.83
キチガイ邪魔

301日本@名無史さん2014/11/04(火) 20:51:35.61
鹽冶毘古能=長髄彦の兄の多伎都比古=安日彦?
登美安日彦だと、登美=富家だから、向家なので、事代主の裔になる。
鹽冶毘古能=長髄彦は、神門家で、大国主の孫に成る。
しかし、記紀に出てこない安日彦は、富家だとすると、世代的に、鹽冶毘古能=長髄彦の時代からかなり後の世代になる・・
登美の姓が現れるのが、向家のかなり後だからだ・・。

302日本@名無史さん2014/11/04(火) 21:04:47.26
>>186
登美饒速日命?w
富家は事代主神の裔。
しかし、富家の方は、饒速日を徐福本人と言ってます。

出雲と大和のあけぼの: 丹後風土記の世界 著者: 斎木雲州
http://books.google.co.jp/books?id=I49bk2tY4R4C&pg=PA84&lpg=PA84&dq=#v=onepage&q&f=false

76ページ
徐福の和命は、饒速日となった。
だっそうです。

303日本@名無史さん2014/11/04(火) 21:59:54.42
>>302修正。
76ページ
>徐福の和名は、饒速日となった。

304日本@名無史さん2014/11/04(火) 22:53:52.54
徐福って秦の始皇帝に「不老長寿の薬を見つけて来い」って言われて日本に来た人?

305日本@名無史さん2014/11/04(火) 23:11:00.43
朝鮮渡来と言われるのが、そんなに嫌なのかね?

306日本@名無史さん2014/11/04(火) 23:11:47.23
>>304
そうそうっ

307日本@名無史さん2014/11/05(水) 00:31:34.98
でも、見つからないのでそのままバックレた。
というか、最初からそのつもりで、職工集団や童男童女を連れてきていた。
始皇帝ほどの男がそれを見抜けないはずがなく、むしろ、植民地支配のための屯田兵として送りだじたと考えられる。

308日本@名無史さん2014/11/05(水) 00:58:49.29
なんでユダヤ電波が湧いてんだよw 秦氏のスレに逝けよw
徐福は日本にきてないし、来てるって設定は秦スレでやれ

309日本@名無史さん2014/11/05(水) 12:57:25.88
>>304
徐福は始皇帝そのものって説もある。中国の始皇帝の墓は影武者。

310日本@名無史さん2014/11/05(水) 19:48:43.78
>>305
嫌というか
デタラメを広める朝鮮人が限りなくキモイ

311日本@名無史さん2014/11/05(水) 20:39:53.62
古代ロマンが好きな人には
雄大なロマンを求めて無理やり大陸や半島と結びつける人もいるのは確か
手堅さなんて考えずおもしろければそれでいいんだから

312日本@名無史さん2014/11/05(水) 21:35:56.90
>>311
でも、その古代先住の出雲以前からの古代から伝わる家伝伝承なんだけどね。

313日本@名無史さん2014/11/05(水) 21:45:53.20
まあ古代朝鮮なんて
日本が起源だからな

314日本@名無史さん2014/11/05(水) 21:53:54.15
>>310
今とは国も民族も別物なんだし、そう朝鮮半島を嫌うなよ

315日本@名無史さん2014/11/05(水) 22:12:01.03
それだと
朝鮮渡来ではない
倭人が支配していた半島の同族だな

316日本@名無史さん2014/11/05(水) 22:13:23.72
済州島も新羅も
国を作ったのは倭からの渡来人

317日本@名無史さん2014/11/05(水) 22:24:15.90
百済・新羅渡来人は、倭の王族の末裔。
国常立神を素盞嗚尊と摩り替えた、徐福秦氏の出雲族(徐福本人の物部の祖、饒速日尊。)が
時の天皇家と示し合わせて出雲(葛城地方)を乗っ取った。
実際は、出雲では無く、熊野を中心とした畿内地域。

318日本@名無史さん2014/11/05(水) 22:32:16.15
新羅渡来人は、神武の兄:稲飯の一族。
稲飯・・昔氏・・天日槍(関西人の祖神)・・出石族。
百済渡来人は、大国主・・神門振根(神門家)の子筋、建部(武部)・武内宿禰・葛城襲津彦・・紀氏蘇我氏と同族
武寧王・・倭史・和史の百済氏の帰化姓

319日本@名無史さん2014/11/05(水) 22:44:04.53
>>318続き
武寧(武内)王・・倭史・和史の百済氏の帰化姓・・高野氏
大綿津見神=天照大神の天皇家と素盞嗚尊を祖とする徐福秦氏・出雲族だが
天皇が半島や大陸で遠征で秦族と縁を結んで、秦族の渡来した逸話が、源氏姓の源姓の賜りの逸話なのでしょう。
大国主と事代主の王族が、日本への帰国を阻み、神武天皇の兄弟が秦を頼り、縁を結び、秦族の穂日や若彦を送り込んだ・・
一端、若彦が帰国し、連れて来たのが、徐福と天照天皇家の本体だったと・・
国譲りのお話と成る・・

320日本@名無史さん2014/11/05(水) 23:15:29.25
右も左も両方いるなw

321日本@名無史さん2014/11/05(水) 23:31:12.56
要するに、出雲古代王家の事代主家と大国主家が、軍属政治の天皇家が半島や大陸の覇権を成さずに
おめおめと世代を経て、帰国を願って来たのを嫌って、鎖国していたのでしょうね。

322日本@名無史さん2014/11/05(水) 23:34:51.63
最初の帰国の為の交渉役が、熊襲と共に九州に派遣されて来た、伽耶国の女王の卑弥呼と思う。
これが、天照大神の原型モデルとなった。

323日本@名無史さん2014/11/05(水) 23:49:03.30
とっ・・これは、俺が、色々と調べた見解。

324日本@名無史さん2014/11/05(水) 23:51:35.29
お、おらには難しすぎてさっぱり分からねぇ・・・

325日本@名無史さん2014/11/05(水) 23:53:56.20
壇君神話の一族が南方系の熊襲・隼人と思う。
それが、時間の経過で、沖縄まで倭寇で伝わったと、推定する。

326日本@名無史さん2014/11/06(木) 01:38:13.17
今の朝鮮人と違うのは分かる

327日本@名無史さん2014/11/06(木) 02:33:48.13
>>325
壇君神話が南方系の熊襲・隼人から沖縄や九州を経由で半島に伝わったとなると
経過を追いかけるのは相当大変な事になるね

少なくとも今の朝鮮民族は壇君神話が形成された頃には成立していないし
後に構成要素になる民族達も西や北など別の地域にいたと推定されるから
ほとんど神話成立に関わっていない筈なのに、なんで先祖神認定してるんだ

328日本@名無史さん2014/11/06(木) 11:25:23.20
縄文人と大陸からの少数の避難民から出来たのが旧倭人(弥生人)
九州北部と半島南部が当初の勢力圏。
半島では北からやってくる異民族にどんどん侵入され、中国からの亡命者も
多数やってきた。
朝鮮人と日本人が遺伝的に似ている(一部共通する)のは、稲作到来時代の
共通倭人だったころの影響。
朝鮮の氏族は、故地が南部にある部族が多い。
新羅の建国伝承は倭人が出てくる。

329日本@名無史さん2014/11/06(木) 20:08:46.29
なんで檀君神話が南方系ってことになんだよw 支離滅裂やな

330日本@名無史さん2014/11/06(木) 21:18:10.23
物部ってわからんなあ。
ニギハヤヒの伝承はあとからくっつけたんだろうか?

331日本@名無史さん2014/11/06(木) 21:39:29.33
>>338
当たり前だろw

332日本@名無史さん2014/11/06(木) 22:19:04.27
縄文人も倭人

333日本@名無史さん2014/11/07(金) 10:55:09.07
新羅の4代目王は風水に寄って2代目王に仕え3代目の遺言で4代目王に成った倭人

334日本@名無史さん2014/11/07(金) 11:10:25.92
トンデモばっか。
もう、うんざり。

335日本@名無史さん2014/11/07(金) 11:36:30.24
327
檀君神話か?
調べてみれば殷の紂王の事件に関連しその中の
一部が朝鮮にきて国を建てたとかいうあの話か?w
殷の廃墟移籍はでているがお前らと関係あるの?

336日本@名無史さん2014/11/07(金) 12:09:57.41
この辺の話は面白そうだあな
かなり生贄関係なんかにも関連していそうだし
血なまぐさい話がてんこ盛りな感じだw

337日本@名無史さん2014/11/07(金) 12:42:35.29
秦が滅んだ時に半島に逃げてきて
国を作ったのが辰韓
そこから更に日本まで来たのが秦氏
秦氏は渡来系と明確に分類されてるから
物部はそれより前

338日本@名無史さん2014/11/07(金) 12:46:50.04
辻褄合わせ終わった?

339日本@名無史さん2014/11/07(金) 20:22:03.15
>>329
えっ
金沢県人のルーツ忘れてた・・

340日本@名無史さん2014/11/08(土) 11:05:45.01
>>327
AZスーパーセンター牧尾英二社長、タダモノではないと思って調べたが出自不明。
薩摩隼人と思ったら、牧尾は木曽源氏か?

341日本@名無史さん2014/11/08(土) 16:27:22.83
倭系百済人
物部奈率用歌多、物部奈率哥非、上部奈率物部烏、物部施徳麻薄エ
奈率(五品)や施徳(七品)は官名

342日本@名無史さん2014/11/10(月) 18:52:20.07
物部氏はもっと繁栄でき日本の頂点に
君臨できた力を持っていたけど
物部氏は野望や見栄や権力を嫌い、
はむかうこともなく
立場も関係なく
誰に対しても暖かな情けをかけていました
人や時代を選ばないで
誰に対しても疑わないで信用して
着いて行き傷ついて悲しみを抱えて
歴史上から姿を消してしまった

心がとても静かで
心優しい物部氏のような
人になれるように心がけて生きていきます

343日本@名無史さん2014/11/10(月) 19:04:19.10
んなわけねーだろw

344日本@名無史さん2014/11/14(金) 10:28:10.59
インドのデカン高原から来た人
そうするとシュメール人と同祖になるのか

345日本@名無史さん2014/11/14(金) 10:32:53.69
物部氏は鈴木さんの祖先

346日本@名無史さん2014/11/14(金) 10:36:52.50
苗字で神から別れた家系・天皇家から別れた家系・渡来人の家系とちゃんと分かれてたみたいだね

347日本@名無史さん2014/11/15(土) 20:31:54.28
>>346
江戸時代の初頭までの地域由来の帯刀姓もそれなりの出自を示しているし
明治から大正までも、余り人の流動も無かったから、地域の土地の名で苗字としたのも、在る程度の出身地域が苗字で解る。
正し、今だと中国以外の半島からの帰化人が、日本の苗字を名乗って居ると不明・・
敗戦までは、ある程度、北朝鮮系が柳系の姓とか、木姓で左右対称文字姓で解るようにして居たけど
敗戦以降の民主化の人権問題で、帰化時の姓の自由化があったのだろうね。

348日本@名無史さん2014/11/20(木) 18:50:39.49
>>310
そうそう。
天皇は朝鮮人なのにそれを隠してるとか、京都のお寺は「私達」が作ったとか、
意味不明の嘘を言い立てるのがいや。
以前は関心がなかったけど、そういう嘘に韓国人が騙されてるんじゃなくて、
支持してるのを読んでいやになった。
「日本人は劣等民族で文化を教えてやった偉大な韓民族」って前提なのがいや。
歴史の真実を知りたいとは思っていないのがよく分かる。

聞くだけ無駄。

349日本@名無史さん2014/11/23(日) 05:57:13.13
鬼とかいう単語が出てくるけどどういうこと?

350日本@名無史さん2014/11/23(日) 14:34:05.74
>>328
で、その一派の物部氏が、九州->近畿->東海->関東->東北南部と
列島を、東遷北上開拓していったと?
8 :日本@名無史さん:2010/09/18(土) 11:03:23
・・・・物部は弥生系。稲作を東北南部にまで広げていったのも物部の祖先。
古代の関が原 関東の東西戦争
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1284125193/8-

351日本@名無史さん2014/11/23(日) 14:40:19.40
>>346
皇別、神別、蕃別の分類のことかね。古代平安期までだがね、
苗字でなく氏でね。

352日本@名無史さん2014/11/23(日) 22:04:26.06
>>350
なんで物部が東遷するんだよ。
東へ広げたのは尾張だから火明命だろ。

353日本@名無史さん2014/11/23(日) 22:47:41.39
谷川健一かな?

354日本@名無史さん2014/11/30(日) 01:21:47.52
皆さんもっと勉強してください
今まで何を勉強してきたんですか?

物部氏が日本を作ったんですよ
もっとわかりやすく説明すると
イザナギや神武天皇や天照大御神が
日本列島を作り
物部氏が日本の基礎を作りました
また物部氏も含め皇族天皇家は
代々朝鮮人ではなく神様ですよ

高天原は朝鮮半島にありますか?
物部氏も天皇家も高天原出身ですよ
高天原は地球が誕生した時に
今の日本列島のあたりに誕生したんですよ
日本を作る為に天皇家の先祖が
天孫降臨をして
現代の日本や地球があるんです

355日本@名無史さん2014/11/30(日) 10:57:45.28
信仰を持ってること自体は尊いのだが、他人に押しつけるのはよくないな
記紀等に虚構が多いのは定説で、高校で習った日本史の延長線上にある
それを無視するのは「今まで何を勉強してきたんですか?」だろ?

356日本@名無史さん2014/12/02(火) 00:29:54.59
あほか
物部氏など存在しない
物部というのは単に「兵隊さん」ぐらいの意味
それを全国の「物部郷」や記紀の登場人物を全部一族だと思い込むから
強大な物部氏とう幻想ができあがる

357日本@名無史さん2014/12/02(火) 02:03:36.98
物部の子孫がいるんだけどw

358日本@名無史さん2014/12/07(日) 09:04:42.50
>>220
異論ご紹介。
38 :日本@名無史さん:2011/11/11(金) 02:23:18.51
>>18
俺も物部は縄文ではないかと疑ってる
正確には少数先行してやってきた弥生系との混血・・・・・・・・・
豪族について
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1301977167/18-38

359日本@名無史さん2014/12/07(日) 12:07:59.56
寛平・延喜東国の乱で蜂起した物部氏永について詳しい人いませんか?

360日本@名無史さん2014/12/07(日) 15:16:28.37
>>274
>物部はいくつかの氏族の連合により構成されています。
>だから「物部連」・・・・・・・・・・・・・・・・・
ハハハ、連合氏族だから物部連なのかね。すると物部大連は、大々
連合なのかね?大伴氏や中臣氏や安曇氏も、連合氏族なんだね?

361日本@名無史さん2014/12/07(日) 16:50:53.32
>>360
要するに、国譲りの天照軍の秦の徐福氏本人に物部氏の祖、ニギハヤヒだから
大伴氏や中臣氏や安曇氏は、徐福の部下の一族と解釈出来るね。

362日本@名無史さん2014/12/07(日) 16:52:03.70
>>361もとい
>>360
要するに、国譲りの天照軍の秦の徐福氏本人が物部氏の祖、ニギハヤヒだから
大伴氏や中臣氏や安曇氏は、徐福の部下の一族と解釈出来るね。

363名無しさん@そうだ選挙に行こう2014/12/13(土) 13:14:43.53
徐福の実在をいかにして示す?

364名無しさん@そうだ選挙に行こう2014/12/13(土) 18:20:11.09
>>363
お墓が存在するから確かに実在した人物
実在しなければお墓なんて作らない
だから神武天皇も実在した

徐福が泣きながらもがきながら
苦しみながら生きる道を探して旅をして
生きた事を時間がたっても忘れないでね!
あと物部氏や卑弥呼や神武天皇も
野望を抱いて無理しながら焦りながら
生きていたって事を忘れないでね

365名無しさん@そうだ選挙に行こう2014/12/13(土) 19:14:37.44
青森にはキリストの墓がある

366名無しさん@そうだ選挙に行こう2014/12/13(土) 20:02:14.59
源氏物語の登場人物、夕顔にも墓があるよ
http://www.the-kyoto.jp/history/b06/

367名無しさん@そうだ選挙に行こう2014/12/13(土) 20:10:20.63
青森には転ばなかったキリスト教徒で
身分が高い奴らが流罪になってる
流罪になった宣教師も居たはず

368名無しさん@そうだ選挙に行こう2014/12/13(土) 20:36:56.49
>>363
徐福の出身地、徐福船団の出港地どちらも下戸遺伝子が多い地域

この地図は酒の飲めない下戸の人口分布図
http://i.imgur.com/jAMWVLN.jpg
世界的に見て長江下流域と近畿地方に集中している

http://blazingcatfur.blogspot.jp/2013/12/a-gene-mutation-for-excessive-alcohol.html
下戸遺伝子(ALDH2 * 504Lyの対立遺伝子)の分布図 アジア
http://4.bp.blogspot.com/-wxCW4nPx1qk/Up-j4li9mLI/AAAAAAAAa6M/JLmGan26ogk/s1600/nihms-114463-f0001.jpg

日本、中国、韓国、タイの下戸遺伝子 (ND型+DD型)
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000176_all.html
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000176_discussion_002.gif

約45% 日本、中国
約25% 韓国
約15% タイ

369日本@名無史さん2014/12/14(日) 23:07:49.27
日本に水田耕作を伝えた、いわゆる渡来系弥生人が長江出身で下戸だったってだけじゃないの?
そもそも徐福が下戸かすらわからんだろう?

370日本@名無史さん2014/12/28(日) 17:17:58.45
物部ってもともとはスポークスマンのことだろ?

371日本@名無史さん2014/12/30(火) 18:39:58.83
九州の水田稲作は弥生人が来る前から始まっている

372日本@名無史さん2015/01/18(日) 16:52:57.66ID:hgMl/nCc
越後二宮 二田物部神社の御朱印やっともらえた!ここの宮司は末裔だそうな。

373日本@名無史さん2015/01/20(火) 22:49:04.14
ニダ物部<ヽ`∀´>

374日本@名無史さん2015/02/01(日) 01:04:43.16
とかく神社は中臣祝詞ばかりということだが、宮中でも使われていると言われる十種の神宝物部祝詞を詳しく知りたい。

375日本@名無史さん2015/02/01(日) 11:52:34.01
高天原に神留り坐す
皇親神漏岐
神漏美の命以ちて皇神等に鑄顕はし給ふ
十種の瑞寶を饒速日命に授け給ひ
天つ御祖神は言誨へ詔り給はく
汝命この瑞寶を以ちて
豊葦原の中國に天降り坐して
御倉棚に鎮め置て
蒼生の病疾の事あらば
?の十種の瑞寶を以ちて
一二三四五六七八九十と唱へつつ布瑠部
由良由良と布瑠部
かく為しては死人も生反らむと
言誨へ給ひし随まに
饒速日命は天磐船に乗りて
河内國の河上の哮峯に天降り坐し給ひしを
爾の後大和國山邊郡布留の高庭なる
石上神宮に遷し鎮め齋き奉り
代代其が瑞寶の御教言を蒼生の為に
布瑠部の神辭と仕へ奉れり
故この瑞寶とは瀛津鏡
邊都鏡 八握剣 生玉 足玉 死反玉 道反玉 蛇比禮
品物比禮の十種を布留御魂神と尊み敬まひ齋き奉ることの由縁を
平けく安らけく聞こし食して
蒼生の上に罹れる災害及諸の病疾をも
布留比除け祓ひ却り給ひ
壽命長く伊加志八桑枝の如く立榮えしめ常磐に堅磐に守り幸へ給へと恐み恐みも曰す

376日本@名無史さん2015/02/01(日) 14:22:30.19
>>375
有難うございます。貴方様に幸ありますようにお祈り致します。

377日本@名無史さん2015/02/01(日) 16:27:04.74
物部の祖とは・・徐福秦氏(建速須佐之男)で饒速日(もしかすると・・武烈天皇までの天皇家かも・・)。
・饒速日と神門臣家の分家、宗像家の娘、市杵島姫との間に設けた、彦穂穂出見・・・宇摩志麻遅・・物部家の祖。
・建速須佐之男と向家の娘、高照姫の間に産まれた子が・・五十猛で、五十猛と彦穂穂出見の妹、穂屋姫の子が・・天村雲で
天村雲と向家の八重波津身(事代主)と三島家の祖、玉櫛姫の間の子が踏鞴五十鈴姫との子が・・天御蔭で、海部家・度会家の祖。
向家八重波津身の子、天日方奇日方と神門臣家の八千矛の子、遅須枳高日子の兄弟の美良姫の間の子が・・多臣家(多氏)の祖が八井耳。

378日本@名無史さん2015/02/01(日) 16:34:38.24
>>377もとい
物部の祖とは・・徐福秦氏(建速須佐之男)で饒速日(もしかすると・・武烈天皇までの天皇家かも・・)。
・饒速日と神門臣家の分家、宗像家の娘、市杵島姫との間に設けた、彦穂穂出見・・・宇摩志麻遅・・物部家の祖。
・建速須佐之男と向家の娘、高照姫の間に産まれた子が・・五十猛で、五十猛と彦穂穂出見の妹、穂屋姫の子が・・天村雲で
 ・向家の八重波津身(事代主)と三島家の祖、玉櫛姫の間の子、踏鞴五十鈴姫で、その踏鞴五十鈴姫と天村雲との間の子が・・天御蔭で、海部家・度会家の祖。
 ・向家八重波津身の子、天日方奇日方と神門臣家の八千矛の子、阿遅須枳高日子の兄弟の美良姫の間の子が・・多臣家(多氏)の祖が八井耳。

379日本@名無史さん2015/02/01(日) 16:41:02.41
※多氏も又、向家の直系の子孫と成る。

380日本@名無史さん2015/02/01(日) 19:32:55.83
えっ?タケミカヅチの中臣ー藤原の鹿島神宮元宮と言われている大生神社の多氏も?香取と同じように物部系?藤原への移譲はどのようになされたのか、、、ふ、深い、、、

381日本@名無史さん2015/02/01(日) 21:04:23.68
>>380
熊野大社司祭家系が、向家・登美家・・中臣氏(各地豪族の総称)を名乗り→藤原氏にシフトしたのだろう・・
血統は同じ筈。

382日本@名無史さん2015/02/01(日) 21:07:30.05
タケミカヅチは、国譲りの話に姿を見せなかった神・・おそらく、古代に暗殺を恐れての創作・・キャラかも・・

383日本@名無史さん2015/02/01(日) 21:27:30.35
>>382
クナト(国常立)大神の末代の大国主・神門臣家と事代主・向家の一族は、国譲りで天照軍(徐福秦氏(スサノオ)=ニギハヤヒ(天皇家の一族))の手の者(四道将軍)に大国主・事代主の末代が
時の一族の長を代々討伐されており、同族の武内宿禰や南関東国造家に任命された、神門臣家の一族と向・登美家の一族も、蝦夷として討伐対象だっいので、暗殺や討伐を恐れ、渡来の穂日の系譜に
本家筋と共に替えて、生き延びて居たから、穂日・徐福が大国主・事代主系譜を弄るように、自らの先住系譜も渡来系譜に弄り、創作の神も造っても、何ら不思議では無かったと思う。

384日本@名無史さん2015/02/07(土) 10:38:05.53
師長姫と饒速日命の子可美真手命との間の子とされる味饒田命、彦湯支命には、
夫々どういう事蹟が伝承されているの?
味饒田命は、阿刀氏の祖とされているらしいが。

385日本@名無史さん2015/02/13(金) 06:36:29.02
>>384
事績は不詳だが、彦湯支命流が後代の尾輿・守屋宗家に続く。
なお尾張国味鋺神社の祭神に名を遺す味饒田命は、そこでは
アジニギタかマジニギタと読まれているが、可美真手命同様に
ウマシニギタという読みもあるようだ。
古代豪族・神武天皇の家臣団と軍団(欠史八代) 
http://1st.geocities.jp/tugami555syou/syouichi79.htm

386日本@名無史さん2015/02/20(金) 20:18:07.39
但馬国韓国神社伝が伝える韓国連氏祖の物部真鳥と物部渚鳥って、何者?
物部氏は、実は朝鮮半島からの渡来氏族ということか?
武烈天皇朝廷の真鳥というと、記紀が伝えるのは平群真鳥だが。

387日本@名無史さん2015/02/21(土) 09:48:24.22
( ゚∀゚)余談だが21世紀初頭の現在では通名と一字姓が霞ヶ関官僚と国立大学教官の過半数を占めて居り永田町ももうすぐそうなる

388日本@名無史さん2015/03/12(木) 12:03:23.43
>>377>>378訂正。
>向家八重波津身の子、天日方奇日方と神門臣家の八千矛の子、阿遅須枳高日子の兄弟の美良姫の間の子が・・多臣家(多氏)の祖が八井耳。×
これ、系譜観間違いでした・・失敬。

389日本@名無史さん2015/03/12(木) 12:13:31.41
多臣家(多氏)の祖、八井耳は・・
八重波津身(事代主)の子、五十鈴依姫と天村雲(饒速日の子)の子、沼川耳の子で祖母方が宗像家の子、市杵島姫で神門臣家と血で繋がる形・・

390日本@名無史さん2015/03/12(木) 12:16:05.63
多臣家(多氏)は、男系饒速日の家だな。

391日本@名無史さん2015/05/09(土) 23:29:38.36
豊田トンド山古墳の被葬者は誰か

392日本@名無史さん2015/05/15(金) 10:49:30.43
雄略紀の記す伊勢国朝日郎を征伐した物部目軍に、九州豊前国企救郡の
聞物部大斧手の名があるのは何故なのだろ?
畿内在住物部氏総帥物部目が、手勢寡少で遠国の一族に援軍要請したのか?
雄略が宋皇帝に豪語した祖先の関東侵攻「祖彌東征毛人五十五国・・・」に
従軍した物部軍は、雄略時代には弱体化してしまっていたのか?

393日本@名無史さん2015/05/15(金) 13:59:30.57
時代的には神武天皇ではなく神功皇后に付き従ってきた氏族

394日本@名無史さん2015/05/19(火) 10:51:10.69
>>386
但馬国楽々浦居住の物部真鳥は、伊香色雄の後裔。真鳥の子が、物部渚鳥。
渚鳥の子が韓国連久々比。但馬国城崎郡に久久遲命(天湯川桁命?)を祀る
久々比神社、物部十千根を祀る阿牟加神社あり。
久々比は、鵠で通常は白鳥を指すが、土地柄からするとコウノトリか?
皆の名が、鳥なのは如何なる由縁なのか?  

395日本@名無史さん2015/05/20(水) 14:03:46.45
但馬故事記から引っ張ってきたのか
ヒェー

396日本@名無史さん2015/05/23(土) 16:48:17.37
『新撰姓氏録』には吉志氏は大彦命後裔なり難波忌寸と同祖とあり、
『古事記』には吉志氏の祖先は五十狭茅宿禰とあるが、
「五十」とは饒速日命系の伊理王統であり、
神功皇后が五十狭茅宿禰の子の海上五十狭茅に祀らせ鎮めさせた神である大倉主とは高倉下の事であり、
高倉下とは饒速日命の事であるという。
『伊理王統 そのA』楠木探訪録
http://blog.zaq.ne.jp/kusunoki/article/321

397日本@名無史さん2015/05/23(土) 17:13:52.42
吉志氏、岸氏は皇別氏族で、
祖先を高貴な五十狭茅宿禰とし、
安部族や天穂日命系とされているが、
実は饒速日命直系嫡流の物部氏の王統で
籠神社の海部氏より格上だと思う。

398日本@名無史さん2015/05/23(土) 21:18:11.32
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

399日本@名無史さん2015/05/23(土) 21:18:47.33
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

400日本@名無史さん2015/05/24(日) 09:56:48.91
>>398->>399
おまえは誰に言ってるの?

401日本@名無史さん2015/05/24(日) 14:36:51.23
物部氏と秦氏ってトンデモ説多いよね

402日本@名無史さん2015/05/24(日) 17:03:47.58
物部の少なくとも一部に徐福に始まる末裔が含まれる事は確からしい。
が、饒速日命とは徐福が奉斎する太陽神であって、
徐福に始まる末裔を含む
物部系が饒速日命を祖先として系図に載せていたとしても、
天孫降臨した日本固有の皇祖神である饒速日命の、
直系嫡流の末裔である海部氏や吉志氏・岸氏らと、
物部を同列に論じるべきではないだろう。
その辺は籠神社の海部氏も「物部と海部とは格が違う」と言っている。

403日本@名無史さん2015/05/24(日) 17:38:59.53
物部は、一貫して「臣下」の立場を取ってるように見えるね

404日本@名無史さん2015/05/24(日) 22:26:08.76
増麻呂

405日本@名無史さん2015/05/25(月) 10:20:59.81
宮内庁の雅楽が秦氏な事や、
海部氏や吉志氏・岸氏らが天皇家に勝るとも劣らない
公的歴史的系図や「新撰姓氏録」「古事記」やらで

皇祖ニギハヤヒ末裔であるという事は、
とんでも化できないねい。

406日本@名無史さん2015/05/29(金) 02:51:38.12
饒速日命(ニギハヤヒ)は、
秦氏の徐福というより海幸彦・山幸彦の沸流(フル)だろ。

407日本@名無史さん2015/06/03(水) 08:35:34.39
>>398-399
その間に大洪水とかで2回くらい人類が滅亡してて
今の日本人と関係あると思うのは基地外だから、
結局ノアを先祖とするシュメール王家天孫族や
その天孫族と一緒に移動してた物部達が最古。

408日本@名無史さん2015/06/05(金) 00:13:58.48

409日本@名無史さん2015/06/05(金) 10:40:52.35
>>398-399
その間に大洪水とかで人類が二回ほど滅亡して
6000年前の小麦作が今の日本人と関係あると
思ってるのは頭弱過ぎるから、
結局ノアから始まるシュメール天孫族が最古で
シュメール天孫族と一緒に移動してた物部が最古。

410日本@名無史さん2015/07/26(日) 10:54:02.56
>>179
推古朝期に、物部氏の支族穂積氏が新羅攻略に遠征した記録が、
あるらしい。
”穂積祖足は、推古8年(600年)2月に任那日本府救援のため、征新羅副将軍に任じ
られて約1万の軍勢を率い新羅に出兵(新羅征討計画)、五つの城を攻略・・・・・・・・・・・・”
物部氏とその背後にあったもの 奈良は百済民 だから新羅が敵 大和が敵だった  2015-06-30
ttp://blog.goo.ne.jp/akatsukida/e/335367c3953e851601fa81e62219ef6e

411日本@名無史さん2015/07/26(日) 16:33:26.90
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww




縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。
http://inoues.net/science/wan.html
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり
今回は化石が大量で、    小麦     などのプラント・オパールも見つかり

412日本@名無史さん2015/07/26(日) 16:33:55.91
まーだ6000年前の日本で小麦作をしていた事も知らない馬鹿がいるの?
6000年前に日本はもう小麦作をしていたんですよ。中国よりも先になwwww


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか     小麦     とハトムギのプラントオパールも見つかった

413日本@名無史さん2015/07/28(火) 01:28:09.31
前方後方墳の被葬者は物部氏系

414日本@名無史さん2015/08/05(水) 14:31:19.84
朝廷直轄の軍事集団が物部。
饒速日命に連なる棟梁系の一族を中心としているものの、他族もその集団に入ると物部氏となる
ある種の職業名のようなもの。

皇子将軍が危険な戦に出向く時、皇子の名前で負けたり死んだりすると
王権の権威失墜になるので臨時で物部名乗ったりもする。
よって記紀等に唐突に出てくる物部将軍の中には皇子将軍も居ると思われる。

415日本@名無史さん2015/09/01(火) 14:15:56.15

416日本@名無史さん2015/09/05(土) 00:34:36.99
>>373 違うぞ。血統的にはペルシャだな物部は。命からがら逃げてきたんだろう。物を大事にとはそういう事だ。



藤原のほうが中国人、百済出自とかでトンデモだぞ。

417日本@名無史さん2015/09/05(土) 00:42:04.00
藤原系はただの神別。お前らがちんちんとかチョンとか秦氏とか外人とか呼んでる勢力は、
実は皇族だったり皇別の末裔。それ位、物部の歴史は古く、魔力に溢れている。

418日本@名無史さん2015/09/05(土) 00:48:16.67
まあ藤原系は朝鮮人なんだけどな。こいつらがいつも戦争を起こしてる。

419日本@名無史さん2015/09/05(土) 00:58:33.01
扶余がペルシャ系(スキタイ系?)だしな。

420日本@名無史さん2015/09/05(土) 01:30:00.22
>>416
>血統的にはペルシャだな物部は。
「物部氏ってひょっとして、コーカソイドと少なからず
関係しているのでは?」と、自分もそう思うことがある。

母方が物部氏と深く関係する地域の出身だけど、
地域の人は目鼻立ちがハッキリしていて、鼻筋が通っている。
それと二重が多い。そこの県は目の細い人が多い所だから珍しい。

421日本@名無史さん2015/09/14(月) 02:55:02.36
物部氏は鉄の民だろうから可能性はあるよね

422日本@名無史さん2015/09/20(日) 17:06:07.93
>>420
島根県か山口県っぽいな。

島根県には石見国一宮の物部神社があるし
山口県の前身、長門国の守護は守屋の末裔の厚東氏だった。

423日本@名無史さん2015/11/21(土) 17:00:11.97

424日本@名無史さん2016/01/01(金) 20:17:42.18
卑弥呼
物部氏
秦氏
同じ系統の宗教信者だと思う

425日本@名無史さん2016/01/03(日) 12:04:54.98
なんで卑弥呼や秦氏が剣神を信仰してたことになるんだよ

426日本@名無史さん2016/01/08(金) 21:44:09.03
卑弥呼と秦氏は、鬼道つながり
秦氏と物部氏は、神社つながり
秦氏が権力と共に物部復活

427日本@名無史さん2016/01/23(土) 18:19:08.81
>>378
物部氏は、源郷北部九州から大和移住の折、神武東遷と違って
出雲経由で東上したのか?
”北九州から発して出雲を中継地として大和入りした物部氏・・・・・・”
銅 鐸 と 鏡 作 氏  宝賀寿男  2014.2.5
http://wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/hitori/kagami1.htm

428日本@名無史さん2016/02/23(火) 08:24:33.60
>>427
下示週刊誌『磐船神社/石切劔箭神社』特集号にニギハヤヒの東遷
経路が、掲載されておるようです。
週刊「日本の神社」 第108号 磐船神社/石切劔箭神社/譽田八幡宮 2016-02-23発売 \562*1.08
哮ヶ峯周辺に残る物部氏の痕跡/ヤマト入りする前の饒速日命の足跡/
http://deagostini.jp/jin/backnumber.php?id=47871&issue=108

429日本@名無史さん2016/03/03(木) 22:00:19.25
>>414
氏祖「饒速日(ニギハヤヒ)」=「豊かではやいヒ」とは、稲妻を擬人化した
人名でよいのかな?

430日本@名無史さん2016/03/03(木) 22:51:20.25
秦氏の氏神は稲荷

431日本@名無史さん2016/03/03(木) 22:54:35.16
>>429
彗星や流星の可能性も

432日本@名無史さん2016/03/04(金) 19:09:41.94
ニンニキニキニキとニギニギしくが転じてニニギです。

433日本@名無史さん2016/03/04(金) 22:27:47.30
平和に繁栄させるって意味だろ

434日本@名無史さん2016/03/05(土) 23:51:20.37
軻遇突智を斬って刀剣の神が生まれるあたりに、
ミカハヤヒやヒハヤヒというのがタケミカヅチと一緒に出てくるので
ニギハヤヒもその類い

435日本@名無史さん2016/03/06(日) 13:37:24.97
適当に造ったキャラなので名前も適当な語呂合わせで決めました

436日本@名無史さん2016/03/06(日) 20:36:50.06
これですよ
現代人の信仰軽視
古代人の社会を理解しようとせず何でも捏造!創作!

437日本@名無史さん2016/03/07(月) 03:04:35.07
人名だけでなく地名も語呂合せや駄洒落です。

438日本@名無史さん2016/03/10(木) 04:22:54.39
ミカハヤヒやヒハヤヒのハヤヒと
ニギハヤヒのハヤヒが同義とは限らない

439日本@名無史さん2016/03/12(土) 06:05:59.84
>>429
弥生語から解読すると、「ニギハヤヒ」は、ニ+キ+ハヤ+ピと分解され
「きわめて優れた力あふれる意志」の意味らしいよ。
真実の 「天津祝詞の太祝詞」を求めて 「先代旧事本紀」の中の「一二三の祝詞」
ttp://www.pikakamo.com/index.php?%E3%80%8C%E5%A4%A9%E6%B4%A5%E7%A5%9D%E8%A9%9E%E3%81%AE%E5%A4%AA%E7%A5%9D%E8%A9%9E%E3%80%8D

440日本@名無史さん2016/03/13(日) 09:17:31.69
登美地名 
 大阪  堺(登美ヶ丘) 高槻(登美の里)
 奈良  奈良市(登美ヶ丘、鳥見もあり)

鳥見、つまり見晴らしの良いところ、という説が有力。
長髄彦、ニギハヤヒの時代は河内湖であり、その北岸と南岸が現在の高槻と
堺であった。高槻の登美の里の近くに「津之江」地名があり、当時の大阪で
は数少ない平地で、有力豪族の根拠だったと考えられる。現在、近畿最古級
の弥生巨大水田跡が見つかっており、市内至る所に遺跡がある。
登美の長髄彦は、ここを最初の根拠としていたのかも知れない。
堺の登美ヶ丘は丘陵の上だが、近くには池上曽根があり、また東大阪の鬼塚
と共に縄文から連続している四つ池があり、これらも近畿では珍しい巨大水
田跡である。
すねが長いのは縄文人の特徴だが、長髄彦がニギハヤヒの随伴者で、九州由
来の氏族か、それとも名前通りの縄文以来の王なのか、興味深い。

441日本@名無史さん2016/03/15(火) 04:28:44.63
>>439
『記』の表記するイザナギ・イザナミの子「速秋津比古神・速秋津比売神」、
スサノヲ「建速須佐之男命」の「速」も、「力あふれる」との意なのかな?

442日本@名無史さん2016/04/25(月) 07:29:46.76
>>182
欽明紀記事の竹斯物部莫奇委沙奇(マガワサカ)のマガワサカって
珍名だが、古代のキラキラネームなの?意味は?

443日本@名無史さん2016/04/25(月) 15:15:25.12
日本人は男系基準で3つに分れます。

皇別・・・天皇家から臣籍降下した系統や傍流で、蘇我氏、橘氏、平氏、源氏、その他があたる。

神別・・・天津神・国津神の子孫ということになっており、中臣(藤原)氏、物部氏などがそれにあたる。

諸蕃・・・渡来人系の氏族であり、秦氏、東漢氏などがこれにあたる。

444日本@名無史さん2016/04/25(月) 16:29:57.96
ニギハヤヒ=スクナヒコ=ヒルコ
ナガスネヒコ=アテルイ

じゃないのかなと?アマテラスがーってのがヒルコのことかなと?

でもモノノベがヒルコにつながるのか??

445日本@名無史さん2016/04/25(月) 16:46:31.31
モノノベはどっちかと言うとツクヨミ系列だと思うんだけどなあ

でも秦氏もツクヨミ系列を字で示してるくせに絹ガー絹ガー言ってるからなにか裏にあるのかな?


スクナヒコは出雲に流れ着いた時点で絹の服を着てたって話だし

446日本@名無史さん2016/04/25(月) 19:44:14.36
>>444
>ニギハヤヒ=スクナヒコ=ヒルコ
>ナガスネヒコ=アテルイ
>じゃないのか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
スレ誤爆か?等号=を誤用だし、投稿論旨も不明。
ナガスネヒコは3世紀前後、アテルイは9世紀の人物ゆえ、等号で結べない
つまり同一人物ではありえない。
ニギハヤヒ=スクナヒコ=ヒルコも、意味不明だ。

447日本@名無史さん2016/04/25(月) 20:56:03.75
>>446
熟早日(熟すのが早い日)を蛭子
蛭子を夷とみて
蛭子を少彦名とも同等に観た

夷、東北の話を物部と夷の二つに重ねて考察したのでそんな形になった

448日本@名無史さん2016/04/25(月) 21:12:39.08
物部は兵主神を指し五種の兵器は五角形でも表され五角形は台の文字を表す

この上の三角形部分が朝鮮半島で保食神かつオオゲツヒメ(大月?)をも指すから
物部は月扱いとした

その場合に物部が偶々東北に逃げたからといって饒速日命の末ってのは嘘臭いなーと

449日本@名無史さん2016/04/25(月) 22:30:22.40
全然わけがわからないけど、お前らの脳内では理屈が通ってるわけ?

450日本@名無史さん2016/04/26(火) 01:42:41.07
>>444
>>445
>>447
>>448
辺りは一人で書いてるから複数だと思われたらスマンw

自分の脳内では確定事項からの派生としてもの考えてる

ちなみにアテルイってのはおそらくアテナイと同意で名前じゃなく単に将軍を指す役職名だと思われる

兵主や物部と同意って部分に味があるなとも

451日本@名無史さん2016/04/27(水) 15:55:35.00
メモ帳でまとめてからやれよ

452日本@名無史さん2016/04/28(木) 23:33:33.64
皇室も物部氏も、3万年以上前の氷河期に日本に渡来してきた
最古のY遺伝子のD1bを持つ氏族同士だが
両者が分岐したのは1万年以上前。
皇室は、D1b1a2
物部氏は、D1b1d1

ニギハヤヒとかが実在したとしても、せいぜい2000年前なので
皇室や尾張氏が言うように、やはり、ニギハヤヒは天孫ではなく
尾張氏の祖先であるホアカリとは、無関係であった。

ニギハヤヒの正式名称には、ホアカリ櫛玉ニギハヤヒという。
櫛玉とは形見の意味があり
やはり、ニギハヤヒは、自分はホアカリの御落胤だと自称してただけで
実際は嘘をいっていたことになる。

453日本@名無史さん2016/04/29(金) 01:42:36.07
ニギハヤヒは天一というか天?

天皇周りが天孫って訳で、一世代目と三世代みたいな感じ

ニギハヤヒも出戻りかも知れないけど

天孫は更に後世での出戻り

454日本@名無史さん2016/04/30(土) 20:30:08.91
日本の古代歴史は、どこまで行っても神話にすぎない話なのが悲しいよな。
早い話、この国を造ったのは肝心の原住民(日本民族)ではないということ。

455日本@名無史さん2016/04/30(土) 21:15:52.56
じゃあ神話の無い原住民建国の国にでも移住したら?

456日本@名無史さん2016/05/01(日) 02:30:20.38
どこまでというか神話の時代って日本の歴史に比べたら中期辺りの話だろ?
上古の時代は神代以前だと思うよ

天孫が日本の戻って来たときにも天一は日本で暮らしてた

457日本@名無史さん2016/05/03(火) 10:42:52.00
>>447
記紀で天磐舟で河内に降臨した先住天孫族領袖とされるニギハヤヒは、
蛭子=不具とか夷=未開人でなく英傑であって従来の用字の好字『饒速日』で
妥当であろう。
熟早日(熟すのが早い日)や蛭子とニギハヤヒを矮小化するのは、何故?
創造神が生んだ初の子は何故奇形なのか?
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/min/1388045627/

458日本@名無史さん2016/05/03(火) 13:48:31.45
天皇は日本海を周遊できる舟を持っていたはず。

459日本@名無史さん2016/05/04(水) 06:18:18.55
>>7
マジか

460日本@名無史さん2016/05/04(水) 06:24:02.04
物部氏は守屋の崇仏論争で
あきらかなように古神道を奉じる
ガチな保守勢力。

461日本@名無史さん2016/05/04(水) 06:25:14.07
>>19

紀記にも書いてありますね

462日本@名無史さん2016/05/04(水) 06:30:50.55
>>53

平安時代に武士が軍事を担うような
経緯で、
大和王権成立後にこの裏天孫族に
軍事が任されたのではないだろうか。

463日本@名無史さん2016/05/04(水) 06:35:44.77
>>32

どうかな?
尾張氏のことをお忘れでは?

464日本@名無史さん2016/05/04(水) 06:35:55.57
物部氏は古墳時代の軍事貴族だろ

渡来人らを中心とした藤原氏の台頭の影で滅ぼされた連中

465日本@名無史さん2016/05/04(水) 19:47:02.91ID:uZg0LiaQ
物部氏

タカクラジ(兄)
ミマキイリヒコ(弟)、出雲の協力により実質初代天皇になる

この二人により遠賀川から東征が行われる

他の物部氏は先代旧事本紀参照

466日本@名無史さん2016/05/08(日) 23:45:07.00
Y遺伝子でみたら、

皇室、物部氏、出雲国造家も約3万年以上前に日本へ渡来してきた古い系譜。
ただし、三者それぞれ分岐したのは1万年以上前なので
日本神話(せいぜい2000年前くらいか)の言うように、
三者は男系ではつながっていない扱いだった。

中臣氏は新しくて約4000年くらい前に日本へ渡来してきた系譜。

いずれにせよ、日本神話の話はせいぜい2000年以上前の話なので
これらの氏族は、そん時点では日本に住み始めて千年以上の時間が経過している。

467日本@名無史さん2016/05/09(月) 14:22:06.74
蘇我氏の天下でも東北のほうでひっそり暮らしてたんでしょ

468日本@名無史さん2016/05/10(火) 00:39:08.06
ちゃんと今現在も物部守屋は存在してますよ。日本全土にいます。 別に隠すつもりもなければ、大きく出る事もありません。 普通の生活です。家紋は受け継がれてきてるだけです。

469日本@名無史さん2016/05/11(水) 12:42:28.14
おまえら新説を語る時は
ちゃんとした根拠を語れよ。

ここは幼稚園じゃないぞ。

470日本@名無史さん2016/05/11(水) 15:55:28.00
根拠が無いと説じゃなくて妄想だからねw

471日本@名無史さん2016/05/19(木) 05:28:43.39
>>421
『新撰姓氏録』が饒速日の七世孫と記す大賣(売)布命とは、何者か?

472日本@名無史さん2016/05/20(金) 22:28:40.94
物部氏は海賊であり馬賊である。
つまり、収穫期を狙って村を襲う略奪民族なのだ。
鉄は、馬具や船を作ったり、武器を作るために必要なものだ。
鉄の材料も職人も略奪してきたのだろう。

473日本@名無史さん2016/05/22(日) 10:00:43.15
>>454
先住民物部氏と諏訪大社には、関わりがあるのか?
週刊「日本の神社」 第120号 諏訪大社 他 2016-05-17発売 \562*1.08
聖地のミステリー:古代史最大の豪族・物部氏と諏訪の深い関わり
ttp://deagostini.jp/jin/backnumber.php?id=47919&issue=120

474日本@名無史さん2016/05/23(月) 08:32:56.86
関裕二のコラムじゃん…

475日本@名無史さん2016/05/25(水) 09:36:18.97
新説ではなくて、本物が言ってるだけなんで。まぁウソくさいと聞こえてしまうのが悲しいです。代々受け継がれてきてる古文書があるんですが…お見せ出来ないのが悔しいです。日本至る所にある守屋神社でも参拝なさって下さい。

476日本@名無史さん2016/05/25(水) 09:51:55.60
>>475
糸魚川のタケミナカタが滅ぼした諏訪の在地勢力がモレヤだろ

477日本@名無史さん2016/05/25(水) 14:26:14.97
徐福の子孫

478日本@名無史さん2016/05/25(水) 21:52:55.70
>>475
>日本至る所にある守屋神社・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
?長野県高遠町のしか知らぬのだが、他には何処何処に坐すのか?

479日本@名無史さん2016/05/26(木) 18:11:33.03
>>19
これが正解だろ。

480日本@名無史さん2016/05/26(木) 22:43:24.00
渡来系縄文人という事ですね

481日本@名無史さん2016/05/26(木) 23:11:25.04
埴輪好きなのは間違いない。

482日本@名無史さん2016/05/27(金) 00:16:56.42
高龍神社を祭る地域に進出している。
Google地図で探せばわかります。

483日本@名無史さん2016/05/27(金) 06:29:09.50
十種神宝がある天橋立の籠神社は物部だな。息津鏡と辺津鏡がある。

484日本@名無史さん2016/05/28(土) 00:03:27.92
マ イ ン ド コ ン ト ロ ー ル の手法

・沢山の人が、偏った意見を一貫して支持する
 偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法

・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない、スルーする
 誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法

偏った思想や考え方に染まっていたり、常識が通じない人間は、頭が悪いフリをしているカルト工作員の可能性が高い

靖 国 参 拝、皇 族、国 旗 国 歌、神 社 神 道を嫌う カ ル ト

10人に一人は カ ル ト か 外 国 人

「ガ ス ラ イ テ ィ ン グ」 で 検 索 を !

485日本@名無史さん2016/09/03(土) 11:44:25.50
物部守屋・・・・大和朝廷時代、神代以来の軍事氏族の名門で、蘇我氏と崇仏・廃仏論争を繰り広げたことで有名だ。
そんな物部氏の末裔である守屋武昌が、「防衛省の天皇」と呼ばれながら防衛庁を事務次官として牛耳っていた。
歴史は繰り返すんでしょうかねぇ。
興味深いのが、かつて「えたひにん」と呼ばれていた人達は、実は物部氏の血統だという説があるそうです。
物部氏は古神道をつかさどり、生贄を神に捧げ、血の儀式をするヘブライからやってきた民だったそうで、そういう生贄の儀式や血の儀式をするので、えたひにんに身分を
落とされたという話。

486日本@名無史さん2016/10/10(月) 18:36:19.67
物部氏はヤマト政権以前のヤマトの王
どこから来たのか分からない後の大王家を擁する諸国連合の一員となりヤマトの地の国譲りをした
ヤマト政権樹立に伴い連合各勢力の文化や様式を取り入れあるいは融合させた
物部氏はその中で祭祀(のちの古神道)という政(まつりごと)の主要部分を職掌する地位に就いた
祭祀王はもちろん大王であるが祭祀は物部式である

後代諸国連合のヤマト政権からヤマト王権という国家の体を成すに連れて祭祀は政治に移り変わり政治でも物部氏は枢要の地位を保っていた
連合ではなく国家となったことで元諸国勢力は一臣下となり国家の命令で動かなければならなくなった
となるとこの国家権力の掌握を狙って権力闘争が激化していく

元々仏教は物部氏が持ち込んだものだった
だが祭祀がまだ大きな影響力を持つ中で仏教を新たな祭祀法として目を付けたのは蘇我氏だった
祭祀を仏教にすることで祭祀≒政治から物部氏の権力を引き剥がし蘇我氏が取って代わろう図った
こうして崇仏派蘇我氏と廃仏派物部氏という構図になった

部曲や部民で構成されているヤマト王権は氏族集団がそのまま公的機関として機能していた
ゆえに権力闘争に敗れた物部氏は氏族全体がヤマト王権から排斥されることとなり歴史の表舞台から消え去った

更に後年渡来系の中臣氏は氏族集団を主体とするヤマト王権では権力を拡大することは難しかった
ゆえに大陸式の律令という官僚制を導入することで古来からの氏族集団を排斥する手法を採った
これが王権の限界と上手く合致して律令を主導した中臣氏つまり藤原氏は巧妙に藤原一強の官僚制を敷いた
対外的にも国家組織を確立しこれより大和朝廷となる

487日本@名無史さん2016/10/10(月) 23:47:07.40
記紀の過去の改ざんも
仏教周りが原因みたいねぇ

488日本@名無史さん2016/10/11(火) 01:37:27.54
物部氏本流は継体朝の中核軍閥で、古代吉備王朝の流れ。
傍流(建前上は宗家)が、神武天皇親衛隊の葛城軍閥。
対極的に、蘇我氏は継体朝による大和天皇家解体工作の担い手。
つまり、仁賢天皇の親衛隊の流れで西播系。
両氏のルーツはおそらく同じ。
仁賢天皇は、雄略天皇を反面教師とした別途の謀将天皇。
雄略暗殺、清寧討伐、顕宗謀殺、
自らの悪事を抹消するため、語り部達を皆殺しにしたので
即位直前からの事跡は不詳。

489日本@名無史さん2016/10/23(日) 21:25:23.29
「丑寅日本国に倭国の皇統を砕く書が残っている。秩父に残った蘇我一族の国記及び天皇記である。将門を討ったけれども、本命の国記、天皇記の奪取がならなかった。倭国朝廷の企ても不覚に終わったのである」

490日本@名無史さん2016/11/24(木) 19:33:53.24
>>460
弓削道鏡は物部係なのに仏教僧

491日本@名無史さん2017/01/11(水) 21:45:04.68
>>486
>祭祀王はもちろん大王であるが祭祀は物部式・・・・・・・・・・・・・・
祭祀王とは、己が世子たちの夢見内容により世襲後継者を指名したと
記録される崇神天皇のように男巫の側面を有する大王たちを指すのだろうが、
その物部式祭祀というのは、如何なる様式なのですか?

492日本@名無史さん2017/03/12(日) 12:40:42.48
>>483
十種神宝のうちの息津鏡と辺津鏡の二鏡って、どう違うの?

493日本@名無史さん2017/03/20(月) 09:41:17.32
>>434
奈良市石木町に坐す大和国添下郡の式内社登弥神社の祭神の一体に
登美建速日(トミノタテハヤヒ?)命という「ハヤヒ」名があるね。

494日本@名無史さん2017/04/23(日) 18:37:23.97
>>485
反論するのもアホ臭いが、物部氏は地方豪族の元となった国造を多く輩出し、
江戸の身分システムの遥か以前から地方で勢力を持っていた。

495日本@名無史さん2017/06/17(土) 11:07:39.38
物部のルーツは九州の筑後川・遠賀川を牛耳っていた氏族、後に東征し天皇家のルートとなる。

496日本@名無史さん2017/06/17(土) 13:11:16.28
物部氏の祖らは、卑弥呼対卑弥弓呼(クナ)の争いの際に、クナを裏切り卑弥呼に寝返った人々だろ。

クナは2世紀後半までは

497日本@名無史さん2017/06/17(土) 13:14:59.58
物部氏の祖らは、卑弥呼対卑弥弓呼(クナ)の争いの際に、クナを裏切り卑弥呼に寝返った人々だろ。

クナの版図は2世紀後半までは、河内和泉、大和。
物部氏の祖が大和の大王の筈がない。大和の元々の支配者は卑弥弓呼。

もちろん饒速日(実在すら怪しい)でもないし、カモでもない。

498日本@名無史さん2017/06/17(土) 15:43:13.93
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加々志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社です。


『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
@ 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
A 伊加々志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
B 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
C 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること

などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性もあるのである。

499日本@名無史さん2017/06/17(土) 22:55:13.73
>>492
一方が前漢後期(紀元前)、他方が後漢(紀元後)の物の本物で奇跡的に一度も土中に埋納去れずに完全な形で二千年の時を経て伝わる正に宝鏡。

因みに、前漢が滅び王莽の「新」帝国が建国されたのが
正に西暦の紀元元年に当たるので歴史のベンチマークとして分かりやすいかと。
その「新」帝国も僅か15年で瓦解、光武帝劉秀の後漢が成立。

また、成立間もないキリスト教も後漢の建国間もなくに既に都の洛陽に到来して盛んに布教活動を全国的に展開していた事が後漢書に記されています。

500日本@名無史さん2017/06/22(木) 21:34:40.52
【延喜式神名帳】遠賀神社 出羽国 田川郡鎮

九州の田川郡と遠賀川に関係か。

501日本@名無史さん2017/07/22(土) 10:39:46.42
今に残る神道は物部神道の
影響後が見れますが

502日本@名無史さん2017/07/22(土) 12:12:54.52
徐福=ニギハヤヒ(再渡来(リベンジ)時に号した。初回渡来(出雲の簒奪にtry)時にはホアカリを号した
出雲帝国の正副二人の王を殺害(一人は岳父(義理の父親))して帝国(この当時、日本列島の大部分を領有ないしは勢力圏内)乗っ取りを謀るも
意に反して意外に早く出雲帝国側が盛り返し態勢を磐石にしたため大失敗。
出雲側から捕遂される立場となり暗殺の危機が迫ったため(僅かに得た丹波国と妻子を放棄して)逃げ帰ったらしい))

鬼神より怖く残忍な秦の始皇帝や朝廷にはそんな事はおくびにも出さず(判れば色々残忍な極刑が待っていた)
舌先三寸で巧みに再度の奮起を促し、まんまと騙し通してあの大秦帝国の国庫を傾けさせる程に巨万の富をせしめると共に大船団の建造させて
三千人と言われる青少年少女らに一族配下を紛れ込ませた上で山東半島から船出して東海に浮かび二度と還らず。
後々の風聞では蓬莱島に至り彼の地の王となったとも。、、、(史記)

この大船団が九州の有明海に入港(海上が見たこともない大船団に占められた様は圧巻だったでしょう。)して
佐賀の地に上陸。(サカ、サガ等は最高神(王)を意味するかと)
出雲帝国から北九州地域の統治を委任される形で分家独立したばかりの宗像王家のカタアタス命に取り入り?三女の市杵島媛命/サヨリ媛(狭手依媛命)と政略結婚して、
次男坊(先に渡来した際には長男の五十猛/天香語山命/手栗彦を成した。猛は徐福の父親の名(徐猛)で息子に命名)と娘を産ました。(精力絶倫オヤジ(ジジイ))
この次男坊がホホデミ。物部王家の祖。
また、のちの歴代物部王家の当主(王)はホホデミを襲名していたらしい。
、、、後々の天皇家に列なる (天御中主尊(徐福?)より神武天皇まで三十数世、筑紫島に都す。にも合致)

あと、市杵島媛命(=イザナミ(二人目))との娘、穗屋媛命は長男で穗屋媛の異母兄の天香語山命に嫁いで天村雲命/建位起命を産む。

503日本@名無史さん2017/07/22(土) 13:15:48.13
>>502
丹波国風土記残欠によると、
天火明命の国家を修造固め成せとの大命(前回、大失敗した経緯もあり、ある種の悲願)を

承った御子の天香語山命と御孫の天村雲命らはそれぞれ軍勢を率いて各地を転戦なさり
苦労した末にやがて国が成った。云々


微かな伝承によれば、丹波国勢力が畿内の大和に大量に流入してきて勢力を誇ったのわ、見た
渡来人らに引っ掻き回された出雲事変?を契機に出雲から葛城地方に移住していた東王家の分
家の登美家と
同じく西王家の分家の高鴨家ら先住の王族らから是非もなしと
丹波勢の当主天村雲命(葛城の王(かも)族からは父祖を相次いで殺害された仇敵の孫。母系は同じ出雲王族。ビミョーかつ複雑な間柄)
を大王に推戴。

葛城の登美家を建てた天日方奇日方命(父親は八重波津身命(出雲帝国第8代少彦(副王)。東王家の富/向家当主)/母親は摂津三島の生玉依媛命。
父親はツミハ八重事代主神に改竄された。また子孫らに三輪山に祀られた)の妹君が天村雲命に嫁ぎ大后と成る事で
葛城・丹波(ケヒ?)連合王国の大倭国が成立。
初代大王に天村雲命が即位(神武天皇の一人目のモデル)
その息子、第2代大王、玉手看命も同じく葛城の登美家の天日方奇日方命の下の妹が嫁ぎ、、、

キキの神武からの欠史八代が天村雲命から始まる大倭国大王家の系譜。
いわゆる歴代のヒミコ=大倭媛命/竹野(タカノ)媛命もこの時代かつ御一統さま。
(魏に遣使をした事が伝承、系譜文献の解析から明らかに)
また、大倭の称号自体が、尋常ではない特別かつ偉大な王にしか付与されていない事も重要かと。

504日本@名無史さん2017/07/22(土) 13:17:58.55
>>503

いわゆる第8代孝霊天皇の時に、九州の物部王家が畿内大倭国を侵攻して来て、
葛城の登美家が九州勢に内応手引きした事で
第一次物部侵攻軍勢は易々と吉野から紀の川を渡りイワレの地に進軍駐屯。
それを見た孝霊天皇と取り巻き連中は大和を放棄して逐電。吉備(気比)国を建てた(吉備津彦、桃太郎(山から川を(ヤマトから)流れて来た))
、、、ふたりの神武(ニギハヤヒ)
新たな大倭国の主と成った第一次物部王家も次第に葛城(出雲)に同化吸収される形で僅か三代(約150年?)で
九州物部王家の第二次大和侵攻により瓦解消滅。(東〜北日本に逃避した人達が蝦夷(エミシ)と蔑まれた)
この際にも葛城の登美家の当主が重要なポジションを占めた。(頭ヤタガラス。金鵄)
主導したイクメ大王(垂仁)が改めて新たな大倭国の主、大王に即位。(いわゆる崇神は出師の直前、準備中に宮崎の都万で死亡)
、、、

505日本@名無史さん2017/09/02(土) 21:52:36.17
>>362
『景行天皇紀』に、以下記事がある。
土蜘蛛討伐九州親征時に抵抗に遇い加護祈願した
志我神、直入物部神、直入中臣神の名々からすると
先頭の志我神が、景行天皇の氏祖神ということか?

506日本@名無史さん2017/09/02(土) 23:52:07.02
>>505
志賀神は 安曇氏の遠祖とみられる
筑前志賀島や、滋賀の語源となった。

507日本@名無史さん2017/09/03(日) 00:15:42.96
>>504
徐福到来から世代があわんといっておろう。

村雲が神武なら
その後、孝霊まで7代。ここで物部東征があったとして
孝霊のあとの孝元は物部の嫁もらうじゃろ?
孝霊の後は
開花、大彦世代
そのあとはヒコイマス
彦道主

孝元の後は
屋主武雄 崇神
フツオシ 垂仁 景行
武内宿禰につながる 成務

武内宿禰は成務と同じ世代だから。

それぞれ西暦何年の話よ?

508日本@名無史さん2017/09/03(日) 00:29:20.68
>>506
滋賀にはシカさんも来ましたが、ワニさんやカモさんも来てますよね。

509日本@名無史さん2017/09/03(日) 06:46:38.38
「物部氏の本貫地は忌部の郷 阿波だった」

伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加々志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社です。


『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
@ 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
A 伊加々志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
B 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
C 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること

などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性もあるのである。

510日本@名無史さん2017/09/03(日) 07:22:44.94
>>508
来てますね。

今の天理市、中平年号の刀が出た東大寺古墳あの辺りです。唐古・鍵遺跡や布留遺跡も近いし、
纒向建設に伴って物部は今の石切駅付近に移ったようです。

開化天皇以下、ヒコイマス、丹波道主 系と関係が深く
この系統から和邇氏は武振熊がでて近江毛野臣で若干衰微しました。

カモさんは滋賀に来ずに山城の方に多く進出しました。景行天皇の外征中はカモさんがナンバー2だったと言います。

511日本@名無史さん2017/09/03(日) 08:12:23.15
>>510
はい、倭国(阿波)から大勢、行きました。

512日本@名無史さん2017/09/03(日) 08:31:20.39
>>510
カモさん(蒲生)も滋賀に来てますよ

513日本@名無史さん2017/09/10(日) 09:35:26.44
和邇氏は軍事将軍(特に水軍)だったのだろうか?

514日本@名無史さん2017/09/10(日) 12:52:39.18
>>1
関裕二によるとかつて存在していた鬼族

515日本@名無史さん2017/09/10(日) 13:11:19.66
>>513
ですよー

神功皇后の韓地遠征で活躍した武振熊さんがそうです。

516日本@名無史さん2017/09/13(水) 19:53:29.39
物部氏の子孫がテレ東のカラオケ番組に出てた

517日本@名無史さん2017/10/26(木) 11:19:49.35
八幡神社の八幡はヤハタとも言うが、その正体ははっきりしない。
ハタ=旗、あるいは秦。
秦国から多くの帆船とともに渡来した人物、徐福を連想するのは発想の飛躍であろうか?

518日本@名無史さん2018/01/30(火) 16:08:37.17
日本史より謎な金儲けできる方法とか
グーグルで検索⇒『羽山のサユレイザ』

8S9DU

519日本@名無史さん2018/02/17(土) 08:13:17.39
>>486
>元々仏教は物部氏が持ち込んだもの・・・・・・・・・・・・・・・・
管見では聞かぬ説だが、いつ物部何某が伝えたと何に記されてあるの?
通説の百済王からの仏教公伝は、『日本書紀』だとAD552年、
『元興寺縁起』だとAD538年と記されていますが、これ以前に
仏教私伝はあったでしょうから、その記載史資料名は何でしょうか?

520日本@名無史さん2018/02/18(日) 10:56:51.11
仏教が中国に到来したのは後漢の初期、1世紀の事。
同時期には、
キリスト教も中国に到来。
景教(イエス(キリスト)は、同じスペルの異音、イシェ、イーサ他)と号して全国に展開して盛んに布教活動を行っていた。(後漢書)

521日本@名無史さん2018/02/18(日) 11:03:17.21
>>517
八幡。の幡とは、
卑弥呼(豊国/宇佐の豊玉媛)が魏の使節を通じて皇帝から賜った黄旛(皇帝旗。「錦の御幡」)を指すらしい。


(出雲人の伝承)

522日本@名無史さん2018/07/12(木) 16:31:33.20
とても簡単な稼ぐことができるホームページ
念のためにのせておきます
検索してみよう『立木のボボトイテテレ』

30I

523日本@名無史さん2018/09/10(月) 09:00:57.12
>>502->>504
なんだか迫力ありますね、出雲の伝承ですよね?
欽明朝から天智・天武朝あたりまではどういう伝承になってるのかも是非聞きたいです!

524日本@名無史さん2018/09/10(月) 09:09:50.68
飛鳥文化と宗教争乱

に詳しい。

525日本@名無史さん2018/09/10(月) 09:47:10.78
伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加賀志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社である。

『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
@ 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
A 伊加賀志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
B 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
C 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること

などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性が非常に高い。  @阿波

526日本@名無史さん2018/09/10(月) 14:56:41.93
気になる材料を羅列してみると、


渡来系弥生人骨はコンピュータ形質解析で朝鮮人骨とは一致せず、オロチ、
ギリヤークなどの沿海州の北方民族にかなり近寄った数値を示す人骨。

弥生土器が始まったのは最古水田・菜畑遺跡より50年以上前の山陰あたりで、
その土器は同期する沿海州南部の土器と特徴が一致している。

最古水田はイネの粒種、耕作用農具、炊飯器から考えて、明らかに朝鮮南部の影響で
始まっているのに、その人々はなぜか朝鮮土器を一つも作っていない。


複合的に考えて、まず沿海州あたりから渡来人の渡来があり、渡来後に朝鮮南部から
稲作をパクってきただけのように考えざるを得ない。

527日本@名無史さん2018/09/10(月) 21:53:18.37
ホアカリはカグツチ
物部はそれに使えた民かな

528日本@名無史さん2018/09/14(金) 09:32:50.92
天孫本紀には物部多遅麻の子には印葉という子がおり、その弟に伊与という人がいるとしています。
でも日本の苗字7000傑にある物部氏系図には伊与の名がなく代わりに阿佐利という人がいて、風早氏祖と書かれています。
伊予国には風早国造が居たそうですが、物部伊与=物部阿佐利という理解で良いのでしょうか?

529日本@名無史さん2018/09/14(金) 10:15:17.29
>>528
>伊予国には風早国造が居たそうですが、物部伊与=物部阿佐利という理解で良いのでしょうか?

「忌部はん」が全国に散っていったんだから、無きにしも非ず。  
後世の氏姓の大元は渡来系以外はすべて「忌部はん」  @阿波

530日本@名無史さん2018/09/16(日) 22:48:55.98
物部って何でも取り込むよね

531日本@名無史さん2018/09/19(水) 05:18:11.15
親父の田舎は地名が跡部。だからうちは物部だよね?

532日本@名無史さん2018/09/20(木) 22:57:17.66
分からんけど、多分ね。

533日本@名無史さん2018/09/21(金) 02:18:16.78
>>531
君は高貴な存在だよ。家来になりたいよ。

534日本@名無史さん2018/09/23(日) 21:51:22.07
>>533
やっぱり僕は凄いんだ

535日本@名無史さん2018/09/23(日) 23:21:46.91
跡部キングダム

536日本@名無史さん2018/09/24(月) 01:54:21.33
京都の五塚原古墳
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%A1%9A%E5%8E%9F%E5%8F%A4%E5%A2%B3

「古墳時代最初期の3世紀中葉-後半頃の築造と推定される[3]。
向日丘陵の首長墓群では最古になる[4]。墳丘の「斜路状平坦面」は箸墓古墳(奈良県桜井市、一説に卑弥呼の墓)と共通する古い形式であるほか、
前方部の形状は東田大塚古墳(奈良県桜井市、箸墓古墳と同時期か)と一致する[8][3]。」


被葬者は誰であろうか。ごく普通に考えて山代国造、山代県主の類であろう。
ならば候補者がいる。
先代旧事本紀・巻第五「天孫本紀」に出てくる山代県主の祖・長溝(ながみぞ)である。
崇神の叔父である伊香色雄命の義理父にあたる。

同じく箸墓との関連が言われる大阪・交野の森古墳群の雷塚古墳。
被葬者は誰であろうか。
候補者がいる。
天孫本紀に交野連と書かれてる多弁宿祢命(たべのすくね)である。
伊香色雄命の子である。

ここにきて箸墓と強く関連する二つの古墳の被葬者候補に伊香色雄命を軸とする二人の人物が浮かび上がってきた。
箸墓古墳とは伊香色雄命の墓ではないだろうか。
彼が磯城の王であったことは姉のイカガノシコメと「ヒメヒコ」を形成してることでも明らか。
そのイカガノシコメから産まれたのが崇神。
崇神墓を古事記の記述から行灯山古墳として、叔父で磯城の王であった伊香色雄命が崇神より巨大な墓を造ってたとしても不思議ではない。

このように先代旧事本紀は考古学と整合するのである。

537日本@名無史さん2018/09/24(月) 06:41:08.54
>>536
>このように先代旧事本紀は考古学と整合するのである。

伊加賀色許雄命は、伊加賀色許賣命の「弟」で、『日本書紀』や『新撰姓氏録』では「物部氏」の祖神とされている。
『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
日本一社 延喜式式内社 阿波國麻殖郡 伊加賀志(いかがし)神社
鎮座地  徳島県吉野川市川島町桑村字大明神1635
御祭神  伊加賀志許賣命(いかがしこめのみこと) 伊加賀色許雄命(いかがしこおのみこと)
またもや、日本で唯一、徳島県にしか存在しない延喜式式内社である。

『先代旧事本紀』によれば、両神は饒速日命(にぎはやひのみこと)の6世孫にあたる。
また、日本書紀によると伊加賀色両神の母(『先代旧事本紀』によれば“父”)
とされる大綜杵命(饒速日命5世孫)も、隣町鴨島町の「御所神社」に祀られている。
このような人間関係から一般的には、伊加賀色許雄命から更に遡って饒速日命までを「物部氏の祖」とし、
物部なのだから、みな河内(そもそも“河内”は阿波の一般的な地名)の人間であると単純に考える人が多い。
しかし、
@ 「イカガシ」の名を冠し、「イカガシコメノミコト」を御祭神とする式内社が、全国で阿波国麻植郡のみに存在すること
A 伊加賀志神社は朝廷から「大明神」の称号を送られていること
B 母神もまた同地(忌部の本拠地である)麻植郡に祀られていること
C 『阿波両国神社録』(1430)に当社が忌部神社8摂社のひとつに挙げられていること

などから、伊加賀色許賣命は阿波忌部の女性である可能性が高いと考えられる。
同じく祭祀を司る物部氏との関係は、同族分派の可能性が非常に高い。  @阿波

伊加賀志(いかがし)神社
http://sueyasumas.exblog.jp/10039623/

538日本@名無史さん2018/09/25(火) 07:39:09.26
旧辞本紀は何でも物部の系譜にしちゃうから忌部も当然のように物部の一部みたいにしちゃってるのかもね。

539日本@名無史さん2018/09/25(火) 07:58:35.96
>>538
>旧辞本紀は何でも物部の系譜にしちゃうから忌部も当然のように物部の一部みたいにしちゃってるのかもね。

そりゃ、真逆だよ。
ここでいう忌部一族とは、平安時代の『新撰姓氏録』以降の忌部(斎部)氏ではない。
忌部一族とは倭人(広義の忌部氏)であり、全国を拓殖していった古代倭国(阿波)スーパー頭脳集団の総称である。

540日本@名無史さん2018/09/25(火) 12:15:14.60
日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土するイネは、
中粒種と短粒種が約半々の割合で混交したもの。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古のイネの現物は短粒種のみ。

そして、日本の最古水田と同期する中国の稲作遺構から出土する耕作用農具は、
石耜という石刃のスキと、石鋤という日本には存在しない石刃の除草用農具と、
石犂という石刃の牛耕用の農具、この3つだけ。

ところが、日本の最古水田から出土した日本最古の耕作用農具は、
木製のエブリという地をならす農具と、木製のクワだけ。

石刃が伝わっていない上に、同期する中国と同じ耕作用農具が一つも
伝わっていないのだ。

それどころか、同期する中国には存在しない耕作用農具が日本最古の
耕作用農具として日本の最古水田には伝わってしまっている。

オール木製で。

しかも、鬲や鼎といった、三足や耳の付いた同期する中国系炊飯器も
日本の最古水田には一切伝わっていない。

日本稲作が中国から伝わったというような話は、太陽が西から昇って東に沈むと
言っているのと同じレヴェルの話である。

ちなみに、スキという耕作用農具が伝わったのは、最古水田から200年以上も
経ってからの事で、やはり木製であった。

石犂は5C頃に鉄刃のものが朝鮮経由で伝わるが、石鋤に至っては、木製でさえ、
永遠に日本に伝わる事はなかったのである。

541日本@名無史さん2018/10/08(月) 20:45:47.28
>>19
>饒速日命(物部氏の祖)は天皇家より早く大和地方に進出してた
>もう一つの天孫一族・・・・・・・・・・・
天孫族饒速日を国津神大己貴の8世孫という系図『因幡國伊福部臣古志系圖』を
延暦3年(784年)に作成した伊福部臣富成は、そのようには見做していなかった。
8世紀後葉当時の因幡國では、饒速日は天孫族とは見做されていなかったと
云うことか?
「因幡国伊福部臣古志系図」
http://mononobe.webcrow.jp/siryou/ihukub.html

542日本@名無史さん2018/11/04(日) 23:40:03.00
物部氏 とは 物部守屋は 秦河勝に くびをきられた 八尾太子堂に 墓?がある

ニギヤハヒ 天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊 の 子孫 すなわち アマテラス
土地をとられ 命も 子供も ころされた かわいそうな 運命だ
インカ といいマヤ といい 先住民はくちくされるのか?
ただし 物部氏は 天高原から おりたった シュメールの人 だった

543日本@名無史さん2018/11/04(日) 23:54:42.94
アー タノシーデスネー 長江の鬲!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search?p=長江+++鬲&ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa



アー タノシーデスネー 江南の越式鼎!wwww


http://search.yahoo.co.jp/image/search;_ylt=A2RimVRd.tRb9nMAQCuU3uV7?p=越式鼎&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

544日本@名無史さん2018/11/24(土) 11:41:58.37
>>541
天火明命=天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊と伝承する丹後籠神社の
主張と違い饒速日命は、ニニギの兄の天火明命と同一人物ではないと
いう説ですね?
221日本@名無史さん2018/11/15(木) 09:06:54.90
・・・・新撰姓氏録でも、饒速日の後胤の物部氏は、天孫ではなく、ただの天神とされている。
天火明≠饒速日とされている。
神武・倭国の連合東遷説  
http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1535685239/221-

545日本@名無史さん2018/11/24(土) 13:21:10.76
◆中国の釜



中国では新石器時代には持ち運び可能なコンロに釜を載せた形態の釜竈がみられた[1]。
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた[1]。
釜が再び使用されるようになるのは春秋時代晩期になってからである[1]。
http://ja.wikipedia.org/wiki/

商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた
商朝から戦国時代にかけては鼎や鬲が多用されていったん衰えた


. 

546日本@名無史さん2018/12/13(木) 12:50:58.98
ニニギは高句麗系だろ

547日本@名無史さん2018/12/13(木) 17:16:21.84
長江下流域に龍が伝わったのは約5000年前。



「遼河文明」から伝播したと思われる、約5000年前の長江下流域・良渚(りょうしょ)遺跡の玉龍も、
角と耳がありイノシシの顔だ。

http://www.seibutsushi.net/blog/2012/01/1238.html


.

548日本@名無史さん2018/12/24(月) 16:51:01.92
>>500
この物部氏の遠賀川から大和盆地東遷説ですか?
九州北部遠賀川(おんががわ)流域に比定されている不弥国にいた物部氏の一部が、同じ
九州北部の隣国「奴国」との軋轢の中、より広い耕地を求めての旅立ち・・・・・
【もう一つの日本】物部氏1/4 もう一つの天孫降臨  2010-02-14
ttp://kojiyamanet.hateblo.jp/entry/2010/02/14/%25e3%2580%2590%25e3%2582%2582%25e3%2581%2586%25e4%25b8%2580%25e3%2581%25a4%25e3%2581%25ae%25e6%2597%25a5%25e6%259c%25ac%25e3%2580%2591%25e7%2589%25a9%25e9%2583%25a8%25e6%25b0%258f14%25e3%2580%2580%25e3

549日本@名無史さん2018/12/31(月) 13:03:11.63
>>538
橘氏=楠氏も、物部氏後裔ですか?
838 :日本@名無史さん:2013/05/13(月) 16:00:13.93
>>837
物部って後の橘氏=楠氏だよね。
出雲国譲り・ニニギ降臨〜神武東征〜崇神治世★4
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/history/1362647012/837-838

550日本@名無史さん2019/03/03(日) 11:50:41.06
幼稚園の先生に物部さんと言う苗字の人がいたな。家も結構近くで古めかしい家だった。

551日本@名無史さん2019/03/15(金) 11:40:34.07
豪族

552日本@名無史さん2019/03/15(金) 15:20:34.88
生駒の石切神社の祭神はニギハヤギの尊

553日本@名無史さん2019/03/19(火) 19:19:16.42
>>463
アマテルも丹波から迎えているからな

554日本@名無史さん2019/05/11(土) 20:24:06.03
日ユ同祖論をややこしくしているのは、丹後丹波とか伊勢志摩とかいう神道の総本山みたいなところが日ユ同祖論の総本山でもあり、物部の総本山でもあるところなんだと思う。

555日本@名無史さん2019/05/16(木) 12:35:08.36
>>554
へー初耳

556日本@名無史さん2019/05/16(木) 18:23:00.82
−倭国中枢(北部九州)…「魏志倭人伝」
邪馬台国VS狗奴国=曹魏vs孫呉の代理戦争勃発(「孫」呉は狗奴国後背地・宮崎へ「天孫降臨」で後方支援)
→曹魏、帯方郡の張政を派遣→神武東征(敵前逃亡)狗奴国滅亡→邪馬台国勝利するも、台与で断絶→崇神の四道将軍に降伏、ヤマト王権の配下へ

−辺境地域(本州/出雲・吉備・大和)…「古事記&日本書紀」
出雲(朝鮮半島から青銅・鉄?の輸入販売)&吉備(瀬戸内海の塩・桃販売)の混血王・大物主が、東海と共に唐古鍵を挟み撃ちにして征服、ヤマト王権樹立(纏向型前方後円墳)
→饒速日(神武東征)→物部氏として臣下へ→崇神、四道将軍を派遣し、邪馬台国を併合、全国統一

557日本@名無史さん2019/05/16(木) 22:37:08.18
>>556
マルチコピペうぜぇぞカス

558日本@名無史さん2019/05/17(金) 05:39:03.37
>>552
生駒じゃなく東大阪。

559日本@名無史さん2019/05/20(月) 15:16:12.36
物部、秦族、同じ穴のムジナ(キツネ?)

徐福さま、一度目に連れられ渡来(出雲王国/山陰地域)した秦国人二千人 の子孫たちが後の秦族

徐福さま。二度目に渡来した際に引率されてきた秦国人(童男童女、あらゆる職能技術者、徐福さまの身内親戚縁故者ほか)三千人。
九州佐賀(吉野ヶ里)を本拠として拡散したのが物部。

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